パンク小僧やロリータ少女にメタル少年のたまり場だったレコードショップを、新京極のど真ん中でやっていた頃、イギリス出身のロッカーにエルビス・コステロという男がいた。新譜が出る度に、コステロフリークがキャーキャー言いながら店に来ました。しかし、私は好きになれなかった、いや毛嫌いしていた。

それがです。

悪名高き、サッチャー政権時代、イギリスのロックは革新的進歩をしています。反体制的という、今では死語同然の言葉が暴発し、ポピュラー音楽はその洗礼を受け、極めて危険なサウンドを聴かせてくれました。コステロもその一人でした。捻くれたボーカル、ぎすぎすしたギターで生み出されるサウンドは、心地よいロックではなく、ざらざらの荒くれた気分にさせるもので、風体もかっこ良くなく、貧弱だったこの男には、なんの魅力も感じませんでした。

それがですよ、一変しました。

アルバム「ノース」。いや〜参りましたね。もう、ジャケットから渋い。イギリスの下町。冬の風が吹き付けている、寂しい街角を、黒のコートに、フツーの黒めがねをかけたコステロが歩いて来る。格好良さとは程遠いジャケですが、中身はかっこ良すぎる。

少々蓄膿症気味のボーカルは健在ですが、その説得力に聞き惚れました。(いや、英語の意味なんてわかりませんよ)ライナーノーツを書いている大鷹俊一はこう言っている。「コステロのキャリア30年にして作った丸ごとのラブソングであり、誰もできなかったほど深く、幅広く音楽に挑んで来た彼だからこそ作ることができた世界」。その通りです。

昨今、かつてはロッカーとしてガンガンやっていた人たちが、スタンダードジャズを歌っていますが、どれも面白くありません。中には、もう歌うの止めはったら、どないでっか?と言いたくなるののあります。しかし、コステロは、スタンダードなんか、やりません。でも、どの曲も渋い大人のラブソングなんです。ジャズでも、ソウルでも、ましてやロックでもないけれど、素敵な音楽になっているのです。立派ですね。かつての音楽界の暴れん坊が、老いておとなしくなったのではなく、賞賛と非難と中傷と支持が交互に飛んで来る音楽業界で、ぶれもせずに自分の音楽を作ってきたからこそ出来たのでしょう。まぁ、この時期、彼はジャズシンガーのダイアナ・クラールと結婚したことの影響もあるのかもしれませんが。

ライナーノーツに入っているコステロのポートレイトを見ていると、へへ〜、おいら、まだやれるぜみたいな自信と、歩んで来た茨の道への誇りにみちた、大人な表情です。パンク、ニューウエーブ、そしてインディーズのバンド少年少女と共に育ち、やはり54年生まれの、同世代の時代を爆走してきたロッカーに再会して、お互い年をとりましたなぁ〜と微笑みあうことができるなんて、素晴らしい世界です。

 

 

Tagged with: