本日、昼から店は女房にまかせて観世会館へ行きました。私の小鼓の曽和尚靖先生が出演されている公演です。

本日のメイン演目は「船弁慶」。海路西国に逃れる義経一行に、源氏に滅ぼされた平家の武将、平知盛の亡霊が襲いかかるという、ハリウッドなら3DでSF映画にしそうなお話です。(写真は本日の舞台ではありません)

ご存知とは思いますが、能舞台の音楽を担当するのは小鼓、大鼓、太鼓、横笛の四人の囃子方そして地謡と呼ばれる歌い手です。楽器はどれもメロディーを演奏しません。かろうじて横笛がそのパートですが、これも殆ど同じフレーズの繰り返しです。地謡を担当する数人も、ひたすら地を這うような抑揚のない歌い方です。

舞台は後半、躍り出た亡霊と義経とのバトルへと突入します。もちろん、囃子方はここぞとばかりに、激しく打ち鳴らし、地謡も盛り立てます。そして主役の亡霊は長刀を振り回してダイナミックな舞いを披露します。鞭の如くしなる手が叩く鼓の音で、観客の気持ちもヒートアップしていきます。しかし、舞台を構成する演者たちは感情を押さえ込み、淡々と演奏し、そのまま終わります。カーテンコールもなきゃ、挨拶もない、無愛想な舞台です。すべての演者が去った後の舞台は、何も無かったのように冷え冷えとした雰囲気に包まれます。

ロックにしろ、クラシックにしろ、ラストで盛り上がる時は、演奏者も、観客も一気に絶頂へと向かいます。「ノリノリ」の気分という、あれですね。しかし、能舞台では、観客は緊張感から解放されて、最高の気分にさせてもらえるのに演者はクールです。数百年前に決められたとおりの音を出し、発声することがすべてです。ジャズのようなアドリブもないし、オペラのごとく会場が震えるような迫力の歌声もありません。

お稽古で、これはいい、ええ感じと思って打っていると、大抵し師匠のダメだしです。自分のリズムで打つな!とお叱りの声が飛んできます。

それでも、感動させるって、変わった芸能です。何の表情もない能面が、あ、泣いている、怒っていると見えてしまう瞬間があるなんてのも不思議です。

先生はあと一つ、観世流本家の観世清和氏と、歌舞伎や映画でも有名な「勧進帳」を「一調」という形式で演奏されました。これは、演目の一部を謡一人と打楽器奏者一人で上演する形です。静かに打ち、謡い始めたお二人が、緊張感を高めて、殺気が支配する舞台を作っていきます。こちらも研ぎ澄まされて行くというのでしょうか。成る程、能が武士の教養だったことが理解できます。(写真は一調の舞台です。本日のものではありません)

 

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