「もう 月も 星々も すっかり隠れはじめ 女まじない師でさえ 商売道具を片づけている カインとアベル ノートルダムのせむし男をのぞけば みんなセックスをしたり そうでなければ あてもなく雨を望んでいる サマリア人はとっておきのドレスを着こんで ショーの出番を待っている 彼が行くカーニバルは 今夜の 廃墟の街だ」

こんなさっぱり意味不明の詩が、延々11分も続くボブ・ディランの「廃墟の街」。多くの人が訳詞に挑戦し、くだけ散った曲です。マンハッタンの地獄を綴った、ジム・キャロルの「夢うつつ」(晶文社900円)のごときドラッグポエトリーの世界なのか、F・フェリーニが描く万華鏡のように変幻する映画の世界なのか、私には理解できません。ところが、何度聞いてもこの曲が、不思議なことに心の奥に染み込むのは何故でしょうか。孤独に苛まれたり、不安にいら立つ時、この曲は救い上げる力を持っているのです。

一方、ディランの詩とは正反対に、全く平易な言葉だけで綴られた阪田寛夫の「含羞詩集」(河出書房400円)にも、さぁ!と手を差し伸べる詩をみつけました

 

「うるさいな  朝からおはよう、おはようって  おまえらいったい、なんの用?  用はないけど、ただ、おはよう  きのうは土曜、きょうは日曜  さあ行くよう、って  雨上がりの地めんから、いい匂いが  空へのぼっていった」

スニーカーの紐をぎゅっとしめて、威勢良く飛び出したくなりませんか?

もちろん、ディランの曲も、この詩も、それがどうしたの?と何も感じない方もおられるでしょう。その人には、その人にだけ響く言葉や、メロディーがあるはず。ならば、それが少ないよりは、多い方が豊かな日常が送れるはずだと思います。

誠に勝手ながら、レティシア書房は9月1日(月)〜5日(金)まで臨時休業させて頂きます。よろしくお願いいたします。

 

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