私は猫背である。女房に指摘される度にシャキッとするのだが、またすぐに元に戻ってしまう。原因は、男子中学、高校という痛ましい6年間にあると信じている。多感な時期、周りが男だらけ(の割にはケイコチャンやらユミコチャンとかいうガールフレンドが・・・)という窒息寸前の、進学校。落ちこぼれの私なんぞ、国立大学を目指す同級生に卑屈になり、自然下を向き、猫背になってしまったというわけ。

大学時代、辻邦生の文学に入れこみ、清冽で凛とした彼の文章に接して、いかん、下を向いていばかりではと思わされました。そうか、作家の文章には、シャキッとさせる効能があることを知り、そういう身体にいい文章を書く作家さんを探しました。

例えば、こんな文章です。

「あれほど巨大な身体を持ちながら、どうして彼女たちはこんなにも静かなのだろうと、私はいつでも息を飲む。老木のように思慮深く四本の脚は、戸惑わず、油断をせず、正しい場所を踏みしめ、一瞬たりとも無駄な音を発しない。もし夏の静かさというものがあるなら、この者たちの足裏こそがそれを生み出しているに違いない、と思わせてくれる」

これ、以前にご紹介した小川洋子の「いつも彼らはどこかに」(新潮社900円)に登場する老いた象の描写です。

静謐で緊張感があり、削り取られた言葉が、シャキ!とさせてくれるのですね。

こういう文章は、私の読書体験から言えば、女性作家で出会うことが多いみたいです。必ず新刊は熟読する梨木香歩は「不思議な羅針盤」(新潮文庫300円)で、煮詰まった人間関係に喘ぐ時、こう言い切ります。

「もう、だめだ、と思ったら逃げること。そして『自分の好きな場所』を探す。ちょっとがんばれば、そこが自分の好きな場所になりそう、というときは、骨身を惜しまず努力する。逃げることは恥ではない。津波が襲って来るとき、全力を尽くして逃げたからと言って、誰がそれを卑怯とののしるだろうか。

逃げ足の速さは生きる力である。津波の大きさを直感するのも、生きる本能の強さである。いつか自分の全力を出して立ち向かえる津波の大きさが、正しくつかめるときが来るだろう。そのときは、逃げない」

強靭な言葉ですね。彼女たちに、背中の曲がった、このばか者が!と怒られながら、ぐぐ〜と背を延ばす毎日です……..。

 

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