昨日のブログは吉田健一と娘、暁子との「父娘もの」でした。続いて、本日は、娘の朱女(しゅめ)が、父である日本画家、沢 宏靱(さわ こうじん)との生活を描いた「飯場と月」(ヒャクジツコウ舎1350円 新刊)を紹介します。

明治38年生まれの日本画家、沢 宏靱は、戦後「世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」と宣言し、秋野不矩、上村松篁らと「創造美術」を結成しました。

昭和46年、住み慣れた京都市内から、比叡山山腹に移り住みます。朱女さんは、この時代の父と家族のこと、そして家の周りに広がる風景を叙情的に描いていきます。彼女はプロの文筆家ではありませんが、その情景がありありと浮かんでくるような文章です。「孤高の画家」と称され、自分の画業追求のために画室に籠った父親を見つめる優しい眼差しが、読む者を穏やかな気持ちにしてくれます。

タイトルにある「飯場」は、彼女が引っ越した時、まだ家が建ってなくて、住んでいた飯場同然のプレハブ小屋のこと。本来なら、えっ?こんな場所に住むの!?なんですが、子どもであった天真爛漫な彼女は、「だけど、あたしには毎日が夢のようだった。あたしは生涯一幸せだった。だって楽しいんである。毎日が、キャンプだよ。家族全員で」と嬉々として暮らします。

そして、あの頃を振り返って「遊びに遊んで、ひとかけらの心残りもない。あの絶大な幸福感は、いまも私のなかに満ちわたっている。たぶん、生涯の涯まで。」家族の愛情の中で、羨ましくなるくらい伸び伸びとした少女時代。

昨今は夏といえば、「酷暑」「猛暑」とネガティブなイメージですが、私たち世代(彼女は10歳ほど年下ですが)、夏は子どもにとって天国でした。

その嬉しさはこうです。「きりりと冷たい高原の朝のラジオ体操 ヘブンだったプール! 着替えのパンツを忘れてスースーするお尻の帰り道 日没を待ちかねて山々から降り注ぐ蜩の声 漆黒の空から舞い降りる星々の光り」

思いだします、幼かった夏の日々を……。

この家には、TVがなかったそうです。で、食事時間は様々な話に花が咲きます。その中で、前の戦争のことが話題になります。戦争中、日本軍が何をしてきたかを彼女は父から聞かされました。亡くなったお兄さんが「親爺が毎日さもいやそうにゲートル巻いて工場にいくんや」と言っていたと、戦争嫌いの姿も描かれています。このお兄さんも生涯反戦を貫いたという気骨のある一家でした。

ところで、彼女は小さい時「しめちゃん」と呼ばれていて、へんな名前!と父に訴えると、いやいや、狂言師の茂山さんも「七五三」と書いて「しめさん」と読むんやとのお答え。茂山さん(後の千作さん)は父親のあそび友だち。「沢宏靱を偲ぶ会」で狂言を演じてくれた関係です。その茂山さんも、平成14年5月、この世を去りました。今頃は天国で、やあやあとお酒をくみ交わしているかもしれません。

私がこの本で最も好きなフレーズはこれ。

「むかし、元日の朝の空気は『お正月の匂い』がした。幾つくらいまでだが、毎とし。」

最近はそんな匂いもなくなりましが…….。

ところで、朱女さんは水彩画、銅版画の制作をする作家で、一昨年、当レティシア書房ギャラリーで個展を開催(左写真)、今年は10月11日より第二回目の個展をお願いしています。またここでご案内します。