翻って、私の芥川龍之介体験は、碌でもないものでした。高校の現代国語の授業、真面目なだけの京大文学部卒の先生が嫌いで、クーラーのない教室で真夏に、龍之介を読まされる苦痛。しかも、教室は、男、男、男!!(つまり男子校)。こんな環境だったので、「龍之介はつまらない」という思い出だけがあって、遠ざかっていました。

しかし、短篇集「舞踏会 蜜柑」(角川文庫300円)に収録されていた「蜜柑」を読んだ時、大正時代にこんな斬新な小説を書いていたのか!!と驚きました。僅か、数ページの小説ですが、もうそのまま映画になりそうな程に映像として迫ってきます。

「ある曇った冬の日暮れである。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下ろして、ぼんやり発車の笛を待っていた。」で、小説は始まります。主人公の前に「いかにも田舎者らしい娘」が坐っています。「私はこの小娘の下品な顔立ちを好まなかった。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だった。」

主人公は上流階級の人間なのでしょうね、こんな娘の何もかもがうっとおしいんです。その内、列車はトンネルに差し掛かります。その時、小娘は、無理矢理窓を開けようとします。蒸気機関車の時代ですから、窓を開けたままトンネルに突入すればどうなるかは、蒸気機関車が先導する列車の乗った方なら、その悲惨な状況はご存知ですね。

しかし、小娘はおかまいなく、窓から身を乗り出して前方を凝視しています。今にも怒り出そうとしている主人公は、その時、前方の踏切の前に、三人の男の子を見つけます。

その瞬間、身を乗り出していた小娘が持っていた蜜柑を男の子達に投げつけます。

「私は思わず息をのんだ。そうして刹那に一切を了解した。小娘は、おそらくこれから奉公先へ赴こうとしている小娘は、その懐に蔵していた幾かの蜜柑を投げて、わざわざ踏切まで見送りにきた弟たちの労に報いたのである」

空を舞う蜜柑の橙色と、列車の音、声を上げる男の子たち、そして小娘とそれを見つめる主人公の姿が映画のように流れていきます。芥川の小説が技巧に走り過ぎていると言われるのは、この辺りの描写かもしれません。

小説は、最後この小娘を見上げた主人公にこんな台詞を言わせて終わります。

「私はこの時初めて、言いようのない疲労と倦怠とを、そうしてまた不可思議な、下品な、退屈な人生をわずかに忘れることができたのである」

作家、梨木香歩は中学二年生の時に、芥川にハマったと書いていました。私の場合、遅すぎたかもしれませんが、彼の短編を読んでいこうと思いました。この短篇集には、三島由紀夫が高く評価した「舞踏会」(これも素敵でした)など大正8年に描かれた作品が十数作収録されています。時代小説「鼠小僧次郎吉」なんて、音読したいような、キリリとした江戸言葉一杯です。