歳を重ねると、なんとなく読んだ詩が、じんわりと心に響いてきます。

「その夜は粉雪がふっていた/わたしは独り書斎の机の前に坐って/遠い除夜の鐘を聴いていた/風の中に継続するその寂しい音に聴き入るうち/わたしはいつかうたた寝したやうに想った/と、誰かが背後からそっと羽織を着せてくれた/わたしは眼をひらいた/と、そこには誰もいなかった/羽織だと想ったのは/静かにわたしの身に積もった一つの歳の重みであった」

羽織だと思ったものが、実は「わたしの身に積もった一つの歳の重み」だったというのが泣かせます。老いてゆく孤独と、自分の生きてきた時間のそれなりの重みを感じて何もいえません。

この詩を書いたのは西條八十。「吹けば飛ぶよな 将棋の駒に」で始まる村田英雄の「王将」や、「若く明るい 歌声に雪崩は消える 花も咲く」でお馴染みの「青い山脈」等の作詞で有名な人物です。また、森村誠一の小説「人間の証明」 でも小道具として「西条八十詩集」が巧みに使われていました。

「「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね ええ、夏、碓氷から霧積へ行くみちで 渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ…」

映画のキャッチコピーとして流れていました。

最初にご紹介した「ある大晦日の夜の記憶」は詩集「美しき喪失」に入っています。ここには

「いつの日からか/わたしは手鏡で/やうやく老いた我顔を/眺めるのを愛するやうになった」で始まる「我顔」とか、「養老院の秋の灯の周遍に/さまざまな眼が寄ってくる」という「秋の灯」とか、なんだか書出しは気が滅入りそうな作品が並んでいますが、叙情的で深く美しい詩ばかり。

生きてきた長い時間の中でふと浮かび上がる思い出を、モダンな言葉使いで多くの詩に残しました。繊細な心象風景を描く技術が、多くの歌謡曲や民謡の作詞にも大いに貢献したのは間違いありません。

本日ご紹介した「西條八十詩集」(ハルキ文庫400円)には、詩だけでなく童謡、歌謡に至るまでの広範囲な詩作から120遍が選ばれています。大正時代を代表する詩人の魅力が楽しめます。

彼の人生を読むと、決して楽なものではなく、悲惨な体験もしています。しかし、妻とともに眠る霊園の墓石にこんな言葉が刻まれているのだそうです。

「われらたのしくここにねむる 離ればなれに生まれ めぐりあひ 短き年を愛に生きしふたり 悲しく別れたれど ここにまた 心となりて とこしへに寄りそひねむる」

幸せな人生だったんですね。

蛇足ながら、お孫さんの西條八兄は、エレキギターの製作者なんですね。

 

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