原子爆弾が投下された広島を舞台にした小説「夏の花」(晶文社/古書700円)や、幼い日々の記憶が瀬戸内の風景と共に切なく描かれた短篇集「幼年画」(瀬戸内人1944円)等を読んで、ファンになった原民喜。彼は、小説家であり、詩人であり、そして童話も書いていました。

彼の童話と、様々な人達が彼への思いを寄せた別巻「毬」を、セットで函入にした「原民喜童話集」(イニュイック2970円)が発売されました。作り手の愛情が溢れる本は、持った瞬間にわかります。シブい色合いの函、その色を邪魔しない帯と、使用されているフォントの美しさ。童話集の表紙に描かれた小さな原の後ろ姿、そして、童話集の装幀とは真逆に光沢紙の「毬」の表紙は、正面を向いた原の写真が使われ、タイトルの「毬」が赤い小さなフォントで目立たないように配置されています。もう、これだけで本を持つ喜び一杯です。

童話集は、7篇のお話と、全集未収録の詩「ペンギン島の歌」が収録されています。

「誕生日」は、遠足に行った雄二君の様子が描かれた短いお話です。天気のいい日、風に吹かれて山に登り、お弁当を食べて深呼吸を一つ。原が作り出す美しい言葉が、読む者を包み込み、幸せな気分にしてくれます。

コスモスの咲いた夜、月に照らされたコスモスを見て楽しむモグラの母と子を描いた「もぐらとコスモス」。「赤、白、深紅、白、赤、桃色……….コスモスの花は月の光にはっきり浮いて見えます。」という風景を見た子供のもぐらの嬉しそうな表情が、目に浮かびます。こちらも数ぺージで、親子がほんの一瞬地上に出ただけのことを描いたお話なんですが、澄み切った月夜の風景が立ち上がってきます。

別巻で詩人の蜂飼耳さんは、「ひかえめな言葉が、目を素通りさせるところもあるのだけれども、いったんその佇まいに気がつけば、実感のある表現として心の底へ落ちる。そこから受け取ることのできる原民喜の感覚のこまやかさには切実なものがあり、一語一語を再現し読んでいくうちに、胸が詰まる」と書いています。「ひかえめな言葉」が「胸が詰まる」という表現は、この童話集の価値を伝えていると思います。

原は亡くなる前年、「ぼくはヒバリです。ヒバリになっていつか空へ行きます」と呟いたそうです。その言葉を巡って、倉敷の名物古書店「蟲文庫」店主田中美穂さんが、とても素敵な原民喜への思いを言葉にしています。

被曝し、悲惨な現状を見た原だからこそ、「幼年画」や「童話集」の収められたような美しい作品を残せたのかもしれません。机の前に置いて、眺め、触れ、そして函から出して何度も何度も彼の言葉を追いかけたいような、大事にしたい一冊です。

★「幼年画」は二種類の表紙があります。どちらも在庫あります。