昭和50年発行の金子最後の詩集「塵芥」(いんなあとりっぷ社/古書1100円)を読んでいて、面白いものを見つけました。

巻頭の「そろそろ近いおれの死に」に続いて「十代」「二十代」「三十代」「四十代」「五十代」「六十代」「七十歳」、そして「八十代」というタイトルで、詩が並んでいます。

私は、先ず自分の世代の詩に目がいきました。「六十代ともなれば男も、女も、生えてくる毛がどこも、白い。」でスタートします。なるほど、私も白い。で、その姿がむさくるしく、「人目に立つのがひけ目になるので、出会茶屋の入口をくぐる勇気もなく、さあ、これからは何を頼りに生きるのか。」と嘆きます。そして、「ひとには言えないことではあるが、娑婆気の残物(あら)は、どこへすてたものか。」と結んであります。残念ながら、まだ私には、この境地は理解できません。

でも、「五十代」には、大いに共感しました。「五十代とは、なんと、しのこしたことの目に立つ年頃か。そのくせ、やり直すには少し手遅れ」とは、まさにそんな感じ。でも、後半「だが、試すだけは試した方がいい。見果てぬ夢とか、老いらくとか 言われるほどの年ではない」「まだまだ、自力で立つべきだ。」と言い切ります。思えば、レティシア書房を開店したのも五十代後半でした。「試すだけ試した方がいい」的気分は、確かにありました。

ところで、この作品は金子の死後2年目に発表されました。彼が亡くなったのは、1975年で80歳の時でした。そうすると。八十代を描いた作品が金子の心情に近いものなのでしょうか。「いけません。もう八十です、ということになってしまった。」と自分の年に驚きながら書いています。「利息のような日々なのだから、遠慮がちに生きていればいい筈なのだが、若いもののつもりでなくては気に入らない。」

若い日、世界を放浪し、無頼な日々を送ってきた金子らしい言葉かもしれません。

ところで、金子には絵の才能もあり、画集が出ています。若き日、上海で風俗画展(まぁ、エロ画です)をやって旅費を稼いだ人物ですから、上手かったのでしょうね。今、店にはアジア・ヨーロッパ放浪の画集「旅の継承」(平凡社/古書2000円)があります。アジア各地の風景を描いた作品に独特のセンスが溢れています。

 

★お知らせ★

  レティシア書房 第5回「女子の古本市」2/21(水)〜3/4(日)

京都・大阪・兵庫・滋賀・岐阜・東京などから、出展者が女性という古本市です。お買い得の面白い本を見つけにお越しくださいませ。


 

Tagged with: