宇佐見英治をご存知ですか。そういう私も、この本を読むまでは知りませんでした。

大阪出身、1918年生まれの日本の詩人、フランス文学者、美術評論家です。今回、港の人から出された「言葉の木陰」(新刊3456円)は、1960年代から、宇佐美が雑誌等に発表した評論、紀行、エッセイをまとめたもので、編集したのは、堀江敏幸。「あらぬものへの呼びかけ」と題した後書きで、2002年に亡くなった宇佐美と一度も会えなかったが、「私が親しんできたのは、書き残された文章のなかから響いてくる声と、最晩年の一時期に頂いた何通かの手紙の、細く流れる美しい万年筆の文字が伝えてくる精神の微動のみだ。」と書いています。

300数ページに渡るこの本を、私はかなり時間をかけて読みました。芸術家の知性とは、何を目指すものなのかを探す読書でした。「大切なのは、創造に仕えること、仕事をとおして生成の鼓動をききとり、世界と一体になることである」と宇佐美は書いています。長い長い創作活動の中から生まれでた言葉は、簡単に理解できるものではありませんでした。実際に、スラスラと読めたわけではありません。しかし、それでも最後まで、好奇心にかられてなんとか読み切ったのは、宇佐美の芸術への深い愛情を込めた言葉に依るところが大きいのです。

以前ブログで紹介した谷崎潤一郎の「蘆刈」を論じた「闇・灰・金ー谷崎潤一郎の色調」で、この作品の前後に書かれた作品に共通していることは、「言葉は叙べられるまえに、まず聴かれるべきだという理念が存在するのだ。」だから、黙読しながら、「さまざまな声や曲調を聴きわける愉しさにある」というのは成る程、面白い指摘だと思いました。

後半、宇佐美は「風」について、「日本語ではかぜと風と二つの表記法がある。しかし、仮名でかぜと書くときと風と書くときではどうも感じがちがう」というところから、詳細に論じていきます。ここは、彼の精密で美しい文章を十分楽しめる章でした。

宇佐美は、戦争で南方に出征しました。その地獄のような戦争体験は、彼を変えました。それまで、短歌作品を発表していた彼は、戦争賛美の言葉を書き連ねてきた歌人たちへの不信から、戦後、短歌と決別します。そして「集団的狂気に抵抗しうる知的で高貴な、明澄な日本語を築きあげること」を目標に彼の戦後をスタートさせます。一人の表現者の強靭な思いです。

 

 

 

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