海外の小説、ジャズ、ロック等の新しい音楽、そして映画を好きな方は、一度は植草甚一の本を読まれたのではないかと思います。私も学生時代、せっせと読みました。「急にモダンジャズがすきになってしまって………だいたいの計算だと600時間ぐらいジャズをきいて暮らしていた」なんて彼の文章を読んで、これまたせっせとジャズ喫茶に通っていました。

体系的な評論活動ではなく、好きなものに片っ端から手を出していた植草は、若い頃、何に、誰に影響を受けながら、面白いことに熱中したのか。いわば彼の「ブルーの時代」を語った本を入荷しました。津野海太郎の「したくないことはしない 植草甚一の青春」(新潮社/古書・絶版1850円)です。津野は、植草の著書「映画だけしか頭になかった」、「ぼくは散歩と雑学が好き」等で編集に関わり、十数年にわたって付き合いのあった人物です。自由きままなライフスタイルを作り出した元祖、植草の人となりを、東京下町の商人の息子として生まれた幼年時代から語っていきます。

15歳の時、関東大震災に直撃され、30代後半で東京大空襲を経験するという青春を送った彼が、どうしてあんな自由な文体を操ることができたのか、興味あるところです。彼が使うと、その言葉の意味が、それまでの制限から解き放たれていきます。例えば、好きなレコードを買っては、演奏メンバーや曲目をノートに書き出していました。それを彼は「勉強」と言います。代表的作品「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」にも「勉強」が使われています。

津野は「『道楽』というかわりに『勉強』という。勉強というしかたで惑溺する。そんなタイプの勉強すき。植草甚一という人物を考える上で、これは重要な一点だと思う。」と記しています。植草が「勉強」という言葉を使うと、堅苦しさがどこかに消えます。

大学のようなアカデミックな世界とは無縁に生きてきた植草には、先生と呼ぶ人物はいません。しかし、津野は、彼が先生と呼べるのは堀口大學、飯島正、村山知義の三人だと口に出していたと書いています。原書で海外の小説を読むことを教えた堀口、映画の見方を伝授した飯島、そして欧州のアバンギャルド芸術に目をむけさせた村山が、植草ワールドに基礎になっていることを、この本で知りました。

かつて植草的世界にハマった方なら、再び読んでみようかな、という気分にさせてくれます。また、植草なんて知らないという世代にとっては、60年代にこんなファンキーなオヤジがいたことに、驚かれるかもしれません。