川本三郎の「『それでもなお』の文学」(春秋社/古書1400円)は、著者の世界観や、人生観が色濃く反映されていて、深く心に響いてきます。

「戦争に反対するわけではない。無論、軍国主義の風潮に便乗するわけでもない。『鬼畜米英』『ぜいたくは敵だ』と国を挙げて戦争に熱狂している時に、安吾は『だらしなさ』によってその熱狂の外にいる」

これは、戦後すぐに発表された坂口安吾の「ぐうたら戦記」を通して、作家が戦争とどう向き合ったかを書いたものです。さらに「続堕落論」から「堕落とは死よりも生を選ぶことをよしとする考えであることを明らかにしている。戦前、日本浪漫派が死を賛美したのに対し、安吾はたとえぶざまであっても生のほうこそ肯定する。」これは、そのまま川本の思想を語っています。

また、丸谷才一が戦争末期、徴兵制で無理矢理兵隊にさせられた体験から、「戦前の日本を支配した生真面目な文化を乗り越えようとした。そこで見出したのが、和歌や『源氏物語』に象徴されるたおやかな王朝文化だった。それは、個人の自由などないがしろにする軍国主義の対極にあるものだった。武張った、硬直した、死を賛美する武士道に対し、生を愛し、死を慈しむ雅びの文化だった。」と論じ、戦争を切り捨てます。

この本は、近現代文学史の中の、安吾、林芙美子、永井龍男等、いわば大御所的存在の作家から始まるのですが、もう歴史になった文学者だけを論じるのではなく、今を生きる作家達を大事に扱っているところがポイントです。釧路を舞台にした作品を発表し続ける桜木紫乃、老いてゆく父親と介護を扱った「長いお別れ」を書いた中島京子、そして「光の犬」(私の今年ベスト1)の松家仁之等の、当ブログでも馴染みの小説家が取上げられています。

ちなみに「光の犬」に登場する添島一家を「普通の一家の主として、昭和から平成にかけての暮らしを淡々と描いてゆく。大仰な感情移入はしないし、ここに小市民の暮らしがあると言いたてることもない。ひとは家族のなかで生まれ、家族のなかで死ぬ。生と死のあいだに人生がある。その当り前のことを描いてゆく。」と分析しています。

無名の小市民、つまりどの家族にもある出産、入学、結婚、離婚、病気、そして死といった出来事を通して、家族を丸ごと描いたと著者は言います。

文学が、生きることの原風景を様々な表現方法で描くものであるならば、その見本市みたいな一冊です。

ところで、本書で紹介されている木村友祐の「野良ビトたちの燃え上がる肖像」は、私も読んでいましたが、反東京オリンピックの濃厚な路上文学として見事な出来具合でした。いやぁ〜、この本を選ぶか!ということで、明日はこの小説を紹介します。