1905年広島に生まれた原民喜は、幼年期の頃から小説家を目指し、慶応大学仏文学部を卒業後、貧しい生活を強いられながら作家活動を続けます。44年、彼を支えてきた妻が病気で亡くなります。翌年、疎開先の広島で被曝。戦後、数々の作品を発表するも、51年鉄道自殺しました。

ノンフィクション「狂う人『死の棘』の妻・島尾ミホ」の著者梯久美子は、「原民喜 死と愛と孤独の肖像」(岩波新書/500円)で、原民喜の人生を追いかけました。

「私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思った。」で始まる彼の傑作「夏の花」は、亡くなった妻の初盆に当たる八月十五日の広島からスタートし、原子爆弾を落とされた日のこの街の、悲惨な状況が克明に描かれています。

「戦後の東京にひとり戻った原は、死者たちを置きざりにしてしゃにむに前に進もうとする世相に抗い、弱く微かなかれらの声を、この世界に響かせようとした。そのために詩を書き、小説を書き、そしてそのあとでかれらの仲間入りをしたのである。もっとも恐怖していた死に方を選んで。」

と、梯は、原の生き方を描いています。本書は原の幼年時代、最愛の妻と過ごした時代、その妻に先立たれて失意の中で被曝し、戦後なんとか生き延び「夏の花」等の作品を発表して、自殺するまでの三章に分かれています。全く他人との会話ができない、社会への適応能力に欠けていた原にとって、妻の貞恵との出会いは、彼の人生最高のできごとでした。しかし、結婚6年目に妻は肺結核を発症します。死に向かう彼女の傍で、原はこんな詩を書きます。

「冷え冷えとしたなかに横たはって、まだはつきりと目のさめきらないこのかなしさ。おまへのからだのなかにはかぎりない夢幻がきれぎれにただよっていて、さびれた池の淡い日だまりに、そのぬくもりにとりすがっている。」

44年9月28日、貞恵死去。享年33歳、結婚して11年と半年が経っていました。その悲しみも癒えぬ翌年8月6日、疎開先で便所に入った途端、頭上に一撃を受け、目の前が真っ暗になります。

「8月6日8時半頃 突然 空襲、一瞬ニシテ 全市街崩壊 便所ニ居テ頭上ニサクレイスル音アリテ頭ヲ打ツ 次ノ瞬間暗黒騒音」という文章を残しています。

梯は「原爆は人類史上に残る惨劇であるゆえに、それを語る声は高くなりがちである。言葉には熱狂が宿り、政治性をおびる。だが原の声はあくまで低く、言葉は静かである。」と述べています。

静謐にして繊細な文章だからこそ、悲惨な現場の描写も読めるのかもしれません。初期作品集「幼年画」(新刊1944円)を読むと、美しい文章を書く作家だったことがよく理解できます。

倉敷の蟲文庫オーナー田中美穂さんは、この初期作品集を「おそらく誰しもが持っていた『幼き日』の記憶が、春から夏にかけての瀬戸内のやわらかな風土とともに、せつなく美しく描かれている。」と評価しています。その言葉通り、美しい小説集です。

私はこの「幼年画」で原に魅力に引き寄せられて、「夏の花」を、その他の小品を読みました。そしてこのノンフィクションに辿り着くことができました。逆に本書から原民喜に入るのもいいと思います。

★連休のお知らせ 9月10日(月)11日(火)連休いたします。