エチオピアの農村や中東で、フィールドワークを続けてきた文化人類学者松村圭一郎が、その活動を通して、世界を、私たち日本人を、見つめ直した「うしろめたさの人類学」(ミシマ社/新刊1836円)は、新しい発見が沢山ある素敵な本です。

目次には「経済ー『商品』と『贈り物』を分けるもの」とか、「関係ー『社会』をつくりだす」、「国家ー国境で囲まれた場所と『わたし』の身体」等々、難しそうなタイトルが並んでいますが、最後まで読めるかな〜?などの心配は無用です。

「できれば人類学とは無縁の人に自分の言葉で届けたいという思いでここまで書いてきた。願わくは、紡いできた言葉が学問の垣根を越えた越境的な贈り物となることを祈りつつ」と最後に書かれている通り、もう、めちゃくちゃ日常の事柄を例を引っ張ってくるので、成る程、成る程と読み進むことができます。

まず彼が足しげく通ったエチオピアの様々な現場から、新しい考え方を模索していきます。例えば、この国では、みんな平気で物乞いにお金を渡します。

「物乞いに抵抗なくお金を与えているエチオピア人の姿を見て、なぜ自分はお金を与えることに躊躇するのだろう、と問うことができる。他者の振る舞いから、自分自身がとらわれた『きまり』の奇妙さに気づくことができる。人の振りみて、我が身を疑う。これが人類学のセンスだ。」

良い言葉ですね、「人類学のセンス」って。遠い所にあった人類学という学問がぐぐぐっと近づいてきます。

人類学のフィールドワークでは、当然その地の人と深い関係性を持ちます。様々な状況で、色々な感情、行動を体験します。そんなフィールドに馴染んだ身体は、フィールドから、ホームに戻ってくると、あれ、なんか違うなぁ〜というずれを経験します。「自分の居場所と調査地を往復するなかで生じる『ずれ』や『違和感』を手がかりに思考を進める。それは、ぼくらがあたりまえに過ごしてきた現実が、ある特殊なあり方で構築されている可能性に気づかせてくれる。」

私たちがいきる社会を構築しているものは何なのか、その延長にある国とは何なのかと、答えを求めていきます。格差は深く進行し、膨大な情報の洪水の中に溺れ、人とのつながりが遮断され、出口の見えない孤独に苦しむ。しかし、表向きは、街がピカピカに美化され、格差なんてどこにも存在しないような顔をしているのが、今の日本だとすると、「ホームレスも、障がい者も、精神を病む人も姿を消した街は、どんなにきれいに開発されても、ずっと生きづらい。バランスの崩れた場所になっているはずだ。格差を突きつけられる機会が失われているのだから。表向きの『美しさ』は、その裏で不均衡を歯止めなく増殖させてしまう。」ことになります。

震災の映像を見て、何もしない自分のうしろめたさを感じ、義援金を送った人も多いはず。著者は言います。

「知らないうちに目を背け、いろんな理由をつけて不均衡を正当化していることに自覚的になること。そして、ぼくらのなかの『うしろめたさ』を起動しやすい状態にすること。人との格差に対してわきあがる『うしろめたさ』という自責の感情は、公平さを取り戻す動きを活性化させる。」

うしろめたさを起動することで、現実を見直し公平さへの希求が持ち上がるのだという事を、多くの体験を通じて、私たちに語ってくれます。本書は、今年度の「毎日出版文化賞特別賞」を受賞しました。