第154回芥川賞を受賞した滝口悠生「死んでいない者」(文藝春秋/古書700円)を読みました。1982年、埼玉生まれの著者は、2011年「楽器」で新潮新人賞、14年「寝相」で野間文芸新人賞候補、15年「愛と人生」で野間文芸新人賞を受賞。そして同年、「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」で153回芥川賞候補となり、翌年、今回紹介する作品で受賞と、文壇を駆け上がっている作家です。

物語は、通夜の一晩だけを描いています。ある男が大往生を遂げ、その通夜に、子ども、孫、ひ孫たち総勢30数名という親類たちが集まってきます。そこで、それぞれの故人への思い、自分の生きてきた道を振り返ります。複数の親族の視点で描いていくので、家族関係が交錯し、家系図を書いて読まないと関係がわからなくなりそうです。シリアスな場に違いなのですが、全体に肩の力が抜けた感じで進行してゆきます。独特の文体です。

「人は誰でも死ぬのだから自分もいつか死ぬし、次の葬式はあの人か、それともこちらのこの人かと、まさか口にはしないけれども、そう考えることをとめられない。むしろそうやってお互いにお互いの死をゆるやかに思い合っている連帯感が、今日この時の空気をわずかばかり穏やかなものにして、みんなちょっと気持ちが明るくなっているように思えるのだ。」

不幸な最期を迎えた人の場合はこうはいきませんが、大往生した人の通夜の席ってこんな感じかもしれません。適当にお酒を飲んだり、グタグタと話したりしながら時間が過ぎてゆく非日常的な世界を、まるでカメラが通夜の席にお邪魔して撮影しているような感じです。

 この本に出てくる光景や人達の心情は、年令を重ねると誰でも経験したことがあると思います。読んでいると、あった、あったというシーンが登場します。通夜の一晩を切り取った小説なんて珍しいのですが、おそらく共感しやすいテーマです。「死んでいない者」たちが、「死んだ者」を前にして、生をみつめる様を描いた作品とも呼べます。
「大人だって、死ぬとはどういうことかなのかなどわからない。単に、わからないでいることに慣れたか、諦めたか、混乱しないでいられるだけだ。実際、父がもう長くはない、と知った時から、吉美たちはその死に慣れはじめていたように思う。自分の死についてだって、それがなんなのかさっぱりわからないまま、刻々それに近づいていっている、あるいは近づかれている。まぁ、諦めるしかない話ではあるが、そんな達観はあまり意味のない言わば人生の休日の思考であり、生きるとは結局その渦中にあることの連続なのだ」
表紙の絵は、洋画家猪熊弦一郎の「顔」という作品を使っています。小説に登場する親戚たちの顔のようにも思えてきます。上手い装幀です。