少し前のブログに梯久美子の「原民喜死と愛と孤独の肖像」(岩波新書/売切れ)のことを書きました。今回は同じ著者の「愛の顛末」(中公文庫/500円)です。サブタイトルに「恋と死と文学と」とあります。三角関係、夫婦の葛藤、ストーカー、死の床で語られる愛など、もう韓流ドラマ好みの話題満載なのですが、ここに登場する文学者の本を、思わず読んでみたくなるところが著者の力量です。

小林多喜二、近松秋江、三浦綾子、中島敦、原民喜、鈴木しづ子、梶井基次郎、中城ふみ子、寺田寅彦、八木重吉、宮柊二、吉野せい、という12名が登場します。どの人も「激し過ぎる」人生なのですが、だからこそ、彼らが永遠に輝くのかもしれません。そんな中から私の知らなかった作家を紹介します。

戦後を代表する歌人の一人宮柊二は、1912年新潟に生まれ、1939年徴兵されて、日中戦争ど真ん中の中国山西省に送られます。その時詠んだのが、

「うつそみの骨身を打ちて雨寒しこの世にし遇ふ最後の雨か」です。

「うつそみ」は現世を生きている自分のこと。戦闘にのぞむ兵士の死の覚悟を詠っています。敵陣深く侵攻する日々の中で、内地にいる最愛の女性、英子に多くの手紙を送ります。「ここは山西省の一寒村であり、この前には日本の部隊は居りません。殆ど想像のつかない少人数が、ここを死守して作戦の十字を掴んで居ります。」

激しい戦闘が日々繰り返される最前線から送られてくる手紙には、時を越えて、個人の真摯な思いが溢れています。その激戦を耐えぬき、故国に戻った彼は英子と結婚し、子どもが生まれ、職も得て再スタートします。1945年再び召集されて、戦地に赴くことになりますが、敗戦が決まり、家族の元に戻ります。戦後は短歌界を牽引します。晩年の歌にこんなものがあります。

「中国に兵なりし日の五カ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ」

1986年、74歳でこの世を去りました。

この本に登場する文学者たちが背負っていたものは、戦争であり、貧乏であり、病いでした。重圧に耐えながら、命を削った果てに残ったのが、彼らの作品でした。

戦中から戦後にかけて古い因習、価値観に抗い、恋に生きることを選んだ、中城ふみ子という歌人がいました。19歳で親に決められた結婚をし、3人の子の母となり、文学も諦め、そして離婚。31歳で乳がんで亡くなるのですが、人とは違った生き方を貫く女性に世間は冷たく、母となった女に自由な恋愛などできなかった時代に、死を前にして彼女は抗い続けました。

「内部のこえに忠実であらうとするあまり、世の常の母らしくなかった母が子らへの弁解かも知れないが、臆病に守られる平穏よりも火中に入って傷を負ふ生き方を選んだ母が間違ひであったとも不幸であったとも言へないと思ふ」

と生前出された歌集「乳房喪失」のあとがきに書いています。

この文庫の解説で、永田和宏は「もう一度、これらの作家を読み直してみたいと思わせてくれる一冊であった」と書いていますが、その言葉通りのノンフィクションです。