今年、是枝裕和監督「万引き家族」は、家族の姿を描いた映画としてとても記憶に残りました。それにしても、この作品に勝るとも劣らない作品に出会うとは!野尻克己初監督作品「鈴木家の人々」です。「万引き家族」に圧倒された皆さん、この映画を見逃してはなりません!

物語は、ある一家の息子の自死から始まります。息子は、どうやら長期に渡って引きこもりだったようです。彼は突如、自分の部屋で首を吊ってしまいます。帰宅した母親が見つけ、台所から包丁を持ち出して紐を切ろうとするようなのですが、自分の腕を切って、意識を失います。(何故、そうなったかは、映画のラストで明確になります)病院に運びこまれ、昏睡状態に陥ります。父親が看病するのですが、何故か彼は、とあるソープランドに通い詰めます。(何故、そうなったかは、映画のラストで明確になります)一家の娘は、そんな父親のソープでの失態の後始末をしたりと、散々な目にあいます。

ある日母親が意識を回復し、周りにいる家族に向かって息子の所在を訊ねます。彼女は、どうやら息子の死の前後の記憶がとんでいるみたいなのです。真実を話して、自殺をされては困る家族は、「引きこもりをやめてアルゼンチンで仕事をしている」と嘘を言います。さぁ、それからが大変。いかにもアルゼンチンから手紙がきたみたいな小細工をしたり、お土産が届いたような演出をしたりと嘘に嘘を重ねていきます。

映画は、息子の死を隠す家族の姿を、距離を保ちながらシニカルに見つめていきます。でも、こんなこといつかバレると、観客の誰もがわかっています。宙ぶらりんの状態で、毎日を空しく生きる残された者たちの空虚な思いは限界まで来ていたもかもしれません。突然、息子の死は母親に知るところとなります。さらに、彼女はその時の記憶を戻してしまうのです。崩壊寸前の母親、凄まじい嗚咽を、カメラはやはり静かに見つめます。母親を演じた原日出子の凄味ある演技に釘付けです。

映画はここから、母親、父親、娘、そして亡くなった息子のそれぞれの立場から、苦痛と後悔、迷いや憤りを描いていきます。ここで、私たちは長い時間を一緒に過ごす「家族」って何なのだと考えてしまいます。監督は家族とは何なのかを知りたくて脚本を書いたと述べた上で、こう語っています。

「『映画』というものに答えがないように『家族』というものにも答えはないだろう。しかし、答えを知りたくてもがいてしまうのは人間の業だ。もがいた先に憎しみや怒りや悲しみが見えたとしても。 脚本を書き終えても答えは見つからなかった。ならば、作りながら更にもがけばいい、と思った。今回、初めて出会う『家族』と一緒にもがいて映画を作り上げればいい。そこに見える家族の風景。 私が最初の目撃者となりたい。」

いつも遅く帰ってくる父、早くに死んだ兄。そんな環境で育った野尻監督には、団欒という記憶がほぼないのだそうです。家族って何?を問い続け、自らの疑問を抱えながら、映画を作ったのです。

「万引き家族」のエンディングは、将来への希望が見えないものでしたが、「鈴木家の嘘」の場合は、未来の見えてくる幕切れです。観ている者も、この家族に幸せが訪れてほしいと心底思ってしまいます。拍手をもって祝福したい気分で終りました。父親を演じた岸部一徳、母親役の原日出子は、ともに代表作になるに違いありません。そして、熊切和嘉、豊田利晃、大森立嗣に師事し、橋口亮輔、横浜聡子、石井裕也ら日本映画界を牽引する監督たちの現場で、助監督を務めたという野尻克己監督の実力が証明された処女作になりました。強くお薦めしますが、映画館はガラガラの入りだったので、もしかしたら早く終るかもしれません。

 

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