服飾デザイナーの堀畑裕之は、若き日「哲学者になりたいという希望をもって大学院に入り、すでに研究者の道を歩き始めていました。」同志社大学大学院で、修士論文の準備も進めていました。しかし、人生は不思議なものです。

「『観念』の世界で生きるのではなく、『手』で何かを作り出す仕事をしたいと思うようになった。ものを自分の手でリアルに作り出し、それを通して多くの人と歓びをを分かち合う世界もあるのではないか?その時、偶然私の目の前に急に広がってきたのがファッションデザインの世界だった。」

その後、matohu(まとう)というブランドを立ち上げ、現在も第一線で活躍中です。そんな堀畑が、哲学を志した者として、ファッションを、日々の暮らしを、日本の四季を語ったのが「言葉の服」(トランスビュー/新刊2970円)です。このブランドは、新作を発表する前に、必ずコレクションのテーマについて書かれた長文の冊子を参加者に送るのが、他のブランドと決定的に違っています。ファッションに言葉って必要?と思われる向きもあるかと思いますが、ここで著者は、深く考えるのです。いや、決して難解な言葉が並んでいるわけではありません。

「衣料危機」という言葉ご存知ですか。著者は言います。

「日本の食料自給率は、なんとか65%(2017年生産額)を保っている。それに対して衣料の自給率をご存じだろうか?なんと、2.8%(2016年)である。つまり97.2は外国製なのだ。それはまだ製品の話で、綿やウールなどの原材料の自給率は、なんとほぼ0%である。」

にも関わらず、消費型のファッションが続くと、どうなるのか。もう、全く未来はない状態です。かつて、私たちはボロボロになるまで服を着て、最後には雑巾にしたりして、最後まで無駄にすることなく使い切ってきました。それを「始末がいい」と言いました。

「『始末』とは、文字通り『始まり』と『終わり』のことである。それは物の始まりと終わりに、自分が生活の中で席んを持つことだ。」

だから、「一生愛され、まとえる服を作ることがこれからのデザイナーの真価だとおもう。」と、自分のあるべき姿を提示しています。

トレンドに振り回されることなく、私たちを育てた風土が作り出した美意識、例えば「かさね」「見立て」「あわい」「かろみ」「いき」といった言葉が表す美しさへと、読者を誘って行きます。整った文章の美しさも、この本の読みどころです。

最終章では、哲学者鷲田清一とソクラテスの「対話篇」よろしく、京都の町を歩きながら対話を重ねていく様子が収録されています。こちらも面白い。平日だから哲学の道も空いていた云々の文章がありますが、今なら平日でもごった返していて、こんな対話は不可能かもしれませんね。