山と都市を結びつけることをテーマにしているミニプレス「murren」の編集者、若菜晃子さんの新刊「旅の断片」(アノニマスタジオ/新刊1760円)は、彼女が訪れた世界の国々のことを描いた随筆集です。

若菜さんは神戸出身。「山と渓谷社」に入社して、編集者としての道を歩き始め、仕事をこなす傍ら、自分の本も発表していきます。新潮社「とんぼの本」シリーズの一冊として書かれた「地元菓子」は、ヒットしました。ミニプレス「murren」では、当店が開店したころからのお付き合いで、毎号ほぼ完売を続けている人気雑誌です。アノニマスタジオから出版された「街と山のあいだ」(1760円)に続く本書は、訪れた国々の、名も知らない街で生きる人々の姿が、節度のある温かな文章で紹介されていきます。例えば、台北の街で出逢った「修理」と書いた札を机の上に置いたおじさんをこう描写しています。

「道行く人の時計ひとつ直したところでおそらく微々たるお金しかもらえないだろう。あるいはもっと違う労働をした方が割はいいだろう。けれどもあくまで自分の本分で食べていこうとする生き方もまた、正しいと思う。そこに人としての矜持を感じる。それほどまでに実直そうな人なのだ。」

ヨーロッパ、アジア、インド、カナダ、メキシコ、さらにはチリ、ロシアサハリン島と驚くべき範囲の国々を旅していますが、ただ回るだけではなく、趣味のダイビングをして「海の旅」というタイトルで一章を割いています。会社勤めの編集者として、膨大な量の仕事をこなしていた時、身心が疲弊していき、そんな時に逃げ出す先が海だったそうです。「私は海という自然に入り込むことで救われたのだ。地上に存在するさまざまな国へ、さまざまな山へ行くことも旅だが、私にとってダイビングは、海という別世界へのはるかなる旅であった。」と書かれています。この中で、孵化したばかりのウミガメの子供が、一直線に海へと向かう場面を素敵な文章で伝えています。

「波が来るのを待っているのだ。波が来るのを知っているのだ。頭をもたげて海からの迎えを待つ、その一瞬の姿がけなげにもいたましく思われるが、それ以上に気高く、壮厳である。今から未知なる世界へと船出する決意を感じさせる。」

ウミガメであれ、自分たちの生活を真摯にいきる人たちであれ、若菜さんの視線はかぎりなく優しい。スリランカの古都キャンディで出逢ったおじさんについて書かれたエピソードは、その最たるものだろう。密集したおしべの真ん中に、ひとつだけ薄緑色の丸いめしべがあるホウガンノキ(英語名キャノンボールツリーをそのまま日本語に翻訳)。おじさんはそれを指して「ブッダ」と呼びました。「なんという美しい発想。丸い玉のような白い花の中をのぞいて、仏様が鎮座しておられると思う、人々のその敬虔な心。その花を木に登って取ってきて通りすがりの外国人に教えてくれる、掃除夫のおじさんの温かい行い。」と、その姿を伝えてくれます。

世界は美しいものに満ち溢れている、そんな真実を思い出させてくれる素敵な一冊です。

★現在展示中の法蔵館主催の「本づくりへの願いー版木とともに」の内容が、同社社長の撮影による映像でyoutube に上がっています。下記のアドレスからどうぞ

https://www.youtube.com/channel/UCgNGqJl-JOMB72gHv8bXLtA