90歳に手が届きそうなクリント・イーストウッドの新作「リチャード・ジュエル」は、イーストウッドらしい正統派映画作りの一本でした。

物語は極めて現代的な「冤罪」を扱っています。1997年7月、オリンピック公園でのコンサートを警備していたリチャードは、爆弾を見つけ大勢の命を救いました。ところが英雄視される一方で、FBIは、彼を事件の容疑者と断定し、強引な捜査を始めていました。その情報を地元メディアが実名報道して、今度は世紀の犯罪者として世間に晒されることになってしまいます。これ、実話です。

「母親と一緒に住んで、ブタみたいに太っている、ゲイかも?」という差別的なメディアの主観で、主人公のリチャード・ジュエルは、あっという間に、犯罪者に仕立て上げられます。彼は確かに太っているし、独身で年老いた母親と暮らしています。しかし、そのことと犯罪は無関係なはず。状況証拠と、憶測だけで、下手をすれば爆弾犯人として絞首刑に処せられるところまで追い詰められます。この追い込まれ方は、アメリカだけでなく、日本でもどこでもありうる話です。イーストウッドは、冤罪に巻き込まれてゆく様をオーソドックスな手法で描いていきます。話の行く末はさておき、作り方のおかげで安心して観ていられる映画です。

リチャードと知り合いだった弁護士ワトソンが、彼を助けるためにFBIや地元メデイアに反撃を開始するあたりから物語は加速していきます。しかし、弁護士もの映画にありがちな、法廷で弁護士が朗々と主張し、正義を勝ち取るというような感動的な、あるいは観客に涙させるシーンが全くありません。それどころか、FBI捜査官とネンゴロな関係になって記事を書いていた女性記者も、後半ほとんど登場しません。

映画は主人公リチャードの心のあり様の変化へと向かいます。元々彼は、アメリカの正義を信じて警察官になろうとしていました。市民のため、アメリカの正義のため生きるのが彼の理想でした。しかし、事件の渦中の人物になった途端、正義のはずのFBIや警察は牙を剥いて彼を襲ってきました。始めはFBIに協力的だった彼でしたが、弁護士が見せつけてくれた「正義」の現実の中から、立ち上がっていきます。そこが映画のクライマックスですが、イーストウッド映画らしい静かな、派手さはないが力強いシーンで幕を閉じます。

エピローグ的なラストが、実にいいのです。再会したワトソンとリチャード。「相棒、元気かい」みたいな心地よさが漂い、ワトソンを演じたサム・ロックウェルの微笑みが、映画を後味の良いものに200パーセント引き上げていました。

ワトソンの恋人が、こんなセリフを言います。

「この国で有罪だと言われれば、それは無罪だ」

アメリカの、いや日本の現状も踏まえた恐ろしい、しかしリアルな言葉です。

 

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