本年度の林芙美子文学賞を受賞した小暮夕紀子の「タイガー理髪店心中」(朝日新聞出版/古書1200円)には、唸りました。人間の奥の奥に潜む様々な情念を見せつけられました。

主人公は、のどかな田舎町で理髪店を経営する老夫婦です。「駅からだとナビを設定してもらうほどの距離でもなく、かといって目立つものはなんにもない、言いようもなく地味に徹した住宅街だった。」という場所に、タイガー理髪店はあります。80歳を過ぎた寅雄と寧子の老夫婦が、町内のお馴染みさんだけを相手に理髪業を営んでいます。

特別に何も起こらない、ゆっくりした時間が流れる毎日です。しかし、妻に老いが忍び寄ってきます。極端な物忘れ、そして徘徊。実は夫婦には息子がいたのですが、14歳の時不慮の事故で失くしていました。その事実が、妻の心の奥で重石になっていました。夜中に息子が死んだ場所へと飛び出す妻の顔には、夫が見たこともないような殺気と空虚な表情が漂っていました。そして、嵐の夜、飛び出した妻を追って出かけた夫は、倒れている妻を発見します。意識がありません。激しい雨に濡れてゆく身体。このままでは死ぬ。その時、夫の心に去来した気持ちを著者はこんな言葉で表現しています。

「これでお互いの老々介護は終わるのだな、寅雄はぼんやりした頭でそんなことを思った。楽になる。そうだ楽になる。」

でも、著者はそんな楽をさせません。ラスト、ゾッとするシーンで物語は幕を閉じていきます。

この本には、もう一作「残暑のゆくえ」が入っていて、これもいい作品で、こちらで賞が取れたのではないかと思ったぐらいです。

今は、定食屋の女将になっている日出代は、母と一緒に戦火の満州から引き揚げてきた少女時代の暗い歴史があります。夫の須賀夫も、大陸から引き揚げてきた人物ですが、何も語らず、でも妻へのやさしさだけは残しています。物語後半で、満州時代の日出代と母の間にあったこと、そしてやはり大陸で軍務についていた夫がやったことを彼女は知ることになります。ここで語られていることは、おそらく事実に基づいたことでしょう。悲しいというような言葉では表現できない悲惨で重苦しい戦場の出来事です。

けれど、この小説が優れているのは、その事実を知った後の日出代が立ち直ってゆくところです。

「ほらやっぱり、自分のことは自分でこしらえるしかないでしょ」

そんな言葉を口にして、いつもの女将の生活へと戻っていきます。その逞しさ。

「もう……….戦争には、行きとうない。」そんなセリフをふと口に出す須賀夫と共に、残りの人生を生きてゆく彼女の姿が印象的な小説でした。戦争で受けたキズがどれほど深いかを、そこから立ち直ってゆく人の重みを描いた優れた小説です。

この作家、全く知りませんでしたが、これからフォローしていきたいと思います。

 

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