今年、話題になった韓国映画「パラサイト 半地下の家族」は、韓国の格差社会を描ききっていましたが、キム・へジン著「中央駅」(彩流社/古書1100円)を読むと、あの映画はまだ天国だったかと思うほど凄まじいものがあります。絶望のみが存在する社会の底辺を生きる男の物語なので、小説を読んで幸せになりたい方にはお勧めできません。

「これがどん底だと思っているでしょ。違うよ。底なんてない。底まで来たと思った瞬間、さらに下へと転げ落ちるの……..」

主人公は「俺」という一人称で語られる若い男です。彼が寝る場所を求めて駅にやって来るところから始まります。そこは、行き場のないホームレスの溜まり場です。小説は最初から最後まで現在形です。つまり、過去もなければ、未来もありません。凄まじい現実だけが容赦なく目の前に引きずり出されます。

「俺はぬるい水をすすりながら時間をやり過ごす。時間は、一滴ずつ、とてもゆっくり落ちる雫のようだ。地面に敷かれたタイルの数を数え、タイルの目地に詰まったホコリを観察し、壁にかかった案内板を読む。できることなら、誰かに俺の時間の一部を切り取って売ってやりたい」

無為に生きる彼の前に、一人の女が現れます。彼の唯一の財産とでも言えるキャリーケースを、女にパクられます。なんとか女を探して、取り返そうとした彼でしたが、この女と関係を持って しまいます。

「女と俺は互いに選んだわけではない。俺たちを引き合わせたのは路上の生活であり、駅舎内に淀む時間だ。」

家もなく、路上をフラフラするだけの二人が体を重ねるシーンは、生理的に受け付けられない人もいると思います。絶望、暴力、無力だけが二人を覆い尽くすのです。

「女は目を閉じて俺を強く抱きしめる。なんとか行為に集中しようとするが、真っ黒い建物の影や路面に散らばった空き缶、しわくちゃの紙やタバコの吸殻のせいで心が傷つく。丸裸の体だけが残された愛は、本当はこんなおぞましい姿だったのかもしれない」

傷つき、傷つけ、地べたを這いずりまわり、悪臭と汚物にまみれた俺と女の道行を小説は延々と描いていきます。そんな本よく読むなぁ〜と思われそうですが、何故か、ページをどんどんどんとめくりたくなるのです。小説の熱量が、こちらを麻痺させ危うくしているのかもしれません。

著者のキム・へジンは、1983年生まれの女性作家です。2013年、本作で「第五回中央長編文学賞」を受賞して、韓国文学の次世代を引っ張る作家として注目されています。ちょっと目が離せません。

 

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