今、注目されている、農業史・食の思想史の研究家藤原辰史の新作「縁食論 孤食と縁食のあいだ」(ミシマ社/新刊1870円)は、刺激的な一冊でした。

「縁食」って言葉は著者の造語です。「家族以外の人と飲んだり食べたり笑ったりしながら、意見や情報やアイデアを交換したり、くつろいだりできる行為を、私は『個食』でも『共食』でもなく、『縁食』と呼んできた。」

では、『共食』とは何を意味するのか。著者によれば食べる場所にいる複数の人間が共同体意識を醸し出す効能が高い食事の場所だと言います。私の知ってるのでは、新年の出版業界の集まりで、拳を振り上げて「エイ、エイ、オー」と叫びながら、今年も頑張るぞ!とビールを飲むような場かと思います。

「縁」は、人間同士の深いつながりではなく、「単にめぐりあわせという意味である」。緩やかなネットワークの中で、誰もが自由に食事をして、好きなことを話し、笑って別れる。そんな場所で食べる食事を『縁食』と思ってください。

ところがそんな場所が、今消えていきつつあります。「人がものを食べる空間に、中世の居酒屋や東京市の公衆食堂のような多様な側面があるほうが自然ではないのか。食べる場所が、ただ食べるための場所になってしまったことによって、食べるという行為が本来持っていた多様な可能性、食べることによって生まれる多様な出会いが失われてしまったのではないか。」

食卓の前では、性別、国籍、年齢、経済的貧富が問われず、矯正もなく、誰もが自由に出入りして、去ってゆく。食べるという基本的な人間の行為を軸にして、他人との縁がゆるく絡まって、解けてゆく『縁食』の必要性を著者は説いています。

小さい頃の縁側。「ぼん、スイカ冷えてんで、早よ来いや」、「いやぁ、おっちゃん、今日は仕事終わりかいな、スイカ食べていきいな。おっちゃんの同僚か、あんた?よかったら食べていきな……。」と、わいわいがやがやして、しばらくして、「ごちそうさん、ほなまた明日。」とそれぞれの家に戻ってゆく、そんな場面を思い出しました。

食べるという基本的行為を通して、私たちのあるべき幸せな姿を論じた一冊です。