乗代雄介の長編小説「旅する練習」(講談社/古書1200円)は、サッカー大好き少女亜美と小説家の叔父が、利根川沿いに数日間かかってテクテク歩き、鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅を描いた、ロードムービーならぬロードノベルです。小説のありがたみを堪能する傑作です。

春休みになったら、鹿島にあったサッカー合宿所で亜美が借りたままの本を返しに行く、ついでに鹿島の試合を観ようという計画を立てていた二人。しかし、コロナ感染拡大のため、試合も、学校の授業も全て白紙になってしまいます。

でも、本だけは返しに行こうと、二人は利根川に沿って歩いて鹿島まで行くプランを実行します。この利根川沿いの風景や自然の描写が生き生きとしていて、実際に行ったことはないのに、その空気感が染み込んできます。叔父が、道中つけている日記に登場する鳥たちの生態が詳しく書き込まれていて、こちらもその光景が目に浮かびます。

歩くこと、ボールを蹴ること、そして二人とも日記を書くことを、旅の日課としてスタートします。ボールを蹴ることが至上の喜びの亜美、それを見つめながら日記をつける叔父の姿に、私たちは一緒に歩いているような錯覚に陥ります。気持ちのいい時間を心ゆくまで味わえる小説です。

旅の途中で、やはり歩いてアントラーズの本拠地までゆくみどりさんという女性も加わり、珍道中は続きます。サッカーの話、特に名手A・ジーコの話が印象的です。「人生には絶対に忘れてはならない二つの大切な言葉がある。それは忍耐と記憶という言葉だ。忍耐という言葉を忘れない記憶が必要だということさ。」というジーコの言葉を巡って、叔父の解釈が日記に綴られていきます。

旅の終わり頃、亜美は「サッカーは仕事じゃないけどさ、本当に大切なことを見つけて、それに自分を合わせて生きるのって、すっごく楽しい。ジーコもそうだったんじゃないかな。そう思ったら、サッカーと出会ってなかったらって不思議に思えてきたの。」と考えるようになります。

心から好きなものの存在は、人生を考えさせる力となるのです。

鹿島神宮でみどりさんと別れ、本を返し、亜美の新しい人生がスタートするのかと思って、最後のページを捲った途端、とんでもない悲しみと絶望を味わうことになりました。その単語を見た途端、私はえっ??と思い、何度も読み返しました。

これが小説のエンディングとして最適なのか疑問は残りますが、もう一度読みたい、もう一度あの風景に、あの鳥たちに会いに行きたいと思わせる力を持った小説でした。巧みな物語の構成、会話の妙味、自然描写の見事さなど、欠けるものがない作品でした。

Tagged with: