こういうのを売れる本と呼ぶのでしょう。いやもちろん、バカにしているのではありません。町田そのこ著「52ヘルツのクジラたち」(古書/900円)は、2021年度本屋大賞第1位を獲得した小説です。多くの人に受け入れられるに違いない作品だと思います。
小さい時から、自分の人生を家族に搾取されてきた貴瑚と、母に虐待されて「ムシ」と呼ばれていた少年が出会い、新しい人生を紡いでゆく物語で、そこに トランスジェンダーの話なども盛り込んで今の時代を反映させる手法は、誰が読んでも納得できるし、上手い!と思いました。
タイトルになっている「52ヘルツのクジラ」は、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、世界に一頭しかいないクジラです。「世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけれど、実際の姿は今も確認されていないという。」
そのクジラの姿に、二人の孤独な魂をダブらせてゆくあたりの筆者のテクニックが見事です。ラスト、二人だけが見る大海原をジャンプするクジラの姿には、ホロリとさせられました。
「ムシ」と呼ばれた少年は言葉を喋りません。ひょんなことから、彼と知り合った貴瑚は、直観します。
「この子からは、自分と同じ匂いがする。親から愛情を注がれていない。孤独な匂い。この匂いが、彼から言葉を奪っているのではないかと思う。
この匂いはとても厄介だ。どれだけ丁寧に洗っても、消えない。孤独な匂いは肌でも肉でもなく、心に滲みつくものなのだ。」
貴瑚と孤独な少年が、人としての心を回復してゆくまでを見届けるのが本書のテーマです。虐待する側には、彼らなりの忌まわしい過去があり、その不満が子供への暴力と向かうという展開も、きっちりと書かれているので、説得力があります。「ムシ」と呼ばれ、過去におののき、未来を閉ざした若い魂と、貴瑚自身の過去の忌まわしい事件を浄化し、二人が新しい地へ向かって歩みだすという、よくあるストーリーなのですが、その背景に52ヘルツの高い声で鳴くクジラがいることが、物語を深くしています。
あんまり文学的ではない、という評価を見た記憶がありますが、文学的かどうかは関係ありません。読者がその物語にのめり込み、参加し、そして、より良き未来への扉を開けることができれば、その小説は読者にとって素晴らしいのです。
「わたしでいいのなら、全身で受け止めるからどうか歌声を止めないで。わたしは聴こうとするし、見つけるから。わたしが二度も見つけてもらえたように、きっと見つけてみせるから。
だから、お願い。52ヘルツの声を、聴かせて。」
最後のページを飾る文章で、私もとても素敵な気分になりました。いい小説です。