少し前に、今年のベスト1だ!とブログに書いた呉明益の「複眼人」に次いで、彼の「自転車泥棒」(文藝春秋/古書1700円)を読みました。400ページ余りの長編です。タイトルから、同名の昔のイタリア映画を思い出された方もおられるかもしれません。あの映画のように、これも自転車を盗まれた父と子の物語です。失踪した父とともに消えた父の自転車を巡って、息子は、自分の故郷の台湾から時代を遡って戦時下の東南アジアのジャングルへとさすらいの旅を続けるという物語です。

「複眼人」もそうでしたが、こちらも壮大なスケールで展開する小説です。

「父がペダルを踏む力は、明らかに力不足だった。身長はもう同じぐらいなのに、無理やり荷台に乗せられ、おまけにぜえぜえと苦しげな息づかいを間近に聴かされるのはあまりに気恥ずかしかった。」

そんな思い出のある自転車と父の失踪を巡って、これでもかこれでもかと過剰なくらい人物が登場してきます。例えて言えば、大きな川へ流れ込んでゆく小さな川が何本もあって、それらがひとつになって大きな海に向かってゆくのを見ているような感じです。

翻訳の天野健太郎は「厳戒令が解除され、政権交代がなされたあとの文学的テーマは『批判』や『純化』ではもはや物足らず、純文学であっても『普通におもしろい』小説を求められるようになった新世紀の台湾人作家のなかで、呉は質・量ともにその先頭を走っている。」と書いています。その評価は「自転車泥棒」「複眼人」そして短編集「歩道橋の魔術師」を読んで、なるほどと納得しました。(現在、日本で翻訳されているのはこの三作だけです)

本書における大きな川は、百年にもわたる主人公の家族史です。そこに台湾原住民族の報道写真家、蝶の貼り絵工芸を生業にする女性、戦死した日本兵の霊と交流をする老兵、戦中のマレー半島で展開された「銀輪部隊」(自転車部隊)の決死の行軍、ミャンマーで日本軍に接収され、国民党によって中国に連れて行かれ、最後は台湾に渡って台北動物園で生涯を終えたゾウのリンワンの物語などが、支流となって流れ込み、そして最後は父の自転車に向かって収束して行きます。

天野は「この小説は自転車などの『もの』にまつわる壮麗なエピソードとディテールから幕開く物語だ。」と語っていますが、テープレコーダー、手紙、蝶の貼り絵等々が決め細く描かれています。そんな中で、自転車好きの私がいいなぁと思った文章がありました。

「いい職人が細やかな調整をして締めたネジには、集中力が宿っています。ガタつきや異音を防ぐために、ネジは必ず適切なトルクで締められなければならない。このとき工具を通じて、彼らの力が自転車のなかへ移される。そしてたぶん、数十年ものあいだ自転車に留まっている。解体するとき、ぼくはその力を感じることがあります。」

これは登場人物の一人、自転車マニアのナツさんの言葉です。

登場人物たちの人生を追体験して、彼らの幸福や不幸に心震わせたり、過酷な運命に抗うことなく孤独に進んでゆく森の象たちに涙したりしながら、大きな物語を読み終えた充実感でいっぱいになる傑作です。

今年の秋には新作が出るみたいです。今、一番読みたい小説家です。

 

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