「三回忌を機に石牟礼さんについて本を2冊にまとめようと思った。」と池澤はあとがきに書いています。一冊は、以前紹介した二人の対話集「みっちんの声」であり、もう一冊が、この「されく魂」(河出書房新社/古書1200円)です。

「されく」とは漢字では「漂浪く」と書き、水俣の言葉で魂がさまようことを意味するのだそうです。「ある種の人々は生まれつきこの性癖を持っている」と池澤は書き、石牟礼道子もそうだったと考えています。

石牟礼の代表作「苦海浄土」を、「語られる内容に、悲惨と幸福と欺瞞と闘争のあまりのスケールに驚く一方で、作者がそれを語ろうとする不屈の努力に引き込まれる。逃げられなくなる。陣痛の現場に背を向けるわけにはいかない。」と池澤は書いています。そうだからこそ、「陣痛の現場」を読むことのしんどさからずっと私は逃げてきました。

でも、本書に登場する「苦海浄土」の文章を目にして、少し距離が縮まった気がします。例えば、水俣病患者が東京のチッソ本社を訪ねるくだりです。

「あのような建物の中身に永年思いを懸けて来て、はじめて泊まってあけた朝、身内ばかりじゃなし、チッソの衆の誰彼なしに懐かしゅうなったのが不思議じゃった。」と、自分たちをさんざん痛めつけた絶対的な存在の会社の幹部を身のうちに取り込んでしまうのです。

「両者はそれこそ圧倒的な非対称の関係にあって、チッソ側は患者に病気をおしつけ、それを否認し、責任を回避し、補償を値切り、国を味方に付け、正当な要求を強引に突っぱねる。これに対して患者の側はずっと無力だった。」決して赦せる相手ではないのですが、赦すという究極の顕現を持っていることを知っています。

「だからこそ彼らは『チッソのえらか衆にも、永生きしてもらわんば、世の中は、にぎやわん』と晴れやかに笑って言うことができるのだ。」

“悲惨”な現状を描いた作品としてイメージされている「苦海浄土」ですが、深い文学作品として屹立しているのです。

「今も水俣病を生んだ原理は生きている。形を変えて世界中に出没し、多くの災厄を生んでいる。だからこそ、災厄を生き延びて心の剛直を保つ支えである『苦海浄土』三部作の価値は、残念ながらと言うべきなのだろうかが、いよいよ高まっているのである。」

TVのオリンピック中継を見ない、オリンピック関係の感動記事を読まない。そんな暇があったら「苦海浄土」を読む。私の今年の夏の課題です。