桝谷優著「北大阪線」(編集工房ノア/古書900円)は、大阪の質屋で働く少年と質屋の家族、そこに来る人々の姿を描いた小説です。タイトルになっている「北大阪線」を始め、「聖天通りの界隈」「愛国少年」の三つの小説が収録されていますが、登場人物や物語の背景は一緒です。三作品を通して、質屋に働く少年が、徴兵されて戦地へ送られるまでが丹念に描きこまれています。
作家の杉浦明平は帯で「いたく感動しました。戦前昭和十年代の戦争に入る大阪の『いわゆる庶民』生活が、こんなにピッタリ描かれた小説はありません」と絶賛しています。
確かに、大阪の庶民の暮らしが生き生きと描写されていて、飛び交う関西弁も気持ちよう響いてきます。とんでもないものを質屋に持ち込む客と主人との対応は、上方落語を聞いているような楽しさです。
しかしその一方で、小説は戦争が近づいてくることを暗示します。「贅沢品の製造販売を制限する禁止令が出た。七・七の奢侈禁止令」が発布されて、毎日の生活が暗くなっていきます。「北大阪線」の最後は、日本海軍によるハワイ奇襲を伝えるラジオ放送を聞いた少年の心の描写で終わります。
「勝てるか。ぼくは昨夜布団の中で大きな粗相をしたように焦る。煤煙のかたまりを呑み込んだように、腹の中で黒々した不安が渦巻く。それが暗い海を漂う軍艦の形になってくる。」
「聖天通りの界隈」では、戦争が拡大し、様々な軍事教練が庶民にも課されていきます。でも、どこか悲壮感のないおとぼけ風味があるのは、関西弁で語られているからでしょうか。この物語は、山本五十六連合艦隊司令官の戦死の知らせが駆け巡るところで終わります。
最後の「愛国少年」は、主人公が徴用されて軍需工場で働くところから始まります。戦争は全く終結の兆しが見えず生活は苦しくなってくるのですが、工場で働く人や、町内会長に任命された質屋の言動が、平気で反政府的言動を繰り返しているのが面白い。実際はきっとこんな感じだったのだと思います。
「やめとけ。わるいことは言わん。九十九パーセントまで死ぬんや。お国のためでも死に急ぐことはない。人生には良いこと仰山あるぞ。この戦争終わってみよ外国の女選りどり見どり。死んだら一巻の終わり」予科練に行こうとする少年に、海外から引き上げてきた人が言う言葉です。
しかし、「新聞は日々華々しい活字をつらねて、重苦しい断面を曝している。負け相撲の痩せ四股のような。鉄環がギリギリ緊ってきて、ぼくの意識はかえって高揚してきた。」と言うハイな状態で少年は戦地へと向かいます。二度と、この地に戻ってくることはないことを覚悟しながら。
物語のいちばん最後は「北大阪線さようなら」です……..。
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