何度かブログで取り上げている幻戯書房は、日本文学の渋いところを次々と出版している地味ながら魅力的な会社です。ここから出ている井上荒野の「夢のなかの魚屋の地図」(古書1500円)は、素敵なエッセイ集でした。エッセイはあまり読まない方なのですが、これは簡潔な文章ながら、本を読む深い楽しみに満ちた一冊。28年間に様々な媒体に発表したエッセイが収録されています。

ご承知のように、井上荒野は作家井上光晴の娘です。この本にも実に多くの父親の話が出てきますが、父はクリスマスも七五三も「くだらん」の一言でお祝いをしないのに、元日だけは、家族みんなでお祝いをする人だったとか。彼にとって、お正月に家を空けるのは「人でなし」なのだそうです。

「父は仕事とよその女の人にかまけて、およそ家庭的ではなく、母はそういう父の生き方に盲従するようなところがあったから、お正月は言い訳の儀式でもあったのだと思う。ほら、ちゃーんと家族ですよ、という言い訳」

そんな家で育った彼女にとっての父親像、そして料理の美味かった母親像が、時にユーモアを交えて、時にノスタルジックに描かれています。今はもう無くなった昭和の家庭の一コマを見るようです。瀬戸内寂聴と父光晴は不倫の関係でしたが、両家は長い付き合いで、彼女とも親しかったということです。

1989年「わたしのヌレエフ」で文壇デビュー後も、体調不良やスランプで小説を書くことができずにいた彼女ですが、その後、順調に回復していき、現在古書店を営む夫と二匹の猫と暮らしています。猫の名前は松太郎とつぶ子、どちらも宿無しでした。

「この世界の唯一のものである松太郎とつぶ子と自分(それに夫)とが、今、一つ屋根の下に暮らしていることの偶然と幸福に、何度でもあらためてびっくりしてしまう。松太郎は今十一歳、つぶ子は十歳。永遠に一緒にはいられないことがわかっているから、その感慨はなおさらになる。」

大作家の娘でいることの重圧で折れそうになりながらも文学の道を諦めず、今に至って、文章に軽妙さと暖かさと面白さがブレンドされた感じです。

「無数の、とるにたらない最後のときを積み重ねて、日々は過ぎていくということだ。人は最初のことはたいがい覚えているのに、最後の多くは暖味になる。そうしないと到底生きていけるものではないのかもしれない。人とのかかわりにも当然最後はあって、そのことまで考え出すと切なさは計り知れないものになる。死んだ父との最後の会話を、私は覚えていない。」

最後のページに載っている文章です。