傑作ドキュメント映画を何本も世に送り出した森達也の長編小説「千代田区一番一号のラビリンス」(現代書館/新刊2420円)。この番地に住んでいるのは、天皇と皇后です。主人公はこの二人。さらに、国会議員の山本太郎も、映画監督の是枝裕和も、フジTVも実名で登場します。ノンフイクション?違います。小説です。

テレビを見ながら会話する、幸福そうな夫婦の情景から始まります。仲の良さそうな二人、妻の名は「美智子」夫は「明仁」。え?これは譲位前の天皇と皇后と、二人に会って話を聞くことを切望しているドキュメンタリー作家の森という人物が体験する不思議な物語なのです。

フジテレビのドキュメンタリー番組制作の声がかかり、森が提出した企画が「憲法一条」。が、本当の目的は天皇と皇后を被写体に、二人の日常を撮るというもの。殆ど不可能な試みなのですが、彼は動き出します。同時に小説は、明仁と美智子の日常の会話、生活を見てきたように丹念に描いていきます。住居内で映画を観たり、紅茶を飲んだり、おそらくこんな感じだろうという著者の想像をもとに描かれます。明仁はお忍びで日比谷に現れ、コンビニで買い物をしたり、閉ざされていた吹上御所地下への探索など、まるでホームドラマの世界なのです。

さらに、日本国内にカタシロと呼ばれる、不思議な生命ともなんとも言えないようなモノが出没します。クラゲが立っているような、覗き込むとそのまま穴に吸い込まれるような存在が「日本の主権が及ぶところにだけ現れる」のです。天皇とドキュメンタリー作家、そしてカタシロが絡み合いながら、物語は読者の想像を終えるラストへと向かっていきます。

主人公をバックアップするプロデューサーが、日本国憲法について興味深い発言をします。「朕は日本国民の総意に基づいて憲法が決まったことを喜んでここに交付する、とかなんとか書かれている。これが日本国憲法の冒頭。」

「へえそうなのか。要するに今の憲法も天皇のお墨付きというわけか。すごいな日本の天皇制。この国の隅々にまで息づいている。」

なんだろう天皇って?と森は前のめりになっていきますが、その内容を知ったフジTVサイドは制作に後ろ向きになっていきます。でも、会いたい!会っていろんな話をしたい!という森の思いは燃え上がります。そして、なんと彼は二人に会うことになります。「私たちの国が、あの戦争を総括しきれない理由は何かしら」と夫に問いかける聡明な美智子と、チャーミングな明仁。とても魅力的なのです。

天皇万歳、天皇制度廃止、という括りではなく、こんなこと本当に書いていいの?というところまで踏み込んでいきながら、身近にいる天皇とその制度を包括的に捉えた小説かもしれません。この話どうやって終わるの?という好奇心で一気に読んでしまいました。なるほど、「不思議のアリス」的展開に持ってゆくのか!上手いなぁ。今年いちばんの問題作であると同時に小説の醍醐味を味わえる作品です。

で、一番読んでもらいたいのは、もちろん退位された上皇と上皇后です。是非お二人の感想をお聴きしたいと思いました。