ペルーの先住民族アイマラ族の言葉による長編映画として話題となり、国内外で高い評価を受け、近年のペルー映画の最高作と評された「アンデスふたりぼっち」という映画を観ました。標高5000mを越える厳しい自然の中に、ポツンと建つ家に住む老夫婦が主人公で、この二人以外の人間は出てきません。

都会に出た息子が戻るのを待つ、妻パクシと夫ウィルカ。アイマラ人の伝統的生活を営み、二人はリャマと羊と暮らしていました。寒い夜を温めてくれるポンチョを織り、コカの葉を噛み、日々の糧を母なる大地のパチャママに祈るという生活です。

穏やかな気候のもとで、毛刈りをして、畑を耕す二人。まるで小津映画に登場するような老夫婦の、穏やかな日々を描いてゆくのだと思って、その牧歌的雰囲気を安心して観ていました。

しかし暫くして、この二人は何のためにここで生きているのだろう?という疑問が湧き上がってきました。こんな辺鄙な所に住む両親に、息子はとっくに愛想をつかしていて音信はありません。豊穣な土地があるわけでもなく、牧場をするには歳を取り過ぎています。物質的金銭的幸せも、精神的幸せもないここで、生きる意味って何だろう。私たちは幸せになるために生きているのに、二人にとって幸せとは何?映画は、「生きる」という本質的な意味を問い詰められているように思えました。

しかし、後半、そんな私の個人的な思いなんぞ木っ端微塵にしてしまう展開が待っていました。ある日、リャマを伴って村に買物に向かったウィルカが、途中で怪我をして動けなくなってしまいます。探しに来たパクシに救助されるのですが、身体へのダメージは大きく、その後の生活に支障をきたします。その上、飼っていた羊が全て狐に噛み殺される惨劇が起きます。ズタズタになった子羊を抱き上げて泣くパクシ。土の中に埋められる羊をカメラが真正面から捉えます。

肉がなくなり、コカの葉も在庫が無くなってしまいます。さらに、ロウソクの火が家に燃え移り全焼してしまいます。年老いた二人にはなすすべもありません。残った納屋で何とか暖をとるのですが、食べるものはありません。ウィルカも衰弱していきます。困ったパクシは、可愛がっっていたリャマを襲い、泣きながら何度もナイフを刺して、肉を取り出します。が、ウィルカは死んでしまいます。

もう、このあたりで席を立とうと思いましたが、そうはさせじという強い力が画面から送られてくるみたいに、座席に縛り付けられました。ラスト、一人雪山にむかうパクシ。姥捨山みたいなエンディング。90分ほどの映画でしたが、これほど重く、辛く、素晴らしい映画は滅多にないと思いました。

監督はオスカル・カタコラ。ペルーのプーノ県アコラ生まれ、アイマラ族出身。本作は史上初のアイマラ語映画でした。が、第二作撮影中に亡くなりました。享年34歳、本作が初の長編映画であり遺作になってしまいました。残念です。