平野啓一郎の小説を石川慶が映画化した「ある男」は、徹底的に画面作りに拘り、力のある役者を見事に動かした骨太の映画でした。

愛して、結婚して、慎ましくも幸せな家庭を築いた里枝は、夫の大祐を事故で失います。一周忌にやってきた大祐の兄は、仏壇の写真を見て「これは弟ではない」と断言します。一体、この男は誰だったのか。里枝は、かつて自身の離婚調停で知り合った弁護士の城戸に身元調査を依頼します。

なぜ、彼は大祐と名乗ったのか。どうして元の名前を捨てたのかということを解き明かしてゆく様がスリリングです。やがて明らかになるこの男の過去。他人になりたかった男の切望を、リアルに描いていきます。

私たちは、過去の膨大な記憶を元に、私たち自身になってゆくのだと思います。いつも近くにいた母親の笑顔、耳元で歌ってくれたおばあちゃんの子守唄、ワクワクドキドキしたお年玉、風を切って友達と走ったこと、初恋、等々の記憶が蓄積されて今の私を作り上げています。笑顔の素敵な人は、きっとそれを与えてくれた生活から恩恵を受けているのでしょう。しかしそんな記憶を持つことのできなかった人生、残酷で悲惨な記憶しかなかったとすれば、他人になってやり直したいという思いがあってもおかしくはありません。

映画は、男の身元を調べる弁護士に肉迫しつつ、彼の心の変化に踏み込んでいきます。城戸は在日三世でした。帰化し、裕福な生活を手に入れ幸せなはずでした。ところが、男の過去を探ってゆくうちに、もう解決したと思っていた自分の出自について考えるざるを得ない状況へと追い込まれていきます。劇中、狂言回し的な立場だった城戸が、いつの間にか主役となり、他の人生を生きたいと望む未来を示唆するラストが心に刺さります。

その一方で、里枝と息子は、数年間の大祐との生活を幸せで充実したものだったと確認して、未来を生きてゆこうとします。その姿に感動しました。

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