ローン地獄、児童虐待、性暴力、障害者差別、親の介護、などなどの諸問題を、ちょっとだけ「自分のこと」として引き寄せて考え、文章にした青山ゆみこ「ほんのちょっと当事者」(ミシマ社/新刊1760円)は、笑って、泣かせて、そうだよなと納得させ、最後にまた泣かせてくれる松竹新喜劇みたいに楽しい。そして、実は極めて深刻な状況を生きなければならない我々の姿を浮き彫りにしてくれます。彼女自身は、「ほんのちょっとした」どころではない当事者だったのですが……。

彼女は、小さい時に家庭に来ていた、ある医師に性暴力らしきものを受けています。第4章「あなたの家族が経験したかもしれない性暴力について」でかなり詳しく告白されています。「もう三十年だぜ。それぐらい性暴力は根深い傷跡を残すのだ。そしていまならわかる。あれは治療なんかではなく、単なるわいせつな性行為であったことが。」と総括し、こう書いています。

「性暴力は被害者を何重にも傷つける。たかが痴漢だなんて思わないでほしい。その被害者が、あなたの大切な娘であり、妻であり、家族があるかもしれない。

そして、それは女性に限ったことではない。あなたの大事な息子が、性被害を受けて傷ついているかもしれないのだ。他人事ではない。そう感じて欲しいと切に願う。」

彼女は、様々な体験の中から自分の心の中を見つめていきます。こういうことが、本当の「自分探し」かもしれません。「自分が弱く愚かで、正義とは反対の真反対にいる人間であることを、わたしは日常でもよく思いしらされる。その度に、自分の弱さが誰かに対して暴力に変わるかもしれないと、とても怖くなる。」

「『参院選』元派遣労働者のシングルマザーが立候補へ。「ボロ雑巾のように捨てられた。世の中を変えたい」

これ、参院選に「れいわ新撰組」から立候補した渡辺照子さんのニュースのヘッドラインです。第8章「わたしのトホホな『働き方改革』」の巻頭は、このニュースから始まります。ほんとに、トホホな彼女の就活なのですが、笑って済ませられない現状が見えてきます。「一億総活躍社会」って、どこの国のこと?という有様が語られていきます。

悩み、悲しみ、時にはイラつきながら、「当事者」にならざるを得なかった彼女が最後に対峙したのが、親の看取りでした。彼女は父親と長い長い確執の時間がありました。第9章「父のすててこ」では、母のこと、父のことを振り返ります。しんどい事ばかりだった彼女が、本文最後で「パパ、ありがとう」という言葉を書くことができるまでの物語に、親を見送った人なら涙するかもしれません。

「わたしたちが『生きる』ということは、『なにかの当事者となる』ことなのではないだろうか』という文章が強く響いてくる本です。

 

●大阪の動物保護団体ARKの来年度カレンダー発売中です。

壁掛けタイプ1000円(少なくなってきました) 机上タイプ800円です。売上は、全てARKにお渡しいたします。当施設に保護されている動物たちのために使われます。

京都国立近代美術館で開催中の「丸山応挙から近代京都画壇へ」が15日で終わるので、散歩がてら行ってきました。ヘェ〜結構人が入っているんだ〜と感心しながら、鑑賞しました。

18世紀の京都。円山応挙は、実物写生に基づいた写生画というジャンルを切り開きました。精緻に描かれた応挙の写生画は、爆発的な人気を博し、円山派を形成します。私のような日本画に馴染みのないものにも圧倒的美しさで迫ってきます。小さく描かれた雀は、今にも屏風を突き破って飛び出しそうだし、「保津川図」に描かれた水の勢いは、4K、8Kの最新の映像技術の表現に負けない凄みがありました。

明治期の京都画壇を代表する一人、岸竹堂の「猛虎図」の虎なんて、咆哮が聞こえてきそうなぐらい臨場感に溢れていました。久々に来て良かったなぁ〜と思いながら、4Fのコレクションギャラリーに向かいました。

 

 

そこでは写真家野島康三の作品がズラリと展示されていました。かなり前でしたが、この写真家の作品を見て以来、特に女性のポートレイト作品に強く惹かれました。

野島康三(1889–1964)は、絵画を意識させる写真作品を数多く残しています。野島初期の「ピクトリアリズム」と呼ばれる写真は、ぼかしなどの技法を用いない「ストレートフォトグラフィ」が主流となると、絵画の模倣だとして批判の対象となり、下火になっていきます。しかし、独特の質感をもつ世界観を作品に投入した野島は、1930年代のドイツ新興写真に影響を受けながら、新しい作品を発表してきました。今回の展示には、モダンガールの素顔を捉えた「女の顔」も展示されていて、素敵な再会を果たしました。

ちょっと攻撃的で、アンニュイな視線をこちらに向ける女性を、ややローアングル気味で捉えた作品に、初めて出会った時は、そのクールな作品の佇まいに魅入ってしまいました。このまま、今のファッション雑誌にも使えそうな斬新な感覚だと思います。応挙の作品を見にきたはずが、野島の作品で頭がいっぱいになった帰り道でしたが、久々の近代美術館はやっぱり行って良かったです。

 

 

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昨年夏に大阪の書店「本は人生のおやつです」の坂上さんから、「本のヌード展」への参加のお誘いがありました。ちょっと刺激的なタイトルですが、これは、本のカバーを取ったり箱をひっくり返したりすると、違う装幀や、作り手の工夫があったりする本を集めた企画でした。この企画がさらに大きくなり、多くの本が集まった展示会が、26日まで奈良県立図書情報館にて「本のヌード展」として開催されています。この展示会の内容を伝える「本のヌード集」(550円)を入荷しました。

まず、京都在住の装幀家矢萩多聞さんが装幀を担当し、2006年に春風社から出た「小出楢重と谷崎潤一郎小説『蓼喰ふ虫』の真相」が登場します。う〜む、なんとも色っぽい仕掛けです。これは、本書をじっくり見てください。

ページをめくると、書店員、作家、ライター、編集者など多くの人が、これぞ!という本を出しています、もちろん全て、カラー写真で収録されていて、出品者のコメントも読むことができます。大正十五年にアルスから出たポール・ゴオガン著「ノアノア」は恩地孝四郎の装丁で、出品者の「マヤルカ書房」さんは、「一つの美術品のような佇まいは、美術専門書の版元ならではないでしょうか。そして、味わい深い表紙はもちろん、カバーをそっとめくってあらわれる本体の箔押しにはっとしました。」とその美しさを書いています。

入荷した時には私も驚いた本を、「人生のおやつです」の坂上店長が選んでいました。サウダージブックス発行、西川勝著「『一人』のうらに、尾崎放哉の島へ」 (2200円)です。自由律俳句の俳人、尾崎放哉が晩年を過ごした小豆島が浮かぶ瀬戸内海の海原がカバーになっています。坂上店長は、タイトルの「うら」という言葉に注目しました。ここには「裏」という意味も入っているのかもしれないと気になり出し、「読んでいる途中でカバーをめくってみたら、そこにはなんと、生命力を感じさせるような、満開の花が…….!カバーの青と表紙の赤。『一人』に潜む『もう一人の自分』から繋がる『他との関わり』。これ以上なく内容を現した装丁だと思います。」とその素晴らしさについて書かれています。

当店は、田辺聖子監修の「ひまわり」復刻版(国書刊行会)を出しました。「ひまわり」全8冊+別冊1冊を豪華な箱に入れたものです。展示会終了後に本が戻ってきたら、店内に出しますのでじっくりご覧ください。

本の魅力を視点を変えて語った一冊です。この本を手にとって興味を持たれた方は、26日まで開催されていますので奈良へ出かけみてください。

 

レティシア書房は、年内28日(土)まで通常通り営業いたします。新年は1月7日(火)から営業いたします。

よろしくお願いいたします。

 

 

 

島田潤一郎さんは、ご存知のようにひとり出版社「夏葉社」の代表です。上質の本をコンスタントに発行されています。近著「古くてあたらしい仕事」(新潮社/新刊1980円)は、多くの人に読んで欲しい一冊で、生きる事、仕事をすることの本質が、ぎっしりと詰まっています。

大学卒業後就職した仕事に馴染めず、様々の会社を渡り歩き、自分の人生の方向を決められない日々が続きます。その時彼を支えたのは、当時ロッテ球団の監督だったバレンタインの、こんな言葉でした。

「人生でもっとも大切なのは、人から必要とされる事だ」

島田さんは、仕事とはそういうものだと思いつつづけてきました。誰かを支えたい。「仕事のスタートとは、そういう純粋なものである」というのが彼の哲学になっていきました。

「一冊の本が人生を救うというようなことはないのかもしれない。でも、僕にはきっと、なにかできることがある。僕にしかできないことがある。」

そんな思いを胸に秘めながら、出版社「夏葉社」を立ち上げ、自ら編集し、自社のことを理解してくれる全国の本屋さんを営業するという、仕事がスタートしていきます。彼の起こした出版社の優れたところは、彼自身の言葉で言えば、

「いまを生きる作家の本は、既存のたくさんの出版社がつくっている。それならば、ぼくはかつて出版され、絶版になっている本を、もう一度自分の手で出してみたかった。 数十年前の作家と編集者が魂を削ってつくった本に、もう一度あらたな息吹を吹き込んでみたかった。魂のリサイクル。」

読者の顔を思い浮かべ、それを置いてくれる書店員のことを考えて作る本、著者はそれを「親密で、私信のような本。仕事もまた同じ。一対一でしか伝えられないことがある。」と表現しています。合理性、効率で考えるのではない仕事。「今日、誰のために、なにをするのか。 仕事の出発点は、いつもそこだ。」という考えが、くり返し、本書には登場します。

本書で、一箇所だけ当店の名前が登場します(P138)。「大量生産、大量消費以前のやり方を現代に蘇らせることによって、自分の仕事の場所を保持しているように見える」書店の一つとして、名前を挙げていただきました。

「それはいってみれば、大きな声でなく、小さな声を尊重する店のあり方だ、『みんながそういっている』というのではなく、『あのひとはこういっている』という本の並べ方」と。よくぞ、言ってくれました!島田さん。ありがとうございました。

彼が編集した「ガケ書房の頃」の中に、著者の山下賢二さんが、こんなことを書いています。

「本屋は勝者のための空間ではなく、敗者のための空間なんじゃないかと思っている。誰でも敗者になった時には、町の本屋へ駆け込んだらいい」と。

そして、しんどい時、憂鬱な時、本屋が支えになるのは、「強い者の味方ではなく、弱者の側に立って、ぼくの心を励まし、こんな生き方もあるよ、と粘り強く教えてくれたからだ。」という島田さんの言葉を、私もその通りだと思いますし、当店もそういう本屋でありたいと仕事をしています。

この本は大手出版社の新潮社から出ていますので、大きい書店にはあると思います。当店でなくても、お近くの書店で見つけて、ぜひお読みください。

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あかしのぶこさんは京都生まれ京都育ち。二十年以上前に北海道に渡り、現在は知床の斜里町在住で、福音館書店「こどものとも」「ちいさなかがくのとも」などの絵本を描いていらっしゃいます。レティシア書房では2回目の個展になりました。

新作「ふぶきがやんだら」を見せていただいた時、これは北海道の厳しい寒さを知っている人だからこそ出来上がった絵本だと思いました。吹雪の間、人も動物も動き回らずに風雪をしのぎます。あかしさんは絵本の折り込みで、「この吹雪をどうにかやり過ごそうとしている森の動物たちも、私も、吹雪の前では同じ一匹の生き物なのだ」と書かれています。京都に住む私には想像しても追いつかないような自然の厳しさを、あかしさんの絵から感じます。そして嵐が止むと、みんなほっとして大喜びで出てくるのですが、その幸せが、また絵本から溢れます。

「じーっとじっと」という絵本は、お母さんウサギが出かけている間、じっと待っているウサギのきょうだいのお話。その草むらの生き生きとした植物や動物や子供達の表情などが、優しく暖かなタッチで描かれています。

原画は他に「もりのみんなのやまぶどう」「ねむたいねむたいももんがたち」が並んでいます。どれもあかしさんの身近な世界が、素朴で、可愛く力強い絵で表現されています。絵本もいくつか販売していますので手にとってみてください。他にポストカード(100円)エコバッグ(550円)などもあります。初日は知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンとシュトーレンが届きました。

あかしさんは、絵本の原画展としては北海道の図書館などで行われていたようですが、京都で彼女の原画を見る機会はあまりないと思いますので、ぜひこの機会にご覧いただきたいと思います。レティシア書房の今年最後のギャラリー企画展になります。(女房)

あかしのぶこ「えほんのえ展」は、12月11日(水)〜28日(土)12:00〜20:00月曜定休日

レティシア書房は、28日が今年最後の営業日です。

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みのわようすけさんの文庫本サイズの本を置き始めたのは、今年の2月でした。本のタイトルは「もうひとつの今日」、「みぞが埋まるぐらいに」、「よくねたパン」、「今日というより凶な今日」。先日入荷した新刊「ピンクのあまぐも」で5冊(各520円)になりました。一応「今日というより凶な今日」が、第1巻ですが、べつに第2巻へと続いているわけではありません。「もうひとつの今日」の帯に「前作『今日というより凶な今日』の解説を含む続編。今日と明日の間にあるもうひとつの今日の短編」と、なんだかよくわからん解説が入っています。短気な関西人から「なにをわけのわからんこと、ごちゃごちゃ言うとんねん!」とお叱りを受けそうです。

このシリーズは、小説でもなければエッセイでもありません。全てに第何話とインデックスはありますが、前の話から続いているわけではありません。身辺雑記のようなものあり、小説みたいなものあり、評論みたいなものもあり、コラムのようでもある文章のオンパレードです。例えば「今日というより凶な今日」第159話「お腹の空いたシロクマ」は、こんな書き出しです。

「会社近所の和食屋さんの前にはシロクマがいる。お腹が減り過ぎている様で皮だけの様にペタンコになっている。いくら何でもお腹減り過ぎだと思う。さすがに我慢できなかったらしく和食屋の肉まんをケースから取り出して食べている。」

これで、ほぼ終わりです。161話は「ゼブルCO、LTDの会社に友人と参加する」と、話ははるか彼方へと飛んでいきます。

この本売れるのかなぁ〜と半信半疑でしたが、いきなり売れ始め、品切れになるわ、再注文するわとドタバタでした。そして、一冊買われた方が、また一冊、また一冊とお買い上げされる売れ方をしてきたのです。う〜む、不思議と思い、読んでみたところ、なぜか引き込まれてゆきました。

新作「ピンクのあまぐも」は、第730話から始まります。

「大学に行き、久しぶりの友人達に会って嬉しくなる。これから食堂に向かうが、嬉しさのあまりショートカットしようと思い堀から飛び降りたら十一階だった。」

と、相変わらずぶっ飛んでいます。この魅力は何だろう? 携帯メールの様な短い文章の固まりながら、それぞれ完結している。読んでいるうちに、心の中にぽっかりと出来上がる空白。それが、なんだか気分を軽くします。著者が、これらの文章を意図的にデザインしてやっているとしたら凄い文才だし、無意識でやっていても、これだけの文章が浮かんでくるなんて、やはり凄い。

不可思議な読書体験を、お勧めします。案外、真面目な読書をしている方の肩こりを、少し直す効能があるやもしれません。

★連休のお知らせ  12月9日(月)、10日(火)連休いたします

★予告

12月11日(水)から始まる知床在住の絵本作家あかしのぶこさんの絵本展に、知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンが届きます。シュトレンも含めて20個ほどのパンは、初日のみの販売になりますのでお見逃しなく。

なお、初日はあかしのぶこさんが在廊の予定です。夕方には、ちょっとしたお話会も予定しています。

「明治二十八年生まれの画家、鈴木信太郎から昭和四年生まれの作家、向田邦子まで東京で暮らした二十三人の文人たちをとりあげ、彼らの生き方を通して、それぞれの東京を浮き上がらせている。」と「それぞれの東京」(淡交社/古書1300円)の著者川本三郎は、本書の構成をあとがきで書いています。

ここに登場する人たちが活躍したのは、主に昭和の時代です。まだまだ穏やかな暮らしが残っていた昭和の東京。そこには、地に足がついた地道な暮らしがありました。「作家や、画家、あるいは俳人や映画監督も町のなかでは、一市井人になっている。」と、著者は丹念にその暮らしぶりを追いかけていきます。

東京に郊外 住宅地が形成されてゆくのは大正末期。昭和に入り発展していき、中産階級と呼ばれる人たちが移り住みました。

「児童文化という下町にはなかった独特の文化が生まれるのも郊外住宅地。さらに父親の書斎、母親の弾くピアノ(あるいはオルガン)、家族で楽しむラジオや蓄音機、日曜日のデパートなどへの『お出かけ』、雨の日のお迎え、などの新しい生活が作られていった。」

そんな典型的な郊外住宅地に育ったのが向田邦子でした。大手保険会社に勤務する父親に、大事に育てられたお嬢様として成長します。やがて社会人となってエッセイを書いて、さらにテレビの脚本家になって、家に対する価値観が変化していきます。30代になり、外で働く女性にとって家が逆に束縛するものになっていき、大好きだった父親との言い争いから家を出る決心を固めます。昭和39年10月10日。引越しの日は東京オリンピックの開会の日でた。

川本は向田の「眠る盃」から、こんな文章を抜粋しています。

「たいまつを掲げた選手が、たしかな足どりで聖火台を駆け上がってゆき、火がともるのを見ていたら、わけのわからない涙が溢れてきた。

オリンピックの感激なのか、三十年の暮らしと別れて家を出る感傷なのか、自分でも判らなかった。」

オリンピックを境にして、穏やかな昭和の生活は消えてゆき、新しい時代へと否応なく参加させられてゆく、その瞬間を捉えている文章です。

登場する二十三人の物語を読み返すと、昭和から平成、そして令和へと変化してゆく社会の中で、消えていったもの、私たちが失ったものに思いが募ります。

 

予告

12月11日(水)から始まる知床在住の絵本作家あかしのぶこさんの絵本展に、知床のパン屋さん「メーメーベーカリー」からパンが届きます。シュトレンも含めて20個ほどのパンは、初日のみの販売になりますのでお見逃しなく。

なお、初日はあかしのぶこさんが在廊の予定です。

井伏鱒二、太宰治、上林暁といった大物たちが集まった「阿佐ヶ谷会」を詳細にまとめた青柳いずみこ・川本三郎監修の「『阿佐ヶ谷会』文学アルバム」(幻戯書房/古書2400円)は、文壇を代表する作家たちの飾らない人柄が表れた一冊です。

戦前、井伏鱒二、太宰治、上林暁、木山 捷平、亀井勝一郎など中央線沿線に住んでいた文士たちが、阿佐ヶ谷駅近くの中華料理屋に集まり、酒を飲み、将棋を指して一時を楽しみ、戦後は、仏文学者青柳瑞穂の家に会場を移して、交流していました。

瑞穂の孫で、この本の監修者でもある青柳いずみこは、「阿佐ヶ谷文士たちに共通しているのは、純文学に徹して清貧に甘んじたということ、商業主義に陥ることをひどく嫌ったということだ。」と回想しています。文士たちは、お金があるとはとても言えない境遇でものんびりとした、どこ吹く風といったタッチで文章を書いています。

本書は、井伏、上林、木山、亀井、家を提供した青柳瑞穂たちが、「阿佐ヶ谷会」について書いた文章を収集しています。上林は、戦時中食料が乏しくなって食べ物を当てにしていったピクニックで、太宰が几帳面に弁当を用意していたことを書いていました。「狭い峡谷を走るその電車の中で、太宰君は持参してきた弁当箱を開いた。そばに坐っていた誰かにおむすびを分け、指先にくっつくご飯粒を舐めながら、むしゃむしゃと食った。」とても戦時中の話とは思えない、のんびりした時間です。

上林はまた、「阿佐ヶ谷会には統領はいないが、強ひて統領格の人を探せば、井伏さんといふことにならう」と書いています。この回の中心人物だった井伏は、将棋や酒の飲み方だけでなく、文学創作の点でも文士たちの規範になっていたみたいです。仏文学者河盛好蔵によると、全くアポも取らずに井伏の家を訪ねたところ、喜んで迎えてくれたそうです。青柳いずみこは、井伏の振る舞いをこう書きます。

「どの文士の回想を読んでいても、井伏は来るもの拒まずだったらしい。友人たちは玄関を通らず、庭を横切り八畳の書斎の縁側に直行して声をかけ、すぐに将棋が始まる。」

お金もモノもない時代だけれども、おおらかに人生を楽しんだ人々の、これはドキュメントでもあります。

明日は、川本三郎「それぞれの東京 昭和の町に行きた作家たち」という昭和文士、映画監督、画家を巡る本をご紹介します。

 

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熊本にある橙書店店主田尻久美子さんの新しい本「橙書店にて」(晶文社/古書1300円)は、著者の優しさが随所に表れていて、とても心地よい後味が残る一冊です。

熊本市内の路地裏にある橙書店。本屋と喫茶とギャラリーを一つにしたその店に寄り添うお客さんたちを、田尻さんはそっと見つめています。開店当時、全てが未経験で、勢いに任せて突き進む不安な日々を救ってくれたのが、工事をしてくれた棟梁の、「やっているうちにプロになる」という言葉でした。「やっているうちにプロになるから大丈夫。この言葉は、店をはじめたとき、お守りだった」。そして、店を営みながら文芸誌「アルテリ」を発行するまでに至りました。

知人の写真家が書架を見て、「相変わらず弱者の本ばかりおいてるね、そこがぶれないよね。」と呟いたそうです。

「私はそうだろうかと思いながら書架を眺め、意識したことはなかったけど確かに弱者だらけだな、と合点がいった。水俣病患者にハンセン病治療所入所者、戦争の無数の被害者、さまざまな理由で差別される人たち、寄る辺ない人……..よりどりみどりだ。耳をそばだてたくなるのはかそけき声で、それは人を圧しようとする大きな声よりも力強く魅力的だ。」

こういう店なので、いろんな思いの人たちが集まってきます。大雨で店が水浸しになった時、来店した人が後片付けに参加してくれたり、あるいは、熊本在住だった作家石牟礼道子さんが死去された時、彼女を知っている人も知らない人も集まってきます。

「悲しみにくれている。店が通夜会場のようだ。近しい気持ちの人と同じ空間にいたい、と思って来店されるのだろう。葬式というのは、本来そういうものかもしれない。死んだ人のためでなく、残された人たちのためにある。」

なぜこんなに人が来るのですかと尋ねられた時の、彼女の答えはこうです。「自分でもよくわからない。ありがたく巻き込まれているだけだ。」と。彼女の魅力が大きいのはいうまでもありません。ここで、朗読会を行なった村上春樹もそんな魅力に吸い寄せられた一人かもしれませんね。

「『もうすぐ満月だね』 そういうことを気にして暮らしている人が、私の周りにはわりといる、満月が近くなると、自然とそんな話をしているような人が。私もその口だ。」

“月友達”がいるなんて素敵ですね。ふと立ち止まって、月を見上げる。あ、満月、だけで嬉しくなる。田尻さん、私もその一人です。犬の散歩の時にいつもお月様を探しています。

 

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イギリス生まれの絵本作家、スーザン・バーレイが、1984年に発表した「わすれられないおくりもの」(評論社/古書850円)は世界的に注目され、今も売れ続けています。

森に住む老いたアナグマは、森の仲間たちに慕われていました。しかし、「長いトンネルの 向こうに行くよ さようなら アナグマより」という手紙を残して、天国へと旅立っていきます。悲しみにくれる仲間たち。けれど、冬が去り春が訪れる頃、みんなは彼が残していった豊かさを心の中に残すことで、少しづつ悲しみを癒していきます。肉体は滅んでも、彼の言葉や教えてもらったことは永遠に残ると悟った友達のモグラは春の大空に向かって、「ありがとう、アナグマさん」と呼びかけます。

「モグラは、なんだか、そばでアナグマが、聞いてくれるような気がしました。そうですね……きっとアナグマに…..聞こえたにちがいありませんよね。」

ラストの春の大空に向かって声を出すモグラのシーンがとても素敵で、愛したものの魂は、いつでもそばにいるよ、という感じが良く表されていると思います。

三木卓は「鶸」で芥川賞、「路地」で 谷崎潤一郎を受賞した文学者です。三木が物語を作り、スーザン・バーレイが日本語を英語の翻訳し、絵を描いた作品「りんご」(かまくら春秋社/古書900円)を入荷しました。海外の作家のものを、文学者が日本語に翻訳したものは沢山ありますが、その逆のパターンは珍しいと思います。       

話は山の中に捨てていたりんごの芯を、森の動物たちが育てるというものです。左ページに日本語と英語、右ページに絵が配置されています。

「春になって 木は はじめて 白い花を いっぱいにさかせました。」

“Spring came  For the first time the tree was full of white flowers”

難しい英語ではありません。なんとなく音読したくなってきます。体の中に言葉がすっと入ってくる感じです。こういう文章を英語の勉強に使えばいいのに…….。

ところで、三木卓の新刊(?)が、新しく立ち上がった出版社、水窓出版から出ました。「ミッドワイフの家」(新刊1980円)という短編集です。昭和48年に一度講談社から出版されtものを復刻したものです。三つの短編が収められていますが、「炎に追われて」は童貞であることに苦悩する若者が、童貞を捨てる様を描いた物語です。

「わたしは和子の歯を舌で愛撫し、口を開いてくれることを望んだ」なんていう、古色蒼然として文章に出会うと、なんだかなぁ〜と思いますが、雑誌に発表されたのが昭和48年。あの時代では、こんな物語を書く人は少なかったのでしょうか。

三木卓の違った側面を知った気分です。

 

 

 

 

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