極地探検で知られる写真家石川直樹が文を書き、イラストレーターの梨木羊が絵を書いた絵本「シェルパのポルパ エベレストにのぼる」(岩波書店/新刊1800円)。

ヒマラヤの麓で生まれた少年ポルパが、シェルパへと成長する姿を描いています。標高5300メートルのところにベースキャンプを置き、そこから四つのキャンプを設置して、8749メートルの頂上を目指す登坂ルートも、書き込まれています。

「エベレストの麓に広がるクンブー地方は、山岳民族であるシェルパたちの生活の場です。彼らはチベットからヒラヤマ山脈を超えてやってきた人々の末裔で、田畑を耕し、ヤクなどの家畜を飼育し、春と秋の登山シーズンには、観光客を受け入れて生活しています。」

と、後書きで石川は解説しています。石川自身、ヒマラヤで多くのシェルパの友人を作ったので、彼らのことを知って欲しくて絵本を製作したようです。

シェルパを目指す少年ポルパは、ベテランのテンジンおじさんに連れられて初の登山に挑戦します。その途中でポルパが見たもの、経験したものが描かれています。山頂近くで、ポルパは鳥の大群に出会います。

「あれはなに?」

「かぜのとりさ。かぜにさからうのではなく、かぜといっしょにとんでいる。チベットから、ヒマラヤのやまをこえて、あたたかいインドでふゆをこすんだ。」

厳冬の時期にエベレストを越えてゆく鳥がいるんだ、と語るクライマーの小説を以前読んだ記憶があります。見開きページ一杯に描かれた、頂上を極めた瞬間のポルパの顔が実にいいですね。

石川直樹の写真集「POLAR」(古書絶版/2600円)も入荷しました。

石川がほぼ10年にもわたって旅してきた北極圏の、今の姿を捉えた写真集です。この地に生きる人々の表情、暮らしを取り込み、北極の真っ白な世界のイメージを覆すような作品がならんでいます。素顔の北極圏が見えてきます。

少し前に、今年のベスト1だ!とブログに書いた呉明益の「複眼人」に次いで、彼の「自転車泥棒」(文藝春秋/古書1700円)を読みました。400ページ余りの長編です。タイトルから、同名の昔のイタリア映画を思い出された方もおられるかもしれません。あの映画のように、これも自転車を盗まれた父と子の物語です。失踪した父とともに消えた父の自転車を巡って、息子は、自分の故郷の台湾から時代を遡って戦時下の東南アジアのジャングルへとさすらいの旅を続けるという物語です。

「複眼人」もそうでしたが、こちらも壮大なスケールで展開する小説です。

「父がペダルを踏む力は、明らかに力不足だった。身長はもう同じぐらいなのに、無理やり荷台に乗せられ、おまけにぜえぜえと苦しげな息づかいを間近に聴かされるのはあまりに気恥ずかしかった。」

そんな思い出のある自転車と父の失踪を巡って、これでもかこれでもかと過剰なくらい人物が登場してきます。例えて言えば、大きな川へ流れ込んでゆく小さな川が何本もあって、それらがひとつになって大きな海に向かってゆくのを見ているような感じです。

翻訳の天野健太郎は「厳戒令が解除され、政権交代がなされたあとの文学的テーマは『批判』や『純化』ではもはや物足らず、純文学であっても『普通におもしろい』小説を求められるようになった新世紀の台湾人作家のなかで、呉は質・量ともにその先頭を走っている。」と書いています。その評価は「自転車泥棒」「複眼人」そして短編集「歩道橋の魔術師」を読んで、なるほどと納得しました。(現在、日本で翻訳されているのはこの三作だけです)

本書における大きな川は、百年にもわたる主人公の家族史です。そこに台湾原住民族の報道写真家、蝶の貼り絵工芸を生業にする女性、戦死した日本兵の霊と交流をする老兵、戦中のマレー半島で展開された「銀輪部隊」(自転車部隊)の決死の行軍、ミャンマーで日本軍に接収され、国民党によって中国に連れて行かれ、最後は台湾に渡って台北動物園で生涯を終えたゾウのリンワンの物語などが、支流となって流れ込み、そして最後は父の自転車に向かって収束して行きます。

天野は「この小説は自転車などの『もの』にまつわる壮麗なエピソードとディテールから幕開く物語だ。」と語っていますが、テープレコーダー、手紙、蝶の貼り絵等々が決め細く描かれています。そんな中で、自転車好きの私がいいなぁと思った文章がありました。

「いい職人が細やかな調整をして締めたネジには、集中力が宿っています。ガタつきや異音を防ぐために、ネジは必ず適切なトルクで締められなければならない。このとき工具を通じて、彼らの力が自転車のなかへ移される。そしてたぶん、数十年ものあいだ自転車に留まっている。解体するとき、ぼくはその力を感じることがあります。」

これは登場人物の一人、自転車マニアのナツさんの言葉です。

登場人物たちの人生を追体験して、彼らの幸福や不幸に心震わせたり、過酷な運命に抗うことなく孤独に進んでゆく森の象たちに涙したりしながら、大きな物語を読み終えた充実感でいっぱいになる傑作です。

今年の秋には新作が出るみたいです。今、一番読みたい小説家です。

 

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児童書の老舗福音館書店が発行している雑誌「たくさんのふしぎ」は、毎号毎号、おっと思わせる企画で購買意欲を掻き立ててくれます。このブログでも何度か取り上げましたが、今回のおススメは2019年11月号「馬と生きる」(新刊770円)です。

文章を映像作家の澄川嘉彦が、絵を漫画家の五十嵐大介が担当しています。五十嵐についてはこの前も絵本「バスザウルス」を紹介しましたが、馬の絵もやはり素晴らしい。

現在、岩手県花巻市在住の澄川が遠野市に生きる馬と人を紹介していきます。

「『ほーおれ!そおーリゃあ!』 遠野の山の木々の葉をふるわすような大きな声がひびきわたります。見方芳勝さんが馬に気合をいれる声です。声を合図に大きな馬が杉の大木を引っ張りながら山をかけあがってきました。遠野に古くから伝わる馬をつかって木を運ぶ方法で『地駄引き』と言います。」

大きな丸太を引きづりながら飼主と共に山を登る五十嵐の馬の絵が美しい。人馬一体。人と馬の信頼感を感じます。

現在では機械を使って運び出すのが普通で、馬を使っているのは見方さんだけだそうです。

「見方さんは馬のことを話すときによく『生きもの』という言葉を使います。地駄引きは人と馬という生きものどうしが力をあわせ、ひとつになって働く仕事なのです」

人と馬の日々の暮らしや仕事が、具体的に、文章と絵で語られていきます。当店でロングロングセラーになっている「馬語手帳」もそうですが、馬の絵って、とても優しい気持ちにしてくれる魔力があると思います。様々なシーンに登場する馬がある時は気高く、あるときは可愛く描かれます。

見方さんの家の見取り図が載っています。家の中で、馬が寝起きする「馬屋」の位置を読者に知ってもらうためです。座敷に座る見方さんからいつも馬が見えています。

「自分はお酒を飲んでいても、こうやってお茶を飲んでいても、馬を眺め眺めすれば気持ちが落ちつくというんだか安心するんだな。」

日々、愛馬と山に入っていた見方さんでしたが、70歳を超えました。そんな時、地駄引きをやってみたいという若者が現れ、見方さんの下で学び始めたのです。出てくるんですね、こういう人が!数年前足を痛めた見方さんは、彼に地駄引きを任せることにしました。今、見方さんの馬と一緒に山に入っているそうです。

 

明治から昭和にかけて生きた浮世絵師であり版画家の川瀬巴水。日本各地を旅して、写生した絵を原画とした版画を数多く発表し、叙情的な風景や街並みの作品で高い人気を持つ作家です。

で、巴水の本、あるいは図録は、結構高い値段が付いています。毎年5月に開催されている岡崎の古本市で、以前に一冊見つけて値段を見たら6000円でした。「川瀬巴水木版画集」は1万円ぐらいの値段でネットに出ていたと記憶しています。

今回入荷したのは「巴水の日本憧憬」(平凡社・新刊/3520円)です。作品50点に林望が文章を添えています。

「巴水は旅の画家であったが、その目には、風景の中の『暮し』をいつも見ている。絵葉書のようなきれい事を描くのではなくて、誰もがそこに入っていけるような、日常に風景を懐かしみ、そうしてそこに住む人の姿を点綴することによって、無量の温かさと寂しさを描き得ている。」

と、巴水の画風を解説しています。夜の帳が下りた川辺の家の照明には、一家団欒の楽しさと、それを外から見つめる作者の寂しさが同居していて、見る者の心を打ちます。

巻末に評論家の川本三郎が「小さな風景の発見」というタイトルで寄稿しています。江戸から明治、大正へと江戸がモダン都市東京へと変貌する中で、近代の土木技術が生み出した鉄の橋に見られる直線の美に巴水が注目したことに触れています。

「『新大橋』(大正十五年)や『清洲橋』(昭和六年)には、巴水が新しく見つけた直線の美がよく現れている。そして、その新しい風景のなかでも、巴水は働く生活者を描きこむのを忘れない。」

本書には「清洲橋」が収録されています。アーチ型の橋の下を昔ながらの和船が進んでいます。家路につくのか、それとも資材を運んでいるのかわかりませんが、日々の暮らしを生きる市井の人が描かれることで、この橋の魅力をさらに浮き立たせているような気がします。

 

 

 

 

門間雄介著「細野晴臣と彼らの時代」(文藝春秋/古書1800円)は、日本を代表する音楽家細野晴臣の評伝です。(500ページ/読み応えあります。)

「白金台にあるクワイエット・ロッジを訪ね、評伝を書かせてくださいと細野晴臣さんにお願いしたのは2012年9月のことだ。」と著者は後書きで書いています。それから8年の歳月が経過して、やっと世に出ました。

「細野晴臣はまだ何者でもなかった。 1968年。 全共闘の運動が全国に広がり、グループ・サウンズのブームがピークを迎え、やがて終息していったこの年、細野は立教大学に通うひとりの学生だった」というところから、彼の物語が始まります。

幼少の時から音楽が好きで、小学校6年のときTV西部劇「ローハイド」のシングルを買ってもらい、熱心に聞いていた少年時代。

音楽好き少年は、やがてギターを手に取り、のめり込んでいきます。のちに大学時代の友人の紹介で大瀧詠一に出会い、日本語でロックを歌うことに挑戦した「はっぴーえんど」を結成し、解散したのちは「 YMO」を坂本龍一たちと立ち上げ、瞬く間に日本中に彼らのエレキトリックサウンドが響き渡ることになったのです。YMO後も、歌謡曲の世界に近づいたり、ワールドミュージックを吸収したりしながら、ソロアルバムを発表し続け、今日に至っています。そのプロセスを著者は綿密に追いかけ、細野の心理状態を克明に描いていきます。メンバーとの確執、音楽ビジネスへの疑問、失望。そして宗教への逃避…….。

面白い話を一つ。「はっぴーえんど」のギタリスト鈴木茂は、当時を振り返ってこう言っています。

「ロックバンドはお酒を飲んで、羽目を外してというイメージがあるかもしれないけど、ぼくたちはそういうのがなかったからね。四人ともお酒を飲めないから、移動中はお茶とおまんじゅうで、細野さんはずっと落語の謎かけをしていた。」

コロナが発生する以前ですが、NHKで「はっぴーえんど」を特集する番組がありました。その時すでに、細野は「オリンピックなんてやることないよ」と言っていました。おぉ〜NHKで言ってくれたなぁ〜と感心した記憶があります。

でも、なぜ彼がそんなことを言ったのか、答えを本書で見つけました。前の東京オリンピックの時に、彼が愛していた都電が都市整備の名の下に、廃止されていったのです。

「オリンピックを境に街が消えていった」と彼は言います。その記憶が残っているからこそ、今回のオリンピックにも反対の意見を、あんなにも早く表明していたのでしょう。

最後に細野の父方の祖父、官僚だった細野正文の話を紹介しておきます。1912年ロシア留学を終えた彼は、タイタニック号に乗り込み、あの大事故に遭遇しまが、無事生還します。しかし国内で、女性や子供を差し置き、自分だけ生還したのは武士道にもとる、との批判が巻き起こりついに役職を解かれてしまうのです。正文の名誉が回復されたのは1997年でした。

細野は、著者のインタビューにいつも軽快に答え、取材は笑いが絶えなかったと言います。音楽的魅力だけではなく、人間的な魅力が、はっぴーえんど、キャラメル・ママ〜ティン・パン・アレー、YMOなどの活動に乗り出す際に、この人のもとに多くの人が集ったと言うことがよくわかるのです。彼とともに時代を歩いた人々を記録した貴重な一冊です。

 

 

東京国際映画祭を始めとして、多くの映画祭で絶賛された映画「メランコリック」。劇場で見逃したものをDVDでやっと観ることが出来ました。監督、脚本、編集の田中征爾の才能に、もう拍手、拍手です。長編第1作で、東京国際映画祭監督賞受賞ですからね。

ストーリーだけ聞くと、血だらけスプラッタムービーみたいですが、そんなことはありません。

東大卒業後、アルバイトばっかりして、うだつの上がらない生活をしている和彦という青年が主人公です。たまたま行った銭湯で、アルバイト募集のチラシを見た和彦は、その銭湯で働くことを決めます。ある夜、銭湯は終わった時刻なのに、店内の照明が付いているのを見て不審に思った和彦は、とんでもない現場を目撃してしまいます。風呂場で、殺人が行われ、死体をボイラーに放り込んでいるのです。そして同僚は、実はヤクザに雇われた殺し屋だったのです。

そんな風呂屋のサイドビジネスになんとなく参加した和彦は、それから巻き込まれていくのですが、驚くべきことに映画のラストは大ハッピーエンドなんです。信じられます?

やばい事をやっているのに、どうしたことか登場人物全てが、極端なまでに淡白で危機感もなく、粛々とやっている感じ。むしろ脱力感があります。和彦の家族も、これまた飄々としていて、食事シーンなんか小津映画みたいな雰囲気です。

脇役として多くの作品に出ている村田雄浩が「いつの間にか登場人物に心を奪われている。最後には登場人物のその後が気になってしょうがなかった」と絶賛の文章を寄せています。和彦、和彦の恋人、同僚の殺し屋、風呂屋の親父、和彦の両親が、どうなってゆくのか私も心配してしまいます。こういう映画はどう考えても、最後は血みどろの悲惨な幕切れが待っているものですが、幸せ感いっぱいのエンディングなのです。それにしても風呂屋で飲むビールって美味しそう!

見終わってわかったのですが、映画が語っていたのは幸福って何だという事です。奇想天外な物語から、青春映画の眩しさを作り出した監督には脱帽しました。

本作品は、監督と二人の男性の三人のチームで製作され、クラウドファンディングで資金が集められて出来上がりました。なんとかして面白い映画作るぞぉ〜という熱意が作り上げた賜物ですね。ホント面白いし、めちゃ笑ってしまいました。オススメです。

 

中堅の、あるいは新人写真家に贈られる土門拳賞を本年度受賞したのは、ネイチャーフォトグラファー大竹英洋の「The North Woods」( Crevis/新刊2750円)でした。以前、彼の「そして、ぼくは旅に出た」を紹介しました。(売切れ)

ノースウッズは、北米大陸北緯45度から60度にかけて広がる世界最大級の森林地帯です。一年の約半分が冬で、気温がマイナス30度になることもあります。厳しい自然環境とそこに生きる動物たちのありのままの姿が捉えられています。

こういった動植物を撮影した第一人者といえば、星野道夫だと思います。どの写真家にも、星野的な雰囲気があって、彼を超えるのは相当困難な課題だろうと思っていました。

しかし、大竹の作品には、明らかに星野道夫にはないものが生じていると感じます。最初にそう思ったのは、「ハシグロアビ親子」の写真(本書10ページ)でした。親鳥の羽の白い毛先を見つめる子の視線。親鳥の威厳と、あどけない子の親への眼差し。ハシグロアビは、47〜49ページにも再登場します。

「ノースウッズの水辺を象徴する鳥。カナダの1ドルコインにも刻印され、ルーンという英語名の方が馴染みがあるかもしれない。営巣中の婚姻色はオス・メスともに鮮やかで、ひときわ目を引く。また、その鳴き声も特徴的で、一度聞いたら忘れることはできない。アメリカを代表するナチュラリスト、ジョン・ミューアは、北米に移民して間もない頃にウィンスコシン州で過ごし、アビの歌声について『ウィルダネスで聞こえる全ての音の中で、最も野生的で、かつ胸を打つ』と讃えている。」と丁寧な解説を付けています。

161pに冬の到来とともに、南へと帰ってゆくナキハクチョウのつがいを捉えた作品が載っています。「トランペッタースワン」と言う英語名を持つナキハクチョウの美しいフォルムが見事です。絵画のような作品です。

未知の自然が連なる奥地を旅して、その先に見つけた生き物たちの生をフィルムに焼き付けた写真家の情熱がどのページにも見出せる傑作だと思います。この惑星にある素敵な世界を楽しんでください。

 

数年前に「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(講談社売切れ)という本をブログで紹介しました。大量生産・大量消費システムの大きな渦の中で、これはおかしい?と思ったパン職人の渡邉格が、自らが目指すパン屋を開店させるまでを描いた本でした。その第二弾とでもいうべき本が、ミシマ社より刊行されました。それが「菌の声を聴け」(新刊/1980円)です。

自家製酵母と国産小麦で、オリジナルのビールやパンを作る著者の店「タルマーリー」。前作では、パン作りに相応しい環境を求めて岡山県真庭市に移住し、パン作りを始めるまでが描かれていました。新作の「菌の声を聴け」は、なんとこの地を離れて鳥取県智頭町へ転居するところから始まります。え?わざわざ車でパンを買いに来る人がいるほど繁盛していたお店を閉めて、さらに山奥へと移住するのは何故?と思われる方も多いと思います。

 

「『パン工房の外の自然環境こそが大事なのではないか』という菌たちからのメッセージを感じていたからこそ、この智頭に移転してきたのだ。きっと建物の中だけではなく、もっと広い周辺の自然環境を整える必要があるからこそ、人口最少県の中間地、町の面積の93%が森林の鳥取県智頭町に移転した。」と書かれています。

そして新天地で、新しいビール作りに七転八倒する様がユーモアたっぷりに語られていきます。読みながら、菌という存在について、様々なことを学びました。

「野生の菌で発酵させる場合、人間だけでなく菌こそが心地よく遊べるような場を作ることが重要である。具体的に言うと、パンの原料の生産現場やパン工房の周辺環境から、化学物質を排除する必要がある。森、川、田畑…….といった里山を汚染することなく、自然環境を保全していかなければならない。そして発酵に関わる職人は、生活を取り巻く化学物質ー殺虫剤、防虫剤、合成洗剤、化粧品、添加物、化学薬品などーも使わない暮らしを実践する。」

山極壽一氏が「『カビを食べる人』のパンとビール作りが未来の共生社会を拓く」と帯に推薦の言葉を書いています。菌とともに生きることで、我々がこれから自然と共生してゆく術を教えてくれます。

野生の菌は人間がコントロールできないので生産性が悪いと言うのが世間の常識だそうですが、だからこそ相手を知り、仲良くなって、美味しいものを作ってゆく。そこにパン職人の楽しさがあるといいます。

なお、この本では「タルマーリー」女将の麻里子さんがエピローグを書いています。獅子奮迅する夫を見つめながら、本当に身体と心に良い暮らしや子育てを語ってくれます。

 

温又柔( Wen Yuju)と木村友祐の二人の作家による書簡集「私とあなたのあいだ」(明石書店/新刊1870円)は、サブタイトルに「いま、この国で生きるということ」とあります。

この本は、いまこの国で真っ当に生きていけるのか?という疑問を、台湾生まれで日本語で本を書く温又柔と、虐げられて行き場を失う人々に焦点を当てた作品を出している木村友祐が、語り合います。はっきり言って、かなりしんどい。でもいま私たちが直面している、見たくない、考えたくない状況を目の前に広げてくれます。300ページにも及ぶ往復書簡集ですが、読んでよかったと思う手応え十分の一冊です。

私が本書を読んだのは、こんな文章に出会ったからです。

「飢えの苦しみを味わうことなく、芳醇な餌を与えられながらすくすくと育ったかれらが、痩せっぽちで生まれたきり餌もろくにもらえず喰うものを自力で求めてもがくしかない魚たちにむかって、『おまえは努力が足りない』とあざ笑う姿は、ただもう醜いとしか言いようがありません(いま私も麻生太郎を思い浮かべています)。」

すくすく育ったのは、特権階級の政治家たち。もがいているのは、貧困に苦しむ階級のことです。麻生太郎をこんな風に書いてくれたのを、初めて見ました。木村は「いま私も」と書いているように、温又柔もまた麻生をそういうふうに見ているのです。

空疎な言葉を連発し続けた安倍、国民を見下し続ける麻生のような政治家に実権を握られた日本の政治的社会的状況に、二人の文学者が異議ありの声をあげ、どうあるべきかを語ってゆきます。とりわけ、帰化せずに台湾国籍のまま、国内で文筆活動を続ける温又柔の受けた差別は、いかにこの国が自国以外の人間に優しくないかを実証するものでした。

選挙権がない彼女は、「投票したいなら、帰化するのが礼儀だ」という言葉をぶつけられました。

「礼儀?だれへの?まさか、国への?ならば、日本国籍を所持しながら投票しない有権者のほとんどは、自国に対してものすごく無礼だということになります。」

正論です。本書の持つ力は、二人の言葉の力なのですが、私たちが権力者の言葉のまやかしを打破するための力となるでしょう。

「たとえ、ガイジンで、さらにいえばアジアの、親日であるはずの台湾出身の、それもオンナであるおまえが生意気なことを言うな、と私の口をふさごうとするひとがいても、これからもわたしは、あなたたちこそ、この国の当事者だ、としつこく言い続けます。」と言う、温又柔の側に立っていたいと思います。

 

 

 

 

2018年6月に、梅田香織さんの日傘展を初めて開催しました。ちょうど梅雨入りの鬱陶しい時期でしたが、店内にパッと花開いたような日傘は見ているだけで楽しくて、元気が出たものです。

梅田さんは、長い間ファイバーアートの作家として活躍してこられました。日傘はもともと自分で使うために作り始めたのですが、生地を選び仕立てる工程がとても楽しくて、前回の個展から日傘作りにますますはまり、3年後、パワーアップして戻ってきてくださいました。

古い日傘(昭和30年〜40年代)を解体して、昔の職人さんの仕事に感心したり、何度も布を張り替えて大事に使われていることに感動し、そこへセレクトした布地を張り替えて、新しい命を吹き込みます。生地は主にアメリカのテキスタイルが多く、ユニークで素敵。さらに、梅田さんは傘に縁取りをします。編んだり、収集していたアクセサリーを組み合わせることで、ますます梅田さんのセンスが光ります。

アート作品に取り組んでいた頃も、色々面白い素材を集めて、組み合わせて、新しい作品を生み出してきた、それが、日傘作りにも生かされているようです。梅田さんの日傘は、他にはないユーモアと美しさがあり本当に魅力的です。ぜひ一度ご覧になってください。傘をパーっと広げた瞬間、嬉しくなりますよ。今回は、友人の漆塗りの作家、小田切裕美さん作の真っ赤な柄がついたものもあります。(日傘は18000円〜20000円)

本屋での個展ということで、ブックカバーも並びました。これがまた、梅田テイスト!表地と裏地の組み合わせが絶妙です。(1500円税込)

 

⭐️梅田香織「なつのひがさ」展 

6月9日(水)〜20日(日)13:00〜19:00   月・火定休