伊坂幸太郎の「a night  ホワイトラビット」(新潮社1000円)は、驚く程面白い小説でした。内容というより、その語り口と小説の構成が飛び抜けて上手い!伊坂は元々好きな作家なので、ちょいちょい新作を読んでいるのですが、これはとびきり面白い。

ある家の家族を人質にした立てこもり事件が発生。現場に向かう警察のスペシャルチーム。フツーのサスペンス小説なら、ここから犯人側と警察の息詰るやり取りを重ね合わせてエンディングへ持ってゆくのでしょうが、伊坂はそんなルーティンな作りはしません。本の帯に「展開が思わぬ方向へ飛び跳ねる可能性があります。足下を照らす懐中電灯をお忘れなく」と書かれていますが、もう飛び跳ねまくりです。

サスペンスが盛り上がりそうになると、では読者のみなさんには、少し前に某のその日の行動を見ていただこうと現場から連れ出します。え?事件は???などお構いなしに四方八方へと広がっていきます。昨今の映画によくあるリワインドムービー(一気に現在から過去へ戻り、また現在に戻る)手法や、多くの人物をバラバラと投げ出し、それぞれのエピソードをつなぎながら、大きな物語を作ってゆく方法、あるいはC・イーストウッド監督作品「ジャージー・ボーイズ」で、急に登場人物が画面の観客に向かって語り出すといった演出などが、巧みに取り入れてあります。

しかし、その拡散する話がバラバラになることなく、読者を離さず、しっかりラストまで連れてゆく技は、さすがです。ユーモア、ドタバタギャグのセンスも豊かで、この小説でも方々で笑わせてくれます。一番くすぐられるのは、登場人物の大半が、なぜか「レ・ミゼラブル」を読んでいて、その蘊蓄が語られたり、オリオン座の雑学的知識が小説の小技として使用されたりする部分です。大体、タイトルの「a night  ホワイトラビット」は、海外ならルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」、日本なら「因幡の白兎」を連想させるもので、後者はチラッと登場してきます。本好きをクスリとさせる辺りも用意周到です。

私はこの本と、谷崎潤一郎の紀行エッセイ「吉野葛」、能楽師の安田登「あわいの力」、池澤夏樹「文学全集を編む」、吉田篤弘「京都で考えた」を同時進行で読むという、てんでばらばら、支離滅裂な読書時間を過ごしていましたが、それぞれの語り口を大いに楽しみました。古典も当代人気作家も、分け隔てなく読むのが最も楽しいと確信しています。

なお、読書中の「吉野葛」他も、順次ブログでご紹介していきますのでおつき合い下さい。

 

 

 

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真左・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。数名で満席ですのでお早めに(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

 

オオカミへのイメージって、決して良いものではないみたいですね。生まれて最初に接するのは、かの有名な童話「赤ずきんちゃん」に登場する、ずる賢い残忍なオオカミでしょう。幼少の時にこれをインプリントされたら、オオカミへの印象は悪くなります。

ジム&ジェイミー・ダッチャー夫妻の「オオカミたちの隠された生活」(エクスナレッジ)を読むと、彼らの本当の姿を、文章と魅力的な写真でみることできます。夫妻は、数年間にわたり、米国アイダホ州ソートゥーズ山脈で、オオカミの群れに囲まれた生活を送り、彼らの社会生活を記録しました。2005年には「リビング・ウィズ・ウルブス」というNPOを立ち上げ、保護活動や人々との共生を模索する活動を始めました。

 

このNPOの名誉理事になっているのが、俳優、監督そしてサンダンス映画祭プロデューサーのロバート・レッドフォードで、この本にも序文を寄せています。西部開拓が始まる以前は、彼らは他の動物たちと平和に暮らしていました。しかし、開拓が始まると、家畜を殺すという妄想に取り憑かれた人間は、徹底的な殺戮を始め、生態系のトップの座を奪い取りました。レッドフォードは、オオカミと同じ遺伝子を共有する犬が、ペットとして人間社会で贅沢な特権を得たのに、「とらばさみや、くくりなわ(どちらも苦痛を与えるワナ)に捉えられて拷問のような苦しみを味わい、子どもたちもろとも銃で撃たれ」ている状況を非難し、今日でさえ、有権者に媚を売る州政府に対し「彼らは真剣に問題を考えている野生生物研究者の助言を無視し、これからもオオカミを殺し続けることを可能にする令状を出し続けている。」と現状を憂いています。

本書は、悪者のレッテルを貼付けられたオオカミが、強い社会的絆を持ち、家族というグループの中で、子育てを行い、仲間を守ってゆく動物であり、知性ある存在であることを解説していきます。先ずは、夫妻が撮った写真をご覧下さい。オオカミの写真集と言ってもいい程に、魅力的な姿を見ることができます。

荒々しい大自然の中で生き抜く彼らの表情、体の動きに、時に獰猛さを、時に内なる心の思いに深さに、オオカミとしての尊厳を感じます。力強さ、優しさ、淋しさ、そして喜び等々、私たち人間が持っている感情を彼らも持っていることを知ることになります。

 

アメリカ先住民のことわざ「オオカミの目を見つめることは、あなた自身の魂を見つめることである」が載っているページの側に、こちらを見つめるオオカミの写真があります。深い憂いを湛えたその視線から、あなたはきちんと世界を見ている?という問いかけを感じます。

私は日本語で歌い、踊るミュージカルには興味がありません。ところが、昨日「ビリーエリオット」を大阪まで観に行きました。観劇好きの女房に半分引っ張られる格好でしたが、なによりこのミュージカルの原作に当たる映画「リトルダンサー」が、大好きな映画だったからです。

映画は、サッチャー政権下、愚かな政策で苦しめられる炭鉱の町が舞台です。労働組合の中心メンバーでもある父のもとで育ったビリーは、ある日バレエに目覚めます。頑固でマッチョな父親は、「女のお遊び」のバレエを、息子がするなんてもちろん断固反対です。しかし、やがて息子が類希なバレエの才能を持っている、とバレエ教師に云われた父親は、ロンドンのバレエ学校へと彼を送り出します。錆びれ行く炭鉱の町、未来の展望を持てない人々の日常を描きながら、ビリーの旅立ちと成功を描いた作品でした。

この映画を気に入ったエルトン・ジョンが舞台化に動きだし、音楽を担当し、世界中で大ヒット。日本人キャストで製作されることになり、東京に続き今回大阪公演となりました。

あのダンスが見られるならと、出かけたのですが、いやぁ〜感動しましたね、心から。オーディションで選ばれた子供たち、出演者達の踊りと演技がぐいぐいと舞台へ魅きこんでいきます。ズラリと並んだダンサーの響き渡るタップの音には大興奮。舞台装置も簡潔で、すばらしい3時間でした。

ビリーを演じる少年が、5人が選ばれて、日替わりで演じています。彼らが舞台に出るまでのドキュメントをBSTVで見ました。それぞれに、親の反対に遭遇したり、故郷が震災にあったり、様々な葛藤に直面して、ビリーばりの人生があったのです。

プロの俳優と共に舞台を務めたビリーには、満員の会場から大きな拍手が巻き起こりました。きっとステージ上で自分にむけられた拍手は、少年を虜にすると思います。この先、ブーイングの嵐を経験したり、無視されたり、干されたりの日々もあるかもしれません。そんな時もステージは、いつかまた拍手の中に立てるよと悪魔の囁きを送るのでしょう。そうして、失意のまま、二度と喝采を受けることなく消えていった人がどれ程いるかわかりません。

でも、劇中でビリーにダンスを教えたウィルキンソン先生が、ビリーが旅立つ日に、「幸運を」という言葉で背中を押したように、少年達が自分の人生を、やっぱり「グッドラック」という言葉を送ってあげたい気持ちで劇場を後にしました。

角幡唯介を最初に読んだのは、2010年度開高健ノンフィクション賞を受賞した「空白の五マイル」(集英社900円)です。

角幡は早稲田大学探検部OBで、2002年から翌年にかけて実施されたチベット、ヤル・ツアンボー川峡谷という誰も入ったことのない峡谷を単独で調査、探検を行い全容を解明しました。その記録を本にしたのが「空白の五マイル」でした。

こういう秘境探検もの、海洋冒険ものノンフィクションは、つい手が出てしまいます。ヤル・ツアンボー川峡谷単独行で、生と死のはざまを経験し、彼が学んだことは「冒険は生きることの意味をささやきかける。だがささやくだけだ。答えまでは教えてくれない」でした。

次に手に取ったのは、2016年に発行された「漂流」。これは、本人が漂流した話ではありません。

1994年、フィリピンのミンダナオ島沖合で、一隻の救命筏が発見されて、数名の船乗りが救助されました。彼らは37日間、漂流を続け死の一歩手前で助けられました。船長は日本人で名前を本村実といい、沖縄の漁船でした。救命筏で漂流し助けられたという記事に興味を持った著者は、本村を取材したいと思い立ち、自宅に連絡します。取材の申し込みに対して、電話口に出た妻と驚愕の会話が始まります。妻はこう切り出します

「じつは、十年ほど前から行方不明になっているんです」「えっ…….」「前と同じように漁に出て帰ってこないんです…..。」「前みたいに漂流して…….。グァムに行って、港を出て、しばらくして帰るという連絡があったんですが、それっきり連絡がこないんです…….。」

また漂流した………?

これ、船ごと次元の裂け目に巻き込まれたとか、宇宙人に襲われたという類いのSF小説ではありません。最初の漂流の後、陸に上がった本村はその8年後、再び海に出ます。何故、もう一度海に出たのか、何故、消えてしまったのかを、関係者への膨大なインタビューを基にして書かれたノンフィクションです。神隠しにあったみたいに何の痕跡もなく、海の彼方に消えて、漁師としての人生に幕を降ろしてしまいました。

「彼にふたたび海に行くことを強いた要因の奥底に土地と海の力があったのなら、断片でもいいから、その力を感じ、その臭いをかいでみたい。」

海の男の生い立ち、その後の人生の足跡を追いかけて、グァム、フィリピンにまで向かう長い道程を追体験してゆく長編。人を癒してくれる優しい自然ではなく、荒々しく人生に介入して、自然の彼方に引っぱりこみ、魅入られてゆく著者のドキュメントでもあります。

 

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

 

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。数名で満席ですのでお早めに(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

       

 

吉田篤弘の新刊「京都で考えた」が、ご当地京都先行販売(ミシマ社/初回サイン&ポストカード付き1620円)で入荷しました。

「京都は百万遍にあるほの暗い喫茶店で、角砂糖付きの珈琲を飲みながら、買ったばかりの本のページをめくっている。」なんて出だしを読むと、これは著者好みの本とカフェをめぐる本かいな、と思ってしまって読み続けると痛い目に合います。難しい言葉を駆使した読みにくい文章では全くありませんが、著者が「京都で考えた本」という存在について引っぱり回されます。

先ず、著者の文体と思考法に、同調してください。そうしないとこの本の奥深い楽しみがわかりません。私は、

「本というのは、われわれが身を置いている日常の空間をところどころ押しのけるようにしている方がいい。疎ましくて結構。厚みや重みがあってこそである。いわば、その重さを買っているのである。」

という本の定義めいたことを述べているあたりでシンクロナイズに成功。後は著者の脳内思考の流れにのって、あっという間に読み終わりました。本を読むとはどういうことなのか、とぶつぶつ言いながら、碁盤の目のように続く京都の町中を一緒に彷徨い歩くような本とでも言えばいいのでしょうか。

「生活空間を圧する物理的な重さや大きさが、手の甲に書くべき『忘れてはいけない』ことをアラームのように教えてくれるのだ。人の記憶などというものは、自分の容量に加えて、友人、知人の脳まで駆使しても、結局『忘却』の力には抗えない。しかし、本は忘れない。」

本棚の奥から出て来た時、その昔の記憶がふぁっと甦ることってありますよね。私たちが忘れてしまったことも、本は覚えているのかもしれません。

著者は本屋をこんなステキな文章で表現しています。

「『木の葉を隠すなら森の中に隠せ』と云うが、言葉が隠されている森が書店であり、それも物語の入り口になるような言葉が至るところに隠されているのだ。」

そうすると、さしずめ書架は森の木になるのか。木で出来た書架に置かれた本が、居心地良くしているのはそういうことだったのかと、思わず店の節のある木で作ってもらった書架を振り返ってしまいました。

 

 

奈良の古本屋さん「とほん」が編集しているミニプレス「ブックレットホン」の2号(648円)が出来ました。特集は「椅子と本」です。

「たとえ本を読まなくて膝の上に本を置いて居眠りをしても楽しいという椅子にめぐりあえば、人生の時間の感触はきっと違ってきます」という詩人、長田弘の言葉を引合に出して、おぉ〜この場所の、こんな椅子なら読書にいいなぁ〜、昼寝に最適!と思わせる椅子が登場します。古書店、駅前広場、屋上庭園等々、秋の一日訪れたい場所が掲載されています。とりわけ、JR桜井線にある京終駅(きょうばてえき)の木造、屋根瓦の駅待合室はいい感じです。目を上げると、よっ、と寅さんが立っていそうな雰囲気です。

よく調べたなぁ〜と感心したのは、室生犀星がある宴席で萩原朔太郎が暴行を受けそうになった時、咄嗟に椅子を持って駆け寄り彼を守ったという話です。このエピソードは、「萩原朔太郎全集」に収録されているのですが、当事の文士たちの素顔がわかります。

「ブックレットホン」と一緒に送られてきたのが、「比礼ふる」の創刊号(1080円)です。

特集がユニークです。「奈良の氷」。電気のない古代、冬の氷を保存する技術「氷室」をめぐる考察です。奈良時代に、すでに氷室の技術があり、「日本書紀」に書かれていた氷室のあった場所が、天理市福住町で、今も氷室跡が残っているそうです。また、奈良市内には氷室神社と呼ばれる、全国の製氷業、氷販売会社が信奉する神社があります。2014年からは「ひむろしらゆき祭」というかき氷の祭典がスタート。全国のかき氷ファンが集まってきます。

よくある観光雑誌とは全く違う視点で、奈良の奥深さを伝えてゆこうとする編集部の熱意が伝わる本です。

さて、盛り上がってきた奈良で、この秋「はならぁと2017」というアートの祭典が行われます。エリアによって開催時期が異なりますが、10月20日前後からスタートです。現代美術、音楽、インスタレーション、映画等の展示会が様々な場所で開催されます。その総合案内ブック「はならぁと2017PASSPORT」(500円)が入荷しました。各展示会の内容、アーティストの紹介、会場へのアクセスまで網羅した一冊ですので、このパスポート片手にお出かけください。パスポート購入者のための特典もありますよ。

とにかく混み合う京都市内でウロウロするなら、こちらのイベントをお薦めします。

例えば、嫌な仕事をなんとか乗り切った翌日。下らないいざこざに決着を付けた夜。そんな時に沢木耕太郎の「彼らの流儀」(新潮文庫300円)をポケットに入れて、電車やバスを待っている時に好きな部分を読めば、足下が軽くなってきます。

普通に生きている多くの人々の人生の「一瞬」を掴み出して、エッセイでもなく、小説でもなく、ノンフィクションでもない手法で描いた33篇の物語です。

平成3年、朝日新聞社より単行本が発売された時、書店で最初の短篇「ナチュラル」を立ち読みし、即決で買ってしまいました。「ナチュラル」は、ロバート・レッドフォード主演の野球映画の名作です。映画のラストシーンでファンタジックなホームランが飛び出すシーンと、野球選手だった父親の後を追い、プロの世界に飛び込んだ息子の選択を描いた、たった5ページの短篇です。ぜひ、映画も見て下さい。そうすれば、ラスト数行に涙してしまいます。

 

あるいは、「最後のダービー」。これは、年老いたドライバーが、老朽化したタクシーを運転する車に乗ったときの、沢木との会話で成り立っています。競馬の話は最後まで出てきません。戦前からハイヤーのドライバーとして生きてきた老人は、78才になって、ドライバー人生に幕を降ろすことを決心します。土曜日、車に乗って場外馬券を買いに行く楽しみも最後です。その寂しさと、納得のゆく人生を送ってきた満足感を、やはり数ページで描きます。

こういうストーリーを読むには、やはりこちらもちょっとした人生の坂道を上り下りした時がベストでしょうね。さて、明日から…..と顔を上げさせてくれるのに、市販のビタミン剤よりも効果絶大かもしれません。

もう一冊、沢木の「流星ひとつ」(新潮文庫500円)。これは歌手藤圭子へのインタビューを、丸ごと収録したインタビューノンフィクションの傑作です。目次は、「一杯目の火酒」「二杯目の火酒」と続き、「最後の火酒」でおわります。1979年秋、東京ホテルニューオータニのバー「バルゴー」で、酒杯を重ねながら、藤圭子の心の奥へと降りてゆく作業を本にしたものです。芸人の子供として、小さな時から「三条純子」という芸名で全国を流れてきた彼女は、15才のころには、「何も考えないで生きてきた。人生について考えるのなんて、25過ぎてからでいいじゃない」「わかっていたことは、食べて、寝て、生きてゆくことだけ」と沢木に呟いています。そして、音楽業界で認められて、ヒット曲を連発し、若くして結婚、一年後に離婚。28才で芸能界を去る決意をするまでの人生を語り尽くします。まるで、沢木と一緒に酒を飲みながら、彼女の話に耳を傾けるような臨場感溢れる作品です。一気読みしそうです。                                                                                                                                                                                                                          

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真左・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

 

 

 

 

 

 

 

3連休最後の月曜日(祝日でも当店は月曜定休です)、姫路市立美術館で開催中の「リアルのゆくえ」(11月5日まで)という美術展に行ってきました。

明治以降、西洋の写実技法に多くの画家たちが学び、数々の作品を発表してきました。日本洋画の先駆者、高橋由一の「鮭」が入口を飾り、明治から大正、戦争を経て現代まで、写実表現の変遷を堪能できる多種多様な絵画を集めた企画展です。

明治9年生まれの寺松国太郎の「サロメ」が、実にエロいことに感激です。むっちりした腰回り、ふくよかな乳房の女性が、その胸元にサロメの首を抱きしめているという構図で、美術的にどうのこうのというより、こら、おっさん何考えてるんや、このスケベ野郎と言いたくなる作家の妄想力に打ち砕かれました。

そんな下劣な私の性根を浄化させたのが、明治23年生まれの高島野十郎の「蝋燭」でした。蝋燭の炎を描いただけの作品なのですが、じっと見ていると、ジリジリという音まで聞こえてきて、その炎が揺らめいてくるのを感じます。炎が内包している精神性、あるいは宗教性までもが画面から立ち上ってきます。彼より数年後に生まれた中原實は、シュルレアリズム等の新しい表現に触れたことが画風に影響を与えているような「昼の星雨」が展示されていました。ポップでモダンなセンス溢れる作品で、硬質でヒンヤリした感覚が私好みです。

そして、こんな場所でお目にかかるなんて!と喜んだのは、長谷川 潾二郎の「猫」です。赤い絨毯の上で、暖かそうな顔つきで寝ている猫を描いた作品です。リアルなんだけど、どこか幻想的で不思議な世界は、同時に出品されていた「静物」、「代々木風景」といった作品にも見受けられます。

最も心に残ったのは、大正7年生まれの河野通紀の「淋しい水」でした。黒い背景に、机の上に載った鍋に入った水を描いたものですが、徹底的に精緻に描き込まれた作品からは、画家の内面が浮かび上がり、それが私たちの心に入り込み、様々な感情が湧いて来る作品です。

展示の規模、内容、そして適度な混み具合などすべてが満足のゆく美術展でした、暑い中、姫路まで行ったかいがありました。

 

 

 

★入荷しました!

吉田篤弘「京都で考えた」(ミシマ社1620円)入荷しました。初回サイン入りです。

 

沢朱女さんの絵は、妖艶で、可愛らしく、孤独だけれどそれが哀しくなく、夢の中に漂っているような幸せな気分になります。

待望の沢朱女作品展は、2014年に続き2回目となりましたが、今回は銅版画とアクリル画で、どの作品も何かしら物語性があり奥行きを感じます。

入口の壁には、秋に相応しく「竜田姫」が飛翔している作品が掛かりました。梨木香歩著「家守綺譚」の、紅葉の項にあるお姫様が竹生島へ渡っていかれる姿のようです。他にも、宮沢賢治から「グスコーブドリの伝記」「オツベルと象」(写真左)をもとに沢さん独自の解釈で銅版画が出来上がりました。本屋のギャラリーでの展覧会ということで、特に考えて頂いたのかもしれません。とても嬉しい!

DMになった「月と少女」(写真上)の夜空を見上げる少女は、きっと作家自身だと思うのです。さえぎるもののない雪の荒野に、小さな女の子のくっきりとした影を作る月は、子ども時代に見上げた月にちがいないと。そう思うのは、沢さんが初めてのエッセイ「飯場と月」に書かれていたからです。「その夜、さえぎるもののない荒地に建つ小屋の上に月光は煌々と降りそそぎ、屋根の下ではさえざえとした明るさのなかで、息をのむ子供がいた。」

「飯場と月」(ヒャクジツコウ舎1350円)は、父である日本画家、沢宏靱(さわ こうじん)との山での暮らし、貧しいけれど愛にあふれた、うらやましいほど心豊かな家族との日々が描かれています。以前店長日誌でも紹介していますが、作品展でも販売していますので、ぜひ手に取って見て下さい。

そして、たくさんの美しいポストカードは、ずらーっとギャラリーの台の上に並んで壮観です。心ゆくまで沢朱女ワールドをお楽しみ下さい。 初秋にピッタリの作品展にお運び頂けたら幸いです。(女房)

 

沢朱女作品展 10月10日(火)〜22日(日) 月曜定休日 12時〜20時(最終日は18時まで)

 

 

 

★安藤誠ネイチャートークショー「安藤塾」今年も開催決定しました。

北海道のネイチャーガイドで、釧路ヒッコリー・ウインドオーナー安藤誠さん(写真右・愛犬キャンディと)のトークショーを10月25日(水)19時30分より開催します。(要・予約 レティシア書房までお願いします) 

 

 

 

 

1949年生まれ、29才で精神安定剤の大量摂取でこの世を去ったアルト奏者、阿部薫。彼と結婚し、短い一生を見送った女優&作家、37才で首をくくった鈴木いづみ。この二人のどん底の、傷だらけの愛と憎しみを追いかけた稲葉眞弓の小説「エンドレスワルツ」(新装版/絶版900円)は、小池真理子が解説で指摘するように、60年代の政治の「祭りの時代」の後の時代を生きた男と女の臭いを見事に小説化しています。

フリージャズ奏者の阿部の音楽は、一度だけレコードで聞いたことがありますが、こんなに悪寒の走る、ぞっとする狂気に満ちた、奏者の心の内側をまともにぶつけてくる音楽は初めてでした。ジャズ喫茶の大音量で聴いたので、咽喉を押さえつけられるような気分でした。一方の鈴木いずみはヌードモデルやピンク女優を経て、「声のない日々」になり、その後作家として活躍しました。

小説は1973年8月「今日も一日ラリっていた。朝起きると、いやな苦みが口の中にあって、どこもかもがどんよりと見えた」といういずみの日常から始まります。彼女が、青白い顔をした薫に出逢い、クスリ(麻薬ではなく、薬局で販売している睡眠剤、精神安定剤)とアルコールとセックスにドボドボになりながら、なんとか一日、一日を生きてゆく様がドキュメンタリータッチで描かれていきます。

以前店長日誌で、稲葉眞弓の「半島へ」という、静かな静かな小説を紹介しましたが、この小説は容赦ありません。小説家の魂が、いずみの肉体に宿り、あるいはいずみの精神が小説家の肉体に激しくぶつかりながら、この時代を生きた女の精神史を甦らせていきます。多分に、読者にもその過激さで切り込んできますので、読む前はご注意ください。

78年の薫の後、茫洋たる日々を送っていたいずみは、1986年2月、寝ている娘のベッド横で、ストッキングで首を締めて世を去ります。小説はここで終ります。ここまで書き込んだ作家の強靭さに、拍手を送りたいです。

「鈴木いずみ語録・コンパクト」(文遊社650円)の後書きで、松岡正剛は、彼女が文学界新人賞候補を担った時、このアグレッシブな作家に対して文壇が及び腰になったことに言及、こう書き添えています

「逃げてはいけない。とくに大人やプロは。しかし、多くの大人のプロたちは、寺山修司や荒木経惟や上野千鶴子をのぞいて、鈴木いずみの作品から逃げたのである。もしここで彼女が文学の微笑に包まれていたならば、いづみは自殺しなかったか、それとももっと凄い作品を書いていた。」

いずみの死後、山田詠美が、岡崎京子が、登場し、文壇で、漫画界で活躍を始めます。異端を時代が認めた始まりでした。 

 

 

★吉田篤弘の新刊「京都で考えた」(1620円)が発売されます。

全国発売は10月20日ですが、京都地区先行販売が決まりました。また、ご予約された方には先着でサイン本をお渡しします。先行発売は10月12日(木)です