昨晩、ベランダから中秋の名月を観ながら、お酒を飲んでいました。ゆったりとした気分が流れる時間でした。そんな気分置いて、ご紹介する本は、おぞましい3冊です。(嫌味ではありません)

H.R.ギーガー、あぁ〜、あの化け物をデザインしたアーティストかと思い出された方、そうです。映画「エイリアン」に登場する凶暴異星人を創り出した人物です。おぞましく、悪寒の走る凶悪な怪物と、彼らの住む湿気ムンムンの惑星を造形し、観客を恐怖のどん底に落としました。その後、映画はシリーズ化され、私も映画館で観て、DVD まで買った”愛すべき"シリーズです。

そのギーガーの作品を集めた画集を3点入荷しました。先ずは「ギーガーズエイリアン」(トレヴィル/古書4000円)です。これはタイトル通り、映画のために彼が創造したキャラクター、舞台背景を集めたものです。エイリアンが生まれる卵や、人間の顔に取り付いたエイリアンの子供など、目を背けたくなる造形物で一杯です。この映画でギーガーは、一躍世間に知られるようになり、国内で個展も開催されました。確か西武大津店の美術館に出かけた記憶があります。

ギーガーは長いキャリアを持っているシュールレアリズムの画家です。そんな彼の歴史を振り返ったのが「バイオメカニクス」(トレヴィル/古書4000円)。1964年、チューリッヒの美術学校に通っていた頃の作品から本書はスタートします。グロテスクさと、悪魔的幻想さを兼ねあわせた作風は若い時から突出しています。狂気と正気の境目まで行ってしまったかのような、凶暴な線が乱舞するスケッチなど、この作家を理解する上で重要な作品も多数収録されています。

そして3冊目「ネクロノミコン」(トレヴィル/古書3000円)。タイトルの「ネクロノミコン」とは怪奇作家ラヴクラフトの一連の作品に登場する架空の書物です。ラヴクラフトが創造したクトウルフシ神話の中で重要なアイテムとして登場し、クトゥルフ神話を書き継いだ他の作家たちも自作の中に登場させて、この書物の遍歴を追加しています。ギーガーは1977年に本作品集を発行し、収録作の一つ「ネクロノームIV」に描かれた異形の怪物が「エイリアン」の原型になっています。

グロテスクな作品のオンパレードですが、魅力的でもあります。人間の憎悪、狂気、妄想の極地に到達したからこその、無機質な美が確実にここにはあります。今でも、熱心なファンが多いギーガーですが、未見の方は、怖いもの見たさでページを開いてみてはいかがでしょう。なお、「ギーガーズエイリアン」以外の2冊は縦43cm横30cmの大型美術本なので、迫力十分です。

今晩の月には、ウサギではなくエイリアンが映っているかも…….。

 

 

 

 

「本の雑誌」に吉野が連載していた書評というか、本を紹介するコミック「お父さんは時代小説が大好き」「お母さんは『赤毛のアン』が大好き」「弟の家には本棚がない」「本を読む兄、読まぬ兄」「犬は本より電信柱が大好き」「神様は本を読まない」、悪魔が本とやってくる」「天使は本棚に住んでいる」全8冊のうち、「弟の家には本棚がない」(古書600円)、「本を読む兄、読まぬ兄」(古書600円)、「悪魔が本とやってくる」(800円)、「犬は本より電信柱が大好き」(古書800円)を入荷しました。

まずは「悪魔が本とやってくる」がオススメです。「シンデレラ」を読んでいる少女のそばに来た悪魔が、結婚したシンデレラと王子の将来についてこう囁きます。

「だって苦労知らずのバカ王子と苦労人の美少女だよ うまくいくわけないじゃん」「きっと浮気するね」と言い残して消えていきます。この最初の一編だけで、笑えてきますよね。このイントロにハマったら、本編もどんどんいきましょう。

本編の主人公は、ウエルッシュ・コーギー犬を一匹飼っている著者です。毎回、読んだ本についての読書体験がユーモアたっぷりに描かれています。幅広い本が紹介されています。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、穂村弘「君がいない夜のごはん」、アシモフ「コンプリート・ロボット」などなど、ジャンルクロスオーバーしていくところがミソです。阿佐田哲也「Aクラス麻雀」まで遡上に上がっているのですから。

そして、そこに紹介されている本を読みたくなるかと言えば、まぁそうでもないところが良いのです。本筋とは全く無関係なことばかりの章も沢山あります。本を肴にして、ほのぼのとした味わいのあるコミックが展開し、おっ、この本で、こうくるか??というヒネリを楽しんでください。

「本を読む兄、読まぬ兄」の「他人の本棚」という章で、堀江敏幸「雪沼とその周辺」、ポール・オースター「トゥルー・ストーリーズ」、ステーブン・ミルハウザー「マーティン・ドレスラーの夢」の3冊が登場します。いかにも、という本であることは、読書好きの貴方ならお分かりでしょう。主人公の独白はこうです。

「自分が人に見せるなら見栄を張ってミルハウザーとかオースターとか堀江さんとか並べちゃうかな でもそれじゃ芸が無いよな きれいすぎる わざと読んでもいないベストセラーでも入れるか んーあざとすぎる じゃあ誰も知らなそうな渋い本を」

その一方で、知らなかった事実をゲットしたりもできます。ベケットの戯曲「ゴドーを待ちながら」がアメリカで初上演された時のこと。あまりに退屈で、理解不能だと客がみんな帰ってしまったのですが、二人だけ最後まで観た客がいたのです。その二人とは、なんとウィリアム・サローヤンとテネシー・ウイリアムズだったそうです。

「必読!」とか「癒されます」と言った陳腐な推薦の言葉は全く登場しません。なんだか読書がさらに楽しみになる不思議な4冊です。それぞれの本のタイトルが意味深のようでもあり、そうでもないようでもあり…….。

 

海外文学で台湾、韓国の作家が注目されています。白水社エクス・リブリスという海外文学シリーズに、若手の旬な作家の作品が集められています。その中の一冊、呉明益の「歩道橋の魔術師」(古書/1800円)を読みました。

今年、最も鮮やかな印象を残す短編集でした。ノスタルジックな雰囲気に抱きしめられて、読書の快楽を思い切り感じさせてくれました。

呉明益は、1971年台北生まれのエッセイスト、小説家です。本作品には、タイトルになっている「歩道橋の魔術師」のほか、10作品の短編が収められています。そして、幾つかの作品に魔術師が登場し、物語に深い幻想的雰囲気を出しています。

舞台は、戒厳令解除(1987年)の前夜、台北の繁華街「中華商場」。経済成長の熱気ムンムンの商店街に生きる子どもたちが、遊び、学び、働いている姿には、日本の昭和30年代〜40年代のノスタルジックな雰囲気が濃厚です。作者自身、尚場で青年期を過ごしています。だからと言って、そんな気分だけの物語ではありません。

歩道橋に魔術師がいて、現実世界とは違う世界を見せてくれる。しかし、それはともすれば、子どもたちを、現実とイリュージョンの彼方へと引きずりこみます。ただ、物語の視点は、大人になった子どもたちのそれであり、あの時代を見つめ、すでに自分の人生の方向が決まっていたことを冷ややかに思い出すのです。その距離感が、巧みです。

本作を翻訳した天野健太郎は、「呉明益の平易で、かつしっかりとした透明感のある文体は淡々と人物、会話、風景を描写し、でも最後、なにかがこぼれ落ちたように、たしかに心をうつ。」と解説しています。

「たしかに心をうつ。」 ホント、そうなんです。

「わたしは浴室に向かって叫んだ。ねぇ、服借りていい? いいよ、右手の戸を開けると、シャツが入っている。わたしはクローゼットを開けた。するとそこにゾウがいた」

という不思議な描写で幕をあける「ギラギラと太陽が照りつける道にゾウがいた」という小説には、読者の心をうつ、何かが潜んでいます。昨今、簡単に号泣させたり、感動させたりする小説が多いのですが、そんなレベルとは遠く、忘れていた自分の心の痛みや、甘酸っぱい後悔を思い出す傑作短編が並んでいます。

絶対、オススメです。

昨年だったでしょうか、「翻訳できない世界の言葉のことば」という本がベストセラーになっていました。著者はエラ・フランシス・サンダース。彼女の新しい著書「ことばにできない宇宙のふしぎ」(創元社/古書1300円)をご紹介します。全51章で、左ページに彼女の描いた素敵なイラストが、右ページに文章が載っています。

第1章「私は炭素でできている/ I am made from carbon」は、こんな文章で始まります。

「恒星は、死ぬとき最後に大きな一呼吸を終えると、焼きすぎたスフレのように中心に向かって潰れていきます。このとき、星の外側の物質が、広大な無で在り同時にすべてでもある宇宙空間に放出されます。毎年4万tものこんな星くずが地球に放り注ぎ、そして、その星くずは、地球上の命の絶え間ない営みに使われる元素を含んでいます。」

科学で解明された事実を、文学的な文章で表わすためには高度な技術が必要でしょう。著者は時にクールに、時にユーモラスに、宇宙を、原子の世界を、自然界の摂理を、語っていきます。「私たちは、太陽を食べていきます」なんて一文に出会うと、え、ホンマかいな?と思いつつ、引き込まれていきます。

静かな空間を滑るように進む宇宙船が登場するSF映画の影響かもしれませんが、なんとなく宇宙って静謐な空間だと思っていますよね。しかし「実際には、宇宙はとんでもない騒音と、絶え間ない大混乱に満ちているのです。」と著者は言います。60年代に天文学者は、鬱陶しい雑音が宇宙から聞こえてくることに気づきました。これは、「ビッグバンの残滓である『宇宙マイクロ波背景放射』で、宇宙で最も古い音だったのです。それ以来、私たちは宇宙の奏でる精巧で不思議な音を知るようになりました。」と続けているのですが、天文学や、宇宙物理学の難しいことばを使わずに、この宇宙空間の不思議さを解説していく手腕がお見事です。現代科学で解明されていった事実が少し身近に感じられる、小さな、でもとても美しい本なのです。

私が一番気に入ったのは、「私たちのDNAは、チンパンジーとも1.3%しか違わないのです。また、90%は猫と、80%は牛と、60%をニワトリと、もしくはショウジョウバエと共有し、バナナとさえも50%の遺伝子を共有しています。」という件りです。

地球上の全ての生きものは、程度の差こそあれ、遺伝的に共通している。”We are The one”という所ですね。アメリカ第一主義という単語しか知らないトランプ氏の脳細胞に刷り込みたいものです。

 

アンドリュー・ワイエスという画家をご存知でしょうか?

戦前から戦後にかけてのアメリカ東部の田舎に生きる人々を、鉛筆、水彩、などで詩情豊かに描きました。柔らかい画調で描かれたような世界が、映画「ゴールデン・リバー」のラスト5分間に登場します。長い旅から戻ってきた二人の兄弟を迎え入れる老いた母親。久々に浴びるお風呂、ベッドに寝転ぶと、柔らかい日差しの向こうから吹き込んでくるそよ風。地上の天国のような情景です。でも、そんなシーンは5分間のみです。

ヨーロッパで多くの映画賞を受賞してきたフランス人監督、ジャック・オーディアール初の西部劇「ゴールデン・リバー」は、西部劇のスタイルをとっていますが、多面的な面白さを見せてくれる作品でした。

先ず、撃ち合いシーンにカタルシスも、格好良さも全くありません。主人公は、殺し屋稼業の兄弟。シスターズ家の「シスターズブラザー」です。ゴールドラッシュ真っ盛りの時代、特殊な薬品を使って、砂金を見つける方法を知っている化学者を追いかけ、その方法を奪って抹殺することが与えられたミッションです。西へ、西へと向かってゆくのですが、その道中の描き方がユニークです。寝込んでいびきをかいていた兄の口に大きな蜘蛛が入り込み、飲み込んでしまい、次の日、顔がむくみ、悪寒と白熱で苦しむ兄イーライ。初めて、歯磨き粉を買い、楽しそうに歯を磨くおとぼけぶりもあります。また、山中で夜を明かした時、熊が乗ってきた馬に襲いかかってきます、熊を撃ち殺したものの、馬の頭部に傷が残り、ハエがたかり傷が悪化し死んでしまいます。可愛がっていたイーライは、死体を前にして呆然とします。

あっちへふらふら、こっちへふらふらと無為な日々、果てのない殺し合いが続いていきます。やっと見つけた化学者でしたが、砂金に目がくらみ、山分けを条件に砂金掘りに協力します。はは〜ん、この連中が仲間割れを起こして殺し合いをして映画は、その業の深さと人間の愚かさを描いてエンド、と、ある程度映画を見てきた者なら予測しますが、大外れです!

特殊な薬品を川に流すと、不思議なことに砂金が光るのです。そのことに狂喜した連中は、なんと薬を全部川にぶちまけるのです。この薬品には、人間の肌には良くないものを含んでいたのでしょう。皮膚は血だらけになり、苦しみ出し、のたうち廻って死んでしまいます。なんとか、難を逃れた兄弟でしたが、弟チャーリーは、腕がボロボロになっていて、そのままでは毒素が全体に回るので、飛び込んだ医者の家で、ノコギリで腕を切断します。最初、ギコギコという音がしていたので、何かなと画面を凝視すると弟の腕……。

地獄のような旅を描いた作品ですが、ラストに登場するのが、アンドリュー・ワイエス的世界です。兄弟には天国のような穏やかな時間が流れます。観客も救われた気分です。

作家の乃南アサは、この映画を評価して「すぐ傍まで文明が押し寄せている西部開拓時代に、あえて荒野を目指す兄弟の姿は、そのまま欲望と理性、未開と文明とを象徴している。」
さすが、美味い表現です。
蛇足ながらワイエスの作品集、”ANDREW WYETH”(洋書3000円)が店にあります。
いい作品が並んでいますよ。

 

本日より松本紀子さんの写真展が始まりました。

タイトルの「そのかわり その代わりに」というのは、シンガーソングライターのヤマモトケイジさんの「ストーリー」という楽曲にある言葉。松本さんはヤマモトケイジさんの紡ぐ言葉が好きで、5ヶ月に及ぶフォトセッションを重ね、彼の魅力を写真で表現しようと「ストーリー」の歌詞とともに小さな写真集「そのかわり、その代わりに」(税込1000円)を作りました。レティシア書房に写真集を持ってこられたのがお付き合いの始まりです。

アコースティックギターの音色が聞こえてくるような作品の数々。松本さんが、ヤマモトさんの音楽を愛し、深く理解しようとしたから撮ることのできた写真ではないかと思います。岡山市内にある大正時代に建てられた「禁酒会館」の中で撮影された写真は、風格のあるインテリアがとても素敵で、そこにだけ流れる静謐な空気を感じました。

「声あげたその日から  数えきれぬほどに重ねてきた  すてきなこと  許せぬこと  涙あふれるほどふるえること  ひとりひとりが胸にあずけたもの  思い出でこの星はあふれている  知らぬ間に時は往き  楽しみに待つことも  ああ、減りました  そのかわり  その代わりに  あなたの横にいる、それが楽しく  ひとつひとつが意味を紡がずとも  今ここにあるものが偶然でも  めぐる季節がうたうように終わる日まで  どうかこころのままに歩いてゆけ」

この写真展のテーマ「そのかわり その代わりに」の歌詞です。歌詞のひとつひとつが写真のタイトルになっています。遠くを見つめる眼差しと、目の前にある愛しいものたちが、美しく捉えられていて、穏やかな心持ちになる作品が並んでいます。幸せというのは、実は小さなもので、大きな幸せなんてものはないかもしれません。静かに考える時間、大切な人と過ごすひとときを大切にしたいと思う写真展です。

松本さんは岡山県出身、京都の大学で4年間過ごされました。この写真展が、東京、岡山、大阪に続き、懐かしい土地で開かれたことにささやかなご縁を感じて、またこの続きをぜひ見てみたいと思っています。残暑厳しい折ですが、少しほっこりした気持ちになってください。なお、ヤマモトケイジCD「青図点描集」(1300円)も販売中。(女房)

★松本紀子Photo Exhibition「そのかわり  その代わりに」9月10日(火)〜15日(日)12:00〜20:00(最終日は18:00まで)

 

 

 

 

 

物語の面白さに目覚めた最初は、小学校低学年のとき、親が買ってくれた「少年少女ベルヌ全集、第1巻海底二万マイル」(学研)でした。作者のジュール・ガブリエル・ヴェルヌ(1828〜1905年)は、フランスの小説家でSFの父とも呼ばれる存在。「海底二万マイル」は、誰も見たことのないような潜水艦ノーチラス号に乗って、世界を駆け巡るネモ船長の物語で、読まれた方も多いも思います。

深海で起こる様々なドラマや大ダコとの格闘など、子供にとっては血湧き肉踊るワクワクする世界でした。何度も読み返して、自分自身もノーチラス号に乗っているような錯覚に陥ったものでした。

今回、副音館書店から再発されている「海底二万海里」(古書950円)を読み返しましたが、その面白さは他のベルヌの作品の中で群を抜いていました。時代設定は1866年。「いくつかの船が海上で<何かばかでかい物>に出会っていたのだ。それは、長い紡錘形の物体を発し、クジラよりもはるかに大きく、またずっと速かったのである。」という、なにやら不気味なオープニングで始まります。もちろん当時は、潜水艦なんてものは存在しません。現代の潜水艦に通じるイメージを創り出したベルヌの筆の力には恐れ入ります。

ネモ船長率いるノーチラス号に乗船することになった、アナロックス教授たちとの深海への旅が物語の中心です。未知の生物たちとに遭遇したり、海底を特殊な服を着用して歩いたり、地図上にも書かれていない島々の美しさに驚かされたり、とレイチェル・カーソンが言った「センス・オブ・ワンダー」の世界が広がっていきます。

その一方で、ネモ船長の複雑な心の内へと物語は入っていきます。この男は何者なのか、どこの国の人間なのか、船を建造した目的は何なのか………。深海に佇むノーチラス号の中で一人パイプオルガンを弾く船長には人を寄せ付けない孤独があります。そして、軍艦への激しい憎悪はどこから来るのか。

当時のヨーロッパは、大国による植民地争奪の時代でした。征服され、略奪されてゆく未開の国々。圧政を行う文明国への激しい怒りは、実は、著者ベルヌ自身の被圧迫民族解放の擁護者としての思いだったのです。小説のなかで、ネモ船長は未開人よりも野蛮な文明国家への怒りを表し、「地球に必要なのはあたらしい人間だ」と断言します。

そう、この小説には力のない者の侵略に対する抗議が底辺に流れているのです。日本による東南アジアへの侵略、アメリカのベトナム侵攻、ソビエトの東ヨーロッパへの武力介入などなど、野蛮な行いは続いています。だから、ネモ船長の怒りと悲しみが、切実に迫ってくるのかもしれません。

本作は、1954年ディズニー製作で劇映画として上映されました。それ以降、一度も映像化されていません。ネモ船長の深い人間性を中心にした映画が作られることを期待します。

 

奥田英郎という作家は、以前にも東京オリンピック開催前の東京を描いた「オリンピックの身代金」を発表しました。「罪の轍」(新潮社/古書1200円)も、オリンピックを翌年に控えた昭和38年の浅草と、北海道礼文島が舞台です。

奥田は、ジャンルで言えば推理もの作家の範疇に入るのかもしれませんが、本作は、純文学とか推理小説とかのジャンルを飛び越えた約600ページの大作。大きな物語の波に飲み込まれます。

主人公の一人宇野寛治は、礼文島で暮らす漁師見習いですが、一方で空き巣の常習犯でした。

「黒い海を眺めていたら、体が冷えてきて、寛治は両腕をこすった。夏とはいえ、日本の北端の夜は半袖ではいられない。ひとつくしゃみをして、寛治は見張り台を降りた。再び布団に潜り込み、ラジオをつけた。北朝鮮の放送が混線する中、弘田三枝子の`『ブァケ〜ション』が流れてきた。」

豊かさと明るさ一杯のこの曲に導かれるように、彼は東京へと向かいます。もちろん非合法な手段でですが….。

繁栄の象徴、首都東京。しかし、「山谷の夏は町全体にゴミと汗と酒の臭いが充満し、町井ミキ子は子供の頃から大嫌いだった。今日も朝から気温が三十度を超え、路地裏の隅から隅まで不快な臭気が漂っている。」という町でもありました。三谷の旅館を経営する母を手伝う町井ミキ子は、ふとした事から寛治を知り、深い悲しみに満ちた事件に巻き込まれていきます。彼女は高校卒業後、憧れのOLになろうと受けた就職面接を全部落ちたのは、自分が在日朝鮮人だからだと思っていました。

オリンピックに浮かれている一方で、過酷な日雇い労働につかざるを得ない労働者が溢れかえり、貧富の差が表面化したこの年、浅草で男子誘拐事件が発生します。物語は、誘拐事件を担当する刑事たちの地道な活動を中心にして進んでゆきます。読むうちに犯人が誰かはすぐにわかります。そう、あの男です。しかし作者は、綿密な心理描写と、まるで黒澤明の白黒映画を見ているようなリアリティー溢れる描写で、繁栄から取り残された男の魂の暗部を描いていきます。出生から父親のDVにさらされ、挙句に当たり屋に使われ、脳に障害を持った人生。だから、犯罪小説を読み終わった時のカタルシスはありません。

ところで、昭和38年という昔のことなのに、DV、人種差別、格差、マスコミの世論誘導、一般大衆による偽情報の大量放出等々、今と一緒です。お上が無理にでも盛り上げようとしている来年のオリンピックでも、こんな事件が起こる可能性は大です。そう考えると、ぞっとするエンディングなのかもしれません。未来を予測した骨太の傑作小説でした。

 

 

正方形のスタイルがユニークな「歩きながら考える」最新9号を入荷しました。(1080円)

柴田元幸ファンは絶対買いです!彼の結構長めのインタビューが掲載されています。翻訳業の傍ら、柴田さんは全国各地で積極的に朗読会を行なっています。その仕掛け人のignition galleryの熊谷さんとの共同インタビューで、なぜ、今、朗読会なのかを語っています。

「都道府県はどこでもいいんだけれど、会場がインディーズだということがとても重要ですね。」と柴田さんのおっしゃる通り、個人経営の書店やギャラリーや店舗を中心とした活動です。

熊谷さんは、朗読会の良さを「その時を一緒に生きているというのが一番大きいんじゃないですか。一緒に物語を共有しているということは、その時間だけ、人々の想像力が一緒になって過去も未来もひっくるめた現在を生きていることだと思います。それはひとりで本を黙読しているのと違う。」と話されています。当店で宮沢賢治の朗読会をしていただいた澤口たまみさんの朗読を聴いた時、そんな風に感じました。

後半で、柴田さんが、アメリカには車に乗らない作家がいる、例えばリチャード・ブローディガン、ジョセフ・コーネル、写真家のソール・ライターなのですが、彼らについてこう指摘しています。

「車に乗らないということは、移動を含め、何でも自分の力でする、Self-Reliance(自立)というか、『自分で自分の世界を動かしていく』というアメリカ的な姿勢に背を向けているということ。」

アメリカでは圧倒的に少数派ですが、面白い見方です。

さて、もう一冊。横浜の酒飲み文化をひたすら紹介する「はま太郎」(1728円)の16号が出ました。凄いなぁ〜、自分たちの町と飲み食いのことをメインに16号まで出すなんて!!今回の特集は「横浜下町文化は南区にある」というディープな研究です。ここらあたりは、ヨコハマのヘソで、豆腐屋、うどん、そば、餃子などを販売する小さな食料品店、米屋さん等々、横浜を代表する商店街が集まっており、独特の文化が育っているのだそうです。南区に点在する和菓子屋の最中図鑑などという甘党好みの企画にも会えます。

横浜には市民酒場というお店があるらしい。これ、「横濱市民酒場組合」に所属する飲食店のことです。結成は古く、1938年。戦争末期、食料調達が難しくなってきた時に、「まっとうな料理と酒を、まっとうな価格」で提供することをモットーにしてきた組合です。組合結成の地が南区だっだことから、市民酒場が数多く存在しています。酒飲みにはこたえられない特集ですね。

その一方で、南区は美味しいナポリタンが味わえる店も多くあるようです。日本ナポリタン学会会長田中健介が「京急沿線は必ずといっていいほどに駅前によい喫茶店がある。つまりよいナポリタンにありつけることを意味する」と前置きして、紹介していきます。

トレンドなイメージの横浜とはまた違うイメージの地域紹介誌ですが、これはとても面白く、お腹も空いてくるし、ビールを飲みたくなってる一冊です。(バックナンバーも扱っています)味のあるイラストも健在です。

 

哲学者、野矢茂樹の「そっとページをめくる」(岩波書店/古書1200円)は、個性的な書評本です。サブタイトルに「読むことと考えること」と書かれている通り、単に紹介する本の羅列には終わってはいません。前半は本の紹介、後半はよりディープな「読む」という体験を掘り下げていきます。

私がこの本に興味を持ったのは、最初に三谷尚澄の「哲学してもいいですか?」(ナカニシヤ出版/古書1900円)が取り上げられていたからでした。これは、文部省あたりが推し進める、すぐに社会に貢献できる技術研究重視と、文学部系学部不要論の現状へ異議申し立ての一冊です。高度な職業的技能が身につく学部は、いい学部というのがお役人の見解です。

「文部省は学生を鋳型にはめようとしている。そしてあなたの学部ではどんな鋳型を提供しているのか、と問うてくる。」と、野矢は書きます。しかし「哲学は鋳型そのものを考え直し、論じようとする。なじんだ考え方に新たな光を当て、他の考え方の可能性を探ろうとする。だから、哲学は学生を鋳型にはめる教育にはなりえないし、まさにそこにこそ、哲学教育の生命線がある。」と結んでいます。

そして、この本を「あなたの代わりに考えて、上から目線で決めつけたりはしない。一歩ずつ、読者とともに、次考えようとする」と評価しています。こういう本がきちんと取り上げられています。そして、何よりも注目すべきは、著者の「そっとページをめくる」の書評を自ら書いているのです。自分の本の書評なんて前代未聞ですが、面白い。

後半では、宮沢賢治の「土神ときつね」を取り上げ、「相貌分析」という読み方を提案してくれます。まず、賢治の作品の原文が載っています。「女の樺の木」と仲の良い「きつね」に嫉妬した「土神」が、「きつね」を何度も打ち付けて殺してしまうお話です。

「その泪は雨のように狐に降り狐はいよいよ首をぐんにゃりしてうすら笑ったやうになって死んでいたのです。」

という不可思議な文章で幕を閉じるファンタジーです。この物語を、野矢は「相貌分析」という手法で読み解いていきます。私も賢治のこの物語を読んだ時、本当に「土神」は嫉妬に狂っただけの愚かな人物だったのか、「きつね」はウソのない、気のいい人物なのか、様々な疑問を持ったのですが、この手法で分析されると、成る程なぁ〜と納得しました、

帯に「本を味わう指南書」と書かれています。時には、こんな本で、頭の中のギアチェンジされてはどうでしょうか。