イランを代表する映画監督アッバス・キアロスタミ。「友だちのうちはどこ?」「そして人生はつづく」「オリーブの林を抜けて」などの傑作をご覧になった方も多いと思います。癌のため、2016年に療養先のパリで76歳の生涯を閉じました。

1970年に詩人のアフマド=レザー・アフマディーが文章を書き、キアロスタミが絵を描いた「ぼくは話があるんだ、きみたち、子どもたちだけが信じる話が」(新刊2310円)と、絵本「いろたち」(新刊1650円)が発売されました。

「ぼくは話があるんだ、きみたち、子どもたちだけが信じる話が」は、幻想的でとても美しい文章と、センスの良いコラージュで出来上がっています。

ぼくは、兄へ宛てた手紙を書きます。しかし、ぼくは手紙をそのままにして、友達に誘われて遊びに出かけます。季節は夏から秋へと変わり、テラスに置いたままの手紙も色が変わってしまっています。ぼくは変化してゆく季節の姿に驚き、その季節のひとつひとつを部屋へ取り込もうと窓を作るのですが……..。シュールな情景がアフマディーの魅力的な筆さばきで立ち上がってきます。同時に、キアロスタミは写真のコラージュに色をつけるという手法で、物語に広がりを持たせています。特に、窓のコラージュ作品は、独特の色彩感覚が溢れています。

もともと、新しい絵本を作ろうとしていた出版社の企画から、全く絵本とは縁のない詩人と映画監督がコラボした一冊だけに、子供向けというよりは、アート作品の趣があります。

「いろたち」は「友だちのうちはどこ?」発表の3年前に絵と文を描きおろした イランではベストセラーになった絵本です。
みどり、きいろ、だいだいいろ、あか、みずいろ、むらさき、くろ、しろ、という色から連想する、風景や食べ物、植物や生きもの、道具などを、子どもと一緒に歌を唄うように描いた本です。キアロスタミは、子どもを主役にして、彼らの視点で映画を作ってきました。同じように絵本にも、子どもたちへの優しい眼差しが溢れています。

「いろのついてないところは、いろえんぴつやマジックでぬっていいんだよ。」最後のページで、キアロスタミが子どもたちへ声をかけています。やさしい美しい絵本です。

 

☆お知らせ

北海道のネイチャーガイド・安藤誠さんのトークショーを、今年も開催します。

 10/29(土)18時より (参加費2000円) 要予約!

 

 

 

 

安倍元総理の政策の失敗は色々あったと思いますが、言葉でできた本という商品を扱っている者にすれば、この人ほど日本語の品位を傷つけた人はいません。ペラペラの薄っぺらい真実味のない言葉だけが流れ落ちていたように思います。国葬の日、うっとおしい気分をどこかにやってくれ、という思いで吉田篤弘の「遠くの街に犬の吠える」(筑摩書房/古書1050円)を手に取りました。

正解でした。

「ほとんど1日も休むことなく言葉を集めてきました。集めて、整えて、分類して、解説する。言葉の奥に隠されたその意味をより正しく解明するために研究をつづけてきました。」

とは、本書に登場する言葉の研究する白井先生の言葉です。先生が元総理の言葉を聞いたら、どんな批判をしていたものか。この長編小説は吉田ワールド満開の、不思議で、ユーモアがあって、所々に哀愁が顔を出し、最後は読者はいい表情になって終わるという世界です。

主人公は、小説を書いている吉田君。自作の朗読の録音で、「遠吠えをひろっているんです」という音響技術者の冴島君と出会い、物語は始まります。どうして録音の仕事をするようになったのかという質問に、

「世界は音で出来ているからです。吉田さんは小説を書く人だから、世界は言葉でつくられていると思われるでしょうが、そもそも、言葉は音からつくられます。というか、言葉の正体は音なんです。音がなかったら言葉は生まれなかったし、音がなかったら文字も生まれませんでした。」

と答えます。小説の後半、音が大きなモチーフになってきます。

吉田君と冴島君、編集者の茜さん、白井先生、そして代書屋をやっている夏子さんの、事件のようなそうでないような、どこまでがリアルでどこまでがファンタジーなのか判別出来ないまま、物語は進行していきます。さらに、そこへ天狗の物語まで絡んできます。でも心配ご無用。著者は、読者をまごつかせません。とても良い塩梅でラストまで連れて行ってくれます。

「新刊書店、古書店、図書館と私がめぐり歩いてきたところは、どこも無数の本棚が並び、気が遠くなるくらい大量の本が溢れ返っていた。 そのすべてが声を持っていた。 書かれているのは森羅万象さまざまだが、そこにはもれなく著者の声が付いてくる。 どれほど事務的に機械的に綴られていても、それを書いた人間がいる以上、書きながら胸中に詠じた声がきっとある。その声が文字に置き換えられて、すべてのページに閉じ込められていた。 世界は本という名の声で埋めつくされ、それらの声を発した人たちは、すでにあらかたこの世に存在していない。ただ声だけがのこされた」

本屋冥利に尽きるこんな文章に出会えば、うっとおしい気分なんてどこかに飛んでしまいました。

 

ゴリラ研究者の山極寿一著「スマホを捨てたい子どもたち」(古書/ポプラ新書500円)。巻頭で、著者が中高生と対談した時に、スマホを捨てたいと思っている子どもたちが多いことに驚いたという文章がありました。

インターネットのネットワークが全世界を覆い、AIが私たちの生活全般に入ってくるこの時代、人はどのようにして他人とつながってゆくのかを論じています。

人間の脳の大きさで、安定的な関係が築けて繋がれるのは150人前後だというのが文化人類学では定説になっているのだそうです。それ以上になると関係性が保てなくなるのです。先生によれば、

「ぼくにとっては、年賀状を出そうと思ったとき、リストを見ずに思いつく人の数がちょうどこのくらいです。互いに顔がわかって、自分がトラブルを抱えたときに、疑いもなく力になってくれると自分が思っている人の数ともいえます。」

ネットの網を介して繋がれる数は膨大に増えたのに、安定的な信頼関係を保てる集団のサイズは150人規模のままです。見知らぬ人たちと繋がれるようになって、どんどん集団規模が拡大していくという幻想で、身体的繋がりが失われていき、孤独が人間を支配していきます。今、考えるべきなのは、「人間は『生物』として進化してきたことを自覚し、生物としての人間の幸福な在り方、生き方を考え、現代文明と付き合っていくこと」だと著者は考えています。

では、「人間の生物的特性」って何だろうか?ゴリラやニホンザルを研究してきた著者が本当に知りたかったのは、実は人間だったのです。ここから、彼らとの暮らしを経験したことから、見えてきた人間の不思議さについて語られます。

本書は新書というスタイルで、しかも発行元がポプラ社という児童文学を主に出版しているところだけに、平易な文章で、専門用語をなるだけ使わずに書かれています。先生の本の中では、対談を別にすれば最も読みやすい一冊かもしれません。

「人間は本来、他者に迷惑をかけながら、そして他者に迷惑をかけられながら、それを幸福と感じるような社会の中で生きていく生物です」

そのことを先生はゴリラから学んだと書かれています。先生の”通訳”を通して、ゴリラたちから人間はどうあるべきかを学んでみるのはいかがでしょうか。

 

「かもめ食堂」や「めがね」等、独特のリズムのある映画を作ってきた荻上直子監督の最新作「川っぺりムコリッタ」は、今年観た映画の中でも印象に残る作品でした。(Movix京都で上映中)

できれば映画館で観ていただきたい作品です。で、どんな映画?と問われれば、松山ケンイチ扮する前科者の山田が、ムロツヨシ扮する明るいのか暗いのかわからん不思議な男島田幸三と二人で、炊き立てのご飯にイカの塩辛を乗せて、食事するのを見守る映画です。え?そんな映画が面白いの??と言いたくなるかもしれませんが、これがメチャメチャいいんです。

山田が、出所後、北陸のイカの塩辛工場で働き出すところから始まります。そして社長に紹介された「ハイツ・ムコリッタ」という安アパートで暮らすことになります。風呂上がりに冷えたミルクを飲む、という唯一の楽しみを、初対面の隣人の島田に邪魔されます。厚かましくも「風呂貸してよ」と顔を出し、そこから不思議な付き合いがが始まります。

息子を連れて、いつも喪服を着ているお墓のセールスマンの溝口さんとか、一風変わった人が住んでいるアパートで、最初は頑なに閉じていた山田が少しずつ、少しずつ心を開いてゆきます。そのきっかけが、島田と食べる白ご飯なのです。殺風景な部屋で、男二人がご飯にイカの塩辛を乗せて、本当に美味しそうに食べるシーンが何度も登場します。人の幸せは食にある!という事を映画は語っているようです。「足るを知る」という言葉が、ふと浮かんできました。

この映画では、扇風機の回る音、川のせせらぎ、蝉の鳴き声、鳥のさえずり、にわか雨、あるいは風の音などが見事に捉えられています。いつもそばにあるそんな音が心地よく響いてくる時、生きている小さな幸せを感じるのかもしれません。ささやかだからこそ、映画館で観て欲しいのです。

ここに生きている人々は、みんなそれぞれ心に闇があり、傷を持っています。映画の中ではいちいち詳しく語りませんが、ワケありの人たちが、友達でもなく、家族でもない、でも孤独ではない関係でいる。「ハイツムコリッタ」は、そんな居心地の良い場所なのです。生と死が柔らかくつながっているような場所でもあります。

落語家の立川志の輔の推薦の言葉が、本作品の真髄を言い当てています。「心の老廃物が全部でて、あーあ、すっきりした!ご飯が食べたい!魂のデトックスにぴったりな映画」オススメです。

湯本香樹実(文)&酒井駒子(絵)という二人の名前で、傑作絵本「くまとやまねこ」を思い出される方も多いと思います。あの本から14年、二人のコンビが復活しました。

「くまとやまねこ」よりも大きな版型で作られたの新作絵本「橋の上で」(河出書房新社/新刊1650円ポストカード付き)です。

橋の上から川を見ていた少年の横に、気がつくと全く知らないおじさんが立っていました。少年は、ボロボロになったセーターを着て話しかけるおじさんをうっとおしく思います。実は、少年はいじめられたり、万引きの濡れ衣を着せられたりして、ここから川に飛び込もうと思っていたのです。

「みずうみを見たことある」とおじさんは聞いてきます。「ただのみずうみじゃない。その水は暗い地底の水路をとおって、きみのもとへとやってくる」

きみだけの湖があって、どんな時もそこにあるとおじさんは言い、「こうやって、耳をぎゅうっとふさいでごらん。遠くからやってくる 水の音が、きこえるよ。」聞こえたら早くおかえり、と言って去っていきます。少年はもう一度耳を抑え、手を離すと、川の音がさっきより大きく感じて、急いで家に帰ります。

その後、おじさんに出会うことなく、少年は大人になっていきます。橋は建て替えられて、昔の面影は残っていません。でも、彼は時々耳をふさいで、地底の水の音を聞くことがあります。

「かすかなきらめきが見えてくる。いまでは、みずうみははっきり見える。わきだす水の、ちいさな波紋まで」

湖の水辺には、死んでしまった人も含め、彼の友達や大事な人が集まっています。微笑んでくれたり、話かけてくれたするのです。

「あのときもし川に飛びこんでいたら、会えなかったひとばかりだ。」

あのおじさんは誰だったのでしょうか。少年にここで死んではいけないと教えてくれた人。少年の寂しさと切なさが詰まったような表情を描く、酒井駒子が見せてくれる命の物語。

幼い時に、怒られたり失敗したりして、生きていくのが嫌になって、橋の欄干のようなギリギリのところでしょぼんとしたことを、忘れてしまっているのかもしれませんが、こんなおじさんが救ってくれたのかもしれませんね。大人は子どもに、今ここで死んではいけないと伝えなくてはなりません。いつも、手元に置いておきたい絵本だと思います。

 

 

井上泰幸という美術監督のことをご存知の方は、よほどの特撮映画ファンだと思います。

井上泰幸は、大正11年生まれ平成24年に89歳で亡くなりました。日本の特撮映画の美術監督で、円谷英二の手がけた特撮黄金時代のミニチュアセットに関わり、リアルに再現するために徹底的に細部に拘り、膨大な資料を読み込んで作品作りに携わりました。

今年3月、東京都現代美術館で井上泰幸の生誕100年展覧会が開催されました。美術監督の作ったセットの再現、図面の公開など前代未聞だと思います。私も行きたかった!井上の生涯に渡った仕事を、多くの写真、図面やデッサン、本人へのインタビューを交えて構成されたのが「特撮映画美術監督井上泰幸」(キネマ旬報社/新刊3960円)です。

昭和25年日本大学芸術学部美術科に入学。ここで、戦前ドイツのバウハウスに留学していた教授のもとで学び、デザイン、設計、施工の能力を認められます。そして31歳の時、映画界に入り、「ゴジラ」第1作に参加します。彼の名前が注目を浴びたのは、「ラドン」で製作した博多駅前のセットではないでしょうか。本書でもその詳細な図面やスケッチと実際のミニチュアを見ることができます。

当時の特撮現場は、もちろんCGもなければ、機材等の技術も決していいものではありませんでした。現場の苦労は方々で語られています。ただでさえ忙しいのに、彼は66年からスタートしたTV特撮シリーズ「ウルトラQ」にも参加、4本の美術を担当しました。

「このときは本当に人がいなくてねえ。助手ひとりと大道具3人、あとは私だけすよ。当然ながら予算もなくて、怪獣にしてもゴメス(番組に登場する怪獣)はゴジラを改造して、特美造形部の村瀬継蔵君が着ぐるみを造りました。」と井上が当時の状況を語っています。

巻末には、「シン・ゴジラ」の庵野秀明と樋口真嗣の二人を交えた、「現役クリエータが語るミニチュア特撮の魅力」というファン必読の熱い座談会が収録されています。

ちなみに、私が井上の名前を意識したのは「ゴジラシリーズ」の中の「ヘドラ」でした。この怪獣はヘドロの川から出てくるという”公害怪獣”という設定で、グロテスクで汚らしさに驚いた記憶があります。余談ですが、この作品はめちゃくちゃサイケテリックな出来上がりで、ロック喫茶みたいなところで、サイケなロックがバンバン鳴り響き、若い女性が踊り狂うというシュールなものでした。とても少年少女向けの映画ではなかった気がします。

 

 

池澤夏樹が文章を書き、黒田征太郎が絵を描いた「旅のネコと神社のクスノキ」(SWITCH/新刊1870円)は、広島の被曝建物の記憶を、今に伝える絵本です。

広島市南区の一画に陸軍被服支厰という、旧帝国陸軍の軍服を作る軍需工場だった建物が4棟並んでいます。1945年、原爆投下で建物の扉が歪んんだものの、倒壊は免れて現在も建っています。8月6日の記憶を止める場所といえます。絵本で戦争を考え、平和について学ぶという構想を具体化するために池澤と黒田は、この建物にやってきます。雑誌『COYOTEー特集絵本の中の「戦争」』(古書1000円)が、この絵本についての特集をしていて、取材で初めて陸軍被服支厰に出会った黒田は「この建物は生きている」と言ったそうです。。

「黒田征太郎は被曝して亡くなった大勢の人々が、窓の奥から自分を見つめていると感じた。『目がいくつもあるような気がした』 黒田はただただ建物の傍にたたずんでその気配に身を寄せていた。」と特集記事に書かれています。

さて、絵本の主役は、フラリと陸軍被服支厰にやってきた一匹のネコと、側の神社に立っているクスノキ。被爆地から2600メートルほどしか離れていなかったのに、建物は倒壊を免れました。被爆後、臨時の救済所として多くの人々が救われ、そこで多くの人が死にました。原爆投下後の世界をクスノキがネコに語って聞かせます。

「わたしがおびえていたことそのまま 朝、空がまぶしく光ってすごい音がした 光でない光 音でない音 風でない風 ここにいても世界がこわれたのがわかった でもこのたてものはのこった」

原爆が落ちた瞬間を老木が証言します。でも、暗い過去を嘆き悲しむだけでなく、平和な未来へ向かうことを示唆して終わります。静かな祈りの物語です。

 

 

ペルーの先住民族アイマラ族の言葉による長編映画として話題となり、国内外で高い評価を受け、近年のペルー映画の最高作と評された「アンデスふたりぼっち」という映画を観ました。標高5000mを越える厳しい自然の中に、ポツンと建つ家に住む老夫婦が主人公で、この二人以外の人間は出てきません。

都会に出た息子が戻るのを待つ、妻パクシと夫ウィルカ。アイマラ人の伝統的生活を営み、二人はリャマと羊と暮らしていました。寒い夜を温めてくれるポンチョを織り、コカの葉を噛み、日々の糧を母なる大地のパチャママに祈るという生活です。

穏やかな気候のもとで、毛刈りをして、畑を耕す二人。まるで小津映画に登場するような老夫婦の、穏やかな日々を描いてゆくのだと思って、その牧歌的雰囲気を安心して観ていました。

しかし暫くして、この二人は何のためにここで生きているのだろう?という疑問が湧き上がってきました。こんな辺鄙な所に住む両親に、息子はとっくに愛想をつかしていて音信はありません。豊穣な土地があるわけでもなく、牧場をするには歳を取り過ぎています。物質的金銭的幸せも、精神的幸せもないここで、生きる意味って何だろう。私たちは幸せになるために生きているのに、二人にとって幸せとは何?映画は、「生きる」という本質的な意味を問い詰められているように思えました。

しかし、後半、そんな私の個人的な思いなんぞ木っ端微塵にしてしまう展開が待っていました。ある日、リャマを伴って村に買物に向かったウィルカが、途中で怪我をして動けなくなってしまいます。探しに来たパクシに救助されるのですが、身体へのダメージは大きく、その後の生活に支障をきたします。その上、飼っていた羊が全て狐に噛み殺される惨劇が起きます。ズタズタになった子羊を抱き上げて泣くパクシ。土の中に埋められる羊をカメラが真正面から捉えます。

肉がなくなり、コカの葉も在庫が無くなってしまいます。さらに、ロウソクの火が家に燃え移り全焼してしまいます。年老いた二人にはなすすべもありません。残った納屋で何とか暖をとるのですが、食べるものはありません。ウィルカも衰弱していきます。困ったパクシは、可愛がっっていたリャマを襲い、泣きながら何度もナイフを刺して、肉を取り出します。が、ウィルカは死んでしまいます。

もう、このあたりで席を立とうと思いましたが、そうはさせじという強い力が画面から送られてくるみたいに、座席に縛り付けられました。ラスト、一人雪山にむかうパクシ。姥捨山みたいなエンディング。90分ほどの映画でしたが、これほど重く、辛く、素晴らしい映画は滅多にないと思いました。

監督はオスカル・カタコラ。ペルーのプーノ県アコラ生まれ、アイマラ族出身。本作は史上初のアイマラ語映画でした。が、第二作撮影中に亡くなりました。享年34歳、本作が初の長編映画であり遺作になってしまいました。残念です。

 

 

 

東京の深窓のご令嬢と、地方から東京へ出てきた女子大生の人生が不思議な縁で交差してゆく物語「あのこは貴族」(古書900円)は、一つ間違えば浮ついたトレンディドラマになってしまいそうな題材です。しかし著者は、その危険を回避しながら、東京という都市の息苦しさと、狭い世界に溺れかけていきそうな女性の人生を見事に描き切りました。

名家のお嬢様の華子は「もし三十を過ぎても結婚できなかったらと思うと、華子は身がすくんでしまう。できるだけ早く結婚しなくては、いい人と巡り合わなくてはと焦りを募らせる。」

着付け学校に通い、そこで仲良くなった女性たちは「なにより妻という自分の立場に対する自負はことのほか強固であり、絶対的だった。アイデンティティのほとんどが、妻であり母であることで占められていて、それは揺るぎない。」華子は婚活へと走り出します。

「東京の街には、しきたりと常識がないまぜになったような共通認識が張り巡らされていて、それは代々ここに住み続けている人たちに脈々と共有されていた」

彼女はそんな認識を身につけた、名家のお坊ちゃん青木に出会います。「東京の真ん中にある、狭い狭い世界。とてつもなく小さなサークル。当人たち以外にはさして知られることもなく、知られる必要もなく、ひっそりしていたが、そこに属していることで生まれる信頼と安心感は、絶大だった。」

そんな安心感に乗せられて彼女は一気に結婚へ向かいます。ここまでが第一部。第二部は「外部 (ある地方都市と女子の運命)」というタイトルで始まります。とある、地方都市から慶應大学に入学した時岡美紀は、大学のゴージャスな雰囲気と、おしゃれな学生たちに目を丸くしながら、学生生活をスタートします。しかし、故郷にいる父親の仕事がうまく行かず、学費を送ってもらえなくなり、彼女はアルバイトで始めた夜の仕事にのめり込み、大学にも行かなくなります。夜の世界で出会った青木とは肉体関係があるものの、距離のある関係を保っています。

ここから、第三部「邂逅(女同士の義理、結婚、連鎖)」の始まりです。美紀は、華子の友人逸子と偶然出会い、やがて華子のことを知ります。一方華子は、豪華な結婚式を挙げたものの、無味乾燥で、ハイソサエティーな者同士の狭い世界にいなければならない状態に、アップアップしています。もともと、自分もその世界の住人だったのですが、美紀と出会い、逸子との友情を通して、見つめ直していきます。この章も下手をすれば、癒しと再生みたいなテーマになりそうですが、著者の筆さばきが見事でした。近松門左衛門の浄瑠璃「心中天網島」がベースラインになっているのです。

山内マリコは、性をテーマにした「女による女のためのR-18文学賞」で2008年読者賞を受賞し、現代女性のリアリティーを描ける作家の一人です。昨年、門脇麦(華子)、水原希子(美紀)石橋静河(逸子)、岨手 由貴子監督&脚本で映画化されました。劇場に行けなかったのですが、TV放映を録画してもらうことができました。観るのが楽しみです!

京都生まれで知床在住の絵本作家、あかしのぶこさんの絵本原画展が本日より始まりました。

今回は、福音館書店「ちいさなかがくのとも」の「あなほり くまさん」(2021/11/1 発行/440円)の原画4点に加えて、現在、知床自然センターのギャラリーで開催中の「しれとこの みずならが はなしてくれたこと」(2022/3 知床財団発行/1980円)から、表紙絵をお借りしてきました。さらに、「しれとこのきょうだいヒグマ ヌプとカナのおはなし」(知床財団発行/2530円)から表紙絵と、福音館書店「ちいさなかがくのとも」の「ふくろうのこ おっこちた」(2020/5/1 発行/440円)の原画2枚という盛り沢山な展示です。

「あなほり くまさん」は母グマと二匹の子グマが、冬眠する穴を掘って眠る物語。「クマは冬眠中に生まれて、春から秋を母親と過ごし、もう一度一緒に冬眠します。つまり、オスのクマならば、生まれた時とその翌年のそれっきり、他のクマの温もりを感じながら眠ることはもう二度とないのです。」(折り込み付録の言葉より)そんな貴重な親子の時間が、知床の森の風景と共に描かれています。あかしさんのクマは、本当に表情豊かで生き生きしています。絵本に登場する脇役のカケスが可愛いんです。

「しれとこの みずならが はなしてくれたこと」は、朽ちた大きなみずならの穴に逃げ込んだヒグマが、みずならの声を聞く物語です。年老いたみずならが、知床の自然と人間の関わりをヒグマに語ります。知床国立公園内の開拓地を保全するための取り組み「知床100平方メートル運動」の活動の一環として、あかしさんと知床自然センターの協力で作られました。1977年、斜里町が始めたナショナルトラスト運動は画期的なものでした。乱開発の危機にあった土地を守るため全国から寄付を募ったところ、1997年には49000人が参加、ほぼ全ての開拓跡地を買い取ることができました。その後も原生の森と生態系の再生を目指し、運動が続けられています。先週旅行中に、知床自然センターでの原画展を見ることができました。京都の個展に、表紙絵を貸してくださったセンターの方々に改めてお礼を申し上げます。ぜひ絵本を手にとってみてください。

「ふくろうのこ おっこちた」は、巣立ちを間近にしたシマフクロウの子どもの表情が楽しくて、私の大好きな絵本です。今回ぜひ原画を展示してほしいとお願いしました。飛ぼうとして落っこちてしまったシマフクロウの子が、びっくりしてガシガシと木を登るところが面白い。シマフクロウの巣箱かけのボランティアをした経験などが、この本を作るのに役に立ったそうです。ずっと温めてきたテーマを絵にした、あかしさんのシマフクロウに対する熱い思いが詰まった素敵な絵本です。

あかしのぶこさんの個展は3回目です。京都と知床をつなぐ絵本を手にとって、ヒグマやシマフクロウに思いを寄せていただけたら嬉しいです。絵本の他に、ポストカード(1枚100円)も販売しています。(女房)

「あかしのぶこ えほんのえ展 2022」は9月21日(水)〜10月2日(日) 13:00〜19:00 月・火定休日