1958年生まれのノンフィクションライター黒岩比佐子は、2004年「『食道楽』の人 村井幻斎」でサントリー学芸賞、2008年「編集者 国木田独歩の時代」で角川財団学芸賞を受賞し、また古本をこよなく愛することでも知られていた人でした。しかし2010年、すい臓がんのため52歳でこの世を去りました。その翌年「パンとペン 社会主義者・堺利彦と『売文社』の戦い」で読売文学賞を受賞しました。

私が最初に読んだのは「編集者 国木田独歩の時代」でした。自然主義作家の大御所ね、みたいな印象しかなかった国木田が名編集者だったことを知った一冊でした。評価の高い「パンとペン」はまだ読んでいませんが、いつか必ず読む一冊の予定に入っています。

今回、ご紹介するのは「忘れえぬ声を聴く」(幻戯書房/古書1800円)です。日露戦争、大逆事件、第二次世界大戦、日中戦争と混乱の時代の中で、埋もれていった人々に焦点を当てて、その時代を生きた人々の一瞬を描いた肩のこらない評伝風のエッセイです。この時代の文献やら雑誌を集めに、古書会館で行われていた古本市に頻繁に出かけていた頃のことも書かれていて、古本愛好者にもってこいの読み物になっています。

しかし、なぜ彼女は評伝にこだわるのか。「多くのお金と時間を費やして大量の原稿を書き上げた挙げ句に、本が売れないのでは、苦労して評伝を書こうとは誰も考えなくなる。白状すれば、私自身、最初の評伝を書いたときは、百万円ほど赤字になった。」と、評伝など書かない方が良いと、この本の中で言っています。

それでも彼女は、歴史の闇に埋もれた人物や、気になる人物の不当な評価を覆すために、古本市で古い新聞や雑誌を山ほど買い込んで、資料を作り書いてきたのです。遺稿となった「歴史と人間を描く」というエッセイの最後、五行の空白の後の文章はこうです。

「そして悟った。”平凡な人生”などないのだ、と。」

第二章に、明治の小説家で、今でいう「食育」という言葉を使った村井弦斎が登場します。この作家と黒岩の出会いは、こんな風にして始まります。

「明治三十三年に描かれた『伝書鳩』という本があった。これは小説だが、タイトルに伝書鳩という言葉を使った最も古い本と言えるだろう。その著者が村井幻斎だったのである。」

ここから、黒岩の幻斎への長い旅が始まります。古い資料の山に埋もれながら、こうだった、ああだったと推理を働かせて、幻斎の人間像を作ってゆく作業は、きっと楽しかったことでしょう。だからこそ、彼女は評伝を描き続けたのだと思います。

最初の単行本「音のない記憶ーろうあの天才写真家 井上孝治の障害」からは、そんな楽しさが伝わってきました。まだまだ活躍して欲しかった作家でした。

 

 

 

 

傑作「想像ラジオ」から7年、雑誌「文学界」に掲載された、いとうせいこうの作品が単行本化されました。「夢七日 夜を昼の國」(文藝春秋/古書1200円)の、二作品が収録されています。

まず「夢七日」ですが、数ページ読んだところで、なんだかわからない、え?これ何??みたいな展開なのです。

「2019年十一月十四日 木曜日 君はこんな夢を見ている。」でスタートするのですが、夢を見ているのは誰で、語っているのが誰なのか、全くわからないのです。さらに、夢には階層があるみたいで、様々の夢を見ながら、主人公らしき人物は、どんどんと階層を下がって(いや、上がって)ゆくのです。シュールレアリズムの世界なの?どうしようかなと読み続けていると、だんだんこの人物に同化してゆくようになり、一緒に彼の夢の世界を浮遊することになり、なんとも気分がよくなってくるから不思議です。

実は、交通事故で5年間昏睡状態の木村宙太の夢に、恩師が語りかける七日間を描いているのです。そこに出てくる夢は千差万別です。安倍元首相の桜を見る会らしき”何かを見る会”、女優の薬物所持逮捕、香港情勢などの社会的な出来事を傍観していたり、宙太が福島の原発で働いていて、規定以上の放射能を浴びたらしいというものもあれば、いとうの親友みうらじゅんらしき還暦過ぎのイラストレーターも登場してきます。

「醒めたいと思えば思うほど、夢が君に襲いかかってくる。」

夢の世界を通して主人公の抱える寂寥感、孤独、そして、どこに向けていいのかわからない怒りが延々描かれてゆくのです。では、主人公に語りかける恩師は、夢の同伴者なのか、あるいはプロデューサーなのか、それとも著者なのか……….。

「木村宙太、昏睡している君はこうして私の夢を借りて歩き回っている」

ラストはSFばりの迫力で幕を閉じます。

もう一つの「夜を昼の國」は歌舞伎や浄瑠璃でお馴染みの「お染と久松」の話。名誉を傷つけられたお染が現代に蘇り、ネットの書き込み、中傷に歯向かってゆく話。小説の仕掛けは面白いのですが、私にはちょっとついていけませんでした。ほんとは、こっちが興味あったのですけどね。

「あほくさい。たかがプリペイドカードに十万もだす奴がおるんかい」

という関西弁がバンバン登場するのは、品のない刑事が活躍する小説で人気の作家黒川博行の、昨年出たばかりの短編集「騙る」(文藝春秋/古書900円)です。ただし、本作は刑事ものではありません。

黒川はハードボイルド作家として有名で、直木賞を取った「破門」はそのジャンルの作品でした。しかし、京都市立芸術大学で彫刻を学んだ美術系の人間で、妻は日本画家の黒川雅子さん(写真左「騙る」の装画)です。それゆえ、美術界をテーマにした作品も多く書いています。

お話はどれも、美術品に絡む騙し合いの物語です。それはそれで、欲にくらんだ男女の人間喜劇として面白く読めました。そして美術のお勉強ができるのです。抽象彫刻、古代中国の青銅器、狩野派の屏風などがテーマとして使われていて、それなりに美術の歴史も書かれているのです。

その中には、ビンテージもののアロハシャツ偽造をテーマにした「ヒタチヤロイヤル」があり、ヘェ〜、こんな風にして偽造のシャツを作り上げるのかと感心しました。

また「鶯文六花形盒子(うぐいすもんろっかがたごうす)」は、舞台が京都の美術館です。もちろん架空ですが、そこに地面師やら、詐欺師が登場して中国古代の青銅器を巡る詐欺を企みます。これは面白い。ぜひ、関西弁の達者な役者で映像化してもらいたいと思いました。

また、古墨を巡る「乾隆御墨(けんりゅうぎょぼく)」では、古墨を巡るお話ですが、古美術にはこんな世界もあるんだと目を丸くしながら読みました。速射砲のごとく飛び出す関西弁のやり取りも絶妙な肩の凝らない一冊としておすすめです。

 

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先週の京都新聞に、ノーベル平和賞受賞者の東ティモール元大統領、ジョゼ・ラモス・ホルタとオーストラリアの古生物学者が執筆した絵本「東ティモールの『失われた世界』」を、滋賀県に住む女性研究者が翻訳し、無料冊子を制作という記事が載りました。

その女性は草津市在住の神谷麻梨さん。彼女はこの本の共同執筆者の古生物学者パトリシア・ヴィッカーズ・リッチ博士と高校時代に知り合い、教材の翻訳を手伝ったことから、本書の翻訳を依頼されました。

絵本は、少年とワニが、ティモール島の長い歴史を知るために過去に遡り、多くの生物が生まれては、滅んでゆく時の流れを体験するという構成になっています。

生まれたところを少年に助けられたワニが、少年との友情を育みます。東ティモールのいにしえの時代を見てみたいという少年の希望を叶えるために、二人は波をかき分けるように、時間の流れをかき分けて、過去へ過去へと遡っていきます。

「1日のうちに少年とワニは魔法の力で2億5千万年以上も昔の時代の海に到着しました。地質学者によると、この時代はペルム紀と呼ばれています」

ここから、賢者のようなワニから様々なことを学びながら、少年は自分の国の成り立ちを学んでいきます。古生物学者が執筆者だけに、多くの古代生物が登場します。翻訳する際に、神谷さんは「専門用語を分かりやすく、誤解のないよう翻訳するのに苦労した」と新聞で書かれているように、誰でも理解できるように書かれています。

自分の国のルーツを知ることで、少年はこんな風に成長していきます。

「自分の住む島やそこに暮らす人々が、長く豊かな歴史を持つことを知り、その歴史の上に生きる東ティモールの人々は、若者も高齢者も皆この国の未来を作っていけるのだということを確信していました」

私たちにとって、東ティモールは場所すら正確に言い表せない小さな島国ですが、こんなに豊かな物語があるんですね。私も、この冊子をきっかけに、この国のことをパソコンで調べてみました。そうやって知らない国の、そこで生きる人々のことを知るのではないでしょうか。

この冊子は無料です。店頭に置いていますので、お持ち帰りください、(数量に制限あり)

本を選ぶ時、山登りに例えると、(関西でいえば)大文字山とか若草山とかいった楽に歩けるコースのような本を何点か選びます。そして、少ししんどいけど登れそうな比叡山とか伊吹山みたいな本をやはり数点横に置いて、交互に読み始めます。しかしたまに、乗鞍岳など初心者に到底無理な山みたいな本を読みたくなる時もあります。

今回トライした赤坂憲雄の「民族知は可能か」(春秋社/古書2000円)は、私にとっては高い山でした。民俗学者赤坂憲雄の本は、すでに一冊、「ナウシカ考」(岩波書店/売切れ)を紹介していますが、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」をここまで徹底的に解読した本はありませんでした。比叡山とは違い、絶壁の続く本でしたが面白かったのも事実です。

今回の「民族知は可能か」は、石牟礼道子、岡本太郎、網野善彦、宮本常一、柳田國男を俎上に上げて、習俗を巡ってかわされた民族知を考える評論集です。で、民族知って何?

「民族知という概念がそもそも曖昧模糊としている。果たして民族知は可能なのか、という問いにたいしてすら、今の私には真っすぐな答えはない。」と著者は書いています。おいおい、それで本を書くなよと思ったのですが、クリスマス前後から正月過ぎまでかかって読んだかいは、それなりにありました。ただし、網野歴史学は全く歯が立ちませんでした。

面白かったのは岡本太郎でした。岡本の日本紀行三部作、「日本再発見」「沖縄文化論」「神秘日本」を中心にして、岡本が東北・沖縄文化の豊穣さを見つめていたことを論じてゆくのですが、「芸術は爆発だ!」と叫んでいた岡本のスケールの大きさと、エネルギッシュな視点には驚きました。

「わたしが関心をそそられるのは、縄文の血脈を引いたエゾやアイヌこそが、『本来の日本人』であり、『人間としての生命を最も純粋に、逞しくうち出しているわれわれの血統正しい祖先』である。そう、太郎がいいきっていることだ。」という著者の指摘を引用しておきます。

石牟礼道子、宮本常一の足跡を辿る文章は知的楽しさを満たしてくれました。柳田國男は、私には消化不良でした。もう少し彼の本を読んで再トライしてみたいです。

 

 

鯨庭(クジラバ)の初作品集「千の夏と夢」(リイド社/古書600円)について、朝日新聞の「好書好日」でこんな文章を見つけました。

「職人がひとつひとつ手で仕上げた工芸品などから、生体エネルギーの迸り感じる時がある。躍動する竜のしなりに辺りの空気を震わせるグリフィンの羽ばたき 本作に登場する伝説の生き物を描いた線からも、エネルギーの放出を感じた。」

決して緻密な線で描かれた漫画ではないのですが、明らかに空中に飛び出すエネルギーを感じました。

短編が5つ収納されています。村に雨を降らすために龍神の生贄として献上された娘と、龍神との心の交流を描いた「いとしくておいしい」、山で人間の子供を拾い名前をつけて育てた鬼と、人間社会へと帰ってゆく子供との永遠の別れを描いた「ばかな鬼」、生物兵器として育てられたケンタロプスが戦後に目覚める「君はそれでも優しかった」、鷲の頭と馬の後半身があわされたヒポグリフと研究者の交流を描いた「僕のジル」、そして父親をなくした娘を見守る掛け軸の中に描かれた龍の物語「千の夏と夢」。どれも幻の獣と人間の交流を描いています、

どの作品にも感情移入してしまいそうですが、やっぱり第一話の「いとしくておいしい」のラストシーンでしょうか。本当は生贄を食べたくないのだが、村に恵の雨をもたらすために食いちぎる竜の迫力あるカットに続いて、目に涙を浮かべる龍神、そして、降り出す雨。龍神が流す涙のように降り続きます。

ファンタジーですが、慈愛に満ちていて、ある時は悲恋のような物語は涙を誘います。最終話の「千の夏と夢」で、幼い娘を残して天国へ旅立った父。父の納骨の朝、娘はそれまで彼女を見守ってきた掛け軸の竜にそっと触れるワンカットで幕を閉じます。これは泣ける。今後の活躍が期待の作家です。

 

 

タイ発の映画「バッド・ジーニアス危険な天才たち」は、評判を聞いていましたが見逃していて、外出を控えた正月休みのDVD三昧でやっと見ることができました。開いた口が塞がらない、というか、カンニングをテーマに、それだけでサスペンス映画を作ってしまったのです。しかも、スタイリッシュでスピーディ。劇場で払ったお金分だけは、きっちり楽しんでもらいますという映画職人魂のこもった作品でした。

中国で実際に起こったカンニング事件をモチーフに製作されました。小学校中学校と優秀な成績で、進学校に特待奨学生として転入を果たした女子高生リン。テストの最中に友人のグレースをある方法で手助けしました。リンの噂を耳にしたグレースの彼氏で、金持ちの御曹司パットは、リンにカンニングのビジネスを持ちかけます。すごいテクニックで、学生たち(リンの顧客)は試験で好成績をあげ、リンの収入は増加していきます。そして、アメリカの大学に留学するため世界各国で行われる大学統一入試「STIC」攻略へと挑戦していきます。

試験がマークシート方式なので、これまでのカンニングビジネスは比較的うまくいったのですが、「STIC」は難題でした。この試験を受ける受験生を合格させてやれば、大金が転がり込みます。もう、ここまでくると大人顔負けの技術と方法を駆使していきます。

39才の監督ナタウッド・プーンピリヤは、アジア各国のヒートアップする受験戦争と格差社会を底辺に置きながら、極めて洗練されたエンタメ映画を作り上げました、最初のシーンから観客は騙され、とんでもない方向へ持ってゆくテクニックに乗せられてしまいます。

ラストは見てのお楽しみですが、 こうくるか、という見事な結末です。リンを演じた美しいチュティモン・ジョンジャールスックジンのラストの視線が清々しい。

「恥ずかしい料理」(新刊/1980円)って何?と、先ずそんな疑問が頭を過ぎります。でも、これ一応レシピ本なんです。トーストの上にキュウリを切って絞っただけの「キュウリトースト」っていう超簡単レシピも含めて。

本書の著者は梶谷いこさん、写真を担当したのは平野愛さん。そして発行元は誠光社。こういうアプローチで家庭料理に愛を込めた本なんて、きっとなかったはず。うん、面白く読みました。

著者の梶谷さんは、友人や知人に頼み込んで、家に上がり込み、そのご家庭の日常にの料理を見せてもらいます。著者はこう言います。

「見せてもらった”恥ずかしい料理”たちはどれもキラキラ輝いて、手を合わせて拝みたいくらいでした。わたしの知らない”いつもの料理”をする淀みない手付き、思いも寄らないところから出てくる意外な道具、お願いして開けてもらった冷蔵庫のドアの内側、それはわたしが子どもの時からずっと探していた、台所の謎の答えだったような気がします。 台所という場所は、一体何をするところなのか?そこには、淡々とした日々の繰り返し、うんざりするような難題、それから、今のわたしではとても言葉にならないようなおかしさや味わいがありました。」

長々と引用しましたが、彼女は、入いり込んだ家庭の台所の匂い、佇まい、そしてそこに住む人々が口にする日常の食事を文章に吸い上げていきます。レシピと一緒に、その家庭への思いのこもったエッセイが掲載されていますが、そちらがとても良いのです。

誠光社で開催されていた発行記念の平野愛さんの写真展を見ましたが、やはりここに登場する家庭料理に対する愛情があふれていました。本書の表紙にもなっている「キュウリトースト」を撮った作品には、ファインダーを覗きながら、微笑んでいる写真家の気持ちが乗り移ったかのような素敵な仕上がりでした。

もちろん、ここに登場する人たちは気取りがなく、ナチュラルな人たちばかりであるのはいうまでもありません。自分にとって何が大切で、何が不要かをよく知っている方々ばかり。これは簡単なことではありません。

そうそう、当店ご近所にお住いの方ならご存知の「寿司割烹ふじ吉」さんも登場します。

 

 

気づいたら、私は中野翠のコラムを愛読してきていました。映画、小説、落語、ファッションについて、時に辛辣に、時に軽妙洒脱に綴っています。小林信彦という長編小説に傑作が多い作家にも、コラムが沢山あって、そちらを好きで先に読んでいましたが、中野のコラムにも同じものを感じたのかもしれません。

「コラムニストになりたかった」(新潮社/古書1200円)は、1969年に大学を卒業して、新聞社でバイトした時から最近までの、女性コラムニストの先駆け的な彼女の人生を振り返った本です。と同時に、時代により変遷していった風俗、流行、映画を再認識できる一冊でもあります。

「コピーライターというのは当時、急激に一般化しつつあった鮮度の高い職種名だった。老舗出版社の主婦の友社で、なぜコピーライター?という疑問も少しかすめたし、一名だけの採用というのも気になったけれど、軽い気持ちで受けたら受かってしまった」

これが彼女の出発点でした。それから「アンアン」に参加するようになり、様々な雑誌へと仕事を広げていきます。インタビューの仕事も増え、憧れだった森茉莉とも会うことができました。「マリさんの文章は、やっぱり特異な生まれ育ちというのも無視できず、私なんかがマネしたりするのは、みっともないことだというのは承知していた。私は私なりの生まれ育ちの中で、形成されて来たものを大事にしたエッセーを書けないものかなあーと、ボンヤリとだが模索していたような気がする。」と自分の仕事のスタンスを考えはじめています。

1985年、「サンデー毎日」から連載エッセーの依頼が舞い込みます。週刊誌2ページの連載は初めての経験で、躊躇したものの引き受けてスタート。これがその後、長期に渡って続くことになるのです。

彼女は多くの本を出していきますが、スタートから今日まで、一人であっちへ行ったり、こっちへ行ったりしながら、自分の仕事を、自分にふさわしい仕事を、確立していきます。その姿には、力みもなく、清々しい印象さえあります。

本著の最後の方でこんな文章に出会いました。

「小林信彦さんには確実に影響を受けた。『世界の喜劇人』『日本の喜劇人』、この二冊は決定的で、私のバイブルのようになった。」

そうか、やっぱり小林信彦か、と思いました。

 

 

本日より新年の営業を開始しました。本年もどうぞよろしくお願い致します。

ギャラリーの展示は、野生動物写真家に焦点を当ててみました。野生動物写真家といえば星野道夫を外すことができません。1996年、不慮の事故でこの世を去って今年で25年。写真集とともに多くの文章を残して、世代を問わずに支持されています。

彼が愛したアラスカの日々変化してゆく自然とそこに住む動物たちの姿を、写真で、または文章で伝えてくれました。確実なことは、彼がアラスカの大地に愛されていたことでしょう。そして、その大自然の姿を通じて、人も大きな生命の川の中で生かされていることを語ってきたのだと思います。

「星野道夫 最後の狩猟」という特集をしている雑誌「Coyote」最新号(新刊1320円)を始め、多くの本を揃えましたが、ほとんどが絶版になっているのですね。これを機会に集めてみてはいかがでしょうか。

当店で個展をして頂いた上村知弘さん(カナダ在住)と、安藤誠さん(北海道在住)の写真を示しています。10年くらい前に、初めて上村さんにお会いしたのが、安藤さんが経営する釧路のロッジ「ヒッコリーウインド」でした。その時に出会った暮れ行く湖に佇む一羽の鳥を撮った作品は、胸が締め付けられるような孤独、黄昏れる大自然の美しさに満ちていました。お金もないのに買います!と安藤さんに言ってしまったことを思い出します。

安藤さんは、毎年秋にネイチャートークで当店に来られていますので、ご存知の方も多いと思います。クマと、キタキツネを捉えた2作品を展示していますが、ポイントは眼です。じっとみていると、向こうから見つめられているような気分になります。二人の本も並べましたので、ご覧ください。