絵本作家の村上浩子さんが主宰する「えほん作家養成教室」の展覧会が始まりました。

この教室の展覧会は、昨年に続き2回目になりますが、前回同様、いえそれ以上の力作が揃いました。教室では6ヶ月かかって手づくりの絵本を1冊作ります。その原画と、世界に1冊の絵本を並べてあります。今回は、初参加2名を含む9人の方の絵本が出展されています。

大きなお魚の大きな愛に包まれて、皆楽しそうに暮らす「おーととハウス」(作・たじま しょう)の世界、お子さんたちの様子をヒントに、はぐれた友だちを探す「あえたね あえたよ」(作・いけなが けい)の楽しい話、いずれも初めての絵本ですが、苦労しながらやっと作り上げた達成感に満ちています。

ふんわりした水彩画が、優しいストーリーと溶け合う「なかよしおたすけぐみ」(作・かなたに なな)。美しく歳を重ねた先輩女性の笑顔を描いた「顔施のひと」(作・たに ゆかり)、自作の万華鏡から覗いた世界を描くユニークな「まんげきょうえほん・なにかな(作・かわばた ひでと)。「あ、めいちゃんだ」(作・かとう てるこ)は、2歳のめいちゃんが、大きな物はママ、小さな物はめいちゃんと思っている子どもの目線がかわいく、「だいこんのじんせい」(作・ふじむら まりこ)は、のびやかな絵とペーソスのある語り口が魅力的。超元気なおじいちゃんと孫が、クッキーの争奪戦を繰り広げる「クッキー」(作・かわい みゆき)は、センスのあるスピーディーな展開が楽しい。

どの絵本も、発想がとても面白く、描き方もそれぞれとても個性的で、上手下手というような基準では計れない、宝物のような絵本です。手に取って一人一人の大切な世界に触れてみてください。

こんなに個性的な生徒さんたちそれぞれの良さを引き出して、本に仕上げていく先生のご苦労も多いと思いますが、この中から絵本コンクールに入賞されたり、電子書籍絵本として出版されたりと、作家さんが育っています。えほん教室、目が離せませんね。先生である村上浩子さんの人気キャラクター「メルシーにゃん」の原画、すてきな絵本も一緒に並んでいます。こちらもご覧下さい。(女房)

 

えほん作家養成教室・京都第4期「えほん展」は、6月19日(火)〜7月1日(日)

  12時〜20時(最終日17時まで)月曜定休日

 

 

 

 

「学問を、ただ方向づけられた知識の体系と論じることに意味はない。学問がそういうものだと思い込んでいる人にも、私は関心はない。それはあなたが見つけなさい。歩くこと、そのことに楽しみがあり、それが学ぶことなんだ。どこを歩くのか、それは、あなたが見つけなさい。本のなかを歩いてもいい。もちろん雑誌という海もある。住んでいる町だって、川だって海だって行くことはできる。島を歩いても、歴史に身をおくことだってできるのだ。歩きながら、育て育てられた人たちがいる。そこに学問があるのだ。」

と、フリーライターとして編集者として、独自の活動を続けてきた中川六平が、著書『「歩く学問」の達人』(晶文社/古書/絶版1400円)の「まえがきにかえて」で、書いています。

アカデミックな世界から、或は既成概念に縛られた世界から飛び出し、様々な世界を歩き、人と出会い、考えて、自らの思想を作り上げていった人達十数名を取り上げて、彼らの”歩き方”を紹介したのが、この本です。

鶴見良行、山折哲雄、藤森照信らの研究者、「ガロ」を立ち上げた長井勝一、「谷根千」という先駆的地域雑誌に関わった森まゆみ、「本の雑誌」編集長目黒考二などの編集者。或は、役者の小沢昭一、カヌーイストの野田知佑、作家の松下竜一など多彩な顔ぶれが登場します。

1964年創刊された「ガロ」の編集者長井勝一の元には、ユニークな人々が集まってきます。白土三平、水木しげる、つげ義春等の漫画家はもちろんのこと、筑摩書房の名編集者松田哲夫が、作家の赤瀬川原平が、さらには南伸坊が、長井を慕って集まってきます。評論家の鶴見俊介は、「戦後の学問の歴史でいうと、今西錦司さんの作った今西学派というのはたいへん大きなものですが、そうした区分をこえて思想史を考えるとき、ガロ学派は今西学派に匹敵すると私は思っています。」

「ガロ学派」。集まってくる人達が好きな事を、好きなようにやっているだけの集団です。編集会議もなく、じゃ、来月はこのマンガと、このマンガで、みたいな感じの遊びに溢れた集団です。南伸坊は、長井を「オヤジのような人」と評していますが、「ガロ学派」は好きなことをやる、長井さんにわかってもらえることを基本にしていたようです。人が人に出会い、触発されてゆく。人の海を歩いて、触発されて、新たな動きを始めて、そこに人が集まってくるのです。

同じように、自分好みの企画を組んで、好きな人に原稿を頼み、好きな作家の紹介だけをするというやり方で大きくなった「本の雑誌」を、立ち上げたのは目黒考二。この人、本が読めなくなるという理由で、会社を辞めた筋金入りの本好きです。盟友、椎名誠とスタートしたこの雑誌を、目黒は純粋な遊びだという信念で始めました、だからこそ、一切の妥協をせずに編集を巡り椎名とは何度も衝突します。「本の雑誌」の面白さは、本で遊ぶことに徹していることですね。いつもラクな方に、自由気侭にやってきた目黒ですが、町の印刷工場を営んでいた彼の父親は、先の大戦で戦争反対を叫び、治安維持法で獄中にいた人物です。やりたいことをやるということでは、筋金入りの親子です。

 

 

ボサノヴァ音楽の大巨匠、アントニオ・カルロス・ジョビンは、70年代、ボサノヴァの枠にとらわれない壮大で技巧的、なおかつ内省的な作品を多く残しています。残念ながら、この時代の作品はあまり人気がありません。しかし、私は、派手ではないけれども、詩的で文学的な作品「ウルブ」(売切)は聴いて欲しいアルバムだと思っています。

1980年、英語やポルトガル語を交えて歌った「テラ・ブラジリス」(CD1300円)を、クラウス・オガーマンのプロデュースでシンフォニックなアルバムを発表しました。元々、クラシック音楽への深い教養があった彼だから出来た作品です。

タイトルの「テラ・ブラジリス」は、「ブラジルの大地」という意味です。ジャケットにはブラジルの大地と、ここに棲息する多くの動物達のイラストが描かれています。ジョビンは70年代から環境問題、特にアマゾン熱帯雨林保護活動を熱心に行ってきました。その思いが、このジャケットデザインに現れています。シンプルな楽器構成で、哀愁溢れるメロディー一杯のボサノヴァ音楽は、「究極のイージーリスニング」と称されて、お洒落なカフェの定番になっています。でも、本アルバムは、ブラジル音楽と育ってきジョビンの、50歳を過ぎて新しい音楽へ向かう姿勢と、自分を育てたブラジルの大地への思いを巧みに組み込んで、極めて作家性の高い作品となっています。

もう1枚、大胆なスタイルで、自分の故郷への思いをアルバムがあります。名パーカッショニスト、ラルフ・マクドナルドが1978年発表した「ザ・パス」(1500円)です。彼の祖母アルバーサ・フリッツに捧げられた(ジャケットに使われています)このアルバムは、レコードとして発売された当初、片面すべてを使って「パス」という組曲を演奏しています。パーカッションを中心に、ナイジェリア出身の歌手たちが参加して、土着的なリズムでゴスペル感覚溢れる音楽が展開されます。アフリカ的リズムは、やがてラテン系のサウンドを取り込んでさらに盛り上がっていきます。打楽器こそ、すべての音楽の原点、それを生み出したアフリカへのリスペクト溢れる作品となりました。

 

 

 

海外の小説、ジャズ、ロック等の新しい音楽、そして映画を好きな方は、一度は植草甚一の本を読まれたのではないかと思います。私も学生時代、せっせと読みました。「急にモダンジャズがすきになってしまって………だいたいの計算だと600時間ぐらいジャズをきいて暮らしていた」なんて彼の文章を読んで、これまたせっせとジャズ喫茶に通っていました。

体系的な評論活動ではなく、好きなものに片っ端から手を出していた植草は、若い頃、何に、誰に影響を受けながら、面白いことに熱中したのか。いわば彼の「ブルーの時代」を語った本を入荷しました。津野海太郎の「したくないことはしない 植草甚一の青春」(新潮社/古書・絶版1850円)です。津野は、植草の著書「映画だけしか頭になかった」、「ぼくは散歩と雑学が好き」等で編集に関わり、十数年にわたって付き合いのあった人物です。自由きままなライフスタイルを作り出した元祖、植草の人となりを、東京下町の商人の息子として生まれた幼年時代から語っていきます。

15歳の時、関東大震災に直撃され、30代後半で東京大空襲を経験するという青春を送った彼が、どうしてあんな自由な文体を操ることができたのか、興味あるところです。彼が使うと、その言葉の意味が、それまでの制限から解き放たれていきます。例えば、好きなレコードを買っては、演奏メンバーや曲目をノートに書き出していました。それを彼は「勉強」と言います。代表的作品「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」にも「勉強」が使われています。

津野は「『道楽』というかわりに『勉強』という。勉強というしかたで惑溺する。そんなタイプの勉強すき。植草甚一という人物を考える上で、これは重要な一点だと思う。」と記しています。植草が「勉強」という言葉を使うと、堅苦しさがどこかに消えます。

大学のようなアカデミックな世界とは無縁に生きてきた植草には、先生と呼ぶ人物はいません。しかし、津野は、彼が先生と呼べるのは堀口大學、飯島正、村山知義の三人だと口に出していたと書いています。原書で海外の小説を読むことを教えた堀口、映画の見方を伝授した飯島、そして欧州のアバンギャルド芸術に目をむけさせた村山が、植草ワールドに基礎になっていることを、この本で知りました。

かつて植草的世界にハマった方なら、再び読んでみようかな、という気分にさせてくれます。また、植草なんて知らないという世代にとっては、60年代にこんなファンキーなオヤジがいたことに、驚かれるかもしれません。

角幡唯介の「空白の五マイル」(集英社/古書900円)は、極上の冒険ノンフィクションですが、

「親指の爪ぐらいある大きくて甲虫みたいに堅いマダニの仲間が、すねや腋の下、あるいは股間といった皮膚の敏感な部分にしばしば喰らいついた。思いっきり強くつまんで、全力で引き剥がすが、頭部が残ってしまうのか、マダニにやられた痕はかさぶたになり、かゆみが何ヶ月にもわたり残った。」

なんて描写がチョイチョイ顔を出しますので。この手合いのシーンが苦手の方は、ふっとばして下さい。

ツアンポー川は、チベット高原を横断しインドへと流れ込む、長さ2900キロに及ぶアジア有数の大河です。人を寄せ付けない奥地の、さらに奥地にある峡谷に向かって、19世紀、多くの探検家が挑み、消えていきました。

著者の角幡唯介は、大学生だった頃、とある書店で見つけた金子民雄の「東ヒマラヤ探険史」を読んだことが、彼の人生に大きく影響を与え、ツアンポー峡谷へとのめり込んでいきます。本書は、1924年、イギリスの探険家フランク・キングドン=ウォードが、人跡未踏だったこの峡谷の奥深くまで分け入ったことに始まるツアンボー峡谷探査の歴史から始まります。不十分な装備で、何が出るかわからない峡谷探検物語は、映画「インディージョーンズ」ばりに面白いものです。著者は幾多の難関を乗り越えて、この地へと向かいます。簡潔な文章なので、リアルにその時々の状況が頭の中で映像化されていきます。

「海抜3700メートル。富士山の高さに匹敵するチベットの中心都市ラサの冬は、誰もが想像するほどの寒さではなかった。」

チベット仏教に基づいた一大文化圏最大の都市、ラサ。2002年12月、ここから、著者の探検が始まります。崖から滑り落ち、死ぬ一歩手前で助かったり、ダニに大群に襲われ「肌がまるでは虫類のうろこにようにでこぼこしていた。数えきれないほどのダニが私の躰に群がっていた」ことも体験しながら、奥地へと進んでいきます。やがて、彼の前に登場する、その存在すら確認できていなかった大きな洞窟、未知の滝の数々。彼と一緒に、読者も一歩、一歩奥地へと入ってゆく描写は、小説以上に面白く、ドキドキさせてくれます。

しかし、その一方で、人間を全く寄せ付けない荒々しい大自然を前にして、彼が考えるのはこんな事です。

「自然が人間にやさしいのは、遠くから離れて見た時だけに限られる。超時間その中に入り込んでみると、自然は情け容赦のない本質をさらけ出し、癒しやなごみ、一体感や快楽といった、多幸感とはほど遠いところにいることが分かる。」

でも、それでも、やはり、彼は奥地を目指すのです。その情熱の深さに圧倒される一冊でした。

最後までやっと読めました、種村季弘を!「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房/絶版800円)です。

種村 季弘(1933〜2004年)は、古今東西の異端、暗黒的な文化やアートに関する広汎な知識で知られた評論家です。独文学の翻訳の他、内外の幻想小説や美術、映画、演劇、舞踏に関する多彩な評論を展開してきた、「博覧強記」として知られています。「吸血鬼幻想」、「ドイツ怪談集」とか何度かトライしたのですが、挫折。彼の膨大な知識量に付いて行けなかったのだと思います。

しかし、生前最後の自撰エッセイ集として発行されたこの本は、非常に読みやすい一冊でした。2004年、病状が悪化した彼は、編集者と共に様々な媒体に発表したものを収集し、整理してまとめました。本書は「西日の徘徊老人編」、「幻の豆腐を思う篇」、「雨の日はソファで散歩篇」、「聞き書き編」に分けられています。

「西日の徘徊老人編」では、戦後アメリカ兵が独占していた占領下の銀座を「多様な民族、多様な人々を静かに受け入れている戦前の、あるいは今の銀座のような品位がなかった。」と書いています。傑作なのはその中に収められた「名刺」というエッセイ。

書き出しは、「テレビを家の中に置かず、名刺を持たないとどういうことになるか。テレビ番組が話題になる大抵の席で口をきかなくてすむし、人に会っても名刺を渡さないからすぐに忘れてもらえる。この情報過剰時代にその人の身のまわりだけがひっそりと閑散となり、都会の真ん中に住んでいて世捨て人になれる。」都会の真ん中で世捨て人になる偏屈なおやじ、いいですね〜。

「幻の豆腐を思う篇」は、そのタイトル通り、食に関するエッセイが集まっています。「豆腐は日常食である。だから近くにいい豆腐屋があるかどうかが、豆腐好きには死活の問題になる。」と、引越しの度に、豆腐屋を探して奔走していた様が面白く描かれています。酒好きには、酒場にちょいと行きたくなる文章がいっぱい書かれています。

自分の死をすぐ傍に捉えていたのでしょうか。「そこの共同浴場である日倒れて、そのまま救急車で運ばれてお陀仏になる。あの世行きの永くて短い待合室であること」が温泉の理想と語り、山田風太郎論では「人生をぜんぶ余録、余生と見て、死ぬまでの一切を、とりわけ死を滑稽事として演じること。山田風太郎はすでにみごとにやり遂げた。われわれは今からでも遅くない。」と締めくくっています。

絶妙に味のあるエッセイって、おそらくこういうものなのでしょうね。

濱田研吾「増補文庫版脇役本」(ちくま文庫/古書800円)の「脇役本」という言葉に注目して下さい。映画、TVの『脇役』を紹介した本ではありません。いわゆる脇役と称される俳優が書いた「本」を「脇役本」と名付けて、その膨大なコレクションを紹介しています。主役クラスの役者さんの本って、山ほど出版されていますが、それに負けないぐらい出てることに驚きました。

そして、もう一つ「増補文庫版」という但し書き。著者の濱田研吾は、大阪出身のライターで、2005年右京書院から刊行されたこの本が、それから、十数年後、さらに集めた本を増補して文庫版として販売されました。好きな俳優、気になる役者が書いた本を、何年も何年もかけて集めてゆく!好きでなければできません。

コレクションの中には、どーでもいい内容の本もあります。しかし、役者という本職以上に、知識と見識を備えた本も沢山でています。2017年に亡くなった文学座出身の神山繁は、晩年京都嵯峨で暮らしていて、装幀、紙、製本に至るまで拘る京都の湯川書房から、自費出版で3冊の骨董エッセイを出しています(すべて非売)。小林秀雄と白州正子の薫陶を受けた神山だけに、見事な出来あがりになっていると、著者はあとがきで書いています。

文庫本には、80名近くの脇役が書いた本が紹介されています。悪役も、人情味溢れる役も、映画、TVで数限りなくこなした中村是好は盆栽を極め、「小品盆栽」を出していて、著者いわく「いい本である。これほど説得力のある道楽脇役本はなかった」と絶賛しています。

私の大好きだった二人の俳優の本も紹介されています。冷徹な悪役が上手かった内田朝雄は、二冊の宮沢賢治本を出しています。役者人生以上に文学者としてのキャリア長く、詩や童話への造詣が深く、46歳の時、賢治作品と出会い、後半生を賢治研究に費やしました。

もう1人は、やはりニヒルな悪役が見事だった成田三樹夫。読書、詩と句作を趣味とした成田は、50代半ばでこの世を去ります。没後、彼の遺稿句集「鯨の目」が発表されます(店にもありましたが、すでに売切れました)。この本は人気があり、2015年には増刷され(版元無明舎出版)、脇役本の中では、異例のロングセラーになっています。

スクリーンに、あるいは舞台に、そしてTVにちょいと出ては、消えてゆく俳優達が書いた様々な本。そこには自らの波瀾の生涯やら、本業以上にのめり込んだ趣味の世界が語られています。黒澤や小津映画でお馴染みの宮口精二は、やはり常連出演していた中村伸郎とは、文学座創成期以来の同士で共に蕎麦通。中村はエッセイストとしても知られており、「宮口精二の蕎麦さばきは、一ときわいなせで、蕎麦をつまんだ箸を二、三度上下させてたれを切り、いい音を立てて飲み込む」と書いていますが、まるで映画の一場面をみているような気になります。

脇役本の内容紹介だけでなく、大正昭和を通じて、映画や舞台に生きた役者たちの意外な素顔や、驚きのエピソードが、それぞれの「本」の中に散りばめられていて興味がつきません。

ウェス・アンダーソン監督の新作「犬ヶ島を観ました。膨大な人力と時間のかかるストップ・モーションアニメです。

静止している物体を、1コマ毎に少しずつ動かしてカメラで撮影し、あたかも連続して動いているかのように見せる技術で、通称「コマ撮り」と呼ばれる技法で作られています。まだアニメ技術の進んでいなかった時代のやり方で、CG全盛期の昨今、長編で作ろうなどという輩はおりません。

しかし、アンダーソン監督は2011年、ロアルド・ダールの児童文学「父さんバンザイ」を原作とした「ファンタスティックMr.FOX」で、ストップ・モーションアニメに挑戦しています。総勢670人のスタッフを従えて、なんと4年がかりで完成させました。これだけでも拍手喝采ですが、なんといっても中身が面白い。

舞台は近未来の日本のメガ崎市。ここではドッグ病が蔓延し、人間への感染を恐れた市長が、すべての犬を“犬ヶ島”に追放すると宣言します。怒りと悲しみと空腹の中、さまよっていた島の犬たちの前にある時、一人の少年が小型飛行機で島に降り立ちます。少年を守っていた犬スポッツを捜しに来たのです。この少年アタリと、個性的な5匹の犬たちの友情と冒険を描く物語です。廃棄された原発、ゴミだらけの島、そして極端な情報統制の政治状況など、今の日本の姿も巧みに捉えています。

これをCG技術で映画化していたら、これほど面白くなかったのではないかと思います。一コマ、一コマ動かしながら撮影された犬たちの毛並み、表情が、リアルを通り越した不思議な空気を作り上げています。黒澤映画へのオマージュ、宮崎アニメへの憧憬、浮世絵や歌舞伎などの日本のクラシックな文化への、愛情とリスペクトなどがいっぱい盛り込まれています。しかし、それが単なる引用や、オタク的ネタだけに陥らず、細部にまで徹底的に拘りぬいた作りによって、全く新しい映像世界が出来上がりました。

もし、ディズニーがこの物語を映画化すると、家族皆で泣ける愛犬と少年の感動作品という映画になってしまいそうです。しかし、アンダーソンの映画にはそんな部分は全くありません。感動なんてどこふく風。この映画は、今どき膨大な時間と資金を使って、アニメ初期の技法で面白い物語を作るという、途方もない夢を実現させた作り手たちの、映画への愛を傍受する作品だと思います。ベルリン映画祭で監督賞を受賞したのも、きっと「良くやった!」という欧州の映画人たちの気持ちなのです。是非、不思議な「犬ヶ島」の世界をお楽しみください。

 

 

 

「どの話にも闇と光の濃密な匂いが感じられる。正確には闇の深さに触れることで生の光が生まれているのだ。大きな海の中の小島。闇のなかの一点の光。そのなかで生きていることはめちゃくちゃな偶然で奇蹟。」

これ、何の絵本の解説かお分かりでしょうか?実は酒井駒子の「金曜日の砂糖ちゃん」です。

穂村弘の「ぼくの宝物絵本」(白水社/古書1300円)は、国内外の名作絵本70冊をオールカラーで紹介してあります。最初のページを開けると、先ず武井武雄を特集した「別冊太陽」の鮮やかな絵が登場します。文庫でも出版されていますが、これは、大きな版のハードカバーで見ないと絶対に損です。

 

こんな本も選んでいるのかと驚いたのが、太田蛍一の「働く僕ら」です。太田蛍一を知っている方は少ないと思います。彼はミュージシャンで、戸川純、上野耕路と組んだ前衛的音楽ユニット「ゲルニカ」で活動。その後1990年に発表したのが、この絵本です。絵本と言っても子ども向けではありません。昔のロシアとドイツ、そしてアジアのどこかの国の雰囲気をミックスさせたような近未来の国が舞台で、テーマは労働です。アバンギャルドに、そして妖しく展開し、得体の知れない魔力が存在しているみたいです。私は、音楽雑誌で彼が一風変わった絵本を書いているインタビューを読んだ記憶がありますが、こんな世界だったとは……..。版元リブロポートがもう無いために、かなり高値が付いていました。

こちらも高値が付いていて驚いたのは、矢川澄子作・宇野亜喜良絵の「おみまい」です。穂村は、ジョン・テニエルが描いたワンダーランドのアリスを、「じっと顔をみると少女というよりも大人の女性みたいだし、角度によってはなんんだかおばあさんのように思えることもある。私はその無表情さにときめきを覚える。」と書いていて、日本では宇野亜喜良の少女たちが、そういう少女に近いと言います。その代表ともいえるのが「おみまい」に登場するマリちゃんです。太い眉、大きな目、への字の口の無表情な女の子です。物語の中で、睨んだり、肩をすくめたりして、一度も笑いません。確かに、このマリちゃんは愛想はないのですが、カッコイイのです。

穂村はこんな少女に出会うと、「未熟な子どもたちが泣いたり笑ったりしながら経験を積んで成長するなんて、とても信じられなくなる。大人たちが安心するためにそういうことをしたいだけなのでは。」と述べています。

穂村らしい解説の楽しい大人向けの絵本紹介本です。お薦めです。

 

 

NHK朝の連ドラ「半分青い」の舞台になっている岐阜から、素敵なミニプレスが届きました。タイトルは「Edit Gifu」(864円)。

内容は盛り沢山ですが、本好きなら、古書店「徒然舎」の記事を先ずお読みいただきたいです。当店の一箱古本市にも、毎年面白い本を選書して出してもらっている素敵なお店です。『「古書と古本 徒然舎」をめぐる4人の考察』と題して、数ページに渡る特集が組まれています。4人の方々が「徒然舎さんで購入した印象深い本」の解説をされています。探していた、向田邦子の愛読書「酒吞みのまよい箸」(浅野陽)を見つけた方、田村隆一の「スコッチと銭湯」をゲットした方など、それぞれ「徒然舎」との思いを語っています。

「徒然舎さんはどんな場所?」という質問に「ゆっくりと、本に向き合える場所」と答えた方がおられましたが、こんな風にいわれたいものです。店主夫婦の素敵な笑顔のツーショットや、店内の写真が並んでいるのを見て、ご無沙汰しているのでぜひ行ってみたくなりました。

デザイン事務所「リトルクリエイティブセンター」を中心にして、3人の若者が、様々な活動をしている街中のビルがあります。1Fは、内外の文房具を販売する「ALASUKA BUNGU」。2Fは、出版社「さかだちブックス」。ここから出版された「私的岐阜観光案内」(350円)、「地方に住み始めました 岐阜市編」(702円)は当店でもお取り扱いしています。そして、3〜4Fがデザイン事務所。ここを運営する3人のロングインタビューが載っています。等身大に、無理をせずに、地道にやったきた彼らのヒストリーを読むことができます。

一つ面白い場所を見つけました。昭和の名作を”フィルム”で上映する珍しい映画館「ロイヤル劇場」です。1作品1週間交代で上映とか。古いフィルムを取り寄せると、痛みが激しく、フィルムをつなぎ合わせる作業が待っています。でも、そんな作業すら、支配人は喜々としてされているみたいです。今や、デジタル上映全盛の時代、こういうフィルムに拘る映画館は貴重です。今、上映されいるのは、昭和38年日活映画「アカシアの雨がやむとき」。西田佐知子(知らない人も多いかも。関口宏さんの奥さんです)のヒット曲を元にした、典型的な歌謡曲映画。こんな作品まだ残っていたんですね!観たいなぁ〜。

美川憲一のヒット曲「柳ヶ瀬ブルース」で有名な夜の柳ヶ瀬やら、スウィーツやら、食の情報も満載の「Edit Gifu」です。これをお供に岐阜へ行きましょう!

★「Edit Gifu」の挿絵が大好きです。(女房)