名古屋発のミニプレス「棲(すみか)」は、タイトル通り「住む」という事に特化した雑誌です。最新14号の特集は「家をつくる、という冒険」(972円)。この特集の中に、愛知県にあった自宅から、岐阜県に自分の理想の家を建てるために、5年間せっせと通って、自力で家を建てた女性が紹介されています。

40代後半。自分だけの場を作ろうと思い立ち、方々探し50歳の時、この地を見つけて、雑木をチェーンソーで伐採することから始まりました。もちろん、いくら何でも一人で家なんて建てられません。基礎部分は、岐阜の工務店にたのみました。それから5年。井戸を掘ってもらったり、建具屋さんに玄関ドアを依頼したりと多くの人に助けてもらいながら、花や野菜を植え、愛犬の囲いを作り、家を整備していきました。

彼女は独身ではありません。既婚者で、別に離婚の危機があるわけではありませんが、一番大変だったのは「家を出ると夫に告げた時だった」そうです。

「なにもかもなくす覚悟を決め、自分本来の生き方を始めたら、人も知恵も集まってきた」

という彼女の言葉はとても重いと思います。

もう一人、極めて潔い生き方をしているすぎのまきこさんが登場します。馬二頭と犬一匹と暮らしているのですが、その暮らしはまるで遊牧民です。夏は京都北部の山間部にある村で暮らし、冬は琵琶湖西岸、高原市のゲルで暮らしています。定収もなければ、未来もどうなるかわからない。けれども、彼女の生き方は決まっています。

「私はジプシーのように生きたい。意味も残さず結果を残さず、この世から消えてゆきたい」

そんな彼女のもとには、多くの人達がその魅力に引かれてやってきます。こんな自分流の生き方は、なかなかできないけれども、余計なものをそぎ落とすことの素晴らしさにはあこがれます。

 

 

 

ミシマ社さんの「京都本屋さんマップ」ついに、昨日完成しました!その労力と根性に拍手です!!「ミシマ社と京都の本屋さん展」は、本日5時過ぎまで。ぜひ、このマップを見に来て下さい。全部作った長谷川さん、お疲れ様でした!!

2005年〜2014年、読売新聞に連載されていた書評をまとめた「小泉今日子/書評集」(中央公論新社/古書900円)は、彼女のセンスの良さが溢れています。

書評デビューは、「女による女のためのR-18文学賞」受賞の「ねむりひめ」を収録した吉川トリコの「しゃぼん」というセレクトで、お〜さすが、キョンキョンです。その次が女優沢村貞子のマネージャーだった山崎洋子が書いた「沢村貞子という人」へとジャンプします。

そして、「何故だか太宰治の『人間失格』を思い出してしまった。」で始まるのが白岩玄「野ブタ。をプロデュース」です。「この小説には注意が必要だ。」と書いています。

「楽しい青春小説のようだが、その楽しさ自体が着ぐるみショーで、閉じた夢の中にみんなが憧れる人気者の深い孤独が隠されている。油断していると案外残酷な結末に胸がぎゅっと締め付けられる。人生は過酷なのだ。」

三崎亜記「となり町戦争」では「戦争の怖さは、人間から感情を奪ってしまうことでもあるのだろう。この本を読んで初めて、自分の身の丈で戦争のおそろしさを考えることが出来たような気がする。」

ここで取り上げられているのは、アカデミックな文芸評論には掲載されない、一般的な作品ばかりですが、キョンキョンは、読書を通じて、ものの見事に自分を語っていきます。短い書評ながら、彼女の考え方、生き方が伝わってきます。

「生まれて初めて教科書や参考書以外の本にラインマーカーを引きまくった。私の未来。新しい世界、新しい生き方への受験勉強をしているみたいで楽しかった。」

これ、上野千鶴子と湯山玲子の「快楽上等」の書評の最後の文章です。

現在開催中の「ミシマ社と京都の本屋さん」に出品されている益田ミリさんの「ほしいものはなんですか?」もこの書評集で取り上げらています。

デビュー当時(このシングル発売当時?)、レコード業界のお祭りで一度お会いしたことがありますが、好奇心一杯の瞳が印象的でした。

読書を通して、彼女が思ったこと、考えたことが語られる傑作書評、いや彼女の世界観を発信した本だと思いました。

 

「ミシマ社と京都の本屋さん」展は明日まで!!壁一杯に貼り出した京都の本屋さんマッ プも完成間近ですよ。

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1971年、ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国内には反戦の気運が高まっていました。国防総省はベトナム戦争についての調査を行い、その結果を膨大な量の機密文書を作成していました。その一部が、ニューヨーク・タイムズに掲載され、国民の注目するところとなりました。一方、ライバル紙のワシントン・ポストはその文書を入手することができずにいました。

スピルバーグ監督作品「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」は、遅れをとったポスト紙が文書を入手し、ニクソン政権の発行妨害に屈することなく、戦争の真実を世の中に公開するまでを描いています。

気鋭の編集主幹ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)の活躍を描く一方、ワシントン・ポスト社長で史上初の女性発行人キャサリン・グラハム(演じるはメリル・ストリープ)の、報道するか否かギリギリの判断に重点を置いています。

当時、ポスト紙は経営に行き詰まっていて、運営資金獲得のため自社株の株式市場への公開を目指していました。しかし、政権に楯突く様な記事を掲載すれば、裁判沙汰になる危険もあり、そんな企業に投資家が資金を出すことには消極的な状況になりかねません。

何としてもこの文書の掲載を進めたいという編集主幹のベンとは裏腹に、経営者として会社を危険に晒すことを恐れるキャサリンの2人は、真っ向からぶつかることになります。まくしたてるベンと、落ち着いてさばいてゆくキャサリンの演技合戦は、名優二人の見せ場。

映画の最初で、キャサリンが銀行家たちとのミーティングに向かうシーンがあります。居並ぶ銀行の男たち。まだまだ、女性がビジネスの最前線にいることが珍しかった時代。彼らはどんな目でこの女性を見ていたのでしょうか。紳士づらした顔の下には冷淡さと、差別意識があったはずです。

ベンの妻が、キャサリンは想像もできないぐらい辛い立場にいて、謂れのない差別や侮蔑の嵐の中にいることを見抜いています。そして、夫に「この決断を下すのは彼女の財産や人生そのものの新聞社を賭けることになる。とても勇気ある決断だ。でもあなたには失うものは何もないはず」と指摘します。映画は一新聞社の報道にかける執念を描きながら、実はキャサリンという女性の勇気と決断を浮かび上がせていきます。

後で知ったのですが、この映画には製作者、脚本家その他スタッフに大勢の女性が関わっています。だからこその視点で描かれたのですね。

★ご予約開始

今月下旬、吉田篤弘の新刊「神様のいる街」が夏葉社より発売されます。「神様のいる街」とは神保町と神戸。筆者が通った本屋さんや、カフェが登場します。ご予約先着5名様に限り、サイン入を予定しています 。また、本作には幻の処女作「ホテルトロールメモ」(30p)も収録されています。

 

京都育ちの国文学者、田中貴子の「あやかし考」(平凡社/古書1250円)。中世という時代を「あやかし」という言葉で括り、「中世の、ちょっと不思議であやしい『物語』に触れたいと思うなら、この本を手に取って頁を繰ってみてほしい」という言葉に誘われて読み始めました。

女性が若き僧に恋心を抱いて、追いかけ回し、寺の鐘に逃げ込んだ彼の前で大蛇になって呪い殺すという、歌舞伎でお馴染み「道成寺」がまず登場。様々なテキストを示しながら、この物語の出来上がるまで、そして道成寺という寺の位置づけを説明していきます。詳細に論じてあるのですが、これ以上になると国文学の専門家相手の専門書という狭い世界にいる人達のための書物になるところを、ぎりぎり躱してあるところが上手い。私のような歴史まるでダメ人間でも、一つの物語に、様々な思惑が絡んでいることが理解できます。

「研究者という、狭い世界のなかで細かな事柄について議論している人種と、書店に行くけれどおもしろい本がないとつぶやく一般読者とのあいだになんとか橋を架けたい」と、あとがきに書かれている通りです。

次に登場するのは、ご存知安倍晴明。彼が注目されたのは、夢枕貘の小説「陰陽師」、そのマンガでしょう。ここで描かれる陰陽師像には色々問題があるのですが、著者は「平安時代には多数くいたはずの陰陽師の活動が、晴明一人に集約して語られることの説明がなされていないことである。」と指摘しています。晴明が生きていた時代には、こんな超人的活躍を示す記録が、なにもないにも関わらずです。

私が面白いと思ったのは、「夕暮時には、人の手で整然と構成された都市の表面からは見えない部分が人間を浸食してくる」で始まる「夕暮の都市に何かが起きる」という論考です。ここでは「今昔物語」をとりあげて、「黄昏の空漠とした時間は、さまざまな思惑を持った人間のるつぼである都市の中に、ふとした不安感をもたらす魔の時間である。そのような時間に出会った人だけが、都市の裏側をかいま見ることができたのである。」と論じています。照明もなかった平安京の夕暮って、今よりも不気味だったにちがいありません。

こんな風にして、この本は、「平家物語」の無常観や「徒然草」の厭世観とはちがう不思議な中世の一断面を見せてくれます。興味を持たれたら、さらに専門的な本を開いてみてはいかがでしょう。それこそが、著者の望んでいる事かもしれません。

 

★ご予約開始

今月下旬、吉田篤弘の新刊「神様のいる街」が夏葉社より発売されます。「神様のいる街」とは神保町と神戸。筆者が通った本屋さんや、カフェが登場します。ご予約先着5名様に限り、サイン入を予定しています 。また、本作には幻の処女作「ホテルトロールメモ」(30p)も収録されています。


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すずきまいこさんの新作絵本「いつも おまえの気配を さがしていた」(新刊/1080円)が、北海道のかりん舎より届きました。すずきさんは、北海道在住で、昨年の5月に絵本「ぼく生きたかったよ」発売記念の原画展を当店ギャラリーで開催しました。

前作「ぼく生きたかったよ」は、戦時中、国が猛獣の脱走を恐れて動物園に処分を命じた時に、京都動物園で殺された熊の親子の実話をもとにした絵本でした。戦争は動物の命も平気でむしり取ることを、独特のペンのタッチで強く印象づけた絵本でした。今回の新作は、北の大地にいきる熊たちの気配を身近に感じていたい、著者の気持ちが込められた素敵な絵本です。

「カサカサなる 笹の葉 ひんやりした 森の空気 ーこの風のなかにすわって 絵を書くこと…….  それは とおい都会にいたときに 涙が出るほど 夢見ていたこと」

その夢みていたことに身をまかせて、山の中のクマの気配に耳をそばだててながら、細密に描き込まれた植物と、そこにヒョイと出て来るユーモラスなタッチのクマの足。豊かな森に囲まれて、森に生きる命と会話しながら描くすずきさんの幸せな感じが伝わります。

「リスに はなしかけながら おまえの息づかいを かんじながら いま ここに 生きているんだ……..と 目のまえの いのちを 紙に描きおこす たのしさ」

レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」に近い感覚をちょっと覚えました。

作者は最後にこうつぶやいています。

「一とうのクマが 撃たれて 星になった それ以来 わたしの胸の だいじなところに おまえは棲みついて 森をはなれると おーい おーいと こころの中の おまえが呼ぶ」

星野道夫が、都会で生きている時、同じ時間をくまが森の中で生きている不思議さに感動すると書いていました。最終ページに描かれた絵(写真右)は、星野も、すずきさんも心の中で見たに違いない森をゆくクマの姿のようです。

 

★ご予約開始

今月下旬、吉田篤弘の新刊「神様のいる街」が夏葉社より発売されます。「神様のいる街」と神保町と神戸。筆者が通った本屋さんや、カフェが登場します。ご予約先着5名様に限りサイン入(予定)。また、本作には幻の処女作「ホテルトロールメモ」(30p)も収録されています。

 

 

斉藤桂著「1933年を聴く」(NTT出版/1800円)は、「聴く」とタイトルにありますが音楽関係の本ではありません。

「1933年という1年に注目して、そこで降り注いだ音楽や音、そしてそれらに関わった人々を扱うことで、いわば当事の社会を取り巻く大気=雰囲気を明らかにしようという試みである。」と、著者は書いています。

1933年、日本は国際連盟を脱退しました。中国本土に建設した傀儡国家満州を巡って、欧米列強から激しく非難されたことに対して、日本は孤立外交路線へと舵をきります。国際化から、国粋化へ、日本化へと邁進していきます。この本は、こうした暗い時代へ流れ込む分岐点だった1933年、巷に溢れていた音楽や音を広い集めて、歪んでゆく社会を描いた労作です。

当時、奇妙な流行がありました。伊豆大島の三原山火口に飛び込む自殺ブームです。1月、2月と連続して女子学生が身を投げ、やがてこの事件は、映画、或は音楽によって物語化されていきます。三原山は「自殺現場」ではなく「自殺の聖地」へと変わっていくのです。その一方で、自殺者の動機、意図が論じられることなく、自殺者は「三原病」だと病人のレッテルを張付け、精神の問題だと決めつけられます。ここでも妙な精神論が支配的になっていきます。

同年、3月27日に日本は国際連盟を脱退。翌月の29日は天皇誕生日、その数日後はメーデーです。この年の 天皇誕生日、メーデーは例年と大きく変わります。連盟脱退を国民は歓び、大いに盛り上がり、その後、大きなデモ行進が始まります。

「午後三時には国家主義諸団体の労働者一万名が代々木の原を出発して青山から芝公園まで日本労働歌を高らかに合唱しつつ、愛国的デモを行ふ」と同年4月29日の読売新聞は報道しています。

「国家主義諸団体の労働者」と記載されているように、労働歌を歌って行進しているのは右翼団体なのです。そしてメーデー当日、右翼系労働団体は「軍楽隊の響きを伴いメーデー歌」を高唱するという、今日では考えられない状況が出現しました。

著者はこの「国際連盟脱退という『まつりごと』」の章をこう締めくくります。

「この天長節から四ヶ月後の八月。関東地区で大きな防空訓練が行われる。訓練とはいえ、灯火管制でネオンサインは完全に消され、音楽隊ではない音が街には響き渡った。そして私たちがよく知るように、その訓練が訓練でなくなる日がやってくる。」

これは過去の歴史だよ、と片付けられればいいのですが………。

 

 

レティシア書房は、すっかりミシマ社に乗っ取られた様相を呈しています。店のウィンドウ(写真左)にも、入口付近(写真右)にも、ほら、ミシマ社さんが…….。「本のおみくじ」(写真右下)なんていうのもあって、ご来店の客様にはけっこう好評ですし、ミシマ社オリジナル手ぬぐいは、このキャンペーン中に3冊以上ミシマ社の新刊をご購入の方にプレゼントしております。

「ミシマ社と京都の本屋さん展」は、壁一杯に貼り出された京都市内の本屋さんの地図が、ペチャクチャおしゃべりをずーっと続けているような賑やかさ。なんせ自転車で15分くらいしか離れていないので、ひとつずつ本屋さんのイラストが増えていくという状態ですが中日を過ぎても、一向に完成の目処は立たない感じで、たぶんこのまま最終日になだれ込みそうです。最終日にちゃんとこの展示を下ろす事ができるのか、目下の心配はそこです。次の展覧会の準備がひかえてるので、ミシマ社さん、お願いしますね。

ミシマ社の本については、店長が、「店長日誌」でも度々取り上げてきました。この展覧会の初日のブログ(4月11日)にも紹介しています。私はサイン本の棚に並んでいる「毛のない生活」(山口ミルコ著・1500円+税)を、久しぶりにめくりました。この本を初めて手に取った時、私は親しい友人の癌の闘病に付き添っていました。彼女の底知れない不安を、すぐ側で見ていた毎日がよみがえります。山口さんが病気を受け入れ、生きる道を模索し、友人と繋がりながら、バリバリ進むだけの生活から、足下を見つめ新しく生まれ変わろうとしている姿が、健気でまぶしかった。社会に、人生に取り残されそうな不安など、胸をしめつけられそうになったこともあったでしょうが、本にまとめあげられた力に、改めて敬服しました。あの時、一所懸命前向きに頑張っていた友人が、ふと「もとの体に戻れない」と涙ぐんだ時、私は力になれていたのだろうか、と、彼女を切なく思いだしました。

現在読んでいるのは「お世話され上手」(釈徹宗著・1600円+税)。ここでは、お年寄りの暮らしにとっては、何を置いてもバリアフリーが必要というわけではない、ということなどが書かれていていちいち頷きました。面白いと思ったのは釈さんの「巻き込まれキャンペーン」という一人ムーブメント。このキャンペーン中は、後先を考えずに流れに身を任せる、ともかく誘われたら、興味がなくても乗ってみるというもの。どちらかというと巻き込まれ型の私など、そうこうしているうちに気がついたら古本屋の女房。けれどそのおかげで、面白い展示のお手伝いなどできるわけです。私一人の経験なんてしれているので、誰かの力を借りてこれからも自分の枠を広げていくつもりです。

「ナンバ式!元気生活」という本をみつけ(レティシア書房もミシマ社のすべての本を置いているわけではないので)店番の合間に立ち読みしていたら、お客様が買っていかれたので慌てて追加発注ということもありました。そんなこんなで、賑やかなミシマ社展ですが、いつもとは違う活気が漲っております。きっとミシマ社さんのみなさんの熱気が、小さな本屋を少し若返らせてくれたのでしょう。有り難いことです。と、いうわけで、ミシマ社の未完成地図など見に、お出掛け下さい。立ち読みしていただいて結構です。(女房)

「ミシマ社と京都の本屋さん」展は、4月22日まで。(月曜定休日)12時〜20時

マウゴシュカ・シュモフスカ監督によるポーランドの映画「君はひとりじゃない」は、第65回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で上映され、銀熊賞を獲得。グディニャ映画祭で金獅子賞、第29回ヨーロッパ映画祭で観客賞を獲得しています。

妻に先立たれた中年男。残されたのは、意思疎通のできていない一人娘。母の亡き後、精神のバランスを崩し、父とはほぼ断絶状態になっています。そんな彼女に寄り添う、セラピストの女性には、実は霊を呼び寄せる力が備わっています。

と、ここまで書けば、そのセラピストが母の霊を呼び、それを機に、父と娘との歪な関係に終わりがくるという結末を予想されますよね。いや、私も半分そう思っていました。映画はそんな風に進んでゆくのですから……

メタボ体型である検察官の父(古谷一行に似てる)は、仕事や食事を機械的にこなすだけの味気ない日々を繰り返しています。ウォッカしかない冷蔵庫がその象徴です。一方、娘は摂食障害を患って痩せこけています。生きる喜びも実感も欠落した日常描写の一方で、心霊描写を随所に絡ませていきます。家族の絆が切れて、ひとりぼっちで生きてゆく二人の姿を見ているのは辛いものです。

にしても、亡くなった母の霊を呼ぶことだけで、この二人の絆が戻るなんてことあるの?と思いながらドラマを見守りました。ラスト、このセラピストが自宅にやって来て、三人が手をつないで母の霊を呼び寄せる儀式が始まります。やっぱ、そういう映画なのだ、と思った瞬間、こ、こんなラストありか?!こんなに滑稽で人間臭い結末ありか!!と仰天しました。

そうだよな、人間には体温があるんだ、だから暖かいんだ、という当たり前の事がこれ程感動するなんて!!古谷一行、じゃない、この中年男のくしゃくしゃ顔に、父ちゃん良かったな、あんまりウォッカばっかり飲んだらあかんで、と声をかけたくなりました。

この女性監督、やるなぁ〜。暖かい涙で一杯でした。

ジョアン・シュウォーツ(文)シドニー・スミス(絵)による絵本「うみべのまちで」(BL出版/古書1350円)は、「平和」とはこういうものだ、という真実を描いています。

時代は1950年ごろ。舞台はカナダ東部大西洋岸のケープ・ブレトン島。海底の炭鉱で働く父親と家を守る母親、そして語り手である少年の毎日を描いた絵本です。海を背景に、炭鉱へと向かう男たちを映画的なワイドスクリーンに収めたショットで絵本は始まります。

「ぼくの とうさんは たんこうで はたらいている。 たんこうは うみの したに ほった トンネルだ。」と少年は語ります。

質素だけれど、清潔感あふれる家。少年には「ぼくの うちからは うみが みえる。」家です。「あさ、めをさますと いとんな おとが きこえてくる。カモメの なくこえ、イヌの ほえるこえ、うみぞいを はしる くるまのおと、ドアを パタンとしめて 『おはよう』という だれかのこえ」

静かに時間が経過していきます。「カーテンを あけると、めの まえに うみが ひろがる」。今起きたばかりの少年が、パンツ姿で海辺を見つめています。さわやかな海風がこちらにも吹いてくる様です。

「そのころ、とうさんは うみの した くらい トンネルで せきたんを ほっています」

という文の繰り返しで、海底で腰を屈めて石炭採掘に従事する男たちの絵が何度も登場します。

父親が働いている時間、少年は友だちと遊びまわったり、お母さんの言いつけで町へお買い物に出たりと楽しい一日を過ごしています。その雰囲気がとても心地良いのです。

「きょうは とても いいてんきで うみが ひかっている」

その平和な風景が、心に染み込んできます。夜、仕事から帰ってきたお父さんを囲んで夕食の語らい。

「きょうは ゆっくりと うみに しずんでいく」

風景を見ながら、一家はうつらうつら。

特別なことは何も起こらないけれど、ゆっくりと満ち足りた時間が過ぎてゆく。これを平和と呼ばずに、なんと言えばいいのか…….。

すぐに暴言を吐く大統領も、問題の渦中の首相も、ぜひお読みいただき「平和」という意味をお考えくださればと願います。

伊丹市立美術館で開催中の写真家ソール・ライター「ニューヨークが生んだ伝説写真家ソール・ライター展」に行ってきました。

1950年代、NYのファッションカメラマンとして活躍していたライターは、80年代にはコマーシャル写真の世界から退きます。そして、自分が住んでいたNYイーストビレッジを被写体として、数多くの写真を撮影してきました。彼の撮り続けた当時のNYは、ほとんど発表されていなかったのです。いまも、ライターのアトリエには未発表のフィルムがたくさん残っているらしい。彼の回顧展が初めて日本で開催されることになったので、これは行かねば!と思ったのです。

「私たちが見るものすべてが写真になる」

とは、ライターの言葉ですが、この街に生きる様々な人達の何気ない一瞬が切り取られています。雪の街を歩く女性の赤い傘を上から撮った白と赤の対比が美しい作品「足跡」や、曇ったガラス窓の向こうに立ち尽くす男性のシルエットを捉えた「雪」など、寒い街に生きる、人達の息づかいが聞こえてきそうです。

赤と黄色でお馴染みのNYのタクシーに乗車している男性客の手を捉えた「タクシー」は、ワイシャツの白がタクシーの明るい色彩の中でくっきりと浮き上がっていて、シャープでおしゃれ。

白黒写真では、ボルサリーノを被り、白いワイシャツをにタイをしめた男たちが雑踏を行き交う姿を捉えた作品など、ハリウッド黄金時代の映画のワンカットを見ているみたいにクールです。

路上を掃除する老人を背後から捉えた「掃除夫」、地下鉄の階段でうなだれる男をとらえた作品、靴磨き屋の靴をアップで捉えた「靴磨きの靴」等々、この街と人々を愛した作品がたくさんありました。そして、ライターには一連の見事なヌード写真があります。光と影のバランスを絶妙にコントロールした私的な作品群は、これこそ写真芸術と呼びたくなるものです。ヌードではありませんが、一人はベッドの上に寝転がり、一人は光の入ってくる方向に向いて坐っている作品の、光線と影の微妙なコントラストに惚れ惚れしました。

一方で、彼は素晴らしい画家でもありました。写真同様、ビビッドな色の絵画作品も多く展示されていて、感激しました。

「ソール・ライターのすべて」(青幻舎/新刊2700円)に柴田元幸が「うしろからあなたの耳をくすぐる写真」と題した評論を寄稿しています。ライターと同時代、NYの街並みを歩いて詩を発表した詩人の一節が、ライターの写真と通じるものがあると取り上げて、「シンプルな言葉使い、都市に向ける静かな目、背後に愛情が感じられるからかいのトーン、淡いユーモア。言葉使いはともかく、ほかはいづれもライターの写真にも等しく当てはまる要素である。」

言葉通りのステキな写真展でした。オススメです。(5月20日まで開催)

なお、ライターが過ごしたアトリエの大きな写真がかざってありました。綺麗な写真だな〜と思ったら、撮影は、当店でも個展をしていただいたことがあるかくたみほさんだったので、ちょっと嬉しくなりました。