頭の中が180度ぐるりと回転して、世界観が変わるような本に出会いました。濱野ちひろ著「聖なるズー」(集英社/古書1400円)。2017年度開高健ノンフィクション賞を受賞しました。

で、テーマは何かというと「動物との性愛」、正確に言えば主に犬をパートナーとしてセックスを含めた生活をしている人の物語です。え?犬とのセックス?? 気持ち悪い、不愉快、などの言葉が飛んできそうですね。実際ヨーロッパの国々では法律に禁止と明文化されていますし、旧約聖書でも犯してばならないと記されています。

私も最初は読むことを躊躇しました。しかし、プロローグを読んで変わりました。著者は1977年生まれ。大学卒業後様々な雑誌に寄稿を始め、その一方、パートナーの暴力に悩まされていて、長い間もがき苦しんでいました。なんとかその地獄から脱出したいけれど、正面から向き合えないでいたと言います。「しかしそれでもなお心にわだかまり続けるのは、愛とセックスが絡まり合いながら人を変え、人を傷つけ、人を食い尽くすことがあるということがあるということと、それを私は捉え直さなければならないという思いだった。」

そして、京都大学大学院に入学。文化人類学におけるセクシャリティ研究を始めることを決心しました。30代の終わりの再スタートでした。そこで、動物性愛のことを知ります。

ただでさえ変態扱いされかねないのに、私はそうだなんてカミングアウトする人なんていないと思っていたところ、世界で唯一ドイツにだけ、動物性愛者による団体「ゼータ」の存在を知ります。ゼータの主な活動目的は、動物性愛への理解促進、動物虐待防止への取り組みなど、とHPには書かれています。

著者は会のメンバーと連絡を取り始めます。しかしドイツは世界で最も動物保護運動の盛んな国であり、そういう団体からは「ゼータ」はアブノーマル!と攻撃を受けていたりするので、信用してもらうまでかなりの努力が必要でした。

長い時間をかけて丁寧に彼らに接してゆくに従って、彼らが決してアブノーマルでもなければ、変態でもない事実を知っていきます。彼らは動物をレイプするように獣姦をする人たちではなく、対等のパートナーとして暮らしているのだと言います。最初は半信半疑だった彼女も、ドイツに行き、その生活スタイルに理解を深めていきます。

メンバーの一人ミヒャエルと接して、著者はこう考えを変えていきます。

「実際に会うまで、私は動物とセックスするという人々をどこかで恐れていたし、もしも暴虐的な性欲を動物に向ける人々だったらどうしよう、という不安も確かに持っていた。しかし、ミヒャエルはどうやらそのような人ではない。自分のセックスに苦しんできた経験がきっと彼にもあるのだろうと想像できた。」

本書は、多くのズー(動物性愛者の愛称)たちに出会い、話を聞き、ともに生活して、人間とは何か、性とは何かを問い直してゆく著者の長い旅の記録です。

「彼らに出会って、私は変わっただろうか。私が抱えてきたセックスの傷が、彼らと過ごした日々によって癒えたとは、私には言えない。だが、少なくとも私はひとつの段階を終えたと思う。怒りや苦しみから目を逸らすことはもうない。私はいま、性暴力の経験者として『カミングアウト』をしている。それは自分の過去を受け止め、現在から未来へと繋ぐ作業だ。傷は癒えなくてもいいのかもしれない。傷は傷としてそこにあることで、他者を理解するための鍵となることもあるのだから。」

偏見を捨て、知らない世界に飛び込み、自らの再生の道筋を見つけた女性の物語として読んでいただきたい傑作です。

 

 

 

静峰さんの書展は、2013年、2019年に続き3回目の開催となりました。

今回のテーマは「裂と書」。前回はコレクションされていた更紗生地と書をパネル貼りにした、とても素敵な展覧会でした。その時たまたま来店されたレティシア書房のお客様が、表具師さんでした。自己流で作っていた静峰さんは、その方にパネル張りの方法を本格的に習われ、今回は骨董市で仕入れた裂や、カーテン生地などお気に入りな生地と書のコラボになりました。

表具では、空気が入って美しく仕上がらないということであまり使われることのない絞りの布も、彼女独特のセンスでステキに組み合わされて、書かれた「舞」の字は、しなやかに舞っているようです。

大事に使われ続けた生地だったのでしょう、ツギハギを施した古布もありました。人から人の手を経た温もりのある生地と「蠢く(うごめく)」と書かれた作品が似合っています。(左写真)

もともとテキスタイルが大好きなので、今回はとても楽しい制作になったとか。表具屋さんに頼むと仕上がりはもちろん美しいけれど、自分で工夫しながら作る方法を模索してたどり着いたこの展示は、静峰さんにとって格別のものになったようです。

書を始めて50年以上とおっしゃる静峰さんの作品展。「裂に助けられた」とおっしゃってますが、彼女の潔い墨蹟は心に響きます。どれほどたくさん書かれた中の一枚を選んで展示されたかと思うと、こちらの背筋が伸びる感じがします。

書房の白い壁に並んだ「書」の世界を楽しんでいただけたら、と思います。(女房)

⭐︎静峰「裂と書」展は、10月20日(水)〜31日(日)月火定休 13:00〜19:00(最終日は18:00まで)

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工藤正市は1929年青森に生まれました。生まれ育った青森の風景、人々の暮らしを撮り続けた写真家です。1950年代に写真雑誌に投稿したものの全く認められませんでした。2014年、84歳で世を去りましたが、その後、家族が膨大な量のネガを発見し、それをインスタに発表したところ大きな反響がありました。

青森出身の写真家といえば、工藤と同時代を生きた小島一郎がいます。以前、NHKの美術番組で小島の特集があり、作家性を前面に押し出した、暗く厳しい青森の荒々しい自然を捉えた写真を見ました。一方、工藤の作品は、青森に生きる人々の「日常」です。

今回みすず書房から「青森1950−1962」(新刊/3960円)が発行されました。全366点が収録されています。昭和の懐かしい情景が写し出されていますが、特に東北の貧しさを強調するというものではなく、直球ど真ん中で、人の営みを撮り続けています。

誰もがカメラを持ってパチパチとスナップ写真を撮ることができなかった時代、カメラを向けられることに抵抗を示す人も沢山いたはずです。でも、工藤の写真に登場する人たちの屈託のなさを見ると、距離感を保ちながらも笑顔をフレームの正面に持ってくる才能と技術を持っていた人物だったのでしょう。ゆっくりと、一枚一枚の作品を見ていると、被写体に向かって微笑んでしまいます。特に、子供と女性に向ける彼の視線には格別の優しさがあるように思えます。

本職が新聞社のカメラマンだったこともあるので、土門拳風のリアリズム写真もあります。でも、そこにも日常を生きる人々の逞しさとユーモアが感じました。

お!こんな写真もあるのかと驚いたのが、No230の作品です。日本を代表するブルースシンガー淡谷のり子のステージ写真です。確か青森出身でしたね。若き日の美しい彼女のステージ写真を初めて見ました。

 

私は図書館で、日中戦争の時代、特に満州国の建国そして治世についての本を貪り読んでいた時期がありました。良くも悪くも魅力的な人物が登場していたので、彼らの人物論も読みました。(もちろん、日本の中国侵略と虐殺行為を肯定するつもりはありません)その中の一人に、後年総理大臣に就任した岸信介がいます。

岸が実名で登場するのが、伊吹亜門著「幻月と探偵」(古書1400円)で、日中戦争が始まった昭和13年の旧満州が舞台です。主人公はハルピンに住む、しがない私立探偵月寒三四郎。彼の元に、ある官僚の若い秘書が変死し、毒殺の疑いがあるので調査をしてほしいという依頼が舞い込んできます。その調査を指示してきたのが、当時満州の高級官僚だった岸信介です。

「異相の男だった。醜いという訳ではないが、一目見たら決して忘れられない顔立ちだ。両頬の肉が迫り出した顔は瓜のように長く、笑うと剥き出しになる前歯は小振りな麻雀牌を並べたようだった。兎か鼠の貌を人間のそれに無理矢理近付けたような顔立ちというのが、月寒の抱いた感想だった。」

そういえば確かにそういう風貌でした。

「プリスタン発フージャン行きの大型乗合車内は、大蒜(ニンニク)の臭いが充満していた。斜め向買いに腰を下ろす満人の老婆は確かに網一杯の大蒜を抱えているが、この悪臭は月寒が腰掛けた布張りの座席からも漂っているようだ。床下から漏れる揮発油臭と混ざって、胸が悪くなるような臭いだった。」

むせかえるような街の描写を織り交ぜながら、物語は進行します。やがて、関係者が毒殺され不気味な展開になっていきます。

推理小説としても面白いのはいうまでもない事ですが、事件の背景に日本軍のシベリア出兵の時に、とある村で起こした村民虐殺事件、さらに軍部による満州全土の阿片密売ビジネスの掌握という昭和史の闇の部分に焦点が当てられていきます。

「金と同じく少量でありながら高額で取引される阿片は、軍部にとって非常に使い勝手の良い代物だった。そのため関東軍は掌中に収めた流通経路を通じて、熱河省などで栽培される罌粟(ケシ)の花を買い上げ、そこから精製した阿片を国内外で多く売り捌いていた。」

麻薬で他国の人々をコントロールするなんて、もうそれだけで戦争の正当性などあったもんではありません。虐殺も日常茶飯事のごとく繰り返されていたはずです。

正当化できるものは無いはずなのに、なぜか満州に関わる人や事件には惹かれるものが多いのです。

 

春本雄二郎監督作品「由宇子の天秤」は、暗く、重く、希望がない映画です。映し出されるのは、地方都市のどこにでもある風景ばかり。しかも、感情を盛り上げるような、あるいは緊張感を高ぶらせるような音楽も全くありません。監督にじわじわと追い込まれ、息苦しくなってきそうな映画です。

そんな退屈な映画なら出てきたら?と思われるかもしれませんが、不思議なことに2時間半全く退屈しないのです。それどころか強く強く心に残る作品です。

物語は、ドキュメンタリーディレクター由宇子が、数年前に起きた女子高生いじめ自殺事件を追いかけるところからスタートします。亡くなった女子高生は、学校の先生とデキていたと噂され自殺し、その先生も無実を訴えながら自殺してしまいます。由宇子は、両方の被害者に丹念にインタビューを行い、事件の真実を浮かび上がらせようとします。

そんな折も折、塾を経営する父親から生徒と肉体関係を持ってしまったという衝撃の事実を知らされます。しかも、相手は妊娠…….。由宇子は、定職もない父子家庭の生徒、萌に寄り添いなんとかしようとします。

出口の見えない状況下で、自殺した女子高生と先生の関係について、それまでの取材とは全く違う事実を突きつけられます。丹念なインタビューで事実を積み重ねてきた全てが瓦解するような真実が、由宇子に襲い掛かります。一方、萌にも学校で問題があったことが分かり、これが大きな悲劇へと向かっていきます。

明るさも希望も全くない世界に突き落とされ、私たち自身が監督に追い込まれ、正義って何だ、真実って何だ、言ってみろと問い詰められるのです。ラスト、駐車場で倒れた由宇子を、カメラは微動だにせず延々と撮り続けます。この監督の力技に呆然としてスクリーンを見つめることになりました。

「盟友同士の迫真のやりとりの中、まるで自分がスクリーンの内側にいるような気まずい気持ちになるほど物語に没頭した。余韻で胸がざわつき続けている」と、タレントの松尾貴史が感想を書いています。

もしかしたら観客の力量を試される映画かもしれません。ヘトヘトになるかもしれませんが、私は大推薦いたします。覚悟して映画館へ、いざ!!

作家、画家、建築家、そしてミュージシャンと様々な顔を持つ坂口恭平の「土になる」(文藝春秋/新刊1870円)は、とても、とても素敵な本だ。読んだ後、深呼吸して、空を見上げたくなります。

ふとしたキッカケで始めた畑の生活、90日余の記録です。初心者の著者が、農園主のヒダカサンの助言を得て、どんどん畑にのめり込んでゆく様子が、細かく書かれています。

「畑の土作り、そして苗を植える。そこからしばらくは待たなくてはいけない。待ち遠しい、待ち焦がれる、嫌な時間だけと言うわけではない、期待も大きく膨らんでいる。待ち、待たせ、待たされる。時計で測った時間ではない時間が生まれる。落ち着かなさが少しずつ楽しみに移っていく。そうやって自分を待たせることができるようになっていく。」

著者は長い間躁鬱病に苦しんできました。2009年から毎月通院し、10年が過ぎました。それが畑を始めてから通院も服薬もやめます。土と触れることで体が楽になってきたのです。出来た野菜を収穫し自宅で料理して食べること、そして畑で仲良くなった野良猫ノラジョーンズとの交流を通して、立ち直ってゆくのです。田園風景をみて描き始めたパステル画も大きく作用しているはずです。

「土を触りながら、僕は自分の中の言葉にならないもの、聞こえにくい声にも耳を傾けることができているんじゃないかと思う。それが安心につながっているんだと思う。」

「野菜と話せるとは思わない。でも野菜や土にもまたそれぞれの言語があり、僕は知らず知らずのうちのその言語を体得してきているような気がする。土の中の状態、水の状態、葉っぱの状態、実の状態、種の状態、草たちの状態、そんなことたちが、わかる、というのとも違うのだけど、感じる、確かに僕は感じているので、次に何をすればいいのかってことが、無意識で見えているような気がする。」

畑にくる様々な生き物たち、雨、土、そしてその先に続く地球の大きさ。豊かな時間と空間を著者は体感していきます。そして、畑やノラジョーンズが、病を治すという概念から解き放ち、自分の気持ちを穏やかにさせてくれたのです。

著者が描いたパステル画集「Water」(左右社/新刊3300円)、「Pastel」(左右社/新刊3300円)を開くと、とても幸せな気持ちになってきます。著者の目に飛び込んできた風景を、あざやかなタッチで描いています。

「この山の麓で暮らしてきた、多くの人間たちと同じように、僕もここで生きている。彼らは屍となって、土に帰った。僕も土にかえるんだなあと思った。いずれ土にかえる僕が目にした風景を、明日パステル画としてあらわにすることが不思議で、それは花みたいなものか、花のような気持ちになったのは初めてだった。

人間が絵を描く。描かれた絵は僕という茎の先に咲いた花のようだと思った。」

本書を読みながらパステル画の作品集を見ると、その素晴らしさがよくわかります。

 

 

ヒュー・ロフティングの小説「ドリトル先生」シリーズを初めて読んだのは、小学生の頃だったでしょうか。岩波書店から出ている全12巻のシリーズで、翻訳を井伏鱒二がしていました。しかし全12巻、確か最初の数巻だけしか読まなかった…….。

今回、生物学者の福岡伸一が翻訳した「ドリトル先生航海記」(新潮社/古書700円)を手にしました。本作品はこのシリーズでは第二巻に該当するもので、1922年に発行されました。原作者のロフティングは、第一次世界大戦に従軍し、その時自分の子供たちに送った物語が、シリーズの原型になっています。

再読の感想は、実に面白い!ワクワクする物語展開に、大人も子供も巻き込まれてしまいます。

パトルピーという町にある靴屋の一人息子トミーが、ドリトル先生と出会うところから始まります。トミーは、先生のような博物学者になって動物と話せるようになりたいと思っています。先生と一緒に住んでいるオウムのポリネシアはトミーに向かってこんなことを言います。

「それが観察力ってものですよ。鳥や動物の些細な特徴に気づくかどうか。歩き方、首の振り方、はばたき方。鼻をクンクンさせるのも、ひげをピクピクさせるのも、尻尾をパタパタさせるのも、ちょっとずつちがいがあるのです。動物のことばを覚えたいなら、そういう些細な特徴を見逃さないようにしなくてはなりません。」

つまりポリネシアは観察力の重要性を語っているのですが、今回読んでみて成る程と思う箇所が沢山ありました。

やがて、トミーはドリトル先生と楽しい仲間たちと壮大な航海へと旅立っていきます。海の美しさをシルバーフィジットという魚がこんな風に語ります。

「大西洋の波間をぴょんぴょん跳ねて、貿易風の波しぶきを浴びてケラケラ笑って、青緑色の渦巻く波にドボンと飛び込みたいわ!夏の日暮れどきに、空が真っ赤に染まって、海のあぶくがピンクに光ったら、エビと追いかけっこするの。赤道の海の正午のなぎには、海面で寝そべって、熱帯の陽光でおなかを温めるの!」

今すぐにでも、海にいきたくなるような描写です。トミーは、命を落としかけたり、不思議な事件などに遭遇しながらも、地球の自然とそこに生きる動物たち、人々のことを学んでいきます。もちろん、飄々として全く動じないドリトル先生の導きあってのことですが。

こんなにも豊かな物語だったのかと改めて感動しました。

福岡伸一はドリトル先生をこんな風に解説しています。

「ドリトル先生は、すべてのことに公平な人でした。最初の最初から公平であり、公平でありつづけた人でした。公平さは、少年に対しても、貧しい人たちに対しても、あるいは違う文化を持った人たちに対しても常にごく自然なふるまいとして示されます。それは動物たちにも、あらゆる生命に対しても現れます。」

今、世界が最も必要としている人物じゃないですか!

 

 

現在、当ギャラリーで開催中の福井さとこさんの原画展「カティとつくりかけの家」の書籍(1628円)が入荷しました。

全125ページ、フルカラーで福井さんの絵が入り、美しい仕上がりになっています。絵と文章が巧みにブレンドされた”絵読み物”として、出版社の気合いが十分表れています。(全国発売は20日で、当店のみ先行販売です!)

「ここはチェコ共和国の小さな街。雪げしょうをしたおもちゃ箱のような街から、山にむかって1台の車が走っています。」という書き出しで物語は始まります。

都会から自然豊かな街に引っ越してきた女の子カティが主人公です。お父さんは、手作りで家を作っています。そのつくりかけの家の絵が素敵で、こんな家に住んでみたくなります。

「トビー! たんけんにいこう! カティはぼうしをかぶると、はてしなく広がる雪景色のなかへ走って行きました。」愛犬トビーと雪の平原を駆け抜けるカティ。

お父さんが作ってくれた脚の長いベットに登ったカティ。どうしてこんな高いベッドなのか聞いた時「夜になればわかるよ。」と笑っていたお父さん。

「ふと、カティをあけると、カティは息をのみました。窓いっぱいに星がこぼれおちて、まるで夜空にすいこまれようです。」ああ、こんなベッドで寝てみたい!

小学校で、彼女はグルーニュ先生という博物学の先生に出会います。「カティは、美術や音楽と同じくらい、博物学がすきでした。授業では、美しい声のクロウタドリから、いろんなしゅるいのカラスの見分け方まで、みぢかな生きものや植物について、まなびます。」

さて、クラスにちょっと変わった男の子が転校してきます。いつも、体全体がぐっしょり濡れているヤンです。実は彼はカッパ?!だったのです。なんか賢治の「風の又三郎」みたいですね。彼女はヤンに連れられてカッパの家族の住む湖に飛び込みます。そのシーンは、波しぶきがこっちに寄ってきそうなほどで、実に楽しい。

都会では一人でいるのが好きだったカティは、たくさんの友達や面白い先生に出会い、毎日楽しくってたまりません。

「わたし、ここが大好き! カティは大きく深呼吸すると、鳥の声がする森にむかってかけだしました。」

少女が自然と触れ合い、豊かに成長していく姿を描いた絵本です。おかあさんの作る料理も美味しそう!

☪️福井さとこ原画展は17日(日)まで。土日は在廊されていますので、新刊本にサインしてもらえます。

 

 

ジョン・バーニンガム&ヘレン・オクセンバリー(絵)、ビル・サラマン(文)、谷川俊太郎(訳)による絵本「パイロットマイルズ」(BL出版/新刊1650円)は、犬が主役の絵本ですが、いやぁ〜、これはラストでジーンジーンときます。でも、決して犬好きの人ためだけに描かれた本ではありません。

年老いた犬のマイルズは足を悪くしていて、あんまり遊ばなくなったことを心配した飼い主のノーマン。お隣の発明好きのハディさんが作ってくれた飛行機は、コックピットが小さいのでラッセルテリアのマイルズにぴったりでした。昼も夜も、マイルズは大好きな飛行機に乗って飛び続けます。小さなプロペラ機が、月明かりの夜空を飛ぶシーンは、とても美しく、しかしどこか孤独を感じます。

「まもなくマイルズは さんぽに いかなくなった。たべものも ほしがらなくなった。 とぶことさえ やめてしまった。なにか かんがえているようだった。 あるひ マイルズは ねどこから よろめきでて いえから でていった。」

マイルズは、飛行機のところへと向かいます。ノーマンが優しくコックピットに乗せてやると、エンジンがかかり、滑走を始めます。操縦しているマイルズの横顔が見開きで大きく描かれているのですが、彼の表情がなんともいいのです。喜んでいるわけでもなく、悲しんでいるわけでもなく、むしろ無表情で、どこかストイックな顔つきで操縦桿を引き上げます。

自分の命の終わりを知ったマイルズは、自ら向こうの世界へと旅立っていったのでしょう。

「マイルズは とんだ、これまでになくとおく。」

「ノーマンは てを ふった。ひこうきが みえなくなるまで ふりつづけた。ゆっくり ノーマンは うちへ かえった。さよなら マイルズ」

2019年に亡くなったジョン・バーニンガムが残した絵と構想を元にして、妻のヘレン・オクセンバリーが描き、ジョンの旧友ビル・サラマンがストーリーを仕上げました。いつか必ず訪れる大切な人との永遠の別れを、マイルズという一匹の犬に託して描き上げた心に残る絵本でした。

 

 

新聞記者が主役の映画って、結構面白い力作が多いと思います。古くは、ワシントンポスト誌によるウォータゲート事件を扱った「大統領の陰謀」、御巣鷹山に墜落したジャンボ機をルポする地方新聞社の悪戦苦闘を描いた「クライマーズ・ハイ」、そして最近の「新聞記者」など秀作揃いです。

今回ご紹介する「コレクティブ 国家の嘘」(京都シネマにて上映中)は、ドキュメンタリーですが、まるでドラマのよう。ルーマニアで起こった巨大な医療汚職事件に迫ります。

2015年、ブカレストにあるクラブ「コレクティブ」(これが映画のタイトルになっています)で大きな火災が発生しました。現場にいた人が撮影した映像が挿入されますが、心底恐ろしい。その事故で病院に担ぎ込まれた人たちが、あとからあとから病院内で死亡してゆきます。不審に思ったスポーツ専門誌「ガセタ・スポルトゥリロル」の編集長たちが取材を開始します。そこで、製薬会社と病院経営者、さらに政府機関の癒着が浮かび上がり、不当な利益を得ていたことが判明しました。内部告発者の情報(信じられないほどひどいものでした)もあり、記者たちは巨悪に立ち向かっていきます。

カメラは、取材現場や編集部内でのリアルなやり取りを捉えていきます。全員本物の新聞記者ですが、ドラマを見ているようなスリルを生み出しています。

報道で真実を知った市民たちの怒りで内閣は辞職、日本の厚生労働省にあたる保健省の新しい大臣は、腐敗にメスを入れるべく活動を始めますが……..。

内田樹氏が、「みなさん、これが記者会見席の標準ですよ」とコメントを寄せているように、スリリングな記者会見の質疑応答は、あらかじめ質問の内容を知って回答を用意するような、なぁなぁな感じの日本のそれとは程遠いものがあります。

また、武田砂鉄氏は「権力者はどんな時も『安心』『安全』と言う。権力者はどんな時も『私はよく知らない』と言う。だからこそ、どんな時も問い詰めなけらばならない。」というコメントを寄せています。

「安心、安全」とむやみに言い放つ政治家には要注意ということです。

で、映画の最後がどうなるかといえば、あぁ、この国もそうか〜という結末です。選挙の投票率(特に若者の)がものすごく低いのです。これでは膿は出しきれません。

しかし、この事件を一級のドキュメンタリー作品として仕上げ、なおかつハラハラさせるエンタメ映画として通用させたスタッフの力技には、拍手を送ります。