結城昌治「夜の終る時/熱い死角警察小説傑作選」(ちくま文庫/600円)。純文学系のちくま文庫が、結城昌治の警察小説のアンソロジーを組むとは驚きです。

第17回日本推理作家協会賞を受賞した「夜の終る時」を含めた5作品を収録しています。とりわけ表題作の「夜の終る時」は傑作です。警察官が主役の推理小説ですが、ジャンルを乗り越えた良質な小説です。

結城は、48年東京地検に事務員として就職したものの、肺結核で入院。その時、福永武彦と知り合い、推理小説を読むことを薦められ、50年代後半から作品を発表し始めます。そして63年に発表したのが「夜の終る時」です。実直な刑事が捜査中に行方不明になります。その刑事とやくざとの黒い噂が絶えませんでした。しかし、刑事はホテルで他殺死体として発見され、深まる謎を巡って刑事たちが歩き回ります。

小説の構成は、全体の80%が、犯人探しの本格推理。第二部に当たる残り20%が、犯人の視点から描いた倒叙もの、という独特の構成になっています。そして登場する刑事たちは、総じて地味なのです。昨今の警察小説に登場するようなスーパーヒーローはいません。1961年に始まったTVドラマ「七人の刑事」(と言っても、若い方はご存知ないかも…)みたいなシブいおっさんばかりです。

戦時中、おそらく特高だったような刑事が登場します。「被疑者の扱いは荒っぽいし、捜査も勘に頼って科学性に欠けている。」と描かれています。その一方、戦後育ちの刑事たちは、刑事を仕事と割り切り、「平穏な家庭と老後の安定に小さな望みを託している。どうせ出世の見込みもないのに、仕事のために生活を犠牲にするなどというのは、バカげたことだと考えている」連中が、同じ刑事部屋に詰め込まれています。派手な撃合いも、アクションもない、ひたすら歩き回り、考える刑事たちの日々を追いかけた小説です。

そして、ラストに犯人のこんな心情が綴られています。

「ふいに、海の風景が浮かんだ。おれは、待合室に出入りする人々を眺め、千枝の姿を求めながら、死ぬ場所を考えていた。海は、待合室にこもったタバコの煙のむこうに見えた。ざわめきは潮騒のようだった。」

犯罪にのめり込んでいった、男の悲哀までも描き出しています。こんなアンソロジーを出したちくま文庫はさすがですね。なお、昭和38年に出版された単行本(中央公論社/500円)も在庫しています。

「友人と12時に恵比寿駅の恵比寿さんの前で待ち合わせ。おしゃれな本を作ってくれるところがあるので、そこを紹介したいと言ってくれたので、行くことにした。奥さんと一緒に恵比寿をぶらぶら、途中道端に矢車草が咲いていたのでそこでパシャ。矢車草大好き!」

誰の日記の一節かわかりますか?

実は、人形作家四谷シモンの日記です。よくある、町歩き雑誌のライターの文章と思われたか、それともシモンらしいなぁ〜と納得されたでしょうか。「四谷シモン人形日記」(平凡社/古書1200円)の中からの抜粋です。本を開けると、エロチックで、感情があるようなないような人形作品が並んでいます。「機械仕掛けの人形1」というシモンらしい作品の次から、彼の日記が始まります。

「昨日浅草で、どじょう鍋を食べてドロドロになっちゃうかと思ったら、二次会もなく、皆さっさと帰ってしまったので、ドロドロ状態から逃げ出すことになったので、今日はスッキリ」

など、どうということのない文章が続きます。これが、退屈するどころか、何故か気持ちよくなってくるから不思議です。

かと思うと、目玉握りしめて制作に励む姿が登場します。

「ほれ〜天の恵み雨が降っている。今日はこの雨のおかげで、一日幸福な気持ちでいられる。」なんて文章に出会うと、彼の作り出す少女や少年の、どこか彼方を見つめているフワーッとした表情につながります。この本には、付録として描き下ろしポストカードが付いています。

ところで、「四谷シモン全編」(学研/古書1400円)という本の中に、「今年からNHKの大河ドラマに出演しています」という。えっ〜ほんまかいなぁ?という文章にぶつかりました。そういえば、四谷シモンは、唐十郎の赤テントで役者でしたね。

サウンドトラックのアナログレコードを、何点か入荷しました。聴いてもよし、飾ってもよし、というものをご紹介します。

リバイバル上映が決定した「危険な関係」(輸入盤4000円)。60年代の上流階級の退廃的な世界を描いた作品で、ジェラール・フィリップとジャンヌ・モローの、大人の雰囲気にしびれます。ふんだんにモダンジャズを使用していて、ジャケットデザインもスタイリッシュ。ドラムの御大、アート・ブレイキーの横顔の後ろにうっすら浮か上がるフィリップとモローの姿。ジャズと煙草とクールな恋の雰囲気が匂い立つようで、映画のポスターより、こちらの方が私は好きです。

もうひとつフランス映画、ミシェル・ルグランのゴージャスでジャズ感覚に溢れた傑作ミュージカル「ロシュフォールの恋人たち」(輸入盤2LP/8000円)。昨年、監督のジャック・ドミー追悼映画祭で、上映されていました。ドミー&ルグランコンビでは、「シェルブールの雨傘」が人気ですが、ミュージカルの楽しさを十分に味わえるのは断然「ロシュフォールの恋人たち」でしょう。主演の二人、カトリーヌ・ドヌーブ、フランソワーズ・ドルレアックの掛け合いは、フランスのエスプリ一杯です。一日を楽しく過ごすには、先ずこの音楽から(個人的な趣味ですが)。ジャケットを眺めているだけでも楽しい。

3枚目は、映画史上最も年齢の若い二人で演じられた「ロミオとジュリエット」(日本版500円)。レナード・ホワイティングとオリビア・ハッシーの演じる悲恋物語にうっとりされた方も多いと思います。表ジャケットは、オリジナルポスターをそのまま使用しています。二人の見つめ合う表情が初々しい。音楽は、巨匠ニーノ・ロータ。サントラには、一部、劇中の二人のセリフも収録されています。

最後にご紹介するのは、「男と女」のその後を描いた「男と女II」(輸入盤3500円)です。こちらもジャケットデザインがいいです。前作「男と女」で主演を演じた時と、十数年後の二人の横顔をレイアウトしてあります。恋に落ちた若き日の二人と、中年に差し掛かった二人。3枚の写真に時の流れを感じます。

レコードプレイヤーのない方にも、アート作品としてお部屋に飾ってほしいジャケットです。

店内で「危険な関係」のレコードを鳴らしていた時、来店された美しい方がこちら(→)です。ジャンヌ・モローのファンかもしれませんね。

 

 

吉田篤弘の「ソラシド」(新潮社/古書1200円)を読みました。タイトルの「ソラシド」は、「ドレミファ」に続いていることから明らかなように、音楽がメインテーマになってくる小説です。でも、音楽の知識をめったやたらと撒き散らすようなオタッキーな物語ではありません。青春小説です。

1968年冬。雑誌のレイアウトを仕事にしていたヤマザキ君は、連れ込み宿の上に住んでいました。「仕事にいかず部屋にいるときは、四六時中、レコードを聴いていた」と書かれているように、給料のすべてをレコードに使っていた男です。それから二十数年。今も同じ様な暮らしを続ける彼が、ある日、昔の雑誌の片隅に、女性二人が組んだ「ソラシド」というバンドの小さなコラム記事を見つけます。この二人の好きなアルバムが、自分が愛してやまないジョージ・ハリスンの「サボイ・トラッフル」というレコードだと書かれていました。そして、「ソラシド」はギター・ボーカルの森山空と、ダブルベースの有元薫の二人組だということでした。

「気になったのは『ダブルベース』という表記だった。『コントラバス』ではない。『コントラバス』なら想像がつく。女性の奏者も少ないけれど何人か知っている。が、女性の『ダブルベース』奏者はかなりめずらしい。」

指を使って弾くダブルベースが、ばかでかく重たい楽器であることを知るヤマザキ君は、このバンドに興味を持ち、彼女たちを探そうと動き出します。小説は、ほぼ全部、彼の「ソラシド」捜しを描いています。腹違いの妹オーや、ちょっと奇妙だけれど、面白い人物たちが登場して、彼を助けます。しかし、「ソラシド」は、今や完全ライブシーンから消息を絶っていて、一切のレコード、CDもありません。消えていった二人を追いかけていながら、それは、1968年の空気を、その時の自分の記憶を再生する旅へと向かっていきます。果たして、ヤマザキ君は、「ソラシド」の二人に出会えるのか、それは読んでのお楽しみですが、とてもとても素敵な幕切れが用意されています。登場人物たちが生きてきた時間の重さを背負いながらも、ヒョイと明日へのステップを踏み出す瞬間を描いて、物語は終ります。

こんな文章が心に残りました。

「あらゆる音楽は、もうここにいない人の痕跡になる。レコードとはそういうものだ。いまここではない過去の空気を、その空気の震えを再現すること」

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熊本にある小さな書店、橙書店。店主の田尻久子さんは、文芸誌「アルテリ」(第5号1080円)を編集されています。この雑誌については、ブログで紹介しました。

つい最近、田尻さんのほぼ書き下ろしのエッセイ集「猫はしっぽでしゃべる」(ナナロク社/新刊1512円)が出ました。一度はお邪魔したい書店の店主の本なので、早速読みました。

田尻さんのお客様への、そして本への深い愛情に満ちあふれた文章を読んでしまうと、私のブログなんて、実にお粗末なものだということを痛感しました。

「涙腺は、ゆるくなるのではない。よく、年を取って涙もろくなったと老化現象のように言われるが、泣く筋力がついたのだと思いたい。本を読み映画を観る。誰かに会う。言葉を交わす。たとえひどい出来事を経験したとしても、人は必ず何かを得ている。経験は想像力を与えてくれ、泣くツボを日に日に増やしていくのだろう」

読み始めてすぐに、こんな文章にぶつかってしまいました。彼女が日々、真摯に生きてきた中から生まれてきたものです。

ポール・オースターの「冬の日誌」について、「本を読んでいても、行間で心が浮遊している。マンハッタンを彷徨いつつ、過去の自分の部屋に行く。これを旅と言ってもおかしくはないだろう。本と身ひとつ、他には何もいらない。私たちには、想像力という乗り物がある。身体移動しないで、旅をする。」と書かれています。単なる本の解説、紹介だけでなく読書の深い楽しみが伝わって来ます。

そして、書物への深い愛に溢れた作品を出版し続ける夏葉社の「さよならのあとで」(1404円)を、たった一つの詩が悲しみにくれる人の心を支えてくれる本だと書かれていました。彼女の店に、この本を二冊買いにきたお客様を見て、夏葉社の島田代表にこう伝えています。

「一冊は贈り物で。この人と、この人の大切な誰かに、かなしみが訪れたのだろうか。そんなことを考えながら、お包みした。そのとき、この本は突然に必要になるから、切らしてはいけない、と思った。」

「この本は突然に必要になるから、切らしてはいけない」これは、私も日々思っていることです。人生の様々な場面で、本が、映画が、あるいは音楽が、その人を支える時がある。だからこそ、その人のために本を揃えておく。本屋の心構えを再確認しました。

本の最後で、アンソニー・ドーアの傑作「すべて見えない光」(新潮社/古書2400円)が取り上げられています。ナチドイツの将校になった少年と、パリに住む盲目の少女の、一瞬の邂逅を描いた長編です。この中で、少女マリーがパリから避難する時に、大事な点字の本を置いていかざるを得ない状況になります。読んでいる最中の「海底二万里」を置き去りにするシーンを田尻さんはこう書いています。

「本はいつも、目の見えないマリーの世界を解放し、抱きしめ、勇気づけてきた。持っていけないことが、私も悲しかった。」

読書をすることが、血となり肉となった人にしか書けない文章ですね。

私ごときが、もうこれ以上グタグタ言うのはやめます。読書を愛する人なら、ぜひぜひ読んで下さい。

 

80歳の鋤田正義さんが、カメラぶら下げて、飄々と街を歩いているのを見たら、写真好きなおじいちゃんだ……ときっと思われるでしょう。

鋤田正義、カメラマン。只者ではありません。70年代、彼の写したロックバンドTーレックスのマーク・ボランの、白黒ポートレイトが大旋風を巻き起こし、多くのギター小僧に愛されました。その後、デビッド・ボウイと親交を深め、彼を被写体とした優れた作品を発表し、YMO、忌野清志郎などのジャケット写真を撮影してきました。今まさに旬の、是枝裕和映画のスチール写真なども手掛けてきた人物です。

鋤田のドキュメンタリー映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」には、多くの人物が登場します、YMO時代に親交を結んだ坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣。デザイナーの山本寛斎、ポール・スミス。スタイリストの高橋靖子、俳優の永瀬正敏、リリー・フランキー、映画監督のジム・ジャームッシュ、コピーライターの糸井重里たちなどが、それぞれに彼へのリスペクトをこめて語ります。

ニューヨークやロンドンを、ゆっくりした足取りで歩く鋤田が映し出されますが、多くの大物アーティストを撮影してきた気負いや、大御所ぶったところが全くありません。被写体になった人物、ボウイはもちろん、YMOの三人しかり、みんな彼との間に、強い信頼関係が築かれています。細野晴臣は、他のカメラマンに撮影されると、まるで武士が刀で切り込んでくるような恐怖があるが、鋤田にはないと表現していました。相手の懐にすっと入り込んで、安心させるような力があるみたいです。上から目線でしゃべらず、威張りもせす、真っ直ぐに相手を信頼し、好奇心一杯で新しいことに飛び込んでゆく、彼の人間力の魅力を映画は浮き彫りにしていきます。

糸井重里が、鋤田を「とても柔らかい人」だと語っていました。さすが、コピーライター!見事な表現です。「柔らかい人」って、とても魅力的ですね。でも、なかなかそうはできません。特に、年齢を重ねてきて自分の世界観を確立すると尚更です。

ロックスターを撮影してきたカメラマンのドキュメントと言うよりは、深い表現力を持った、一人の男性のしなやかな心の在り方を学ぶ映画として、オススメです。

店頭にある忌野清志郎の「メンフィス」 (CD900円)のカバーフォトも鋤田作品でした。

「里山という言葉を私が思いついたんは、昭和30年代の話です」

と、語るのは森林生態学の創始者、四手井綱英先生。明治44年、京都に生まれました。林野庁で働き、京大で教鞭をとり、全く新しいアプローチで森を研究し、森林のあるべき姿を提唱した先生です。この先生に、森まゆみがインタビューしたものが、「森の人 四手井綱英の九十年」(晶文社/古書1300円)です。京都の山科にあるご自宅で、その半生を聞き取っています。

「里山というのは落葉樹や常緑樹で、その葉が落ちるので、また堆肥がつくれるという効用があった。あの桃太郎のおじいさんは山へ柴刈りに行きますね。柴は火を燃やすのに便利です。紙なんてないから、ふつうはカマドも炉も最初は柴をたきつけにする」と、柔らかい口調で語ります。

若き日、山登りに夢中になり、先輩だった今西錦司が発案した「山城三十山」によく登ったそうです。一方で、従来の林学に疑問を抱き、森が自然の中でどういう生活をやっているか、どういう行動をしているかを観察する生態学を踏まえた学問へ、情熱を傾けていきます。大学卒業後、東北の営林局へ勤務、ここで、山に暮す、個性的な面々と出会います。この話も面白いのですが、割愛します。

やがて徴兵されて中国へ。戦争で彼が知ったことは、「戦争は森林を破壊する一番の元凶」。軍事用材との一言で、森の材木は無茶苦茶に切り倒され、木だけでなく石油、石炭を取りつくし、人を殺し、文化を破壊することです。戦後、再び東北の営林局に戻り、そして昭和29年、京大に帰ってきます。

大学は技術研究の場ではなく、「森林の基礎学、つまり、森林生態学をやるのが大学や」と、猛進します。新しい学問には冷たい学会。でも先生はメゲマせん。森を守るため東奔西走、やがて各地の自然保護運動へも参加していきますが、生半可な知識と感情論が先行して、森に対する間違った知識が横行しているとか。分かりやすい言葉で話されると、成る程と理解できます。森と共に生きた知識人の豊かな世界が詰め込まれた一冊です。四手井先生は2009年、98歳で天国へ旅立たれました。

京都には、いい公園が少ない。下鴨神社の糺の森、京都御所の外苑だけだ、とも言い残されていました。その糺の森について編集された「下鴨神社 糺の森」(ナカニシヤ出版/古書1950円)も置いています。こちらもどうぞ。

 

 

 

14匹の野ネズミの家族を主人公にした絵本「14ひき」シリーズで人気の、いわむらかずおのエッセイ「14ひきのアトリエから」(童心社/古書200円)の中で、栃木県芳賀郡益子町の雑木林の中にあるアトリエの写真が、目に止まりました。

彼は、こんな素敵な空間で絵本を執筆していたのか、と羨ましくなってきます。アトリエの大きな二つの窓からは、林が見渡せます。満月の頃には、東側の窓から月の出が見えるそうです。母屋までは50メートル。毎日、雑木林を歩きながら、「14ひき」シリーズの構想を練っていたのでしょうね。

林の中に落ちて死んでいたカケスを見つけて、じっくりと観察して描いたスケッチが載っています。この絵につられて、彼の自然暮らしのエッセイを読んでしまいました。畑を作り、鶏を飼い、森でキノコを採取する日々が、シンプルな文章で描かれています。家族は奥様と五人の子供たち。自家製の野菜でお鍋を囲む家族写真もありました。「1971年4月。5人の子どものうち3人は東京に出ていった。」と、地方に住むということはこんなに早く子供たちと離れなければならないことなんだ、と寂しさも書かれています。

 

 

いわむらさんも絵本で、私が大好きなのは「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」(偕成社/古書900円)です。山間を走るローカル線最終列車に乗った主人公は、にぎやかだった人達がいつの間にか消えて、ネズミの話し声に気づきます。やがて、イノシシ、チャボ、クジャク、クマ、キツネ、サルなどが次々と乗って来ます。列車の中は、ワイワイがやがや。これは幻か現実かと思っているうちに、動物達はとある駅で一斉に降りてゆきます。

「お客さん」と車掌に声をかけられて、我に帰る主人公。今、降りた動物達のことを車掌に聞いても、夢だろうと笑われて、廃線が決まったローカル線とはいえ、動物たちなんか乗せませんと言われてしまいます。そして、「とかいの人からみると、こんな山おくの、ローカルせんなんか、やくにたたねえ、はんぱもんと、おもわれるでしょうな。でも、わしらにとっちゃ、じいさまのころから、だいじにしてきた、心のささえなんですわ」

 

終点に着いた主人公が、列車を降りる時、車掌がドアを開けてくれます。にっこりわらって、会釈し合う二人の姿で絵本は終ります。素敵な映画のラストシーンみたいな余韻の残る絵本です。

池澤夏樹「終わりと始まり2.0」(朝日新聞社/古書1200円)を通読しました。この本は、2013年4月から17年12月まで、月一回、朝日新聞に連載されたエッセイをまとめたものです。

著者は「世の動きを一ヶ月ごとに区切る。その中からテーマを選んで、それに関わる情報を収集して、考えたことをコラムにまとめる。」と主旨を述べています。取り上げられているのは、震災、原発、憲法、難民問題、そしてイスラムなど広範囲に渡っています。

現憲法が占領軍の押しつけという意見に対して、「合衆国憲法を押し付けられたわけではない。欧米が時間をかけて培ってきた民主主義・人権思想・平和思想の最先端が敗戦を機に日本に応用された。そのおかげでこの七十年間の間、日本国は戦闘行為によって自国民も他国民も殺さずに済んだ。」という至極真っ当な考えを述べています。

「福島第一の崩壊は東京電力という会社にとって究極の恥であったはずだ。しかし、東電はもちろん一連托生でやってきた財界も自民党も恬然として恥じることはない。今から原発を海外に売るのは真珠湾の作戦計画を売るようなものだ。当初は勝っているように見えても最後には放射性廃棄物の山に埋もれて負ける」と、福島の原発事故について、これまた良識ある人間なら、こう考えるだろうと思います。

著者がセレクトとした社会の様々な状況への、当たり前の言説が続きます。あまりに真っ当すぎて、もういいやと読むのを止めそうになりました、しかし待てよ、この世の中は、これ程普通の意見を、池澤のような知識人がしつこく言わなければならないほど、歪んでいるのだと愕然とするのです。浮わついた情報ばかりが大量に流されてくる昨今、もう一度社会を見つめる力を補うために読んでいただきたい一冊です。

本の中で、与那国島発のミニプレス「馬語手帖」、「はしっこに、馬といる」について書かれていました。この島で野性の馬カディと暮らしている一人の女性の物語です。

「ぼくは一か月ほど前からこの二冊に夢中になっている。何度も読んでそのたびにふーっと溜め息をついて、それでも読み終わったと思えない。大事なことを読み落とした気がしてまた開く。」

当店でも、販売以来人気のある本です。私もまた読みたくなってきました。

 

山田悠人の新刊写真集「SILENT WORLD消えゆく世界の美しい廃墟」(PIEインターナショナル2700円)は、この上なく美しい写真集です。

ベルリンを中心にして活動する山田悠人は、ベルリンの各地に点在する廃墟に興味を持ち、撮影を始めます。

先ずは、病院から始まります。数多くの生と死の物語が染み込んだ病院の壁。ひたすら静寂が支配する空間。ベルリン自由大学解剖学研究所の解剖教室。中央に解剖台があって、その周囲を学生が取り囲んでいたのでしょう。落書きだらけの壁が哀れではあります。

次に登場するは軍事施設です。壮大で、威厳ある講堂や、大広間を持っていた施設。いずれもかつて国の最重要機関施設だったものが、放置されていました。ナチスドイツが使用した後、ソビエト連邦が引き継いだものなどあり、大戦を経て、冷戦時代の遺物となっています。外観が面白いので、内部も上手くリノベーションすれば、もしかしたら新しく生まれ変わりそうですが、電波傍受するレーダーサイト、トイフェルスベルグ傍受基地なんていう建物は、それ自体もうすでに現代アート化しています。

この写真集で私が最も面白かったのが、娯楽施設を撮影したものです。例えば、奈良のドリームランド。剥き出しの吸水管が複雑に絡み合う広場に立つビーナス像の不気味さ。回転するレールが幾重にも続くジェットコースター。まるで大蛇が見えない何かに巻き付いているみたいです。ドイツのシュプレーパークを撮った写真には、朽ち果てた森に倒れた作り物の怪獣の頭部が恨めしそうに空を見上げています。使い捨てられたアミューズメントパークは、どこか禍々しさがあります。

廃棄された工場がテーマの作品群は、無惨な姿がさらけ出されています。石炭火力発電所で使用されていた冷却塔の内部を捉えたものなどは、映画に使えそうなSFの世界です。男ばかりの重犯罪人が収容されている惑星を舞台にした映画「エイリアン3」に、そっくりの場面があったことを思い出しました。ブランデンブルグに残るナチスドイツ強制収容所パン工場には、陰惨な過去が染み付いているようです。

使われなくなった交通機関の中に、奇妙で、深い印象が残るものがありました。ベルリンのテンペルホーフ空港です。ピカピカに磨き上げられた到着ロビー、誰もいない飛行場にぽつんと駐機しているプロペラ機。冷えきった空間に置き去られた飛行機が、孤独感を増幅させます。

因みに、この空港の滑走路は、近年市民にために解放され、イベントも行われているとの事です。

なお同社からは「美しい土木・建設中」(写真/西山芳一2052円)も出されています。土木マニアなら、もうお持ちですね。