初邦訳になったデンマークの作家ヘレ・ヘレの小説「犬に堕ちても」(筑摩書房/古書900円)は、起伏に富んだ物語を楽しむような小説ではありません。そういうものを排除して、日常を淡々と描く物語です。

「泣くのにちょうどいい場所を探している」四十二歳の女性が主人公です。パートナーとの生活を捨て、突然家を出て、バスを乗り継いで、寂れた海辺の街にたどり着きます。そこに住むジョンとプッテというカップルに出会い、彼らの家に居候しながら次の生き方を模索していきます。彼らの周辺の人たちとも付き合い、少しづつこの土地に馴染んでいきます。

繁栄から取り残された町。孤独と寂寥感の漂う侘しい場所なのですが、彼女にはなぜかしっくりとしてくるのです。

「スラックスとタートルネックのセーターを着て、ストーブの火をおこす。かなり楽にできた。トマトと玉葱を添えたオムレツをこしらえて食卓に着き、ひらひら落ちてくる雪を眺めながら食べた。コーヒーがすばらしくおいしい。」

ありきたりの日常描写が大半をしめ、装飾を排したという意味ではミニマルアート的です。北欧のシンプルな家具の香りが漂ってくるようなあっさりとした物語、と言ってもいいのかもしれません。しかし実は、一度は捨てた日常の向こうに立ち上がる、新しい日常の中で生きることの意味を探し求める物語でもあるのです。

世話を任された犬の散歩。犬に特別な親近感を抱いてくるわけでもない。何事にも夢中になれず、距離感が広がってゆく。でも、荒涼たる風景が、彼女にも、そして私たち読者にも心に染み込んできます。漂う湯気やチロチロと炎をあげる薪ストーブ、熱いコーヒーの入ったカップの温もりにホッとします。

ちなみに「犬に成り下がる」という言い回しがデンマーク語にはあるらしく、翻訳をされた渡辺洋美さんに寄れば「酒に溺れたりして社会的、経済的に零落するという意味で普通に使われる。この小説のタイトルがただちに連想させるのはその成句であり、そういう人間の境遇だ。主人公が犬に堕ちたも同然の身で、はからずも二匹の犬の世話を託されるのは皮肉と言うしかない。」

何かの折に読み返したい、ジョンとプッテたちの食卓に戻りたい気持ちにさせてくれる一作でした。

 

 

絵本作家酒井駒子の初の本格的な個展「みみをすますように」が、東京PLAY! MUSUEMで始まりました。酒井駒子は、静謐なタッチの絵とシンプルな言葉が溶け合う絵本で、数多くのファンを持っています。(私もそうです)

個展に合わせて画集「みみをすますように」(BlueSheep/新刊4180円)が刊行されました。20数冊にも及ぶ絵本の中から約300点の原画と、30点あまりのラフスケッチをセレエクトしています。

私が初めて彼女の作品に出会ったのは、2008年河出書房新社より発売された「くまとやまねこ」でした。仲良しの小鳥が死んでしまい、生きる気力を無くしたクマは引きこもりの生活を続けています。しかしある日、音楽を奏でるやまねこの音色に誘われるように外に出て行きます。亡くなった小鳥が、今も自分の心の中に息づいていることを悟ったクマは、音楽を奏でて各地を回るやまねこと一緒に旅に出る決心をするという物語です。これは、文章を湯本香樹実が書いています。喪失から再生へと向かうクマの姿が切なく、また彼を助けるやまねこの暖かさに胸打たれます。

次に出会った酒井の作品は、絵本ではなく、2012年の発表された川上弘美のファンタジー長編小説「七夜物語」でした。小学四年生の女の子が、図書館で見つけた「七夜物語」に導かれて不思議な世界を巡ってゆく物語です。絶版になっている単行本は、各ページに酒井の作品が小さく挿入されています。下巻表紙は、長いテーブルで食事をしている女の子と友達の男の子と、「スプーン」や「消しゴム」や「ハサミ」が描かれていて、奇妙なんですが、独特の暖かく深い画風が素敵です。(画集にも入っています)

画集の最後には、本の題名と簡単な解説を記した資料があります。これから、酒井の絵本を集める時の役に立つと思います。

なお、この「みみをすますように」展は、夏には神奈川で開催されて、その後全国を巡回する予定です。関西にも回ってくることを期待!

 

 

 

京都の出版社烽火書房より出た浪江由唯著「世界の紙を巡る旅」(2860円)の出版記念展がスタートしました。著者は大学時代、文化人類学を専攻し、その時にネパールの紙に出逢いました。そこから「紙」に魅了されて、大学卒業後、2019年から翌年にかけて約1年間、世界の紙を求め、「世界には、どんな紙があるのだろう。どうすれば、手仕事の紙は残ってゆくのだろう。旅の初めに抱いた疑問」を持って、世界へと飛び出しました。工房を訪問し、出会った紙を日本に持ち帰ったのです。アジア、北アメリカ、バルト三国、ヨーロッパと渡り歩き、そこで入手したものを整理し、各国で感じたことを文章にしてまとめたものが本書です。今回は、入手した中からほんの一部を展示しました。

メキシコで見たアマテについて、本でこう書かれています。

「紙の繊維を編みこんだり叩き潰したりして作られるアマテは、果たして紙と言えるのだろう

か。紙の定義に則れば、アマテは紙とはいえない。用途も、文字を記すよりも壁に飾られたり呪術の装飾に使われたりすることの方が多いらしい。」

実物を3点(写真右・上段がアマテ/下段は韓国の紙)飾っていますが、なるほど、紙にしてはゴツイし、存在感が半端ではありません。触ると暖かい感じがして著者が惹かれるのが何となく分かります。読むだけではわからない紙の魅力を再認識しました。

日本でも話題になった手書きの本を出版するインドのタラブックスで、印刷のミステイクで出た紙という珍品(?)も一点展示してあります。交渉されたとは思いますが、よくもまぁ、職人が自分の失敗作を放出したものですね。

販売コーナーでは、タイやネパールの紙で製作された封筒、メッセージカード、美しい透かしの入った紙(ブックカバーにもなります)などを販売しています。数量に限りがありますのでお早めにどうぞ。

⭐️「世界の紙を巡る旅」展は4月14日(水)〜25日(日)まで13:00〜19:00 月・火定休

大河小説「光の家」から3年、待望の新作が登場しました。タイトルは「泡」(集英社/古書1200円)。

男子高校の二年生になって暫くして学校に行かなくなった薫。これからの事を考えていないわけではないのだが、どうしても学校へ行けない日々。夏休み、彼は大祖父の兼定のいる海辺の街で過ごすことを決めます。兼定は、大戦中ロシアの捕虜として収容所生活を送りました。帰国後、親族の元に戻らず知り合いもいない町に一人住み、小さいながらもジャズ喫茶を経営していました。そこには、ふらりと街にやってきた青年、岡田が店を手伝っていました。

そんな店で薫は手伝いを始めます。

「夏のあいだ、東京から遠く離れた海辺の街で、兼定をたよりに暮らしてみたいと言いだしたのは薫だった。できるだけ遠くへ行きたい気持ちと、はぐれ者のような大叔父への関心、兼定がやっているジャズ喫茶への興味もあった。そして大叔父はたぶん、自分をかまわず放っておいてくれるだろう。」

薫は一人暮らしをしながら、無口な岡田と一緒に店で働きます。凡庸な青春小説だと、主人公が新しい環境で何かを見つけて自信を持つみたいな物語になりそうですが、これにはそんな結末はありません。かといって悲劇的なラストが待っているのでもありません。

ボートに捕まって海へとでた薫、彼はカナヅチです。でも「カナヅチでも浮き袋があれば大丈夫ーいつもはなにかと悲観的なのに、こうして泳げない海に浮かんでいる状態を楽観的にとらえている自分が不思議だった。砂里浜に来てから学校に行かなくなった自分をなんとかしなければ、と考えないでいられるようになった。」

こうしなければならない、ああして生きていかねばならないということへの判断をやめて、薫は海辺の町で、モノトーンのように繰り返す生活に楽しみを見つけていきます。

ロシアでの悲惨な捕虜生活を送った兼定の過去をインサートしながら、薫の定まらない日を描いていきます。

「砂浜に海水がすいこまれると、小さな泡がつぷつぷとつぶれながら消えてゆく。その小さな音がする。自分もこの泡のように、いつか消えてゆくーそれまでにできることはなんだろう。つぎの波がくるまでのあいだ、いまはまだ答えのないその問いは、夜のひろがりそのものになって薫を見おろしていた。その気配を心地いいもののように薫は感じはじめていた。」

夏休みが終わり薫は東京へと戻っていきますが、その後の薫については、一切描かれていません。夏が去った海辺の街では、相変わらず兼定と岡田がジャズ喫茶をやっています。

読んだ後もいつまでも波の音が響いている感じです。

 

 

 

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韓国映画「藁にもすがる獣たち」(アップリング京都にて上映中)は、「他人の金をとったらあかん」という当たり前の教訓を思い知らせてくれる傑作です。曽根圭介の犯罪小説が原作ですが、それを韓国最強のスタッフ&キャストで映画化しました。

事業に失敗したジュマンは、ある日勤務先の公衆浴場のロッカーに忘れてあったブランドもののバッグを開けます。そこには、大金が入っていました。欲しい!と思ったものの良心にしたがって、そのまま保管室に置いて帰ります。

ここから映画は、なぜここに大金があったかを描くために、過去へと戻っていきます。いわゆるリワインドムービーの形式ですね。本作が劇場映画デヴューのキム・ヨンフンは、スピードとユーモアをミックスしながら観客を引き込んでいきます。この大金には、それこそ「藁にもすがる」思いで金を工面しなければならない男たち、女たちが群がっていたのです。しかも全員、やばいことをやっていて表沙汰にが出来ない事情があるのです。この男たち女たちの過去を、並列に描きながら映画は現在へと戻ってきます。いやぁ〜上手い!

一旦はこの大金に手をつけなかったジュマンですが、やはり手を出してしまいます。そこに襲いかかってくる男たち、女たち。挙句に家を焼かれ、金も取り上げられてしまいます。焼け落ちる家を見つめるジュマンに向かって、母親が「嘆くな!朝鮮戦争の時は毎日こうだった」と励ますシーンがなんとも可笑しいのです。

さて、いよいよクライマックス。韓国映画お得意の血みどろ殺戮シーンで、関係者が「そして誰もいなくなった」状態になって終わりかと思えば、そうではないのです。

あのバッグを持った人物が足早に歩いてゆくのです。これ、オープニングと同じカットで進行します。え?誰やこれ? ここはもちろん言えませんが、いやぁ〜、もう座布団10枚あげたい。

こんな面白くて素敵な映画なのに、館内は閑散としてました。実に勿体無い!!

 

イラストレーターのユカワアツコは、主に鳥を描く作家です。それも、古い箪笥の引き出しに鳥の絵を描きます。着物をしまう引き出しに、飛び立っていくかもしれない鳥の姿があるのはなんとも神秘的。

描かれているのは特に珍しいというのではない馴染みの鳥(例えばカケスやハシブトカラスやメジロなど)で、そこに梨木香歩が文章を寄せ、写真家長島有里枝が撮影するという「草木鳥鳥文様(くさきとりどりもんよう)」(福音館/新刊3100円)は、どこまでも心落ち着く一冊です。作品は室内のテーブルの上、洗面台や本棚、小さな納戸の奥などに置かれ、「鳥の潜む風景」になりました。

バードウォッチャーとしても有名な梨木は、鳥の生態を簡潔に紹介しながら、その鳥とともに描かれている草木のことも的確に解説しています。「アオバズク」では「深夜になりベッドに入ると、コウコウ、コウコウ、というアオバズクの声が聞こえてくる。ああ、もう渡ってきたのか、と夢うつつで思う。それは毎年繰り返される、初夏の始まりの知らせ」という、物語の始まりを予想させるような文章に続いて、

「京都にももちろん、御池通に見事なケヤキの並木があって、その景観が大好きだったが、ケヤキにはやはり、坂東武者というような素朴でまっすぐなイメージが、いつの季節にもある。昏く燃えるような紅葉の秋、骨組み(?)だけになる凛とした姿の冬、誰も気づかない質素な花とともに芽吹く春、そして初夏、、瑞々しい新緑に身を隠すようにして、アオバズクがこちらを覗くのだ。」

アオバズクの引き出しは、漱石や藤村の古めかしい本が詰まっている本棚に置かれていて、今にもこちらに向かって飛び出しそうです。

年数を経た引き出しに描かれた鳥たちは、美しく輝いていて、梨木は「長島有里枝さんは、気配の滲み出てくるような独特の世界の捉え方で『鳥の潜む風景』を撮られました。」と、あとがきに書いています。風が流れ込んでくるような家のあちこちから、鳥たちのさえずりが聞こえてきそうです。三人の才能ある女性が、見事にコラボした美しい本です。

長島有里枝さんの著書「『僕ら」の『女の子写真』からわたしたちのガーリーフォトへ」(大福書林/新刊3630円)も取り扱っています。

 

 

大嫌い!と言う人がいるかと思えば、毎日食べているという人もいる「納豆」。そんな納豆のことだけの”雑誌”が登場しました。京都の出版社「さりげなく」が発行した「納豆マガジン」(2200円)です。「納豆への認識をこの納豆マガジンで変えていきたい」と、雑誌編集長の村上竜一さんは「納豆への思い」で宣言されています。

全国で販売されている納豆を写真入りで紹介。京都からは、藤原食品の「鴨川納豆」がピックアップされていて解説はこうです。

「大正12年創業の『藤原食品』の中でも定番で人気を集めるこちら。京都ならではのネーミング。昔から変わらない洗練されたカラーリングもポイント。大豆には滋賀県産の大粒を使用している。粘りや糸引きの強さ。大豆の甘みに惚れ惚れする。」と詳細です。実はこの納豆を頂いた事があり、しみじみ美味しかった!!と女房が言ってました。(私は忘れてました・・・)

もちろん商品の紹介に止まらず、納豆を作っている現場のルポ、販売店への取材、商品のパッケージデザイン、果ては納豆漫画に、納豆小説と、もう考えられる限りの納豆づくし。先に紹介した京都の藤原食品とアパレルブランドが組んだ「京納豆」T-シャツを着た人たちのファッションフォトまで入っています。

雑誌で2200円か、高いなぁ〜と当初は思っていたのですが、ゆっくりとですが販売上昇。さらにインスタからも注文が入ってきました。

もう一点は「彰往テレスコープVOL.02机上のユートピア」(1650円)です。これ、歴史中心のミニプレスという珍しい一冊なのですが、内容はあっと驚くほどの情熱の賜物なのです。ページを開くと、「端原市観光案内図」が飛び込んできます。どこにあるのかと、駅名を調べてみたのですが解りません。さらにページをめくっていくと、歴史的名勝、旧跡の紹介、駅周辺の観光案内など情報は盛りだくさんです。が、実はこれ全て空想上の町なのです。表紙にこうあります。

「西暦2060年、ながらく本居宣長が19歳の創作したと思われていた都市『端原』の観光ガイドが発見されたー。謎に包まれた江戸時代の空想地図を、架空の観光ガイドを用いて解き明かす実験的展示。」

2060年?つまり、本居宣長が創作した都市を、よってたかったリアルに組み上げた産物がこれです。う〜ん、参加メンバーの情熱には頭が下がります。端原市の交通系図まで載っているんですからね。パッと見ただけではこれが実在しないなんて解りません。

「納豆マガジン」と言い「机上のユートピア」と言い、どちらも入れ込み方が半端ではなく、ここまで本で遊べるのだ!と感心しました。普通に流通している雑誌には絶対に真似できない、ミニプレスならではの魂のこもった本です。どちらも次号を期待!

 

「私はこれまで、他人のためにはもとより、自分自身のためにさえ、奮発したという覚えがいちどもありません。何もそれを自慢にしているわけではないのですが。」

と、下向きな文章を書いているのは、「落穂拾ひ」「小さな町」などの短編小説で多くのファンを持っている小山清です。1911年東京浅草生まれ、太宰治に師事し小説家の道を目指しました。58年に脳血栓で倒れ、65年死去。

先月夏葉社より、小山が1950年代に、様々な雑誌等に掲載したエッセイをまとめた「風のたより」(夏葉社/新刊1760円)が出版されました。「清純な作家が残した、つつましやかな11編の随筆」と、帯に書かれている通りの随筆集です。身の回りのあれこれを文章にしたものばかりで特にどうといった感じではないのですが、読んでいると、何やら穏やかな気分になってくるのです。

「動物園にて」というエッセイで、狐の獣舎に立つ青年をこう描写しています。

「その青年はビスケットを入れた大きな袋を携帯していて、動物たちの小屋を一つ一つ見舞っていた。その青年は狐の小屋の前にも立った。狐は青年の掌からビスケットをもらって食べた。青年には狐の臭さに辟易している様子はさらに見えなかった。

私はなんて優しい人だろうと思った。この青年はきっと素直な、正直な心の持主に違いない。」

他人を見つめる優しい眼差し。

また「私について」の章では、

「私には生活信条のようなものは、なんにもない。ややはっきりしているものは、好き嫌いであるが、これだって必ずしも頑固に主張しようとは思わない。人と気まずくなるよりは、妥協したい方である。私の二、三の小説だって、自分の好き嫌いをはっきりさせるというよりは、ただ『自分の好き』をだらしなく氾濫させたものでしかないだろう。」と書いています。

欲がないというべきか。ほんとうに慎ましいと言うほかないと思います。しかし一方で、「私が勤先の金を盗んで刑務所にはいったのは、いまから二十余年も昔のことになります。」と「その頃のこと」の冒頭にありました。荒れた刑務所生活のことを書いているかと思えば、愛着の湧いた看守さんに呼称番号を呼ばれた思い出を書いているのです。

高橋和枝の装画がとても暖かく、相変わらず素敵な装丁の美しい本です。

おそらく現代では出てこない小説家ですね。なお当店には、昭和28年に発行された「落穂拾ひ」(筑摩書房・初版/古書6000円)があります。

 

 

本年度アカデミー賞作品賞候補の有力作品、「ミナリ」と「ノマドランド」を続けて見ました。前者は、1980年代に農業で成功することを夢見て、アーカンソー州に移住した韓国系一家の生活を描いています。後者は、働いていた企業の倒産で居場所を失い、キャンピングカーに生活道具一式詰め込んで、国内を放浪する女性を描いています。

アメリカ映画が最も輝いていたと思う70年代、80年代には、多くのロードムービーやアメリカの田舎の生活を描く作品が登場しました。ベトナム戦争、格差、人種差別、同性愛など様々なテーマが色濃く出ていて、見応えのある作品が多かったと思います。それに比較すると、この二本の作品の描く世界は少し甘いと感じました。

しかしだからと言って、作品の価値が下がるものではありません。「ミナリ」で描かれるアメリカ西部の大自然、「ノマドランド」ではまた異なった色合いを見せるアメリカの大地の姿は、彼らが置かれている厳しい現状とは、全く違う天国のような景色で、心に染み入ります。

「ミナリ」の夫婦は、元々は西海岸で生活していましたが生活は安定せず、新天地を求めて西部の田舎町にやってきました。アジア人への差別は登場しませんが、おそらく過酷な体験をし、そこから抜けて何もない土地を耕し、農作物を作ることでアメリカンドリームを得ようとしたのです。今なお、アジア人への差別や暴力があるこの国の80年代の姿だと思います。

一方の「ノマドランド」、一人ぼっちで放浪する女性は各地に点在する放浪の民と知り合い、放浪生活の知恵を学んでいきます。彼らを狙い撃ちする暴走族や、暴力集団が数多くいると思いますが、ここでは全く登場しません。しかし、経済格差で数多くのアメリカ人が、こんな不安定な生活を余儀なくされているはずです。もちろん、現在の日本にも車の中で寝起きしている人たちは沢山います。

「ノマドランド」を監督したのは中国系監督クロエ・ジャオ。まるで西部劇に登場するカウボーイが美しい自然の中を旅してゆく姿のように、ヒロインを撮っていきます。

荒廃し、混沌としてゆくアメリカ。特に、マイノリティーや社会からの脱落者への差別は、想像以上に深刻なはずです。そんな時代に、いやだからこそ、こんなにも美しく胸に染み込む映画が、同時に二本も登場しました。主人公たちの心の闇や悲しみは、表立って描かれてはいません。しかし、画面の奥にはそういうものが存在していることを確実に伝えている映画です。

盛岡の書店 BOOKNERD店主、早坂大輔さんが、自分の本屋を開店するまでを綴った「ぼくにはこれしかなかった」(木楽舎/新刊1540円)は、ビジネス書によくあるような私はこうして成功を掴んだ、頑張った、みたいなツマラナイ本ではありません。

一読して、早坂さんって、飾り気のない正直な人なんだなぁ〜と思いました。

「なぜこんな地方都市で本屋をはじめようと思ったのですか?と不思議そうにたずねられることがいまでもよくあるが、ないから作ったのだ、としか答えようがない。」

直球ど真ん中!のお答え。紆余曲折の末、盛岡の街に小さな本屋を開店した物語が詰まっています。

元々著者は、ネクタイにスーツで会社に向かうサラリーマンでした。がむしゃらに働き、社内の評価も高まったのですが、あまりの仕事量の多さに身も心も疲弊してしまいました。そこで13年間働いた会社を辞め、友人と起業したのです。しかし、「けっして友人と一緒に起業してはならないということ。友情とビジネスパートナーを混同してはいけない。」という教訓を得たと書かれているように、失敗し、友人も去っていきます。

そこで、考えます。自分がすべきことは何か?そしてたどり着いたのが本屋でした。常に本が隣にあり、いつも自分を助けてくれた本と共に生きていこうと決心し、本屋を目指します。

しかし、いつの間にかできてしまった妻との距離、その後の離婚。精神的にしんどい時でしたが、アメリカ西海岸の古書店への買い付けへと旅立っていきます。なんとか開店したものの、客足が伸びず、八方塞がりの状態へ。

そんな状況でも、著者は考え、考え、自分の心と対峙していきます。その辺りが、ほんとに自分に正直な人だなぁと感心しました。

やがて、店は軌道に乗っていきます。そして、再び出会った愛する人。生まれてくる新しい命。人生は続きます。そこに降って湧いてきたコロナの大流行で、来店したお客様に感染させてしまうかもしれない不安に、でも、こう考えています。

「だけどぼくたちが忘れてはいけないのはなんのために店を開けているのかということだ。ただ物販や料理やサービスを売るだけじゃない、目に見えない、形にならないものを訪れたお客さんに持ち帰ってもらっているはずで、それこそぼくたちのような小さな店がこれからの時代に大事にたいせつに守っていかなければならない篝火のようなものなのかもしれない。」

これは、それなりの歴史を経て頑張っている小さなお店が持っている矜持です。ぜひ、行ってみたい本屋さんです。