昨日の続きで、21日(水)から始まる「女子の古本市」に出品される本の紹介です。

「週刊新潮は明日発売です」というテレビCMをご存知でしょうか。50代以降の方の記憶にはあるかもしれません。だいたい、テレビで週刊誌の宣伝やってたなんて信じられますか?画面に「週刊新潮」の新しい号の表紙が映ります。当時、その表紙を描いていたのは、谷内六郎。おそらく、私が最初に名前を覚えた画家です。日本の各地の風景、人々の姿を描いたノスタルジックな作品が印象的でした。

「没後25年谷内六郎の軌跡 その人と仕事」という図録(1500円)が、出品されています。週刊新潮時代の作品も数多く収録されています。愛らしい子供たちが登場する表紙絵は、今見ても美しく輝いています。ほかにも、絵本、挿絵、装幀、企業の広報誌、舞台のポスターまで、谷内の多彩な画業がわかります。幸田文「笛」、深澤七郎「笛吹川」、小松左京「闇の中の子供」など店にあった小説も彼の装幀でした。

この図録を見て、谷内はノスタルジックなものばかりでなく、ポスターや企業の広告等モダンな作品も残していたことを知りました。或は、「夜の公衆電話」や「最終バスの客」などのファンタジー空間は、宮崎アニメ「隣りのトトロ」に相通じるものがあります。

 

村上勉「ペインズグレイに誘われて」(小峰書店1000円)も味のある画文集です。兵庫県出身の村上は、児童文学の挿絵を多く担当する作家です。細部までリアルな描き込みつつ、デフォルメされたデッサンが独特の世界を醸し出す画風を持っています。児童文学者、佐藤まさるとのコンビが多く、デビューも佐藤の「だれも知らない小さな国」でした。

ヨーロッパ各地を旅した時、出会った様々な職業のおっちゃんの肖像画がシブい味を出しています。荷車を引くスペイン、アビラのムッシュ。モロッコ、マラケシの水売りのじいさん。その紅い衣裳が、暑い大地を伝えます。極めつけは宮沢賢治全集を読み終えた直後に描いた「私のイートハーブ」。宮沢の小説に登場する人物がズラリと並び、狸、フクロウ、狐、猫、象など印象的なキャラクターも一緒です。チェロを弾いているのは、ひょっとして賢治? 村上はこの作品が気に入ってたみたいです。美人も二枚目もない、まるでじゃがいもの品評会みたいな、しわとでこぼこのオンパレードの作品を、「人それぞれの生き様が、一つ一つのしわやでこぼことなり、『よう頑張ってきたんだね』と声をかけたくなる。」と書いています。

 

★お知らせ 19日(月)20日(火)は古本市準備のため連休いたします。

 

 

次週21日(水)より、「女子の古本市」が始まります。これは、毎年2月に開催しているもので、出店者を女性に限定しているレティシア書房の冬の恒例行事。東京・横浜・岐阜・滋賀・京都・兵庫・大阪から参加して頂いている、女性店主セレクトの面白い本がいっぱい。勿論、お客様は老若男女どなたでも、気楽にご来店くださいませ!ちょっと早いのですが、到着した本の山からいくつかご紹介をします。(店頭に並ぶのは21日から。お楽しみに!)

愛読者の多い野呂邦暢。彼の随筆をまとめたシリーズの第2巻「小さな町にて」(みすず書房4500円)は、持っていたい一冊。1977年から80年にかけて発表された随筆、65年から80年にかけて発表された書評を、原則として発表順に編集したものです。500数ページ、定価7000円の大作ですが、頭から読む必要はありません。お気に入りの文章、あれっ?と感じた単語が飛び込んできたら、そこから読むのでいいと思います。名手の手にかかるとこうなのかと感嘆します。

中に、小林信彦の「ビートルズの優しい夜」がありました。60年代から80年代にかけての芸能界を描いたこの小説を「小林信彦氏は芸人と芸を愛しているのだ。芸人をタレントとい安っぽい言葉で私は片付けたくない。かんじんな点はここの所で、氏の芸人に関する見方の鋭さはみな深い愛情で支えられている」と書かれています。

同じ、みすず書房から「大人の本棚」シリーズという地味ながら、シブいセレクトの文学集が出ています。その中から、傑作二点をみつけました。野呂邦暢「愛についてのデッサン」(1200円)、山田稔「別れの手続き 山田稔散文選」(1200円)です。この装幀、帯の落ち着いた色合い、触っているだけで本好きなら幸せな気分ですね。当店のお客様で、全部コレクションして棚に並べるのが夢とおっしゃった方がおられましたが、さてコンプリートされたかな?

もう一点、夏葉社が出した復刻版関口良雄「昔日の客」(900円)。尾崎一雄、上林暁、三島由紀夫たちに愛された古本屋「山王書房」店主が綴る古本と文学への愛に満ちた一冊です。老舗古本屋の店主による文学の話って小難しい感じがしますが、これは平易な言葉で語ってくれます。心休まる文章とは、こういうものかもしれません。

 

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小川洋子と平松洋子の対談集「洋子さんの本棚」(集英社文庫/古書300円)を、単なる読書案内の本と思って読み出したのですが、そうじゃなかったんです。

第一章「少女時代の本棚」は、本好き少女二人の、微笑ましいシーンが一杯語られます。平松が、ツルゲーネフの「はつ恋」で主人公が令嬢を鞭打つ場面で茫然となったり、三浦哲郎「忍ぶ川」にあるセリフ「雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ」というセリフ通りに、素っ裸で寝た逸話などが出てきます。

第二章「少女から大人になる」では、本の紹介からさらに女性性についての考察へと向かいます。この章で小川はアンネ・フランクの「アンネの日記完全版」、中沢けいの「海を感じる時」を、取り上げています。一方平松は、増井和子「パリから 娘とわたしの時間」、西原理恵子「パーマネント野ばら」、キャスリン・ハリソン「キス」を。

「パリから 娘とわたしの時間」では、十歳から十五歳にかけて女の子の心と体が、劇的に変化する時代をどうすり抜けてゆくかを語りながら、著者の増井と同じ母の立場から、平松は「娘の中に女を発見した、認めた女性性から私は逃げないという、ある種の母としての覚悟みたいなものが、増井さんの中にあるんだ」と語っています。

さらに「アンネの日記完全版」では、小川が「自分の性器の仕組みを、自分で見て、詳細に書いている」ことを上げます。アンネが体のこと、性のこと、男の子のことを知りたがっていることが詳細に書き込まれ、実際にベーター少年と恋をして、キスして、お互いを理解して、はい、おしまいにしてしまいます。

平松は「性の目覚めを通じて、あ、人はひとりなんだ、自分で立っていかなくちゃいけないんだというそのことを、少しづつ発見していった」とまとめていますが、これは男の性にはありません。男の子にとって性の目覚めは、そのまま性の妄想、いや憧れです。

さて、ここからです、この本がスリリングになってくるのは。性の目覚めを通して、娘は母を乗り越えていこうとするという真実へと向かいます。女性には「生まれる時、自立する時、親が死ぬ時。人生には三回の裁ちバサミがある」ということを、「海を感じる時」を参考にしつつ、語っていきます。もう、ここまでくると、男の私から見れば異星人のお話です。しかし、それが極めて面白いのです。

この章の終わりが傑作です。平松が作家高樹のぶ子の「女にとって男は人生のお客様」という言葉を受けて、小川が「なるほどね、来ては去り、通り過ぎていく。」のかと納得した後、

平松 「パーマネント野ばら」もそうですよね。基本的に男たちは通り過ぎてゆく。それこそ風景みたいに。

小川 男は風景。そうかそうか。そう思えば、いいんですね

 

さて、男性諸氏はどう思われるかわかりませんが、「男は風景」って言葉、私は嫌じゃないですね。

 

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  レティシア書房 第5回「女子の古本市」2/21(水)〜3/4(日)月曜定休日

京都・大阪・兵庫・滋賀・岐阜・東京などから、出展者が女性という古本市です。お買い得の面白い本を見つけにお越しくださいませ。(古本市準備のため19日、20日は連休いたします)

 

1930年、ポーランドに生まれたライナー・チムニクは、ミュンヘン美術学校に進み、1954年在学中に、「熊とにんげん」を発表します。自然と人間を優しく見つめた絵物語の傑作で、話題をよび日本でも翻訳されました。その翻訳者、上田真而子は、エンデの「はてしない物語」等で有名ですが、彼女が最も愛した一冊が、この「熊とにんげん」(徳間書店/新刊1512円)でした。

踊りをする熊をつれた男が、村から村へと旅する物語です。熊と男の友情を中心に、自然と人間を見つめています。上田は、「ナイーブな、純な、ういういしさがあると思います。それでいて、世の中を、人生を鋭く見透している眼があり、それはある意味で宮沢賢治の世界と重なるのではないかと思いました。」と後書きに書いています。

「かれらは村から村へとわたっていった。ふしくれだったりんごの古木やさんざしなどの並木とともに、かれらのすがたはいなか道にすっかりとけこんでいた。ゆっくりと、いつも同じ、ひと呼吸に三歩の足どりで歩いていった。」という文章の横には、並木道をゆっくりと歩む二人の後ろ姿が描かれています。上手いですね、この背中の曲がり方。生きることの哀愁がワンカットで浮かび上がります。

物語は「いなか道に旅芸人のすがたを見ることは絶えてひさしく、おどる熊も、いまはいない」という文章で終わりを迎えます。けれども、何かの拍子に、遠くから踊る熊の足音、おじさんが鳴り響かせる音楽が聞こえてくるようです。かつてはりんごの古木が並んでいた道には、電線が張り巡らされ、カラスがたむろしている絵が添えられていました。哀感あふれるエンディング。

チムニクは、その後、矢川澄子の翻訳で「セーヌの釣りびとヨナス」(パロル舎/古書1700円)、「タイコたたきの夢」(パロル舎/古書1700円)と寓意に満ちた作品で多くのファンを獲得していきました。

 

 

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マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」は傑作です。

アメリカ南部ミズーリ州の小さな町。その町の郊外を走るハイウェイ沿いに突如現れた3枚の真赤な看板。娘をレイプされ、焼き殺された母親の、死後7ヶ月経過してもなお、犯人を検挙できない警察と所長への抗議のメッセージが、それらの看板に書き込まれていました。

娘を殺された母には町全体が同情していたのに、この看板が出てから、微妙に変化してゆく町の住民たち。しかし、如何なる妨害にあっても抗議を辞めない母親と、警察の対立はエスカレートしていき、不気味な緊張感が満ちてきます。署内には人種差別主義者でマザコン、バイオレンスでしか自分を表現できない警察官がいて、今にもキレそうな状態です。

しかし、この映画、一触即発のバイオレンスの危機を描くだけの作品ではないのです。無能だと思われていた警察所長の隠れていた人間性、どうしようもない単細胞警察官の変化、そして強引に突っ走るだけだった母親の心の揺らぎが交差しながら、物語は進んでいきます。

とてつもなく大きな悲しみを背負わされた人間が、いかにして、ほんの僅かの希望の扉を押し開けてゆくのか、という誰の人生にも起こりうる事を見せてくれます。ノーテンキな癒しや、感動的結末なんてありません。そんなことすれば、この映画は三流のお涙頂戴作品だったでしょう。殆どノーメイクで、ジャンプスーツにバンダナという出で立ちの母親を演じる、フランシス・マクドーマンドが全身で演じる怒りのエネルギーが、いい加減な感動を許しません。

毎日新聞で映画評を書いている藤原帰一氏が、本作品を高く評価しつつも、最後を甘いと書いていましたが、その気持ちもよくわかりました。ややご都合主義的な展開かもしれませんが、明日の希望へ繋がるかもしれない可能性を示唆するエンディングがなければ、私たちは恐ろしく寒々しい気分のまま映画館を後にしなければなりません。どのような状態であれ、いかにして生き延びてゆくのかということへの答えがあるからこそ、じわりと押しよせる感動を胸に劇場から出られるのと思うのです。

 

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私は熱心な石牟礼道子ファンではありません。まだ代表作「苦海浄土」も読んでいません。しかし、池澤夏樹が編集していた日本文学全集に収められた「椿の海の記」、「水はみどろの宮」には心動かされました。以前ブログに書いたことがありますが、今一度ご紹介します。

「苦海浄土」を発表されたのが69年。それから4年後、筑摩書房の「文芸展望」創刊号から連載されものが「椿の海の記」です。76年朝日新聞社より単行本として発行されたものが手元にあります(古書1200円)。小説なのか、彼女が育ってきた郷土への想いを綴ったエッセイなのか、いずれにしても豊饒な郷土、不知火を描ききった作品だと思います。

帯に瀬戸内晴美(寂聴)が書いています。

「不知火沿岸は、この女詩人の記憶の中では光と花と風と海のささやきにつつまれた、この世ならぬ浄土である。その美しさを希有で完璧にえがききることによって、冒され、汚された故郷の現実の悲惨を無言のうちに告発する」

「光と花と風と海のささやきにつつまれた、この世ならぬ浄土である」は、この作品の本質だと思います。四季折々の風景と、そこに生きる人達の自然と対峙した生活を、練り上げられた文章で描いていきます。むっ〜と肌に覆い被さるような夏の熱気、突刺さるような冷気が漂ってきます。

「色どりあでやかな、熱気を帯びた天乞いの行列が、汗をふりこぼし、山の迫々からそのようにしてくり出して、町方のドラと合流し、渦巻き状となりながら、道の幅に従ってほそく伸びたり、ひろがったりして来る。行列はもう連日、炎天下の行事に憔悴しきっているのだが、神を招ぶものの目つきになって栄町どおりまで来て、浜辺をさしていた。」

踊り狂う天乞いの行列の汗が飛び散ってきそうです。池澤夏樹がゆっくり、ゆっくり読む本だと書いていたと記憶していますが、一行一行、声に出して読んでいきたい、長い長い詩なのかもしれません。

一方、「水はみどろの宮」(福音館文庫/古書400円)は、壮大な神話的ファンタジーです。千年狐のごんの守と共に山の彼方へと飛んで行けそうです。石牟礼と同じ熊本出身の坂口恭平は「みっちんの本は音符のない楽譜だ。わたしはつい歌ってしまう。歌っていると山の精がとんできて、アスファルトから草がもさもさと生えてくる。」と賛辞の文章を書いているのですが、上手いなぁ〜この言い方。ホント、この通りなんですよね。

「苦海浄土」が取り上げられることが多いのですが、是非この二作品を読んでもらいたいものです。

石牟礼さんのご冥福を御祈りします。

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ミンガリンク・マイクは、膨大な数のレコードを自主製作しましたが、全く聴くことができません。なぜ??

製作されたアルバムジャケットは見開き仕様の豪華さで、ミンガリンク自身の詳細な解説が付いています。が、そこに収められているレコードは、すべてダンボール紙で作られているのです。ご丁寧なことに、レコードの溝まで丹念に描かれています。つまりダンボール紙で作られた、架空のレコードなのです。

マイクの製作したレコード、シングルを集めた「ミンガリンク・マイクの妄想レコードの世界」(P-VINE/古書5000円)を入手しました。驚きました。ここには音楽への愛が満ちあふれています。引きこもって、たった一人で作り上げた作品群は、彼の頭の中だけで鳴っていた音楽を安物の紙の上に作り上げたものです。作品集には、ジャケットだけでなく、レコード盤も紹介されていますが、まぁ〜芸の細かいこと!レーベルロゴから、曲目(シングル盤は、その曲の時間も)まで描き込まれています。

1967年から10年間、彼は自宅にこもり、大量の贋物レコードを作り続けました。その作品群を誰の目にも見せず、ひっそりと倉庫の奥に隠していました。このままだったら、彼の名前がネットで飛び交うことも、作品集が出版されることもなかったはずです。

しかし、倉庫賃料の延滞に業を煮やした業者が、オークションに放出。たまたまその場に居合わせたDJドリ・ハダー(この本の著者)が発見して、世に出ることになりました。さらに本業が警察官のドリは、少ない手がかりを元に彼を探し出し、実際に会うことに成功しました。まるで、映画みたいなお話ですが、事実です。

音楽家サエキけんぞうが、「たった一人の頭の中で描かれた、極端に自分中心の世界観が、現実のヒット世界よりも見ていて楽しくなるのはなぜだろう」と書いていますが、マイクの作品を凝視していると、ソウルミュージックの分厚いサウンドが聞こえてきそうです。

 

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小川洋子という小説家は、長編の人だと思っていたので、あんまり短編には手を出しませんでした。しかし、「口笛の上手な白雪姫」(幻冬舎/古書1200円)を読んで、考えを新たにしました。

ここには七つの短編が収められています。場所も時代も、全く異なります。ただ、主人公が少年、あるいは少女という設定のものが大半です。最初の「先回りローバ」は、電話の時刻案内の女性の声に安心し、ずぅっと電話機を握りしめる男の子、「亡き女王のための刺繍」は、町の子供服専門の仕立て屋さんに通う女の子、「かわいそうなこと」では、かわいそうなことリスト作りに血道を上げる男の子、「一つの歌を分け合う」では、子供を亡くした伯母と、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観た高校生等が主人公です。「レ・ミゼラブル」の舞台や映画を知っている人は、ラスト泣けてきますよ。

子供たちが体験した、親や、祖父、或は町の人々との交流を一つの物語にまとめ上げ、どの作品を読み終わった後も、ちょっと胸がつまり、美味しい珈琲を飲んだときの満ち足りた気分にさせてくれます。祖父と少年が、廃線の決まった電車に乗り続け、畑にいた兎を可愛がる「盲腸線の秘密」は、そのまま映画になるんじゃないかと思えるぐらいに、映像的です。生きていれば、笠智衆にこのおじいちゃんを演じてもらいたかったですね。大切だった人の死、その人への深い思いが込められています。

こういう作品の一方で、「仮名の作家」は異色です。主人公はある小説家を溺愛する女性で、その作家のすべてを暗記する程にのめり込んでいます。そして、作家を囲む会では、お馴染みさんになっていくのですが、とある会で、彼女の的外れな発言が糾弾されます。その時、彼女は「私ほど正確に彼の小説を理解している者は他にいません。全部を完璧に暗記しているのですから」と叫び、大声で暗唱を始めますが、無理矢理外に連れ出されるというお話。これもまた、小川洋子の世界です。

「かわいそうなことはどこにも潜んでいる。何気なく曲がった角の突き当たりに、ふと視線を落とした足下に、昨日まで素通りしていた暗がりの奥に、身を隠している。僕はひざまずき、彼らを両手ですくい上げる。自分の生きている世界が、かわいそうなことばかりで出来上がっていると、薄々感づきながら。」

これは「かわいそうなこと」の最後に登場する文章ですが、作家自身、そういう「かわいそうなこと」を救いあげ、美しい物語へと昇華させているのではないでしょうか。

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京大総長で、京大霊長類学を代表する山極寿一さんの棚が、当店にはあります。専門的なものは扱っていませんが、「ゴリラの森に暮す』(NTT出版/古書1400円)、「ゴリラは戦わない」(中公新書/古書600円)といった専門のゴリラのことを平易に書いた本や、「父という余分なもの」(新潮文庫/古書550円)、「オトコの進化論」(ちくま新書/古書950円)の文化人類学から派生したものなど、様々な示唆に満ちています。

山極さんと、東大人類学を率先する尾本恵市さんとの対談「日本の人類学」(ちくま新書/古書650円)は、頭脳明晰な人たちの対談の面白さを堪能できます。

先ず、尾本さんが、東大では人類学者が低い扱いを受けていて、とてもじゃないが大学の総長なんかなれない、ましてや総長室にゴリラの写真が飾ってあるなんて、事務方が認めないと言う話から入り、お互いが人類学という学問に進んだことへと移ってゆきます。

山極さんがゴリラを専門にしたのは、先輩たちが皆チンパンジーの研究へと向かっていたので違うものをやりたいと思ったのだそうです。「チンパンジーは人間を超えている感じがしなかった。ゴリラを人間とちょっと違っていて、ある意味で人間を超えている感じがしたんです。」事実、ゴリラは抑制のきいた社会を作っていて、仲間同士の殺し合い、縄張り争いが無いらしい

また、あの大きなゴリラは、ペニスも睾丸も極めて小さいそうです。それに比較してチンパンジーは極めて大きい。彼等の社会は乱婚制だから、相手構わず交尾します。性行為の頻度では人間以上。さらに、射精まで平均6秒。だから。メスは妊娠するまで1000回以上交尾するとか。

こういった柔らかい話を交えながら、狩猟民族と農耕民族の社会へと話は進みます。「狩猟民族にとって自然と人間は平等で、支配、被支配の関係ではない」、一方の農耕民族は「自然を自分たちの手で整理し、人工的な食料環境につくりかえる。」その時から自然の頂点に立つのは人間であり、神に許された行為であった。神の貢ぎ物をする、というところから支配、被支配の考え方が生まれていきます。

極端に言えば、狩猟民族というのは私有を否定する文化であり、土地は私有せず、みんなで共同利用するものであったというのが、お二人の共通認識です。私たちは農耕文化を選択して、ここまで来たのですが、今一度振り返る時期かもわかりません。

アフリカの土人は暴力的だ!教育しなければ!と叫んで、植民地化したのは西洋文明です、しかし、文化人類学者たちが研究した結果、彼等は平和的で、素晴らしい文化を持っていることが判明しました。山極さんは「政治家はそれを認めていない。それが大きな問題なんですね。彼らはいまだに、西洋文明が世界の頂点にいると信じ込んでいる」と指摘しています。これからのあるべき人類の姿を考える一冊です。

 

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昭和50年発行の金子最後の詩集「塵芥」(いんなあとりっぷ社/古書1100円)を読んでいて、面白いものを見つけました。

巻頭の「そろそろ近いおれの死に」に続いて「十代」「二十代」「三十代」「四十代」「五十代」「六十代」「七十歳」、そして「八十代」というタイトルで、詩が並んでいます。

私は、先ず自分の世代の詩に目がいきました。「六十代ともなれば男も、女も、生えてくる毛がどこも、白い。」でスタートします。なるほど、私も白い。で、その姿がむさくるしく、「人目に立つのがひけ目になるので、出会茶屋の入口をくぐる勇気もなく、さあ、これからは何を頼りに生きるのか。」と嘆きます。そして、「ひとには言えないことではあるが、娑婆気の残物(あら)は、どこへすてたものか。」と結んであります。残念ながら、まだ私には、この境地は理解できません。

でも、「五十代」には、大いに共感しました。「五十代とは、なんと、しのこしたことの目に立つ年頃か。そのくせ、やり直すには少し手遅れ」とは、まさにそんな感じ。でも、後半「だが、試すだけは試した方がいい。見果てぬ夢とか、老いらくとか 言われるほどの年ではない」「まだまだ、自力で立つべきだ。」と言い切ります。思えば、レティシア書房を開店したのも五十代後半でした。「試すだけ試した方がいい」的気分は、確かにありました。

ところで、この作品は金子の死後2年目に発表されました。彼が亡くなったのは、1975年で80歳の時でした。そうすると。八十代を描いた作品が金子の心情に近いものなのでしょうか。「いけません。もう八十です、ということになってしまった。」と自分の年に驚きながら書いています。「利息のような日々なのだから、遠慮がちに生きていればいい筈なのだが、若いもののつもりでなくては気に入らない。」

若い日、世界を放浪し、無頼な日々を送ってきた金子らしい言葉かもしれません。

ところで、金子には絵の才能もあり、画集が出ています。若き日、上海で風俗画展(まぁ、エロ画です)をやって旅費を稼いだ人物ですから、上手かったのでしょうね。今、店にはアジア・ヨーロッパ放浪の画集「旅の継承」(平凡社/古書2000円)があります。アジア各地の風景を描いた作品に独特のセンスが溢れています。

 

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