以前、町田尚子さんの「ネコヅメのよる」(WAVE出版/古書1150円)発行記念の原画展を、していただいたことがありました。待望の町田さんの新作「ねこはるすばん」(ほるぷ出版/新刊1650円)が入荷しました。

相変わらず、ふてぶてしい面構えのねこが主人公です。飼い主が出かけた後、留守番をするのですが、大人しくじっとしているわけはない!ということで、物語は始まります。

洋服タンスの中を通り抜けて、ネコだけの世界へとトリップします。お茶したり、本屋に立ち寄ったり、散髪屋で毛を整えて、映画館で映画を見て、寿司屋に入って、「ちゅうトロさび抜きでね」などと注文するのです。帰りには腹ごなしにバッティングセンターに出向き、「カッキーン」と大きな当たりをかっ飛ばす。そして疲れた体を休めるために、銭湯でリラックス。

「さて、そろそろかえるとするか」と、またタンスの奥からこの世へ戻っていきます。ご主人が帰宅すると、何事もなかったような顔でお出迎え。ねこを飼っている人なら、ありそうな話だと納得されると思います。おしぼり片手に、ちゅうトロを注文する表情や、バットを思い切りスウィングする仕草など何度見ても、笑ってしまいます。

町田さんは、人間のことをなめてかかっている面白い猫の話を描く一方で、「なまえのないねこ」(小峰書店/新刊1650円)では、とても切ない物語を描いています。また、世界名作絵本シリーズ「ひきだしのなかの名作」のなかのアンデルセンの「マッチうりのしょうじょ」(フレーベル館/新刊1380円)も担当、彼女らしいタッチで、悲しい物語を美しく仕上げています。

 

 

 

 

ビン・リュー監督「行き止まりの世界に生まれて」(uplink京都で公開中)は、今年観たドキュメンタリー映画の中でベスト3に入れたい傑作です。9月9日のブログで「mid90sミッドナインティーズ」という映画を紹介しましたが、あの映画のドキュメンタリー版的な作品です。

カメラは、先ず、街の中をスケボーで爽快に滑ってゆく3人の若者たちを捉えます。そのスピード感にこちらも気分良くなってきます。しかし、ここから語られる彼らの人生は、タイトル通り「行き止まりの世界」です。「アメリカで最も惨めな町」と言われているイリノイ州ロックフォード。キアー、ザック、ビンの3人は、幼い頃から、貧困と家庭内暴力に晒されて生きてきました。過酷な現実から逃れるようにスケートボードにのめり込んでいます。スケートだけが彼らにとって唯一の居場所、スケート仲間が一つの家族。
けれど、大人になるにつれ、いつも一緒だった彼らも少しずつ違う道へ進んでいきます。
ようやく見つけた低賃金の仕事を始めたキアー、恋人との間に子供が生まれて父親になったザック、そして映画監督の道を歩み始めるビン(本作の監督です)。ビンのカメラは、自分自身を含めて一見明るく見える3人の、悲惨な過去や葛藤をあらわにしていきます。今まで問えなかった母親の事情と親子の確執が、監督として対話することで、緊迫した場面となっています。
希望が見えない環境、大人になる苦しみ、根深い親子の溝。ビンが撮りためた12年間のスケートビデオを巧みに編集して、この場所に生きる若者のリアルな青春が描かれています。
ロックフォードは、いわゆるラストベルトで、鉄鋼や石炭や自動車などの産業が衰退し、アメリカの繁栄から取り残された街です。街には生気がありません。静まりかえっています。「トランプのアメリカ」のリアルな姿です。
それでも、彼らの笑顔を見ていると未来は変えられるのかもしれないと思えます。事実、ラストでは3人のそれぞれのほんのちょっと明るい未来が紹介されます。でも、それが続くのかと問われたら、なんとも答えようがありません。
エンディングは、オープニングと同じように街中を疾走する彼らを追いかけてゆくシーンです。それぞれに不安と痛みを抱えながらも、前に進む彼らを応援せずにはいられない、そんな作品です。
アカデミー賞、エミー賞Wノミネート、サンダンス映画祭をはじめ数多くの賞を総なめ、オバマ前大統領もも絶賛した映画です。オススメ!

2005年に出た「散るぞ悲しきー硫黄島総指揮官・栗林忠道」以来、ノンフィクション作家として着実な歩みを続けている梯久美子。「狂うひとー『死の棘』の妻・島尾ミホ」「原民喜 生と死と孤独の青春」と傑作を出しています。

そして今回は樺太、サハリンと呼ばれている北方の島。大日本帝国時代は、半分が日本の領土で国境線が引かれていた場所です。この地には北原白秋、林芙美子が訪れました。また宮沢賢治は、最愛の妹トシを亡くした翌年に、故郷花巻からトシの魂を求めてこの地を旅し、多くの詩を残しています。日本人だけに留まらず、チェーホフもやってきていました。この地の何が彼らを惹きつけるのか、その答えを探しに、鉄道大好きの筆者が二度に渡ってサハリンを旅したのが「サガレン 樺太・サハリン境界を旅する」(角川書店/古書1300円)です。

筆者は鉄ちゃんですが、中でも廃線跡を歩くのが好きで、しかもそこに掛かっていた橋を見つける橋梁派であり、今回の旅でも、もう使われることもなく放置された橋に出会っています。「失われた鉄路を歩くことは、時間をさかのぼって旅をすることなのだ」と書いています。第一部は、寝台急行に乗車して、北へ、北へと旅するルポルタージュ。筆者も大好きな大滝詠一の「さらばシベリア鉄道」を聴きながら読みたい紀行エッセイです。

第二部は、この地を旅した宮沢賢治をめぐる文学的ルポルタージュです。1923年、賢治は樺太へと旅立ちます。この鉄道の旅が、後年の「銀河鉄道の夜」のモチーフになったのではないかと言われています。その前年に妹トシを亡くし、死者の魂を追いかけて北に向かったというのが定説になっていますが、

「正直言って、私にはいまひとつピンとこなかった。妹がなくなったのは生まれ育った花巻で、墓もそこにある。樺太には縁もゆかりもないし、死んだ人の魂が北方へ行くという考え方も、一般的なものではないように思う。」

きっと鉄道好きだった賢治が、日本最北の地まで汽車に乗りたかっただけという筆者の考え方に、私も納得しました。賢治の旅した行程を丹念にトレースし、彼が見たもの、聞いたものを探しながら、この地で書かれた賢治の詩を丁寧に解読していきます。この地を舞台にした作品に暗澹たるものが多数あったのですが、喪失から、新たな希望を見つけるのが彼の旅だったのです。この本のおかげでよくわかりました。

「見知らぬ土地で偶然に出会うさまざまなものたちー植物や動物、ふれあった人々、そしてときには空の色や空気の感触までーに、つかのまであれ救われ、力をもらうのが旅というものだ。」

トシの魂を追い求め、自らの死も覚悟した旅という定説を打ち破り、賢治を解放した一冊とも言えます。賢治ファンは必読です!

なお、本書のタイトルを「サハリン」ではなく、「サガレン」としたのは、賢治がそう呼んだからであり、ここを舞台にした「サガレンと八月」という未刊の小説もあるからだ、と筆者は最後に補足しています。

 

 

星野道夫の一枚の写真から、一冊の絵本が生まれました。「あるヘラジカの物語」(原案/星野道夫 絵と文/鈴木まもる 発行:あすなろ書房1650円)です。

あるヘラジカの群れに、見知らぬオスが侵入してきます。当然、リーダーであるオスは追い出そうと戦いを挑みます。激しい争いで二頭は傷つき、とうとうお互いのツノが絡まったまま動けなくなってしまいました。そのまま動けないヘラジカに、オオカミの一団がやって来て襲い掛かります。さらにはヒグマも匂いを嗅ぎつけてやって来ます。熊やオオカミといった生態系のトップにいる動物たちが去ると、今度はキツネやコヨーテがやって来て、ヘラジカに食らいつきます。さらに鳥たちが肉をつつき、骨だけになったヘラジカ。マイナス50度の冬のアラスカで、カンジキウサギが、その骨を噛みます。ウサギにとっては、真冬の大事な栄養源です。

やがて春が訪れます。巨大な二頭のヘラジカの頭の骨のみが残っています。そこにアメリカタヒバリがやって来て、骨の影に巣を作り卵を産みました。

アラスカに暮らす星野が、河原で、二頭の大きなヘラジカの角が絡み合ったままの頭蓋骨を発見します。それを撮影した作品に出会った鈴木まもるが、絵本を作ろうと思い立ち、出来上がったのがこの絵本です。生態系の中で、脈々と続く生と死の連鎖を描かれています。

「偶然ある日、星野道夫君と出会いました。年が同じということもあるし、アラスカと日本の山ではスケールが違いますが、ふたりとも自然の中で暮らし、動物が好きだということもあり。すぐ仲良くなりました。」

とあとがきに書かれています。鈴木は伊豆の山の中で暮らしながら、鳥の巣の研究、収集、巣の展覧会を続けています。

二人の出会いはとても素敵なものだったみたいです。ヘラジカに食らいつくヒグマの様子を描いた絵など、星野が生きていたら、きっと喜んだことでしょう。絵本の最後のページは「アメリカタヒバリのすのなかでは、4わのひながげんきにそだっている。」という素敵なシーンで終わっています。

アラスカの風を感じる絵本です。

 

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今日からギャラリーは、小倉ミルトンさんの楽しい絵に占領されました。

挨拶文に「友人は私が火星から来たのではないかと言います。私も時々そんな気がします。子供の頃の夢の世界 もしかしたら本当にあったのかもしれません」と書かれています。

ミルトンさんは、音楽を聴いているとき、お酒を飲んでいるとき、電車に乗っているときなどに、浮かんだ形をメモしておいて、その上をなんどもなんども自分の線になるまで描くのだそうです。そして下絵をパネルのサイズに合わせて拡大し、マスキングをして色を置き、気に入ったテクスチャーを作っていく。自由な線と、鮮やかな色の作品群は、見ている私を知らない星に運んでくれそうです。何もない画面からイメージを立ち上げていく、モノを作る人が持つことのできるワクワクする時間が、そのまま生きている時間に重なるような幸せな感じがします

 

生きることを肯定してくれるような、「なんかええことあるかもな」と肩を叩いてくるような、 ハッピーになれること請け合いです。コロナ禍の不安も和らげてくれる「Milton Loves Miltons」と題したワクワク・ウキウキの絵画展へどうぞお越しください。(女房)

Milton’s art exhibition「Milton Loves Miltons」は9月16日(水)〜27日(日)

13:00〜19:00(9/21・22は定休日)

 

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京都の出版社英明企画編集(株)が、シリーズで「比較文化学への誘い」を出しています。比較文化学?って何と思われる方も多いと思いますが、これからの時代、重要な学問になってくるかもしれません。

「世界のどの地域に出かけても同じような『もの』があふれ、文化の違いがなくなりつつあると感じる一方で、文化による差異を思い知らされ、異文化理解に当惑することが少なくありません。」

お隣の韓国や中国、比較的多くの情報が入ってくるアメリカ合衆国のことでさえ、私たちには知らないことが沢山あります。ましてやイスラム圏の文化となると、もうほとんど知らないという方が多いと思います。

比較文化学とは「文化の相違と共通性を明らかにする学術的な学問領域です。比較文化学を学ぶことは、文化を相対化するまなざしを身につけ他者(異文化理解)を深めることにつながります」と、このシリーズ発行の意義が本の扉に書かれています。ヘェ〜、あの国ではこんな風に考えるんだ、行動するんだということを分かった上で、仲良くしましょうという手助けをするシリーズだと思います。「食からみる世界」、「弔いにみる世界の死生観」、「比較で捉える世界の諸相」、「文化が織りなす世界の装い」、「祭りから読み解く世界」が出ていて、今回6冊目として「人のつながりと世界の行方 コロナ後の縁を考える」が出版されました。山極寿一京大総長の論考に続いて、「『つながり』の変容から考える日本の未来」という座談会で、人類学のスペシャリストたちが、人がつながってゆく重要性について議論が行われています。さらに、世界各国では人と人はどうつながっているのか、フィールドワークによる検証論文が掲載されています。

大阪にある国立民族学博物館の藤本准教授は、「困難に直面している今だからこそ、多様な地域に暮らす人々が環境の変化に適応しながらつながりを築いている様子に、改めて目を向ける必要がある。異なる文化のなかで育まれた人のつながりについて学ぶことは、これからの社会の可能性を拓くことにも結びついていくだろう。」と結論付けています。このシリーズは、今後ますます重要になっていくと思います。

日本人写真家として、戦後初のヨーロッパを取材したのは木村伊兵衛でした。1954年から55年にかけてパリに滞在し、この街の魅力を撮り続けたのが「パリ残像」(Crevis/古書2100円)です。

「花のパリはやっぱり『花の巴里』で じつによいところのようだ。一旅行者にはこの国の政治、経済、社会などのむずかしい面がみえないせいもあるだろうが、来て良かったと思った。何よりも人間が大人で気持ちが良い。言葉が通じなくても 体に何かが感じられる。」

と、木村は1954年10月20日の撮影日記に書いています。 「じつによいところ」という写真家の気分が作品の隅々にまで感じられます。街の様子、そこに生きる人々の姿が、そのままファッション雑誌に登場しそうな程に洗練された作品です。美術関連の本をずらりと店頭に並べた書店の前を、足早に通り過ぎるショットなど、そのままフランス映画に出てきそうな雰囲気。

「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ われ等の恋が流れる」というアポリネールの詩で有名なミラボー橋を歩む白いコートを着た女性。白い雲の向こうにはエッフェル塔が見えている有名な作品の次には、この街に生きる女性たち、男たちのポートレイトが続きますが、どれも木村の真骨頂。ちくま文庫から出ている「木村伊兵衛昭和を写す」シリーズ(各950円)でも、戦後の日本の姿を写し出しています。

 

 

 

 

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平松洋子著「肉とすっぽん」(文藝春秋/古書1200円)は、日本全国で美味しい肉を提供している畜産家の人々を中心に、彼らの仕事ぶりを達者な筆で読ませる一冊です。

「日本各地の魅力的なひとびとを訪ねながら、さまざまな動物とその肉について、見て、聞いて、食べて、自分の手でつかんだ言葉がふたつある。肉にも『旬がある。』 うまい肉は『つくられる』」

そんな旬の肉を求めて、彼女が日本中を飛び回ります。トップに登場するは、北海道白糠町「茶路めん羊牧場」の羊です。当店でも、この牧場の姿を伝える企画展を2015年の未年にしました。牧場オーナー武藤浩史さんの試行錯誤と努力を見て、平松は「私がモンゴルで見聞した遊牧民と羊との関係、つまり人間が羊を生かし、羊が人間を生かす関係をまっとうするものだ。大量生産や経済効率を追ってきた日本の農業のあり方とは正反対をゆく道を、あえて彼は選んだ」と彼の生き方を書いています。(この牧場のラム肉は絶品です。)

次に登場するは、島根県美郷町。「やっぱり牡丹の華に喩えたくなる。密度の濃い脂の白、鮮烈な肉の赤。気負けすると、肉がわらわらと身を起こして咆哮し始めるような気配が猪の肉にはある」と書いています。ここでは、畑を荒らす猪の被害に業を煮やした農民たちが、狩猟免許を取得し駆除に乗り出し、さらに、この肉を貴重な資源として利用することにしました。肉の販売だけでなく、クラフト製品も作り出しています。猪を巡って、町興しに成功した歴史が描かれています。

山梨と埼玉との県境に近い奥秩父の山中で、鹿を狩る服部さんが第3章です。「狩猟体験を重ねて動物を深く知るにつれ、人間のいのちと同等の重さを持っていると気づいていきました。では、自分と動物との境界線がなくなっているのに、なぜ人間には一方的に殺すことが許されるのか。今日までずっと自問自答を繰り返してきたけれど、その答えは出ていません。」とは彼の言葉です。解体されてゆく鹿の写真が載っています。

こんな風に鳩、鴨、牛、馬、すっぽん、そして鯨と、日本で食べられる肉をめぐる旅が続いていきます。美味しい肉が生まれる現場を丹念に取材したノンフィクションです。

韓国の作家チョン・イヒョンの「優しい暴力の時代」(河出書房新社/古書1600円)を推薦します。類い稀なストーリーテーラーと高い評価を得ているチョンの7作品と、韓国現代文学賞を受賞した「三豊百貨店」を加えた日本オリジナルの短編集として発売されました。

ぬいぐるみの動物と暮らす青年の元へやってきた亀との日常を描く「ミス・チョと僕と亀」が最初に載っています。

「亀は僕の方を見ないでのろ、のろ、と僕が立っているのとは反対方向へ這っていった。ふいに、もうすぐ誕生日だということに気づいた。今や僕は、十七歳のアルブダラゾウガメと、猫の形のぬいぐるみを持つ四十歳の男になるのだ。それ以外何も持っていないという意味だ。」

「岩」と名付けられた亀と、シャクシャクという名のぬいぐるみと、僕の不思議な関係。モノクロームな風景が広がってゆきます。

ファンタジーと言ってもよい二人の少女の青春を描いた「ずうっと、夏」は、架空のKという国で展開します。一夏の成長物語というには、あまりにも痛みの多すぎる物語です。一年中、夏という国Kにとじ込まれた少女が、自分とは何者かを知る小説だと思います。

「一九九五年六月二十九日木曜日、午後五時五十五分、端草区端草洞一六七五-三番地の三豊百貨店が崩壊した。一階部分が崩れ落ちるのにかかった時間は、一秒にすぎなかった。」

という文章で始まる「三豊百貨店」は、実際に起きた三豊百貨店の崩壊事故を、事故から10年後に振り返って描いた作品です。この百貨店は韓国バブルの象徴で、安全性を無視した設計と手抜き工事で崩壊、多くの犠牲者を出しました。著者自身、この百貨店は馴染みの場所だったみたいで、ノスタルジーも含めて、ここで働くデパートガールと、彼女と仲良くなった就活中の女性の交流を描いていきます。

「今もときどきその前を通り過ぎる。胸の片すみがぎゅっと締めつけられる時もあれば、そうでないときもある。故郷が常に、心から懐かしいばかりの場所とは限るまい」

様々な人生があり、そこで生きて死んでゆく、そのレクイエムとも呼べる作品集だと思います。

「ミス・チョと僕と亀」の最後の言葉はこうです。

「それでも僕たちは生きていくだろうし、ゆっくりと消滅していくだろう」

 

 

1973年「アメリカングラフティ」という映画が封切られました。高校卒業の一夜の大騒ぎを描いた青春映画なのですが、ラスト、その高校生の一人の現在を伝えるテロップが流れます。「ベトナム戦争に出征して行方不明になった」と。

明るい未来が待っているはずが、ベトナム戦争で暗転してしまいます。それと同じような、いやもっと悲惨かもしれない10代の若者の姿を描いたのが「mid90sミッドナインティーズ」です。

舞台は1990年代のL.A。兄の突発的な暴力に恐れ、シングルマザーの母にも反発している十三歳のスティービーは、サーフボードショップにたむろする少年グループの仲間に入ります。大人への反抗的態度、酒やタバコの不良的な雰囲気にスティービーは憧れます。そしてリーダー格のレイのスケボーのテクニックを見て、スケボーに夢中になっていきます。彼にはそこだけが輝いていて、彼らといる時だけ生きている実感を味わえるのです。

けれど、この少年たちもそれぞれに深い事情を抱え込んでいます。映画は4人の少年グループとスティービーの、出口のない青春を描いていきます。90年代半ばに十三歳だったジョナ・ヒル監督は、16ミリフィルムを駆使して、あの時代の空気を巧みに作り上げていきます。

監督は暴力を振るう兄にも、心の中に傷を抱え込んでいて、決して弟が嫌悪だけの存在ではないことも描いています。交通事故を起こして入院したスティービーの元へ来た兄が、黙ってジュースを渡すシーンは、兄弟のお互いの感情が交差してゆく優れた場面です。

2001年、同時多発テロが起こり、その後アメリカの権力者は、狂ったように戦争にのめり込んでいきます。そして、また多くの若者が戦場に駆り出されます。お金もない、学歴もない、この映画に登場する少年たちも、やむなく戦場に行ったかもしれません。映画は彼らの未来に関しては一言もいいませんが、観終わった後、彼らの前にどんな人生が待ち受けているのかを考えると辛いです。それがこの大国のリアルな姿なのです。