「なんやら。怪(け)ったいな臭(かざ)がしとる」「怪ったいな臭?ーやっぱりそうやった。今朝からうちの鼻が、どうかしてしもたんやろと思とったんやしィーほんまに怪ったいな臭やなア」

という、こてこての大阪弁で始まるのは、海野十三の推理小説「蠅男」(講談社大衆文学館文庫750円)。1897年(明治30年)生まれの海野は、SF、推理小説といった分野で活躍し、日本SF小説の始祖と呼ばれています。「蠅男」は1937年に発表された長編小説で、私立探偵帆村 荘六(ほむら そうろくーシャーロック・ホームズのもじり)が活躍するシリーズの一編です。

海野は広島生まれの、神戸育ち。だから関西を舞台にしたこの小説でも、地理感覚が抜群です。神戸発のミニプレス「ほんまに」10号の千鳥足純生の連載「神戸とミステリー」で、この小説を取り上げています。

「その作品の内容は従来の探偵小説に止まるところではなかった。幻想怪奇の要素の他に科学的要素を付け加えた内容を持つ海野の作品は読者に非常に新鮮な響きを与えたに相違ない。」

のっけから小説は妖しい雰囲気で始まります。昭和初期の大阪、神戸の街並み、風俗が描き込まれ、この時代のエログロ・ナンセンスの雰囲気も巧みに取り込んであります。小説の真ん中辺りで、帆村 探偵が宝塚温泉で蠅男を発見、自動三輪に乗り追跡を開始し、有馬温泉まで続くシーンの、スピーディさとは程遠いのんびり感とユーモアは、味わいがあります。僅かですが有馬温泉の描写も書かれています。

タイムマシンでこの時代に戻り、帆村 探偵と共に大阪を、神戸を、犯人を求めて彷徨うノスタルジックな感じに浸れます。

この小説は、講談社大衆文学館という文庫シリーズの一冊です。本シリーズは1995年から毎月3冊ずつ、100冊刊行されました。長谷川伸に始まり、多岐川恭で終了する100冊には、海音寺潮五郎、山田風太郎、川口松太郎、吉屋信子、火野葦平、獅子文六等々そうそうたる作家が揃っています。残念ながら、古書でも最近あまり見かけなくなりました。案外探しておられる方もおられるのではないでしょうか?

 

入荷した新刊書籍のご紹介、パート2です。

建築家の藤森照信が、こんな推薦を本の帯に書いています。「まず家の間取りを決め、次にそこで展開される物語を書いたのは大竹さんが世界初だろう、たぶん。13の間取りと13の物語。」これは、エッセイスト大竹昭子の「間取りと妄想」(亜紀書房1512円)の事です。13の物語の初めには、それぞれの間取り(平面図)が載っています。言わば”世界初”の間取り小説です。読者は先ず、間取りを眺めて、ある程度頭に入れた上で小説を読むという仕掛けです。

間取り図を見ながら、この家の住人はどんな人生を送っているんだろうと想像しながら、小説を読み始めると、そうか作家は、こんな背景の人を設定していたのかと驚いたり、上手いなぁ〜と拍手したり、と楽しめる一冊です。

私が好きなのは、「カメラのように」です。伯父がやっていた、漢方薬局の整理を頼まれた姪が、「家は東京オリンピックの年に建てられており、母と同じだけ歳をとっている。」という古びた家を再び訪れます。漢方薬の臭いがまだ残る部屋に、子供の頃のノスタルジーがわき起こります。そして、伯父の部屋から、今まで知らなかった彼のある過去が浮かび上がってきます。ラスト、雨戸にできた小さな節穴から光が射し込んできた時、彼女の胸に去来したのは…….。

「家」が主人公になった、希有な小説集です。

中井英夫や赤江 瀑などの作家への敬愛から生まれた幻想文学作品で、コアなファンも多い皆川博子が、愛読した本のことをまとめた書評エッセイ集「辺境図書館」(講談社2376円)は、文学好きにはたまらん一冊かもしれません。取り上げられているのは、マッカラーズ「心は孤独な狩人」、エリクソン「黒い時計の旅」、グラッグ「街道」等の海外文学がズラリ、かと思うと、漫画家鳩山郁子の「アネモネと風速計」が選ばれたりしています。ここで紹介されている本の半分以上、私は知りませんでした。しかし、著者の本への愛情溢れる文章がいいんです。例えば、アンナ・カヴァン「アサイラム・ピース」を書店で見つけたときの興奮を描いていますが、喫茶店で途中まで読んだ後、再度同じ本を買います。そして、こう続けます。

「本に小さな汚れも傷もつけたくない。本を傷めることは、アンナ・カヴァンを傷つけることだ。そんな子供じみたオブセッションに囚われてしまったのでした。それほど繊細で痛々しく不安に満ち、それを読むことは、赤裸にされた魂をそっと両の手の平に包みこんでいるようでした。」

いささか過剰ではありますが、書物への深い愛情が伝わってきます。また、どんな本なのか、という興味が湧いてきます。そう言えば、当店の皆川博子ファンのお客様たちも、本への愛情を語られる方ばかりです。そのお話を聴くのは、楽しい一時です。 

月に一度か二度、新刊で面白そうなもの、これはなかなか古本では出回らないと思われるものを、ピックアップして仕入れています。本日数点入荷しました。

先ずは、当店ロングセラー中の絵本「ネコヅメのよる」の作者、町田尚子が京極夏彦と組んだ妖怪えほん「あずきとぎ」(岩崎書店1620円)は、怖い!いや、妖怪なんて出て来ませんが、怖い。

夏休み、田舎にいるおじいちゃんの家で過ごす少年に降り掛かるのは…….。「ネコヅメのよる」に登場したネコも登場し、のどかな夏休みの始まりです。しかし、おじいちゃんの飼い犬と川に行った時に起こるのが…….。物語終盤で、少年の横顔の耳元に聴こえる「しょきしょきしょき」という不思議な音……。美しい絵が、より一層恐怖を盛り上げます。「ネコヅメのよる」も再入荷しています。

「ああ、絵が描きたい、そんな気持ちにさせる素晴らしい本」と安西水丸が、この本の旧版への書評を書いたのが岩崎昌子著「愛蔵版イヌイットの壁かけ」(誠文堂新光社3024円)。題名の通り、カナダの先住民族、イヌイットの女性の作った壁掛けを収録した作品集です。厳しい北の自然の中で狩猟に向かう彼等の生活や、先祖から伝わる伝説を描いたものなど、イヌイットの豊かな世界が満ちあふれた一冊です。雪に覆われた地ゆえに、逆にカラフルで暖かい色合いの作品が多いように思います。著者はカナダへの移住をきっかけにイヌイットアートに出会い、収集を始めた方です。そのコレクションの一部は、北海道立北方民族博物館(網走)に収蔵されているそうです。

河出文庫から穂村弘「ぼくの宝物絵本」(800円)が出ました。歌人にしてエッセイの名手が、絵本は子供のものじゃない!「会社が辛くても、ページを開けばそこは天国」と大人向けに選んだ絵本紹介です。

穂村は「絵本のなかで、泣いたり笑ったりしている子供たちに興味がもてない。生き生きとした表情をみても、ふーんと思うだけだ」という一方、無表情な少女を見ると、魅かれる、と書いています。そこで紹介されているのは、宇野亜喜良が描く少年少女。でも「無表情なおじさんもいることを思いだした。その名は『ジャリおじさん』(おおたけしんろう作)、これこそ完璧な無表情。そしてやっぱり不思議な旅にでかけるのだ。素晴らしい。」と無表情なおじさんにまで言及しています。

穂村は、歌人としてもユニークな世界を表現していますが、エッセイストとしても楽しませてくれます。その最たるものが、ラストで紹介されている酒井駒子「BとIとRとD」を論じた「滅茶滅茶な魂」です。大人が子供に憧れるのは、ものごとの流れが見えなくて、ただ目の前のことだけに夢中になれる、滅茶滅茶な魂を持っているから…..。絵本には興味のない人にも、面白い本です。

まだまだ紹介したい本があるので、明日も続けます。再入荷ですが「茨木のり子の献立帖」(1728円)も入りました。

人気作家の江國香織が、古書店のブログで紹介されることは皆無ですが、本の紹介エッセイが好きです。彼女に興味を持ったのは、「絵本を抱えて部屋のすみへ」(白泉社/ハードカバー/絶版450円)でした。ガブリエル・バンサン、M・センダック等の海外の絵本作家を紹介しているのですが、その中で田中弘子(文)、田中靖夫(絵)の「ファミリー・レポート」が取り上げられています。これ、かつてよく出入りしていたジャズ喫茶の窓辺に立てかけてあった絵本です。犬小屋を持たない犬とニューヨーカーたちの十数編の物語です。NYという都会のイキな空間を捉えた絵本でした。

もう一点、最近入荷したのが「活発な暗闇」(いそっぷ社1050円)です。これは、彼女が選んだ詩を集めてあるのですが、カーヴァー、ブローディガン、サバ、ロルカ等の海外の詩人がかなり収録されています。

「ホテルの窓から外を見ると ニューヨークは雪だ、夥しい数の巨大な雪片、まるで 無数の透明な洗濯機がこの都会の 汚れた大気を撹拌して、洗濯しているようだ。」

ブローディガンの詩ですが、マイルス・ディビスのクールなジャズサウンドが、聴こえてきそうなぐらいかっこいいなぁ〜と、個人的には好きな詩です。

江國自身このアンソロジーを「かなり無秩序な、無論ひどく偏った、でもどう見ても力強いアンソロジーです。」と書いています。「力強いアンソロジー」という表現は、的を得た言い方です。林芙美子、室生犀星、金子光晴、中原中也の間に、「クマのプーさん」のA.Aミルン、幻想的歴史小説「シルトの岸辺」で日本でも人気の高いジュリアン・グラックが顔を出す、というアナーキーな編集は作品が持っている強靭な精神を伝えてきます。

さらに彼女はイギリスの詩人、アルフレッド・テニスンの「来るんじゃない 私が死んだならば」を自ら翻訳して収録しています。この詩は「来るんじゃない 私が死んだならば お前のおろかな涙など 私の墓にこぼしてくれるな」という直球ど真ん中の力強いものです。

中でも私が一番好きなのは、八木重吉の、たった二行の詩「雪」です。

「雪がふっている さびしいから 何か食べよう」

なんか、ほっとしません?

この新装改訂版の表紙絵は酒井駒子です。駒子ファンも見逃せません。

 

ミニプレス「1/f」(エフブンノチ)の1号が出たのは、昨年の8月。「おやつの記憶」という特集でした。編集者が直接届けてくれたのですが、どれだけ売れるか予想がつかないまま、取りあえず販売スタート。ところが、あっという間に持ち込みの数冊完売!追加分もやはり売れていきます。その後、2号、3号と、順調に売上げを伸ばしてきて、今回4号が昨日入荷しました。

4号の特集は「乙女のあそび」。いにしえのお姫様の遊びとして、「貝あわせ」「石名取」、「ことばあそび」「耳香」などが紹介されています。後半は、大正時代京都で活躍したデザイナー、小林かいちの特集です。西洋的なものと、京都的なものを融合して、細身の女性がうつむき加減で佇んでいる姿の作品を、三条新京極にあった土産物店「さくら井屋」が発行し、全国から観光で集まって来る乙女たちの手に渡りました。谷崎潤一郎の「卍」の登場人物たちが交わす、手紙を入れた封筒の意匠が、かいちのデザインに酷似していることを、編集者が指摘していて、なかなか読み応えがありました。

現在、「1/f」は1号からすべて揃えています。1〜3号は734円。4号は885円です。

 

えっ、そんなに早く売れたの??と、驚いた(失礼しました)のが、出版ユカコが出した「別人帳」(600円)です。「あなたの今日これから(あるいは近日中)の一日を、『最良の一日』になると仮定して教えてください。フィクションを交えてくださって構いません。起こりうる範囲での理想や希望を交えて、ご自由にお答えください。なお、個人的な興味により、食べるものについてはとくに執拗にお伺いします。」という質問に答えた方々が、匿名で原稿を寄せた、全く写真のない文章だけの本なのですが、即売り切れ! すぐに追加発注し、昨日再入荷しました。こういうアプローチの食の本は珍しいですね。

いまがわゆいさんの「ドーナツのあな2号」も出ました。たまたま、著者が当店に遊びに来られていて、1号を置く事になりました。可愛い!と表現するしかないミニプレスなのですが、ファンがおられたみたいで初回完売。2号も順調に販売中です。当店のみの限定ペーパー付きです(1200円)。2号と一緒に「おきらく書店のまいにち」(800円)も出ました。こちらは、いまがわさんが仕事されている大型書店での日々を描いています。休日も書店回りを欠かさない、本好きの女性です。

というふうに、女子たちのミニプレス新刊がただいま元気です。

イギリスの作家、パトリック・ネスの原作「怪物はささやく」は、所謂ヤングアダルト向けの小説ですが、大人が読んでも感動します。

その小説を映画化した「怪物はささやく」は、一言で言って、人を幸せにしてくれる映画でした。観た後、ゆっくりと満ち足りた気分にさせてくれる映画でした。今年は「メッセージ」、「シーモア先生の人生相談」そして「怪物はささやく」など、幸運なことにそんな映画にたくさん出会えました。

少年が大人への一歩を踏み出し、様々なことを知るという、文章にしてしまうと実にシンプルなお話ですが、美しい映像と、主人公の少年を演じたルイス・マクドゥーガルの見事な演技力と、適切なCG技術が重なり合って、上質のファンタジー映画となりました。

両親が離婚し、死期の迫っている病気の母親と暮らし、母の看病をするためにやってくるのは少年にとって苦手な祖母。学校へ行けば虐められ、殴られる毎日。そんなコナー少年は毎夜おなじ時刻にうなされます。そこへ、大木に手足のついた怪物が現われて、今から三つの話をする、その後で、お前は自分の話を語るのだと迫るのです。

怪物はおとぎ話の形をとりながら、人は単純な存在ではないこと、人生は複雑だということを語ります。その物語を聞きながら、コナーは、様々なことを体験していきます。母との別れ、虐めた少年への激しい暴力、祖母の部屋を滅茶苦茶に破壊してしまうなど、辛くて痛い世界の終わりのような悪夢のようなことばかり。

そして最後にコナーは、自分の胸に深くしまい込んだ真実の気持ちを怪物に語り始めます。人間は誰でも、複雑に絡んだ様々の感情を持っている、単純じゃない。善とか悪とか白黒はっきりつくものではないのです。母の回復を願いながら、母の死を予想している過酷な状況にピリオドを打ちたい自分を認め、愛している母にすがりつく。つまづきながら、傷つきながら、一歩前へ進むことができた少年の姿に、熱いものがこみ上げてきます。

ラストが素敵です。自分を見失い、彷徨っていたかにみえて、実は多くの人の愛情に守られていたんだという事に気づいたコナーが微笑むのです。

ベタな話かもしれませんが、ベタなところにこそ人生の真実は宿るのです。

 

絵本作家の村上浩子さんは、2015年1月にレティシア書房で、「新作絵本の原画と雑貨デザイン展」をして頂きました。独自のキャラクター「メルシーにゃん」はパリの二人展をはじめ、イタリア、イギリス、フロリダのディズニーランドなどで発表されています。自作の絵本を精力的に作り続けている一方、絵本作りの教室を主宰されて20年以上になります。

前回の個展の際には、いくつもの教室を抱えて大忙しの最中だったようですが、ここ2年の間にお仕事を整理されて「えほん作家養成教室」に力を注がれています。今回、その教室の修了生5人のデビュー展になりました。

教室は6ヶ月で1冊作り上げます。絵本を作るって、スゴく楽しそうですが、何も描かれていない真白の紙に、お話を立ち上げていくのは、口で言うほど簡単なことではないでしょう。生徒さんの中には、デザインの仕事をしていても、筆を使って絵を描くのは何十年ぶり、と言う方もおられました。絵は苦手だけれど何か表現してみたいという方や、描くのはやめて造形物を手づくりの万華鏡で、写真を撮って一冊に仕上げられた方など、個性的な原画と、手づくり絵本が並んでいます。本という形になった自分の絵を手にする喜びは、もの凄く大きいと思います。教室では、次期受講生を募集されています。

マリリン・モンローが好きで、そこからイメージした卵が主人公というユニークな『みみみちゃん』(写真右上・たにゆかりさん)、上手い絵と美しいレイアウトの『すてきなブラウス』(写真左上・かなたにななさん)、達者な筆使いで躍動的な絵と本音のお話が面白い『ロボかいじゅう』(写真左中・かわいみゆきさん)、可愛いアリの生活を丹念に描く『ありさん』(写真左下・ふじむらまりこさん)、万華鏡の面白い世界『まんげきょうえほん なにかな』(写真右中・かわばたひでとさん)など、どれも世界でたった一冊の宝物のような絵本です。村上浩子さんの絵本原画(写真右下)、手づくりグッズも生徒さんの作品とともに展示しております。(女房)

 

村上浩子のえほん作家養成教室京都2期修了生の『えほん展』は7月2日(日)まで

 最終日は17時半まで。月曜日定休

 

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なんか、東映の任侠映画にでも登場しそうな雰囲気ですが、全く違います。

白山連峰の大日岳に源を有する長良川は、南北に160数キロ流れる大河です。天然の鮎、鱒が遡ってくる自然資源豊かな川辺に、吉田萬吉は明治の終わりに生まれ、漁師としてこの川と向き合ってきた男の人生を追いかけたのが、天野礼子著「萬サと長良川」(筑摩書房/絶版1800円)です。

天野礼子は、京友禅職人の1人娘として生まれ、京都に育ち、開高健に師事し文筆活動を開始、アウトドアエッセイ、釣紀行等を発表。同じ京都生まれの俳優、近藤正臣と河川の乱開発防止運動に取り組んでいる作家です。

天野は長良川に通い詰め、年老いても、漁に出てゆく萬サに出会います。竿一本でアマゴとアユを釣る漁師、萬サを育んだこの川の魅力にのめり込み、彼の伝記を書き始めます。しかし、彼の漁師としての人生を描くだけでは終わらない悲しい事が起こります。それは長良川河口堰建設です。河口堰建設話が持ち上がるまで、長良川は本州で、唯一ダムを持たなかった川でした。

天野は「日本で唯一鵜飼の正しい伝統を継承する川、老人が川にきてニコニコしている川、アマゴやアユが百二十キロもの上流の街中で泳ぐ川、サツキマスが唯一天然産卵をくりかえせる川、そして何よりも吉田萬吉を竿一本で暮らさせた川が、この川である。」

だからこそ、「長良川の正しい姿を守れなければ、三万本も川があるというこの川の国ニッポンは、まもなく滅びることだろう」と、文学の師匠である開高健のバックアップを得て反対運動を始めます。

この本が出版されたのが1990年。全国的に盛り上がった反対運動にも関わらず、役人どもが、その五年後に河口堰を完成させてしまいます。 長良川の大いなる豊かさに生きた一人の漁師を追いかけながら、その豊かさが踏みにじられてゆく愚かさを浮き彫りにしていきます。

本が出版される前年、「長良川の一日」(山と渓谷社700円)というフォトエッセイ集に、開高健も「小説家は怒っているのである」という河口堰反対の刺激的な文章を寄せています。もちろん、天野礼子も書いています。「私たちがこの”最後の川”について考える刻を持つことは、自分たちの命を生かしてくれる自然を考える、一つのキッカケ、そして最後のチャンス」と書いています。

さて、萬サは、80歳を過ぎた時、肺の病気で病院に担ぎ込まれますが、奇跡的に復活します。その姿を見て、仲間の漁師達は囁きます。

「やはり、あんたはこの川の神様やな。あん人の船があそこに浮かんどるんが、長良川の風景やで」

魅力的なシルエットが目に浮かぶ台詞で、本は幕を閉じます。

 

 

 

 

この台詞を残したのは、日本でも人気の小説「地下鉄のザジ」のレーモン・クノーです。彼は、この台詞の前にこんな言葉を置いています。

「詩を書くためには 言葉を愛するだけで十分」なんて素敵な言葉でしょう。

クノーのこの言葉は窪田般彌「ミラボー橋の下をセーヌが流れ」(白水社700円)で読むことができます。

堀内大學も同様の事を感じていたのではないでしょうか。大正14年に発行された彼の訳詩集「月下の一群」は、発売当初から多くの読者を得ました。その後何度も改訳され、著者60歳の昭和27年全面改訳されています。ひたすら美しく、豊かなイメージを追い求めてきた結果です。

その「月下の一群」(講談社文芸文庫1400円)が新品同様の綺麗な版で入荷しました。(帯無し)フランス近代詩人66人の作品三百数十点を収録した分厚い文庫ですが、最初のページはから読む必要はありません。ぱっとめくって、良い言葉を発見したらその近辺を読む。文庫なんで、バッグの中に入れておけば、いつ、どんな場所でも取り出せます。

実は、この読書法で、この文庫本をボロボロにしたお客様がいました。そのボロボロさが、また風格がありました。旅先でよく読まれたのが、フォルの「やさしい歌」のこんな一節。

「わたしに一番似合ふのは、木の葉の囁きよりもなほやさしい歌、川柳をそそる小川の流よりも繊細な、青空を渡る鴎や雲雀よりも、もっとほのかな、又はかのあるやなきやの、響を立てる朝の吊鐘草、又は忍び音に吹くわたしの草笛よりも、軽い調子をもった歌」

出張の多い女性で、旅のお供はこの本のみだったそうです。

堀内大學は、昭和27年白水社から出版した改訂版あとがきで、翻訳した詩について「求められて訳したもの、目的があって訳したものは、只の一編もないのである。何のあてもなく、たた訳してこれを国語に移しかえる快楽の故のみになされたものだった。」と書いています。

ひたすら、自分の愛したフランス語を、母国語に変換することへの喜びに没入していたのかもしれません。日々の人生の横にそっとある、「ささやかなもの」として考えていたとすれば、クノーの言葉は、また堀内の言葉だっだのかもしれません。

マックス・ジャコブのたった二行の詩「地平線」。「かの女の白い腕が 私の地平線でした。」 なんか読むと、山下達郎の音楽が聞えて来そうな程カッコイイなぁ〜と思ったり、フランシス・ジャムの「雲が一直線に」の最後、「ごつい哀れな百姓も 野鳩と同じくやさしいよ、それなのに彼等は野鳩を打ち殺す、すると鉛の弾丸がおとなしい鳥の翼を血に染める」の鮮血のイメージにドキっとしたりと、私も時々パラパラやってます。

 

”Spitfire”の意味ご存知ですか?第二次世界大戦時のイギリスの名戦闘機という発想をされた方は通ですね。

「口からつばを吐く」みたいな下品な意味のSpitと、Fire「火」という単語の組み合わせで、直訳すると「口から火を吹く」。大道芸人ではなく、実は激怒して相手をののしってる様を表しています。これ、女性に対して使われると、いい意味で言うと「炎のような女」みたいなニュアンスになります。
喧嘩になって、一言発すれば百言速射砲の如く返ってくる。リングで殴りあいすれば、一発パンチが入った瞬間、百発殴り返されるみたいな、強面で、堂々としていて、そしてカッコイイ女性シンガーのCDには、つい手が出ます。

社会人なりたての頃に聴いたボニー・レイト(68才ー今も現役)が、その最初です。R&B、ブルースの影響濃いギターサウンドとしゃがれた声は、いつ聴いても力をくれました。演奏姿を観たのは、反原発コンサート”No Nukes”のDVDで、名曲”Runaway”を歌ったシーン。いやぁ、貫禄十分。後で出て来るブルース・スプリングスティーンの強烈な個性も吹っ飛んでいました。余裕のある雰囲気で、「坊や、聴いてな」みたいな姐御肌がたまりません。お薦めは“Takin My Time”(LP1600円)

そして、ここ数年全米でも人気のテデスキ&トラックスバンドを引っ張るスーザン・テデスキ(47歳)。この人は、歌がかっこいい。ボニー・レイト同様にブルースフィーリング一杯の歌い方で、ある時は渋く、ある時はストロングに響いてきます。ライブ映像も文句なし。ただ、ギターの力量から言うと、夫君でバンドリーダーのデレク・トラックスが格段に上手い。でも出しゃばらずに、迫力ある彼女の後で、黙々とギターを弾き続ける姿がなんともいい感じ。姉さん女房のうしろに控える旦那風情がよろしい。(写真右はそのダンナ)お薦めはソロアルバム“Hope and Desire”(CD1500円)

最近ハマっているのは、英国出身のアデル(29歳)。Youtubeで見ることができる“Rolling in the Deep“で、その魅力に取り憑かれました。ダイエットなんてどこ吹く風みたいな腕太、足太からの歌声は”Spitfire”という言葉にピッタリかもしれません。ロイヤルアルバートホールでの2枚組ライブには、そのライブ映像が付いています。まぁ、喋る事、喋る事。大阪のねえちゃんの、あんな男捨てたわ、今、もっとええのんおるわ、みたいな関西弁(?)山盛りのトークですが、迫力あります。最後なんか素足で登場、楽しかったわ又来てなぁ〜!とカーテンコールに答えます。若いので、最初の二人に比べれば表現力という点では、まだまだですが、若いからこそ有無を言わさない、一気に突き抜ける姿は実に爽快です。(CD&DVD2200円)

これからのジメジメした季節、なかなか日々の生活にエンジンがかからない時、彼女たちのパワフルな歌声に力が湧いて来ます。

それにしても、皆さん腕っぷし強そうです………..。