山本昌代の中編小説を集めた「手紙」(岩波書店/古書900円)は、日常生活に入り込む微妙な狂いを描いています。

津田塾大在学中に、浮世絵師の応為と、その父葛飾北斎の姿を描いた「応為坦々録(おういたんたんろく)」で文芸賞を受賞してデビューしました。その後、歌舞伎役者の沢村田之助を描いた「江戸役者異聞」、平賀源内を主人公にした「源内先生舟出祝」など、近世を舞台にした作品が多く、時代作家のレッテルを貼られがちでした。有名なところでは映画化もされた「居酒屋ゆうれい」の原作者でもあります。

「文学界」「すばる」等の文芸雑誌に発表されて、この本に収録されている作品は、すべて現代を舞台にしています。普通の人々の普通の生活に、得体の知れない何かが忍び込む怖さを、巧みに描いていきます。だからといって、オカルト小説っぽくなることはありません。

永遠に続くもの、それが日常だと思い込んでいると、突然さす影。その影で、人生がどう変わってゆくのかを淡々と描く作品が並んでいます。くっきりした結末が用意されているわけではありません。夢なのか、思い込みなのか、幻なのか、なんの解決もないまま物語は終ります。人生の翳りに見える時もあれば、怖さが剥き出しになる時もあります。

タイトルにもなっている「手紙」は、中年の男性作家のポケットから「I love you」と書かれた紙切れが何回も出てくるという奇妙な物語です。作家は、不思議に思いながらも、日常を生き続けます。外で仕事をする妻と、一日中家にいて原稿を書いている夫との、交流があるようなないような会話も不気味ですが、その日常に変化をもたらす兆しのような差出人不明の手紙。何度も投函されるこの手紙に、夫は段々と不感症になっていきます。やがて、不条理で不気味な幕切れが待っているのです。

「鷺」は、中年に差し掛かった女性と、介護が必要になってきた母が暮らす一軒家にゆっくりとカメラが入り込むように、二人の女性の日々を映し出されるお話です。掃除、洗濯、食事の用意、介護サービスに出かける母親の見送りと、決まりきった生活だけの繰り返し。しかし、デイサービスからの帰宅途中、遠くまで散歩に行ってしまった母親を見た時から、何かが変わっていきます。母親にも、また未来を全く描けない娘の方にも。それが何なのかは、描かれません。

「母は食べる手をすっかり止めて、何も映っていないテレビの画面を見た。食事中はテレビをつけない。父の存命中から変わらない習慣である。『テレビ、つける?』 訊いても無言のまま動かない。『お母さん』と呼んだ。」

二人を見続けたカメラが、すう〜っと家から抜け出してゆくような映像で物語は終ります。結末をつけない、つけることに意味をもたせない短篇集です。

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高山さんは、1991年京都府亀岡市に仲間とともに「亀岡未流窯」を設立して精力的に作陶をしておられます。レティシア書房では4回目の展覧会になりますが、いつもながらの青磁の端正な作品に加え、暖かな風合いの陶器の花器、鍋、マグカップなど 今年も新作をたくさん出品して頂きました。

壁に掛けられる花器に季節の草花を活けると、あの暑かった夏を忘れたみたいに、爽やかな空気が書店にも流れ込んできました。写真(上)の花器は赤伊羅保(釉薬・12960円)の色合いが良い塩梅で、殺風景な壁もすっかり秋の風情です。

小さな鍋は、1合分のお粥が炊けます。今年はこんなふうに、一人用の鍋やフライパンがいくつか出ているのですが、黒釉のフライパン(4320円)って、朝食一人分パパッと作りたい時などにけっこう便利かも、とちょっと心が動いています。お鍋がうれしい時期に合わせて、おおきな土鍋もありますよ。(今回は特別価格の16200円)

亀岡の工房には一度伺った事がありますが、電気だけでなく登り釜でも焼いています。その一つが、白磁器焼き〆注器(写真右)。灰が乗って深い色合いになりました。お酒を嗜む方にはこれまた良い季節。こんな酒器で一杯、贅沢な秋の夜長ですね。

毎回、陶展では壁がどうしても寂しいので、花器をたくさん掛けてもらうのですが、今年は高山さんの友人の日本画家大野忠司さんの美しい絵で飾って頂きました。大野さんは、嵯峨美術短期大学日本画専攻科卒業後、池田道夫画伯に師事して日展などで活躍されています。縦長の「バナナの木」など、ベテランの達者な筆による絵を、陶器の作品とともにお楽しみください。(女房)

★「高山正道 陶展」は10月24日(水)〜11月4日(日)

12時〜20時(ただし、10/27(土)はイベントのため18時半まで)

月曜日定休日  

 

 

 

 

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先日お客様と話している中で、「ミシマ社の本ってどれも読みたくなるね」と言われました。京都を本拠に出版活動しているミシマ社さんは、文芸書こそありませんが、評論、エッセイ、実用など様々なジャンルに渡って数多くの本を出されています。

今回、人気の何点かを選んで、当店でもフェアを開催しています。当店の一番人気は、大瀧純子著「女、今日も仕事する」(1620円)です。マヤルカ古書店の店主なかむらあきこさんは、こんな推薦文を書いています。「生きるようにしなやかに、そしてできれば自由に仕事がしたい。すべての女の願いではないか。」仕事と人生を調和させる女性の毎日を描ききっています。

女性の生き方では、山口ミルコ著「毛のない生活」(1620円)、「似合わない服」(1620円)もお薦めです。仕事ばりばりの編集者が、癌を告知され闘病生活が始まります。まさか、毛のない生活をするなんて!?そこから見えてくるものを綴った前著と、そこから自分の暮らし方と今の社会の有り様を見つめて”似合わない”ものを脱ぎ捨ててゆく様を、爽快に描いたものです。もちろん性別を問わず、読んでいただきたい2冊です。

癌の事が出たので、健康に関わる本を三冊。こちらもブログで紹介した小田嶋隆「上を向いてアルコール」(1620円)は、元アル中だった著者の悲惨で、つらかったに違いない過去を描いているのに、なぜか大笑いしてしまう不思議な本です。また、鍼灸師の若林理沙著「絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話」(1620円)は、そんじょそこらの健康本とは違います。死ぬまでの一時の間、この世を楽しむための心と躰の「いい塩梅」の状態を目指すのが健康だという彼女の思想の詰まった一冊です。もう一冊は、長谷川智・矢野龍彦共著の「ナンバ式!元気生活」(1620円)。今年4月、当店で「ミシマ社展」をした時にも良く売れていた本で、発行は2008年と少し古いのに、何故売れるのかなぁ、とミシマ社の人も首を傾げていた一冊です。

昨今、何かと悪いイメージが先行するイスラム教。誤解を生むような情報ばかり垂れ流される時だからこそ、きちんと知っておきたい人のために恰好の一冊が、内藤正典著「となりのイスラム」(1728円)です。スラスラ読めるところがいいですね。名作映画「アラビアのロレンス」の描写に、西洋的思い込みが在った指摘など、成る程と思いました。帯の「中学生にも理解できます」と書いてありますが、「小学生なみの頭脳」と揶揄されているトランプさんにも、わかっていただけるはず。

お隣の韓国から来日して、日本人の夫の出会い結婚し、しかし、習慣、文化の違いで巻き起こる妻の不満をコミカルに描いた趙美良「わが家の闘争」(1620円)。ムカつく妻とその不満をぶつけられた夫の”夫婦漫才”を聞いているようです。

フェアと同時に新刊も入荷しています。ミシマ社発行の読み応えのある雑誌「ちゃぶ台4号」(1728円)と、同社から「何度でもオールライトよ歌え」(1620円)を出している後藤正文の新作「凍った脳みそ」(1620円)です。同社の宣伝マンH嬢から、店長(私)にぜひ読んで欲しい、とのお言葉をいただきました。了解しました。近日中にブログに感想を書きます。

 

★ 勝手ながら10月22日(月)23日(火)連休いたします。


 

詩人まど・みちおの詩に、奈良美智、川内倫子、長野陽一、梶井照陰といった写真家、アーティスト達がコラボしたのが、「うちゅうの目」(FOIL/古書900円)です。

「いつのころから こういうことに なったのか きがついて みると みんなが あちらのほうを むいている ひとの いないほうを にじのように はなれて…….。」

という「どうぶつたち」という詩の隣りには、遠くをみつめる馬の目を捉えた写真(川内倫子)。同じ地球に生きる動物達と私たち人間の、どんどん距離が離れている現状を諦めているのか、人と同じ感情を持っているような馬の憂いに満ちた瞳が印象的です。

まど・みちお(本名:石田 道雄)は明治42年生まれの詩人です。25歳で、北原白秋にその才能を認められて、詩作を始めました。多くの作品を発表する一方で、「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などのユーモラスな作品は、童謡としても親しまれていることは、皆さんご存知の通りです。

決して難しい言葉や、表現を使ってはいませんが、削いだ言葉が、ある時は美しく輝き、ある時は心の奥に突刺さってきます。

「どうしてだろうと おもうことがある なんまん なんおくねん こんなに すきとおる ひのひかりの なかに いきてきて こんなに すきとおる くうきを すいつづけて こんなに すきとおる みずを のみつづけてきて わたしたちは そして わたしたちの することは どうして すきとおって こないのだろうと……。」(「どうしてだろうと」)

原罪とでも言うべきものへの詩人の怒りと悲しみは、戦争に駆り出されていった経験が原点にあるのではないでしょうか。しかしその一方で、私たちは、空を仰ぐ時などに、まだ希望を持てることができます。

「いちばんぼしが でた うちゅうの 目のようだ ああ うちゅうが ぼくを みている」(「いちばんぼし」)

四人のアーティスト達撮った写真はどれも素晴らしいのですが、裸の電球がぶら下がっている古びた家の窓辺に置いてある小物を捉えた奈良美智の写真と、「どうして いつも」という詩のマッチングが見事です。

「太陽 月 星  そして 雨 風 虹 やまびこ  ああ 一ばん ふるいものばかりが どうして いつも こんなに 一ばん あたらしいのだろう」

「NHKスペシャル」で取り上げられて、話題になった詩「れんしゅう」。死ぬということを見つめた美しく、そして厳しい作品ですが、この作品が単行本に初収録されています。

 

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藤野千夜の「編集ども集まれ」(双葉社/古書700円)は、400ページを越す大長編小説ですが、面白い!こんな展開になるのか!おそれいりました。

1985年のこと。学生時代漫研にいた小笹一夫は漫画雑誌を発行している青雲社に入社します。「週刊大人漫画クラブ」編集部に配属され、電話番の仕事をやらされます。「巨人の星」の原作者梶原一騎から、クレームの電話を受け取ったりと、新入社員らしい失敗を重ねながら、編集の仕事へと携わっていきます。この小説、実名で多くの漫画家や作品が登場するので、80年代からの日本の漫画史を読んでいるようなものです。なつかしい漫画家や、作品名が登場します。

そして、もう1人の主人公。作家の笹子さんです。2015年、彼女はJ保町(神保町のことですね)を訪れます。この町には、彼女が22年間勤務していた青雲社がありました。が、個人的事情で解雇されてしまい、その後一度も立ち寄らなかった場所です。彼女にとって、苦々しい思いしか残っていない町を再び訪れたのは、自伝小説の取材のためでした。取材の途中で、かつて通ったカレー屋さんやら、古書店を巡るうちに、あの時代を思い出します。85年青雲社に入社の若者小笹一夫の物語と、かつては同社で漫画編集部員として過ごし、今は文学賞を幾つか受賞した女性作家の物語が交互に語られます。漫画王国日本を俯瞰的に描いた世界は圧倒的です。

この小説は、二人の成長を過去と現在から見つめるものなのだな、と思い込んで読み始めました。しかし、ちょうど小説の中程で物語は大転換していきます。実は小笹一夫は、「小さい頃には、大きくなったら女の人になると信じていたのです。今も寝言が思い切り女言葉らしいと。」と、幼い時から性別に違和感がありました。スカートをはき、「一夫」ではなく「笹子」として出勤し始めたのです。70年代のことだから、性を変えることに慣れている社会ではありません。でも、彼、いや彼女の周りの女性同僚たちは、「そうなんだ。そういう人もいるんだよね」と、それまで通りの付き合いをします。ところが、会社はそうはいきません。男性として入社したからには、男性の服装で出勤しなさいと強要してきます。それを突っぱねた笹子は、結局会社を解雇されこの街を去ります。これ、藤野千夜の実話です。

帯に木皿泉が「藤野さんの書くものは、つよくてやさしい。そうか、こんなことがあったからか。」と書いています。

この物語は、自分が自分でいる、あるいは生きてゆくことを守る闘いの記録だったのです。そして、主人公がそれを守れたのは、漫画を愛する仲間たちがいたからであり、何よりも、闘いのど真ん中にいた本人の漫画への深い愛が支えになっていたのです。女であることを告白したあたりから、漫画家の岡崎京子が頻繁に登場してきます。彼女も作家を支えた一人だったのでしょう。

藤野千夜怒濤の実録物語です。是非お読みください。

 

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フォーク・クルセイダーズのこの歌詞で、あぁ〜あの時代かぁ、と思い起こされる方は、まぁ50代以降の方ですね。深夜ラジオの「受験生ブルース」聞いて、寝ぼけた顔で学校に行っていたことを思い出します。

そんな世代の方に、ドンピシャの本が出ました。フリーペーパー「半径500メートル」を出している出版社union.aの、インタビュー集「京都のフォークソング」(山岡憲之著2160円)です。登場するのは、きたやまおさむ、杉田二郎、ばんばひろふみ、中川五郎、豊田勇造、瞳みのる(タイガース)、松本隆らのミュージシャン。そして60〜70年代にKBS京都で多くの音楽番組を担当し、高石ともや、フォーク・クルセイダーズ等を見出した河村輝夫等々、多彩なメンバーで、京都が関西フォークの拠点だった頃を懐古します。

中心にいたのは加藤和彦、きたやまおさむ、はしだのりひこの「フォーク・クルセイダーズ」でした。「帰ってきたヨッパライ」、「悲しくてやりきれない」、そして自主規制で放送できなかった「イムジン河」など、このバンドを知っている世代なら、今でも歌えますよね。

きたやまおさむは、本書でフォークをこう語っています。

「まずはフォークソングという思想。自然を歌うことや、『民衆が作った歌』っていうフォークの特徴、意味通り、それが思想として実体験とともに入ってくるわけだよ。『お前たちは自分たちの歌を歌えばいいんだ』みたいな話ですよ。」

普遍的なラブソングだけじゃなく、その時どんな風に時代を見つめていたのかが、重要になってきます、それが見事に昇華されたのが、北山修作詞/杉田二郎作曲「戦争を知らない子供たち」だと、私は思っています。

当時は、学生の数が圧倒的に多く、岡林信康や高田渡など多彩な才能を持ったミュージシャンが京都に集まり、そのうえ円山野外音楽堂や京都会館第二ホールのような受け皿がありました。歌う側にも、聞く側にもあった連帯感。京都の町はそれを支えていたのです。

豊田勇造が面白いことを言っています。「京都は京都の音楽を作ってた。東京のほとんどは、マイク眞木に代表される、スマートやけどあんまり現実味のないカレッジフォークでしたよ」

マイク眞木と言えば「薔薇が咲いた」。無味乾燥な音楽でしたね。KBS京都の河村輝夫も「東京はだいたい恋したの、夢だの、星だの、きれいすぎる世界を歌っていたけど、そういう歌詞は無難やね。」と振り返ります。

しかし、フォークの世界にも変化が起こります。「僕の髪が肩まで伸びて・・・」で始まる吉田拓郎「結婚しようよ」の発売です。この本の中でも、何人かがこの歌が変わり目だったと答えています。そして、時代はフォークからニューミュージックの時代へ。ユーミン、山下達郎、ハッピーエンド達が時代を引っぱります。アメリカンポップスの影響を大きく受けた彼らの音楽に、私もすぐさま飛びつきました。彼らの音楽の方が若く輝いていたと、今でも思っています。

 

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話題のホラー映画「クワイエット・プレイス」を観てきました。ホラーというジャンルを越えて美的センス溢れる素敵な映画でした。

監督、脚本、製作はジョン・クラシンスキー。クラシンスキー監督の妻で俳優のエミリー・ブランドが主演、監督自身がその夫を演じ、他の共演者と言えば子供たち三人、これでほぼすべてです。場所はアメリカの片田舎のみ。もう、これは低予算映画と言っていいでしょう。

映画は、異星人が地球を襲い、ほぼ全滅の状態らしいところから始まります。この異星人はどうやら視力がほぼ無く、音にのみ反応します。大きい音がすると人でも動物でも襲って殺します。だから、この一家は手話で会話します。監督は、彼らの音のない生活を丁寧に描いていきます。魚はフライパンで焼くのではなく、蒸し焼き。また、フォークとお皿も音が出るというので、葉っぱに包んで食べます。

クラシンスキー監督、考えましたね。エイリアンやらプレデターなど、先行する異星人のキャラには負けてしまう。なら、映像ではなく音で怖がらせ、映画を作ってしまおうと。従ってこの映画の主役は、音です。川や滝の音、風の音、そしてそっと歩く人間の足音。(皆さん素足です)釘を踏みつけて、イタァ〜!と大声出したいのに、ぐっと堪える妻の表情などお見事な演出が続きます。フィルムに寄り添うサウンドトラックさえ、静かに流れていて全然ドラマチックではありません。金がなくても、ハリウッドのプロデューサー連中を振り向かせたる!という気合い十分です。この家族、元々会話が不十分ではなく、普通に話せることが分かるのですが、その時の滝の音の巧みな使い方などの小ワザもバッチリ決まります。

さて、この一家に、新しい子どもが誕生します。え!子どもが泣いたらどうするの?ここは言えません。子どもが生まれてくるあたりから、お母さん、俄然強くなります。「エイリアン2」「ターミネイター」などのヒロインを思い出しました。ただ、異星人が登場すると、キャラの造形では勝ち目がないと思っているのかどうか、演出のテンションが下がります。実際、この異星人、よくあるタイプで、ああまたこれかという感じなのです。お母さんと新生児がこれと対峙するとき、流れ込んできた水の音の演出がここでも見事ですが、異星人の印象は薄い。

しかし、ラストシーンはかっこいい!やはり低予算ながら大ヒットした「ターミネイター」の第一作のラストを思い出してください。未来の戦士を身ごもったヒロインが、黒のレイバンサングラスにバンダナ、そして大型拳銃に強そうな犬を連れて、暗雲立ちこめる未来に挑戦する気合い十分の姿を見せてくれましたよね。「クワイエット・プレイス」には、あのラストへのリスペクトが込められてます。こういう時にドンピシャの関西弁は、「このガキ、いてもぉたるで!」やはりこれでしょう。

90分の上映の間、手にした珈琲をこぼしかけたシーンが三回ほどありました。監督の頭の良さと、ラストの母娘の気合いに拍手喝采で映画館を出ました。お薦めです。

★ 勝手ながら10月22日(月)23日(火)連休いたします。

 

 

植物学者牧野富太郎の業績を継承する、高知県立牧野植物園から「まきの手帖」という素敵な無料の小冊子の新しい号が届きました。牧野植物園標本庫に収蔵されている植物標本が、今年標本30万点に達し、記念特別企画の「標本展」から何点かが紹介されています。

お花見の定番、ソメイヨシノの標本もありました。11月から同園で行われる「標本展」のチラシも送っていただきました。(数に限りがありますのでお早めに)

また、牧野富太郎の本としては、あまり見かけない白岩卓巳著「牧野富太郎と神戸」(神戸新聞出版センター/古書700円)を入荷しました。伝記は数多く書かれていますが、若き日、経済的に困窮し研究が前に進まなかった時代、地元神戸の資産家池長孟の援助を受け、「池長植物研究所」を開き、東京神戸を行きつ戻りつ25年間生活していました。その時の牧野を追いかけたものです。

 

この植物学者のエッセイなどを読む時、横に置いておきたい音楽があります。それは、英国のシンガー、ヴァージニア・アストレイ/Virginia Astleyです。デビューアルバム「プロミス・ナッシング」(LP2200円)のジャケットは、ゆるやかな川の両サイドに広がる手入れされた庭園で、遠くにはレンガの橋が見えています。ご丁寧にインナースリーブには草花のスケッチまで描かれています。このアルバムの解説をしている赤岩和美は、彼女の音楽の本質を「イギリスの古き佳き時代への郷愁を感じさせる霊的な美しさが秘められている」と捉えています。

完璧なまでのアコースティックサウンドは、これ以上ない美しさ。そして、3作目「サム・スモール・ホープ」(CD国内版2200円/Sold Out)は、坂本龍一が、彼女の才能に惚れ込んで、自らプロデュースしました。クラシックでも、フォークでも、ポップスでもない彼女のサウンドは、坂本の多種多様な楽器群のアレンジと、奥深いサウンド作りで、聴くものの心の奥にふわりと入ってきます。3曲目「ソー・ライク・ドーリアン」のイントロで流れるシンセサイザーなどの楽器に合わせて、すべるように彼女が歌い出します。5月の青空の下、涼しい風に吹かれて植物園を散策する場面が浮かび上がってきます。

梨木香歩の「裏庭」に「バーンズ夫妻が丹精した草花がいつも何かの花を咲かせていた」と、庭が重要なモチーフで登場します。このような庭を吹き抜ける風を体一杯に受けるようなヴァージニアの音楽は、植物と共に存在しているようです。聴くのは、午前中がいいでしょう。夜のしじまには、あまり似合いませんので御注意下さい。2006年には”from Gardens Where We Feel Secure “というアルバムを出しましたが、ジャケットがこれ(写真右)。

 

1962年5月15日、文学者串田孫一は旅に出ます。

「北海道へ、雨の中の出発だった。 昨夜荷造りをすっかりすませてから、山靴に油を塗った。尾をピンと立てた鷦鷯の印のついているイギリス製の油をたっぷり塗ったその靴をはいて、荷を担ぎあげると、気分はここで笑いたくなるほど明るくなった。音のない細かい雨が降っている。」

上野から夜汽車に乗り、北海道へ。この旅の全貌を、その日その日の日記と、友人に宛てた手紙形式で描き綴ったのが「北海道の旅」(筑摩書房/古書1900円)です。二百数十ページに渡って詳細に旅で出会った風景、人々のことが書き込まれています。串田は写真撮影が苦手と断った上で、知人の三宅修が撮影した北海道の写真が、何カ所かに渡って挿入されていて、当時の北海道の姿を見ることができます。

「その冷たい、紫の山から吹いて来る風をいっぱいに吸い込んで、昨夜の朝からの汽車と船との旅で、体の中に重たくよごれて留まっている感じの空気と交換する。」青函連絡船が函館に近づいた夜明けに、旅への期待を美しい文章で表現しています。

串田孫一は哲学者であり、思索者であり、随筆家で、詩人で、登山家でもありました。代表作「山のパンセ」に見られるように、山を歩きながら思索をめぐらせ、味わいのある随筆を書いていました。旅の記録に徹しながらも、瑞々しい感性の文章は、読みやすく、この「北海道の旅」も彼が見た北海道の自然が目に浮かびます。当時、空の旅なんて論外で、鉄道網もまだまだの時代です。ゆっくりと進んでゆく汽車や船のテンポが心地良くなってきます。

「出帆の時刻が来ても船は少しもそんな用意をする気配はなく、切符売場に行ってみると、お客が少ないので、一番小さい船が湖の向こうから戻って来るのを待ち、それに乗ってくれと言われました。その一番小さい船が湖上の霧の中からぽつんと見えてきました。そしてそれが船だと分かるまでに十分、この桟橋に着くまでにまた二十分かかりました。」

このゆったりした感覚は、今の旅にはありませんね。また、とある宿屋で珈琲を出してもらったところ、珈琲色に煮出された紅茶でした。「この煎じ茶のような紅茶を飲みほすのには、勇気だけではだめだった」とユーモアで括っています。

万事この調子で、「こういう旅ではあまり強い、烈しい感動をいちいち期待してはいけないので、むしろ旅心淡々、ねむくなれば車窓に凭れ、風に吹かれてうとうとしたって構わないし、そんなに緊張を続けていたら疲れてしまうでしょう」と旅の極意をサラリと書いています。

こんな感じで旅は続くのですが、一カ所だけ怒りを爆発させています。それは十勝岳に登った時の事です。そこに「第十普通科連隊重迫中隊登山記念、三六、九。四」と自衛隊登山記念の碑が立ってあるのを見て、その無粋な感覚、みっともなさに怒りをあらわにしています。山を愛する者として、軍隊の暴挙は許せなかったのでしょうね。

慌ただしい今を生きる私たちは、このように長い時間をかけてゆっくりと旅なんてなかなか出来ないですから、この本で旅心を少し味わってみて下さい。

 

先日、安村正也さんという方が来店されました。「Cat’s Meow Books」という本屋を開店されたそうです。最初は猫がいる本屋さんかなと思いました。確かに、このお店には猫がいます。しかし、猫たちはすべて保護猫なのです。

なんと、猫関係の本ばかりの店内に保護猫が常駐し、店舗の収益の一部を保護猫団体へ寄付するという前代未聞のお店。奈良でのトークショーの前に立ち寄ってくださったので、その時はゆっくりとお話できませんでしたが、この本屋が出来るまでを描いた井上理津子さんの「夢の猫本屋ができるまで」(ホーム社/古書1400円)を買って、一気に読みました。

「ビジネスの中で儲けたお金で猫を助ける」をコンセプトにして、開業プランがスタート。出版業界の売上げが急激に落ち込んでいる時に、本屋をするなんて無謀、儲からないという声は必ずあがります。でも、店主の安村さんは、「『儲からないからやめておけ』と言うのは間違っている。本屋をやれる”道”をつくっていきたいと思うんです。業界としての売上げ減をカバーするとは思いませんが、本そのものの未来は、こういう状況でも本屋を始めたいという人にあると、私は考えます。」と進んでいきました。

そして、「猫がリアルにいて、お茶とビールが飲める猫本屋。新刊も古書も置いて」と店の輪郭を膨らませていきます。準備がスタートすると、何故かこの人の周りにはあれよあれよという間に様々な業種の人達が集まってきます。「猫のいる、猫本だらけの本屋をつくって、幸せになる猫を少しでも増やしたい!」という呼びかけ文で、クラウドファンディングで予算を集めます。著者の井上理津子さんは、ミシマ社から出した「関西かくし味」という本で、大阪の美味しいお店をテンポ良く紹介したライターですが、この本でも簡潔で的確な文章で、本屋作りに邁進する店主を追いかけていきます。

もちろん、お店が出来るまで、誰しも苦労も不安もあります。しかし、この本は、助けた猫に本屋を助けてもらう、その代わり、本屋も他の猫を助ける、という全く新しい書店の姿にエネルギーを傾けた店主の姿勢を中心に描かれています。そこがいいのですね。

「猫とビールと本に囲まれた老後を夢見た者としては、ひと足早く老後がやってきたと思いたい」とオープン前日には余裕の店主でしたが、その後一波乱も二波乱もあることを知りませんでした。その辺りのことは「第三章 いざ開店!理想と現実」をお読みください。

最後の方に、私も同感!と思う店主の言葉がありました。

「Cat’s Meow Books」は新刊も古書も販売しているのですが、「古本屋を始めたつもりはなく、開いたのは『本屋』です」と語っておられます。そうなんです、レティシア書房も古本屋ではなく、当初から「街の面白い本屋」を目指していました。同じ思いの店主がおられて、心強く感じました。安村さん、きっとお店に遊びにいきます!