「『狼煙を上げるんだ』 まるでその狼煙が見えているように老人が空を見上げた。そして自らに言い聞かせるように言い放った。『東北独立だ』」

赤松利市の「アウターライズ」(中央公論新社/古書900円)の一節です。東日本大震災後、多くの作家がこの震災と格闘し、様々な作品が世に出ました。世間を挑発するようなタイトルで、震災後早期に発表された高橋源一郎「恋する原発」(河出書房文庫/売切れ)、自らのデビュー作を、震災後を舞台にリミックスした川上弘美「神様2011」(講談社/古書650円)など傑作もありました。

本作は、震災後何年か経過したこの地が、再度地震と津波に襲われ、その後、東北知事会が東北独立を宣言し、鎖国状態に入り日本国と断絶するというSF的発想で始まる小説です。

「独立後東北は鎖国政策を布いた。国としての実態が整うまで、という期限付きの鎖国だった。その期限が、独立から3年後だった。」

開国に際して東北国は、日本から多くのマスコミ関係者を招待することになり、招ばれたジャーナリストたちが、この新しい独立国の現状を見てゆきます。国民は、社会主義国家のような体制ながら自由に、平等に暮らしている一方で、国家独立にまつわる陰謀の影も見えてきます。

「現時点で判明している被害者数は6名です。」

と、再び大きな地震に見舞われた東北国政府の発表。そんなことがあり得るだろうか。大きな疑問を追求してゆくジャーナリストたちの行動は、サスペンス小説の楽しさもあります。著者は東北大震災後5年ほど東北に住み、土木作業員や除染作業員を経験しています。ここには彼のリアルな体験が反映されています。だから荒唐無稽なエンタメ小説に陥ることなく、震災後の現地と、そこで生きる人々が描かれています。

物語の中で、阪神・淡路大震災で孫を失った男が、復興マルシェで店を構える飲食店で、「ウニイクラ丼と発泡酒三本で大方五千円かいな。」とイチャモンをつけてきます。しかし、この男はこう続けます。

「気にせんといてや。何もあんたらに難癖つけとるんと違うで。そやけどな、人の痛みは他人様には分からへんのや。あんたらにはあんたらの痛みがあるやろうけど、それはあんたらで受け止めなあかん痛みや。焼け太り、大いに結構やないか。それだけの痛みを背負とるんやから。誰にも文句は言えるかいな」大阪弁って、なんでこんなに説得力があるんでしょうね。私が関西人のせいかもしれませんが。

ところで、著者はなかなか異色の経歴の持ち主です。全く作家稼業とは縁のなかったのですが、男と遁走した娘を追って所持金5千円で上京し、風俗系の店の呼び込みなどで食いつなぎながら、漫画喫茶で書き上げた『藻屑蟹』で18年に第1回大藪春彦新人賞を受賞。19年「鯖」が、第32回山本周五郎賞候補になり、翌年「犬」で第22回大藪春彦賞を受賞しました。本作は、その受賞後第一作となります。

 

 

昨日紹介した養蜂家のドキュメンタリー「ハニーランド」に引き続いて、蜂に関する本をご紹介。

芥川仁の写真集「羽音に聴く」(共和国/新刊2640円)です。藤原辰史が「芥川仁の写真はどれも、言葉になる寸前の空気の溜めと震えが映っている」と帯に書いています。ミツバチの羽音が聞こえるような写真を見ていると、藤原がいうことがわかる世界が広がっていきます。

「蜜蜂の言葉は『羽音』だ。小さな命の声に耳を澄ませてみよう」芥川仁の言葉です。

健気に働く蜂たちの姿。そして、その蜂たちを大事に育てる養蜂家の人たちの姿。ここまで養蜂家の仕事ぶりを収めた写真集って、多分なかったのではないでしょうか。

「蜜蜂は、自然界の変化に影響を受けやすい小さい命だ。花のない冬季を人間の世話なくして生き抜くことはできない。自然界の天敵スズメバチの来襲から守るもの養蜂家だ。」

という文章と共に、日本各地の養蜂家が登場します。「働き蜂が一生働いて、一万回飛んで、スプーン一杯の蜂蜜って言わすもんね。ちゃんとした蜜蜂の一生を終わらせてやりたいという思いはあっとですたい」とは、熊本の養蜂家、中村邦博さんの言葉です。

北海道歌志内市で養蜂をしている川端優子さんは、日本では珍しい女性養蜂家です。寒い北国でも越冬できる蜂を育てています。

「雪溶けの季節になったら、天気の良い日に(蜜蜂を)飛ばしてあげるんです。雪よけのワラやコンパネを取り除いて巣箱の蓋を開けると、元気で生きてて、みんな並んでこっちを見てて、なんとも言えないんですよ。あの顔、いやーっ、生きててくれたって」

彼女の笑顔と、そのときの蜜蜂の顔(もちろん向き合ったことはないですが)を思い浮かべました。養蜂家を通して、自然と共に生きる人たちの暮らしを捉えた素晴らしい写真集だと思います。

 

 

先月京都市内にオープンした映画館アップリンクに、一昨日初めて行きました。ギリシャの北に位置する北マケドニアで作られたドキュメンタリー「ハニーランド永遠の谷」を観るためです。

主人公は、首都スコピエから20キロほど離れた電気も水道もない谷間にある村で、寝たきりの盲目の老母と暮らす自然養蜂家の女性です。村には、この二人以外他に誰も住んでいません。3年の歳月、数百時間の撮影を経て、彼女たちの日々を見つめた作品です。ただただ、圧倒されました。

「半分はわたしに、半分はあなたに」

これは、彼女の養蜂の基本的スタンスです。できあがった蜂蜜の半分は私がいただくけれど、半分はハチに返す。そのことで微妙な自然体系の維持を可能にして、自然と共に生きていることを彼女は熟知しています。でも、生活は苦しいし、お母さんは、ひたすら寝ているだけです。たまに彼女が街に出て、蜂蜜を売ったお金で買ったバナナを口に入れるだけ。私たちの感覚からすると、極めて貧しく見えるのですが、彼女はそうは思っていません。蜂と共に生きることが彼女の人生なのです。

しかし、彼女の平和な生活は、エンジン音とともに7人の子供と牛たちを引き連れてきた一家が、隣に越して来たことで、徐々に変貌していきます。この家族が悪者なのではありません。幼子も、年長の少年も、両親と一緒に牛を追い、養蜂場で働きます。死んでいった、或いは今にも死にそうな子牛を死体処理場まで担ぎ上げ、蜂に刺されながら蜜を取る仕事をとる作業をこなす子供たちをカメラは捉えます。

 子供たちの学費、生活費のためお父さんも必死です。だから、出来上がった蜂蜜もすべて売ってしまいます。行き場を失った蜂たちが、彼女の養蜂場に侵入し、死闘を繰り広げ、殺し合いを重ね、彼女の巣は全滅状態になってしまします。

「もう、なにもない」呆然とする彼女。さら追い討ちをかけるように、年老いた母が亡くなります。ロングショットで捉えた彼女の家と、誰もいなくなった村に彼女の悲痛な叫ぶ声が響き渡ります。コヨーテが周りを徘徊する深夜、火をつけた木材を暗闇で振り回しながら、「悪魔よ去れ」と母の霊のために走り回ります。

しかし、ここからが力強い。最初のシーンで、彼女は落下したら即死するような急峻な山道を登っていきます。そこにも、蜂が巣を作っているのですが、再び、彼女は愛犬を連れてこの山を目指します。雪深い大地を歩む二人をカメラは優しく追いかけます。出来上がった蜂蜜の半分をもらい、愛犬にもおすそ分けしてあげます。誰もいないこの村で、最後まで、彼女なりの人生を全うするのです。

ラストシーン、遠くを見つめる彼女のアップに、人間の尊厳と強靭さが溢れています。国内外の政治家の品のない顔にうんざりする毎日ですが、人間ってこんな美しい顔になる動物なんだと再認識させてくれました。彼女の顔を心に焼き付けるために、何度も観たい映画でした。

ミュージシャンの原マスミが、イラストや絵本の世界に進出してきたのは、いつからだっただろうか。気がついたら吉本ばなな作品のフロントカバーの作品を描いていました。落語家の柳家三三著「王子のきつね」(あかね書房/古書1200円)は、彼女の大胆にデフォルメされた絵が、内容にぴったりはまった面白い絵本です。

原マスミの絵が楽しい、石津ちひろ作「南の島で」(偕成社/古書1500円)をご紹介します。南の島に行ってみたくなる絵本です。

主人公の少年ワタル君は、ある夏休み、お父さんの妹ももさんが住んでいる南の島でホームスティすることになり、初めて一人で飛行機に乗りました。ちょっと引っ込み思案で、ものおじする性格の少年は、ももさんに会ってもうつむき加減です。

「島についてその日のうちに、ももさんは、僕を浜辺につれていってくれた。ぜんぜんおよげなかったぼくは、海にいっても、あんまりうれしくなかった。」

おそるおそるみずに足を入れるワタル君。

ももさん曰く「きょうは、ここの海に<はじめまして>のあいさつができれば、それで十分」

それから毎日、ももさんと海に出かけ、流れてゆく雲や、鳥をみたりして過ごします。ベジタリアンのももさんの美味しいごはんを食べ、少しづつ島の暮らしに慣れてゆきます。

ある日、海からの帰り道、土砂降りの雨に出会います。

「ももさんは、たちどまって空をあおいでいた。そしてそのまま、両手をひろげてくるくる回り出した。ももさんが『ワタルくんもほら!』とさけぶ。

おもいきって、ぼくもおなじようにやってみたら、からだのおくから、自然にわらいがこみあげてきた。」

ふたりが天をあおいで、雨を喜んでいるシーンの絵に、こちらも雨の中に飛び出したくなります。

島で過ごす最後の日。ももさんが「耳を水のなかにつけているとね、ふとしたひょうしに、”ぽこぽこ “という音が聞こえてくるの」と言うので、ワタル君がおもいきって浮き輪を外すと体が浮きました。

「海のなかにしずんでしまうのがこわい、という気もちは、いつのまにかきえていた。」

そして、彼の耳元にも”ぽこぽこ “という音が聞こえてきます。

「青くすみきった空しかみえない。ひろい空をひとりじめしているよろこびと、世界のはてに、おきざりにされてしまったようなさびしさ。ぼくは、そのままずっと海にねころんで、耳の奥にひびいてくる、そのあたたかな音をきいていた。」

自然体で心豊かに生きる人間に出会った少年の夏の思い出は宝物です。絵本は、「それからしばらくして、ももさんは、その島をでた。島でであった人といっしょに、外国でくらすことになったんだ」ということを伝えて終わります。

最後のページには、大きくなって父親になったワタルくんが、自分の家族と一緒に海に浮かんでいます。彼らの満ち足りた幸福をおすそ分けしてもらいましょう。

 

 

 

京都に本社を置くローム(株)は、平成元年に創立30周年及び東京証券取引所一部上場を記念して、「ローム君の京都博物日記」(非売品)を発行しました。もともと「ローム君の京都博物日記」は、「京都を科学する」をテーマにして、長期間にわたり新聞に広告として掲載されてきたものです。

一冊の本としてまとめ直し、テーマごとにさらに詳しい解説を付け加え、それぞれの専門家に監修を依頼しました。「京都府の動物のはなし」、「京都府の植物のはなし」、「京都府の大地のはなし」、「京都府の産物のはなし」、「京都府の技術のはなし」、「京都府の歴史のはなし」に分かれています。各章の終わりには専門家がそれぞれの章にふさわしいエッセイを載せています。全体の監修は、今西錦司が行いました。

「日本新聞協会賞広告企画部門」優秀賞を獲得しただけあって、レイアウト、イラスト、中高生に理解しやすい文章など、見事な出来上がりになっています。「生きている化石ムカシトンボ」の項目では、そのトンボのイラストと貴船の渓流の様子がイラストで描かれています。「地下から見つかったまぼろしの『船岡連山』」では、地下鉄工事中に発見された幻の山について語られています。本当に知らないことが多いです。

大晦日の除夜の鐘ですが、妙心寺の鐘の振動数が一秒間に129回、即ち129ヘルツで余韻が長く、美しい音色だということ、皆さんご存知ですか。この寺の鐘は、唐時代の古律「黄鐘調」に似ていると言われる程、名調子だそうです。

「『徒然草』にも『鐘の音は黄鐘の調べなるべし、それ無常の調子』と書かれており、人々に無常を感じさせる良い音とされているらしい」と『広告』の中に解説が入っています。

「強い京弓 秘密は京の底冷え」

これも面白いです。と、こんな広告が次から次へと登場。さすが、地元の本!です。

企業が出した本らしくロームの佐藤研一郎社長の挨拶文が入っています。販売価格は950円です。

柴田元幸責任編集の雑誌「MONKEYvol.21」(スイッチ・パブリッシング/古書800円)の中で、作家の西崎憲が、柴田と「音のいいバンドは歌詞もいい」というタイトルで対談していることを知りました。。西田は、小説「飛行士と東京の雨の森」という傑作を出す一方で翻訳や作曲などでも作品を発表し、文学雑誌「食べるのがおそい」の編集長と、マルチな活動をしています。最近の彼の著書「全ロック史」は極めて良質のロック史なのですが、4000円ほどする本で、しかも分厚い。当ブログ用の読書に追いかけられている私には、今はなかなか手が出ない一冊なのです。だからせめて「MONKEY」の対談だけでも読もうと思いました。

もちろん、この対談も音楽好きには必読なのですが、今号の中でご紹介したいのは、巻頭を飾るブレイディみかこの小説「Everyday is like Sunday,isn’t it ?」です。今のイギリスの現状を鋭く突っ込んで描く彼女のノンフィクション作品は、以前当ブログで何度か紹介しました。小説は初めて読んだのですが、面白い!

主人公は、登校拒否と自傷行為で里親たちの間をたらい回しにされてきたスティーヴンという少年です。彼が、学校にいるバディというセラピー犬に出会い、少しづつ変化してゆく様が描かれていきます。「狼と熊が混ざったようなもこもこしたアキタ犬を一目見たとき、スティーヴンには彼がスペシャルだという子が瞬時にわかった。」らしいのです。

で、このバディの独白が何度か登場しますが、この犬、博多弁なのです(笑)。こんな感じです。

「どうも小耳に挟んだところによれば、コーヴィッド19っちゅう病気があって、それがえらい流行りだしだしとうらしいけん、ジョニーがあげなこと言いだしともそれと関係あるとかもしれん。

それにしたっちゃ暇……….。もし学校に行っとったら、今頃はカーム・ルームにおったっちゃけどね。」

そうこれは、コロナの流行で学校に行けなくなった少年と犬のお話です。しかし、犬のおかげで少年が前向きに生きてゆくとか、輝きを取り返すという風な物語ではありません。そこは、リアルにイギリスの今の状況を反映してあります。

コロナのために学校が休校になる措置が取られているのですが、施設入所中の子供や、ソーシャルワーカーが家庭に介入している家の子供たちは、逆に登校しなければならないのです。しかし、もとより登校拒否を繰り返していたスティーヴンは、やはり学校に行かなくなります。学校に行ってもバディがいないからです。

自分の部屋に閉じこもるスティーヴン。「子供の素行の改善は一進一退だということを知っている。魔法の杖で全てが一瞬にして良くなるわけではない」ことを熟知している里親ヘレンは、バディと彼を会わせる計画を作ります。オンラインで画面で向かい会うというものです。

「お?おお?お、おおおお、こ、この顔は、ひょっとすると……..、やっぱカーム・ルームに毎日来よった子やん、わん、わん、わん、わん、立て続けに吠えてしもうたが、ああ、懐かしかあ。元気しとったかや?」

いうのが、スティーヴンを見たときのバディの心の声ですが、もの言いたげなバディな顔を見たスティーヴンは、

「まったく、すべてがバカバカしいよね。こんな世界なんか滅んでしまえばいいのに。君と会えないのなら、世の終わりが来たっていいんだ、ダブルデッカーバスか十トンのトラックに轢かれて死んででもかまわない。」と言いたかったのかな、と考えてから、ちょっと最近聞いてる音楽に影響されてるかも、などと思います。

「毎日が日曜日みたい。毎日が静かで、灰色。」という文章で小説は終わります。

著者は、1988年、サッチャー政権以降のイギリスを代表するミュージシャン、モリッシーのヒット曲”Everyday is like Sunday,isn’t it ?”を元にして、この作品を書き上げました。作中スティーヴンの聞いていた音楽はこの曲です。

久々の津村記久子です。2009年度芥川賞受賞作品「ポストライムの舟」で、いいなぁ〜この小説と思ってから割と読んできました。大阪出身のせいか、関西方面の物語も多かったようです。

さて、今回ご紹介するのは短編集「サキの忘れ物」(新潮社/古書1100円)。「サキ」と聞いて、あの「サキ」と思われた方は、海外文学ファンですね。オー・ヘンリーと並ぶ短編小説の名手です。彼の短編を集めた文庫本がキーポイントになるのがタイトル作です。

アルバイト先のカフェで、常連の女性が忘れていったサキの短編集を見つけた千春は、この本との出会いでどん詰まりの人生から、少しづつ自分の生き方を見つけていきます。そして、書店員となったある日、店でその女性と再会を果たすという物語です。

収録されている9作品は、発表された時期も、初出もバラバラ、作品世界も多種多様ですが、「全部すごい」と作家の福永信は雑誌「波」に書評を載せています。

「行列」という作品は、異彩を放っています。”あれ”とだけ表現されるものを鑑賞するために延々並ぶ人たちが主人公で、彼らの精神力、忍耐力に圧倒されるお話です。最後まで”あれ”が何なのかは判らずじまいで小説は幕を閉じます。福永曰く「何が何だかわからないまま不思議なことに面白く最後まで読めてしまう!」と書いていますが、このヘンテコな設定に乗せられてしまいます。

さらに、もっとヘンテコなのが「真夜中をさまようゲームブック」です。家に帰ってきた男が家の鍵を失くしたことに気づきます。運の悪いことに家人は留守。さぁ、どうする。読者の前に様々な選択肢が提示されています。ゲームブックスタイルの小説のスタートです。「紙とえんぴつを用意し、パラグラフ番号をメモしながら読んだほうが、失敗があった時に元に戻りやすいですし、行動の途中で捨得した物も確実に記憶しておけますので、おすすめいたします。」とは、巻頭に書かれた作者の言葉です。

個人的には「河川敷のガゼル」という作品が一番印象に残りました。今年読んだ短編集としてはピカイチです。

 

数年前、くぼやまさとるさんの「ニセ蟲図鑑」(1800円)という本が持ち込まれました。全ページ精密な虫の絵で、「フグアブ科」」「エビスコガネ科」「カメダマシ科」と、それぞれ科目別に整理されています。「ニセ蟲」のタイトルにひっかりながらも、美しい水彩画に誘われてページを繰ると、さらに、各々の虫に詳しい解説が付いていました。

「雨上がりの夕方に、虹とともに現れ、虹とともに姿を消す」というのはニジオビウカビテントウ。

そう、この本に描かれている虫は、「惑星キムネジネ」という架空の星に暮らしている想像上の虫の図鑑で、当然その名前も、解説も著者の作り話。全100ページ!その詳細な楽しい解説と、透明感のある美しい虫たちの姿は見応えがあります。

「オトアツメ科」の虫たちは卵の孵化や蛹の羽化が音によって促進されるとかで、「タマヒゲオトスキ」は、沿岸部に生息して夕凪の音を集めて聴くし、「アカヒゲオトアツメ」は焚き火のパチパチ音が受精を促進する。想像がどんどん膨らんでいく感じでしょ。「チリヂリス」だの、「ヒゲカゲロウ」だの、聞いたことがあるような無いような虫がいっぱい、カラフル模様の背中を見せて並んでいます。

くぼやまさんのポストカードは店にも置いていましたが、いつか原画を見たいと思っていました。不思議の星に生息するニセ虫たちは、思っていたよりも繊細で、かわいい奴らでした。政治家の嘘にはうんざりですが、こんなキュートな嘘なら騙されても笑えます。

今回は、原画(3300円〜52000円)を始め、ブローチ(2000円)、陶器(2500円)、手ぬぐい(1800円)などのグッズも販売しております。(女房)

★くぼやまさとる水彩画展「星の虫ワールド」は7/8(水)〜19(日)13:00〜19:00 月・火定休

 

 

池澤夏樹と、娘の池澤春菜が読書について語り合った「ぜんぶ本の話」(毎日新聞社/1300円)は、本を読むことについての楽しさに満ちた一冊です。そして、読書の楽しさの彼方に見える池澤家に流れていた幸せな時間を感じる一冊です。

春菜さんは、現在声優・エッセイスト、さらには歌手として活躍中です。小説ではSFやファンタジーに造詣が深く、本書でもその知識量を披露しています。

「うちに昔、屋根裏部屋があったでしょ?階段を下ろして部屋へ上がる作りで、部屋には本棚やら机やら、雑多なものが置いてあった。わたしはいつも棚の一番下に入って、そこで本を読んでいた。(略)あの部屋、秘密基地っぽくて好きだったな。パパの書庫の一番奥に潜り込んで読むこともあったね。」

彼女は、こんな雰囲気で読書に浸ってたんですね。本書では、児童文学・少年小説・SF・ミステリーのジャンルに分けて、二人が読んだ本について思いを語っていきます。

「少年小説」を、彼女は「冒険小説ってトラブルや障害が起こる仕掛けを用意周到にすればするほど作為的になっちゃう。それじゃダメで、物語中に起きた偶然の出来事が自然な形で転がっていき、無理なく展開し結末にたどり着くようになっていないと。」と定義しています。

そして、親子で優れた少年小説を選び出してその魅力を語っていきます。微笑ましい父娘の会話を聴く感じです。

最後の「読書三代」では池澤夏樹が、彼の父親福永武彦について娘と対話します。池澤の母親と福永は離婚。その後母の再婚で、福永姓から池澤姓になったという幼少の話も、初めて知りました。

高校時代、再会した福永武彦のイメージを「なにしろ一緒に暮らしていないから、生活感がない。ちょっと名前の知られた親戚のおじさんと会うという感じ。それでも話をすると感覚的に合うのはわかる。」と回想しています。福永の生前、池澤父娘は家族でギリシャに住んでいたから、春菜さんは祖父に会うことはありませんでした。

「その内容を書くのに一番適したスタイル、適した文章、適した入口が何なのか。『こうとしか書けない』というギリギリまで自分を追い込みたい。仮に掲載する媒体が違ったとしても、文章量が違っていても、結局この言葉になる。そういうところまで持っていかねば、という気持ちで書いています。」と春菜さんが作家のあり方を語れば、父は「プロとはそういうものです。」と答える。

さすがに作家親子の対談でした。

 

2019年、小澤みゆきさんが「かわいいウルフ」という雑誌を出されました。イギリスを代表する作家ヴァージニア・ウルフを多角的に論じた文芸雑誌です。ヴァージニア・ウルフを「可愛い」で括るって凄い!と思っていたのですが、なんとソールドアウトでした。

小澤さんが新たに編集したのが「海響」(1650円)です。第一号の特集は「大恋愛」。

「自分はなぜ文学が好きなのか。何年も飽きずによく読んだり、書いたり続けていると思う。私は多分、根本的に、愛したり、愛されたりすることしか興味がないのだ。人を愛することの喜び、そのときめきを何度でも知るために、私はページをめくってきた。新しい本を作ろうと思ったとき、まずはこのことについてまとめておきたいと思った。」

そして、もう一つ。

「ヴァージニア・ウルフという作家が、いかにフェミニズムにとって重要で、大切にされているかを。ウルフだけではない。親しんできた女性の書き手たちとその作品について、そういった視点から改めて読み直す必要があると感じた。」

女性作家の書いたテキストを読み込み、その言葉と向き合い、小澤みゆき自身のフェミニズムを考えてゆくことことを、この雑誌は目的にしています。

「小澤みゆきと十三人の恋すること」と題して、様々な女性作家が紹介されています。マーガレット・ミッチェル、ゼルダ・フィッジェラルド、ヴァージニア・ウルフそしてアンネ・フランクなどが登場します。その中で、私の愛読書でもありアメリカ文学の傑作カーソン・マッカラーズ「心は孤独な狩人」が紹介されています。アメリカ南部にいる聾唖の男性をめぐる物語です。残念ながらこの本は現在、古本、しかも高価でしか入手できません。

これからも海外作家だけで企画を組んでゆくのか、国内の作家にも目を向けてゆくのか、定かではありませんが、きっと興味深い雑誌になることでしょう。