ミンガリンク・マイクは、膨大な数のレコードを自主製作しましたが、全く聴くことができません。なぜ??

製作されたアルバムジャケットは見開き仕様の豪華さで、ミンガリンク自身の詳細な解説が付いています。が、そこに収められているレコードは、すべてダンボール紙で作られているのです。ご丁寧なことに、レコードの溝まで丹念に描かれています。つまりダンボール紙で作られた、架空のレコードなのです。

マイクの製作したレコード、シングルを集めた「ミンガリンク・マイクの妄想レコードの世界」(P-VINE/古書5000円)を入手しました。驚きました。ここには音楽への愛が満ちあふれています。引きこもって、たった一人で作り上げた作品群は、彼の頭の中だけで鳴っていた音楽を安物の紙の上に作り上げたものです。作品集には、ジャケットだけでなく、レコード盤も紹介されていますが、まぁ〜芸の細かいこと!レーベルロゴから、曲目(シングル盤は、その曲の時間も)まで描き込まれています。

1967年から10年間、彼は自宅にこもり、大量の贋物レコードを作り続けました。その作品群を誰の目にも見せず、ひっそりと倉庫の奥に隠していました。このままだったら、彼の名前がネットで飛び交うことも、作品集が出版されることもなかったはずです。

しかし、倉庫賃料の延滞に業を煮やした業者が、オークションに放出。たまたまその場に居合わせたDJドリ・ハダー(この本の著者)が発見して、世に出ることになりました。さらに本業が警察官のドリは、少ない手がかりを元に彼を探し出し、実際に会うことに成功しました。まるで、映画みたいなお話ですが、事実です。

音楽家サエキけんぞうが、「たった一人の頭の中で描かれた、極端に自分中心の世界観が、現実のヒット世界よりも見ていて楽しくなるのはなぜだろう」と書いていますが、マイクの作品を凝視していると、ソウルミュージックの分厚いサウンドが聞こえてきそうです。

 

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小川洋子という小説家は、長編の人だと思っていたので、あんまり短編には手を出しませんでした。しかし、「口笛の上手な白雪姫」(幻冬舎/古書1200円)を読んで、考えを新たにしました。

ここには七つの短編が収められています。場所も時代も、全く異なります。ただ、主人公が少年、あるいは少女という設定のものが大半です。最初の「先回りローバ」は、電話の時刻案内の女性の声に安心し、ずぅっと電話機を握りしめる男の子、「亡き女王のための刺繍」は、町の子供服専門の仕立て屋さんに通う女の子、「かわいそうなこと」では、かわいそうなことリスト作りに血道を上げる男の子、「一つの歌を分け合う」では、子供を亡くした伯母と、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観た高校生等が主人公です。「レ・ミゼラブル」の舞台や映画を知っている人は、ラスト泣けてきますよ。

子供たちが体験した、親や、祖父、或は町の人々との交流を一つの物語にまとめ上げ、どの作品を読み終わった後も、ちょっと胸がつまり、美味しい珈琲を飲んだときの満ち足りた気分にさせてくれます。祖父と少年が、廃線の決まった電車に乗り続け、畑にいた兎を可愛がる「盲腸線の秘密」は、そのまま映画になるんじゃないかと思えるぐらいに、映像的です。生きていれば、笠智衆にこのおじいちゃんを演じてもらいたかったですね。大切だった人の死、その人への深い思いが込められています。

こういう作品の一方で、「仮名の作家」は異色です。主人公はある小説家を溺愛する女性で、その作家のすべてを暗記する程にのめり込んでいます。そして、作家を囲む会では、お馴染みさんになっていくのですが、とある会で、彼女の的外れな発言が糾弾されます。その時、彼女は「私ほど正確に彼の小説を理解している者は他にいません。全部を完璧に暗記しているのですから」と叫び、大声で暗唱を始めますが、無理矢理外に連れ出されるというお話。これもまた、小川洋子の世界です。

「かわいそうなことはどこにも潜んでいる。何気なく曲がった角の突き当たりに、ふと視線を落とした足下に、昨日まで素通りしていた暗がりの奥に、身を隠している。僕はひざまずき、彼らを両手ですくい上げる。自分の生きている世界が、かわいそうなことばかりで出来上がっていると、薄々感づきながら。」

これは「かわいそうなこと」の最後に登場する文章ですが、作家自身、そういう「かわいそうなこと」を救いあげ、美しい物語へと昇華させているのではないでしょうか。

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京大総長で、京大霊長類学を代表する山極寿一さんの棚が、当店にはあります。専門的なものは扱っていませんが、「ゴリラの森に暮す』(NTT出版/古書1400円)、「ゴリラは戦わない」(中公新書/古書600円)といった専門のゴリラのことを平易に書いた本や、「父という余分なもの」(新潮文庫/古書550円)、「オトコの進化論」(ちくま新書/古書950円)の文化人類学から派生したものなど、様々な示唆に満ちています。

山極さんと、東大人類学を率先する尾本恵市さんとの対談「日本の人類学」(ちくま新書/古書650円)は、頭脳明晰な人たちの対談の面白さを堪能できます。

先ず、尾本さんが、東大では人類学者が低い扱いを受けていて、とてもじゃないが大学の総長なんかなれない、ましてや総長室にゴリラの写真が飾ってあるなんて、事務方が認めないと言う話から入り、お互いが人類学という学問に進んだことへと移ってゆきます。

山極さんがゴリラを専門にしたのは、先輩たちが皆チンパンジーの研究へと向かっていたので違うものをやりたいと思ったのだそうです。「チンパンジーは人間を超えている感じがしなかった。ゴリラを人間とちょっと違っていて、ある意味で人間を超えている感じがしたんです。」事実、ゴリラは抑制のきいた社会を作っていて、仲間同士の殺し合い、縄張り争いが無いらしい

また、あの大きなゴリラは、ペニスも睾丸も極めて小さいそうです。それに比較してチンパンジーは極めて大きい。彼等の社会は乱婚制だから、相手構わず交尾します。性行為の頻度では人間以上。さらに、射精まで平均6秒。だから。メスは妊娠するまで1000回以上交尾するとか。

こういった柔らかい話を交えながら、狩猟民族と農耕民族の社会へと話は進みます。「狩猟民族にとって自然と人間は平等で、支配、被支配の関係ではない」、一方の農耕民族は「自然を自分たちの手で整理し、人工的な食料環境につくりかえる。」その時から自然の頂点に立つのは人間であり、神に許された行為であった。神の貢ぎ物をする、というところから支配、被支配の考え方が生まれていきます。

極端に言えば、狩猟民族というのは私有を否定する文化であり、土地は私有せず、みんなで共同利用するものであったというのが、お二人の共通認識です。私たちは農耕文化を選択して、ここまで来たのですが、今一度振り返る時期かもわかりません。

アフリカの土人は暴力的だ!教育しなければ!と叫んで、植民地化したのは西洋文明です、しかし、文化人類学者たちが研究した結果、彼等は平和的で、素晴らしい文化を持っていることが判明しました。山極さんは「政治家はそれを認めていない。それが大きな問題なんですね。彼らはいまだに、西洋文明が世界の頂点にいると信じ込んでいる」と指摘しています。これからのあるべき人類の姿を考える一冊です。

 

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昭和50年発行の金子最後の詩集「塵芥」(いんなあとりっぷ社/古書1100円)を読んでいて、面白いものを見つけました。

巻頭の「そろそろ近いおれの死に」に続いて「十代」「二十代」「三十代」「四十代」「五十代」「六十代」「七十歳」、そして「八十代」というタイトルで、詩が並んでいます。

私は、先ず自分の世代の詩に目がいきました。「六十代ともなれば男も、女も、生えてくる毛がどこも、白い。」でスタートします。なるほど、私も白い。で、その姿がむさくるしく、「人目に立つのがひけ目になるので、出会茶屋の入口をくぐる勇気もなく、さあ、これからは何を頼りに生きるのか。」と嘆きます。そして、「ひとには言えないことではあるが、娑婆気の残物(あら)は、どこへすてたものか。」と結んであります。残念ながら、まだ私には、この境地は理解できません。

でも、「五十代」には、大いに共感しました。「五十代とは、なんと、しのこしたことの目に立つ年頃か。そのくせ、やり直すには少し手遅れ」とは、まさにそんな感じ。でも、後半「だが、試すだけは試した方がいい。見果てぬ夢とか、老いらくとか 言われるほどの年ではない」「まだまだ、自力で立つべきだ。」と言い切ります。思えば、レティシア書房を開店したのも五十代後半でした。「試すだけ試した方がいい」的気分は、確かにありました。

ところで、この作品は金子の死後2年目に発表されました。彼が亡くなったのは、1975年で80歳の時でした。そうすると。八十代を描いた作品が金子の心情に近いものなのでしょうか。「いけません。もう八十です、ということになってしまった。」と自分の年に驚きながら書いています。「利息のような日々なのだから、遠慮がちに生きていればいい筈なのだが、若いもののつもりでなくては気に入らない。」

若い日、世界を放浪し、無頼な日々を送ってきた金子らしい言葉かもしれません。

ところで、金子には絵の才能もあり、画集が出ています。若き日、上海で風俗画展(まぁ、エロ画です)をやって旅費を稼いだ人物ですから、上手かったのでしょうね。今、店にはアジア・ヨーロッパ放浪の画集「旅の継承」(平凡社/古書2000円)があります。アジア各地の風景を描いた作品に独特のセンスが溢れています。

 

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横118㎝、縦81㎝の木版画。長い髪の分け目から白いうなじがみえる。読書している女性の後ろ姿が、力強い刀の音がきこえてくるように彫られています。白黒で刷った上に、もう一版重ねて、微妙に重なる黒が奥行きになった、木版画としてはかなり大きな作品が、本屋の壁の中央に掲げられました。熱心に読んでいる人の背中をしっかり捉えたい、という熱量を感じました。なんかとっても瑞々しい!

奥の壁面には「柿」が一個ずつ描かれた木版画が8枚。固い柿から熟した柿の順で並べてあります。見ていると、8個の柿は、確かに触った感じがちがうだろうとわかります。同じ「柿」という素材の、しかしそれぞれ少しずつ違う質感を、木版画という手法で追求することは容易いことではないと思います。けれど、見てるとなんだかちょっとユーモラスでカワイイ。淡々としている作風なのに、あきらめない強さ、良い意味で頑固なところが素敵です

海外の個人美術館の螺旋階段と、古いアパートの階段を、上から見た作品は、形の面白さに魅かれて手掛けられたのですが、階段とは違うデザインにも見えたりします。今までの作品ファイルを見ると、毛糸で編んだ物、セーター、ソックス、てぶくろ、他にワンピースやTシャツなどの布ものなどが多く描かれていました。あたたかな手触りのあるものが好きなんですね。そこから、また階段などの建物の空間へ、新しい展開はこれからもまだまだ続いていきそうです。

山田真実さんは、今年京都芸大美術学部、版画専攻を卒業。初めての個展をレティシア書房で開いてくれました。現在、同大学では卒業展覧会の真っ最中です。実は、2016年2月、「とうかんかくでむがいなもの」という二人展をしていただいたことがありました。そこはかとない、透明感のある、不確しかで虚ろな、けれどよく見たら在るもの、という感じの作品がならんでいました。

もしかしたら、モノを囲む空気のようなもの、それが「物語のとなり」なのかもしれません。

伸び盛りの面白い木版画をどうぞお楽しみください。(女房)

山田真実木版画展『物語のとなり』は、2月18日(日)まで 月曜定休日

 12時〜20時(最終日は18時まで)   

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アフリカのポップスって、お聴ききになったことありますか?

余程、ワールドミュージックに興味のある方以外、ご存知ないかもしれません。しかし、家事のお供に、寒い日の外出などにも最適な音楽です。ヒョイ、ヒョイとカラダが動きだすサウンドは、やはりアフリカ大陸ならではのもの。もちろん、深く歌詞を読み込んでいけば、大陸に充満する貧困、差別、社会不安のリアルさを読み取ることもできるのですが、それは少し置いておいて、今日は怠いなぁ〜、とか腰が重いなぁ〜という気分の時に、ちょっくら踊りながらでかけませんか、という音楽をご紹介します。

先ずはセネガルのトップスター、ユッスー・ンドゥール。アルバム「ガイド」(700円)はのジャケは、踊っているンドゥールの後ろ姿。「踊るアホウに見るアホウ」の阿波踊りみたいなもんですね。一曲目から快調です。ほら、腕が上がり、足も上がってきますヨ。料理の最中なら、フライパン叩きながら、フンフンと夕食準備です。しかし、踊れそうな曲ばかりではありません。「7セコンズ」、これ、哀愁の演歌です。ネネ・チエリーという女性シンガーとデュエットしてますが、五木ひろしと石川さゆりにタップリと歌っていただきたいみたいな曲です。

もう一人、ザイールから世界へ、そのサウンドを広げたパパ・ウェンバ「エモーション」(700円)。哀愁を帯びたパパ・ウェンバの声とダンスビートが相まって、独特の世界を作り出していきます。アメリカのダンス音楽とは一線を画す音楽は、誰もが気楽に聴けます。アフリカの大地が叩き出すビートって、こういう音楽ですね。ご近所迷惑にならないボリュームで、寒い朝、洗濯物を干す時に鳴らしてください。洗濯物の彼方に、キリンやアフリカゾウが見えるかもしれません。どちらのCDも、日本語訳歌詞カードが付いています。

音楽に興味を持たれたら、雑誌Coyoteの「アフリカの南」(Switch/古書700円)、或は写真集”SAHARA”(洋書/中古1500円)を。CDは試聴できますので、聴きながらこれらの本を眺めれば、さらにアフリカが近づくかもしれません。(店内でのダンスはご遠慮くださいませ)全く知らない国の音楽を聴く楽しみをぜひ味わって下さい。

 

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西村ツチカの「北極百貨店のコンシェルジュさん ①」(小学館/古書500円)は、来場するお客様がすべて動物という奇妙な百貨店で、個性的なお客の相手にする、新人コンシェルジュ秋乃さんの毎日を描いたコミックです。

問題を抱えたお客たちと秋乃さんの交流の物語で、優しいタッチで多くの動物たちが登場します。少女マンガらしい世界なのですが、オチが見事なのです。全5話収録されていますが、その主人公たちはすべて絶滅してしまった動物達です。

第一話「笑うお客様」に登場するフライフクロウは、こう書かれています。「フライフクロウ ニュージーランドに生息。体長40cm。高笑いのような鳴き声が特徴。1914年、サウスカンタベリーでの目撃記録を最後に絶滅。」

この百貨店にはVIPならぬVIAというランクのお客様がいます。VIA=Very Important Animal,即ち絶滅種の動物達なのです。

第二話は、1880年代に棲息地だった北米から姿を消したウミベミンク。第三話には日本オオカミが登場します。これ、オスのオオカミが慕うメスオオカミとの恋物語になっています。

「ニホンオオカミは古代から社に祀られる信仰の対象であり、多くの民話が残されている。くわしい生態は不明のまま1905年に絶滅。」

百貨店スタッフの協力で、VIA待遇の二匹、いやお二人はゴールインとなります。しかし、そんな情景をここに勤務する外商マンが吐き捨てるように、「ふん、よってたかって絶滅種の恋路に介入して、人工繁殖もかくやとばかりの造物主きどりですか。」と言い放ちます。

可愛らしいキャラが登場するコミックでありながら、人間が滅ぼしてしまった動物たちへのレクイエムを随所に散りばめた作品です。なお、このマンガは現在「ビッグコミック」に連載中です。

西村ツチカは、短篇集「西村ツチカ作品集 なかよし団の冒険」で文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞受賞後、着実にファンを獲得している作家で、この本の帯には、松本大洋、恩田陸の人気作家が賛辞を書いています。

ニホンオオカミといえば、古代から社に祀られる信仰の対象であったニホンオオカミの、護符をめぐるノンフィクション「オオカミの護符」(小倉美恵子著 新潮社/古書900円)は、映画「オオカミの護符ー里びとと山びととのあわいに」のプロデューサーである本人が書いた、オオカミ信仰にまつわる傑作です。こちらもぜひどうぞ。

 

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穂村弘の書評と文庫解説を集めた「これから泳ぎにいきませんか」は、取り上げている作家が多岐に渡っています。

山岸凉子、倉橋由美子、内田百間、ひさうちみきお、酒井駒子、平松洋子、杉浦日向子、フジモトマサル、ヒグチユウコ、谷川俊太郎など、小説、エッセイ、漫画と多くのジャンルの作家が登場します。

書評集というと、選ばれた本のテーマの解説であったり、技巧の賞賛であったり、作風の変遷の解説であったりと、案外退屈な本が多いのですが、歌人として、作家として人気のある穂村の書評集は、読んで楽しい一冊です。

「海は、いつも予想以上に大きい。予想以上に大きいぞ、とあらかじめ心の準備をしていても、実際に目の当たりにすると。おお、大きい、と思わされてしまう」

さて、これはなんの本のことでしょう?山岸凉子「日出処の天子」です。なんで海の大きさハナシが出るんだ??と思って読み進めると、成る程なぁと納得させられます。

歌人だけあって、多くの歌集が紹介されています。めったに、歌集なんぞ読まない私には、どれも興味津々でした。

「シーラカンスの標本がある物理室いつも小さく耳鳴りがする」

小島なおの歌集「乱反射」の中の作品です。シーラカンスの標本が、何やら太古の香りを運んできて、それが耳鳴りになって聞こえる、とファンタジー風の妄想ができそうなんですが、穂村はこう解説しています。

「劇的なことはまったく描かれていない。<私>はただ学校の物理室にいるだけだ。しかし、ここには濃厚な『今』の味わいがある。ポイントは『いつも小さく耳鳴りがする』だ。埃っぽい物理室に入った時、確かにそんな感じがした。『この感覚わかる』と思う時、私もまた解凍された『今』を味わっているのだ」

そうか、そんな見方もあるんだと思いながら、パラパラと他の短歌評価をめくっていきました。

「これから泳ぎにいきませんか」というタイトルは、編集者の二階堂奥歯さんとの打合せの席上で、彼女から飛び出した言葉でした。でも私は、これは広い広い言葉の海に、一緒に泳ぎ出しませんかという穂村の気持ちなのではないか、と本を読み終えた時に、ふと感じました。様々な言葉にであってときめいてほしい、そんな著者の思いがあったのかな、と感じたのです。そしてそれは、素敵な本を提供しようと、がんばる本屋さんの思いに通じるのではないか、と。

絵本作家、長谷川集平の絵本「夏のおわり」が復刊ドットコム(古書1400円)から、再発売されました。傑作「トリゴロス」の次に続く、長谷川23歳の時の作品です。

戦争中、ゼロ戦に乗って、日本に飛来するB29爆撃機を何機も撃ち落としたと、自慢げに話すつよし君の父親。ゼロ戦とB29に分かれて、戦争ごっこに夢中になる子供たち。飛行機の翼よろしく両手を広げて、ブーン、ブーンと走り回り、機関銃のようにダッ、ダッ、ダッ、ダッ、ダッと相手を撃ち落とそうと遊びます。長谷川は、少年たちの無邪気な表情とすばしこい動きを描いていきます。それだけを見ていれば、子どもたちの夏の遊びの一場面にしか過ぎません。

しかし、遊びの終った子どもの一人が、B29になったつもりで走り回っていた少年に、こんなセリフを口にします。

「さとる きょう、ちょっとおかしいで。ひょっとして、つよしのおとうちゃんに 戦争の話 聞かされたんちがうか。あのおっさん いっつも あれやからな。あそこは 親子そろって 戦争きちがいやなあ、ほんま。 あんなやつ ほっとけ ほっとけ。へへへ。」

絵本の中で、戦争きちがいと呼ばれているつよしの父親が、お酒を飲むと陸軍の軍歌「戦友」を歌い出すとこころがあります。でも、ゼロ戦は海軍。これについて、作者長谷川の父親は旧陸軍少尉だったので、海軍の人間が陸軍の歌を歌うはずがないという指摘をしたそうです。それに対して、「この人は嘘ついているか、妄想にとらわてるんや。子どもたちはそれを見抜いて、戦争きちがい言うねん。」と、父親に答えたと、長谷川はあとがきで書いています。大体、ゼロ戦が、巨大なB29をバッタバッタと撃墜なんて出来ません。

さとるが、田んぼのあぜ道を「ダダッ ダダッ ダダッ」と、見えない敵に向かって銃撃するように走り抜けていきます。知らないうちに忍び込んでくる、美化された戦争そのものを撃破するような少年の姿。危ない輩が、巧みな嘘で耳元で囁くご時世ですが、私たちも「ダダッ ダダッ ダダッ」と追い払わなければなりません。

 

★町田尚子ファンの皆様。彼女が2007年に発表した「小さな犬」(白水社/古書・絶版1600円)の美本が入荷しました。もう、健気すぎる内容です。「ネコヅメの夜」の猫とはまた違った魅力で、泣けます!

★レティシア書房第5回「女子の古本市」2/21(水)〜3/4(日)

森まゆみは、昔、BSTVで放映していた読書番組でコメンテーターを務めていて、セレクトされる本が面白いものばかりでした。

地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の発行を続けながら、数多くの本を出しています。今回、ご紹介する「寺暮らし」(みすず書房/古書900円)は、ふと立ち寄った不動産屋で紹介された、お寺の境内にある賃貸物件に魅せられて、引越し、そこで暮す様を綴ったエッセイ集です。(このハードカバーは絶版)

寺の境内に住んでいるからこそ発見出来る事や、驚きを体験しながら、この”寺暮らし”の楽しさに引込まれていき、都会暮らしで忘れていたことに再び出会います。

例えば、雨の音です。

「たしかに雨の音にも霧雨小ぬか雨、篠つく雨からどしゃぶりまで、さまざまに変化があるのに気づいた。今まで何を聞いていたんだろう。子どものころ、世田谷の祖父の軒の深い家で、庭に面した縁側で大雨の日に昼寝した爽快さを思い出した。土に当たった雨が霧となって庭先からあおるように、私の体にふりかかっていたあの快楽を……..。」

お洒落な店も、高級食材も、隅々まで清潔、無菌状態に保たれた家も登場しません。ありあまるモノと情報から、少し距離を置いたところで、少々の不便もまぁいいか、といなしながら、本当に大事な暮らしの原点を見つめていきます。だから、日常生活の様々なシーンを描く向こうに、大量消費に踊らされる社会への不安とモノ至上主義の風潮が見えてきます。

映画「失楽園」を観て、こう批評しています。「荒唐無稽なのは不倫の末心中する男女が、ほんの束の間の逢瀬のためマンションを借り、大きなダブルベッドを入れてしまうことである」恋の暴走は致し方ないにしても、シティ風マンションに素敵なベッドはないだろう。これもモノ先行の世界への批判です。

蛇足ながら、この後に続く文章にひざを打ちました。

「身勝手に心中した彼らの後始末は誰がするのだろうか、不思議だった。『結合した遺体』も部屋もベッドも、裏切られた夫と妻がするしかないではないか。じつにハタ迷惑」

おっしゃる通り。こんな、そう、そうと笑えるところを探すのも本書の楽しみですね。