少し前に、藤田正著「音楽と映像で読み解くブラック・ライブズ・マター」(シンコーミュージック/古書1400円)を紹介しました。その中でビリー・ホリディの歌で有名な「奇妙な果実」が取り上げられていました。今回ご紹介するのは、ビリーがその歌を歌ったNYのライブハウス「カフェ・ソサエティ」の人びとの人生を綴った生野象子「ビリー・ホリデイとカフェ・ソサエティの人びと」(青土社/古書2000円)です。

今もなお人種差別問題に揺れるアメリカ。黒人差別が横行していた20世紀初頭へと戻ります。虐殺され木に吊るされた黒人の姿を歌った「奇妙な果実」を、ビリーが歌う事になった過程、その当時の差別の実態、そしてその後に続く、共産党を非合法化して党員を根こそぎ法廷に引っ張り出し、嫌疑をかけられた俳優、監督たちも尋問を受けた「赤狩り」時代まで描き、この国の差別の実態、虐げられた人びとの姿を蘇らせていきます。

ところで、ビリーの名唱で知られる「奇妙な果実」ですが、黒人が作った歌ではありません。NYブロンクスのユダヤ人教師エイベル・ミーアボールが、黒人が吊るされて死んでいる写真を見て、作詞作曲したものです。ちなみにエイベルは共産党員である一方で、別名でフランク・シナトラに曲を提供していました。

やがてこの曲を「カフェ・ソサエティ」のオーナー、バーニー・ジョセフソンが知り、当時このクラブで歌っていたビリーに歌わせたのです。当初あまりに陰惨な詩に、ビリーは歌う事に後ろ向きでしたが、初めてステージで歌った後、大きな拍手が起こり、その後、彼女の十八番になっていきます。

1930年代のNYのクラブでは、黒人と白人が同席するところはありませんでした。出演は全て黒人なのに、客は全て白人が当たり前の世界です。しかし30代半ば、バーニー・ジョセフソンはその常識を覆し、白人と黒人が一緒にステージを見るクラブ「カフェ・ソサエティ」を作ったのです。そしてここで歌われた「奇妙な果実」が、世界へと広がっていったのです。彼もまたユダヤ系アメリカ人でした。本書には、このクラブに関わった人、そして古臭い価値観に縛られたアメリカに反逆する人びとが登場します。後年暗殺されたマルコムXが、麻薬売りのチンピラだった時代の話も出てきます。

様々な人びとの熱気が渦巻いた「カフェ・ソサエティ」も、赤狩りの犠牲になり、閉店を余儀なくされます。メディアもここを「危険分子の巣窟」と決めつけ、糾弾したのです。

本書後半で、女優からモナコ王紀となったグレース・ケリーの逸話が登場します。黒人歌手でダンサーだったジョセフン・ベイカーが黒人に出す肉はないと差別され、料理を拒否したマンッハッタンのレストランに偶然いたグレースは、店の態度に怒り、ジョセフンに同調します。当時、彼女はまだ新人女優でした。そしてその18年後、破産し住むところもなくなったジョセフンと子供達を、経済的に支援したのも彼女でした。いい話です。

変貌する社会と、その時代をあぶり出すジャズと共に生きたアメリカの人々を深く掘り下げた一冊だと思います。

 

今、この時代を生きる人を描きながら、四畳半フォーク的世界を展開し、綿密な描きこみで版画の様な作風の山川直人の新作「短編文藝漫画集」(水窓出版/新刊1980円)がでました。内容は横光利一「機械」、萩原朔太郎「猫町」、太宰治「東京だより」という短編小説を漫画化したものです。漫画には、それぞれ原作小説が付いていて、原作を読んでかから、漫画を読むと、山川がその原作をどう解釈していたのかを窺い知ることが出来ます。

1935年に発表された萩原朔太郎「猫町」は、極めて幻想的スタイルを持った短編です。モルヒネ、あるいはコカインで体を崩した主人公が体験する不思議な散歩を描いた物語で、初めて読んだ時、面白さがよくわからん小説でしたが、今回これは散歩の楽しさを萩原らしい視点で描いたものと解釈しました。山川は、ひょんなことから現実の世界なのか、幻の世界なのか判別不能の状態に陥った主人公を飄々と描いています。

戦時中、軍事工場で働く足の悪い少女への思いを綴った太宰の「東京だより」は、ほんの数ページの短編ですが、戦時下で働く女性への温かい思いを描いた作品です。山川漫画のラストシーンも太宰の世界観を見事に映し出していると思います。

今日マチ子の「Distanceわたしの#stayhome」(rnpress/新刊1650円)は、タイトルからわかる通り、2020年4月に出た緊急事態宣言以降、変化してゆく町や人々の様子を、彼女らしい静謐なタッチで描いたイラスト日記です。ステイホーム、ソーシャルディスタンスという今までなかった行動スタイルの中で、新しい日常を生きる人々の姿をそっと見せてくれます。

高橋源一郎が「大切な風景。愛おしい場所、人。今日さんの本を開きさえすれば、ぼくたちは、きっと、みんな思い出すことができるのだ。」と推薦の言葉を書いていますが、あぁ、こんな風景あったよなといつか思い出す事になるのでしょう。切なくて、ちょっと悲しくて、ぎゅっと抱きしめたくなる。そんな素敵な本です。

「秋の終わりの夜、いつも通る道に、十字架が現れる事に気づいた。ビルの照明が、壁と窓に反射してちょうどきれいに十字架になっている。道ゆく人はこの建物を見上げないから、誰も気づいていないのだと思う。毎日通り過ぎるどうでも良い場所。別に十字架でなくても、温泉マークでも、何だって良かったのだけど、狭い日常の中、誰にも見えないものをわたしは見つけたのだ。」

ステイホーム、ソーシャルディスタンスの中でも、彼女は自分にしか見えないものを見つけているのです。

 

こういうのを売れる本と呼ぶのでしょう。いやもちろん、バカにしているのではありません。町田そのこ著「52ヘルツのクジラたち」(古書/900円)は、2021年度本屋大賞第1位を獲得した小説です。多くの人に受け入れられるに違いない作品だと思います。

小さい時から、自分の人生を家族に搾取されてきた貴瑚と、母に虐待されて「ムシ」と呼ばれていた少年が出会い、新しい人生を紡いでゆく物語で、そこに トランスジェンダーの話なども盛り込んで今の時代を反映させる手法は、誰が読んでも納得できるし、上手い!と思いました。

タイトルになっている「52ヘルツのクジラ」は、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、世界に一頭しかいないクジラです。「世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけれど、実際の姿は今も確認されていないという。」

そのクジラの姿に、二人の孤独な魂をダブらせてゆくあたりの筆者のテクニックが見事です。ラスト、二人だけが見る大海原をジャンプするクジラの姿には、ホロリとさせられました。

「ムシ」と呼ばれた少年は言葉を喋りません。ひょんなことから、彼と知り合った貴瑚は、直観します。

「この子からは、自分と同じ匂いがする。親から愛情を注がれていない。孤独な匂い。この匂いが、彼から言葉を奪っているのではないかと思う。

この匂いはとても厄介だ。どれだけ丁寧に洗っても、消えない。孤独な匂いは肌でも肉でもなく、心に滲みつくものなのだ。」

貴瑚と孤独な少年が、人としての心を回復してゆくまでを見届けるのが本書のテーマです。虐待する側には、彼らなりの忌まわしい過去があり、その不満が子供への暴力と向かうという展開も、きっちりと書かれているので、説得力があります。「ムシ」と呼ばれ、過去におののき、未来を閉ざした若い魂と、貴瑚自身の過去の忌まわしい事件を浄化し、二人が新しい地へ向かって歩みだすという、よくあるストーリーなのですが、その背景に52ヘルツの高い声で鳴くクジラがいることが、物語を深くしています。

あんまり文学的ではない、という評価を見た記憶がありますが、文学的かどうかは関係ありません。読者がその物語にのめり込み、参加し、そして、より良き未来への扉を開けることができれば、その小説は読者にとって素晴らしいのです。

「わたしでいいのなら、全身で受け止めるからどうか歌声を止めないで。わたしは聴こうとするし、見つけるから。わたしが二度も見つけてもらえたように、きっと見つけてみせるから。

だから、お願い。52ヘルツの声を、聴かせて。」

最後のページを飾る文章で、私もとても素敵な気分になりました。いい小説です。

「自立生活楽し!」(解放出版社/新刊1540円)は、ダウン症の佐々木元治さんが一人暮らしを始めてから3年間のエピソードを中心に、母親の和子さんと日本自立生活センター(JCIL)自立支援事業所の廣川淳平さん共著の、勇気が出る一冊です。

障がいを持つ子の親が、一番に考えるのは「親なき後」の生活でしょう。そして、多くは施設入所という選択に舵を切ってしまうといいます。しかし、ここに「自立生活」への道があるという、当たり前のことを佐々木さんたちが示してくれました。

本書は3部だてになっています。第1部は。実家を離れた元治さんの生活を母親の和子さんが綴っています。母の失敗談やら6人のヘルパーさん達が書く介助ノートが、実に楽しい。

第2部では、和子さんが6人のヘルパーさんにアンケートを取りました。最初の1年目と3年経ってからのアンケートを読んでいると、それぞれが仕事に対して前向きになられているのがわかります。一人暮らしをする元治さんのワクワクに付き合う人がいるということは、実はとても大切なことです。何もかも自分ですることが「自立」ではない、と、この先老いを迎える私自身を後押ししてくれます。

第3部は、廣川さんが自立生活をするにあたって利用する制度、その方式や手順を紹介しています。「誰もが、どんな障がいがあっても地域で当たり前に生きられる社会」を目指し、コーディネーターをしている廣川さんならではのわかりやすい語り口は、多くの人の力になりそうです。

「施設入所」は介助介護を必要としている人を集めて、いっぺんに見るという形にならざるを得ません。住み慣れた所で「介助を使って生きる」ことを選びたい。そう思いませんか。

2020年11月、NHK・Eテレ「バリバラ」に出演した時、コメンテーターの玉木幸則さんが言われたということを最後に書きます。

「知的障害があっても、選ぶことや決めることができるようお手伝いし、何を食べるとか、どこへ行くとか、何をするかってことを、自分で決めたり、選んだりすることが自立」  (女房)

 

 

兵庫県西宮北口駅周辺はおしゃれな街の代表みたいなところです。現在の「阪急西宮ガーデンズ」は、もと「阪急スタジアム」でした。ここを中心に昭和25年(1950年)、3月18日〜6月11日まで朝日新聞社主催、外務省、通産省などの省庁と西宮市が後援し、連合軍総司令部の全面的協力によって「アメリカ博覧会」が開催されたのだそうです。戦後初の本格的博覧会で、イラストで紹介した会場案内のチラシを入手しました。吹田で開催された万博(1970年)は知っていますが、これはどこもかしこもアメリカ紹介のパビリオンばかり。チラシには「本誌特約米漫画」としてアメコミ「ブロンディ」も載っています。博覧会や戦後のイベントなどに興味のある方には貴重な資料かもしれません。(1000円)

昭和30年代ぐらいの映画館に置かれていたチラシも何点かあります。「風と共に去りぬ」(500円)。ローレンス・オリビエ版「ハムレット」(500円)、ゲイリー・クーパー「悪の花園」(500円)などです。中でも、お、これは珍しい!オードリー・ヘップバーン「麗しにサブリナ」がありました。わずか、数ページのパンフに、映画の中のオードリーのファッションなどけっこう盛りだくさんの内容になっています。裏ページの広告が「赤玉ホワイトワイン」というのも時代を感じさせます。(2000円)

少し新しくなりますが、ディズニーの長編劇映画のパンフレットが3点。「おしゃれキャット」(1000円)、「ふしぎの国のアリス」(1000円)そして、探している人も多い「眠れる森の美女」(2500円)です。1960年代後半から70年代にかけての公開時のものだと思われるますが、「眠れる森の美女」のクラシカルな画調は、今見ても美しいですね。

紙ものではありませんが、講談社の雑誌「若い女性」の特典として出されたフォノシート「映画名曲集」が凄い!

「禁じらた遊び」「昼下がりの情事」「第三の男」などのヒット映画のフォノシート4枚が、それぞれ映画のワンカットをプリントした袋に封入されいて、遠藤周作、谷川俊太郎などが文章を寄せています。さらに、明治製菓のガム、マックスファクターの化粧品、日本コロンビアの家庭用ステレオセットなどのCMが、当時のトレンドを垣間見せてくれてシャレています。発行されたのは昭和35年。今、女性雑誌には必ず付録が付いていますが、そのはしりかもしれませんね。表紙のオードリーも素敵です。(2000円)

なお、これらの商品は、古くて紙の質が良くないので店頭に出していません。見たい!方はカウンターまでお気軽にどうぞ。別に買わなくてもいいので、あぁ〜こんな時代もあったなぁ、とノスタルジックな気分に浸っていただければ、と思います。

台湾先住民族の神話に我を忘れ、巨大なゴミの島が台湾を襲うというデストピア的世界に慄き、謎の複眼人が姿を現し語りかけ、海の、森林の、星空の、圧倒的美しさにひきこまれる長編小説「複眼人」(KADOKAWA/古書1800円)。第71回ベルリン映画祭で「映画化が期待される小説部門」に選出されました。

多分、これを映画化できるのは宮崎駿しかいない、と私は読後に強く思いました。いやぜひ、彼に映画化してほしい。

この長編小説の著者は、呉明益(ウーミンイー)。以前、「歩道橋の魔術師」(白水社/古書900円)をブログで紹介しました。あの時から、この作家の魔術師的世界の虜になっていたので、本書が翻訳出版されるのを期待していました。そして、それは予想以上の出来上がりでした。

次男坊が生きることができない島から追放された少年、夫と息子を山で亡くした大学教師の妻、身内を失った台湾先住民族の男と女、父親が撲殺された環境保護を訴える海洋学者。彼らが主たる登場人物です。

死が同居する残酷な彼らの数奇な人生を、ある時は俯瞰的に、ある時は超接近して描いていきます。彼らの前に広がる大自然の美しさと残酷さ。不意に登場する超自然的存在の複眼人。クライマックス、台湾沿岸に押し寄せる巨大なゴミの島 に為す術もない人類。これはSF なのか、神話的物語なのか、いやいや先住民族の持つアニミズムの救いなのか、地球を食いつぶす人類への警告なのか。「ゲド戦記」の著者、アーシュラ・K・ル=グィンは「こんな小説は読んだことがない。かつて一度も」と本の帯に書いていますが、おそらく多くの小説好きの方がそう思われるでしょう。もちろん私も。

様々な運命を生きる人々を描く執筆の魔力的な力に圧倒されます。350ページ余の長編ですが、あっという間に読んでしまいました。この圧倒的巨大な世界を映画化するのは、「もののけ姫」を監督した宮崎しかいないと思います。

汚染されてゆく海、地震、津波、大雨といった自然の猛威の前に滅んでゆく私たちの世界。その最後に登場するのは、ボブ・ディランの名曲「激しい雨が降る」です。

川本三郎が解説で「呉明益は最後に、これまでの死者を悼むように『激しい雨が降る』の曲(詩)を引用する。ボブ・ディランの初期の作品。(中略)ディランは1962年のキューバ危機の際に米ソ核戦争の危機を覚え、この曲を作ったという。『複眼人』の最後にふさわしい。」と書いています。

今年読んだなかで(まだ5月ですが)、一番物語を堪能しました。

 

 

Tagged with:
 

矢田勝美さん著「いのちをつなぐ海のものがたり」(ラトルズ/新刊1540円)が届きました。5月初め、矢田さんが育った漁村のこと、漁師をしている父親のこと、そしてこれからの漁業のことをまとめた本を出しました、とメールが入りました。

「幼いころは両親の手伝いが好きじゃなかった。でも、海の幸の恵みを受けられなくなるかもしれないという危機感、漁師がいなくなる、海が危ない……..そんなことを記録に残し、伝えていかなければならない」

そんな思いが、彼女にペンを握らせました。イラストレータの矢田さんが、ここではイラストを使わず、写真と文章で漁師の家庭、暮らし、仕事を丹念に追いかけていきます。令和4年度高校の国語の教科書に採用されるぐらいですから、決して難しい文章ではありません。私たちが知っているようで知らない漁師さんの姿を教えてくれます。

「魚の供養?私は漁師が魚を供養をしていることを、この時まで知らなかった。なんと『漁師は魚を殺生していることへの弔いをする』のだ。海の恵みを捧げてもらっている全国の至るところには、魚の供養塔も建てられているという。」

供養の様子が写真で紹介されています。また、彼らは漁で海亀がかかると、縁起を担いで海に返すといいます。彼女のお父さんは「ようけ魚取らせてくれよ。はよ竜宮に帰れよ〜、いうて放したるんや。そうやって声をかけると亀は必ずふり返る。」と話します。

「海は怖い」が口癖のお父さん。暮らしのために殺生をせざるを得ない彼らは、いのちに敏感になります。そして、海で漁師が亡くなると、海や、生き物に引っ張られたという言い方をします。

「船底一枚下は、たくさんの恵みを与えてくれるありがたい天国でもある。しかし、同時に、日々いのちがけの漁師とその家族にとっては、世にもおそろしい地獄なのだ。」常に死と隣り合わせである漁師が例える海の怖さは、漁師でない者にはきっとわからない。

ところで、伊勢湾奥部の鈴鹿の貝って極上の味だということをご存知ですか。貝はミネラル豊富な川の水が流れ込む干潟に育ちます。その点、木曽川、長良川、揖斐川の三つの川が流れこんでいる伊勢湾奥部は、よく肥えた干潟なので、ここで取れる貝は味がいいのだそうです。特にアサリは最高級とか。

そんな情報もゲットしながら、私たちは海に囲まれた国で育ったんだという事実を思い起こすのです。これからの漁師たちの暮らしがどうなってゆくのか、漁業がどうなってゆくのかは、他人事ではないのです。

本書は、海藻を使ったステキな栞付き。また、著者の前作「大地をまるごとやさしいごはん」(1980円)も同時販売中です。

「秘密の花園」「赤毛のアン」など児童文学について梨木が語る「物語のものがたり」(岩波書店/新刊1540円)は、取り上げた作品を深く掘り下げ、作者の心の中に迫ると同時に、読者だった彼女自身が何を思ったのかを知ることができます。

フランシス・ホジソン・バーネットが1911年に発表した「秘密の花園」は、彼女の「小公子」や「小公女」以上に高く評価されている児童文学です。私はこの本を読んでいないのですが、70数ページを使って詳しく解説、論評した文章を読んでいると、まるでもう読んだかのような気分になってしまいました。

舞台は植民地時代のインド。官史の一人娘メアリーは両親に育児放棄され、気難しく我儘な少女になっていました。そんな時に、流行っていたコレラに両親がかかり、死亡。メアリーはイギリスにいる遠い親戚に引き取れらます。ここでもまた、彼女は放って置かれ、遊ぶ相手もいませんでした。しかし、この大きな屋敷の奥にある庭園を見つけたことから、彼女の人生は大きく変わってゆきます。誰にも相手にされず、孤独だった彼女が生きる力を回復してゆくプロセスを、梨木は丁寧に解説してくれます。

物語に登場するパンとチーズを引き合いに出して、児童文学にある力をこんな風に書きます。「『ハイジ』に出てくるパンとチーズといい、児童文学に出てくる素朴な食べ物は、どうしてこうもおいしそうなのでしょうか。それはきっと、無我夢中で成長しようとしている子どもの食欲が、読み手である私たちにまで働き、『術』をかけるからなのでしょう。その『術』の中で、私たちの内奥にある、ある部分まで、育まれていく感覚を実感するからのでしょう。」

後半では、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」、いぬいとみこの「木かげの家の小人たち」、モンゴメリの「赤毛のアン」を読み解きながら、児童文学の先達たち、石井桃子、村岡花子、ビクトリア・ポターたちの創作の核心へと迫っていきます。

ナチュラリストとしての意識の高かったジーン・ストラトン・ポーターが1909年に発表した「リンバロストの乙女」は、村岡花子の手で翻訳されました。

「村岡花子もまた、この『リンバロストの乙女』を、御殿場二の岡の森の中で熱中して読み、自然に親しむことの素晴らしさを日本の若い人たちに伝えたいと強く願ったのだった。その体験が、彼女を翻訳者の道に進ませる原動力の一つになったのだと、後のエッセイで述懐している。」

そんなことも教えてくれるエッセイです。

『山中さおりペーパークイリング展』、レティシア書房のギャラリー開催はなんと10回目を迎えました。2012年の開店以来、毎年必ず個展をしていただいて10年。今年も美しい紙の作品が並びました。

細い紙(2㎜〜6㎜幅くらい)をクイリングバーという棒でクルクル巻き、小さな円や楕円、四角や三角を作るペーパークイリング。一枚一枚丁寧にクルクル巻いて、その小さな部品が、花びらの一つ一つとなって花の作品になるという、とても細かい作業です。英国で生まれたもので、もともとは、聖書を製本した時に出る細い切れ端を(神のことばが書かれた紙なので)大切にして、鳥の羽根(quill:クィール)で巻き、宗教道具や絵画を飾ったのが始まりと言われています。

山中さんの作品に触れるまで、この手仕事のことは知りませんでした。不器用な私には気の遠くなるような作業の積み重ねです。今回、7年前に一度飾ったことのある美しい花の作品を持ってきてくれたので、一緒に並べようと試みたのですが、全然雰囲気が違うのに驚きました。年月を経て格段に技術力が高くなり、新しい作品群と釣り合わないのです。まさに継続は力なり!

今までは秋に開いていた展覧会を初めて5月に計画して、黄色のヒマワリが華やかに壁を飾ってくれました。相変わらずの几帳面さは、山中さんの持ち味ですが、花々が少しずつ自由に、立体的に動き出しているような印象を受けました。こうして毎年観ていると、進化が楽しみです。「こういう時期だからこそ、黄色の鮮やかな色合いで見てくださった方に元気を出していただきたい」という作家からのメッセージ。どうぞ繊細な「紙わざ」をご覧ください。

コロナ禍のせいもあり、作家の希望で今回は封筒やグリーティングカードの販売を店内では控えました。販売については、山中さんのオンラインショップ(下記)をご利用いただければ、と思います。

なお、レティシア書房から徒歩5分くらいのギャラリー「ONO」さんでは、第3回公募展が開かれていますが、ここでも山中さんの作品(5/23まで)を見ることができます。(女房)

 

⭐️『山中さおりペーパークイリング展』は5月12日(水)〜23日(日) 月火定休

13:00〜19:00  最終日は18:00まで

【紙工芸kotohana*オンラインショップ】https://kotohana.handcrafted.jp/

 

大阪府内の救命救急センターの医者犬養楓さんは、コロナウィルス感染拡大で過酷な勤務を続ける中、その日々を歌に詠んできました。それが「前線」(書肆侃侃房/1650円)という一冊の短歌集になりました。

こんな歌が詠まれています。

「昼が来て夜が来てまた昼が来て看護師はこれを一日と呼ぶ」

「世の中の風当たりにも耐えるよう防護ガウンを今日も着込んで」

本作品集には、コロナ禍が本格化する直前の2019年末から約1年分の歌が収められています。日々、厳しい状態にさらされている現場で、医者・看護師のやり切れなさ、その思いをすくい上げ歌に託して伝えます。

「同乗なき救急車でひたすら息子の名前を呼んでいた人」

家族の付き添いも拒否される状況で、搬送される患者の孤独と絶望。

「ご迷惑をお掛けしますと愛し子を身籠り看護師潔く去る」

やむにやまれず救急の前線を去る看護師の複雑な思い。

「マスクでも感謝でもなくお金でもないただ普通の日常が欲し」

医者も看護師も普通の人々で、使命感いっぱいの崇高な人間じゃない、という現場の本音です。

歌人はあとがきでこう書いています。「非常事態宣言が連発され、本来の非日常が日常化していく中で、言葉が持つ力が次第に弱まっていくことを危惧している。しかし、映像では伝わらない出来事や、声にならない声を言葉にすることが、現在の第三波まで続く不連続な局面を打開する希望になると信じている。」

そして続けて、「その不確実さや不連続な状況にもまれながら、医療従事者が目の前の出来事に、どう向き合ってきたかをこの禍が過ぎ去ったあとにも残しておきたいと思い、歌を詠んだ次第である。」と。最前線(命をかけた戦場のような)の、貴重な記録です。

「この国の『いってきます』と『おかえり』を奪って流行るコロナウィルス」

私たちの日常を破壊している現状を理解していれば、安心・安全なオリンピックなんて言葉が首相の口から飛び出すわけがない。ぜひ、この歌集をご一読いただきたい。