大学卒業後、なぜか幻想文学やファンタジーばかり読んでいた時期がありました。月刊ペン社という小さな出版社が「妖精文庫」というタイトルで十数点出版していて、その内、何点かを買った記憶があります。本には「妖精画廊」という小冊子が付いており、それが楽しみでした。

今回、シリーズの中の一冊、ウィリアム・モリス/中桐雅夫訳「サンダリング・フラッド」(月報付き1200円)が入荷しました。あぁ〜懐かしいな、この細かい字体を読んでたなぁ〜と思いだしました。

ウィリアム・モリスは、アーツ&クラフツ運動を牽引した人物として有名です。モダンデザインの創始者として、そのデザインは、あっ、モリス柄とすぐに分かります。一方で、モリスは文学活動も比較的早くから行っており、ファンタジー文学中興の祖と評価される「世界のかなたの森」は有名です。若者の幻想の中に存在していた美しい娘が生きる森の中で、繰り広げられる死闘を描いた作品で、世界観の美しさに唸りました。一時、晶文社が「ウィリアム・モリス・コレクション」全9巻を刊行しており、全部揃えたいと思った事もありました。(最近は古書市でも見かけません)

さて、「サンダリング・フラッド」は、悲恋ものだった….と記憶しています。(なんせかなり昔の読書体験だったのでね)

街を流れる大河サンダリング・フラッドを巡る、幻想的なユートピア小説とでも表現すればいいのでしょうか。やや時代がかった表現がありますが、ファンタジー好きなら外せない一冊でしょう。(ただし、上下二段でびっしりと印刷されているので、もう年寄りの私には再読不能です)

本を開けると、画家エドワード・バーンジョーンズデザインでモリスが織ったタピストリ、同じくバーンジョーンズのイラストとモリスのデザインによる「チョーサー物語集」、モリスデザインによるキルトの模様などの図版が収録されています。中世をユートピアとして捉えようとしたモリスらしい世界です。

ところで、この本を翻訳した中桐雅夫は詩人として有名で、私は「会社の人事」(晶文社)という、およそ詩集らしくないタイトルが面白そうだったので買ったことがあります。

「老い先が短くなると気も短くなる このごろはすぐ腹が立つようになってきた 腕時計のバンドもゆるくなってしまった おれの心がやせた証拠かもしれぬ」

という「やせた心」は、「おのれだけが正しいと思っている若者が多い学生に色目をつかう芸者のような教授が多い 美しいイメジを作っているだけの詩人でも 二流の批評家がせっせとほめてくれる」という嘆きを経て

「戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は おれは絶対風雅の道をゆかぬ」という詩人の強い決意で終わります。心に残る詩集でした。

モリスの全集も、中桐雅夫も発行元は晶文社。若い日の読書体験に、この出版社の影響を受けたのは間違いありません。私が新刊書店の店長だった時、最初にやった企画が「晶文社ベストセレクション」でした。

 

アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」は63歳のセールスマン、ウィリィ・ローマンとその家族の物語です。自立出来ない息子や、過去の幻影にさいなまれつつ慨嘆するローマンは、誇りを持っていた仕事まで失い、最後には自ら死を選ぶ、という悲惨なお話です。 

その舞台を演じる役者夫婦の身の上に起こった出来事を、舞台進行に絡ませて描くという、斬新な構成のアスガー・ファルハディ監督のイラン映画「セールスマン」は、じっくりと見せてくれるサスペンス風映画でした。

夫の留守中に、引っ越して間もない新居で、妻が侵入者に襲われてしまいます。外傷はそんなに深くはなかったのですが、執拗に犯人を探し出そうとする夫と、表沙汰にしたくない妻の感情が少しづつずれていきます。心通わず、すれ違う夫婦。しかし一方で、舞台の稽古は、どんどん進行していきます。やがて犯人を見つけた夫がとった行動は…..。

ゆっくりと理性をかき乱されていく夫婦を中心にして、映画は破局へと向かいます。まるで舞台劇のように、廃墟と化した、かつて夫婦が住んでいたアパートで、この夫婦と、犯人とその家族が一同に会します。様々な感情、怒りや不安、悔恨が渦巻まく圧巻の場面。

人間の複雑な感情のせめぎ合いを、2時間でじっくりと描いたこの作品は、ヨーロッパでは高い評価を得ました。そして、米アカデミー賞外国語映画作品賞を受賞したのですが、トランプ大統領のイスラム系人間への入国拒否令に反撥して、スタッフは授賞式をボイコットしました。トランプ大統領は、多種多様な人種が集まる映画界を、敵に回してしまったのです。

見終わって、元気になる映画でもなければ、清々しい気持ちになる映画でもありません。しかし、ラスト、舞台のメーキャップを黙々と続ける二人の虚ろな表情を見ていると、人に寄り添うべき時にそうできなかった、人間の複雑な感情の重さを思い知らされました。

「サラリーマン」は京都シネマにて上映中です。

 

左京区の個性派書店ホホホ座が出版した「焙煎家案内帖 京都編・一」(1000円)を、山下店長自らお届けいただきました。

ページを開けると、「焙煎」「焙煎の方法」「焙煎の度合い」等々、焙煎コーヒーに関する基本的用語の解説が載っています。知ってる人も、知らない人もここを読んでから紹介されているお店に進みましょう。

「京都編・一」で取り上げられているのは、六曜社、swiss coffee plants、ガルーダコーヒー、Hifi Cafe、Windyの五件の店主さん達です。当店のお客様で、いつもレコードを買っていただいているHifi Cafeオーナー吉川孝志さんが登場!Hifi Cafeは、当店から歩いて十数分の所にあり、民家そのままをカフェにしてオーナーの趣味で集められたレコードが整然と並んでいるお店です。オーナーは、本当の深煎り豆の珈琲の味を求めて日夜研鑽されています。

「深く煎った珈琲っていうのは、酸っぱくない。酸味が飛んで苦みが増すんですけども、同時に甘味も増すんです。その苦みと甘味が拮抗して飲めるギリギリのところっていうのを目指すんですけど、それはある程度の濃度も必要なんです。それはペーパーでは落とせなくて、ネルでゆっくり落とさないといけない。」

職人さんの話を聞いている感じです。たかが珈琲、されど、その珈琲一杯に真剣勝負をしているオーナー達の姿が伝わってきます。ガルーダコーヒーのきたむらゆかりさんは、インタビューの最後でこう語っておられます。

「コーヒーは機会操作と化学変化が理解できれば誰でも焼ける。フライパンでも焼ける。だからこそ、誰がどんな思いで焼くかが大切なんじゃないですかね。」

「誰がどんな思いで」って、どんな商いでも、最も大切なことだと思います。

さて、コーヒーの香りの次は、ドーナツです。ドーナツの穴に関して、各界の気鋭の学者たちが論じる「失われたドーナツの穴を求めて」(さいはて社1944円)という本を入荷しました。ある種、オタクの極みの一冊ですが、いや立派です!

実際のドーナツ屋が登場して、ドーナツ屋に実情を語り、英国史の研究者がドーナツの歴史を紐解き、その一方で中国史の研究者が中国とドーナツの関係から東洋におけるドーナツの穴について論じ、果ては経済学者がドーナツの穴の経済的な価値を述べるという、もう四方八方に論考が飛んでゆくという内容です。

この本を作ろうと思い立った言語学者の芝垣亮介さんは、「ドーナツとドーナッツの違い」を検索したところ、画面に夥しい数の「ドーナツの穴」についての項目が出てきました。そこから、彼は「ドーナツの穴制作委員会」を立ち上げ、多くの学者をメンバーとして、不可思議な存在のドーナツの穴の解明に向かいます。その集大成がこの本です。

芝垣さんはこの本の目的を「今、そこにある謎を、今そこにある『知りたい』を探求する、その喜びと幸せを共有すること」だと書かれています。学問って、こういうところから発生するのかもしれません。

気合い十分の本書は、装幀にも力が入っています。本の右上にドーナツの穴らしきものがパンチされていて、本を貫いています。そして曰く「すべての穴はドーナツに通ず」。

知的好奇心の旺盛な人にはワクワクする本です。。

 

「震災で消えた小さな命展」では、東日本大震災で犠牲になった動物達の絵(複製)を展示しています。

かけがえのない命を失くした飼主に、天国へ旅立った動物たちの話を聞き取り、100名近くのイラストレーター、絵本作家が協力して、動物たちの絵を描きました。今も次々と描かれた原画の展示は各地を回っているのですが、最終的に飼主さんの元へ贈られます。それで、その後原画の中からいくつか複製画が作られ、各地のボランティアの働きで巡回しているのです。

京都での巡回ボランティアをしていらっしゃる松永さんは、2013年「ひとまち交流館」で開催された原画展を観に行って、お手伝いされるようになったとのこと。今回、松永さんとのご縁で、本日より5日間だけですが(今週日曜まで)レティシア書房で開催出来る事になりました。

主宰者の絵本作家うささんは、震災後、東北へボランティアに行き、そこで多くの人の命とともに、想像を絶する数の動物が命を落としたことを知ります。飼主さんたちの心の傷は癒えることがありません。何故、彼らは命を落とすことになったのか、動物の命は尊重されているのか。「見過ごされる命、声なき声を、展覧会を通して伝えたいと思います。」という主宰者の声を聞いて頂ければと思います。そして、震災から6年経った今も、動物の命の救われ方が変わっていないことを、この展示を機会に知って頂ければと思います。うささんが描かれた「ぼくは海になった」という絵本は、流されて亡くなったお母さんと犬のチョビのお話ですが、犬を飼っている身には涙なくしては読めませんでした。(絵本「ぼくは海になった」展示中販売しております。1400円)

池田あきこはじめ、絵本作家・イラストレーターの方々が、震災で亡くなった犬、ネコ、鳥、牛などの在りし日の姿を描き、絵には、それぞれのエピソードも書かれています。中には、飼主からの手紙も展示してあります。

「避難所ではペット受け入れ不可だからと、避難できるのに避難せず、自宅に残った人、ペットを連れて避難所に向かったが、一緒に入室を断られたために、自宅に戻った人・・・・その人たちは、ペットと共に亡くなっています。姿かたちが違ってもその命を思う人にとっては、大切な家族です。ペットの命を助けることは、人の命を助けることにつながるのです。」

ペットだけでなく、畜産業者の牛の話もあります。生き残った牛が、子牛を産みますが、警戒区内で交通事故に遭い、亡くなってしまうという辛い体験談です。

「避難時に一緒に連れてくるものは、その人にとっては大切な存在であり、共に助かりたいから連れてくるのです。初めから救える命、救えない命と、命の線引きから決めるのではなく、命は全て救うもの、そこから考えていただきたいと切に願います。」

ペットを飼っている方も、そうでない方も、ぜひご覧ください。(女房)

◉7月9日(日)まで開催です。(会期中無休。最終日18時まで)

うささんの絵本・ポストカード・クリアファイルなど販売しております。

●展示した直後、京都新聞の取材を受けました。(写真左)

古典芸能の本、特に初心者が読んで面白い本を見つけると、つい仕入れてしまいます。

古い本ですが、堂本寒星「上方芸能の研究」(昭和29年河原書店2000円)は、上方歌舞伎、壬生狂言、さらに上方舞にまで及んだ書物です。この中で、京舞の井上八千代さんとの対談が載っていました。四世井上八千代襲名の時の対談です。厳しい先代とのお稽古の事や、これから四世としてどんな舞台を勤めてゆくのか、先代が三味線のお稽古にことの外厳しかった時のことなど、はんなりとした京都弁で話されています。

「わたしが上手に弾けまへんと、あんた、もういんどいてと、おこらはるのどす。さうなると、わたしは先代さんと二三日顔を合わさんやうにするのどした。」

当代の五世八千代さんも、祖母である四世のことを、それはもう厳しかったと話されているのをTVで観たことがあります。

人形浄瑠璃「文楽」の大夫として60数年活躍され、先日引退された竹本住大夫への聞き書き「人間、やっぱり情でんなぁ」(文芸春秋600円)でも、やはり厳しい修行の日々を語られています。思わず吹き出したのが、「コケコッーコあ、鶏が鳴いた、夜明けじゃィ、」という台詞を師匠宅で早朝から何度も何度も繰り返し言わされた時のこと、ご近所から苦情が出ました。

「『じゃかましいィっ、夜の明けたん分かってるわい!』と大夫顔負けの迫力の、ちょっと怖い声で怒鳴られました。これを聞いた師匠が血相変えて、言い返すために、物干し台に上がろうとされるのを必死で押しとどめて、大騒ぎになりました」とは、いかにも大阪的なエピソードですね。

だいぶ前に、竹本住大夫の舞台は拝見しましたが、全身全霊で向かって来る気迫に感動したことを覚えています。表紙のお顔も、なんとも深い人間味が漂っています。

舞台に上がる直前、どんな名人も上手くいくかという恐怖心が湧き上るのだそうです。その竹本住大夫の頭を過るのは、「どっちにしても、出たとこ勝負や」という一念でした。

「新人のときの『稽古はしてきた。よっしゃ、出たとこ勝負や』と自分に言い聞かせてました。初舞台から最後の日まで、毎日毎日思うことは一緒でした。」竹本住大夫ならではのきっぷの良さです。

もう一点、高田文夫監修の写真集「お後がよろしいようで」(ちくま文庫500円)は、高座や楽屋での、江戸前噺家の表情が数多く収録されています。キリッとした、いなせな雰囲気が満ちていて、折にふれパラパラめくっています。志ん朝のちょいと顔を上げた雰囲気なんかとても素敵です。

★勝手ながら7月3日(月)&4日(日)連休いたします

 

 

故星野道夫の全集、といっても写真の全集ではありません。新潮社が出版した全五巻「星野道夫著作集」は、彼が書き残した多くの文章を、可能な限り集めた写真家の文章だけの全集です。中々すべてを揃えるというのは難しいのですが、買いやすい価格で出ていれば入れています。

第一巻は彼の初期作品を集めたもので、初期の傑作「アラスカ光と風」、「カリブーの旅」等を読む事ができます。

「大自然の中での用足しは本当に自然だ。これ以上すがすがしい用足しは絶対にない。現代人のなかで、どれだけの人間がこの快感を知っているだろうか。ぼくたちの変化というものは。自分たちの排泄物をできるだけ見ないようにきえしている。つまらないことかもしれないが、そんなことからさえも、ぼくたちは何かを失っている」

なんて、アラスカの大自然の中にいる喜びが伝わってくるような文章です。しかしその一方、私たちの生活が、自然の流れから離れてゆくことを危惧しています。

星野自身の性格だったのか、或はアラスカの自然がそうさせたのかは解りませんが、まとめられた文章を読むと、その謙虚さが目立っています。ライフル銃を持って長期の撮影に入ってた時、何故か違和感を持ってしまいます。

「銃で守られているよいう気持ちが、自然の生活の中でいろいろなことを忘れさせていた。不安、恐れ、謙虚さ、そして自然に対する畏怖のようなものだ。ぼくは、今でも人間が本質的にもっている野生動物に対する狩猟本能というものを肯定しているのだけれども、自分の目的と銃の問題は、なかなか噛み合ないような気がしている」

より大きな存在である大自然に対峙した時、人は謙虚になるものです。しかし、その気持ちを永遠に持ちながら自分の人生を全うさせてゆくのは、簡単に誰にでも出来るものではありません。星野の愛したアラスカ、そこで生きた人びと、動物への限りない愛情が、すべての文章に宿っています。傑作「イニュイック」のこの文章は何度読んでも、感動します。

「一年を経て、同じ親子クマに再び出会う。彼等が過ごした一年と、自分が過ごしたこの一年が重なった。長い冬の日々、ストーブに火をおこし、本を読み、スキーで森を歩き、またオーロラを見上げていたその時、どこかの山の塒(ねぐら)で、この三頭のクマはひっそりと同じ冬を越していた。あたりまえのことなのに、初めて気付いたような思いがした。すべてのものに、平等に、同じ時が流れている」

クマと同じ時間が、私たちに流れているなんて考えは、なかなか考えないものです。

著作集は1巻(1900円)、2巻(1900円)があります。4巻も入荷していましたが、売切れました。なるべくこの価格帯で販売していくつもりです。

★連休のお知らせ 7月3日(月)4日(火)

 

 

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数年前、川端御池近くのギャラリー「nowaki」で、不思議な作品展に出会いました。

身の回りにある紙(新聞紙や広告紙など)を使って、動物、虫、絶滅した恐竜などをかたち作り、セロテープでグルグル巻いて、完成させるというもの。制作していたのは、植田楽(うえだ・ひらく)さんでした。あまりの面白さにその時「トナカイ」を購入して、店に飾っています。

今回、彼の作品を一同に集めた作品集「ずかんをひらく」(1080円)が入荷しました。タイトル通りに図鑑風に作られています。ページを開けると、恐竜編がスタートします。”暴君トカゲ”ティラノサウルスが登場。映画でもよく見かけるいかにも悪役づらしたあいつですが、すっくと立って、なかなかの男前。植田さんのコメントで「強そうな歯が特徴なので、一本一本、強度や曲がり具合もリアルに表現しました」というコメントが書かれています。

恐竜達に続いて、古代に絶滅した動物達が登場します。ダチョウのような「ジャイアントモア」。ユーモラスなスタイルが特徴的です。どの作品にも、図鑑のような解説が付いているところがミソですね。

そして、現代の動物。「忠誠心が強く、古くからチベットの牧畜民が牧羊犬や番犬として飼育してきた」チベタンマスティフという大型犬は、実物そっくりです。作者曰く「タテガミのフサフサ感を黒色で出すのに、苦労しました。ティッシュを丸めてふわふわ感を出しました」とコメントされています

植田さんが、紙とセロテープで作品を作り始めたのが6、7歳ごろ。最初に作ったのがボールとバット。私もボールなら作った経験がありますが、ここから先がアーティストとの違いです。10歳のころから動物の制作を開始し、市販されているフィギュアにないような無名の動物達の作品作りへと向かいます。彼は、新しい作品を制作する時、図案を描かずに、いきなり作り始めるというのが驚きです。設計図なんてなくても、きちんと立っています。

本の出版に合わせて、何点か作品を販売しています。お気に入りがあれば、ぜひ。(写真の作品はすべて販売中。7000円〜)

 

今も人気のイラストレーター、安西水丸の本が2点入荷しました。

一つ目は「スノードーム」(キネマ旬報社/初版2400円)。1889年のパリ万博に登場したスノードームは、ヨーロッパで人気を集め、その後アメリカに渡ります。安西は、スノードームのイラストを数多く手掛けてきました。本書は、常盤新平、秋本康、泉麻人、沢野ひとし、淀川長治、糸井重里、湯本香樹美などの著名人が、スノードームについての思い出を語り、そこに安西がイラストを付けた作品集です。映画評論家の淀川長治は、初めてNYでひとり暮らしを始めた時、その孤独感に押しつぶされないように、百貨店で「雪ダルマ」のガラス玉を買って帰りました。

「私はことあるごと、手で振ってガラスのなかの雪を降らした。いつも雪あらしの中でサンタはニッコリ笑っている。私と同じ孤独。ガラス玉の中だけの世界。そこにたった一人」

彼はこのガラス玉の中のサンタと仲良くなり、旅の終わりまで大事に持ち続けます。「外国の店、私にはアメリカの店、ニューヨークの夜の星の日に、ベッドの中でそっと握ったガラス玉の雪。私、ことし八十七歳が目のまえなのに、まだこのようにコドモ!」とその楽しかった思い出を書いています。

この本を編集した、百瀬博教と安西の対談が二本掲載されています。世界のスノードームの話から、映画の話まで読んでいてこちらが楽しくなる対談です。

もう一点は、「シネマストリート」(キネマ旬報社/初版2400円)です。こちらは雑誌「キネマ旬報」に1986年から89年に渡って連載されたシネマエッセイ集です。イラストレーター和田誠のシリーズ「お楽しみはこれからだ」と並ぶ、映画愛に満ちた一冊です。日本が第二次世界大戦で敗北した数日後、安西の父親が南の島で戦死した事がわかります。「ぼくは写真でしか知らない父の顔が、小津安二郎監督の一連の映画に出演している笠智衆さんに似ていることを、姉から言われて気がついた。そう言えば顔かたち、体つきまでよく似ている。」と書き記しています。きっと、小津作品の笠智衆を見る度に、安西は切ないものがこみ上げてきたと思います。

昔の映画をDVDソフト等で見る時に、側に置いておきたい一冊です。ちなみに、村上春樹との対談「私の嫌いなもの、怖いもの」で、安西は「犬が苦手」と語っています。犬だけじゃなく、どうも動物全般が苦手みたいとはちょっと意外でした。

 

スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫の「ジブリの文学」(岩波書店1400円)は、著者の文学体験や、映画製作者としての人生が満喫できる一冊ですが、その中に、作家と縦横無尽にトークする企画があります。登場するのは、朝井リョウ、中村文則、又吉直樹等の話題の作家ばかりです。その一人として、マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィットというアニメ作家と池澤夏樹が著者と語り合う企画がありました。マイケルは、スタジオジブリ制作の長編アニメ「レッド・タートル」を監督した人物です。

著者はマイケルの絵を気に入り、絵本にならないかと思案し、ファンだった池澤に構成と文章を頼みました。その絵本が出来上がるまでを三人が楽しそうに語りあいます。映画は全く台詞のない作品で、そのままでは絵本にならないので、池澤が、登場人物達が過ごす「島」がこの男と女について語るという構成を思いつきます。マイケル監督は、映画では「沈黙の美しさ、そういったものを表現したかったんです」と発言しています。池澤は、監督のその思いを見事に絵本にしました。

「レッドタートル」(岩波書店1400円)は、切なく、美しい物語です。無人島に辿り着いた男が、島に育てられ、海の彼方からやって来た女性(ウミガメの化身)と共に暮らし、子供が生まれます。その子供は大きくなった時、文明世界を見たいと島を離れます。やがて、年老いた男は島で亡くなり、女はウミガメに戻って海にかえります。ラストの島の台詞です。

「女は伴侶を看取った後、ウミガメの姿に戻って、海に帰っていった。

残された私はまた無人島、ただため息をつくしかなかった。」

著者が惚れ込んだ絵は、宮崎駿曰く、日本のアニメの影響を全く受けていないオリジナルなもので、極めて美しいものです。海の深いブルーが目に焼き付きます。女がウミガメに戻って大海原に戻ってゆくラストショットに込められた、生きることへの切なさをたった一枚の絵と、短い文章で表現しています。優れた表現者同士のコラボレーションを見せてもらいました。

マイケルは絵本としては、傑作「岸辺のふたり」を出しています。あぁ〜、あの本かと思われた方もおられるかもしれません。

残念なことに、私はこの映画を見ていません。しかし、既にDVD化されている!これは即買い!とワンクリック。楽しみです。

 

 

 

 

 

 

「なんやら。怪(け)ったいな臭(かざ)がしとる」「怪ったいな臭?ーやっぱりそうやった。今朝からうちの鼻が、どうかしてしもたんやろと思とったんやしィーほんまに怪ったいな臭やなア」

という、こてこての大阪弁で始まるのは、海野十三の推理小説「蠅男」(講談社大衆文学館文庫750円)。1897年(明治30年)生まれの海野は、SF、推理小説といった分野で活躍し、日本SF小説の始祖と呼ばれています。「蠅男」は1937年に発表された長編小説で、私立探偵帆村 荘六(ほむら そうろくーシャーロック・ホームズのもじり)が活躍するシリーズの一編です。

海野は広島生まれの、神戸育ち。だから関西を舞台にしたこの小説でも、地理感覚が抜群です。神戸発のミニプレス「ほんまに」10号の千鳥足純生の連載「神戸とミステリー」で、この小説を取り上げています。

「その作品の内容は従来の探偵小説に止まるところではなかった。幻想怪奇の要素の他に科学的要素を付け加えた内容を持つ海野の作品は読者に非常に新鮮な響きを与えたに相違ない。」

のっけから小説は妖しい雰囲気で始まります。昭和初期の大阪、神戸の街並み、風俗が描き込まれ、この時代のエログロ・ナンセンスの雰囲気も巧みに取り込んであります。小説の真ん中辺りで、帆村 探偵が宝塚温泉で蠅男を発見、自動三輪に乗り追跡を開始し、有馬温泉まで続くシーンの、スピーディさとは程遠いのんびり感とユーモアは、味わいがあります。僅かですが有馬温泉の描写も書かれています。

タイムマシンでこの時代に戻り、帆村 探偵と共に大阪を、神戸を、犯人を求めて彷徨うノスタルジックな感じに浸れます。

この小説は、講談社大衆文学館という文庫シリーズの一冊です。本シリーズは1995年から毎月3冊ずつ、100冊刊行されました。長谷川伸に始まり、多岐川恭で終了する100冊には、海音寺潮五郎、山田風太郎、川口松太郎、吉屋信子、火野葦平、獅子文六等々そうそうたる作家が揃っています。残念ながら、古書でも最近あまり見かけなくなりました。案外探しておられる方もおられるのではないでしょうか?