傑作、名作、レア物ではありませんが、これなら買ってもいいな〜と本好きならニンマリの本が入ってきました。

昭和30年発行の「巴里風物誌」(東峰書店/帯1500円)は、パリを巡るエッセイです。あとがきで著者の渡辺紳一郎は「これは、絵・佐野繁次郎、文・渡辺紳一郎で、佐野君の画集とすれば、渡辺の文は、その説明であり、紳一郎の巴里風物誌とすれば、佐野君の六十枚のスケッチは、その挿画ということになる。」と書いていますが、個人的には佐野の絵を楽しみました。さっと描き上げた街の雰囲気や、行き交う人々の姿は、どれも素敵です。この本、ネット上では数千円の価格が付いていますが、最終ページに小さな蔵書印があるので、この価格になってます。

久世光彦(文)×北川健次(美術)のコラボによる「死のある風景」(新潮社/初版/帯900円)は、身近な人の死であったり、古今東西の文学、美術の表現されている死をテーマにしたエッセイに、銅版画を中心に多彩な活動を続ける美術家が、挑発するかのように制作したオブジェが一緒になった本です。久世が、古本屋で西條八十の詩集「砂金」を見つける度に買っていることを書いた「砂金」は、短い文章なのですが、本好きにはグッとくる物語です。

イラストレーター原田治の初の随筆集「ぼくの美術集」(PARCO出版/初版/函/帯3000円)は、中々入手できない一冊です。先ず、装幀がいいです。やや小さめの落ちついたブルーの函(20cm×13cm)に入った本体は、目の覚めるような黄色の表紙に英語で「OSAMU HARADA MON CAHIER D’ARTS」と書かれています。ペーパーバックの洋書風です。現在も高値で取引されている、詩人にして装丁家の北園克衛について、エラリー・クィーンの「緋文字」の文庫版のカバーデザインが北園であったことを発見したことから始まる北園論は面白いところです。

最後に個人的に読みたかった、堀江敏幸の「未見坂」(新潮社/初版/帯900円)を少しご紹介。初めて、この作家の短篇集「雪沼とその周辺」を読んだ時の深い感動は忘れられません。その彼の連作短篇集がこれです。短編の名手は、芥川龍之介以来、数多くいます。でも、静謐な筆致という言葉が合うのは、今ならこの人でしょう。儚いタッチの版画で人気の清宮質文の作品を表紙に添えたのは、正解です。

なお、本日ご紹介した本はすべて絶版です。

★勝手ながら、5/8(月)、9(火)連休いたします。

俳優イーサン・ホークが、監督した「シーモアさんと、大人のための人生相談」(京都シネマにて5日まで)は、良いドキュメンタリー映画です。

シーモアさんって?

シーモア・バーンスタイン、1927年生まれのピアニストです。ピアニストとして世界的名声を得た50代半ばで引退し、89歳の現在までNYのマンションで一人暮らしをしながら、ピアノ教師として多くの生徒に教えています。シーモアさんが「人生とは」などと、延々しゃべる野暮な映画ではありませんので、ご心配なく。

マンションのピアノに向かうシーモアさん、いいなぁ〜この部屋。豪華ではないのですが、きちんと片付けられた家財道具、間接照明で浮かび上がる壁に掛けられたアート。コンパクトで清潔そうな台所。優しく、深く人の心にはいってくるピアノの音は、こんな部屋での暮らしが醸し出しているんだ。静かな夜空、ゆっくりと波が満ち欠けする海辺が与えるような、リラクゼーションと同じものかもしれません。

監督のイーサン・ホークは、人生の折り返し点に立ち、役者として、クリエイーターとして、ハリウッドで生きることに行き詰まりを感じ、悶々としていたそうです。彼がシーモアさんに出会い、いかに生きるかを知り、シーモアさんの素晴らしさを多くの人に知ってほしいという思いで映画を制作しました。魑魅魍魎が跋扈するアメリカ映画界にいながら、真面目で誠実な彼の姿勢が伝わってきます。

真剣に一つのことを極めようとしている人の言葉と、シーモアさんが紡ぎ出すゆったりとしたピアノの一つ、一つの音を味わってもらいたいものです。音楽と共に生きる、こんなにも豊かな世界があるのだと。

「夜空の星座が普遍的秩序を目で確認できる証拠ならば、音楽は普遍的秩序を耳で確認できる証拠と言える。音楽を通じて、我々も星のように永遠の存在になれる。音楽は悩み多き世に調和しつつ、語りかける。孤独や不満をかき消しながら。音楽は心の奥にある普遍的真理、つまり感情や思考の底にある真理に気づかせてくれる手段なのだ。」

と文章にすると堅苦しいのですが、シーモアさんは、ゆっくりとした口調で微笑みながら語りかけてくれます。

圧巻はラスト、35年ぶりに開かれた小ホールでのコンサート。ピアノの向こうにはNYの街並みが見える所で、シューマンの「幻想曲」を弾くところでしょう。(6月に発売されるDVDには、そのフルバージョンが収録されているとか)心が解放される瞬間です。クラシックをあまり聴かない人も大丈夫。ひたすらシーモアさんの滋味豊かなピアノの世界を楽しんで下さい。

エンディングの彼の台詞が素晴らしい!!漫画家のさそうあきらが「あんな言葉を残して僕は死にたい」には100%同感です。GW、映画を見に行く予定のある方にはラインナップに入れて欲しい一本です。

 

★勝手ながら、5/8(月)、9(火)連休いたします。

 

兵庫県出身のイラストレーター&画家の下田昌克に初めて接したのは、雑誌「Coyote」最新号(スイッチパブリッシング700円)でした。特集は「アフリカの南」で、この中に彼のアフリカ滞在日記「SOUTHER   AFRICAN DIARY」が載っています。

「アフリカのずーつと下 雲のない空 波のない川」と書かれた最初のページのアフリカ象のイラストに目を奪われました。大草原を行く象が、子供の絵のような無邪気さで描かれています。ページを捲ってゆくと、彼がジンバブエ、ボツワナで出会った人達のスケッチに出会います。これが、いいんですね。やわらかいクレパスのタッチで、アフリカらしい眩しさと、おだやかで滋味深い表情で描かれた人たち。中でも、丸太を削ってカヌーを作っている男性のポートレイトが好きです。

「WILDLIFE野生動物の教え」では、アフリカの動物たちのスケッチが、ペンでさらりと描かれています。この作家の作品は、特集だけで終わりでしたので、面白い作品集ないかなと探していたら、いいのがありました。

谷川俊太郎とコラボした「恐竜がいた」(スイッチパブリッシング/新刊1728円)です。真っ黒な表紙に、描かれた恐竜のユーモラスな姿だけで、この本、面白い!と思ってしまいます。

「ほりだされたほねから なんぜんまんねんまえのほねから すがたかたちをえがくことはできる でもきょうりゅうのこころはみえない かんじることがあったのだろうか かんがえることがあったのだろうか うまれたばかりのこどもをみて だまってかがやくほしぞらをみて それともにんげんだけのものなのだろうか かなしみもおそれもあこがれも」

という谷川の詩と共に、下田の恐竜が闊歩します。ユニークなのは、自作の恐竜の骨のかぶり物を冠って、作品とコラボし、同じ空間で戯れているところです。ユーモラスで、躍動感のある画面になっています。ラストページでは、始祖鳥と人間の大合唱が聞えてきそうな楽しさです。

木版作家山高登さんの、新潮社文芸編集者時代の聴き語りをまとめたのが「東京の編集者」(夏葉社2484円)です。

先ず、登場するのが、昭和30年代の街の姿や、人々の表情を捉えた、約30点の写真です。昭和の風景を、暖かい色合いで版画にしていた山高登さんは、その版画制作のために、東京の街を撮影していました。これが、いいんすね。浅草の賑わい、ハイソな丸の内の風景、建設中の東京タワー、まるでドヤ街のような渋谷等々、街の空気感、通り過ぎる風の匂いが漂ってきます。本文を読む前に、何度も見直しました。

この本を出した夏葉社の島田さんが、2016年夏に山高さんの自宅を訪ね、聞き書きした話は、生まれた頃に始まり、新潮社の編集者時代へ。村岡花子の「赤毛のアン」を新潮文庫で出版したのは彼の企画でした。そして、彼が担当した多くの文士が登場します。気難しくて誰も担当したがらなかった内田百閒を昭和35年から担当し、百閒が亡くなるまでお付き合いが続きました。最後に担当した「日没閉門」は百閒の葬儀の日に完成、本をお棺に納めて、すぐに出棺したエピソードと、その時の写真も収録されています。

様々な文士達との交流が、懐かしく描写されています。静かに時間の流れる部屋で、山高さんと島田さんがゆっくりと、文学や美術への深い愛情を込めて話をされている様が見えてきそうです。文学を愛する出版社代表にとっても、小説を読むことを愛する私たちにとっても、至福の時間です。本の中程に、山高さんが担当された本が数ページにわたって載っています。地味ながら、作者への愛情のこもったものばかりです。

山高さんは、一時、書票の制作をされていました。制作した書票は300種類程とか。その中の何点かを見ることができます。文明開化に湧く時代が色鮮やかに甦るモチーフです。

読んだら終わり、という本ではなく、側において、触れ、ページを眺めることで、さらに本への愛着が深まる一冊だと思います。

 

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「murmur magazine for men(マーマーマガジン・フォー・メン」第3号(972円)が入荷しました。特集は「中島正思想入門」。え?誰それ??

雑誌に紹介されているプロフィールによると、

1920年岐阜生まれ。学生時代、自然主義文学に傾倒。兵役で海外へ出向き、終戦を台湾で迎え帰国。1954年より自然循環型自給自足農業の一環として自然卵養鶏を開始。平飼いによる自然卵養の技術を確立します。自給自足の暮らしを実践しながら、農耕と自然を頼りとする暮らしの重要性を説いてきた思想家です。

マーマーマガジン編集長の服部みれいは、中島の著書「都市を滅ぼせ」で「脳天をかち割られるような読書体験だった」と書いています。都市の豊かさなんて、ほんとの豊かさではなかったことを痛感させられ、今こそ本気で「本当の豊かさ」を見つける時だと、その思いを実践するために、彼女自身美濃に移住しました。

中島は、人間を「不耕の民」と「直耕の民」に分け、都市の実体を明らかにしようとしました。「不耕の民」が集まる都市とは何なのか、究極の都市化がもたらす破壊、あるいは文明の崩壊を防ぐために「一人ひとりが直耕の民となり、自給自足の小農を営むこと。独立し農民=みの虫となること(都市と絶縁し、自給自足の暮らしに突入)。その暮らしの集積が、社会の変革をもたらしていく」と論じています。

日々、都市の便利さに慣れきっている私には、なかなか出来そうもないのですが、「みの虫」になるという意見には耳を傾けるべきです。本の中に、編集部が制作した「みの虫生活のためのAction Plann11」というチェックリストが付いていますので、一度トライしてみてください。

さて、「murmur magazine for men」の名物(?)座談会「ハゲと薄毛」では、森岡督行(森岡書店店主)、阿部直樹(天然素材・手仕事の衣服店「えみおわす」代表)、服部福太郎(マーマーマガジン)、服部みれいのおしゃべりがヒートアップしています。ハゲのことを、禿げている本人が語るというのはなかなか勇気のいることにちがいありません。若い頃に、ハゲていくことの恐怖と戦った話、涙ぐましい努力も語られるのですが、最後は、歳と共に落ち着くということのようです。髪の毛がないことを受け入れるんだ、という説は、なんでもそうだろうな、と思いました。自分には◯◯はない、ということを受け入れる、無い物ねだりはしない、それこそが楽に生きるコツだと。なかなか奥の深い(根の深い)、そしてかなり面白いハゲ談義は、これからも続きそうです。

 

延江浩著「愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家」(講談社1300円)。ユーミンの夫君で、稀代のアレンジャー松任谷正隆と、70年代から新たな音楽を作り出したミュージシャンの話だと思って読みはじめたのですが、これ、昭和の一時代を丸ごと捉えようとしたとんでもない本でした。

表紙を開けると、先ず松任谷家の家系図が書かれています。正隆の父親の兄弟の嫁として松任谷家にやってきたのが大藤尋子。彼女の祖父は頭山満。この名前を聞いて、「玄洋社」の事を思いだされたら、その方は現代史に詳しい。頭山満は日本の右翼運動の一大源流を作った男であり、戦前は英雄視されて心酔する者も多数いましたが、彼の作った玄洋社は敗戦後GHQによって抹殺させられました。

尋子は、祖父の家には、孫文、大杉栄、犬養毅、広田弘毅、岩波書店の岩波茂雄等々、主義思想に関わらず、そうそうたる面子がたむろしてたと語っています。また、頭を撫でてもらいながら「いかなる理不尽であろうとも、怒りは噛んで飲み下せ。そうすれば己の力に変わる。全ての憤りを己の滋養と心得よ、と諭されたことを覚えています。」とも。

そして、この本は一方で、新しく芽生えてきた日本のポップカルチャーに参加していったミュージシャンの交流を追いかけながら、頭山家と昭和の政治の流れを追いかけていきます。日本の戦後史、あるいは芸術に登場した多くの人々が登場してきます。もうそのまま、お正月にやっている10時間ドラマみたいです。(逆を云えば、掘り下げが足りない部分もあります)

25章「桜の国」では、頭山家と重信家とは交流があったことが書かれています。重信家は、元日本赤軍最高指導者、重信房子受刑者の家です。過激な暴力で世界革命蜂起を計画していた彼女の父、末夫と頭山満の子であった頭山秀三は、戦前の軍事クーデター、5・15事件の同士だったのです。様々な場所で、様々な人達が絡み合い、闘争を重ねて、時代が動いてゆく様を見ているようです。

一方、松任谷正隆と結婚したユーミンは、恐るべき才能で日本の音楽シーンを変えていきます。彼女の周りにも、やはり曲者が集まってきます。細野晴臣、松本隆らの「はっぴーえんど」組、加藤和彦、安井かずみそして「アルファレコード」創設者の村井邦彦。スマートで、お洒落で、クールなサウンドは、今日のJポっプの原点を作ったと言えます。

松本隆が所属していた事務所「風都市」にユーミンが立ち寄った時、彼女はこんな事を感じたそうです。

「事務所の窓から市ヶ谷の(自衛隊)駐屯地が見えたんですけど、すごくざわざわしていたのを覚えています。ちょうど三島(由紀夫)事件の直前か直後のどちらかで、あれも今振り返ると、とても70年代的な光景でしたね」

政治の季節は終わりをつげ、新しいカルチャーの始まりだったのかもしれません。その後の世代の私たちは、そんなカルチャーを浴びる程楽しんだのです。

 

住宅のもじゃ化(緑化)を推進する設計事務所「もじゃハウスプロダクツ」が作る、「House “n”Landscape」の最新4号がリリースされました。ちなみに「もじゃハウス」というのは、緑でもじゃもじゃした家のことです。

今回、初の海外取材?ということで、フィリピンのもじゃハウス一泊体験記が、大きな特集が組まれ、気合いの入った写真がたくさん掲載されています。

マニラ市内にお住まいのダニーロさんご一家。古民家付きの土地を買い上げ、増改築を重ねた家は、つる植物が巻き付くフェンス越しからは、家の外観は判別できません。まるで、森の中にある家、いや、家の中の森?とでも表現したらいいのでしょうか。3階の屋根を突き破って伸びるスターアップルの木の写真には驚かされます。

一年を通して常夏の国なので、こんなに緑があれば、蚊がワンサカと出てくるのでは、と恐怖に捉われますが、それほど被害はないとのこと。庭との仕切りの建具にはガラスが入っておらず、風が通り抜けて、極めて涼しいらしい。写真を眺めていると、晴れの日もいいけど、雨の日もいいだろうな、という気分にさせられます。

その後、取材班は、フィリピンから台湾に移動して、緑に覆われた家を探索。台湾には、本屋や図書館に行けば、「緑建設」というジャンル(エコロジーな建築と言う意味があるらしい)の棚があるぐらい、ポピュラーな存在になっているのだとか。もじゃハウスの干潟さんは、思わずここに事務所を構えたい、とつぶやきます。レトロなビルの屋上からだらりと伸びている植物は、まるでビルを侵蝕しているみたいです。次から次へと飛び出すもじゃ建築!

「もじゃハウス豊作状態の台湾!日本だと、もじゃもじゃ過ぎて近隣住民から距離を置かれそうなほどの植物たちとその主を、多くの方が抵抗なく受け入れていらっしゃるこの国は、まさにもじゃハウスにとってのユートピアです。」とコメントが書かれています。

で、もじゃハウスプロダクツが進めようとしている「みどりと共に生きる家」ってどんなん?という疑問に答えるべく、そのモデルプランが、今号の肝です。建物の上に植物が自生する大地を作ることが基本コンセプトで、都会にある20〜40坪のの四角い土地に立つミニマムなもじゃハウスを、具体的に図面で示しています。

眺望が良くて、庭が広くなきゃ植物と共に暮らせないなんてことはない。住まいの広さではなく、視点を変える事で、日々の暮らしに緑の楽しみを見つける。そんな家がこのプロジェクトの理想型です。

一例として、10坪のもじゃハウスの図面を提示しています。「読書好きのインドアな夫婦が2人で暮すには」という設定ですが、家の正面と奥、二階のベランダに木を植えることで、将来、家が緑が囲まれるというのです。読書に疲れた時、視線を見上げた時飛び込んでくる木は、目にも心にも優しそうです。まるで音楽が気持ちよく流れる空間みたいです。イギリスのトラッド系フォークか、アメリカのルーツミュージック系ロックか、チェロ主体のクラシックか、いや、レゲエもいいな〜と、勝手に想像してしまいました。

きっと幸せな空気が満ちた空間であることはまちがいありません。

 

★レティシア書房では「もじゃハウスプロダクツ」の展覧会を開催します。

『フレンドリー建築ショーin京都と題した、もじゃハウスと小嶋雄之建築事務所による建築展です。建築業界一匹狼系の二人が、どんな提案を展示されるかは、見てのお楽しみ!です。新築を考えている方も、全然その気がない方もお気軽にお越し下さい。

会期 5月10日(水)〜21日(日)レティシア書房にて

   (5月15日(月)は定休日です) 

おおよそ50号サイズの、正面を向いた牛(写真上)は、冨田美穂さんの木版画です。優しい瞳でこちらをみつめ、しっかりした足で立っている。揺るぎない確かなフォルム。力強く繊細な作品を見ていると、何というか、自分が今生きていることへの感謝というか、素直な気持ちになります。作家が、日々目の前にある仕事をこなし、大好きな牛を描き、生きている実感をもって出来上がった作品だからなのでしょうか。

この牛が搾乳された後のオッパイの作品も、横に並んでいます。我々が頂くお乳をしぼった後、ショボンとぶら下がっているオッパイの、体温を感じる肌色が美しい。京都の街などに住んでいると、牛を身近に感じる事はありません。小さな木版画の作品には、それぞれチャーミングな牛の表情がとらえられていて、驚きました。一頭ずつの肖像画のようで、牛への並々ならぬ愛情が感じられます。対象と真面目に向き合い、確かな技術力で、人の心に真っ直ぐに届く作品を作り続ける強さに、感動します。

冨田さんは武蔵野美術大学を卒業後、北海道へ渡り、酪農の仕事をしながら、牛の版画や絵画の制作をしています。レティシア書房で扱っていたミニプレス「シリエトクノート」の特集で、牛の等身大の木版画を見たときから、ぜひ実物を見たい!と思っていました。昨年1月個展をして頂いた、斜里町の絵本作家あかしのぶこさんのご紹介で、今回の運びとなりました。ひとのご縁が遠くから牛たちを届けてくれました。

冨田さんは、今年第20回岡本太郎現代芸術賞に入賞されました。4月に東京で作品展があったのですが、5月7日最終日には在廊してくださいます。木版画は、一部販売しています。

牛は、人間が肉を食べ乳を飲むために育てられます。冨田さんの木版画には、牛の耳についている「耳標」が描かれていますが、それは我々が頂く命の対する思いのようなものかな、とも思いました。そんな牛のことを書いた絵本「おかあさん牛からのおくりもの」(北海道新聞社1836円)も販売しています。ぜひ手に取ってご覧下さい。

優しい牛の顔を間近で、しかも本屋のギャラリーで毎日見られることができて、幸せ!です。(女房)

★冨田美穂「牛の木版画」展  4月25日(火)〜5月7日(日) 5月1日(月)定休日  最終日は19時まで

 

松岩達(文)、冨田美穂(絵)による「おかあさん牛からのおくりもの」(新刊・北海道新聞社1836円)が届きました。

当然ですが、日々口にしている牛乳、チーズ、バター等々は牛からの贈り物です。そんな牛たちを飼っている酪農家の毎日を追いかけた絵本です。牛をよく観察して描き込まれています。

この絵を担当した冨田美穂さんの個展が、来週火曜日から当店で始まります。東京生まれ、武蔵野美術大学卒業後、北海道に渡り酪農業に従事しながら、牛の木版画、絵画を制作されています。知床発のミニプレス「シリエトクノート」に掲載されていた作品に出会ったのをきっかけに、京都初の個展をしていただくことになりました。

リアルな牛の作品を制作されていて、右の作品展のような大きなものが特徴的です。こんな大きな作品、小さな本屋のギャラリーに飾れるの?と思いましたが、今回は、中サイズと小サイズの牛が並びます。

絵本では、反芻する牛とか、牛舎のお食事タイムとかに描かれている牛はリアルであり、また愛嬌たっぷりです。生まれてから、最後に屠殺場に送られるまでの牛と農場との生活が解りやすい文章で書かれています。小学校中学年以上に向けられて書かれた本ですが、大人にも読んでもらいたい内容です。

子牛は、生まれて14ヶ月程で、オッパイが大きくなり、発情期を迎えます。そうすると酪農場に人口授精師が来て、人工授精を行い、赤ちゃんを生ませます。そしてお乳が出ます。そのお乳を分けてもらっているのが私たちです。因みに酪農場にオス牛はいません。彼らは生まれた後、肉牛牧場に引越して、牛肉になるために育てられます。何度かの妊娠後、雌牛は、「おつかれさま」という言葉と共に解体牧場に運ばれていき、加工用の肉にされます。我々は、牛乳から、お肉まで牛にお世話になっているということです。

 

 

そんな牛について、冨田さんは、「初めて間近に見た牛は、とても大きくて。あたたかくて、ふわふわしていてとてもかわいいものでした」と語っています。そして、酪農家が大切に育て、獣医さん、授精師さん、工場の人達など多くの人が誇りを持って働いている姿をしってほしい。食卓に並ぶ肉や、牛乳のことを知ってほしい、とこの本ができました。

個展最終日の5月7日(日)には、知床から作家が来廊予定です。動物好き、北海道好きの方、彼女とお話してみてはいかかでしょうか。東京から北海道に住まいを移し、牛を見つめて暮らしている彼女のハートウォーミングな眼差し溢れる作品展に、ぜひお越しくださいませ。

★冨田美穂「牛の木版画展」 4月25日(火)〜5月7日(日) 月曜定休日

森岡書店店主が推薦する写真集をまとめた「写真集 誰かに贈りたくなる108冊」(河出書房コロナブックス1500円)は、ユニークな本です。

森岡さんが気になる人、平松洋子、大竹昭子、坂口恭平、辛酸なめこ、ピーコ、しまおまほ、など様々なジャンルで表現活動をしている人に、貴方にはこんな写真集がお薦めという切り口で、本と推薦した理由を書いた文章を添えています。

例えば、坂口恭平には、こんな文章でスタートします。

「海には『海の幸』があり、山には『山の幸』がありるように、都会には『都市の幸』があるという坂口さん。『都会の幸』という観点からすれば、路肩にすてられているゴミや、川面に漂う廃材は、一転して実り豊かな生活資源として立ち現れます。」

そんな都市の幸を巧みに生活に取り込み、小さなダンボールハウスに住まいする人達の豊かな想像力に共感する作家へ送る写真集はフィリップ・モリソン他による「POWERS OF TEN」です。その推薦理由は

「本書は、宇宙の果てから、物質の最小単位までを旅するように構成されていて、目には見えない世界の広がりを見るという意味で、やはり想像力が要になっているといえます」

また、ピーコに贈りたいという写真集は、資生堂初代社長にして、写真家だった福原信三が、1922年ヨーロッパ滞在中に撮影した「巴里とセイヌ」。

ガンを告知され、片目を摘出し、数年間死と向き合ったピーコの著書「片目を失って見えてきたもの」を読んだ森岡さんは

「作者の『人格・個性』が『写真芸術』の『内容』を作る、と強調していた福原信三の観点からすると『巴里とセイヌ』に写しこまれた写真の美しさと、『片目を失って見えてきたもの』でピーコさんの伝えたい人間の美しさは、同じ意味といってもよいと思うのです。」と書いています。

写真集を贈る側と贈られた側の思想、美意識をみることのできる一冊です。

筆者が自ら経営する書店のことを書いた「森岡書店のこと」も収録されています。オープンから今日までの、長いようで短い道程を読むことができます。ぜひ行きたい書店です。

 

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