可愛さだけでフェルト作品を想像すると、大火傷しますよ、この展示会は。

本日より、勝田真由「フェルト造形展」が始まりました。写真をご覧くだされば、わかりますが、もうストレート、直球勝負のフェルト展です。アメーバか、異星人か、まるで今にも動き出しそうです。目の前に立っていると、ガブリとやられそうな迫力です。フェルト作品=可愛いなんて思い込みは、一瞬にして吹っ飛びます。もちろん、小物のブローチには、可愛いものもありますが、「凄い」というのが、最初に来られた方の感想です。フリージャズや、ノイズ系のアバンギャルドロックをガンガンかけたい気分です。

初めて「エイリアン」のギーガーの原画を観た時のような驚きがここにはあります。18日まで展示、販売していますのでぜひお立ち寄りください。ブローチは1000円から、トレーは1800円から販売しています。もちろん大きな作品も販売します。お部屋に飾って、日々成長してゆくフェルトを眺めるというのは?最初ちょっと距離をおきそうですが、何故かこれに巻かれて眠りたいという欲望が出て来るところが不思議ですね。

フェルト展開始に伴い、絵本の棚が、ギャラリーサイドの平台に移動しました。チェコ絵本も同時に移動しました。人気の「ダーシェンカ」シリーズも2冊ございます。お早めににどうぞ。チェコ絵本の内容は近々詳細をアップいたしますが、内容をお知りになりたい方は、お気軽にお電話、メール下さい。

 

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エコしりとり。スタートはレイチェル・カーソンからスタートです。彼女といえば「沈黙の春」ですが、海にかかわりのある生き物が数多く登場する「潮風の下で」(宝島社)がお薦めです。文章が美しく、静かな海辺へと誘ってくれます。挿入されている魚や鳥の写真も味があります。先週当店のイベントで、ネイチャーガイドの安藤誠さんは、自然の見方を教えてくれた「センス・オブ・ワンダー」を推薦されていましたが、もちろんそちらもお薦めです。

自然の見方という点では、星野道夫の写真集(常に完璧在庫を目指します)、そしてエッセイも必須でした。最後のメッセージ、遺稿76編を集めた「長い旅の途上」(文藝春秋)は、何度読んでも素敵な本です。この本で、星野が、子どもの頃ドキュメンタリー映画「チコと鮫」を観て、太平洋に魅了され、北海道の自然へと導かれてゆくことも知りました。その星野がアラスカの曠野で、撮影のためひとりぼっちで過ごしていた時、読んでいたのが宮沢賢治でした。

宮沢賢治の本は、もう無限にありますので、ここでは一冊だけご紹介します。金子民雄「山と森の旅」(れんが書房新社)。彼の童話の舞台となった岩手の山々、そして大自然。その舞台へと連れて行ってくれる本です。著者自筆の挿画も気分を高めてくれます。この本を読んでいると、日本は山と森の国だったんだと痛感します。

森といえば、里山の発見者にして森林生態学の創始者。今西錦司らと登山して、京大探検部を作り、森林保護に邁進した四手井綱英の豪快な生涯を追っかけた森まゆみ「四手井綱英の90年」(晶文社)がお薦め。はんなりした京都弁で、森と関わって来た人生、そして、来るべき時代の自然との接し方を語ってくれます。同じ、学者でも哲学者、内山節の「里の在処」(新潮社)になると、里山の穏やかで、温かい暮しに流れる豊かな時間が描かれます。

そして、森とくれば、しり取りの最後を飾るのはソローの「森の生活」です。マサーチューセッツ出身。大学卒業後、生涯を通じて定職につかず、自費出版した処女作『コンコード川とメリマック川の一週間』(1849年)は、若くしてこの世を去った兄とのボート旅行をまとめた随想で、当時の社会には全く受け入れられませんでした。ウォールデン湖畔の森の中に丸太小屋を建て、自給自足の生活を2年2ヶ月間送り、その時の日々の暮しを記録したのが代表作『ウォールデン-森の生活』(1854年)です。大推薦ですが、スミマセン、今在庫がありません。がんばって探してきます。

その他、「京都北山 京女の森」とか「フィールドガイド大文字山」とか、地元の方には必読の本も準備中です。

という風な、しり取り書架?を建設中です(工事現場は児童書近辺)。工事中ご迷惑をおかけします。

 

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3月に開店して7ヶ月。

本屋の片方の壁面をギャラリーにしたところ、おかげさまで写真、アクリル画、水彩画、硝子など色々な作品展をさせていただくことができました。

この前の「ペーパークイリング」等、初めて知ったジャンルもありましたし、レコード展示は本屋の空間だからこそ実現したものでした。

幸い交通の便がよいところで(地下鉄烏丸御池下車、徒歩約7分)、それに2週間という期間は少し余裕があり、午後8時まで開けているのでお仕事帰りに立ち寄っていただけるようです。

 

今回初めて陶器を並べてもらいました。木のカウンターがそれに似合うだろうか、本屋の店でなじむのだろうかなど心配しましたが、高山氏のおかげであたたかな雰囲気の作陶展になりました。いつも夏に展覧会をする事が多いらしいのですが、秋の個展用に、土鍋やむっくりした感じの酒器、茶碗も新しく作ってもらえて、そして壁には秋の草花がきれいに入りました。

これまでも、一つ一つの作品展が勉強でしたが、また新しい展示ができてよかったです。

お世話になった作家の方々にこの場を借りてお礼申し上げます。これからもよろしくお願いいたします。(女房)

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秋恒例の、智恩寺での古書市。初日朝から行きました。お、前にはKさんご夫婦が、、私の後ろにはCさんが。遠くに見えるは善行堂さんか?

さて、各ブースを回り出して最初に目に止まったのが、二冊の吸血関連の本でした。一冊は角川選書「ドラキュラ伝説」、そしてもう一冊は種村季弘の「吸血鬼幻想」(河出文庫/初版)でした。吸血鬼かぁ〜。美女の首筋に食らいつくなんて、なんて幸せな男なんだろう〜とお寺の境内で、一時淫らな幻想にふけっておりました。淫らな幻想の原点は78年発表のヴェルナー・ヘルツォーク監督の「ノスフェラトゥ」。犠牲になるイザベル・アジャーニのドレスの肩の辺りで白い肌を露出していて、その肩を覆い隠すようにドラキュラ伯がマントで抱きしめる。羨ましい…….。

レイモンド・T・マクナリー&ラドゥ・フロレスク「ドラキュラ伝説」はトランシルヴァニアに15世紀実在したドラキュラ伯爵と、やはりこの地方に伝わる吸血鬼伝説、そして19世紀末にブラム・ストーカーが、巧みにこの二つを結びつけて、作り出した文学史上のドラキュラ伯爵を産み出すまでを追っかけた労作です。キリスト教が、反キリストの土着信仰打破のための宣伝、情報操作のためのドラキュラ伝説という単純なものではなく、恐ろしく複雑な要因が絡み合って産まれた吸血鬼=ドラキュラが一人歩きするまでが丹念に描かれています。

いっぽう、種村季弘の本は、「吸血鬼詩アンソロジー」、「吸血鬼の画廊」、「吸血鬼の眼、吸血鬼の言語」等この作家らしい、いかにもの章が並び、最後には吸血鬼文献、吸血映画一覧まで載っています。詩のアンソロジーでは、ノヴァーリスやハイネの詩の一部が抜粋されています。決して読みやすい文章ではありませんが、数多く挿入されている絵画、映画等の写真が悪魔的で、淫乱な情緒を盛り上げてくれます。髑髏姿の人物に抱きかかえられているハンス・B・グリーンの裸婦像「死と乙女」、エルンストの「慈善週間」などが、ざらついた紙面で後ろめたい欲情に火をつけます。お寺の古書市でいけないことですね。お部屋で、蠟燭の火だけを明かりにして、一人深夜にお読み頂くにはとても素敵な二冊です。

ところで吸血鬼映画って海外のものと思っていたら、日本にもいました。あの岸田森が演じていました。映画のタイトルは忘れましたが、何故か、ショートカットの女性ばかりを襲っていました。

 

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これは、俳優永井智雄(1914〜1991年)の本のタイトルです。舞台、映画を問わず、俳優の本はすべて面白いです。

永井智雄って言っても、ある年代以下の方はご存知ないかもしれません。同社大学卒業後、俳優座へ入団、その後、舞台、映画、TVで活躍した俳優です。1958年放送開始のNHKドラマ「事件記者」(このドラマを見て、NHK記者になったのが、ご存知池上彰氏とか)の相沢キャップ役で忘れられない役者ですが、私には社会派の映画で、架空の新聞社「毎朝新聞」キャップ役(いつも、毎朝というのが笑えます)でお馴染みの人でした。彼の「レポート俳優」では、そのタイトル通りに舞台役者としての日々がレポートされています。興味深いのは、60年安保、70年安保そして、時の首相佐藤総理の訪米を新劇人としてどう見ていたかが綴らていることです。1930年代に永井は治安維持法違反容疑で起訴され、拘置所で2年間を過ごした経験を持っています。この時代の舞台役者が政治と緊密な距離にあったことがわかります。

最近、大阪市長の逆鱗に触れて週刊誌連載の記事が中止になった、佐野眞一の「怪優伝ー三国連太郎」は、佐野らしい直球ど真ん中でぐいぐい押して来る役者伝です。面白いのは、三國が選んだ自分の出演作10作を鑑賞しながら対話した部分で、日本映画黄金時代のエネルギーが再現されています。転んだら真っ逆さまに海におちてしまう断崖絶壁でカメラを回した内田吐夢監督の鬼気迫る情念が作り出した「飢餓海峡」の話を読むと、もう一度この映画を観たくなります。また、勅使河原宏作品「利休」では秀吉に扮した山崎努が、セットで使用されていた600万円茶碗を本気で投げつけようとしていた事を取り上げて、こう話しています

役者から監督まで、みんな常軌を逸した人間ばっかりだったですよ

こういう激情吹き荒れる役者さんの本の一方で、笠智衆の「俳優になろうか」は、読んでいるとホッとさせてくれます。まるで、五月の穏やかな太陽に身体がポカポカされるような、ほんわかの一冊です。中に入っている笠さんの写真も、お人柄が良く出ていて、見ているだけで気分良くなる一冊です。文庫なので、通勤、通学の途中でパラパラめくってみるといいかも。三國の本がピリ辛中華料理とするなら、笠さんの本は、さしずめ温かい雑炊です。どちらも、食べたくなりますよね。

役者さんの本、いろいろ集めてます。こんな本あるよって、ご意見あればメール下さい。

 

 

 

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これ、青幻舎の新刊「松丸本舗主義」の帯の文句です。著者は松岡正剛。全ページ500項。松岡が挑んだ新しい書店の興亡が、スリリングです。

丸善書店グループ全店を仕切る関西人ダケヤマさんが「松丸書店という名前どうでっか」と切り出し、松岡氏が「それなら書店じゃなく、本舗でいきたい」と答えたところから、すべてが始まります。2009年、丸の内の丸善書店の中に、65坪程の「松丸本舗」を作るプロジェクトがスタートします。松岡氏サイドの条件はたった一つ。「三年間は好きにやらせてほしい」。全国有数の巨大書店チェーンならでこそ可能な企画ですが、売り上げトップの本丸的存在の店舗に、ショップ・イン・ショップを作って、オーナーサイドは一切口を出さないなんて、そう簡単に出来る事ではありません。しかも、松岡氏独自の編集工学という新しい思想の元で、スタートするとなれば、なおさらです。

棚作りの話は、とても刺激的です。文庫、文藝、生活という、よくある書店の棚作りなんて全く無視して、文脈を持った棚作りに着手する。これは、私も新刊書店員時代に挑戦しましたが、一言で言えば、読書欲を掻立てる棚ですね。一冊、一冊を関連づけ、次からつぎへと手に取らせて行く棚と言えばいいんでしょうか。しかし、これはかなり難しい。やり過ぎると独りよがりになるし、ある程度、読者より前を進まなければ飽きられるということを、日々行うのは大変です。自分の企画を自慢せずに、冷静に淡々と進めていかなければなりません。

松丸本舗構成案の中にこんな文章があります。

松丸本舗が来店者に与えるイメージとテイストは「深い、凄い、柔らかい、変」である。

これは、レティシア書房がやりたいことでもあります。我が店は、一応古書メインですが、貴重本やら初版本の在庫に重きを置いてません。また、古書に拘るつもりもありません。ミニプレスも、新刊本も、CDも扱って一つの宇宙を作ってゆく店です。少し幸せな気分になってお帰りいただくのが仕事です。そのためのギャラリーであり、本です。特に「柔らかい」店でありたいと思います。

話を戻します。このとんでもない企画で出発した松丸本舗が、多くの人の情熱を巻き込み、開花し、そして散って行くまでを店の写真を多様しながら、本と読者はどうあるべきか、という問いに挑戦して行く様は、もう大長編の小説並みです。(私もその途中でワクワクです)

地元京都の青幻舎は、美術、アート系に強い、私の好きな出版社です。そこがあえて出版した意欲を高く評価します。この内容で1890円は丸っぽお買い得です!本というものを溺愛する諸氏には必須の一冊です。

年末まで、正面棚でどかんと販売します。買いに来て下さい。

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パンク小僧やロリータ少女にメタル少年のたまり場だったレコードショップを、新京極のど真ん中でやっていた頃、イギリス出身のロッカーにエルビス・コステロという男がいた。新譜が出る度に、コステロフリークがキャーキャー言いながら店に来ました。しかし、私は好きになれなかった、いや毛嫌いしていた。

それがです。

悪名高き、サッチャー政権時代、イギリスのロックは革新的進歩をしています。反体制的という、今では死語同然の言葉が暴発し、ポピュラー音楽はその洗礼を受け、極めて危険なサウンドを聴かせてくれました。コステロもその一人でした。捻くれたボーカル、ぎすぎすしたギターで生み出されるサウンドは、心地よいロックではなく、ざらざらの荒くれた気分にさせるもので、風体もかっこ良くなく、貧弱だったこの男には、なんの魅力も感じませんでした。

それがですよ、一変しました。

アルバム「ノース」。いや〜参りましたね。もう、ジャケットから渋い。イギリスの下町。冬の風が吹き付けている、寂しい街角を、黒のコートに、フツーの黒めがねをかけたコステロが歩いて来る。格好良さとは程遠いジャケですが、中身はかっこ良すぎる。

少々蓄膿症気味のボーカルは健在ですが、その説得力に聞き惚れました。(いや、英語の意味なんてわかりませんよ)ライナーノーツを書いている大鷹俊一はこう言っている。「コステロのキャリア30年にして作った丸ごとのラブソングであり、誰もできなかったほど深く、幅広く音楽に挑んで来た彼だからこそ作ることができた世界」。その通りです。

昨今、かつてはロッカーとしてガンガンやっていた人たちが、スタンダードジャズを歌っていますが、どれも面白くありません。中には、もう歌うの止めはったら、どないでっか?と言いたくなるののあります。しかし、コステロは、スタンダードなんか、やりません。でも、どの曲も渋い大人のラブソングなんです。ジャズでも、ソウルでも、ましてやロックでもないけれど、素敵な音楽になっているのです。立派ですね。かつての音楽界の暴れん坊が、老いておとなしくなったのではなく、賞賛と非難と中傷と支持が交互に飛んで来る音楽業界で、ぶれもせずに自分の音楽を作ってきたからこそ出来たのでしょう。まぁ、この時期、彼はジャズシンガーのダイアナ・クラールと結婚したことの影響もあるのかもしれませんが。

ライナーノーツに入っているコステロのポートレイトを見ていると、へへ〜、おいら、まだやれるぜみたいな自信と、歩んで来た茨の道への誇りにみちた、大人な表情です。パンク、ニューウエーブ、そしてインディーズのバンド少年少女と共に育ち、やはり54年生まれの、同世代の時代を爆走してきたロッカーに再会して、お互い年をとりましたなぁ〜と微笑みあうことができるなんて、素晴らしい世界です。

 

 

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香川の島と陸をつなぐミニプレス「せとうち暮し」9号は美味しい!

特集は「島の台所」です。先ず、表紙をめくると、昭和40年代から50年代にかけての伊吹島でお昼ご飯を食べている女性達の写真が飛び込んできます。あっ〜、湯気が立っている!たった1枚の何気ない写真ですが、食事をする喜びと楽しさがバンバン伝わります。そして、こう書かれています。

瀬戸内の島々には、その島々ならではの味の記憶があります。 それは、島のお母さんたちが代々受け継いできた島で生きる知恵。

起きて、食べて、働き、眠る。一年365日、島の毎日を見守り続ける台所からは、どんな風景が見えるでしょう?

はい、人と自然が調和して、何も望まない生活が見えて来ます。(もちろん、あれが欲しい、これが欲しいという欲望はあるにせよ)

大将が獲ったタコで作る女将さんのタコ飯

香川県西部の塩飽諸島で、江戸時代から伝わる「茶粥」

いりこ島と呼ばれる伊吹島の味”ヨウショク”

どれも、食べたくなるものばかりです。昨今B級グルメの大会がお盛んですが、私はこちらの方を食べてみたいですね。そして、その後に続く特集が、島のお土産物。どれも、美味しそうなものばかりですが、「醤油サイダー」なんて飲んでみたいし、島で収穫されたジャムをトーストに塗ってみたいし、直島の塩で作ったおにぎりは、幾つでもお腹に入りそうです。

このミニプレスを出版しているのは、香川の小さな、小さな出版社ROOTS BOOKSです。けれど、「幸せに暮そうよ」というコンセプトのもと編集される紙面作りは、東京の大手出版社に負けません。そう言えば、もう十年程前に、食に関する出版社の集まりで、「食はすべて東京に集まるのよ」とかのたまわれたお美しい女性編集長がおられました。(その時は、お江戸の人はわかったはりまへんなぁ〜、と同じ在京の書店の方と頷き合ってましたが)あの方のお手元のこの雑誌をそっとお届けしたいものです。

我が店にはバックナンバーも揃えています。この本持って、瀬戸内巡りツァーなんて出来たら楽しいですよ。「せとうち島手帖」も付いて600円。安い!

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「小林信彦文筆生活50年記念出版×幻戯書房10周年」と帯に書かれた四編の中編を集めた一冊「四重奏」は面白い。

「面白い」という意味は多義に富んでいますが、ここではある時代の小説雑誌の裏側で蠢く男たちの心の闇の描き方が「面白い」という意味です。「ある時代」というのは、60年代。江戸川乱歩と共に新たに台頭してきた翻訳推理小説を掲載し、それが浸透してきた時代。

第一作目の「夙川事件ー谷崎潤一郎余聞ー」は、若き雑誌編集者が見た江戸川乱歩と谷崎潤一郎の奇妙な交差を描く。この中に初めて乱歩が谷崎に出会い、谷崎が猟奇小説を書いてみたいということを話す。そして、著者はこう書きます。

当時としても<猟奇小説>という言葉は決して良い響きを持っていない。むしろ、いかがわしく感じられるものだったが、「細雪」を書き上げた作家の口から出た時、乱歩にとって、それは格別の味わいであったろうと推測される

純文学ではなく、帯にある言葉を引用すれば「推理小説の軽視された時代」が見事に蘇ってきます。小林信彦の小説の神髄は暗い情熱に翻弄される人達の姿を冷静に描くところにあると思います。舞台がTVや映画の世界、出版界や広告といったマスコミの世界であっても、それは同じです。五木寛之も初期には、そんなマスコミものの短編を書いていましたが、あんなにスタイリッシュではなく、生身の人間の溜め息が聞こえてきそうなリアル感があります。それは、時代背景をきっちり描いてあることとも関係しています。例えば第三作目「墨の老人」では、日記、手帖でお馴染みの出版社、博文館が明治の後半、出版界をリードする存在だったのが、大正デモクラシーの時代に入って、中央公論社や改造社に読者を奪われ、今や大出版社となった、当時新興勢力だった講談社に押されて行く話が出てきます。この当時の出版界の動きも良く理解できます。

華やかさの微塵もない小説ばかりですが、同じ小説でも格下と蔑まれていた業界に生きる男たちの鬱屈した感情と、そして誇りが読み取れます、筆者は「あとがき」の最後をこう締めくくっています。

推理小説で直木賞を得られるようになったのは、1967年ごろからで、それ以前は推理小説は問題にもされなかった。ここに集められた小説の背景はそうした<推理小説の軽視された時代>とお考えいただきたい。

この世界の浮き沈みを見て来た著者にしか書けない一冊です。因みに1932年生まれの小林信彦は今年80才。

 

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自分のお葬式には、やぱり”I Shall Be Released “で送って欲しい。皆で”Any day Now,Any day Now,I Shall Be Released”で歌ってね。

ボブ・ディランのこの曲に出会ったのは、大学時代。真夏の暑い日、心斎橋の映画館で、ザ・バンドの解散ドキュメント映画「ラスト・ワルツ」を見た時です。アメリカンロックの土の香りのする音楽の洗礼を受け、この国への憧憬を深めて、大学をほったらかしにして渡米する一因を作った映画でした。この映画のラストで、主演者全員が歌い上げたナンバーがこの曲です。

卒業後、繁華街の隅っこの小さな輸入レコード店働いていた時、お店の相棒の金ちゃんと二人でこの曲について交わた会話です

「I Shall Be Releasedって何から解放されるん?」『そやんなぁ〜わからんな〜」

で、早速、今はもうない丸善書店へ出向き、片桐ユズル訳詞の「ボブ・ディラン全詩集」を買いました。蛇足ながら、この本を出版していたのが晶文社。この時から、新しい文化やアートを紹介してくれるこの出版社が好きになりました。

さてその意味は、

なんだって変わることができると人は言う/ どの道のりも近いわけではないと人は言う/そう オレはヤツらの顔を覚えている
オレをこんな境遇においやったヤツらのすべての顔を /おれの光が輝いてやって来るのが見える /西から東へと
いつの日か、いつの日かオレは自由になるんだ…

誰でも守られることが必要だと人は言う /だれでも堕落するものだと人は言う/でも断じて、おれにはおれの考え方がある
この壁のずっと上の高いどこかに/おれの光が輝いてやって来るのが見える /西から東へと/いつの日か、いつの日かオレは自由になるんだ…

この孤独な群集の中、/遠くのむこうに立っている男/そいつは自分は悪くないと叫んでいる/一日中、奴が大声で叫ぶのがきこえる
俺ははめられたんだと泣き叫んでる/おれの光が輝いてやって来るのが見える /西から東へと/いつの日か、いつの日かオレは自由になるんだ…

と漠然で、曖昧模糊の歌詞です。しかし、渡辺武信の「映画は存在する」(サンリオ出版1500円)の最後で、映画の魅惑から離れて、より過激な政治の世界へ加速し始めた、ジャン・ルック・ゴダールへの共感を残しつつも、「映画とは魅惑だと!と答えることによって、夢の中にとどまりつづけよう」という文章をひたすら信じていた若者(今も信じているが)に、「いつか自由になるんだ」と納得させた曲でした。まさに「ディランにはじまる」(浜野サトル著/晶文社800円)です。

その後、沢山の音楽に出会いました。けれど「ラストワルツ」のCDを聴いたり、DVDを見たりする度に、あのくそ暑い心斎橋の路上を、映画終了後、魂の抜けたように歩いていた(今なら、きっとかっぱらいの良い餌食です)姿を思いださせる体験はありません。

「Any day Now,Any day Now,I Shall Be Released/いつか自由になるんだ」と口ずさみながら死んで行けたら。素敵な事だと思います。

 

 

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