今週は映画館で、二本の映画を観ました。一本目が、昨日このブログに書いた「万引き家族」、そして今日ご紹介するのは「焼肉ドラゴン」です。どちらも、家族の姿を通して時代を描いた素晴らしい映画でした。

「焼肉ドラゴン」の舞台は、昭和40年代の大阪。伊丹飛行場の傍に在日朝鮮の人々が住んでいます。そこにある焼肉店「焼肉ドラゴン」の家族が主役です。高度経済成長に浮かれている時代の片隅へと映画は誘います。

この店は亭主・龍吉と妻・英順がやりくりしています。二人には静花、梨花、美花の三姉妹と一人息子・時生がいます。場末の焼肉店には、騒がしい客が出入りしていて、次女の梨花が、飲んべえの哲男と婚約するところから物語は始まります。

TV「寺内貫太郎一家」なみに、騒がしく、喧嘩も、笑いも絶えない店ですが、戦争に無理矢理徴兵され、故郷を追われ、その上に左腕をなくした龍吉、小さい時にある事件で足に傷を負った静花、学校で虐められている時生、梨花と静花の葛藤、美花の恋愛などそれぞれに抱えている問題が明らかになって来ます。さらに、この地域は不法占拠だと国から立ち退きが迫られます。在日朝鮮人の置かれた辛い現実がしっかり描かれています。

そんな中でも、龍吉は“たとえ昨日がどんなでも、明日はきっとえぇ日になる”と、いつもの口癖で空を見上げます。本音をとことんぶつけ合う家族。我が儘で、情けなくて、哀しくて、優しい、マァうるさい毎日です。でも、みんな一生懸命です。飛び交う言葉のひとつ、ひとつに生きる力が漲っています。

昭和45年。大阪万博が開かれました。夢と希望の未来を祝福するかのように開催された万博。月の石みたさに何時間もアメリカ館に並んだことを思い出しますが、この家族達も出掛けていきます。しかし、その一方で、一家離散の始まりの時でもありました。彼らは悩みながら自分に正直に、それぞれの道を探し出して別れていきます。もう、永遠に会えないかもわからない。でも、龍吉はいつもの口癖を言いながら、妻を大八車に乗せて、長年親しんできたこの地を去ってゆきます。龍吉を演じたキム・サンホ、妻を演じたイ・ジュウンの大きさ、優しさを見ているだけで、この映画は価値があります。もう、人生、どんとこいですよ。

作家の小川洋子は「互いの痛みを互いの痛みで癒し合うしかない家族。彼らがいとおしい。ひたすらに生きている、というただそれだけの理由で。」とこの映画について書いています。「ひたすら生きている」という言葉が胸にせまる傑作です。

関西人でもないのに、大阪弁で罵り合っていた大泉洋、真木よう子、井上真央、桜庭ななみ等、役者が揃い、泣きながらとても楽しませてもらいました。

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)

店内にて開催(月曜定休日)

Tagged with:
 

TVの情報番組で、有料のお台場花火大会の事を報道していました。なななんと、数万円の席もあり、ディナーを楽しみながら花火を見るというイベントです。ほぼ満席のように見えた会場には、それなりにリッチな若者や家族が一杯でした。日本の今の富裕層の一端がこれだとすると、是枝監督最新作「万引き家族」の主人公たちは、その真逆の貧困層の人達です。格差社会を象徴する物語です。

高層マンションに囲まれたような狭い土地に住む一家。祖母の年金と細々とアルバイトしながら生活する長女とその夫、性風俗店で働く次女、そして長女の子ども。長女の夫とその息子は、見事なコンビネーションで万引きを日々やっています。映画はそのシーンから始まります。「仕事」の帰り道、二人はDVを受けてアパートの廊下に放っておかれている女の子を、家に連れて帰ってきます。

清潔とは言いがたい、散らかし放題の狭い家に、さらに一人増えたことで、最初は不協和音が生じるのですが、やがて家族の一員として受け入れられます。身代金とか要求してないから、これは誘拐ではないという理屈で、表面上は、それなりに楽しい一家の生活はつづいていくのですが、この家族には、全員に秘密がありました。夏の海辺の一日、端から見ていると平和な一家団欒にしか見えない。ところが、祖母が急死したことから、影が覆い被さってきます。皆を支えて来た祖母にもあった秘密。それぞれに抱えて来た秘密が、家族を壊していきます。私たちが思い描く家族という概念が根底から崩れていきます。

居心地のいい映画ではありません。しかし、圧倒的なリアリティーで迫ってくる役者と、細部までリアリズムを追求した監督の演出、そして、ゴミ屋敷一歩手前の彼らの住まいを、見事に作り上げた美術スタッフの実力が、家族の有り様を問いかけてきます。

詩人の谷川俊太郎は映画のHPでこう表現しています。

「ヒトは身を寄せ合う、世間から外れても、法に触れても、いのちの自然に逆らわず、GDPなどどこ吹く風で。」

世間一般の家族という言葉から遠く離れていても、だからどうなんだと、太々しささえ漂ってきます。もちろん、彼らが幸せになるような結末ではありません。簡単には答えが出せない、と言っていると思いました。突っ放したような、それでいて愛しさの余韻の残るエンディングです。

カンヌ映画祭で大賞を受賞しただけの力のある映画です。

 

★レティシア書房「夏の一箱古本市」は、8月8日(水)〜19日(日)店内にて開催(月曜定休日)

Tagged with:
 

昨年7月の『震災で消えた小さな命展』に続いて「災害で消えた小さな命展」を開催いたします。絵本作家・劇作家の、うささんの呼びかけで、画家・イラストレーターが無償で描いた動物たちの絵(複製画)の展示です。

2011年東日本大震災では多くの人々が亡くなりました。ボランティアで現地に入ったうささんは、そこで、想像を絶するくらい多くの動物達が命を落としたことを知ります。そして飼い主さんから話を聞き取って、多くの画家たちが協力し、依頼を受けた動物達の絵を描きました。これらの絵は各地を巡回して最終的に飼主さんの手元に渡されるのですが、複製画を作り、今も全国各地で展覧会を実施して、声なき命をどうしたら救えるのかを訴えています。

2016年には熊本でも大きな地震が起きました。今回は熊本の地震で被災したペットの絵も何点か飾られています。東北の地震から何年経っても、飼っている動物と同行出来る避難場所が確保されることは少ないのが現状です。飼主の中には、動物の命を救えなかったことで、今も心に大きな傷を負っている人達がいます。ペットと一緒に避難出来ないから、避難所には行かずに彼らの傍で暮らし続けた飼主もいます。家族の一員である動物の命を救うことは、人を救うことにもなるということを、ぜひ知って頂きたいと思います。

「3匹は親子でいつも一緒に留守番してました。震災時車で助けたのですが、津波で、3匹亡くなりました。ハーブとテールは車の中で見つけましたが、ココは見つかりませんでした。亡くなった時3匹バラバラになってしまったので一緒に描いてもらえるとありがたいです。」(石巻市ハーブ・テール・ココちゃん ・写真右)という、飼主さんの依頼の手紙が添えられている絵もあります。一人一人、一匹一匹、のエピソードがそれぞれ書かれていますので、ゆっくりご覧いただければと思います。

東日本大震災で、流されて亡くなったおかあさんと犬の絵本「ぼくは海になった」(1400円/作・絵 うさ)を、期間中販売しておりますので、手に取ってみてください。ポストカード(150円)・クリアファイル(300円)なども販売しています。この展覧会は、すべて各地のボランティアで進められていますので、売上げは「命展」の運営資金に使われるということです。つい先月には、大阪で大きな地震がありました。犬猫を飼っている身としては、災害時の避難をどうするかは他人事ではありません。この展覧会が、人と動物の命を考えるきっかけになれば幸いです。(女房)

 

★「災害で消えた小さな命展(複製画展)」は、 7月4日(水)〜15日(日)12時〜20時(最終日は18時まで)月曜 定休日

 

7月10日(火)〜12日(木)、京都府民ホールアルティ(上京区烏丸とおり一条下がる)にて

うささんが代表をつとめる劇団Sol.星の花による「Voice in the Wind その声がきこえますか」が上演されます。お問い合わせは劇団Sol.星の花京都公演実行委員会まで。

 

 

山形県、置賜(おきたま)地方で、、開催されたブックフェス「Book!Book!Okitama」。そのイベント関係者のお薦めの一冊や、ゲスト参加した高橋みどり、甲斐みのり、永江朗等のエッセイを収録したミニプレス「ndanda!(んだ・んだ)2」(750円)を入荷しました。

「Book!Book!Okitama」で開催された一箱古本市に、出店した方々が選ぶ「わのおすすめ、この一冊」が、面白いです。岡崎武「古本道入門」みたいな、いかにも古本好きならではのセレクトもありますが、ウンベルト・エーコ&ジャン=クロード・カリエール「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」という、本屋がドキリとする本も登場します。この本を推薦された装丁家は、日本語装幀が素晴らしいと書かれていますが、私も手に取った時にそれは感じました。

さすがだと思ったのが、南陀楼綾繁さんがお薦めの「山熊田」という写真集。山熊田は、新潟県村上市の地区名で、マタギの村。写真集は、ここで暮す人達を撮っています。以前に写真集を手に取った時、その迫力に驚かされました。東日本大震災時の地元新聞社の人々の悪戦苦闘を伝える「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙」が登場するのは、東北ならではです。

後半、置賜に住む人達のこの一冊というコーナーがあって、景山民夫「遠い国からきたCOO」を推薦されている方がいました。自然破壊の問題、人と動物のコミュニケーションなどのテーマに挑んだ海洋冒険ファンタジーで、感動しました。小説の面白さをよくわかっていた作家だったと思います。

今年も、9月22日から10月7日の16日間にわたって、このイベントが開催されます。なんだかとても、楽しそうなブックイベントです。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

★夏の一箱古本市8月8日(水)〜19日(日)まで店内にて開催

阿久津隆著「読書の日記」(NUMABOOKS2700円)は、5cm以上の厚さで、全1100ページにも及ぶ圧巻の読書日記です。著者の阿久津隆さんは、1985年、栃木生まれ。2014年東京に「fuzukue」をオープンさせました。このお店は、ゆっくりと本が読めて、コーヒーも食事もお酒もOKの店です。レティシア書房ご近所にある「月と六ペンス」的なお店です。

 

 

「あまりに暇で悲しくなっていった。どうやって生きてゆくのだろう。いや大丈夫だへらへらとニコニコと生きていくだけだなんの心配もいらない。たいしたことではない。」

等といった、閑散としたお店の状態がチラリ、ホラリと入ってきます。かと思えば、「野球。戦力外通告の記事が出始めた。」などというプロ野球の話がヒョイと登場する。著者はどうやら日本ハムのファンみたいです。

この分厚い本、実は全部読んでいません。けれども、拾い読みしているだけで結構面白い。のっけに、フォークナーの「八月の光」が登場します。禁酒法時代の南部アメリカを舞台にした重厚な物語かぁ〜、ちょっと私にはしんどいな、と思って早速飛ばしてみたり。

私にも納得の一冊も登場します。木村俊介著「善き書店員」(ミシマ社1944円)です。著者が、何人かの書店員の話をじっくり聞いた本ですが、その中で、広島のある書店員が、品揃えも大事だけれも、接客がさらに大事という話をされています。ちょっとした親切、微笑みで、少しの間でも救われる人がいるという話だったと思います。私も、阿久津さんの言葉通り「とてもふしぶしにぐっときて、最後ではっとした。」記憶があります。

本のこと、店のこと、日々の暮らしのことが、ぎっしりと詰まっている日記です。書評集というよりは、一人の本好きな青年が、何に刺激され、何を思ったのかが克明に記録されています。阿久津さんは映画も好きで、ジム・ジャームッシュ監督作品「パターソン」を取り上げて、「見ている間、とても幸福だった」と書いています。その気持ち、よく解るなぁ〜。

武田百合子「富士日記」を読んでいた時のこと。「食事の記述をさかのぼっていろいろ見ていたら、書いてあったかどうかは忘れたが納豆を食べたくなった、というか翌朝に納豆を食べることがたても楽しみな予定になった。」と書かれています。

 小さな幸福感が、とてもよく伝わってきます。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

★夏の一箱古本市8月8日(水)〜19日(日)まで店内にて開催

 

 

 

どうしようもない迷路で、自分を見失った時や、あまりの自分の未熟さに茫然とする時、何気なく開いた本にある言葉や、文章に支えられることがあります。いかにも「人生応援歌」っぽい本の、上滑りの言葉ならきっと永く残ることはありません。

「わたしは女です。天の半分を支えています。わたしは女です。大地の半分はわたしが養っています。わたしは女です。虹がわたしの肩に触れています。宇宙がわたしの目を取り巻いています。」

これは、ネイティブ・アメリカンの言葉を集めたナンシー・ウッドの「今日は死ぬのにもってこいの日」(メルクマール/古書850円)の中にある一節です。「わたしは女です」。大地にすっくと立っている姿が浮かび上がってきますね。「大地の半分はわたしが養っています。」その自信と覚悟。ぐっと前を見つめる眼差しが、心に刺さります。

ちょっと前に、ネイティブ・アメリカンの言葉をイージーに集めた”癒し系”の本が一斉に出た時期がありましたが、そのきっかけを作ったのが、この本です。凡庸な寄せ集め本とは異なり、この本には、荒涼たる大地に生き、大きな宇宙の流れに身を置いて来た彼らの哲学が色濃く反映されています。だから、読んでも分からない部分もあるけど、その時の自分の心の有り様で、ストレートに響いてくる言葉も沢山あります。

もう一人ご紹介します。「路地の奥で生まれて、そだった」詩人は、路地に生きる様々な人達を見つめながら、路地のおしえをこう言います。

「ひとはひとに言えない秘密を、どこかに抱いて暮らしている。それはたいした秘密ではないかもしれない。秘密というよりは、傷つけられた夢というほうが、正しいかもしれない。けれども、秘密を秘密としてもつことで、ひとは暮らしを明るくこらえる力を、そこから抽きだしてくるのだ。」

日々の暮らしを、一歩前に押し出すのは「言えない秘密」だと詩人は語ります。「どんなちいさな路地にさえ、路地のたたずまいには、ひとの暮らしのもつ明るい闇が、そこにある。」

「明るい闇」って素敵な言葉です。

これは、長田弘「記憶のつくり方」(晶文社/古書1100円)に収録されている「路地の奥」の一部です。この詩人は、ローマ皇帝マルクス・アウレーリウスの著書「自省録」にあるこんな文章を愛しています。

「そう考えない自由が私にあるのだ」

深い言葉です。付和雷同的に、みんなが一つ意見に賛同する危険がある時、そんなふうに考えない自由を、貴方も私も持っていることを、心に刻んでおきたいものです。

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

★夏の一箱古本市8月8日(水)〜19日(日)まで店内にて開催


 

「爪と目」で第149回芥川賞を受賞した、京都生まれの藤野可織の短篇集を幾つか読みました。

「狼が訪ねてきたのは五歳のときで、両親とともに郊外のマンションに引っ越した日のことだ。」で始まる「狼」(古書・「ファイナルガール」角川文庫/300円に収録)は、「赤ずきん」や「三匹の子豚」がベースにある物語です。

マンションに引っ越して来た自分を、狼が食べに来ると思いこんでいる少年の前に、狼がやってきます。ロックされたドア越しに対峙する二人。危機一髪の時、外出から帰ってきた両親が、持っていた瓶やら、何やらで狼を殴り殺します。そして45リットルのゴミ袋にその死骸を入れて共同のゴミ捨て場に持っていきます。そこに狼がいたこと、殺した事などなかったように日常が戻ります。やがて、成人した少年は、恋人と新居に移ります。そこに、再び狼がやってきます。襲われる寸前、彼女は手の持っていたラックのポールで、狼の顎を割り、のけぞったところを、めった打ちにして殺します。そして、やはりゴミ袋に入れて、ゴミ収集ボックスに捨ててくるというお話です。

ゴミ袋に狼を入れてしまうという描写が、極めてリアルです。それに比べて、何の疑いもなく狼を殺してしまう両親や、彼女の存在はかなり非現実的です。

現実と非現実の絶妙のバランスで進行してゆくという点では、藤野の「おはなしして子ちゃん」(古書・講談社/650円)も見逃せません。主人公は小学校に通う女の子です。学校の理科準備室には、ホルマリン漬けの瓶が一杯ありました。その中に猿がいました。

「猿は膝を揺ゆるく曲げ、背を瓶の側面につけ、中腰のような、空気椅子に坐っているような恰好でじっとしていました。」

その猿と女の子の、不思議な物語が展開していきます。瓶の中でひとりぼっちの猿は、さみしくて、さみしくて仕方ありません。だから、女の子に、いろんなお話をしてと求めてきます。彼女が持っているお話すべてを語り終えても、もっと、もっと、と求めてきます。そして、遂に瓶から飛び出し、空腹のあまり、彼女を食べようと襲いかかります。しかし猿は、「ぴょんと跳ぶたびにぺちゃ、と音が響くのです。それは、皮膚組織が子猿から剥がれ落ちる音でした。つまり、体のほうぼうでずる剥けになった皮膚が、ホルムアルデヒト水溶液の水たまりに落下する音でした」という状態です。やがて、死に絶えた猿を少女は長時間抱きしめて、物語は終わりへと向います。

舞台となる小学校の雰囲気や、現実感のある生徒の感情の間に、ホルマリン漬けの猿が動き出すという、非現実が挟み込まれています。可愛らしさ、グロテスク、ファンタジーがごちゃ混ぜになりながら進行する文体や世界観は、生理的に付き合いきれない人もいるかもしれませんが、べったりと付きまとう不気味さを描いていて面白いです。私はこの作家の小説を初めて読みましたが、かなり好みです。

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

★夏の一箱古本市8月8日(水)〜19日(日)まで店内にて開催

 

写真家、富士元寿彦の「原野の鷲鷹 北海道・サロベツに舞う」(北海道新聞社/絶版2900円)が入荷しました。表紙から、勇壮な姿で飛ぶオジロワシの写真です。堂々たる風格ですが、若いオジロワシが、「われ、こんなとこで何しとんのや」(関西弁?)とタンチョウに攻撃されて逃げてゆく写真もあります。

この写真集は、「原野の勇者たち1」として、オジロワシ、オオワシ、シロハヤブサなど6種類が、「原野の勇者たち2」で、オオタカ、クマタカ、ハヤブサなど10種類がそれぞれ紹介されています。北海道内の猛禽類の生息地としては、知床などの道北地方が有名ですが、日本海に面したサロベツ原野でも、多種類のワシタカを見ることができるのです。

勇猛果敢という点では、オジロワシが最たる存在でしょう。猛吹雪の中、餌を巡る小競り合いを捉えた写真は、その特徴を良く捉えています。しかし、歩く姿は、なんとも滑稽です。ステテコはいたおっさんが、いばり顔で町内を歩いているみたいで、笑えます。このオジロワシより、さらに大きなオオワシは王者という言葉がピッタリです。でも、流木の上で、10羽ほどのオオワシが、おしくらまんじゅうをするように並んでいる姿は、なんとも微笑ましいです。

威風堂々たるオジロワシが、湖上をぐるりと旋回したところを見た経験がありますが、もうかっこいい!としか言いようがありませんでした。オオワシは冬にやってきて、夏には日本を離れます。しかし、オジロワシの方は、留鳥として、夏も見ることができます。夏休み、北海道に行かれる方は、ぜひ大空を舞うオジロワシの姿を探してみてはいかがでしょうか。

精悍で美しいのは、極北の地から北海道に渡来するシロハヤブサ。猛スピードで狙った獲物に襲いかかる姿を、写真家は「白くて太い矢が飛んでゆくようだ。」と形容しています。海上で、急降下してカモメを捕まえることもあるようです。ただ、渡ってくる量が少ないので、なかなか見ることの出来ない珍鳥だそうです。

「ワシタカ撮影日記」というコラムの中で、写真家は写りのいいオオワシよりも、地味なオジロワシが好きだと言ってこう結びます。

「いくら見ていても飽きない何かがある。私が作った格言めいたセリフで言うならば『桜とオジロワシは日本人の心だ』ということになるのだが、残念なことに未だ誰にも理解してもらったことがない。」

桜とオジロワシか………。 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

★夏の一箱古本市8月8日(水)〜19日(日)まで店内にて開催

大学生の頃だったと思います。一本の不思議な映画を観ました。「泳ぐ人」(1969年)という作品です。バート・ランカスター演じる主人公は、アッパーミドル階級らしい人物です。

ある夏の日、彼は友人宅のプールで泳いだ時に、このあたりの自宅にプールを所有している友人たちの家に次々寄って、一泳ぎしながら、自宅に帰ろうと思いつきます。あちこちでそれなりの歓待を受けたり、柔らかい太陽の元で行われているカクテル・パーティで一杯御馳走になったりと、アッパークラスの余裕の休日を過ごして、自宅に戻ってきます。映画の中では、終始主人公は、スイムパンツ一丁の姿。家に戻れば、綺麗な奥様と、美しい娘たちが出迎えるのだろう、と想像したりしますが、実はそうではありません。プールを渡り歩くうちに、なんとなく不穏な空気は漂ってきてはいたのですが、家には鍵がかかっており、妻も娘もいません。静まりかえった家の中、彼のノックの音だけが響きます。そこヘ雨。素肌に降りそそぐ雨。泣き崩れる男、そこで、映画は終わります。なんと、暗い、でも強烈な印象を残す映画でした。

柴田元幸編集による雑誌「MONKEY」(古書/800円)が、短篇小説の名手、ジョン・チーヴァーの作品を村上春樹訳で読ませる特集号を出しました。その中に、今ご紹介した「泳ぐ人」が入っていました。映画はほぼ、原作に忠実でした。原作のラストはこうです。

「家には鍵がかかっていた。馬鹿な料理人なりメイドなりが、間違えて鍵をかけてしまったのだろうと彼は思った。でも、やがて、もうしばらくメイドも料理人も雇っていなかったことを思い出した。彼は叫び、ドアをどんどん叩き、肩を打ちつけてドアを開けようとした。それから窓の中を覗き込み、家のなかがからっぽであることを知った。」

村上春樹によると、ジョン・チーヴァーは、「中産階級、郊外、東海岸、特にニューヨークの北のほうのコミュニティーのあり方をずっと書いている。」のです。この号には、数編、チーヴァーの短編が掲載されていますが、確かに描き出される世界は、その通りです。

とある夫婦が購入した大きなラジオから、日々不思議な声が聞えてくる「巨大なラジオ」にも、「泳ぐ人」にも、リアルに描かれた日常生活のその先に、リアリズムを逸脱して、深くて暗い闇がこちらを伺っているところが、チーヴァーの魅力かもしれません。

「泳ぐ人」はDVD化されています。原作を読んでから、是非一度ご鑑賞を。ぞっとするような孤独感が、押し寄せてきます。

 

★連休のお知らせ 7月2日(月)、3日(火)

「京都でハモ、それがどないしてん」という、京都人への挑戦的フレーズの「飲み食い世界一の大阪」(ミシマ社1728円)でお馴染みの、江弘毅の新作「大阪弁ブンガク論」(ミシマ社1836円)は、ボケツッコミ満載で、笑いころげる文学論です。

生まれも育ちも岸和田の著者は、「社会的属性や世代も違う人々が普通に混じっているので、自然とコミュニケーション力が磨かれる。その際に中心となる『言語運用』は、小学校で習う国語だけでは『通用』しない。」といいます。

中学時代はおもしろいことを言うことが勝者であり、「おもろく表現する」ことが、他人を説得させる手段。国語の先生でさえ、宮沢賢治の詩を泉州弁で朗読し、英語の先生は大阪弁のイントネーションでした。

この本の中で、独特のエネルギーを持つ大阪弁を駆使した小説を取り上げて、その魅力を分析していきます。昨今、西加奈子、朝井まて、黒川博行といった関西の言葉で構成された小説が連発されています。著者は「彼らの書く登場人物の大阪弁〜関西語コミュニケーションの技法こそ、その魅力にほかならない」とし、先ず黒川博行の小説を取り上げています。

私も黒川の大ファンで、ほぼ読んでます。「よっしゃ、あのガキ、いてもたる」という、お下劣なセリフバンバンのヤクザもんや、上方漫才を聞いているような会話の刑事たちが活躍するサスペンスものなど、新刊台に出たら購入してしまいます。「後妻業」や「疫病神」が映画化されていますので、ご存知の方も多いと思います。ヤクザはヤクザの、デカはデカの、生活に相応しい言葉を巧みに使い分けているとことが、黒川作品の特質だと著者は指摘しています。言葉がリアルで、ノンフィクションであることが面白さを生むのです。その辺りを理解せずに、関西弁を使った上っ面だけの物語は、関西人から言わせてもらうと「おもんないわ、これ」になってしまいます。

直木賞受賞作品「破門」に、主人公二人の極道のこんな会話があります。

「たたでは済まんやろ。指飛ばして詫びいれんとな」「へ、おまえの指なんぞ、犬の餌にもならんわ」「そうかい、おどれの指はどうなんや。尻の穴もほじれんど」「おもろいのう、おまえ」

リズム良く、ポンポンと飛び交います。

黒川は、編集者に大阪が舞台でもいいから、東京弁の小説を書いてくれと言われた時、「なんちゅう安易な発想やと思いました。もちろん本の大半が首都圏で売れるというのは知っていましたが、大阪に住んでる人間がそんな言葉を喋るわけがない。そんな小説は書けません。」と拒否したそうです。エライ!!

その土地やそれぞれの社会集団に根付いた言葉で、そこに生きている人達が動いてこそ、物語は息づいてくるのですね。

本書は、谷崎潤一郎、町田康、山崎豊子等が登場します。どれも、これも独自の視点で論じていて、面白さ120%なのですが、これ以上書くとキリがありません。ぜひ、ご一読をお勧めします。

★連休のお知らせ 7月2日(月)3日(火)