本日はCDのご紹介。滋賀県在住のカウンターテナーの中嶋俊晴さんの「私の好きな日々」(2750円)です。

カウンターテナーとは、クラシック音楽で男性がファルセットボイスで、女声パートに相当する音域を歌う人のことです。中嶋さんは、カウンターテナーとして活躍されている現役のシンガーです。今回のアルバムはクラシックを離れて、作詞・谷川俊太郎、作曲・武満徹のコンビを中心に、谷川賢作の曲など。清少納言作詞?上田知華作曲のナンバーもあります。「枕草子」の現代語訳に曲をつけたものです。

「心のままに歌いたいと選んだ作品たちは、結果的に僕自身の心を癒し、励ましてくれました。これまで当たり前のようにあった日常がどれだけ有り難く、尊いものであったか…….。そのことを僕に教えてくれた心温まる作品たちを、多くの方と共有できたら嬉しく思います。」

と中嶋さんは、CDの宣伝ポップに書かれています。どこまで澄み切った歌声と、その声にそっと寄り添うようなピアノとギターの美しい音色が見事にマッチして、リスナーを優しい眠りに誘ってくれます。春の宵、彼の音楽を聴きながら、いつか戻って来てくれる平凡な日々を夢見たいものです。

そして、本アルバムのラストを飾るのは、私の大好きな「満月の夕」です。日本のロックバンド、ソウルフラワーユニオンが神戸の震災の時に歌っていた曲で、多くのミュージシャンがカバーしています。後半、沖縄音楽のメロディが入ってくるのですが、そこを中嶋さんは無理に沖縄風にすることなく、鎮魂の歌として歌っています。何度聴いても、心に染みる名曲です。

 

こんなおじさんとは、ナザレ生まれのパレスチナ人監督エリア・スレイマンの新作「天国にちがいない」の主人公です。

不思議な味わいのある映画でした。監督自身が主演して、このおじさんを演じるのですが、ほとんど口を開きません。会話に障害がある訳ではないのですが、他の登場人物は普通に喋るのに、なぜか彼だけが喋りません。ちょっとはにかんだような、困ったような、微笑んでいるような視線でこちらを見ているのです。

おじさんがどんな人物なのか全くわかりません。え?そんな映画退屈じゃないの?と思いきや、彼が見つめるパレスチナの街角や、旅するパリ、NYの街並みに立っている姿を見ていると、不思議に心地よい感じになってきます。穏やかな春風を受けて、鶯の鳴き声なんかを聞いている時の穏やかさと似ているような。

で、このおじさんは何をしているかというと、実は映画監督なのです。だから、監督自身が新作の資金集めにパリ、NYの映画会社に赴くというのがストーリーなのです。でも、そんなことよりも、彼が見る風景を私たちが楽しめることが、この映画の面白さです。

スレイマン監督は現代のチャップリンと評価されているようですが、こんなシーンがありました。監督がPCで作業をしている時、窓から小鳥が入ってきて、彼の邪魔をします。それを何度か、遠ざけようとするのですが、何度やっても鳥はPC に乗ってきます。その繰り返しが、チャップリンのコメディーを思い出させました。なんともユーモアがあっていいのです。

資金が得られなくて故郷に戻ってきた彼が、クラブで踊り狂う若者たちを見つめるところで映画は終わります。まぁ、いいか、なんとかなるか〜、でもちょっとどこか寂しげな顔つきが、心に残る映画でした。

 

 

 

 

 

シンガー&ソングライターの矢野顕子って、こんなに宇宙好きだったのか。「宇宙に行くことは地球を知ること」(光文社新書/古書650円)を読んで分かりました。

対談の相手は、スペースX社の新型宇宙船クールドラゴンで宇宙へ飛びだす予定の野口聡一です。宇宙滞在日数177日を誇る宇宙飛行士。NASAの宇宙に関する情報を、細かくチェックしてツイッターで発信しているほどの矢野にとっては、待ってました!の対談です。「わたしはうんと歳をとってから宇宙に強い興味を持った。大人だって、特に大人の女性だって宇宙が知りたい」という彼女は、質問やら意見をどんどん言って、野口との対話を深めていきます。

野口は船外活動に出る瞬間をこう表現しています。

「エアロックで空気を抜いていくにつれて、最初はシューシューと聞こえていた音が徐々に小さくなってきます。ゼロ気圧になるとほとんど音は聞こえません。危険な領域に入ったことが本能的に分かります。不気味なほどの寒さと静けさ、増してゆく緊張感。エアロックの中は、もはや宇宙です。」

そして、船外へ。400キロメートル下の地球がみえます。その時彼が感じたのは、「地球に落っこちそう!」という恐怖でした。

そんな空間で対峙する地球が放つ眩しさに圧倒されながら、彼は死の世界にいることを感じていました。「宇宙空間に出た途端、『ここは生き物の存在を許さない世界である』『何かあったら死しかない』ことが、理屈抜きにわかります。」

宇宙服の指の先に死の世界がある。それに対して、矢野は「絶対的な孤独こそ、宇宙へ出たものものだけが味わう特権なのかもしれません。」と答えています。

この対談には難しい言葉や、宇宙物理学の理論などは全く登場しません。でも、ミーハーちっくにもならず、SF映画的展開にもならずに進んでゆくのは、この二人のパーソナリティーに拠るところが大きいと思います。きちんとした哲学を備えた二人だからこそできた対談です。

「宇宙空間の黒は『何もない黒』なんです。それは光の反射ではありません。行った光が永遠に戻ってこない。吸い込まれてしまうような黒。『漆黒』というと色のようですが、色ではない。『絶対的な闇」といったらいいでしょうか」

という野口の表現がとても印象に残りました。

 

能楽師、安田登さんの「野の古典」(紀伊国屋書店/古書1400円)は約400ページの分厚い本ですが、サクサクと読むことができ、へぇ、古典ってこんなに面白いんだと再確認させてもらった一冊です。古典と聞いただけで、大嫌い!という声が返ってきそうですが、著者に言わせると

「中学生や高校生が目にする古典は、何度も何度も検閲の網を潜った、刺激の少ない、毒にも薬にもならないものです。目黒のサンマです。そりゃあ、面白くないのは当たり前です。」

だからこの本では、「毒がいっぱい、薬もいっぱい。不思議な神秘現象もあるし、魔物だって登場する。この世のことも、あの世のこともなんでもある。ちょっと危険な美的世界も描かれる。」そんな古典を紹介しているのです。

確かに「東海道中膝栗毛」など、現代語では書けないぐらい卑猥で、下品なもので、オリジナルの言葉で読むのがベストでしょう。

本書では、「古事記」「万葉集」「論語」「伊勢物語」「源氏物語」「平家物語」「奥の細道」など、ザ・古典というものがたくさん紹介されています。難しそう、なんて引かないで読んでみてください。できれば音読で読むよう著者も勧めていますが、なかなかいいです。ふぅ〜んそうだったのかと思うようなエピソードも、全体に散りばめられています。

各章の終わりには、原本で読むならこれを、という読書案内が付いています。なんとここで紹介されている古典は、ほぼ文庫で読めるんですよ。「それにしても、これだけ多くの古典が入手し易い形で、しかも原文付きで書店に並んでいる国というのは、実はとても珍しいのです。」だそうです。

もちろん、本業の能についても書かれていますが、「能そのものに眠くなるような仕掛けがある」と、最初にあります。確かに、能舞台をみていると眠くなることがあります。「能は眠りの芸術です。」とまで言われているので、ちょっと安心しました。

「半分起きて半分寝ている半覚半睡の意識状態になると、通常受け入れられないような不思議なことも受け入れられるようになり、それによって幻影を見ることすらできるようになります。夢と現のあわいで遊びながら『妄想力』を全開させるーそれが能なのです。」

とにかくめっぽう面白い古典案内です。様々な形で伝承されている浦島太郎伝説が、実は極めてアダルト的小説だということ。これを読んだ平安貴族の脳裏には、浦島と乙姫の激しい性行為の姿が浮かんだのは間違いなかったはずで、ポルノ目的の物語でした。ところが明治期に、子供には読ませられないとアダルトシーンを全てカットして残したという事実も初めて知りました。

因みに楽しい装画は、漫画家のしりあがり寿さんです。

 

 

 

 

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「ミナ・ペルホネン」を主宰するデザイナー皆川明と谷川俊太郎が組んだ絵本が到着しました。題して「はいくないきもの」(クレヨンハウス/新刊1650円)です。

「あかちゃんに贈るはじめての俳句?はじめてのファンタジー」と表紙に書かれています。これどうやって赤ちゃんに読むの?と思いたくなりますが、いい絵本です。

例えばこんな感じです。

「れたたすて たすたしころろ ふりむいた」

谷川のリズミカルな五・七・五の俳句(?)に皆川の不思議な絵が付いています。同じように

「おいはねほ ねはねへはねほ ふんわりと」

意味を考える前に、これ、音読するとすごく心地よくなってくるのです。皆川の描く不思議な生き物「はいく」は、日本独特の五七五調の言葉から生まれ、日本人の遺伝子に刷り込まれている五七五調の気持ち良さが、谷川の言葉とともにきっと楽しく赤ちゃんに伝わると思います。

それにしても、皆川の絵は面白い。表紙になっているのは、まるで歌舞伎役者の隈取りが顔になっている像のような、サイのような生き物。これに付いている「はいく」は

「んぱぶさな けしきひろびろ あっぺくも」

何回か読んでいると、この生き物から発せられたような感じになり、大きな隈取りの顔をこちらに向けて鳴いているみたいです。

皆川らしい美しい色彩の洗練された蝶々や、花ではなく、謎の珍獣のオンパレードというのも面白い。実験的と言ってもいいような二人のコラボによる絵本です。

皆川明著「生きるはたらくつくる」(つるとはな/新刊1540円)は、魚市場でアルバイトして資金を集めて、たった一人でブランドを立ち上げた彼の人生と仕事を描いた一冊です。2000年10月、雨模様の日にオープンした直営店第一号を、不安定な天候同様のスタートから、今日の「ミナ・ペルホネン」へと大きくしてゆく姿を知ることができます。

 

 

 

イ・ビョンホン主演の政治サスペンス映画「KCIA南山の部長たち」。1979年10月26日、大統領直属の諜報機関KCIAで権力を掌握する立場にいたキム部長が、パク大統領を暗殺しました。本来、大統領に忠誠を誓うべき機関の首たる者が、よりによって大統領を殺すに至る二人の確執を追っていきます。

パク・チョンヒは、1961年の軍事クーデターで権力を手中に収め、63年から79年まで大統領として君臨しました。彼の政策で、韓国は高度経済成長を実現、先進国の仲間入りを果たしましたが、その一方で民主化運動を弾圧していきました。キム部長は、パク大統領と共に軍事クーデターを起こした仲間でした。

映画では、この二人が共に革命を乗り越えてきたことを思わせるセリフが登場します。しかし、日本滞在中の金大中氏の拉致を KCIAに命じるなどの強硬な政策を進め、独裁者への道をひた走る中、パクとキムの間に亀裂が生まれ、またキム自身も新たな権力闘争打開策もないまま、暗殺という強硬手段へ突き進みます。

実在の事件を、どちらか一方に加担することなくクールに、しかもきっちりサスペンス映画として観客を飽きさせない、退屈させないという力技は昨今の韓国映画の強みです。主演の イ・ビョンホは若い頃、ピカピカの2枚目スターでしたが、すっかり渋くなって本作では冷静沈着なKCIAの部長を演じています。最後のパクの暗殺シーンは、かなりの迫力です。そして、エンディング。普通は静かな曲が鳴って余韻に浸るのですが、恐ろしくパーカッシブで交響曲みたいな壮大な曲が流れます。

最後まで飽きさせない第一級のサスペンス映画であり、韓国の現代史を考える機会にもなる作品でした。

女性蔑視の極みとも言える発言をして、ふてくされ会見をしたオヤジ、森喜郎氏。広島弁と大阪弁を組み合わせて罵倒したくなる。「なにカバチたれとんねん。このあほんだらが!」

ところで、今読んでいる本にこんな記述がありました。それはニコ・ベズニエ、スーザン・ブロウネル。トーマス・F・カーター共著の「スポーツ人類学 グローバリゼーションと身体」(共和国/新刊4950円)の中の「スポーツ、セックス、ジェンダー、セクシャリティ」という章にある、こんな文章です。

「近代オリンピックの創始者ピエール・ド・ベルタンは女性の参加に反対し、女性の役割は男性の武勇を観戦することであるべきだと考えた。古典教育を受けた他のエリート男性同様、彼は古代ギリシアでもそうであったと考えた。なぜならオリンピックの復興を支えた十九世紀末から二十世紀初頭の古典学は、女性がゼウスの妻ヘラを敬って競技に参加していたという事実を隠蔽していたからである。」

森さんは、まだ女性がスポーツで男性に劣る、とでも思っているのでしょうね。「オリンピックの真の英雄は成人男性個人であるべきだと私は思う。」と述べた100年前のクーベルタン男爵に近いところにいるのかもしれませんな。

「スポーツ人類学 グローバリゼーションと身体」は、なかなかの大著で、400ページ余もあって、牛歩のごときゆっくりと読んでいるので、実はまだ最後まで読んでいません。しかし、スポーツを社会学的見地から論じる本書は、極めて知的刺激に満ちていて、またその分、難易度の高い論考も登場してきます。

「本書は、著者ら自身のアスリートとしての、またスポーツの組織者、専門的実践家、観客としての、数十年に及ぶ経験に依拠している。」と序章に書かれているように、膨大なフィールドワークの結果が反映されています。

こんな競技が国技だったの?と驚いたのは、アフガニスタンの「ブズカシ」。馬に乗った男性が山羊か羊の死体をゴールに入れることを競うというものです。

「一般的にブズカシは少年の割礼のお祝いに行われたが、息子の婚礼の際にも行われた。この二つは、アフガニスタン社会における男性の通過儀礼のうちで主だったものである」

ちなみにスポーツを禁止したタリバンの治世や相次ぐ内戦で、この競技は今や風前の灯火らしいです。するスポーツ、見るスポーツとは全く違う次元からスポーツの民族史を描き出した労作です。さて、最後まで読むことができるかな。

件の森さんが推進する2021年オリンピックですが、この発言を聞いた差別問題に鋭敏な国から、そんな国で競技する気はありませ〜んと、どんどん拒否すればいいのにね。この人の頭の中には、世界中で今起こっていることに対する問題意識はなく、このまま引き下がれないという時代遅れの面子だけがあるように思われます。そんなトップに引き回されるのは御免こうむりたい。

 

本に関するエッセイを多く出している近代ナリコの「女子と作文」(本の雑誌社/古書950円)は、戦前から現代までの様々なスタイルの”女子本”の中から、そこに書かれてきた、あるいは投稿してきた女性たちのリアリティーを紹介した、ちょっと他に類のないエッセイです。

登場する作家は、大橋歩、今井邦子、今西博子、新田まり子、佐川ちか、安井かずみ、落合恵子等々。そして雑誌「オリーブ」の読者の投稿を載せる「オリーブクラブ」の記事も紹介されています。

「アンアン」「平凡パンチ」などで時代の最先端のイラストレーターとして活躍し、「アルネ」で新しいスタイルの暮らしの雑誌を作った大橋歩の仕事と人生を考えたかと思うと、次の章では、大正から昭和にかけて活躍した歌人でエッセイストの今井邦子が、文学で身を立てようと上京した明治42年の彼女の文学生活へと迫っていきます。

今井は、「女子文壇」という投稿を主にした雑誌で活躍し始めます。この雑誌は明治38年創刊で、当初は日露戦争直後という社会情勢の中、体制に迎合的と見えた雑誌でしたが、「しだいにその体質を変え、文学の名のもとに集い、あたらしい生き方を目指す女性たちの声を拾いあげて先鋭化してゆく。」のです。ここには、岡本かの子も参加していました。

「女性の書いたものを読む楽しみは、その表現から、彼女たちが何を欲望していたかをを知ることにある。邦子にとってそれはなにより<文学>だったが、それをいいかえれば、妻でもない母でもない、邦子自身であるということだった。」

著者は「彼女たちが何を欲望していたか」を拠り所として、多くの文献、雑誌を読み漁り、彼女たちへの共感度を増してゆきます。

それは、可愛いものを探し、好きな本や映画について語り、新しいファッションを欲する女の子たちが夢中になっていた「OliveClub」に投稿していた女の子たちの個性的な表現でも同様です。「さんざん言われてきていることとはいえ、『オリーブ』の文化度の高さに感心させられずにはいられない」と書いています。

70年代、新書館という出版社から「フォア・レディース・シリーズ」という単行本が出されていました。寺山修司、白石かずこ、立原エリカらの作家たちに混じって、新たな書き手として、落合恵子、安井かずみが加わります。この二人は書き手であると同時に、本の表紙を飾るモデルとして登場しました。

「その後、かたやスタイリッシュな女のライフスタイルご意見番として、かたや性差別問題に果敢に取り組むフェミニストとして、女性に向けた文筆活動を展開しながらも、その方向性は対照的なふたり。デビューはほぼ同時期のフォア・レディース・シリーズ、表紙を自らが飾ったことまでが一緒だが、おそらく、安井の表紙が、彼女の自己演出という内的欲求によるのにたいして、落合の表紙は、彼女の絶大な人気という外的要求による。安井はみずからしていて、落合はさせられているのである。ふたりのその後のスタンスのちがいにもうなずけるというものである。」

というのが著者の分析です。

「OliveClub」のことは私は知りませんでしたが、この「フォア・レディース・シリーズ」は覚えています。おしゃれでかっこいいイメージが充満していました。

 

立春。まだまだ寒い日が続いていますが、ギャラリーは色鉛筆のあたたかなタッチの絵でほっこりした空気に溢れました。

平林香乃さんの「ひみつばなし」は、身の回りのグッズ、ごはん、本、果物、家、などが優しい色合いで描かれていて、ゆっくり見ていると、そこから物語が立ち上がってくるようです。

平林さんの絵に登場する動物たちは、みんな顔が見えません。木の陰に隠れていたり、本の中に入っていったりして、どの子も尻尾しか見えない。月の夜、テーブルの上に置いてある本の影に、キツネの尻尾が……..。ん?もしかしたら目の錯覚かもしれないし、そこでキツネが本を読んでいたのかもしれない。夢を見ていたのか?

日常の風景に潜む不思議ないたずら心が、なんともチャーミングです。ただ可愛いだけでない魅力的な世界が広がります。

「夜とひみつは、よく似合う。 紺色の世界は 冷たさと温かさ 厳しさと優しさを持っていて 赤いルージュも 悲しげな横顔も ほっこりとしたティータイムも どんなものも包み込んで 明かす前に、忘れる前に 朝を連れてやってくる そうして紺色はさらに深く美しく その世界に置かれているものは ひとつひとつが愛おしい 触れるときっと温かく まるで生きて呼吸しているかのよう そこに居た気配は形となって 目に映っているかのよう 夜を両手に抱けたなら 嘘も本当もきっと 優しく温か。」今回の個展に向けて書いた作家の思いです。

物語を探しにぜひお出かけくださいませ。(女房)

✴︎「ひみつばなし」HIRABAYASHI KANO EXIBITIONは、2月3日(水)〜14日(日)

月火定休 13:00〜19:00

 

 

 

 

 

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2014年にスタートした出版社「共和国editoral republica」は、出す本出す本が刺激的で渋い本が多く、新刊は全て注文しています。この出版社の主なコンセプトは「『文化批判』です。文学、批評、思想、音楽、映画、美術、精神分析、コミックをはじめとするジャンルを超えた『文化的なもの』を通して、この現代社会と横断的/歴史的/批判的に向き合って参ります。」とHPに書かれています。

この出版社の本で、最初に動いたのは、藤原辰史の「ナチスのキッチン」(2970円)でした。ファシズム体制下で人間と食との関係に起きた歪みを通して、「台所」という空間が持つファシズムについて検証した画期的な一冊です。のちの食文化論に影響を与えたと同時に、藤原辰史の名前が脚光を浴びた記念碑的な本でした。藤原は「食べること考えること」(2640円)もこの出版社から出しています。

以前ブログでも紹介しましたが、芥川仁「羽音に聴く」(2640円)は、全国39箇所の養蜂場を訪れ、ミツバチの世界を見つめ、彼らと生きる人々の姿を撮った写真集です。

これは面白い、読もうと思っていた矢先に売れてしまったのが川島昭夫の「植物園の世紀 イギリス帝国の植物政策」(3080円)でした。1789年、英国の戦艦バウンティ号で反乱が起きます。この事件は、映画や小説になっていて有名なのですが、この戦艦がパンノキという植物を、南太平洋のタヒチからアメリカの南にある西インド諸島まで運ぶ命令を受けていました。何故そんな遠方まで運んでいたのか?英国植民地政策を担った植物学者たちの姿を通して、「植物園」の起源を掘り起こした労作です。

日本でも有名な「愛犬ダーシェンカ」の著者カレル・チャペックの弟ヨゼフは、反ナチスの一コマ漫画や風刺画を描き続けましたが、逮捕され強制収容所に送られ、そこで生涯を閉じました。「独裁者のブーツ イラストは抵抗する」(2750円)は、その彼の作品を集めたものです。

最新作は、武田麟太郎「蔓延する東京」(3850円)です。明治37年生まれの小説家で、「日本三文オペラ」、「井原西鶴」などの著作がありますが、ご存知の方は少ないかもしれません。1930年代の東京。戦争の時代へと入ってゆく帝都東京の底辺に生きる人々の姿をあぶり出し、蔓延するファシズムに対峙した作品です。1929年、文藝春秋に発表した「暴力」は、政府から発禁処分になりますが、川端康成が高い評価をした作品で、初めての収録されました。

地味ながら、知的刺激を与えてくれる作品ばかりで、新作だけでなく、既刊本も少しずつ揃えていきます。