9月5日京都新聞の「くらし塾」で、「住まいのバリアフリー改修」が大きく取り上げられていました。

91才、85才のご夫婦の住宅改修の経緯が書いてありました。

2間続きの和室をフローリングにして、戸は引き戸。トイレも三枚戸にすることで車いすでの出入りも可能になったとあります。尿瓶を洗うためのシャワーをトイレにつけたので、自分で洗うにしろ、介護する方にも、安心して使えることでしょう。こういう細かい事は、よく相談できる建築関係者と出会うことで、相当違うでしょうね。

以前、お年寄りのための生活用品店を仲間と営んでいた関係で、たくさんのお年寄りとお付き合いさせていただきました。住宅改修も工務店の方と一緒に色々やってきました。そんな中で、転ばぬ先の杖は、あまり細部にわたって先走ってはいけないと思ったものです。

だって、どこが痛くなるか、動かなくなるか、ならないか、わからないですもん。

 

家を新築する場合、ここにあらかじめ手すりを付けておく、ではなく、手すりが必要になったら、付けられるように下地を施しておくこと。

段差をすべて解消することも確かに大切ですが、住み慣れている家なら、灯りの工夫だけで暮せる事もあること。

大げさな機械を使わなくても、今までの暮し方が続けられる小さな工夫が色々あること、等々。新聞でもちょっと書いてありましたが、玄関に椅子を置くだけで楽になることもあります。

 

この新聞記事で、改修を請け負ったのは、我々の家の担当をしてくださったフジイさんでした。

そうです、フジイさんとは昔、住宅改修をご一緒した仲でした。

これから先のために老人仕様の家をお願いする際、彼女に相談したのは、いまでも正解だったと思っています。紆余曲折ありましたが、そして、まだまだこれから婆さんになっていくわけで、なんやかや言いますが、なにとぞよろしくお付き合いください。

 

もしかしたら、今後のお仕事に我々の仕様がお役にたつかもしれませんしね。(女房)

 

 

 

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マリさんのCDが好調です。別にNHKの朝ドラの影響ではありません。小西康陽の力です。

CDショップ現役時代、小西康陽のバンド「ピチカート5」は、登場するやいなやポップスシーンを席巻しました。私は、当初こいつは、ろくでなし野郎だと思っていました。金持ちのレコードおたくのボンボンのノータリンDJ野郎と決めつけて、いつか殴ってやろうという思いを抱いていました。

しかし、CD業界を離れ、書店業界に身を置いて、外側から彼を見て考えが変わりました。膨大な数のレコードを聴き、埋もれていた、あるいは発売当時馬鹿にされていたサウンドを探し出し、その魅力を語り続ける作業を延々続けるって、凄い才能だと思いました。彼は音楽に留まらず、映画も発掘しました。その代表は「黒い11人の女」に代表される市川崑作品の再評価でしょう。「ビルマの竪琴」の様な名作、横溝の金田一シリーズの監督としてではなく、モダンで、クールな映像を散らばらせて、ストーリーよりも映像の楽しさに満ちた、しかし封切り当時「早すぎた」センスで評価されなかった作品群に評価を与えたことは忘れられません。

音楽プロデューサーとして、この人を見直したのはあるオムニバスアルバムで、五木ひろしと共演した曲を聴いた時です。おそらく、録音は別々に行い、彼が編集したのだと思います。五木の声にピッタリの、しかも現代的にアレンジされたノリのいいサウンド。何よりも、五木がのびのびと歌っています。単なる音源としての素材ではなく、その人の持ち味を見事に生かしたプロデュースでした。このアルバムの一曲目は夏木マリさん。そのご縁でしょうか、その後プロデュースは小西康陽のクレジットです。ジャズ、シャンソン、ソウル、その他見事に世界の様々なリズムを取り入れ、マリさんが気持ちよく歌えるようにセットアップされていて、どのアルバムも完成度が高く、お店でも入荷するたびに売れています。

文筆家としても、オタク丸出しなのにリズム感が心地よく、「ぼくは散歩と雑学が好きだった。小西康陽のコラム1993−2008」は、何処から読んでも楽しい一冊です。植草甚一の本のタイトルに似ていますが、一番近い遊び心がある人です。好きなこと、楽しいことを追っかけ、追っかけていった果てに、こんなに人を楽しませてくれるなんて、良い人生です。

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古本市も無事終了して一息(そんな余裕はないんですが)。在庫整理しながら棚の中身を変えています。

文芸書は、少し古めの渋いものが動き出しました。函入りの文芸書は、やはり古本屋の十八番です。富岡多恵子、佐多稲子、井伏鱒二、そして澁全集澤龍彦なんかの函ものが増えてきました。宇野千代の「刺す」、あるいは池田満寿夫の「ズボンの中の雲」、小沼丹「小さな手袋」なんかも棚入りです。全集の端本ものでは幸田文の「闘・しのばず」とか、美しい装幀の中里恒子「時雨の記」等が中身も、価格もお買い得。中々入手できないみすず書房の「大人の本棚しシリーズ」からは小山清「小さな町」、長田弘選「本についての詩集」が、入ってきました。ますます、古本屋さんらしい本が増えて行きそうです。

増殖中の小説、エッセイに反して、開店からいまいち不人気のノンフィクション系の本には、一時棚から離れてもらいます。一方、あんまり古本屋さんが熱心でない生活実用の、しかも読ませる、写真で楽しませるような本はがんばって増やします。が、この手合いの本は中々、良いのが見つかりませんね。せめて、平松洋子さんの本ぐらいは、幅広く集めたいものです。女子に人気の山崎まどかさん。石田千さんも忘れてはなりませんね。生活系の本は女性作家が圧倒的ですが、松浦弥太郎さんは常備したいものです。

いずれ、これらの本は、新しい生活提案を地方から発信するミニプレスのコーナーに移動して、もっと盛り上げていきます。ミニプレスで「のんべえ春秋」を出版した木村衣有子さんなんかは、大手出版社から出ている本も一緒に並べたいものです。

新しい本では、ご贔屓の坪内祐三「文藝綺譚」が入荷してきました。坪内節が堪能できますが、文藝話以外で、最終章の「大相撲のないこのわずかな数ヶ月の間に」の相撲の話は、あんまり相撲に興味のない私でもさすがに面白いと感じました。発行は今年の4月。お店では1000円で販売しています。

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最近、レンタルショップで借りた二本の映画が、奇妙なテイストで面白かったです。

一本目は、ロマン・ポランスキー監督の「おとなのけんか」。上映時間70分強。マンションの一室のみが舞台。登場するは二組の夫婦、ジュディー・フォスター、ケイト・ウインスレットがそれぞれの妻に扮しています。お話は子どもの喧嘩の後始末の話し合いにやって来た加害者の夫婦と被害者の夫婦の会話劇。子どもの話のはずが、もう支離滅裂、暴走につぐ暴走。キッチンドランカーのケイトなんて、この短い上映時間の中で、何度も吐きまくります。まぁ、四人とも芸達者なんで、シニカルな笑いに浸らせてくれます。元々は、舞台劇とか。でも、エンディングの処理は、映画オリジナルでしょう。お見事、ポランスキー(拍手)です。

もう一本は沖田修一監督の「キツツキと雨」。役所広司、小栗旬、山崎努、そして高良健吾と、ずらり並んだ豪華男優陣の出演の映画は、日本でゾンビ映画を作ろうとしている気の弱い映画監督と、ロケ地にいた木こりの、友情みたいな、愛情みたいな、ものを描いた映画です。映画自体はトリュフォー作品「アメリカの夜」の日本版ですが、もっとファンタジーな世界が展開します。しかし、映像はものすごく細かい所まで、リアルに拘っていて、そのバランス感覚がお見事。監督は79年生まれで、日大映像学科出身。こんな、ひねったお笑いができるなんて。きっと、一般受けはしないとは思いますが、映画好きには気になります。調べてみると堺雅人主演の「南極料理人」の人でした。こっちも借りて来ようかな〜。400円で、十分に楽しませてくれました。

ところで、小栗扮する映画監督の次回作は「JAWS 」日本版。このゾンビ映画にしろ、鮫映画にしろ、きっと面白くなさそうです。

 

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本日より一週間「やんちゃ挿絵原画展」始まりました。

「やんちゃ」は45年前に発行を開始した児童文学専門の同人誌です。今回、120号発行を記念して、使用された挿絵原画を展示いたします。児童文学誌とはいえ、大人が読んでも、その内容の濃さと文章の完成度に驚かされます。120号に載っている「ひとりじゃない」は、40ページ程のボリュームで今を生きる少年達の闇を見つめた小説です。閉塞感で圧迫される少年達。ラストの「そう、だれもひとりなんかない」という独白、少年も読者も解放されます。

或は、詩「春を嫌う」の最期はこんな感じです。

「絶望をしれっと覆い隠す 沼の色した春の空 どこ吹く風の 空のいきものたち 春なんか大嫌いだ」

初めて読みましたが、どれも面白そうな内容です。バックナンバーも販売しています。一部300円です

 

先日、三重県津市でミニプレス「kalas」を発行されている西屋さんご夫妻が、新刊を持って三重からご来店。聞けば、姫路で開催される西日本のミニプレスの編集者達の集まりに参加される途中に寄ってくださったとか。ありがたいことです。

「kalas」は先ず、表紙の写真がいい。すべて物語を感じます。今回の特集は「続けかたの創りかた」「続ける」ということを巡る四つの物語。秒単位で変化してゆく世の中で、一つの事を続ける困難さと、楽しさ。それは、小さな古書店を営む私にも、大きく関係することです。「創りかた」の漢字が「作り」ではなく、「創り」になっていることにヒントがありそうです。西屋さんご夫妻の郷土への愛に溢れた優れたミニプレスです。バックナンバーも置いています。このボリュームで400円!!

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一箱古本市、本日最終となりました。

8月14日、「善行堂大蔵ざらえ」でスタート。丁度、下鴨の古本市の最中だったので、その帰りのお客様や、店で販売しているミニプレス「BOOK 5」を発行されているトマソン社の方がご来店されたりと賑やかな四日間でした。

そして、三日程お休みをいただき、初めての一箱古本市の商品を店一杯に広げました。フツーならここには並ばないような商品が多く、もう宝箱を引っくり返しているみたいにワクワクする準備でした。

二週間の長丁場の古本市がスタート。

初日、早くからお越し頂いたお客様、ありがとうございました。途中で息切れするかな?と不安に思っておりましたが、商品の補充もしていただいて、どうにかゴールまでたどり着きました。同時にCDセールもスタート。こちらも、本と一緒に買っていただき、本好きな人は、やはり音楽好きな方が多いみたいでした。このCDなら、と思って仕入れたものが、ドンピシャで売れてゆくと、やはり気分いいものです。

高額の画集から、もう昔々のチラシの如きものまで手に取っていただきながら、お客様と会話を楽しめるのは古本屋の醍醐味でしょう。また、出品された方に販売控えを見せると、エ〜これを買ってもらえるんや!と驚きと喜びが混じった表情をされるのも楽しみでした。

同時開催の「はちはちパンのキロクとぱんのキオク」にも多くの方に来て頂き、またパンの販売日には、ご予約まで頂くようになり大盛況でした。パン目的の方や、本を捜す方で、賑やかな店内でした。

出店された方も、ご購入の方も、場所を提供した私たちも、それなりに楽しい時間を共有することができたと思っております。次回もやりますので、またご参加ください。

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「結」は難しい、といっても「結ぶ」ことではありません。小鼓の打ち方のことです。

二年程、小鼓のお稽古して、それなりに課題曲をこなしてきました。平家物語でお馴染み「屋島」なんて、打っていると気持ちが高揚してきました。しかし、今やっている「花筺」は前に進みません。最初にお稽古した時は、打ち方はばらばら、呼吸は乱れて、発声も遅れるし、もうお弟子さんの前で恥をかきました。

世阿弥作の「花筺」はこんなお話です

越前国味真野におられた男大迹皇子(応神天皇の五世の孫)は、皇位を継承されることとなったのを機に、召し使っていた照日の前にお暇を出された。その際、照日の前に御文と御花筐(花摘みに用いる籠)を賜ったので、照日の前はそれを抱いて故郷に帰った。

その後のある日、継體天皇となられた皇子が行幸されるのを知った照日の前は、お慕いした余りに心が乱れて侍女とともに都へ向かった。その途中で行幸に行き逢い、御文と御花筐を持ってその前に進む。

照日の前は、それが君の御花筐であることを告げ、恋慕の情を述べる。帝は花筐によって女が照日の前であることを知り、一緒に伴って還幸される。

で、今お稽古しているのは、その最期の部分。ここに出てくる打ち方に「結」があります。ポン、ポン、ポポ〜ンという小鼓独特の、打ち手も聞き手も気持ちいい打ち方の変型です。ポン〜、ポン〜ポン、と書いてしまえば簡単ですが、「〜」が難しい。この三回打つ直前に、握り方を微妙に変化させて、二回打ちます。この変化の後にこれです。しかも、勝手に打てばいいものではありません。謡の言葉の定められた位置に、きちんと納まり、しかも打ち手の「よっ〜っ」、「ほぉ〜」の発声もバランスよく出さなければなりません。ここを、クリヤーすると、さらに次は、息をためて、『よ〜おっ」『ほ〜っ」の長い発声が待ち構えています。

それでも、前のめりにならず、ゆっくりと、謡の言葉の後に寄り添う感じで音が出ると、打ち手は気持ちいいものです。シンプルな構造の楽器だけに微妙な音の変化の出し方に苦労しますが、そこが面白いのかもわかりません。秋には師匠の打たれる名作「安宅」(歌舞伎の「勧進帳」です)の公演もあります。ますます、能の面白さにハマる秋になりそうです。

ところで、演劇評論家の渡辺保さんが「勧進帳」という」新書を書かれています。サブタイトルに「日本人論の原像」とあるように、このドラマに登場する三人の男たちは、ある種、男の理想像であることを、ドラマの展開に沿って解説されいます。歌舞伎に興味なくても、面白い一冊です。(300円)

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児童文学誌「やんちゃ」は今号で120号になります。

児童文学には疎いのですが、実は編集責任者がレティシア書房のお隣さんなので、時々読ませて頂いています。

 

今回、ムラタさん(お隣さんです)の作品は長編で、大人の世界を覗いてしまった少年達の戸惑いと、大人たちの深刻な悩みが細やかに描かれています。

認知症の母親を手にかけてしまう息子の話が軸になり、一方で近所の仲良しの小学生3人の心情が綴られています。児童文学をたくさん読んで来たわけではないので、よくは知らないのですが、こんな複雑な深刻なことを取り込みながら、子ども達を生き生きと描くなどという事は、きっととても高度な技だと思います。すごく読み応えがありました。

 

こういう作家さんが、ごく近くに居られるのもご縁です。

というわけで、9月4日(火)〜9月9日(日)児童文学誌「やんちゃ」のさし絵原画展を開催します。(12時〜20時、最終日は18時まで)

まだまだ暑い時期ですが、お越し頂ければ幸いです。

そして、120号も続いている「やんちゃ」を手に取ってみてください。(女房)

 

 

 

http://yanchakyoto.blog116.fc2.com/page-2.html

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「ぼくは二十歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせない」

30年代のコミュニスト知識人にして、サルトルの親友だったポール・ニザンの代表作であり、24才の処女作「アデン・アラビア」の巻頭を飾る一文です。この文章を、覚えておられる方もおられると思います。私も何度か、いろんな方のエッセイに出て来たのを知っています。かっこいい文章だとは、思いますが、まぁね、という感じです。

これが世に出てから40数年後、こんな文章に出会う。

「素敵な女の子がみんな、カリフォルニア・ガールならね………」

ご存知、村上春樹の「風の歌を聴け」の一節です。「かっこいい!」と思いました。

「あらゆるものは通りすぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕達はそんな風にして生きている」

そんな風って、どんな風だ?なんて考えることなく、キャンパスの中を無意味に徘徊していました。私のいた大学は、山が迫っていて、森の中に学舎が点在するところだったので、この本片手に、ブラブラするには最適の環境でした。春樹の小説は、その後、私には全く興味がなくなり、ジャズのエッセイ以外は読んでいませんが、この本だけは、再読しても、やはり「かっこいい!」です。

2002年、梨木香歩の「春になったら苺を摘みに」で、今度はこんな文章に出会う。イスラム人の生活、文化の理解に苦しむイギリス人の老婦人。しかし、

「自分が彼らを分からないことは分かっていた。好きではなかったがその存在は受け入れた。 理解はできないが受け入れる、ということを。観念上だけのものにしない、ということ。」

彼女の、世界にどう対峙してゆくのかストレートに理解できる文章。やはり「かっこいい!」

その翌年。沢木耕太郎の旅のエッセイ「一号線を北上せよ」で、こんな文章に出会う。

「たぶん『北上』すべき『一号線』はどこにもある。ここにもあるし、あそこにもある。この国にもあれば、あそこの国にもある。私にもあれば、そう、あなたにもある。」

北に向かうことに、どこか求道者のニュアンスを含ませた沢木の文章の力強さも、又「かっこいい!」

 

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高倉健さんの新作「あなたへ」が話題みたいですね。舞台挨拶なんか見ていると、今の俳優にはない存在感があって、他を寄せ付けない雰囲気がありました。でも、映画は観に行きません。

もちろん、「死んでもらうぜ。」の決め台詞の「唐獅子暮牡丹」シリーズ時代には、お世話になりました、でも、私には、倉本聰が脚本を書いた「冬の華」で、見事、ヤクザ映画とそのイメージを背負っていた健さんを愛情を込めて葬り去った時に、お別れをしました。

健さんの映画は、一本も所有していません。菅原文太の「仁義なき戦い」(深作欣二作品)シリーズは、すべて所有して、何十回と観ています。何故でしょう?

「仁義なき」=暴力映画と捉えられていますが、そうではありません。観て頂くとわかりますが。文太さん以下、皆さん真面目です。不義理はせず、筋の通らない事には、なんとか筋が通る方法を模索し、冠婚葬祭には必ず出席し、恩を仇で返すようなことをせず、揉め事があらば、対話を重ねるという、裏社会にいながら、余程昨今の政治家、官僚より汗をかいてます。しかし、見事それを、片っ端からぶち壊してゆく山守と打本の二人の卑屈で猥雑な親分。真面目にやろうとしている人間と、平気で踏みつぶして行く人間。その対比が、面白い人間ドラマです。昨今、平気で人の道を踏みつぶす御仁が多いので、山守さんだらけで笑えない状況ではありますが。

男らしい男というイメージで神格化され続けている健さんが、哀れに思ってしまいます。(好きですけど)それよりも、「この、腐れ外道が!」と咆哮しつつも、なんとか筋道のたつ方向を模索し続けた文太さんの「真っ当な」生き方がいいですね、裏社会ですが。だから、健さんの映画は観に行きません、これからも。

 

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