先日、堀田善衛の本を購入されたお客様と、少し話をしていた時に新書で「堀田善衛を読む」が出てますよ、と教えてもらいました。今頃何故堀田の本が、しかも幅広い客層を相手にした新書で、出るんだろうと不思議に思い、取り寄せました。(集英社新書/古書500円)

サブタイトルに「世界を知り抜くための羅針盤」とあります。5人の作家・映画監督と、堀田との関わりを語ったインタビューで構成されています。その5人とは、池澤夏樹、吉岡忍、鹿島茂、大高保二郎、そして宮崎駿です。

堀田は、1918年、富山県高岡市生まれの小説家・評論家です。52年発表の「広場の孤独」で芥川賞を受賞しました。55年、日中戦争時代に起こった南京事件を中国人の視線で描いた「時間」を発表。翌年、アジア作家会議出席のためインドを訪問し、「インドで考えたこと」にまとめます。これ以後、諸外国をしばしば訪問して日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍しました。

池澤夏樹は、彼の積極的国際性に注目しています。堀田の家は、羽振りの良い廻船問屋でした。外国人との交流も頻繁で、国際的感覚を若い時から育てていました。池澤はこう指摘します。

「語学は才能もあるけれども、そこに向かっていこうとする開かれた積極性、国際性、それを最初から装備して出てきた。その結果が後にアジア・アフリカ作家会議での活躍や、『インドで考えたこと』になり、それからベ平連で脱走兵をかくまうというところにいく。こういう開き方を持って世を渡った作家が他にいたかというと、ちょっと思い当たらない。」

面白かったのは宮崎駿と堀田との関係です。宮崎は最も尊敬する作家として堀田の名前を挙げており、彼の文学世界に非常な影響を受けていると言っています。宮崎はある時、堀田から彼の『方丈記私記』の映画化を打診されます。

「『方丈記私記』が何とか映画にならないかと、とにかく考えています。それには、実は知らなければいけないことや、ひょっとしたらこれは映画になるかとか、ここが骨になるかなとか、そういうふうに探してはいますけれども、なかなか実現には至っていません」

ここに登場する「方丈記私記」(筑摩書房/古書1250円)は、堀田の代表作の一つで、「要するに方丈記一巻が自分の経験となり、かつ自分の魂に刻みつけて行ったものを記そうとしているにすぎない。」と語っている通り、堀田自身の戦争体験を踏まえつつ、方丈記を読み、鴨長明の心の内側へと入ってゆく文学です。

なぜ、何度もこの古典を読み返すのかと自問した時の彼の答えはこうです。

「それは、やはり戦争そのものであり、また戦禍に遭遇してわれわれ日本人民の処し方、精神的、内面的な処し方についての考察に、何か根源的に貸してくれるものがここにある、またその処し方を解き明かすためのよすがとなるものがる、と感じたからであった。」

戦争体験と、海外で見聞きした多くの体験が元になって、強固な思想を文学に落とし込んで行った堀田の文学は、池澤が言うように「社会と歴史と自分の想像力から生まれてくる文学というのは役に立つ、それからやっぱり面白い」のです。

この新書をお読みになって、興味を持たれたら、堀田の著書をぜひ。

★フリー雑誌「 S&N」最新号入荷しています。数に限りがありますので、お早めにどうぞ

 

 

 

 

「南無阿弥陀仏」と唱えれば極楽へ行ける!と民衆と共に踊り念仏を踊った鎌倉時代の僧、一遍上人。彼の生涯を描いた栗原康「死してなお踊れ」(河出文庫/古書500円)なんて、本をなぜ読んだか。

私は、一遍上人に全く興味はありませんでした。しかし著者の栗原康は、最近注目している政治学者です。最初に読んだのは、tabaブックスから出た「はたらかないで、たらふく食べたい」(1870円)で、過激に突っ走る社会論として、面白かったのです。この著者が一遍上人を描くことに、とても興味ありました。で、読んでみると、もうこれがパンクな世界。

「さけべ、うたえ、おどれ、あそべ。おのれの魂をふるわせろ。だまされねえぞ、鎌倉幕府。したがわねえぞ、戦争動員。念仏をうたい、浄土をたのしめ。しあわせの歌をうたうということは、あらゆる支配にツバをはきかけるということだ。捨てろ、捨てろ、捨てろ。いけ、いけ、往け、往け。壊してさわいで、燃やしてあばれろ。国土じゃねえよ、浄土だよ」

と踊り念仏を描いています。宗教学者が読んだら、なんと下品な言い回し、知性がない!とか攻撃されそうですが、このガンガン進んでゆくタッチで、一気に読みきりました。伊予国いちばんの名門豪族河野氏に生まれた一遍ですが、家も名誉も財産も捨てて、全国を踊り狂って行脚した人生を、やはり、ハイになって踊りまくっているような文体で描いた栗原の文章が素晴らしい。「うたえ念仏、極楽往生。ナムナムナムナム。ノドがさけるまでさけびつくせ。」とアジテーションみたいな文章があちこちで踊っていますが、著者はその一方で冷静に一遍を見つめています。

「ひとが念仏をとなえて仏になるんじゃない。念仏がひとを仏にするのだ。」

自分の限界を歌い続けると、しかも大勢でやっていると、自分の声かどうか判断できなくなり、トランス状態の中で、思考停止。頭の中は空っぽになる。その時、その声は仏が発したものになる。

「自分の口から、仏の声がはねあがっていく。うれしい、たのしい、きもちいい。いま、この場で、仏になったということを体感している。心が躍動し、もっともっと念仏に駆り立てられていく。」

解説で武田砂鉄が「栗原の文体は踊り狂っている。こんな評伝がありなのか、と眉間にしわを寄せる偉い人もいるのだろう。でも、そんなこと、栗原は、ホント、どうでもいいと思っている。踊っちゃえばそれでいいと思っている。」と書いています。

アナーキーな文体の果てにある、無念という思想、何ものにも囚われない視点は、何事もひとを数値化したがる今の社会を生き抜く武器になると思います。劇薬のような本ですが、当たり障りのない自己啓発本、生き方本なんぞ、木っ端微塵にする力を持っています。

「オレが死んだあとのことをいっておく。葬儀はいらない。わが屍を野に捨て、獣にほどこすべし。」

これが一遍の遺言でした。

因みに、著者が一遍上人に興味を持ったのは、六波羅蜜寺で、一遍が尊敬する空也上人像を見て、衝撃を受けたからだとか。店頭には、関東大震災直後、急速に不寛容な社会へとむかう時代、女相撲とアナキストの遭遇を描いた映画「菊とギロチン」を栗原が評伝小説にした「菊とギロチン」(tabaブックス2420円)も置いています。

 

劇場公開された時、見逃した「帰ってきたヒトラー」をWOWOWで録画してもらって観ることができました。コメディタッチで軽快に進むので笑ってしまうのですが、ホントに笑ってていいのか……と自問自答する作品でした。

ヒトラーの姿をした男が、突如今のベルリンに現れます。お〜そっくり!と、みんな写真をとったり、肩を組んだりと楽しそうなんですが、実は彼はホンモノのヒトラーなんです。突然、時空を超えて目を覚ましたヒットラー。最初は彼自身何が起こったかわからずに右往左往するのですが、やがて一人のテレビマンが偶然注目します。彼は、才能がないとテレビ局をリストラさればかりで、このヒトラーそっくりの男を使って復帰を目論みます。

「ヒトラー」を連れてドイツ全国を旅するうちに、行く先先で、面白い芸人と大歓迎されます。そして、テレビのワイドショーに登場させたところ、大演説をぶち上げ、視聴者を驚かせ、自分の魅力に引き込んでいきます。なんて、完成度の高い芸だ!とテレビ局の人間も大喝采。そりゃ、そうでしょ、演説の天才ヒトラーその人なんですから。

実際に、映像メディアを駆使して大衆を扇動してきたヒトラーにとって、ネット環境が全土を覆い尽くしている現代は、願ったりかなったりです。ネットで親衛隊を募集したり、フェイスブックで毒舌を披露したりして、人々の心を掴んでいきます。私たちも、蜂に刺されて逃げ回ったりするちょっとひょうきんな可愛らしい彼の姿などに、いつの間にか親近感を覚えたり、つい笑ってしまっていたり。

しかし、ホントに笑ってていいのか?

第二次世界大戦から70年が経過し、全てが変わった現代社会はずなのに、当時のままの危険な思想を語る男の言葉に引き込まれ、知らず知らずに扇動されてゆくテレビの前の人たち。移民問題に揺れ動くドイツの現状が当時と重なり、彼のストレートな愛国心にだまされて、自らの正気と狂気の一線を見失っていく現代の私たちの危うさに気づくと、ゾッとしてきます。怪物は、どんな時代にもわれわれの心に忍び込んでくる…….この映画、実はとても怖い作品なのです。

 

小川洋子の「約束された移動」(河出書房新社/古書1100円)は、人が、モノが移動することをモチーフにした作品を中心に、6篇の物語が詰まっています。ますます、磨きがかかってきたなぁ〜とため息をつくばかりの傑作集だと思います。

タイトルになっている「約束された移動」で、動くのは本です。主人公は大きなホテルに勤務する客室係りの女性。このホテルのロイヤルスイートの部屋には千冊にも及ぶ本が置かれています。

「そこには千冊を超える本がお行儀よく出番を待っていた。その前に立つたび、私は思わず手を止め、うっとりと背表紙を眺めた」

その時間をヒロインはこよなく愛していました。この部屋に人気上昇中の俳優Bが宿泊し始めました。Bが、本棚から一冊本を抜き出していることを彼女は発見します。

「ちょうど一年後、再びB が宿泊した時に消えたのは、コンラッドの『闇の奥』だった。はっきりした理由は自分でも説明できないままに、書棚を見る前から、きっと今度も本が持ち去られているだろうという予感がしていた。」

彼女は、他の人にわからないように、本棚を整理して、Bが持ち去った本を本屋で買い、家で読み始めます。彼が宿泊する度に一冊の本が消えていき、彼女は、そこあった本を買い求めるということが日課へとなっていきます。本を通して、彼女とBの関係のあるような、ないような時間が流れていきます。タブッキ「インド夜想曲」、シリトー「長距離ランナーの孤独」、テグジュベリ「夜間飛行」、グレーアム「たのしい川べ」………。Bはなぜ一冊だけ持ち去るのか?本好き、映画好きにはワクワクする展開です。

この作品集の巧みなところは、「移動」をダイレクトに表現していないとことです。本名ではなく「ママの大叔父さんのお嫁さんの弟が養子に行った先の末の妹」という長すぎる続き柄で呼ばれていた女性のことを語った「元迷子係の黒目」は、百貨店で迷子係りとして働いていた彼女が、店内を移動すること、家で飼っている熱帯魚の泳ぎが重なってモチーフとなっています。

6篇の中でも、上手い!と感心したのは「黒羊はどこへ」です。ひょんなことから、黒い羊のいる託児所の園長になった女性と子供たちの交流を描いた物語ですが、小川洋子が初期の頃に持っていた不気味で、幻想的な世界がここにはあります。ラスト、亡くなった園長の葬儀で人々が喪服に身を包んで行進するシーンあたりから、事実なのかそれとも幻想なのかわからないようなエンディングへと向かうところなどは、彼女の真骨頂ではないかと、思っています。

オススメです。

京都は銀閣寺近くの名物古書店「善行堂」の山本善行さんが編集人代表を勤め、岡崎武志さん、林哲夫さんらが同人だった文芸雑誌「 Sumus」。今回入荷したバックナンバーは下記の通りです。

2号ー 特集「画家の装飾本」2000年1月。3号ー 「関西モダニズム」同年5月。4号ー「甲鳥書林周辺」同年9月発行。7号ー「古書にコミあり」2001年9月。9号ー「あまから洋酒天国」2002年5月。10号ー「「スクラップブックの時代」2002年10月。11号ー「実用を超えた実用本」2003年1月。12号ー「小出版社の時代」2004年5月。

同人誌として、これほど豊かな内容を持った雑誌はそんなに多くないと思います。発行された当時、私は古書には全く関心がなく、古書店に携わるようになってから何冊か読みましたが、これだけ揃ったのは初めてです。マニアックというか、本への愛情に満ちた内容ばかりです。

4号で林哲夫さんが「甲鳥書林周辺」という記事を書いています。

「慢性的に古本屋を覗き歩いたりしていると、これといった目的意識をもっていなくても、不思議に特定の作家、特定の装丁家、特定の出版社というようなものに目が向き、そして手が伸びてしまう。今回、それらのテーマの中から甲鳥書林を中心に気になる京都の出版社を特集に選んでみた。」

戦中戦後の、京都の出版社状況がわかります。私が初めてSumusを読んだのはこの号だったと思いますが、甲鳥書林関連出版目録まで掲載された特集を熱心に読んだ記憶があります。また、限定本の版元として今も人気のある湯川書房の湯川成一さんのインタビューで、この出版社のことを知りました。

レティシア書房を始めるまでは新刊業界にいたので、全く古本業界のことを知りませんでしたが、Sumusが、その奥深い世界を広げてくれました。この業界には本のことをこんなに熱く語る人たちがいることを知り、こういうところへ経験も知識もない私が参入するにはどうすべきかを考え、試行錯誤し、迷走した結果が、今のレティシア書房の書架なのです。そういう意味でも、この雑誌から大きな影響を受けました。

なお、1999年発行の「Sumusex」には、もうすぐ閉店される三月書房の宍戸恭一さんと善行さんのインタビューが掲載されています。残念ながらこの号は入荷できませんでした。

今回入荷した価格は下記の通りです。

2号2000円 ・3号2000円 ・4号2000円 ・5号3000円 ・7号2000円 ・9号2000円 ・10号2000円 ・11号1000円 ・12号1000円

 

 

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2003年、アメリカを中心にした連合軍がイラクに侵攻。連日猛爆撃を行いました。その時、イラクの文化的中心都市バスラにあった図書館に勤務するアリアという女性が、爆撃から約3万冊の本を守りました。図書館は爆撃で破壊されましたが、アリアのおかげで、本は無事でした。アリアも戦火をくぐり抜けて生きています。

このアリアの活躍を描いた絵本が、ジャネット・ウインターの「バスラの図書館員」(晶文社/古書900円)です。戦争が近づいていることを察知した彼女は、政府に本を安全のため移動するように頼みましたが、却下されました。そこで彼女が取った行動を、こんな風に絵本は語ります。

「アリアさんは、みずから行動をおこすことにしました。毎晩毎晩、図書館が閉まったあとに、アリアさんは、図書館の本を自分の車にはこびいれました。」

爆撃が激しくなり、図書館にいた人たちも逃げ出しました。彼女は友人に残りの本を運び出す手伝いを要請し、図書館の隣にある彼のレストランに本を運び込んだのです。やがて、爆撃は終わります。

しかし、

「やっと戦争というけだものは、町をでてゆきました。町が静かになっても、アリアさんは安心しませんでした。もし、本が無事だとわかったら、戦争というけだものは、きっと町にもどってきます」

その後、避難させた本を自宅と友人の家に分散させたのです。

今なお、中東には平和は訪れていません。でも、彼女はいつか平和が来ると信じて、本とともにその日を待っているのです。奇跡のような物語ですが、事実です。絵本化したジャネット・ウインターは、画家ジョージア・オキーフの生涯を絵本にした「私。ジョージア」で知られる人です。その時に翻訳のタッグを組んだ詩人の長田弘が、今回も担当しています。

2003年、NYタイムズとのインタビューでアリアさんは、言いました。

「コーランのなかで、神が、最初にムハンマドに言ったことは、『読みなさい』ということでした」と。

(注)ムハンマドは570年頃 生まれのイスラム教の開祖で、軍事指導者、政治家。

 

 

2019年1月末にフランスを代表する映画音楽家ミシェル・ルグランが亡くなりました。その一周忌を記念して、国内編集盤として2枚組CD「エッセンシャル・ワークス」(3000円)が発売されましたので、早速入荷しました。

「シェルブールの雨傘」「ロシュファオールの恋人たち」「華麗なる賭け」等リリシズムに満ちたメロディーで映像に躍動感を与えてきたルグランの全貌を知るのに最適なCDです。

ルグラン自身がセルフカバーをした映画音楽集と、様々なシンガーやミュージシャンが彼の作品を取り上げたソングブック集に分かれています。1枚目には、ルグラン作曲の名曲がずらりと並んでいます。

映画を知らない人でも、十分に楽しめます。華麗なストリングスとロマンチックな旋律。このひとの音楽には、心をウキウキさせる魔力がひそんでいます。アメリカには、やはりウキウキさせる素敵な曲を書いていたヘンリー・マンシーニという巨匠がいますが、微妙に違うのです。フランス人ならではのイキなセンスが一杯です。私はルグランの音楽を聴いているだけで生きているのが楽しくなってくるのです。

2枚目のソングブックでは、よくもまぁ、こんなに多くのシンガーやミュージシャンが彼の曲を歌っているものだと感心しました。あのタイタニックのテーマ曲でおなじみのセリーヌ・ディオンも登場します。一時、日本でも大人気だったアンディ・ウィリアムスが歌った「おもいでの夏」は、ラジオでもよくかかっていたので、ご存知の方も多いと思います。スキャットボーカルグルグループ、スィングル・シンガーズが歌う「華麗なる賭け」のテーマ曲「風のささやき」などは、これ以上切なく、甘く、そしてシャレたバージョンはあり得ません。また、今やアメリカ映画界を代表する監督のクリント・イーストウッドが、70年代初頭に監督したラブ・ストーリー「愛のそよ風」の主題曲「ブリージーズ・ソング」の爽やかさも耳に残ると思います。

私のベスト1は、ブラジルの名シンガー、エリス・レジーナがフルオーケストラをバックに歌った「ウォッチ・ホワット・ハブンズ」。若干36歳で亡くなったエリスのチャーミングな歌いっぷりが素敵です。ルグラン自身、晩年このカバーをよく聴き返していたようです。旅先に持ってゆくも良し。家で、朝・昼・夜と選曲を変えて聴くも良し。試聴できますので、お聴きになりたい方は、ぜひどうぞ。

ルグランについては、音楽書専門の出版社アルテスから「ミシェル・ルグラン自伝」(新刊/3080円)があります。映画音楽ファン、フランス映画ファンには読んでいただきたい一冊です。この本には貴重な写真も多数あって、あのアラン・ドロンが「風のささやき」のフランス語版を歌うシーンを捉えた一枚を発見!しかし、この録音が日の目を見ることはありませんでした。ドロンが下手だったのでしょうか……….?

 

 

写真家ホンマタカシが、写真の歴史を楽しく解説した「たのしい写真-よい子のための写真教室」(平凡社/古書1100円)は、とても読みやすく、写真の奥深い世界を教えてくれる一冊です。

「よい子のための写真教室」とサブタイトルが付いていますが、子供向けの本ではありません。先ず、「写真」=「リアルな真実」というイメージに疑いを向けます。

「そもそもphotographという単語の語源に『真実』という意味は含まれていません。photo=光 graph=描く、あるいは画ですから、普通に言えば『光画』ぐらいの訳語が妥当でしょう。」

では、写真とは何か?ここからが、写真の歴史の始まりです。アンリ・カルティエ・ブレッソンの写真集のタイトルにもなった「決定的瞬間」。写真はその決定的瞬間を捉えてこそ芸術だ、という考えで、これが長い間、写真界の進むべき方向でした。しかし、70年代になると、小型カメラ片手に決定的瞬間とは違うやり方をする写真家がアメリカに現れます。ウィリアム・エグルストンはアメリカ南部の何の変哲も無い風景を写真に収めました。

ホンマ曰く「そこには決定的な瞬間がないのです。ただただ繰り返される凡庸な日常の光景があるだけです。」写真家が世界をどう捉えるかを巡って、様々なスタイルの写真家が登場してきます。

でも、評論家的解説にならずに写真を楽しみましょう、という態度で、面白く読めます。例えば、「ワークショップ篇」では、「今日の写真を読むためのワークショップ」という章があります。ここでは、

「あなたの好きな写真集の中から1枚の写真を選んで、それがどのように成立しているかを言葉で説明し、次いでその1枚と同じ構造の写真を撮影してください。」というトレーニングが用意されています。写真を見たときの何となく口にしがちな印象的感想ではなく、「1枚の写真を要素に還元して構造的に読み解いてみる」のです。具体的な言葉で1枚の写真の説明をする。その上で、写真を撮ってみることで1枚の写真の見方が違ってくる試みは面白いです。

また「<写真は真実だけではない>ということを意識するために、最初からウソを取り込んだ写真を撮ってみよう。」というトレーニングでは、何人かが、挑戦して撮った写真が掲載され、著者のコメントが付いています。これも読み応えあります。

最後の補習編では、作家の堀江敏幸との対談が掲載されていますので、堀江ファン必読です。面白く写真の歴史がわかり、もっと写真を楽しみたいと思わせてくれる素敵な一冊です。

全編をワンカットで撮影した、というキャッチコピーで話題の映画「1971」を観ました。2時間全速で走ったような疲労を感じました。”全編をワンカット”というのは、はっきり言って物理的に不可能です。セットを整え、多くのスタッフ・キャストを準備させ、天候に気遣いながら一気に撮りあげるなんて、先ず無理です。しかし、観るものを緊張感から逃がさないように画面に釘付けにさせるために、ワンカットで作り上げる気合いで臨んでいます。

物語の舞台は第一次世界大戦です。ドイツ軍の罠とは知らず、総攻撃をかける前線部隊に対して、作戦中止の命令書を届けるために二人の若き英国軍兵隊、スコフィールドとブレイクが選ばれます。どこに敵が待ち受けているかわからない平原や森を抜けていかねばなりません。長い長い塹壕を走り抜ける兵士を、まずワンカットで捉えます。けが人で一杯の塹壕、疲弊した兵士たちの虚ろな視線。生と死がせめぎ合う怖さが私たちに迫ってきます。

スリルとサスペンスで目が離せない映画は沢山あります。でも、この映画が他のものと違うのは、戦場の恐怖が、私たちにずっと取り付いてくるのです。その恐怖から逃がさないために、あえてワンカット撮影を敢行した監督サム・メンデスの挑戦。腹ばいになりながら泥の川を越えて、腐乱した多くの死体をかき分けて、廃墟の家に潜む狙撃兵に怯えながら、兵士と一緒に進む2時間です。

ラスト、銃撃音も砲撃音も全く聞こえてこない平原に佇む主人公の安堵感と一緒に私たちもやっと解放されます。しかし、その時胸に去来するのは、幾多の場所で放置されたままの累々たる兵士の死体であり、小さな子供と二人だけの廃墟で不安に押し潰されそうな時間を生きる母親であり、一緒に任務に出たものの酷い死を迎えた同僚ブレイクの死に顔です。

戦争で犠牲になるのは若い命なのだという重い事実がズシンと残ります。

 

 

 

 

松浦正幸さんの初めての個展『松浦織物展』が本日より始まりました。

布は、縦糸と横糸が組み合わさってできています。そんな当たり前のことを思ったのは、松浦さんの織物が、その枠からはみだすようにして、動いているように見えるから。

紫と淡い朱色と金色の糸が作り出した美しい布から、横糸が流れ出た作品は「織物は立体だ」という作家の主張を静かに伝えます。ともすれば平面のように扱ってしまう布から、糸が意思を持ってはみ出してきたかのようです。

白い縦糸に、まるで話しかけるように絡む横糸の小さな作品群も、整然と縦横に織られるはずの糸が、勝手に歌ったり笑ったりしています。じっと眺めていたら、白い糸が色んな表情を見せてくれます。作り手が糸と対話しながら出来上がった感じがよくわかります。

織りあがった布の上に、後から刺繍などの加工を施すというのではなく、織りながら横糸が布から立ち上がる面白さ。こういう技を事も無げに見せられるのは、松浦さんが長い間、糸を触ってこられたからだと思います。松浦さんは、倉敷芸術科学大学工芸学科染織コース卒業後、京都の大きな織物会社で、ずっと織物の仕事にデザイナーとして携わってこられました。展示の中に、既製品の布が額に入っているのではないかと思うような、藍色と白の織物がいくつか並べられていますが、実は作家が糸から染めて織り上げた作品です。こういう技術があるからこそ、できることがあるのだと改めて思います。織物とは何か、と問いかけてくるような面白い展覧会となりました。(女房)

★「松浦織物展」は、2月25日(火)〜3月8日(日) 月曜定休 12:00〜20:00 

尚、土曜日・日曜日は作家在廊予定。

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