『電子レンジで魚が焼ける!』という紙パックをもらいました。後片付けもラクラクと書かれているので、鮭でも焼いてみるか、と使うことにしました。

 

箱から取り出して、広げてみると、こんがりシートとかいうものが貼ってあり、どうやらこの上に魚を置く仕組みらしい。①、②という手順通りに、紙パックの端を折り、組み立てているうちに、

「ン?何かに似てる。」

 

あんまり連想したくないものに思い当たりました。

「ゴキブリホイホイ」

 

紙の感じといい、組み立てる手順といい、そっくり。

 

裏を返せば、「小林製薬」って、製薬会社の製品。ゴキブリホイホイはアース製薬だと記憶しておりますが、にしたって、なんだかね〜。

これほどにまで直に「ゴキブリホイホイ」を思い描くほど、「ゴキブリホイホイ」というものが生活に浸透していることなのかもしれませんが、それならばなおのこと、この形態もう少しなんとか工夫できないものでしょうか。

電子レンジで約6分。鮭はけっこう上手に焼けました。ところが、鮭をシートからはがす時、ペタッとくっついて、そこでまた思い出す、というハメに。

メーカーの新しいデザインを期待してやみません。(女房)

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 ドキュメンタリー作家であり、多くのノンフィクションを書いている森達也の「夜の映画学校」を読んだ。これは、2002年都内の映画館で行われた多くの映画監督との対談を収録したものだ。ベテランから、ドキュメンタリーの新人まで、彼らの作品を上映し、その後対談する。森達也自身、オーム真理教のドキュメント「A」『A2」を撮っており、鋭い質問を投げかけ、小気味良い応酬を繰り広げる。その中で、何人かの監督が自主制作の自分の作品に言及している。

 

 思い出しますなぁ、大学時代、自主制作映画のサークルにいました。当時の主流は8mm。ビデオと違って3分間でフィルムがなくなるという代物。しかも、同時録音すると、セリフも街のノイズも、カメラのガタガタという音もすべて録音され、再生すると何が何だかわからない。で、セリフはすべてアフレコ。出演者、といっても素人の学生。セリフなんて言えるわけがない。ひたすら、「1、2、3」と呪文の如く繰り返すのみ。それを、貧相な下宿の部屋で再生し、セリフを適当に合わせる。しかも、映写機の音が入らない様に、寒〜い冬の夜にテラスに出て、ガラス窓越しに部屋で再生される画面を見ながら録音、全員風邪をひきました。

 当時、大学はまだ学園紛争の最後で、先輩達は「性と政治の季節」の影響下にありました。製作に参加した映画が、近親相姦を描いて性の解放を目指す、というわけのわからん一本。兄が姉を犯すシーン、といってもホントにするわけにはいかない。先輩の車を借りて、後部座席に足だけ出して、スタッフが、車を押していかにも、車の中で……。蛇足ながら、カーセックスシーンという状況にスタッフが興奮加熱、車を揺すりすぎて、故障。宝塚の山奥から皆で押して帰りました。

 そして、アフレコで「おにい様、いけません」などと深夜に叫ぶ。他人が見たら変態ですね。さらに、上映時、このセックスシーンになると、本編とは別に映写機を三台同時に回し、イメージフィルムが流れる、という魑魅魍魎の作品。あげくに、上映では「日和見!」「自己批判!!」等々学生集会さながらの怒号のラッシュ。

私が監督した「善人づらした貴方へ」では、モデルガン持って中之島の地下街を走っているシーン撮っていたら、お巡りさんが走ってきた。おっ!!リアルなどとはしゃいで撮影していたら、取り囲まれた。誰かが通報したみたいでした、「拳銃持ったヤクザがいる!」と。交番でこっぴどく怒られました。しかし、そのリアルなシーンは賞賛されるだろうと臨んだ大学同士の上映会は、ぼろくその酷評。「独りよがり」、「マスターベーションみたいな映画作るな」等々。バイト代は無くなる、疲労はたまる、その上ボロクソに言われる、と映画作りはホント酷な作業です。(店主)

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1月22日付の朝日新聞の投稿欄に、「うめ吉のため腕をふるう」という記事がありました。

 投稿者の71歳の男性は、毎日うめ吉という飼い猫のために、ごはんを作っていらっしゃるとか。すごいのが、この方のかつてのお仕事が、和食の料理人だというのです。

 仔猫を拾うまで、動物に興味がある方ではなかったのですが、15年間一緒に暮すうち、今度生まれ変わるならネコ!それも飼い猫がいい、と思う様になりました。

 わがままだけれど、憎めない。人の命令などどこ吹く風で、のんびりマイペース。撫ででもらいたい時には声にならない『ニャー』を発すれば、人間なんてイチコロ。そのあたりはポール・ギャリコ著『猫語の教科書』に書かれた通り。

 この記事を読んで、改めて思いました。「今度生まれ変わるならネコ!それも飼い猫!そして、飼い主は元和食の料理人!」(女房)

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 1月18日の夜中、マロンが戸口でバタバタしていました。普段は、「おやすみ」っていうと、自分の寝床へ行き、ベッドメーキングをして朝まで静かに寝ている子なのですが、なんだか落ち着きません。マロンは吠えない犬なので、黙ったまま、ただ足だけバタバタして、「散歩!散歩!」って要求します。「夜中やで、もうちょっと待っててや。」そう言って、もう一度2階の寝室に戻りました。

 朝、なんと、床にウンチ。しかも下痢気味のようです。慌てて始末をして(なにしろ居候の身)連れ合いが朝の散歩に連れて行きました。その日は3時間おきくらいに「散歩!散歩!」のバタバタが繰り返され、その度下痢便をして帰る始末。でもいたって元気。

 

「彼女になにが起ったのか?」

 

 夕方、4度目の散歩から帰った頃に、原因判明。マロンの体を拭きながら、なにげなく台所の隅に置いてある小さな空き箱に目がいきました。

 

ン?確か、ここにはお餅のかけらが入っていたな。

 

 アキ教授が、正月に神棚にお供えしていた小餅4個。15日に神棚から下ろして、石の様に固くなった餅を箱に広げ、少し割りながら「裏庭に来る鳥さんのえさにしよう。」とつぶやいていたのを思い出しました。鳥にあげるにはまだまだ大きな固まりがあったので、もう少し放って置いていたのでした。

 

アレを、あの固い餅4個分を、全部食べたな!

 

 いつもお世話になっている動物病院に電話しました。先生は「餅のカビはたぶん大丈夫。ただし食べた量が問題です。今夜は絶食!」と指示してくださいました。

 夜にもう一度、そして夜中の2時に再び外に連れ出して、連れ合いはとうとう風邪をひきました。マロンはといえば、出すもん出したら落ち着いたらしく、翌日は曝睡。手をかけてやらねばならない生きものと一緒に暮らすということは、なかなか面倒なことではあります。しかし、寝顔を見ていると、ため息といっしょに思わず「かわいいな〜」と口に出す私です。(女房)

 

 

☆マロンのベッドメーキングの癖は、うちにやって来た日から始まりました。寝床に置いたバスタオルを口でくわえて一所懸命に、枕状にして、その上におもむろに寝るのです。 

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 ぐっと、睨んだ顔で「この、ばかものが!!!」と一喝するのは映画「日本のいちばん長い日」(67年東宝)の島田正吾。高校の日本史の教科書なら「ポツダム宣言受諾」の一行で書いてある部分を、受諾までの数日間を、おそろしくドキュメンタリータッチながら、サスペンス映画として仕上げた作品で、島田は終戦決定を受け入れる近衛師団長を演じている。彼の所にポツダム宣言受諾を不服とする血気盛んな陸軍将校が、皇居を占領し、本土決戦を敢行する反乱の先頭に立って欲しいと要請にくる。そこで発せられるのが、この一言。

 

 もう一人、欲望渦巻く医学部付属病院の内情を描いた映画「白い巨塔」(66年大映)で加藤嘉が演じた難波大学大河内教授。医学部の教授選考で便宜を図ってもらうに賄賂のお金を持ってやってきた医師会の連中に、その金を投げ捨て、この無骨で、清廉潔白な老教授が「馬鹿者が、恥を知れ!」と一喝する。

 両者とも、超ドアップで、唾が飛んできそうな勢いで「ばか者」のセリフを発する。いや〜その怖い事。しかし、カメラはこの二人の人としての尊厳を捉える。その鋭い視線にさらされた時、役者のスクリーンでの演技であることを離れ、私自身がその場で、その時々の矮小な己の心持ちや、未熟な自分自身を木っ端みじんにされる錯覚に見舞われる。圧倒的に強力な存在に、罵倒されるサディステックな快感って、中途半端な慰めや癒しの下劣さに比べれものにならないほどに、良きものだ。

 そして、この二人の反面教師の存在として忘れてはならないのが、金子信雄が「仁義なき戦い」(73〜74年東映)シリーズで演じた山守親分。宮沢賢治の詩的に言えば、「東に、いい女いれば、お尻をなで回し、西に弱っている人いれば、徹底的に痛めつけ、南に甘い利権あれば、吸い付き、北に権力者いれば、猫なで声で近づく。」と人間の卑猥さを丸ごと抱えた人物。私は、この人の弱気を挫き、強気を助ける哲学に傾倒し、常々愛犬にも自分より小さき犬には高飛車に、大きな犬には平身低頭するように教育している。

 人は何処まで行っても、矮小で猥雑、卑劣な存在だ。少々お勉強して賢くなったり、お仕事して世間で一人前と言われても、根底は変わらない。山守親分はその事を教えてくれる。そしてその真実を忘れて、高慢になった時、師団長や教授は現れ出で、この馬鹿者と浴びせかけられる。だから、私は人様に高慢不遜な態度を取れないし、何がしかの社会的能力が劣っていても、所詮人間は愚劣なもんだと思っていれば気にもならない。

 いい教師を持てて誠に幸せものだ。(店主)

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 「エイリアン2」に続いて、またまたブログに、キャメロン監督の登場である。               89年異星人コンタクト映画「アビス」を発表する。SF海洋冒険映画としては、前半は100点、後半はー100点で、0点の映画。映画館で観た時は、一気にボルテージが上がった瞬間、真っ逆さまに奈落に落とされるという貴重な体験をした映画でもある。(その点、DVDで観る時はいいです。100点部分の最後で止めれば、100点のまま映画は終わり。)

 お話は、深海で正体不明の移動物体を追跡していたUS潜水艦が沈没。核弾頭を回収にきた軍人が、その深海に生息していた異星人に恐怖を抱き、核攻撃しようとするのを海底で作業していた石油発掘チームが防ぐというもので、脚本もキャメロンが書いている。で、ヒーローの石油発掘チームのリーダーの、離婚間際の女房が、この基地を作った技術者で映画のヒロイン。これが、もう嫌な女!!仕事も出来るし、度胸も抜群なのだが魅力0。今から、海底に潜るのに、ハイヒールにタイトスーツなどという都市型キャリアスタイルで登場するところから嫌み。鼻息は荒いし、言いたい事は怒鳴り散らすで、「やかましい!」と一喝したくなるのだが、これは当時のキャメロン夫人の映画プロデューサー、ゲイル・アン・ハードに対する夫のイメージだったのではないのか。つまり、これぐらいの馬力がないと、ハリウッドマッチョ社会で女性プロデューサーが生き抜くことなど不可能に近かったはず。          

 にしては、愛情のある描き方には見えない。内向的で、ぐじぐじ悩むキャメロン(と勝手に思うのだが)は、妻への愛情と尊敬と、あぁ〜こんな女と一緒にいたら窒息するという恐怖がごちゃ混ぜになり、いっそのこと、深海に葬ってやろうかと、何度も脚本を書き直した(と勝手に推測)。そのために、映画は迷走し、あげくにスピルバーグ作品「未知との遭遇」の愚劣なトレースに終止し、つまんないハッピーエンドを見せつけられる。

 しかし、後半一つだけ学んだことがある。核弾頭を回収すべく、特殊な潜水装置を装着して深海に降りてゆくヒーローが、その深海の恐怖で意識を失いかける。その時、基地にいたスタッフが、ヒロインに何か話して、意識を失わないようにとアドバイスする。字幕では「話して」、そして原語は”speak”。彼女は、深度は何、温度は何と情報を伝達する。側にいた女性スタッフがこう言う。「違う!話すのよ!」と。英語は”speak”ではなく”talk”。  なるほど、真実を告げたり、伝えなければならない真理を口にすることを”talk”と言うのか。この女性はヒロインにこう伝えたのだ、「虚飾を捨てて己の真実を話なさい。今がその時だ」と。しかし、この後がいかんのだ。あ〜やっぱり貴方を愛していました、私の大事な人と、今時の歌手でも赤面して歌えないようなフレーズを連発する。このハリウッド的ご都合主義に私の心はこの深海より冷えてしまった。

 金欲、性欲、権力欲の亡者が跋扈するジャングルのごときハリウッドを、そのしぶとさと強かさで生抜く女性を好きになるキャメロンの気持ちはとても理解できる。でもね、あんたにゃ荷が重いわ、ともし彼が私の友だったらそう忠告する。しかし、彼は懲りない。90年、新しい恋人キャスリン・ビグロー監督第二作「ハートブルー」に製作者とし参加し、彼女の映画製作に涙ぐましい献身をする。そして、後年彼女は、キャメロンを見事踏み台にして、「ハートロッカー」でアカデミー賞をごっそり頂く。(この当たりの事は以前のブログをご参考に)

その後、キャメロンは、この手合いの女性に懲りたのか、浮いた話は聞かない。しかし、近年の作品「タイタニック」や「アバター」がスケールの割には、物語としての迫力には欠けているのはどうしてなんだろう。やっぱり、彼には強い女性が必要なのか? 可哀想なキャメロンではある。(店主)

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    愛犬マロンです。食べて、寝て、散歩して、ウンコして毎日平和に暮らしています。誰に対しても全く吠えません。番犬を希望していたわけではないけど、犬ってもんは、もう少し吠えたりはしゃいだりするんだと思い込んでいました。

 ぜんぜん吠えない。5年間で「ワン!」って聞いたのは、散歩中に猫を追いかけた時だけ。それも一度かぎり。我が家に来たばかりの頃は、上目遣いに人の顔色を窺っていました。なでようとしたら、まるで叩かれるのをさけるようにヒュッと首をすくめて固まってました。皆に、この子は表情がないな〜って、言われたので、毎朝「マロちゃんおはよう!」「今日もかわいいね!」って思いっきり笑顔で接しているうち、笑う様になってきたのです。いや、ホントですって。犬の顔は飼い主の顔に似るっていうじゃないですか。笑顔には笑顔で応えてくれる様な気がします。

 おとなしくてかしこいね〜って、褒められます。ホントはお手もできないです。決して飼い主の言う事を聞きわけて、大人しいわけじゃないのです。呼んでも知らん顔だったりしますし。

 でも、ともかくカワイイ。見ているだけで気持ちが温かくなります。それに毎日の散歩で足腰も鍛えられて、ありがたいことです。(女房)

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             一冊の本が届いた。                                                                     タイトルは「歩きながら考えるstep6」だ。縦横15cmぐらいの小さな版だが、中身は大きい。

 特集は「混沌を知って、私たちは野生にかえる」。人という生命体に棲む野生を、いろんな視点で考えた特集だ。その中に、宮沢賢治の「農民芸術論網要」が載っている。一時期、宮沢賢治にどっぷりはまりました。彼の言葉は、麻薬みたいなヤバい感じがあって、幻惑されていると、もう逃げ切れない。しばらく読んでいないと、あ〜あの言葉をおくれ、と禁断症状に苦しむことになる、危ない作家です。その彼の作品としては地味な「農民芸術論網要」。「風とゆききし、雲からエネルギーをとれ」、「正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行く事である」とか示唆に満ちた文章の宝庫を他の書き手の文章と違和感なくマッチさせた編集センスの卓抜さ!

「歩きながら考える」は、いうところのミニプレス。通常の流通ルートを通さず、自主独立して歩んでいる。こういう手作りの本を手にすると。30年前のあの時を思い出す。

その頃、京都新京極に若者向けのファッションビルができ、その4階に大きなレコードショップ(CDはまだ、世に出ていません)が入店し、そこの店長に着任した。しかし、まぁ〜売上の悪いこと、悪いこと。そんなある日、「略称連続射殺魔」と称するバンドのメンバーが、自分たちのレコードを置いて欲しいと言ってきた。どの店でも断られたんですと悲壮感が漂う。こちらは、売れるもんなら何でも良いと、溺れる者藁をも掴む気分だったので、受け入れた。                

 しばらくすると、あちこちから噂を聞きつけ、多くの作品が集まってきた。本来、聖子ちゃんや、おにゃんこ倶楽部のポスターを貼るスペースも、メンバー募集の紙やら、ライブチラシ、小冊子で埋め尽くされ、毎日ギター小僧で店内は溢れかえり、ついには音楽好きの全国の修学旅行生のマスト立寄店にまでなってしまった。パンク小僧たちから自主製作の牙城、あのおっちゃんなら売ってくれると信頼されました。

 色々ありました。昭和天皇死去の時、渋谷のラブホテルのカップルの盗み撮りの声とノイズをサンプリングし、ジャケットは天皇の顔を使用したとんでもない作品を出して、こわ〜いお兄さんに睨まれたり、修学旅行生の買ったシングルのジャケットの超あぶないデザインに先生が激怒し、売り言葉に買い言葉で殴り合い寸前までなったり、地元バンドがレコードの表紙に金属バットで一家惨殺した事件となった家の写真を使用したため、発売中止に追い込まれたり、国粋主義的パンクバンド?が、中国人排斥の小冊子を出したりとスリルに満ちた日々でした。 

でも、店内を見回し、あんな音楽、こんな音楽もありなんや、こいつ無茶言うけど、一理あるやんみたいに多くの表現が、拒否されずに漂い、皆がそれぞれ取捨選択して、お互いを排斥せずに自分達で楽しんでいる風景というのは素敵でした。

 あんたの音楽わからんけど、音楽やってんやし、みんな仲よ〜しようなぁ、ぺちゃぺちゃしゃべったらええとこも解るさかいなぁ〜、というのが表現の自由を守ることなんだ、と教えてくれたのがこの時代の無数の音楽小僧と膨大な自主製作作品でした。そういう意味では、レティシア書房で、ミニプレスという名の「自主製作」の作品を積極的に置いてゆこうとしているのは、私の原点への復帰なのかもしれません。(店主)

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 ARK(アニマルレフュージ関西)は、捨てられたり、虐待されたりしている犬や猫を保護して、新しい里親を探す活動をしています。15年ほど前、連れ合いがARKの代表のエリザベス・オリバーさんの本を読んで感動し、訪ねて行きました。早速サポート会員になって、少しずつ寄付などしていましたが、とうとう5年前に1匹のメス犬(雑種当時5歳)を貰い受けることになりました。彼女は、飼育放棄されていて、随分ひどい状態のところを助けられたそうです。

 犬の名前は「マロン」。亡くなった義父が晩年可愛がっていた近所の犬の名前と同じでした。実は犬を飼うことには消極的だった私ですが、なんか運命みたいなものを(勝手に)感じてしまい、彼女に会ったその日にうちの子になってもらおう、と決めました。犬好きの連れ合いはもちろん大喜び。  

 我が家に来た当初は、まだ先住猫レティシアが健在で、よく威嚇されていました。コワいお姉さんに睨まれていたせいか、今でも散歩の途中で猫に出会うとちょっと引いてしまうのです。マロンは愛猫レティシアの死後、我々の大切な家族です。(女房)

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先日、小鼓の先生が出演される能「道成寺」を見に行った。能の舞台を一言で言ってしまえば、眠たくて、重々しくて、退屈で、しかしそれ以上にスタイリッシュで、過剰に興奮させる芸能だ。で、能の舞台の中でも、最高峰と言われる「道成寺」。いやぁ〜怖かった、逃げ出したくなりました。

 舞台中程、先生の小鼓と、舞い手(シテと呼びます)が、延々40分ぐらい二人だけの舞台が進行する。小鼓が一つ打つ。すると、シテが一つの所作を行う。そして、静寂。二人とも何の動きもない。そしてしばらくすると、一つの音、一つの所作、そして静寂が延々続く。

はたと気づく、私は汗をかいているのだ。舞台の二人はこの時にしか表現できない最高の音、動きを、おのれの精神的、肉体的限界を超えて出そうとしている。お互いを挑発し、殺気が舞台にみなぎる。まぁ、高度な「どつき合い」にお付き合いしているようなもんですね。その果てしない緊張の渦の中で、私の精神が反応し、快楽に体が喜ぶ。これこそ音楽ではないか!

  そんな経験を以前にもしたことがある。ジャズトランペッター、マイルス・ディビスの演奏を聴いた時だ。1969年アルバム”Bitches Brew”発表後、彼は、それまでの大人な正統派ジャズをあっさり捨てて、猥雑で欲望ギラギラなブラックミュージックに接近する。常に変化する事を原理原則にした彼のサウンドはサイケデリックな過激性をまとう。お上品なジャズリスナーや、耳の悪い評論家からはボイコットされてしまう(今でも)。

 

 私は史上最高にかっこいいと思う。死ぬまで、変化し続けることを己に課したミュージシャンって、彼ぐらいだ。その彼のライブでの”First Track”を聴く。号砲一発、マイルスのトランペットが炸裂する。その時、持ちうるすべての才能を突っ込んで彼は疾走する。この殺気。この時、この場所でしか出せない音。溢れ出るサウンドの大洪水に体が反応し、恍惚へと誘う。

能とマイルスに、何の接点もあるわけがないが、聴きやすい音楽ではないということでは一致する。音楽を聴くという事は、聴きやすい音を楽しむだけではない。時に過剰で、激しく響く音楽に見を委ね、それに自分は反応し、喜べるかどうかを確認するこだと思う。

あんまり、耳に心地よい音楽ばっかだと、ほら口当たりのいい言説を、耳元で囁くあの人、この人の餌食になるかも。だから、ipodには過激な音楽を入れて、散歩時には、音楽は気合いだ!と愛犬には伝えているのだが、ほのぼの生きることを原理原則にしている彼女には全く伝わらない様子ではある。(店主)

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