古本屋巡りの好きな方なら、いつも楽しみにされている「本と本屋とわたしの話」最新15号(250円)が入りました。数十ページの薄い冊子ですが、本好きには応えられない内容です。

神戸六甲にあった「宇仁菅書店」に通いつめた戸田勝久さんが、この店の思い出を書いた「消えた古書店2ー神戸宇仁菅書店」。店内はグレングールドの「バッハのゴールドベルグ」が始終流れて、「店の中は宇宙で、書物が星座を描くように分類の枠を超え、『宇仁菅センス』に依って、『星』が丁寧に配置されていた。客は謎解きをするようにあちこちに散りばめられた星を巡って本を買い、また棚に並んだ本を見ながら宇仁菅さんが仕込んだ連想ゲームに引き込まれて行った。」

これは、本屋のあるべき姿でしょう。個性的な小さな書店は、日々、ああだこうだと考えながら棚を作っているものです。ここではおそらくお得意様だけだと思いますが、美味しい珈琲が楽しめたらしい。しかし2012年、店主が亡くなり閉店されたのだそうです。

「このように濃密に通う古書店と出会う事は無いだろう。私の人生の後半に良い店と出会えて幸せな『書店人生』だと思える六十五歳のこの春だ」と書かれています。

南房総市千倉発の「0470」(無料)の最新50号は、安西水丸の特集です!幼い頃、この地に住んでいた安西の足跡を辿っていきます。そういえば93年に出版された「荒れた海辺」は、安西の幼少の思い出が詰まった名著で、この本に登場する様々な場所が写真入りで紹介されています。

「昇(安西水丸の本名は渡辺昇)とは同級生で小学校、中学校と一緒でした。昇は小さな頃にお母さんと千倉へ引っ越してきたんです。」とは幼馴染みの山本初治さん。彼が安西の少年時代を語ります。これは、レアな企画ですね。また、「水丸さんを感じる」というページでは、南房総で彼の作品世界を感じる場所が写真と文章で取り上げらてれいます。南房千倉大橋には、安西のタイル画がはめ込まれていて、ファンなら一度は行ってみたい場所です。フリーペーパーなので、お早めにどうぞ(後10部程です)

 

 

 

最後に個展の情報です。詩とクロッキーとマンガをセットにした作品集「中庭」、「痙攣」(各324円)を出している古井フラさんが、奈良大和郡山(京都から近鉄で1時間)にある素敵な古書店「とほん」で、5月10日から29日まで「トリミング展クロッキーと詩」展をされます。古井さんのクロッキーは、上手いなぁ〜と思っていて、いつか当店でも個展をお願いしようかと思っていました。GWが終わった後の奈良なら散策にも最適です。

 

ミシマ社から出た森田真生「数学の贈り物」(新刊/1728円)を読みました……..。『「一般に、自然数のたし算とかけ算の間には、a(b +c)=ab+ac という『法則』が成り立ち、これが『分配則』と呼ばれる。」 

なんや、これ、さっぱりわからん! こらぁ、ミシマ社!お前ん所は、いつから専門書出版社になったんや!責任者、出てこんか!と本を投げつけようと思いましたが、なぜか、頭の方は読み続けようとするのです。イライラするなぁ〜と歯ぎしりしながらも読んでいくと、なんだかわからんままに、これが面白いのです。

この本、数学研究者として在野で研究を続ける著者の初の随筆集です。中学の時、古代ギリシアの数学者ユークリッドに出会い、彼の編纂した「原論」に触れます。「学校の数学で、第一巻の命題の証明を、一つずつ再現させられる授業があった。僕はこの授業が気に入って、毎週、幾何の時間が楽しみだった。」という数学少年でした。

だからと言って、この随筆集は数学に関するものではありません。一人の子供の親として、日々感じたこと、暮らしの中で気づいたことを、数学者らしい思考で書いてあります。芭蕉、道元、マルクハーン、岡潔など、多彩な人物が登場しますが、明晰な文章が読む者の心に響いてきます。いかなる権威のある機関、大学に頼ることなく、在野で研究し、発信し続けている学者の矜持があるので、(私にとっては)ややこしい数式を前にしても、この人の考えていることを知りたいと思うのかもしれません。

「自明視されていた様々な規範が、音を立てて壊れていく」のが現代だと指摘し、そんな不確定な時代を生き抜くために、「不確かな未来を恐れてパニックに陥ることは、不確かな未来は『悪い』未来であると、決めつける傲慢さの裏返しだからだ。『戸惑い(bewilderment)』は『パニック』よりも謙虚なのである。『恐ろしい未来がくる』と思考停止で叫ぶよりは、『何が起きているのかさっぱりだ』と困惑しながら、考え続けることの方が前向きだ。」という意見には、そうだ、そうだと拍手したくなりました。

最初に書いたように、すべてを理解できているとは思えませんが、う〜む、ここは手強いなと思いつつも、再度ページをめくっています。「数には、人の心の向きをそろえる働きがある。『六日後に会おう』と約束すれば、まだ来ぬ時間に向かって心が揃う。『右から二番目の椰子の木』と言えば、会話している二人の注意が、同じ木の方へ揃う。数は世界を切り分け、その切り分けに応じて、人の心の向きを揃えていくのだ。」という著者に、注目していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2003年、アメリカはイラクが大量破壊兵器を保持、テロ組織を支援しているという理由で、軍事介入に踏み切りました。当時、大手マスメディアも、政府発表を鵜呑みにして軍事介入を後押ししました。

2001年の同時多発テロ事件以降、アメリカはイスラム憎しの感情に凝り固まっていました。時の大統領ブッシュや側近たちは、イラク悪人論の前提で情報を操作し、国民世論を誘導しようとしていました。 NYタイムスやWポストも、まんまとその罠にはまってしまったのです。

しかし、政府の主張する大量破壊兵器保持の情報は嘘だと見抜き、この軍事介入の不当さを訴えた新聞社が一社だけありました。ナイト・リッダーというアメリカ各地の地方誌を傘下に持つ小さな新聞社です。この新聞社の記者が、米政府の嘘と情報操作を迫ってゆく姿を描いたのが「記者たち衝撃と畏怖の真実」(京都シネマにて上映中)です。

監督はロブ・ライナー。「スタンド・バイ・ミー」「恋人たちの予感」等、多くの佳作を発表してきました。そのせいか、わかりやすい社会派エンタメ映画に仕上がっています。

手堅くまとめた娯楽映画とはいえ、説得力があるのは、エンディングに登場する数字です。この戦争での犠牲者の数、使った費用など、莫大な数字が出た最後に「発見された大量破壊兵器0」という数字に、国民を欺き、国費を無駄使いし、多くの若者を死に追いやった政府への監督の苛立ちがはっきりと表れていました。

ナイト・リッダー社は、大手メディアが政府広報の垂れ流し機関に成り下がっても、自分たちだけは「イラクに派遣される兵士の母親の味方でいたい」という立場を貫き通しました。

トランプ大統領が、自分を批判するニュースや新聞社をフェイクだと言い立てる現状では、こんな愚かな戦争を再び起こしかねないかもしれません。そういう意味では、優れた「反トランプ映画」なのです。そして、胡散臭い奴らが跋扈して、妙な世論を作ろうとしている我が国の危険をも示唆しています。

作家の江國香織は、こんなコメントを書いていました。

「疑う知性が必要なのは、記者たちに限ったことではない、という警鐘のような映画。ロブ・ライナーはほんとうに誠実な才人だと思う。」

 

春爛漫。

本日から片山陽子さんの染色展「感じる・話す」が始まりました。

蒲公英(たんぽぽ)を描いた一連の小さな作品は、いつの間にか花が近くで咲いていて、気がついて目を留めたと思ったら、またいつの間にか綿毛になって飛んで行った、というような時間の経過を感じます。

空を駆け上がる龍も、黒い雲の間から稲妻とともに勇壮に飛ぶイメージとは違い、どこからともなく目の前にフワリと現れたと思ったら、すーっと消えていく夢の世界にいるような不思議な生き物のよう。橘からイメージした「あの日の精霊」という三作品も、そこにいたはずの花の精が、風に舞って目の前からいなくなって、本当に見たのかどうかわからない儚い感じがします。いずれも、静かな時の流れの中で、頬に当たる風や、目の前を横切る暖かな光のような不思議な優しさ。

片山さんは、岡山県出身。倉敷芸術科学大学工芸学科染織コース卒業後、京都市内の工房で10年間友禅の仕事に従事しました。現在は地元で、別の仕事の傍ら作品制作を続けておられます。キャンバスに絵の具で絵を描く代わりに、染めならではの、滲み、ぼかしの特長を生かして、布地に描いていきます。布地は、糸の捻りによって滲み方や味わいが変わっていき、下絵通りにならないところも面白みになったりするそうです。

今回の個展では、手描き友禅の技法をベースにした片山さん独特の、ふわりとした浮遊感のある美しい作品が並びました。人が生きていく上で、周りの大切な人たちとの交流、側にいる動物や植物に対する愛情など、「活きている」ものたちと自分との間にあるやりとりを決して大声ではなく、小さな声で優しく語るように染め上げられた片山さんの初めての展覧会になりました。ギャラリーもすっかり春の空気で満たされています。お花見のついでにお立ち寄りいただければ幸いです。(女房)

 

●片山陽子染色展『感じる・話す』は4月9日(火)〜21日(日)12時〜20時(最終日は18時まで)月曜定休日

 

 

 

 

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高校の現代国語だったかで、近現代文学史の授業がありました。つまらんな〜と思ってました。名前と作品を並べて、やれ自然主義文学やら、浪漫主義やら、もう眠たくなるだけの授業。この体験が響いて、所謂文豪と言われる森鴎外、夏目漱石、島崎藤村などを避けてきました。古本を扱っているのに、鴎外も漱石も読んだのは二作品ほど。藤村に至っては皆無です。

そんな後ろ向きの気分をひっくり返す本に出会いました。嵐山光三郎の「追悼の達人」(新潮文庫/古書400円)です。これ、明治、大正、昭和の文士49人の死去の際、送られた追悼文、弔辞を拾い集めて、それぞれの小説家の生身の姿を捉えようとした一冊です。

「追悼文は、ナマの感情である。その場その瞬間の心情を、思い出すままに書きつづけてしまう。まさか後世に、文献として残るとは思わない。だから本心が出る。日記にも似た要素はあるが、日記は残されるから本心を隠そうとする配慮が出る。追悼文が一番油断する。」

と嵐山は、述べています。亡くなった作家に対する本心、死への思いなど、それぞれの作家の心情があぶり出されています。この文庫本、600数十ページもあり大著です。全てを読んでいません。高貴な作家を、周りはどう思っていたのかしらん、と週刊誌のスキャンダルを読むように興味ある作家を眺めています。

笑ったのは、島崎藤村です。昭和18年、71歳で死去した藤村は、自然主義文学がすでに過去のものになっていたこともあり、どの文芸誌も冷たい取り上げ方で、「中勘助は『藤村先生は耳が遠かった』ととぼけたことを書き、佐藤春夫は『谷崎と芥川はそろって藤村嫌いだった』と自分の気持ちを他人に託して書いた。」という様だったと著者は書いています。何故?という疑問に対して、嵐山の解説はこうです。

「芥川龍之介は、藤村の人も文学も嫌っていた。自費出版で儲ける藤村は、版元からも嫌われており、時代のおぞましい痣のような文学商人の一面があった。岩野泡鳴は、藤村を『思わせぶり』と酷評した。藤村にはマッチポンプのように自ら不幸の種をまいて、それを小説の仕掛けとして悩み、告白してみせる性格がある。」

藤村41歳の時、姪の島崎とま子に手をだし、妊娠させ、本人はフランスへとんずら。帰国して、また手を出すスケベ親父は、その懊悩と懺悔による罪の浄化を主題にした小説「新生」の連載を始めるのですから、ま、人間性を疑われても仕方ありません。そうか、こんな不埒な野郎だったのか、一度読んでみようという気になりました。

もし藤村の色恋沙汰を、その当事者たちが本当のことを書いて、追悼したら「明治性犯罪妖怪作家伝」的な内容になるという嵐山の指摘が、最高に面白い。退屈な文学史を、グッと身近に引き寄せる本です。

 

私は、基本的に小林信彦以外で映画の本は買いません。そのお金で映画館に行きます。しかし、例外が二つあります。日本が中国に作った傀儡国家満州にあった満州映画協会関連のものと、50年代アメリカの芸能界を襲った非米活動員会による「赤狩り」関連の本です。映画の暗い歴史を知るだけでなく、政治や社会が暗黒の世界へと向かってゆく様がわかるからです。

今回読んだのは、津野海太郎「ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り」(平凡社/古書1950円)です。誰?ジェローム・ロビンス?そう「ウエストサイド物語」産みの親であり、映画版でも華麗なダンスシーンを振り付けた人物と言えば、お分かりになるでしょう。本書は、彼が非米活動員会に召喚されて、共産主義に同調する役者、演出家の名前を証言したプロセスを中心にして、あの当時のアメリカ社会を論じたもので、とにかく面白い一冊です。

非米活動員会で、こいつは共産主義者だと証言することを”naming names”と呼びます。証言を拒否した役者や監督は、アメリカで活動できなくなり、国外に逃亡するか、地下に潜るしかありませんでした。「エデンの東」の監督エリア・カザンなんて、仲間を売ったと最後まで裏切り者のレッテルを貼られてしまいました。

ロビンスは一時期、共産党に入党していました。そして、さらに彼は同性愛者で、ユダヤ人でした。50年代60年代に、同性愛者であることが明るみに出てしまうと、世間的にはもうアウトです。ロビンスがなぜ仲間を裏切ったのかを、サスペンス小説並みに描いていきます。証言を拒否すれば、寄ってたかって攻撃され、社会的に葬られ、全ての生活基盤を失ってしまいます。

なぜ、今「赤狩り」の本を出したのかに付いて(2008年発行)著者はこう書いています。

「2001年9月11日の同時多発テロ以降、アメリカ合衆国に生じた変化の深さである。社会の空気が一変し、じぶんとことなる人間のあり方にまたたくまに不寛容になっていった。これではとうてい赤狩りが過去のものであるなどとはいえない。ロビンスがおちいった悪夢じみた窮境も、まだまだ他人事ではありえない。もちろん日本でもおなじ、ということはいつも頭の片隅にあった。」

50年代のアメリカの話を、今更と思う方もいらっしゃるでしょうが、来年の東京オリンピックなんて見ないなどと言えば、非国民扱いになるのかもしれませんよ………。

 

 

ミニプレス、古本、そしてギャラリーを併設している「ON  READING」という書店が、名古屋にあります。ご存知の方も多いと思います。私は、レティシア書房を開店する前、お伺いして色々とお話をさせていただきました。この書店が「ELVIS PRESS」という出版部門を立ち上げたので、本を入荷しました。

今回入荷の本で、目玉は田口美早紀のイラスト集「We Are Animals」(1404円)、「This is Sports」(1404円)です。静岡生まれ、大阪在住の若手イラストレーターで、雑誌等で仕事をされています。

新作「We Are Animals」は、タイトル通り、動物たちの仕草や習性をユーモアたっぷりに描いた一冊です。単に可愛いイラストではなく、きちんと動物の種目別に作品が並んでいます。

霊長目オナガザル科で、まず登場するのはニホンザルで、お気楽そうに温泉に入っています。その次は、テングザル。本物?の天狗と肩を並べているイラストで、キャプションに「天狗のような大きな鼻をもつ。」と書かれています。「食肉目ネコ科」に登場するマヌルネコなんて初めて知りました。「じっと動かず岩になりきる」という言葉通り、うずくまっている姿には笑えます。このネコ、世界最古のネコで、しっぽを振ってネズミに催眠術をかける、なんて説明がありますが、ホント? 各科目ごとに最後のページで、「食肉目ネコ科の皆さん」というようにキャプションが付いた記念写真、じゃなかった記念イラストが載っていて、いい味を出しています。

「This is Sports」は、ユニークなスポーツ紹介イラストです。野球、テニス、卓球、バスケットボール、サッカー、陸上、プロレス等々のスポーツをテーマにそれぞれの動きをユーモラスに描いてあります。例えば、バレーボールってどういう競技?と聞かれたら、正確に答えられますか?この本には、英語と日本語で完結に書かれてあります。英語圏の方々とも会話できるかも。砲丸投げ、走り幅跳びなどのふわりと浮遊した感覚を楽しみ、プロレス編の卍固めや、フライングボディプレスの極上のユーモア感覚に笑える一冊です。

「熊彫」(1620円)は、昭和10年に名古屋の徳川美術館を開いた徳川義親が、支援していた北海道八雲の木彫り熊を集めた作品集です。木彫熊を土産物として、工芸品としてブランド化したのが義親だったのです。木彫熊の歴史、貴重な昭和初期の熊彫制作に写真なども収録してあります。

「これらを彫り上げた一工人であり一作家である彫り手たちの意志、そして義親がどんな思いで一農民である彼らの暮らしを支えたのか、彼らの生きた時代、その思いを、このささやかな書を通して思い描いて頂ければ幸いです。」

木彫熊の過去そして、その様々なスタイルを知るには絶好の書です。

 

 

古書でそれほど高価ではなく、店に置いておきたいと思って仕入れしている画家が何人かいます。香月泰男、松本竣介、小村雪岱、熊谷守一などです。しかし、どの作家も人気が高く、価格も高騰しています。そんな中、今回「香月泰男画文集<私の地球>」(3000円)、「夫の右手」(2200円)と一緒に「香月泰男のおもちゃ箱」(新潮社/古書2200円)が入りました。

これは、香月泰男の立体作品というか、手作り玩具を野外に持ち出し大森忠が撮影をし、そこに谷川俊太郎が詩を添えたコラボ作品集です。

「絵はどこまで描いても満足とは言えぬが、玩具では威張りたい」とは画家の言葉ですが、木やブリキで制作した人形や、動物が、もう生き生きとしています。ブリキの牛が草叢にいる所を撮影した作品には、谷川のこんな詩が付いています。

「ヒトだけだ 不平に不満に不幸 自分を不の字で飾り立てるのは」

雑草を見つめる牛の口元から、静かなため息が聞こえてきそうです。木やブリキで作られた人形たちの様々なスタイルを写した「散歩に行く」の中で、帰ってきた一対の人形とそれを迎える一体に「帰れるのは幸せだ どんな小さな部屋にでも 誰ひとり待っていなくても たとえ土の下 雲の上でも 帰れるのは 幸せだ」という詩が添えられています。人形たちも楽しそうです。

また、「『おもちゃ』の思い出」と題した、香月と妻婦美子さんそれぞれのエッセイも入っています。「この部屋は私たち夫婦が晩年を過そうと思い設計した仕事場に接した四畳半の室であるが、昨今は物置の様相を呈している」と画家は書いてますが、いやいや、この部屋がまたなかなかいいのです。夫婦の愛情が感じられる、いつまでも座っていたくなるような場所。こんな場所から、人形たちが生まれているのを見ると、彼らが幸せそうなのも納得できます。

長崎発の雑誌「らく」(イーズワークス1080円)最新号の特集は「愛すべきローカル線〜島原鉄道〜」です。

特集のページをめくると、少年時代に一度は憧れたことのある出発進行のポーズをとる鉄道マンの姿があります。明治時代から、諫早と島原を結ぶローカル線として、地元の人に「しまてつ」という呼ばれて愛されている島原鉄道は、諫早駅から島原外港まで43キロを結ぶ単線。一時間に一本程度、一両編成のディーゼルカーで運行されています。乗客の大半は、地元の高校に通う高校生やお年寄りですが、終着まで1時間15分は、汽車旅の醍醐味に満ちています。鉄道ライターの上野弘介は、この鉄道の車窓の楽しさをこう書いています。

「島原に向かうとき、進行方向の右側に座れば、まるでねはん像のような穏やかな姿の雲仙岳が、島原半島を回り込むうちに荒々しい山容に変わっていく様子が楽しめるし、左側に座れば原湾に移ろう海の景色が楽しめる。島原までの1時間、車窓からは島原半島の素晴らしい景色が絶えず楽しめるのである。」

昨今、海に近い駅が注目されていますが、島原鉄道の古部駅と大三東駅は、駅そのものが防波堤になっているという、極めて海の側を走る鉄道なのです。数年前、私はこれぞローカル線とでもいうべき「釧網線」に釧路から乗り、網走まで一人旅をしたことがあります。北海道ならではの風景を十分楽しんだのですが、3時間はちょっと疲れました。その点、島原鉄道は、全行程1時間少々。私にはちょうどいい時間です。

特集では、車窓風景やこの鉄道の歴史だけでなく、ここに生きる多くの鉄道マンの姿も捉えています。もちろんテッチャンにとっても、魅力的な写真ばかりです。海の真横に位置する大三東駅の姿も見ることができますが、映画のワンカットみたいな風景で、一度は訪ねて見たくなりますね。

 

強烈なモノクロの銅版画、二宮さち子「愛の夢」展が本日より始まりました。

少女漫画から飛び出たような個性的な女性が、こちらを見つめます。細密に描かれた花と女性に、なぜかむせかえるような妖艶な色気のようなものは感じません。その大きな瞳は、もっとどこか遠くを見ているのかもしれないし、感情を隠して仮面の下からこちらの様子を伺っているようにも見えます。全く違うもののように思えるかもしれませんが、見ている側の感情によって変わる能面に通じるような顔を追求しているのかもしれません。仕上げにキラキラしたラメがかけてあり、それが洒落た味を添えています。

描きこんでいくと、どこまでも細かくさらに密になっていく手をどこで止めるのか、おそらく葛藤を続けながら作品を一つずつ仕上げていかれるのでしょう。二宮さん曰く「下絵を描くと、後は職人のように淡々と作業する」銅版画という手法を選んだことが、品の良さに繋がっているような気がします。

森茉莉の「甘い蜜の部屋」からインスパイアされた「モイラ」シリーズ(写真左)も素敵です。今後は、もっと人間の動きを形にしていくためにデッサンを重ねていくと意欲的です。さらなる飛躍が期待できそうです。二宮さんの個性的な銅版画の世界をお楽しみください。

なお、作品は全て販売しております。ポストカードも4種類あります。(女房)

 

 

★「愛の夢」二宮さち子銅版画個展 4月2日(火)〜7日(日)12時〜20時 当ギャラリーにて

 

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