能楽師、安田登さんの「野の古典」(紀伊国屋書店/古書1400円)は約400ページの分厚い本ですが、サクサクと読むことができ、へぇ、古典ってこんなに面白いんだと再確認させてもらった一冊です。古典と聞いただけで、大嫌い!という声が返ってきそうですが、著者に言わせると

「中学生や高校生が目にする古典は、何度も何度も検閲の網を潜った、刺激の少ない、毒にも薬にもならないものです。目黒のサンマです。そりゃあ、面白くないのは当たり前です。」

だからこの本では、「毒がいっぱい、薬もいっぱい。不思議な神秘現象もあるし、魔物だって登場する。この世のことも、あの世のこともなんでもある。ちょっと危険な美的世界も描かれる。」そんな古典を紹介しているのです。

確かに「東海道中膝栗毛」など、現代語では書けないぐらい卑猥で、下品なもので、オリジナルの言葉で読むのがベストでしょう。

本書では、「古事記」「万葉集」「論語」「伊勢物語」「源氏物語」「平家物語」「奥の細道」など、ザ・古典というものがたくさん紹介されています。難しそう、なんて引かないで読んでみてください。できれば音読で読むよう著者も勧めていますが、なかなかいいです。ふぅ〜んそうだったのかと思うようなエピソードも、全体に散りばめられています。

各章の終わりには、原本で読むならこれを、という読書案内が付いています。なんとここで紹介されている古典は、ほぼ文庫で読めるんですよ。「それにしても、これだけ多くの古典が入手し易い形で、しかも原文付きで書店に並んでいる国というのは、実はとても珍しいのです。」だそうです。

もちろん、本業の能についても書かれていますが、「能そのものに眠くなるような仕掛けがある」と、最初にあります。確かに、能舞台をみていると眠くなることがあります。「能は眠りの芸術です。」とまで言われているので、ちょっと安心しました。

「半分起きて半分寝ている半覚半睡の意識状態になると、通常受け入れられないような不思議なことも受け入れられるようになり、それによって幻影を見ることすらできるようになります。夢と現のあわいで遊びながら『妄想力』を全開させるーそれが能なのです。」

とにかくめっぽう面白い古典案内です。様々な形で伝承されている浦島太郎伝説が、実は極めてアダルト的小説だということ。これを読んだ平安貴族の脳裏には、浦島と乙姫の激しい性行為の姿が浮かんだのは間違いなかったはずで、ポルノ目的の物語でした。ところが明治期に、子供には読ませられないとアダルトシーンを全てカットして残したという事実も初めて知りました。

因みに楽しい装画は、漫画家のしりあがり寿さんです。

 

 

 

 

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「ミナ・ペルホネン」を主宰するデザイナー皆川明と谷川俊太郎が組んだ絵本が到着しました。題して「はいくないきもの」(クレヨンハウス/新刊1650円)です。

「あかちゃんに贈るはじめての俳句?はじめてのファンタジー」と表紙に書かれています。これどうやって赤ちゃんに読むの?と思いたくなりますが、いい絵本です。

例えばこんな感じです。

「れたたすて たすたしころろ ふりむいた」

谷川のリズミカルな五・七・五の俳句(?)に皆川の不思議な絵が付いています。同じように

「おいはねほ ねはねへはねほ ふんわりと」

意味を考える前に、これ、音読するとすごく心地よくなってくるのです。皆川の描く不思議な生き物「はいく」は、日本独特の五七五調の言葉から生まれ、日本人の遺伝子に刷り込まれている五七五調の気持ち良さが、谷川の言葉とともにきっと楽しく赤ちゃんに伝わると思います。

それにしても、皆川の絵は面白い。表紙になっているのは、まるで歌舞伎役者の隈取りが顔になっている像のような、サイのような生き物。これに付いている「はいく」は

「んぱぶさな けしきひろびろ あっぺくも」

何回か読んでいると、この生き物から発せられたような感じになり、大きな隈取りの顔をこちらに向けて鳴いているみたいです。

皆川らしい美しい色彩の洗練された蝶々や、花ではなく、謎の珍獣のオンパレードというのも面白い。実験的と言ってもいいような二人のコラボによる絵本です。

皆川明著「生きるはたらくつくる」(つるとはな/新刊1540円)は、魚市場でアルバイトして資金を集めて、たった一人でブランドを立ち上げた彼の人生と仕事を描いた一冊です。2000年10月、雨模様の日にオープンした直営店第一号を、不安定な天候同様のスタートから、今日の「ミナ・ペルホネン」へと大きくしてゆく姿を知ることができます。

 

 

 

イ・ビョンホン主演の政治サスペンス映画「KCIA南山の部長たち」。1979年10月26日、大統領直属の諜報機関KCIAで権力を掌握する立場にいたキム部長が、パク大統領を暗殺しました。本来、大統領に忠誠を誓うべき機関の首たる者が、よりによって大統領を殺すに至る二人の確執を追っていきます。

パク・チョンヒは、1961年の軍事クーデターで権力を手中に収め、63年から79年まで大統領として君臨しました。彼の政策で、韓国は高度経済成長を実現、先進国の仲間入りを果たしましたが、その一方で民主化運動を弾圧していきました。キム部長は、パク大統領と共に軍事クーデターを起こした仲間でした。

映画では、この二人が共に革命を乗り越えてきたことを思わせるセリフが登場します。しかし、日本滞在中の金大中氏の拉致を KCIAに命じるなどの強硬な政策を進め、独裁者への道をひた走る中、パクとキムの間に亀裂が生まれ、またキム自身も新たな権力闘争打開策もないまま、暗殺という強硬手段へ突き進みます。

実在の事件を、どちらか一方に加担することなくクールに、しかもきっちりサスペンス映画として観客を飽きさせない、退屈させないという力技は昨今の韓国映画の強みです。主演の イ・ビョンホは若い頃、ピカピカの2枚目スターでしたが、すっかり渋くなって本作では冷静沈着なKCIAの部長を演じています。最後のパクの暗殺シーンは、かなりの迫力です。そして、エンディング。普通は静かな曲が鳴って余韻に浸るのですが、恐ろしくパーカッシブで交響曲みたいな壮大な曲が流れます。

最後まで飽きさせない第一級のサスペンス映画であり、韓国の現代史を考える機会にもなる作品でした。

女性蔑視の極みとも言える発言をして、ふてくされ会見をしたオヤジ、森喜郎氏。広島弁と大阪弁を組み合わせて罵倒したくなる。「なにカバチたれとんねん。このあほんだらが!」

ところで、今読んでいる本にこんな記述がありました。それはニコ・ベズニエ、スーザン・ブロウネル。トーマス・F・カーター共著の「スポーツ人類学 グローバリゼーションと身体」(共和国/新刊4950円)の中の「スポーツ、セックス、ジェンダー、セクシャリティ」という章にある、こんな文章です。

「近代オリンピックの創始者ピエール・ド・ベルタンは女性の参加に反対し、女性の役割は男性の武勇を観戦することであるべきだと考えた。古典教育を受けた他のエリート男性同様、彼は古代ギリシアでもそうであったと考えた。なぜならオリンピックの復興を支えた十九世紀末から二十世紀初頭の古典学は、女性がゼウスの妻ヘラを敬って競技に参加していたという事実を隠蔽していたからである。」

森さんは、まだ女性がスポーツで男性に劣る、とでも思っているのでしょうね。「オリンピックの真の英雄は成人男性個人であるべきだと私は思う。」と述べた100年前のクーベルタン男爵に近いところにいるのかもしれませんな。

「スポーツ人類学 グローバリゼーションと身体」は、なかなかの大著で、400ページ余もあって、牛歩のごときゆっくりと読んでいるので、実はまだ最後まで読んでいません。しかし、スポーツを社会学的見地から論じる本書は、極めて知的刺激に満ちていて、またその分、難易度の高い論考も登場してきます。

「本書は、著者ら自身のアスリートとしての、またスポーツの組織者、専門的実践家、観客としての、数十年に及ぶ経験に依拠している。」と序章に書かれているように、膨大なフィールドワークの結果が反映されています。

こんな競技が国技だったの?と驚いたのは、アフガニスタンの「ブズカシ」。馬に乗った男性が山羊か羊の死体をゴールに入れることを競うというものです。

「一般的にブズカシは少年の割礼のお祝いに行われたが、息子の婚礼の際にも行われた。この二つは、アフガニスタン社会における男性の通過儀礼のうちで主だったものである」

ちなみにスポーツを禁止したタリバンの治世や相次ぐ内戦で、この競技は今や風前の灯火らしいです。するスポーツ、見るスポーツとは全く違う次元からスポーツの民族史を描き出した労作です。さて、最後まで読むことができるかな。

件の森さんが推進する2021年オリンピックですが、この発言を聞いた差別問題に鋭敏な国から、そんな国で競技する気はありませ〜んと、どんどん拒否すればいいのにね。この人の頭の中には、世界中で今起こっていることに対する問題意識はなく、このまま引き下がれないという時代遅れの面子だけがあるように思われます。そんなトップに引き回されるのは御免こうむりたい。

 

本に関するエッセイを多く出している近代ナリコの「女子と作文」(本の雑誌社/古書950円)は、戦前から現代までの様々なスタイルの”女子本”の中から、そこに書かれてきた、あるいは投稿してきた女性たちのリアリティーを紹介した、ちょっと他に類のないエッセイです。

登場する作家は、大橋歩、今井邦子、今西博子、新田まり子、佐川ちか、安井かずみ、落合恵子等々。そして雑誌「オリーブ」の読者の投稿を載せる「オリーブクラブ」の記事も紹介されています。

「アンアン」「平凡パンチ」などで時代の最先端のイラストレーターとして活躍し、「アルネ」で新しいスタイルの暮らしの雑誌を作った大橋歩の仕事と人生を考えたかと思うと、次の章では、大正から昭和にかけて活躍した歌人でエッセイストの今井邦子が、文学で身を立てようと上京した明治42年の彼女の文学生活へと迫っていきます。

今井は、「女子文壇」という投稿を主にした雑誌で活躍し始めます。この雑誌は明治38年創刊で、当初は日露戦争直後という社会情勢の中、体制に迎合的と見えた雑誌でしたが、「しだいにその体質を変え、文学の名のもとに集い、あたらしい生き方を目指す女性たちの声を拾いあげて先鋭化してゆく。」のです。ここには、岡本かの子も参加していました。

「女性の書いたものを読む楽しみは、その表現から、彼女たちが何を欲望していたかをを知ることにある。邦子にとってそれはなにより<文学>だったが、それをいいかえれば、妻でもない母でもない、邦子自身であるということだった。」

著者は「彼女たちが何を欲望していたか」を拠り所として、多くの文献、雑誌を読み漁り、彼女たちへの共感度を増してゆきます。

それは、可愛いものを探し、好きな本や映画について語り、新しいファッションを欲する女の子たちが夢中になっていた「OliveClub」に投稿していた女の子たちの個性的な表現でも同様です。「さんざん言われてきていることとはいえ、『オリーブ』の文化度の高さに感心させられずにはいられない」と書いています。

70年代、新書館という出版社から「フォア・レディース・シリーズ」という単行本が出されていました。寺山修司、白石かずこ、立原エリカらの作家たちに混じって、新たな書き手として、落合恵子、安井かずみが加わります。この二人は書き手であると同時に、本の表紙を飾るモデルとして登場しました。

「その後、かたやスタイリッシュな女のライフスタイルご意見番として、かたや性差別問題に果敢に取り組むフェミニストとして、女性に向けた文筆活動を展開しながらも、その方向性は対照的なふたり。デビューはほぼ同時期のフォア・レディース・シリーズ、表紙を自らが飾ったことまでが一緒だが、おそらく、安井の表紙が、彼女の自己演出という内的欲求によるのにたいして、落合の表紙は、彼女の絶大な人気という外的要求による。安井はみずからしていて、落合はさせられているのである。ふたりのその後のスタンスのちがいにもうなずけるというものである。」

というのが著者の分析です。

「OliveClub」のことは私は知りませんでしたが、この「フォア・レディース・シリーズ」は覚えています。おしゃれでかっこいいイメージが充満していました。

 

立春。まだまだ寒い日が続いていますが、ギャラリーは色鉛筆のあたたかなタッチの絵でほっこりした空気に溢れました。

平林香乃さんの「ひみつばなし」は、身の回りのグッズ、ごはん、本、果物、家、などが優しい色合いで描かれていて、ゆっくり見ていると、そこから物語が立ち上がってくるようです。

平林さんの絵に登場する動物たちは、みんな顔が見えません。木の陰に隠れていたり、本の中に入っていったりして、どの子も尻尾しか見えない。月の夜、テーブルの上に置いてある本の影に、キツネの尻尾が……..。ん?もしかしたら目の錯覚かもしれないし、そこでキツネが本を読んでいたのかもしれない。夢を見ていたのか?

日常の風景に潜む不思議ないたずら心が、なんともチャーミングです。ただ可愛いだけでない魅力的な世界が広がります。

「夜とひみつは、よく似合う。 紺色の世界は 冷たさと温かさ 厳しさと優しさを持っていて 赤いルージュも 悲しげな横顔も ほっこりとしたティータイムも どんなものも包み込んで 明かす前に、忘れる前に 朝を連れてやってくる そうして紺色はさらに深く美しく その世界に置かれているものは ひとつひとつが愛おしい 触れるときっと温かく まるで生きて呼吸しているかのよう そこに居た気配は形となって 目に映っているかのよう 夜を両手に抱けたなら 嘘も本当もきっと 優しく温か。」今回の個展に向けて書いた作家の思いです。

物語を探しにぜひお出かけくださいませ。(女房)

✴︎「ひみつばなし」HIRABAYASHI KANO EXIBITIONは、2月3日(水)〜14日(日)

月火定休 13:00〜19:00

 

 

 

 

 

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2014年にスタートした出版社「共和国editoral republica」は、出す本出す本が刺激的で渋い本が多く、新刊は全て注文しています。この出版社の主なコンセプトは「『文化批判』です。文学、批評、思想、音楽、映画、美術、精神分析、コミックをはじめとするジャンルを超えた『文化的なもの』を通して、この現代社会と横断的/歴史的/批判的に向き合って参ります。」とHPに書かれています。

この出版社の本で、最初に動いたのは、藤原辰史の「ナチスのキッチン」(2970円)でした。ファシズム体制下で人間と食との関係に起きた歪みを通して、「台所」という空間が持つファシズムについて検証した画期的な一冊です。のちの食文化論に影響を与えたと同時に、藤原辰史の名前が脚光を浴びた記念碑的な本でした。藤原は「食べること考えること」(2640円)もこの出版社から出しています。

以前ブログでも紹介しましたが、芥川仁「羽音に聴く」(2640円)は、全国39箇所の養蜂場を訪れ、ミツバチの世界を見つめ、彼らと生きる人々の姿を撮った写真集です。

これは面白い、読もうと思っていた矢先に売れてしまったのが川島昭夫の「植物園の世紀 イギリス帝国の植物政策」(3080円)でした。1789年、英国の戦艦バウンティ号で反乱が起きます。この事件は、映画や小説になっていて有名なのですが、この戦艦がパンノキという植物を、南太平洋のタヒチからアメリカの南にある西インド諸島まで運ぶ命令を受けていました。何故そんな遠方まで運んでいたのか?英国植民地政策を担った植物学者たちの姿を通して、「植物園」の起源を掘り起こした労作です。

日本でも有名な「愛犬ダーシェンカ」の著者カレル・チャペックの弟ヨゼフは、反ナチスの一コマ漫画や風刺画を描き続けましたが、逮捕され強制収容所に送られ、そこで生涯を閉じました。「独裁者のブーツ イラストは抵抗する」(2750円)は、その彼の作品を集めたものです。

最新作は、武田麟太郎「蔓延する東京」(3850円)です。明治37年生まれの小説家で、「日本三文オペラ」、「井原西鶴」などの著作がありますが、ご存知の方は少ないかもしれません。1930年代の東京。戦争の時代へと入ってゆく帝都東京の底辺に生きる人々の姿をあぶり出し、蔓延するファシズムに対峙した作品です。1929年、文藝春秋に発表した「暴力」は、政府から発禁処分になりますが、川端康成が高い評価をした作品で、初めての収録されました。

地味ながら、知的刺激を与えてくれる作品ばかりで、新作だけでなく、既刊本も少しずつ揃えていきます。

 

 

ジャズを聞かない方でも、ナベさんこと渡辺貞夫の名前はご存知だと思います。1933年生まれのアルトサックス奏者。父親は薩摩琵琶奏者です。若い時にアメリカに渡り、ジャズを学び、帰国後、日本ジャズ界のトップランナーとして走り続けてきました。

そんな彼が、何と全曲バッハの曲に挑戦したのが「sadao plays Bach」(CD・中古1600円)です。今まで、多くのジャズミュージシャンがクラシックに挑戦してきましたが、どれも違和感がありました。古典音楽に挑戦しようとする高い意識が張り詰めたアルバムばかりで、聴いていてしんどくなるのです。

その点ナベさんは、彼のバッハへ、というか音楽への愛が溢れていて、クラシックなのに「ご機嫌な」気分にさせてもらえます。柔らかい視線、微笑みを絶やさない口元がトレードマークのナベさんの人間性が、そのサックスの音に現れているのですね。

このアルバムは、2000年8月のライブ録音。響きの良いことで有名なサントリーホールなのですが、柔らかなサックスの音が心地よく響いてきます。全曲、ピアノの小林道夫とのデュオローブです。バッハのフルートソナタをアルトサックスに置き換えて演奏しています。美しい音楽というのは、こういうサウンドのことを言うのだと思います。

驚くべきことは、アンコールでブラジル音楽の第一人者アントニオ・C・ジョビンの曲を演奏するのですが、そこまでのバッハの曲と何ら違和感がないところです。ナベさんにとって、バッハもジョビンも関係なく、ひたすら素敵な音楽を演奏することが幸せなのだと思います。彼が感じた幸せを、私たちにもおすそ分けしてもらいましょう。

ジャズ喫茶ベイシーの菅原正二は、このアルバムについてこんなことを書いています。

「『しあわせ』を手にした方々に、より『しあわせ』になる方法を教えます。それは、このアルバム、何時間でもかけっ放しにしておくことです。太陽のまわりを回る惑星軌道のように円を描き、終わりのない『しあわせ』が持続するからであります。ちなみに僕は12時間というのが今のところの最長記録で、いずれ記録を更新したい」

しばらく店でかけ続けることにします。

 

 

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マイク=セイラー作/ロバートグロスマン絵、翻訳を今江祥智が担当した「ぼちぼちいこか」(偕成社/古書700円)。主人公のカバは関西弁です。原作者が関西弁で書いた可能性はないので、大阪出身の今江が、地元言葉で翻訳したのでしょうが、これがドンピシャ。いろんな職業にトライしてもダメなカバ君。まあちょっと一休みということで、ハンモックで寝てしまいます。「ま、ぼちぼちいこかーと、いうことや」。脱力系絵本と言うか、肩の力が自然と抜けてゆく絵本です。こういう時に出てくる関西弁って強力で魅力的。

 

まつむらまさこ絵と文「うまのおいのり」(至光社/古書

1200円)は、新しい飼い主になった少年へ、馬が送った手紙。馬だけでなく、犬でも、猫でも、およそ命あるものを飼う時にはどう付き合ってゆくか、こうあって欲しい作家の祈りが込められています。

「わたしの いちばんの おねがいは さいごまで あなたの ともだちで いることです」という馬の言葉が胸に染み入ります。パステル画の優しいタッチに癒されます。

 

 

 

谷内六郎を叔父に持つ谷内こうたの作品が二作入りました。一つは、「にちようび」(至光社/古書900円)。「にちようび よく はれた あさです」から始まり、そのあとは温かな色の美しい絵だけで、平和で穏やかな室内を描いています。

敷物の上で眠る猫。そのそばをトコトコ過ぎ行く木製の列車。取り立てて何も用事のないのんびりした日曜日の朝の嬉しさが漂っています。

もう一点は、谷内が翻訳したエリック・バトゥー作「めぐる月日に」(講談社/古書1400円)です。「1月、まっている…….」から、「12月、わたしは、ゆめをみる……」まで、一年を通して、人の暮らしのすぐそばにある自然の中で生きるものたちを優しく見つめた作品です。日本語の上には、オリジナルのフランス語も載っています。

最後にもう一冊、絵本ではありませんが、別冊太陽の「初山滋 線と色彩の詩人」(古書/1100円)もおすすめです。きっと誰もがどこかで目にしたことのある作品をたくさん世に送り出してきた、初山滋の特集です。武井武雄らと日本童画家協会を設立し、童画の普及に務めた第一人者です。彼が装丁した童話本や、小学校の国語の教科書の表紙絵も掲載されていて、貴重な作品の書影を見ることができます。

 

 

 

 

 

 

「『娘に縄打つようなことする気はねぇ。俺らなりの始末を付けるのよ』男が再び肩をつかみ、強引に鉄蔵を振り向かせる。

『戯作者と絵師で、この筋立てをしめぇまで描ききるのよ』」

これ、矢野隆の「とんちき 耕書堂青春譜」(新潮社/古書1300円)のラスト近くで飛び出す啖呵です。

舞台は江戸。トップクラスの版元の耕書堂にたむろする若き絵師や、戯作者の卵たち四人の青春を描いた物語。やがてこの四人は、歌舞伎絵の写楽、「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴、「富嶽三十六景」で知られる葛飾北斎、「東海道中膝栗毛」の十返舎一九になってゆくのですが、そんな彼らの、金もなければ、才覚を買ってくれる人もいない青春時代。耕書堂は、いわば「トキワ荘」みたいな場所だったのです。

「死んじまったら戯作が書けねぇ。死んでもこの世に戯作を残せるんなら、あっちのことを書いてやれるのによ。三途の川の渡し賃に、閻魔への媚びの売り方。地獄の亡者たちとの付き合い方まで、生きている奴等があっちに行っても困らねぇように、俺が戯作してやる。それができねェ事が我慢ならねぇ。」とは、後の十返舎一九こと幾太郎の台詞です。骨の髄まで戯作に染まっているのに、世の中に作品が出せない思いです。

江戸前の気っぷのいい台詞がポンポン飛び出して、そのリズムにつられて一気に読んでしまいました。エネルギーを持て余し気味の男たちが、自分の道を見つけてゆくまでを、ドタバタとアクションを巧みに織り交ぜながら描いた小説で、私のような時代小説初心者にも、大いに楽しめた一冊でした。

これ新作歌舞伎で、上演してくれないかなぁ〜。大向こうからかかる声が聞こえてくるようです。