ヘェ〜藤沢周が、こんな本格的時代物を書くんだ!小説の王道を行く堂々たる出来栄えに感動しました。

私にとって藤沢作品といえば、「ブエノス・アイレス午前零時」とか、「サイゴン・ピックアップ」などのクールな感覚の現代物でした。それ以来、彼の著作は読んでいませんでした。

で、何でこの「世阿弥の最後」(河出書房新社/新刊2000円)に手を出したかというと、十年ほど前からお能を見たり、小鼓の稽古に通ったりしていることが大きいと思います。室町時代、能のスタイルを完成させた観阿弥と世阿弥親子。本書では、世阿弥が時の将軍によって72歳で佐渡島へ流刑された人生を描いています。

謡曲の詞章と和歌を織り込んだ道中風景が、読者を物語の世界へと誘い込みます。島に着いた当初は、都のことを思い出していましたが、この島の自然が彼の魂を鎮め、やがて、佐渡の人々と風物を愛するようになっていきます。彼の周りに登場する人物造形が巧みで、特に、たつ丸、了隠らの登場人物が世阿弥と関わることで物語がどんどん深くなってゆくところが読みどころです。

世阿弥が島に来た年は、極端な雨不足で稲作に大きな影響が出ていました。そのために島の権力者の命で、「雨乞い能」をするシーンの描写は、前半のハイライトでしょう。自然体で生き、移ろいゆく島の自然を愛しながら、能の深い世界を極めようとする世阿弥の姿が浮かび上がってきます。著者は佐渡島を眺めて育ち、武道を学び、能の体験もしたということですが、だからこそここまで描けるのでしょう。

佐渡に流され、恨みのうちに果てた順徳院の霊を鎮めようと、彼は新作能を書きます。

「いや…….、書かねばならぬ。順徳院の悶死するほどの悲しみを謡にして、仏にあずけ、弔うこと。それが佐渡にこの身を迎えてくださった順徳院への、せめてものご供養と、己れなりの覚悟にせねばならぬ。順徳院の成仏は、また己れの成仏でもあろうに。」

荒ぶる魂を鎮める能舞台が後半の読みどころです。やはり、ここでも荒々しい島の自然を巧みに取り込んで読者をクライマックスへと進めます。

実は、物語にはもう一人主人公がいます。それは彼の息子の元雅です。ただ、彼はすでに死んでいて、亡霊となって父の元に現れて寄り添います。生きている世阿弥と、死んでいる元雅が交錯するシーンが何度か登場しますが、それは、実体と霊が交錯する夢幻能の舞台を見ているようです。

「西行桜」を舞うクライマックスの舞台では、世阿弥に寄り添うよう元雅も舞います。しかし、

「私には元雅を抱くことができぬのだ。抱きしめようとしても、元雅が作った『隅田川』のように、黄泉路の国の我が子は腕をすり抜けていく。

幻に見えければ、あれはわが子か………、互に手に手を取り交はせば……、また消え消えとなり行けば……」

それでも、世阿弥は元雅を感じながらこの曲を舞い切ります。

格調高い文章は最後まで読者を離さずに、濃密なエンディングを迎えます。あぁ〜大長編を読んだ、という醍醐味を堪能できる作品です。

⭐️本の紹介をZOOMにてさせたいただく「フライデーブックナイト」。次回は9月17日(金)です。

⭐️北海道のネイチャーガイド安藤誠さんのトークショーを今年も開催します。

10月24日(日)19時スタート(2000円)要予約


 

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草木勝さんの写真展は、2018年のお正月以来で今回が2度目になります。日本写真協会・京都写真協会に所属するプロの写真家で、レティシア書房を開くずっと前からの知り合いでしたが、前回初めて「作品」を並べていただいてすっかり草木ワールドのファンになりました。

今回のテーマは「花」。花の写真はそこら中にあふれているので、草木さんがどう料理するのか楽しみにしていました。真っ黒な背景に美しい花がくっきり。これらは、いわゆる写真機を使わず、花を直接コピー機の上に置き、パソコンに繋いだスキャナーから直接データを読み込むという手法をとったのだそう。スキャナーは光源が極端に被写体に近いので、原稿台から数センチ離れると全て露出不足で暗闇に沈み、花を囲む背景は美しい黒になるというのです。草木さんは「これはこれで『写真』だといってもいいと考えている。」と、個展の挨拶文に書いています。

レティシア書房の店のサイズに合った、硬質な花の写真をスッキリと展示。迷いのない作品が、まっすぐこちらに向かってきます。これが妙に心地いいのです。

前回の個展は、川底に沈むカラフルな空き缶でした。それぞれの空き缶がゴミとは思えないほど美しかったのを覚えています。空き缶をそのまま撮り、後で加工を施さずに美しく仕上げるのは、川の流れのように自然体にしたい、という草木さん流のこだわりでした。写真を知り尽くして遊び、そして仕上がりは美しい。魅力的な写真家です。

京都国際写真祭(KYOTO GRAPHIE)が、今年も京都市内各所で9月18日から10月17日まで開催されます。「草木勝写真展」も一枚噛みたかったところですが、ちょっと日程が早すぎました。写真祭に先駆けて今日から始まりました。ぜひお運びくださいませ(女房)

 

✳️ 「FLOWERS」草木勝写真展は9月8日(水)〜19日(日) 13:00〜19:00

13日・14日は定休。

⭐️本の紹介をZOOMにてさせたいただく「フライデーブックナイト」。次回は9月17日(金)です。

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佐藤究の長編小説「テスカトリポカ」(古書/1400円)を読み切りました。本年度、直木賞と山本周五郎賞のW受賞作品です。読んでみて、よく直木賞を獲得できたものだ、とまず驚きました。実際審査委員長の林真理子が、この作品を直木賞にすべきかどうかで大激論になったと語っていました。

ご承知のように直木賞はエンタメ系の小説に贈られる賞ですが、オーソドックスな小説の醍醐味をもたらしてくれ、品格のある作品に与えられることが多いと思います。が、「テスカトリポカ」は、とんでもなく暴力的で残忍な描写が支配する小説です。

メキシコの麻薬カルテルに君臨していたバルミロは、メキシコでの対立組織との抗争に敗れて、ジャカルタに潜伏していました。そこで、日本を追われた元医者の臓器ブローカーに出会います。二人は、誰もやったことのない臓器密売ビジネスを日本で始めるのです。

何らかの事情で無戸籍になってしまった児童を見つけては、悲惨な状況から救い出し、育て、新しい親を探す団体を立ち上げます。しかしこれは表向きで、実際は、子ども達の臓器を摘出して、移植手術を待ち望む裕福な人々に売りつけるのです。やがてこの二人の周りには、自らの暴力的衝動を抑えられない男達が集まってきて、組織は大きくなっていきます。

液体窒素で手足を凍らせてハンマーで打ち砕く、なんていう拷問などとんでもないシーンもあります。麻薬、殺人、アステカの恐るべき邪教、超人的な身体能力を持った少年、闇医者、麻薬中毒の保育士等が入り乱れて、物語は怒涛のごとく進行します。何度か、あれ?これノンフィクション?と思うほどの描写もあって、そりゃ直木賞選考委員の先生達が揉めたのもわかります。

聞くだに恐ろしいアステカ神話の世界が、現代日本の川崎に蘇り、麻薬資本主義の怪物達が咆哮る物語で、日本語をアステカの一言語であるナワトル語でフリガナするという独特の文体を読者に突きつけてきます。(そこが少し読みにくいというのが弱点なのですが)

究極の犯罪小説は、ラストがどうなるのか、途中から心配になり最終ページに近づくにつれてソワソワしましたが、ここに登場する不思議な少年コシモに救われました。途中、中だるみする所もありましたが、このエンディングのおかげで不安な気持ちが吹き飛びました。ひょっとしてコシモは神の国から降臨してきたのかもしれません。

⭐️本の紹介をZOOMにてさせたいただく「フライデーブックナイト」。次回は9月17日(金)です。

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京都文化博物館で開催されている「小早川秋聲展」に行ってきました。「國之楯」(写真左)は、戦時下の絵画をテーマにした美術展で見たことがありましたが、衝撃的でした。従軍画家として中国戦線に出向き、沢山の作品を描いたのですが、本作品だけは日本軍が受け取りを拒否したということです。

そんな画家が、他にどんな作品を残していたのか興味があり、当店の近くの会場ということもあって出かけたわけですが、今回の作品展のサブタイトルに「旅する画家の鎮魂歌」とあるように、若き日、この人は世界を旅して、多くの作品を残していたことに驚きました。

小早川秋聲は、大正期から昭和期にかけて京都を中心に活躍した日本画家です。当時の日本人としては異例ともいえる程、海外へ出かけていきます。大正9年には3年間ヨーロッパを外遊し、インドやエジプトにも足を運んでいるのです。その数年後には、今度はアメリカに渡り、数ヶ月間過ごしています。会場には、外遊時代に書かれた作品がたくさん展示されていています。

飛行機もなければ情報も少ない時代に、よくぞここまで世界を回ったものです。異国の景色に日本的叙情を感じる作品の数々に、しばし足を止めました。ちなみに彼はヨーロッパ外遊中に結婚しています。外国にいることの不安や戸惑いが無い人だったのかもしれません。

日本軍の中国侵略とその後の日中戦争中、陸軍の依頼で従軍画家として中国、東南アジアに派遣され戦争画を描きます。愛国心を奮起するような勇ましい作品が多いのが戦争画ですが、彼の場合は、勇猛な突撃シーンなどはなく、戦場で疲れた兵士達の休息の時を描いたりして、静かな絵が多くあります。そんな中の一点が「國之楯」」でした。

黒一色で塗りつぶされた背景に、胸の前で手を組んだ日本兵が横たわっています。顔には出征兵士に送られる日の丸が覆いかぶさっていて、一人の兵士が戦場で死んだ事実が迫り、動かなくなった肉体の持つ重さに対面することになります。国のために死んだ兵士の姿としてみれば、日本軍ご推薦の作品になるはずだったのですが、哀しみを湛えた絵は厭戦の気分を盛り上げるとして拒絶されたのかもしれません。自分は戦犯になるかもしれない恐怖におののきながらも、戦後を生きぬき1974年、京都で生涯を閉じました。

 

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松田行正「はじまりの物語ーデザインの視線」(紀伊国屋書店/古書1700円)は、様々な知識が渦を巻いて脳内に入ってくるような本で、少しは賢くなったかなぁ、今度は蘊蓄を披露してやろうか、などという錯覚に陥りそうな書物です。

著者はグラフィックデザイナーで、様々なイメージの始まりはどこにあったのかを求めて、膨大な量の古今東西の文献を検証していきます。「対の概念」「速度への憧れ」「遠近法と奥行き」「レディメイド」「オブジェ」と何やら難しそうな目次が並んでいますが、480点にも及ぶ図版が、各ページに所狭しと並んでいるので、文章を理解する助けになります。図版を見ているだけでも楽しいです。

雑学的な面白さも多々あります。「封じ込める」という章では、「自動販売機の発想は古く、紀元前215年ごろ、古代エジプト神殿に置かれていたという聖水の自動販売機が記録の上では最初と言われている。」と書かれていますが、どういう仕組みだったのだろう?「読みやすさの追求」という章では、本の読みやすさがどういうふうに改良されていったのかを、過去の文献に辿って論じています。

「メリハリをつける」では、日本の音楽では4拍子が定着し、西洋では3拍子がオーソドックスな拍子になったことからは始まり、ヨーロッパでは「十三世紀後半のことだが、三拍子を完全(完璧)な拍子と見なすようになった。これは、キリスト教の三位一体の三からきていて、三を完全なる数とみなした。ワルツがはやった要因でもある。」と分析、音楽好きの私には興味津々。三拍子が音楽の道理の西洋に、四拍子のロックが突然飛び出したのだから、キリスト教的伝統を逸脱していると非難されたのも当然かもしれません。

著者は「時代が中世だったら悪魔呼ばわりされていたことだろう」と言いますが、確かにそうなったでしょうね。

美術好き、デザインを学ぶ人たちだけでなく、キリスト教文化に興味を持つ方にもおススメしたい一冊です。とにかくこの図版の量! 眺めているだけで惹き込まれます。

以前ブログで、この著者の本「独裁者のデザイン 」を紹介しています。ナチスドイツや、ムッソリーニなど独裁者が民衆を洗脳するために、ポスターデザインや建築デザインや写真などの媒体をいかに巧みに駆使したのかを、多くの図版や写真と共に解読しています。(売切れ)

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「LIL BACK」というダンサーのドキュメンタリー映画が、UPLINK京都で上映されています。おススメの一本です。

暴力と貧困が常に身近にある街メンフィス。ティーンエイジャーになったらギャングになってゆくのが当たり前というこの街から、とんでもない男が飛び出しました。チャールズ・ライリー(愛称リル・バック)。メンフィス発祥のストリートダンス”メンフィス・ジューキン”にのめり込み、努力を惜しまず実力をつけ、チャンスを着々とものにしていきます。ジューキンがどんなダンスかを説明するのは、私には難しいのですが、マイケル・ジャクソンのムーンウォークをもっと複雑にして、うねるようなヒップホップサウンドにのって踊るような感じ、とでも言ったらいいでしょうか。

映画は、ストリートで踊る、彼だけではなく多くの若者たちの独自のジューキンダンスをとらえます。若者の投げかけた言葉が衝撃的。

「俺たちは人殺しになるよりは、ダンスがしたい」

リル・バックも、ひとつ間違えば拳銃をぶっ放す危ない男になっていたかもしれない。そうならなかったのは、ジューキンダンスと、母親の愛情があったからです。ストリートで、誰もいない駐車場で、深夜の街中で踊るダンスには、酷い境遇を突き抜けようとする強靭な力が表れています。

リル・バックが凄いのは、ダンスのテクニックを磨くために、臆することなくクラシックバレエに挑戦してゆくところ。アメリカには、才能のある子供たちに奨学金で教える学校があり、彼もこの学校で表現力に磨きをかけます。そして、やがてクラシックバレエの名曲「白鳥」をジューキンダンスで踊ります。

そのビデオを世界的チェロ奏者ヨーヨー・マが見て、こいつは面白いと感じて自分のパーティに呼びよせます。ヨーヨー・マのチェロに乗せて踊るリル・バックを、たまたまその場に居合わせた映画監督のスパイク・ジョーンズが携帯で撮影し、動画を流したところ、大反響を呼び彼のダンスが一気に広がってゆくのです。人の出会いと、その千載一遇のチャンスをしっかり掴んだリル・バックに感動しました。

メンフィスの硬いコンクリート路面上で踊り続けた男が、メンフィスの希望の光になったのです。そして、彼に追いつけ追い越せと、多くの若者たちが今も踊り続けているのです。その高みを真剣に目指している間は、ギャングになったっりして道を踏み外すことはないでしょう。

ひたすら好きでいること。好きな事のために努力をし続けること。それは、こんなにも人生を大きく変えることにもなる。かっこいいよなぁ〜。 YouTubeで「LIL BACK」と検索すれば、彼の魅力一杯のダンスを見ることができます。いいなぁと思われたら、いい音を出してくれるUPLINK京都でぜひご覧ください。

 

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文化人類学者の今福龍太。宮沢賢治の未完の草稿にスポットを当てて、新しい賢治像を模索した「宮沢賢治デクノボーの叡智」(新潮選書/古書1000円)が店にあって、読みたいと思いつつ約400ページの分厚さに尻込みしているところです。

一方、昆虫を追い求めた著者の少年時代を振り返った「ぼくの昆虫学の先生たちへ」(筑摩書房/新刊1870円)は、読みやすい一冊でした。著者が尊敬する昆虫学の先生たちへの架空の書簡を通して描いているところが面白い。

登場する先生は、アンリ・ファーブル、ダーウィン、ヘルマン・ヘッセ、北杜夫、手塚治虫、ウラジミール・ナバコフ、安部公房、などの十四人です。学者だけではなく、文学者や漫画家が入っていますが、皆さん昆虫に深く関係しているのです。

そして著者が注目しているのは、彼らが、近代科学の機械論的な世界観に疑問を抱いているということ。実証的データを基本に、全ての自然科学現象のメカニズムを完全に解明できるという考え方に疑問を持っていた人々だということです。

「科学的理性だけでは説明できない領域が世界には存在することをいちはやく語ろうとしました。だからこそ、そこでは文学と科学との、芸術と自然科学との豊かな交差が必要だったのです。だれよりも、『昆虫記』の執筆に生涯を捧げた博物学者アンリ・ファーブル自身が、南フランスで消えかかるオック語の復興運動に深く関わったオック語詩人でもありました。」

本書は、昆虫少年だった著者の昆虫への深い愛情を告白したものではなく、昆虫を通して、自然を、文学を、そして世界を理解するに至った日々を、架空書簡に託して表現したものだと思います。

なるほど、そういう解釈か!と唸ったのは、安部公房の「砂の女」でした。なぜ、主人公が砂嵐の中に埋もれたような村へ向かったのかというと、作者は、主人公が砂地に棲む珍しい昆虫を求めて砂丘地帯を訪れるという設定にしました。趣味的な昆虫採集のために失踪したことについて著者はこう書いています。

「男の失踪のきっかけが、想像力をたくましくさせる物語を生むであろう、都会からの逃亡とか、心中とか、誘拐とかではなく、たんなる趣味的な昆虫採集のためだったという拍子抜けするような設定をあえて選ぶことで、先生はこの小説に俗っぽい心理学的解釈が入り込む余地をあらかじめ消し去ったのです。そんな通俗心理の空白地帯に広がる、より不条理な精神の荒野に近づくために選ばれたのが、それじたいいかなる心の産物でもない、無機的な砂であり、人間ならざる昆虫でした。」

昆虫好きな人にも、昆虫なんて見るのも触るのも嫌いという人にも、お勧めしたい一冊です。

1993年にスタートした松本清張賞は、エンタメ系の小説に与えられる賞です。2021年満場一致で受賞したのが、波木銅の「オールグリーンズ万事快調」(文藝春秋/古書1000円)です。

この作家は現役の大学生で、弱冠21歳。女子高生が主役で、マリファナを学校で育てるというとんでもない物語です。

作家の中島京子が「おもしろかった。『万事休す』の状況なのに、この愉快さ。作者には天性の資質が感じられた。この賞が人生を狂わせないことを切に願う」と、帯に書いています。才能が爆発する瞬間が、確かにここにありました。

舞台は茨城県の田舎にある落ちこぼれが通う工業高校。三人の女子高校生には、それなりに未来に夢はあるのですが、もう現実はどん詰まり。家庭内環境も滅茶苦茶、学校ももうどうでもいいや、みたいな日々。それが、ひょんなことから学校の屋上菜園でマリファナを育て、あろうことか金を稼いでいきます。三人に悪びれたところなんか全くなく、クソ田舎にバイバイするには金だ!とばかりに行動していきます。

自虐的な笑い、シニカルな視点、オフ・ビートな文体で、一気に突っ走ります。ヤバいキケンな青春小説です。小説家の森絵都は「正直、粗の多い作品だとは思う。巧いとは一度も感じなかった。が、際立って面白かったのは事実」と書いていますが、「際立って面白かった」のは同感です。暴力シーンにセックス絡みのシーンと続きますが、どこか笑えてくるのです。

マリファナを育てるために、校舎屋上を園芸部として使用したいと、メンバーの一人の矢口が先生に許可をもらいに行くシーンです。

「教頭は微笑む。『はは。そうかぁ。矢口さんも、こう見えて女子だなぁ。お花が好きなんだね』

は?うるせぇ。マリファナだよ……..と明かしてしまうとすべてが台無しになるので、秀逸な愛想笑い(自分でもそう思うくらい)を浮かべ、まぁ、はい、と控えめに頷く。」

万事この調子です。とてもとても、素敵な高校生活とは呼べないどん底の状況なのに、タイトル通り「万事快調」とマリファナ作りに邁進する彼女たちに、拍手したくなってくる本当にヤバい小説かもしれません。

さらに彼女たちが卒業した後、「この活動をさ、後輩に継承してくってのはどうかな。金に困ってるヤツ、私たちの学校にいっぱいいると思うんだ」という明るさです。

で、絶対に学校推薦指定図書にはならない物語はどう収束するのか?改心する?まさか!

「きっとマトモなところには辿り着けない。それでも、まぁ、いいか。彼女たちは混乱のさなか、とりあえず、そう思った。」

彼女たちのこれからを応援したくなりますよ、きっと。

待賢ブックセンター「処暑の古書市」を開催中です。9/5(日)までです。

勝手ながら、8/29日(日)は臨時休業させていただきます。 

 

 

「南極料理人」「キツツキと雨」「モリのいる場所」、昨年公開された「おらおらでひとりいぐも」と、独自の映像美作品で楽しませてくれる沖田修一監督の新作「子供はわかってあげない」は、彼の最高傑作ではないかと思える傑作でした。(京都シネマにて上映中)

原作は田島列島のコミック「子供はわかってあげない」で、ズバリ、一夏の高校生の純愛物語です。この映画が面白いのは「夏」という季節の描き方。先ず、どの家にもクーラーがありません。(ひょっとしたらヒロインの家にはあったのかもしれませんが)もちろん、時代は現代ですが、あるのは扇風機と風鈴です。静かに扇風機が回り、風鈴が涼やかな音を奏でる。そして水泳部に所属するヒロイン美波の学校のプールの青さ、後半に登場する父親の住まいの向こうに広がる海の青さ。それらが一体となって涼しい風を送ってくれます。それだけでホッとします。

猛暑だ!大型台風だ!熱中症だ!と、凶暴なイメージになってしまった夏のイメージを、本来この季節が持っていた爽やかさへ戻してくれます。そんな夏に包まれて、美波の一夏の物語が始まります。再婚した母と、優しい義父と、やんちゃな弟に囲まれて幸せな生活を送っていた美波は、とあるきっかけで本当の父親を探し出し、会いに行きます。

出会った父親は、なんと新興宗教の教祖!正確に言えば、元教祖。え?なんで教祖なんてやってたの?まぁ、人生色々ワケありです。でも、映画は大げさな描写や感情的なシーンを交えずに、そこはかとないユーモアと、小津映画のような静謐さで、娘と父親のほんのひと時の逢瀬を見つめていきます。笑って、ほろっとさせて、夏が去ってゆく哀愁を演出して幕を閉じます。

父親を演じた豊川悦司が、小津映画常連の笠智衆にダブって見えるという意見もあるようですが、まあそういう部分と、老いてもどこかカッコいい部分が混ざり合って、新しい彼の魅力も楽しめます。水着姿だけは、う〜ん、ちょっとという感じでしたが。(苦笑が起こっていました)

古本屋のオヤジ役で高橋源一郎が出演していますが、サマになっていました。この本屋の棚もなかなか魅力的でした。もっと、ゆっくり見せて欲しかったな〜。

 

待賢ブックセンター「処暑の古書市」を開催中です。9/5(日)までです。勝手ながら、8/29日(日)は臨時休業させていただきます。 

 

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最近の高橋源一郎の著作は、小説を除いてほぼ読んでいて、ブログでも取り上げています。「高橋源一郎」と検索すると何点か出てきます。一方の辻信一も、スローライフ提唱の時から読んでいますが、最近では田中優子との共著「降りる思想」をブログに書きました。どちらも私がとても信頼している人です。

「『あいだ』の思想」(大月書店/新刊1760円)は、「あいだ」という非西欧的概念から生み出される思想をもとに、どのようにしてこれからの複雑な時代を見て、行動してゆくのかを、二人の対話を通して読ませる刺激的な一冊です。いゃ、本当に刺激的です。眠っていた脳細胞を総動員して、二人の深い知性のやりとりを楽しみました。

しかし、この哲学的な対話を紹介するのは、極めて難しい。下手に引用すれば、そのまま丸ごと本の中身を書き写すことになってしまいそうです。だから、読んでください!で、このブログは終了です。

まぁでも、それではなんなので、膨大な数の付箋を貼り付けた中から、こんな文章を紹介します。

「本書が『あいだ』という、一見あまりにも日常的でありきたりの日本語に秘められた豊かな可能性に、読者が思い当たるきっかけとなればうれしい。それは、和辻哲郎が『風土』で論じ、木村敏が『あいだ』や『人と人の間』で論じ、オギュスタン・ベルグが『風土の日本』で論じてきた哲学的テーマだ。それは、人間、時間、世間、仲間、中間、居間、間柄、間合い、そして間というキーワードの中にも生きている。『あいだ』という概念の汎用性、その広さと深さ、そして豊かさにはほとんど限りがないと思えるほどだ。」

様々な「間」を巡り、二人の知識と見識が披露され、分断化し孤立化してゆくこの世界をどのようにつなげてゆくかが検証されています。

「『あいだ』で読み解くコロナの時代」で、辻は、国民の中にある「わからない」ことへに苛立ちが危険水域に近づいていると警告しています。

「コロナ禍で統計学的な言語が支配的になる中で、すでに縮減していた『わからない』ことへの忍耐力がさらに急速に縮小していった。だから、どういう政治家や専門家が人気があるかというと、単純に言い切る人、昨日言ったことと、今日言ったことが変わっていてもいいから(笑)、きっぱりとそのばでわかったように断言する政治家や専門家に人気が集まります。わかりやすさの水位が、もう十分危険水に達しているみたいです。」

ほらほら、何人かそんな人たちの顔が浮かんできますね。「わからない」ということと「わかる」ということの「あいだ」から、コロナに覆われた私たちの今生きてる世界が見えてきます。

過去、何度かこの二人の本は、私の拙い言葉で紹介してきましたが、おかげさまで全て販売しました。熱意が伝わったのか、あるいは二人を支持するお客様が多くおられたのか、それはわかりませんが……..。

 

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