ミア・ハンセン=ラブ監督、イザベル・ユベール主演の「未来よ、こんにちわ」は、のっけから驚かされるフランス映画でした。

ユベール演じる高校の哲学教師が学校に行くと、学生がストライキ中。フランスの労働政策への不満をぶつける学生達の間をすり抜けて先生が登校します。でも、学校側が学生たちを弾圧するでもなく、ましてや警察なんてどこにもいません。そんな事もありますね、みたいな感じで授業開始。とても、今の我が国では考えられません。

または、この教師の娘が父親と会話するシーン。喋りにくそうにしている娘にむかって、父親が「妊娠か?」と問いかけます。そうではない、と答える娘に「じゃあ何だ?」。娘は「お父さん、浮気しているでしょう。その女性かお母さんかどちらか選択して」とズバリ斬り込みます。

映画は、そんな事こんな事おかまいなく、テンポ良く進行していきます。哲学教師どうしの熟年離婚になってしまった女性は、夫の告白に唖然としながらも、淡々とした雰囲気で生活を続けます。別れ話を持ち出した後、夫が贈った花束を、何よこれ!と捨てるシーンにだけ、感情が爆発しますが。

老いて、少し認知症のある母親と主人公の確執だけでも、一本映画になりそうな展開なのですが、これまた、淡々と描いていきます。そういうことも、こういう事もあるのよね、と時の流れを受け入れて生きる一人の女性を描いていきます。ラストもフランス映画的なエンディング。出会いがあり、別れが来て、今日が終わり、明日が始まる、私の人生にも、アナタの人生にも。だから、頑張りましょうなんて野暮なことも言いません。名曲が彩りをそえてエンドマーク。

突き放すわけでもなく、べったり寄り添うわけでもなく、人が生きるのは、こんなもんよ、目の前の一つ一つを、その時々に、自分の頭で考え選んでいく。おひとりさまは自然な事、でも愛しい私だけの人生、をスケッチ風に描いた映画です。

社会学者の上野千鶴子は、この映画をこう評価していました。「ひとりの孤独と充実を内に、初老の女が草原に立ち尽くす風景は心に刻まれる」と。

 

監督のミア・ハンセン=ラブは81年パリ生まれ。両親共哲学の先生だったとか。多分に自伝的要素も入っているかもしれません。

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当店で配布しているJAZZの無料ペーパー「WAY OUT WEST」というミニコミ紙から、影響を受けたジャズの本を3冊選んでくださいという企画がありました。何を紹介したかは次号をご覧いただくとして、ジャズプレイヤーとしても、人間としても、この凄味と深い思想には、敵わないと思える人物が一人います。

ピアニスト、作曲家、オーケストラ指揮者の秋吉敏子。大学時代のこと、高野悦子の「二十歳の原点」にも登場するジャズ喫茶「シアンクレール」で、煙草プカプカさせながら、うつらうつらジャズを聴いていた時、いきなり小鼓と大鼓の音が巨大なスピーカーから流れてきました。なんだ、なんだ、ここは邦楽も鳴らすのか?と思っていたら、まるで尺八みたいなフルートが流れてきたのです。そして分厚いホーンセクションが、能の地謡みたいな重々しいサウンドを奏で出しました。

レコードを見せてもらうと、「秋吉敏子&ルー・タバキンビッグバンド/孤軍」と書かれていました。ここからです、彼女の音楽家としての人生に興味を持ったのは。1956年、たった一人で渡米して、ジャズプレイヤーとしての修行が始まります。日本から来た女性ということで、バカにされたり差別されたりした事がたくさんあったと思いますが、着々と頭角を表わし、なんと自分のオーケストラを持つに至りました。しかも、このオーケストラは、彼女の作曲したものしか演奏しない、スタンダードナンバーなんて絶対にやらないという、あり得ないビッグバンドです。

当然「孤軍」も彼女の作曲です。おそらく、たった一人でアメリカで音楽を追求した自分の人生を象徴させたタイトルなんでしょう。深く心に突き刺さってくる音楽です。このアルバムの2年後、「インサイツ」という作品を発表。この中に「ミナマタ」という組曲が入っていました。観世寿夫、亀井忠雄らの能楽家も参加したこの曲は、タイトルから分かるように水俣の公害病と、病に苦しむ街を音楽で表現したものです。凄いな、ジャズでここまでやるんだ!と驚きました。

その後、「ヒロシマーそして終焉から」とうアルバムで、未来の平和を祈るアルバムを発表します。原爆記念日の8月6日、ヒロシマでお披露目公演が行われ、CD化されました(1300円)。曲は三章に分かれていて、第二章で、重森涼子さんが原爆落下直後の惨状を朗読します。そして、第三章では「これは原爆の無い世界、そして願わくは平和な世界を、と云う、広島からの愛と希望を込めた、全世界へのメッセージです」というナレーションと共に、力強いジャズサウンドが爆発します。会場にいた人達は恐ろしいほど深い感動に包まれたことでしょう。

1929年満州生まれ、今年88歳。長い人生をひたむきにジャズに生きてきた女性です。彼女の音楽に出会えたことに感謝します。

蛇足ながら、you tubeで彼女のオーケストラと和太鼓奏者林栄哲のNYでのコラボライブが観ることができます。夫君ルー・タバキンと林の凄まじいアドリブはジャズも、邦楽も飛び越した唯一無比の音楽を作り出しています。

なお「孤軍」はアナログレコードのみ在庫があります。(800円)

 

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最近は、新刊本も仕入れています……..と言っても、村上春樹をドンと積むというようなことではありません。この店のお客様に面白く読んでもらえるような本があれば、どんどん仕入れていく、ということです。

今年の1月だったと思いますが、初の文学フリマが京都で開催されました。その時出会ったクルミド出版のことは、店長日誌で紹介いたしました。暫く前には、クルミド出版のオーナー影山知明さんが、立ち寄ってくださいましたが、美しい装幀の本ばかりで、お客様の評判も上々です。で、その影山さんの本「ゆっくり、いそげ」(大和書房1620円)が出版されました。サブタイトルに「カフェからはじめる人を手段化しない経済」と付いています。元々、この出版社は、JR中央線にある乗降者最下位という不名誉な西国分寺駅に出したクルミドコーヒーが母体です。

著者は、これからの経済や社会を考える時、「ゆっくり、いそげ」を基本に考えるのがベストと考えています。劇的に変化する社会にしっかり対応しつつ、日々、何を大切にしながら生きてゆくのかを試行錯誤しながら、経済活動を続けるという事です。「グローバル経済」という言葉の対極にあるのが「スロー」、あるいは「降りてゆく生き方」、「減速生活者」という言葉です。著者の考えはその中間を行くものです。ネットワークを広げながら、関わった人達との幸せ共有する「理想」と、貨幣を動かすことで日々の生活が保障される「現実」を両立させる仕事論として読み応えのある一冊です。

ミニプレス「のんべえ春秋」や、書評集「猫の本棚」(平凡社950円)等で、当店ではお馴染みの木村衣有子さんの「はじまりのコップ」(亜紀書房1944円)は、彼女が惚れ込んだ「佐藤吹きガラス」を描いた本です。オーナーの佐藤玲朗さんが作り出す器を使うだけで物足りなくなった彼女は、何度も、何度も工房に押し掛け、佐藤さんと話をします。それがまとめられています。

お話の間に、「佐藤吹きガラス工房公式業務日誌」が収録されていますが、これが面白い。

例えば、この会社の社訓は

「零細の製造業として食べていくためには皆が通る道を迂回する知恵が必要だ。ひとが宙吹きなら自分は型吹き、ひとがカラフルなら自分はモノクロ、ひとがナチュラルなら自分はインダストリアル、ひとがアーティストなら自分は職工、ひとが出会いを大切にすれば自分は嫌な相手と絶縁する、ひとが内房線に乗れば自分は外房線に乗るという具合に。」

面白い。

 

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売れ行き急上昇中(といっても小さな店ですんで、そんなに冊数は多くない)の2冊、つばた英子、しゅういちご夫婦の「ときをためる暮し」「ふたりからひとり」(どちらも自然食品通信社1944円)が、「人生フルーツ」というタイトルでドキュメンタリー映画として今月末に京都シネマで公開されます。この本については、以前に店長日誌にて取り上げましたが、「暮らす」ということの理念が平易な文章で語られている、どの世代にもお薦めできる中身です。

一方、帯広発のミニプレス「スロウ」最新号(905円)にも、つばたさん夫妻と同じように、日々の暮しを丁寧に紡いで生きる歓びを見出している宮本さん夫妻が紹介されています。

札幌で暮らしていたご夫婦が、子供たちの独立を切っ掛けに、田舎暮らしを考え始めたのが2003年。それから試行錯誤の後、なんとログハウスを自分で建ててしまったのです。そして、畑をやりながら、二人で質素だけれども、豊かな暮しを楽しんでおられます。面白かったのは、付箋がベタベタと貼付けられた図鑑類の写真です。ご主人曰く、引っ越してきた時は、山菜の名前も、キノコの種類も、ましてや野鳥の名前なんかも全く知らなかったとか。この記事を書いた記者はこう想像しています。

「すっかりボロボロになった何冊もの図鑑にはたくさんの付箋が貼られていて、いろいろな書き込みがされていた。動植物の名前をひとつづつ知ることも、大きな楽しみになっていることだろう。」と。

スマホ、ネットではなく、紙に図鑑というところが嬉しいですね。鳥の図鑑には、その鳥が庭に訪れた日時が書かれていて、使い込まれた図鑑の写真には親しみを感じました。

創刊50号を迎える「スロウ」は内容盛り沢山で、すべて紹介したいぐらいですが、興味深い記事をご紹介します。それは、「たねたね交換会」です。

野菜の産地は気にするものの、それらの種の産地は気にしないでいいのか、という疑問から始まった交換会は、種の物々交換の場であるばかりでなく、食に対する価値観を分かち合う場所になっています。ルーツを探れば海外からの輸入種であったり、農薬付けだったりする事もあるとか。本来、百姓という言葉には「百の仕事ができる」という意味があり、農家は種取りができて当たり前でした。しかし、今は種苗会社がその仕事をしていて、農家は外されています。だからこそ、種から選び、自分たち育てたいものを作ることで、本当に安全なもの、本当に美味しいものが出来上がる。そんな価値観を持った人達が情報を共有し、より広いネットワークを形成することを目的にしています。

「スロウ」は北海道発信の情報誌ですが、しっかりと暮らしを見つめた本で、誰が読んでも納得がいくと思います。

 

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「本を読むというのは元来のんびりした趣味であって、それこそ川辺に椅子を出してそよ風の中で読みすすみ、時に柳の葉が頬をなでるというようなエレガントなものであるべきだ」

と池澤夏樹は書評集「風がページを」(文藝春秋1100円)で書いています。

静かに時の流れる中で、本を読む事の至福を撮影したアンドレ・ケルテスの写真集「読む時間」(創元社2376円)は、とてもステキな本です。様々な場所で、様々なポーズで読書する人たちを捉えたこの写真集の、お気に入りのページをぐっと開いて、机の上、或は食卓に置き、そして、今度は自分の読みかけの本を開いて読み出す。ちょっと疲れたら、先程開いた写真集を眺める。すると池澤が述べたようなエレガントな時間が流れてきます。次の日には、違うページを開いて立てかけておく。本は傷むかもしれませんが、それがこの本の正しい使用法です。(と、思います)

「読む時間」の巻頭に谷川俊太郎が「読むこと」という詩を寄せています。その後半を引用します

「いまこの瞬間この地球という星の上で いったい何人の女や男が子どもや老人が 紙の上の文字を読んでいるのだろう 右から左へ左から右へ上から下へ下へ(ときに斜めに) 似ても似つかないさまざまな形の文字を 窓辺で木陰で病床でカフェで図書室で なんて不思議・・・・あなたは思わず微笑みます 違う文字が違う言葉が違う声が違う意味でさえ 私たちの魂で同じひとつの生きる力になっていく しばらく目を木々の緑に遊ばせて あなたはふたたび次のページへと旅立ちます」

本なんて読まなくても生きていける、でも本を読む幸せを知っている人なら、この写真集を捲るたびに微笑むことでしょう。41ページには、おそらく阪急電車だと思われる車内で、頭を剃った和服姿の女性が、手元の本に目を落としている作品が載っています。車外から射し込んでくる日光が彼女の手元をやさしく照らしています。タイトル通り「読む時間」が流れていきます。

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今年81歳になるイギリスの至宝ケン・ローチ監督の新作です。

1969年発表の「ケス」以来、ひたすら母国の下層階級の人達の姿を描いてきた監督は、前作「ジミー、野を駆ける伝説」で引退を表明していました。しかし、一向に改善されないイギリスの労働者救済システムの前に苦しい生活を強いられる人々の姿を見て、再度メガフォンを取りました。

ローチの作品は辛く、悲惨な世界です。しかし、99.9%絶望的であったとしても、僅かの希望を残してくれます。だから、安心して観ていられます。悲しい気分のまま映画館を出るような作品ばかり作っていたら、きっとこんなに世界的に認められることはありません。

この映画の主人公は、心臓に病気を抱えたベテランの大工。失業保険や、生活保護を受給するために役所を回りますが、硬直したお役所のシステムに阻まれてしまいます。この辺りの細かい描写は、イギリスの現実を映し出しているのでしょう。とてもリアルです。彼は、ある時、ロンドンから引っ越してきた二人の子持ちのシングルマザーと出会います。彼女もなかなか仕事が見つかりません。空腹に堪え兼ねて、食料配給所で、突如缶詰を開けて調理もしていない中身に食らいつくシーンは胸が痛くなりました。そこまで追い込まれている人達が少なからず存在しているのです。リアリストのローチならではのシーンです。

物語は、大工と、この家族の交流を軸に進んでいきます。もちろん、ステキでハッピーなエンディングなんて、期待できません。けれども、ここから映画は現実を超えて、人間の尊厳へと向かっていきます。オリジナルタイトル「I,DANIEL BLAKE」」は、格差社会の成れの果ての無慈悲な現実が、人としての尊厳を奪い取ることへの抗議と怒りです。そして、それでも人間への愛しさを表現した形で終わらせるラストは、感動的です。自分が困っているのに、さらに困っている人の手助けをする主人公の姿が、リアルに迫ってくるなんて映画なんてめったにありません。

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森野有子さんの銅版画展「一角獣の森で」が今日から始まりました。

伝説の動物「一角獣」をテーマに幻想的なモノクロの世界が広がります。女性と植物(花や樹々)が、風を伴い異世界に浮かびます。一角獣は、とても獰猛な動物だと言い伝えられています。処女に惹かれ、その膝ではおとなしくなり、その角には浄化する力が宿っているとか。

作家が一角獣に魅かれるのがなぜかは聞いていませんが、こうして一連の作品を見ていると、好きな世界を創り続けてきた、なんというか、ある幸福感のようなものを感じます。ここに生きる恍惚といってもいいかもしれません。

「天の戴冠」(写真左)と題された最新作は、この個展の為にたぶんぎりぎりまで格闘した激しさが表れていて、美しいと思いました。

本好きな作家が、20年以上のキャリアの集大成として、京都の小さな本屋のギャラリーを選んで下さったことに感謝します。本の森に繰り広げられる、深く、緻密に、時空を超えて広がる銅版画を、ぜひご覧下さい。(女房)

 

 

 

森野有子銅版画作品展は4月4日(火)〜16日(日)まで  

  最終日は18時まで。月曜日定休。

宮崎駿の「折り返し点1997〜2008」(岩波書店1850円)が、再入荷しました。全500ページのボリュームある一冊です。「もののけ姫」に始まり、「崖の上のポニョ」に至る12年間の、宮崎の頭の中を覗き込むとでも言うべき内容で、この巨人の思想を読むことができます。映画の企画書、エッセイ、インタビュー、様々な対談、講演までを網羅しています。

「もののけ姫」編に収録されている梅原猛、網野善彦、高坂制との対談「アニメーションとアニミズム『森』の生命思想」や、「千と千尋の神隠し」編で山折哲雄との「万物生命教の世界、再び」のようなアカデミックな読み応え十分の対談もあれば、「サン=テグジュベリの飛んだ空」で、彼の大好きなサン=テグジュベリのことを語りながらこんな死生観を述べています。

「ただ死ぬべくして死ぬ。そういう生き方を、僕は認めたい。いいじゃないですか、挫折したって、飲んだくれて死んだって、飛行機で死んだって。そういう権利、そういう選択肢はみんな持っているし、持ってていいんじゃないですか。みんなが前向きに健康に生きる必要なんてないんです。不健康の極みで生きる権利を、特に詩人は持っているはずだ。」

こんな中から、「生きろ」というテーマを掲げた「もののけ姫」が出てくるんですね。

さらに、宮崎の戦闘機、軍艦、戦車へのフェチをぶちまけたようなイラスト集「宮崎駿の雑草ノート」が二種類入荷しました。現在発行されている「増補改訂版」(写真右2700円)と、最初に出された版(写真左下2000円)です。増補改訂版の方が、当然ボリュームも増えていてお得なんですが、表紙のイラストが全くちがいます。個人的には、細部の細部まで描き込んだイラストの最初の版の方が好きです。宮崎の「紅の豚」ファンなら、持っておいて損はないはず。

改訂版には「紅の豚」のオリジナルとも言える「飛行艇時代」というタイトルの漫画が収録されています。映画とほぼ同じストーリーなのですが、違うのは、ホテルアドリアーノの魅力的な女主人が登場しないことです。映画版では、加藤登紀子が声を担当して、存在感のあるステキな女性を作り上げていました。彼女の存在が、映画の魅力を大きくしていました。

因みに、宮崎は、ヨーロッッパ各地で勃発した民族同士の苛烈な内戦を見た後、同じヨーロッパを舞台にした「紅の豚」を作ったことを後悔しているという主旨の発言をしていました。殺戮を撒き散らした戦闘機をヒロイックに描いてしまった事、そういうものへの愛着を恥じたのでしよう。

もう一冊、岩波新書「本へのとびら」(岩波書店650円)も再入荷しました。これは、児童文学の宝庫、岩波少年文庫の案内ともいうべき一冊で、50冊が推挙されています。

WOWOWで放映していたオリジナルドキュメンタリー「Out in Japan」を見ました。このNPO団体は、セクシャル・マイノリティーの人達のカミングアウトをバックアップする組織です。

「『OUT IN JAPAN』とは、日本のLGBTをはじめとするセクシュアル・マイノリティにスポットライトを当て、市井の人々を含む多彩なポートレートを様々なフォトグラファーが撮影し、5年間で10,000人のギャラリーを目指すプロジェクトです。

個人、団体、企業、自治体等との連携を通して、WEBサイト・展覧会・写真集などを展開し、身近な存在としてのセクシュアル・マイノリティを可視化させ、正しい知識や理解を広げるきっかけとしていきます。」

私が同性愛の人に初めて接したのは、30数年前アメリカで英語文化を教えてくれた女性教師でした。ある日、彼女のホームパーティに参加したら、若い女性がワンサカ、ワンサカという願ってもない場面。しかし、どうも様子が違う。で、数少ない男性に聞いてみたら、レズビアンの人達の集まりでした。いろんな人達がいるんだという気分と、ちょっとした違和感(この知らないということが差別に繋がるのかもしれません)が混じった数時間でした。

違和感を払拭してくれたのは、同性愛を描いた数多くのアメリカ映画でした。古くはオードリー・ヘップバーンの「噂の二人」に始まり、最近では、トランスジェンダーの主人公が息子と旅する「トランスアメリカ」、ゲイのカウボーイの悲しい人生を描いた「ブロークバック・マウンテン」、同性愛者であることを公表した政治家を描く「ミルク」、さらに「キッズ・オールライト」、「ダラス・バイヤーズ・クラブ」、そして昨年見た「キャロル」など、様々な視点から同性愛をみつめた作品のおかげだと思います。

セクシャル・マイノリティーであることをカミングアウトするには、まだまだ困難な問題が山積みです。でも、このプロジェクトで写真を公開した人の表情は、どの人もステキです。最初に勤務したレコード店に来ていた化粧バリバリの男性二人が、手を取り合って楽しそうに試聴されていたことも、今ふと思いだしました。

梨木香歩のイギリス滞在時代のことを綴った「春になったら苺を摘みに」(新潮社600円)の最後を、彼女はこう結んでいます。

「理解はできないが受け入れる。ということを、観念上だけのものにしない、ということ」

なかなか困難なことかもしれませんが、いつぞや、TVの番組でボーイズラブコミックに夢中の女子高生に、俗にいう良識派の大人が白い目を向けた時、彼女は「何、読んだって自由じゃん」と、実に簡単に言ってのけました。これって、「誰を愛しても自由じゃん」と言い換えてもいいんですね。女子高生は真実を一言で言い切ったということです。

 

1976年5月、劇作家の唐十郎編集の「季刊月下の一群」という雑誌が発行されました。タイトルになっている「月下の一群」は、1925年、堀内大學によって発行された訳詩集です。特集は「人形魔性の肌」。執筆者は澁澤龍彦、種村季弘、赤瀬川原平、日影丈吉、津島佑子、そして、この特集ならではの、四谷シモン等々です。幻想、ファンタジー系の文芸誌という感じです。そんな執筆陣の中に、ジャズピアニストの山下洋輔、映画監督の若松孝二なども参加していて、一癖も二癖もある雑誌になっています。

この中の「からくり幻想考」という論考で、立川昭二が、自動人形について論じていて、「思想的にいって人間の夢といえば、空を飛ぶこと、実際に動く人形、このふたつだったと思うんですよ。」と書いています。「動く」という単語だけに限定すれば、時計にしろ、車輪にしろ多くの物が存在しています。しかし、それらは、定められた作業に終始するだけで、そこには創造的な感覚は関与しません。だからこそ、「動く人形に夢を託したのだ」と論を進めていきます。

「動く人形がでてきたら、いったいあれは物質なんだろうか、生き物なんだろうかという問題が出てくる。」そして「物であって、しかも動いている。これをもっと追求していけば、人間と同じものができるんじゃないかという恐ろしさがありますね」

この文章読んだ時、思いだしたのは銀行にも導入されているロボットです。様々の銀行業務を手振り身振りで説明するロボットを見ていると、電子機器の集合体と、生き物の境界線がぐらついてきました。

第二号の特集は「幻獣」です。さらに幻想アートに接近です。「幻獣画廊」という特集では、野中ユリ「妖精たちの森」そして、「地球へ…….」等のマンガでお馴染みの「夢魔のいる世界」という、これヤバイかもというオリジナル作品が収録されています。個人的には、あまり幻想文学やアートに惹かれたということはなかったのですが、脇明子が「幻獣のいる風景」でアルフレート・クービンについて言及していました。クービンは一時好きな画家でした。この論考でも何点か彼の作品が紹介されています。イタチのような獣が生まれたばかりの仔に乳を飲ませている「一腹の仔」は、ちょっと忘れがたい作品です。

あまり売れなかったのか、この季刊誌は2号で廃刊になってしまいました。どちらも1000円で販売中です。