毎回一人の作家を多方面から論じる文芸ミニプレス「APIED」を主宰する金城静穂さんが、初の単行本を出されました。写真とエッセイを主体にした「桜の木が一本」(1980円)です。夏葉社から出た「庄野潤三の本 山の上の家」(2420円)や、新潮社から出た「茨木のり子の家」を思い出すテイストです。

吉田一之さんはつれづれ織り作家、妻の道子さんは児童文学作家としてそれぞれ活躍し、京都の山科にある一軒家に長年暮らしておられます。夫婦の暮らしを支えるこの家が主人公でもあり、カメラマンの酒谷薫さんが、味わいのある一軒家の姿を写真に捉えています。

吉田家には巨大な桜の木があります。「1979年に1メートルほどの苗木を四百円で買い、一坪の庭に植えたものである」と道子さんは書いています。それが、今や幹回り1メートル50センチ、背丈は自宅二階の屋根を覆うまでに成長しました。その桜の木の写真を見ると、家がまるで巨木に覆われ、守られているという雰囲気です。夫婦は、桜の木を「叔父さん」と呼んで愛で、花の頃には、多くの人が集まってきました。いや、人だけでなく鳥や蛇までも寄ってきました。(なんだか素敵な絵本の始まりみたいです)

「風の音は葉のそよぎでわかる。空の深さは枝枝のいくつもの青で。たたきつける雨の警告、雨宿りの安らぎ、木陰の清涼さ、深い闇。自ら歩かないものが抱える懐の深さに、しんとする。」

風通しのいい家、古い本棚、ずらりと並んだ文学全集。窓際に置かれた水槽の向こうには、満開の花をつけた桜の枝が幾重にも広がっている。豊かな時間がここに流れています。

道子さんは子供の頃、西田幾多郎で有名な哲学の道のそばに住み、近所の友達とプールに通っていました。泳いだ後のけだるさは、泳いだという満足感と引き換えのように感じたとか。幼な心に「それが人生の何ものなのか、を教えるようなものだったのだ。何かをすれば、何かを得れば、何かが失われる。」と思ったそうです。

「その後の人生で、思い出すのは、この細い哲学の道と蝉時雨とその中でのけだるさ。そして、その蝉時雨を今我が家で聞いていることの不思議さ。」

本書には、一之さんのつづれ織り作品や道子さんの仕事場をはじめ、季節の野菜がいっぱいのとても美味しそうな食卓の風景など、お二人の生活が撮影されています。そして、道子さんの素敵な文章。

「時は料理を作る。ストーブに野菜と水を入れて置くだけで時間が経った後おいしいスープになっている。わが家では、時は風景を作る、である。桜が月桂樹が、紫陽花や木槿、山茶花が、壁の色が郵便受けが一つの風景を作っている。そして、その風景にいつか住人自身もなって、溶け込む。」時の仕事と題したエッセイには窓辺の本の写真が添えられています。

50年近く暮らしてきた家の風景に溶け込み、年を重ねて、やがて迎えるであろう死をどこかに感じながらも「先に思いを馳せるのではなく、今を生き切る。そうしたい。成長した暁にではなく、今、その瞬間を生きる子どものように。」書かれた文章に、しみじみ感じるところがありました。

★「桜の木が一本」発行を記念して、レティシア書房で7月21日〜8月2日に写真展を開きます。

 

 

 

Tagged with:
 

古谷田菜月の「神前酔狂宴」(河出書房新社/.古書1200円)を読み始めた時は、どこから面白くなるのか見当がつきませんでした。しかしこの特殊な物語世界に洗脳され、脳内を撹乱されて、ズズッとのめり込み、そこから一気に読みきりました。

物語の中心となるのは、明治期の軍神をまつった神社併設の結婚披露宴会場。ここで派遣社員として働く、浜野と梶という青年が主人公です。給料分の仕事をやればいいや、とやる気のなかった浜野でしたが、ある日「新郎新婦の愚かしさ、披露宴の滑稽さを限界まで高めることこそ我が使命と考えるようになり、全力で働くようになった。」のです。

神前結婚の披露宴という特殊な職場の環境を生きる人々や、別の神社から会場を乗っ取ろうと乗り込んでくる倉地と、浜野の確執も描かれ、仕事小説としてのスタイルを見せつつ、物語はどこへ向かうのかわからんままに、どんどん進んでいきます。二人の青年の青春物語であり、お仕事小説でもあり、披露宴という茶番を笑い飛ばすかのような喜劇小説というように、多面的な側面を垣間見せながら、読者は、超忙しい式場内を浜野たちと疾走してゆく羽目になります。

結婚披露宴が「伝統主義による女性差別」と「商業主義による男性差別」に満ちた滑稽な儀式だと気付きながらも、浜野はその茶番劇に全精力を傾けて仕事をするうちに、社内で出世していきます。そんな時、「“自分の本心”と結婚式を挙げたい」と希望する松本千帆子という不思議な女性がやってきます。え?どんな結婚式?? 新郎はいません。??もうこの辺で私の脳はショート寸前です。

松本千帆子は付き合っていた男性がいたのですが、結婚話が出たところで別れた過去があります。彼女の話を聞いた結婚式場のスタッフがこんなことを浜野に言います。

「よくわかんないですよね。人でもなく、物でもない。確かなものと結婚したいって。自分自身というのとも違って……..。本心と、って言ったかな。自分の本心と、連れ添っていきたい。そんなふうに言ってました。」

後半は、この女性の申し出を受けた浜野が「ねえ、やろうよ、その婚礼!」と宣言し、神社も式場も巻き込んで、一気呵成に実行してゆくところがクライマックスになります。

この小説、すべての人におすすめしません。現に、書評を読んでいても、よくわからんという意見と、大絶賛という意見が交互に出ていました。でも、全く違う文学体験をしてみたい方には強くお勧めします。私は最後のページで、上手い!と思わず拍手してしましました。

 

★連休のお知らせ 1/20(月) 1/21(火)連休いたします

★1/22(水)〜2/2(日) レティシア書房冬の古本市プレ企画「こんな本が揃いました」

★2/3(月)2/4(火)古本市準備のため連休いたします

★2/5(水)〜2/16(日) 恒例女性店主による『冬の古本市』を開催します。今年も神戸・大阪・岐阜・東京・御殿場・京都などの女性店主の選書です。ぜひお立ち寄りください。

 

面白いミニプレスの写真集が入荷しました。題して「OSAKAN SOCIALISMー大阪的社会主義風景」(1300円)。大阪のあちこちを面白い切り口で撮影した島田春菊さんは、この写真集についてこう語っています。

「思わず『社会主義的』と形容したくなるような幻視の瞬間がたしかに存在する。そうした瞬間の積み重ねによって、この写真集は生まれた。」

「社会主義的」とは、なかなか想像しにくい言葉です。戦後、社会主義国家として世界をリードしたソビエト連邦が国家の威信をかけて建設した地下鉄と団地。島田さんは、大阪の地下鉄や団地には、ソビエト社会主義的匂いがあると指摘しています。大阪地下鉄の御堂筋線は、日本初の公営地下鉄でした。東京の地下鉄の人工美満載のホームに比べると、なんだか場末感のある駅が多い大阪地下鉄ですが、どちらが好きかと問われれば、私は大阪の地下鉄駅舎です。生活感のある街の匂いが、薄汚れた壁から立ち上ってきそうで、寂れた公共施設という言葉にぴったりの風景です。この本でも地下鉄中央線の駅構内がシャープに撮影されています。

もう一つのポイントが、25年に開催される大阪万博で活気付く大阪湾岸風景です。「近代日本における未来イメージの総決算が1970年の大阪万博にあるとすれば、大阪の沿岸部には、万博のパロディのような未来の廃墟が転がっている。そうした風景を、社会主義的な『ロストフューチャー」と相通ずる」ものとして、島田さんは本書に取り込んでいます。

 

ここに収録された作品が、写真家が言うように社会主義的かどうかは、観る人の判断ですが、どれもユニークな作品ばかりです。後半に登場する「南港ポートタウン」「住吉団地」は、無機質な姿が迫ってきます。また、表紙にもなっている「大阪府咲州庁舎」の極めてSF的な建物も、そのまま映画に使えそうな建物なのですが、よく見ると、二階部分に「手打ちうどん」というのぼりが立っているのです。まぁ、この建物に最もふさわしくないものなのですが、大阪的といえば、大阪的です。

フリーの森林ジャーナリスト、田中淳夫の著書「森は怪しいワンダーランド』(新泉社/古書1200円)は、著者が世界各地の森林で体験した不思議な出来事やとんでもないトラブルに巻き込まれた体験、そして、今、普通に流布している森林に関する常識の本当の姿が書き綴られています。

ソロモン諸島にあるシンボ島でのこと。深夜聞こえてくる祭りのような音に、ひょいとテントから顔出すと、誰もいない。「何もなかった。生ぬるい風は吹いているが、光も音も聞こえない。黒々とした森が広がっているだけだ。祭りどころか、人っ子一人歩いていない。太った月だけが深夜の村に陰翳をつけていた。」

精霊だった……?そんな体験からお話は始まります。森林で生きる民族と暮らす中で、そこに息づく伝説や神話を聴いたり、自らその渦中に入ったりして、こう考えます。

「彼らのような自然の中で暮らす民族は、伝説と現実の経験談の区別が判然としないことを、私はニューギニアだけでなく各地で経験している。だが近代教育が行われる過程で、そうした世界は科学的に否定されてゆくのだ」

また、ボルネオの奥地では、自分自身どう判断していいのかわからない現場に立ち尽くします。テレビをつけると「美川憲一と研ナオコの歌謡ショーが始まったのである。ボルネオ奥地で『かもめはかもめ〜』と聴く、この違和感。しかし、思わず聞きほれてしまう私がそこにいたのだった」

第2章「遭難から見えてくる森の正体」は、まさに映画「インディージョーンズ」の世界です。テントの上の木の葉を食べる多くの虫が、糞をして、それが「テントをたたいて雨の音に聞こえるなんて」虫嫌いの人なら卒倒しかねません。それでも著者は、秘宝を求めてジャングル奥地に踏み込むジョーンズ教授よろしく、森の奥地へと入っていきます。

笑ったのは、勝手知ったる生駒山でのこと。「斜面を登る途中で滑り落ちた。沢に足を突っ込んだ。一瞬、悲鳴が口を突いた足元は濡れて泥だらけになった。遭難…….という文字が脳裏に浮かんだ。」その時、携帯のメールに着信が入ります。「娘からだった『帰りにキャベツ買ってきて』」さらに「玉ねぎと牛乳も買ってきて」と…….。なんとか無事下山し、娘さんの買い物も部終了したとか。やれやれでしたね。

第3章では、常識として受け入れている森の現象の本質を見抜いていきます、例えば森林セラピー。「森林浴」「森林療法」「森林セラピー」という言葉の裏に潜む、トンデモ科学とごまかし。その姿を読者に示して、「森林散策が心地よいことは、誰もが感じる経験則だ。しかし、トンデモ科学の装いを施して、トンチンカンな期待だけが膨らまされているのが森林セラピーではないか。」と結論づけています。

森という大きな存在を、様々な角度から教えてくれる格好の一冊です。アウトドア派必読!

 

新年最初の読書は、マガジンハウスで、数々の雑誌の編集に携わってきた編集者岡本仁の「続々果てしのない本の話」(オークラ出版/古書1200円)でした。同社の「&Premium」に連載されていた読書エッセイ40編をまとめたもので、誠光社の堀部篤史さんと共作した「古本18哩」も収録してあるという本好きにはたまらん一冊なのです。ところが読みだした最初は、ケッ!アートに詳しい編集者が、クールに自分の好きな作家をエッセイ風に描いた東京人好みの本ね…….みたいな感じで、プリプリしながら読んでいました。(なら読むな!)

が、そういう扁壺なおじさんの気持ちを、ゆっくりと柔らかにしてくれて、結局最後まで一気に読みきりました。そのキッカケになったのが、こんな文章でした。

「幸せな結婚というのは『いま、ここ』がいちばん尊いと知るきっかけであると同時に、『いま、ここ』がいかに儚いものなのかを悟るきっかけでもあるのじゃないか。ミランダ・ジュライの『あなたが選んでくれるもの』で、彼女が自分の結婚について触れている部分を読んでいるうちにそんな気持ちになり、庄野潤三の『夕べの雲』を思い出した。」

ミランダ・ジュライ→庄野潤三へと流れてゆく文章が、チャーミングです。本書では、ひとりの作家、あるいは著作から、岡本が思い浮かべた作品が次々と果てしなく並べられていきます。もちろん、私の知らない作家や、アーテイストや写真家がどんどん登場してきますが、決して上から目線にならずに、ねえ、こんな面白い人いるよ、みたいな感覚なのです。程々にクールでベタベタせずに描かれているので、心地よく読めます。

岡田温司著「モランディとその時代」という美術の本から「この本は自分自身の考えと信じていることが、もしかしたらただの紋切り型になっていないかと疑ってみることの大事さを教えてくれる。見ているようで見ていない、聞いているようで聞いていない、考えているようで考えていないことが、自分のまわりにまだまだたくさんあるような気がしてきた。」

本の内容を紹介しつつ、最後に自分の言葉で、その本から受けた思想をきちんと伝えることは、なかなか出来ません。(ブログを書きながら日々痛感しています)

一方で、著者は、少年のような瑞々しい感性をひょいと出すことがあります。京都の細見美術館で見た「永遠の少年、ラルティーグ」展の感想をこんな文章で綴っています。

「いまこの瞬間の興奮と幸せを永遠のものにしたいという、ラルティーグの無邪気さが観る者を自然に笑顔にしてしまうような写真、涙が出そうになるほど素敵だった。」

なんだか写真展で、顔をクシャクシャにして楽しんでいる著者の姿が想像できます。

それにしても方々の美術館に出かけていますねぇ〜。本当に好きなんだ。

Tagged with:
 

「スターウォーズ」第一作が公開された1977年。大学4年だった私は、就職も卒業もほったらかしにしてアメリカ西海岸にいました。自分なりの理由はありましたが、本音を言ってしまえば現実からの逃亡でした。日本に帰ったらどうなるのかなぁ〜と思い悩みながら、アメリカの日々を楽しんでいました。そこで出会ったのがこの映画でした。バスに乗ってサンフランシスコの映画館へ、2度見に行きました。アメリカ映画の楽しさがすべてここにある、こんな映画に出会いたくて映画館に通っていたんだと、暗闇で自分を納得させていました。

帰国してなんとか就職。1980年「帝国の逆襲」、1983年「ジェダイの帰還」を映画館で観ました。その間、会社の倒産、転職を経て結婚して、1999年公開の「ファントム・メナス」は女房と一緒に観に行きました。最初の三部作に比較してCG技術が格段に飛躍していましたが、物語が脆弱で、その後公開された「クローンの攻撃」、「シスの復讐」は映画館で見ずに、レンタルビデオで済ましてしまいました。自分の中での「スターウォーズ」の存在が小さくなった時期でした。

それまでのレコード店から書店へと勤務が変わり、親の死など様々な出来事に対処していた頃であり、荒唐無稽な世界はお呼びじゃなかったのかもしれません。

しかし、2015年「フォースの覚醒」からスタートする三部作には、引き込まれていきました。最初の三部作を観ていた頃の青春の輝きみたいなものが蘇ってきたのです。この三部作には、最初の三本に出ていた人物が3人登場します。皺の増えた彼らの顔を見ていると、こちらも歳をとったことを痛感しました。そして、昨年大晦日に最新作「スカイウォーカーの夜明け」を観にいきました。

派手なアクション満載でエキサイトしましたが、ラストシーンで涙が止まりませんでした。詳しくは書きませんが、ヒロインの取る行動が、最初の三部作を葬り去るような象徴的なものに見えたのです。

本場アメリカで観た第一作から、それなりの人生を経て、この第九作まで観てきた長い時間、「スターウォーズ」はずっと私のそばにいたのです。どこかでこの映画に支えられてきたんだなぁ〜という思いで一杯になりました。ふと横を見ると、私と同じ世代のおっちゃんも涙ぐんでいました。あぁ〜、このひとも「スターウォーズ」と一緒に生きてきたんだ….。ヒロインの最後の微笑みは「よく生きてきましたね」と言ってくれているように感じました。

「スターウォーズ」と共に生きて来られてよかった。

Tagged with:
 

山と都市を結びつけることをテーマにしているミニプレス「murren」の編集者、若菜晃子さんの新刊「旅の断片」(アノニマスタジオ/新刊1760円)は、彼女が訪れた世界の国々のことを描いた随筆集です。

若菜さんは神戸出身。「山と渓谷社」に入社して、編集者としての道を歩き始め、仕事をこなす傍ら、自分の本も発表していきます。新潮社「とんぼの本」シリーズの一冊として書かれた「地元菓子」は、ヒットしました。ミニプレス「murren」では、当店が開店したころからのお付き合いで、毎号ほぼ完売を続けている人気雑誌です。アノニマスタジオから出版された「街と山のあいだ」(1760円)に続く本書は、訪れた国々の、名も知らない街で生きる人々の姿が、節度のある温かな文章で紹介されていきます。例えば、台北の街で出逢った「修理」と書いた札を机の上に置いたおじさんをこう描写しています。

「道行く人の時計ひとつ直したところでおそらく微々たるお金しかもらえないだろう。あるいはもっと違う労働をした方が割はいいだろう。けれどもあくまで自分の本分で食べていこうとする生き方もまた、正しいと思う。そこに人としての矜持を感じる。それほどまでに実直そうな人なのだ。」

ヨーロッパ、アジア、インド、カナダ、メキシコ、さらにはチリ、ロシアサハリン島と驚くべき範囲の国々を旅していますが、ただ回るだけではなく、趣味のダイビングをして「海の旅」というタイトルで一章を割いています。会社勤めの編集者として、膨大な量の仕事をこなしていた時、身心が疲弊していき、そんな時に逃げ出す先が海だったそうです。「私は海という自然に入り込むことで救われたのだ。地上に存在するさまざまな国へ、さまざまな山へ行くことも旅だが、私にとってダイビングは、海という別世界へのはるかなる旅であった。」と書かれています。この中で、孵化したばかりのウミガメの子供が、一直線に海へと向かう場面を素敵な文章で伝えています。

「波が来るのを待っているのだ。波が来るのを知っているのだ。頭をもたげて海からの迎えを待つ、その一瞬の姿がけなげにもいたましく思われるが、それ以上に気高く、壮厳である。今から未知なる世界へと船出する決意を感じさせる。」

ウミガメであれ、自分たちの生活を真摯にいきる人たちであれ、若菜さんの視線はかぎりなく優しい。スリランカの古都キャンディで出逢ったおじさんについて書かれたエピソードは、その最たるものだろう。密集したおしべの真ん中に、ひとつだけ薄緑色の丸いめしべがあるホウガンノキ(英語名キャノンボールツリーをそのまま日本語に翻訳)。おじさんはそれを指して「ブッダ」と呼びました。「なんという美しい発想。丸い玉のような白い花の中をのぞいて、仏様が鎮座しておられると思う、人々のその敬虔な心。その花を木に登って取ってきて通りすがりの外国人に教えてくれる、掃除夫のおじさんの温かい行い。」と、その姿を伝えてくれます。

世界は美しいものに満ち溢れている、そんな真実を思い出させてくれる素敵な一冊です。

★現在展示中の法蔵館主催の「本づくりへの願いー版木とともに」の内容が、同社社長の撮影による映像でyoutube に上がっています。下記のアドレスからどうぞ

https://www.youtube.com/channel/UCgNGqJl-JOMB72gHv8bXLtA

 

 

 

 

 

お正月休みも明けて、1月7日の本日より通常通り営業いたします。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、2020年ギャラリーは、京都の法蔵館書店による「本づくりへの願い・版木とともに」の展覧会で幕開けしました。

京都は日本の出版文化発祥の地で、その中核は仏教書でした。法蔵館さんは江戸時代から仏教書を中心に出版活動をされてきました。展示されている年表によると、慶長7年(1602)西村九郎右衛門、大坂城落城により京都へ転居、一向宗(浄土真宗)の仏書肆開業とあります。法蔵館と名乗られたのは明治時代からだそうですが、なにしろ長い長い歴史を紡いで400年余り。今回は、そんな法蔵館さんの蔵の中から掘り出した(?)版木の展示をしていただきました。

写真(右上)を見ると、蔵の壁は下から上まで版木の山。10000枚の版木は多くは明治以降のものですが江戸期のものもあるとか。実は店長がこの企画に先立って蔵の見学に伺いましたが、あまりの量と、蔵の息づかいみたいなものに当てられた様子で帰ってきました。金子貴昭著「近世出版の板木研究」(法蔵館書店)という本が出されていますが、その金子先生によって現在も調査中だとか。

紙の本から電子書籍へと、読書環境の変化に伴い出版業界の構造も変化しつつある今ですが、こうして手で彫り上げた美しい版木を眺めていると、情報を伝える熱い思いを改めて感じました。

また、版木のワークショップコーナーを設けました。法蔵館の小さな版木を白い紙にスタンプして、ブックカバー(文庫用)を作ってお持ち帰りください。空き缶にいっぱいに入った版木(写真右下)が、あまりに可愛いので早速押してみましたが、楽しいですよ。

昨年12月に京都新聞で大きく取り上げられた「A級戦犯者の遺言」(青木馨編・法蔵館)は、巣鴨プリズンでA級戦犯の最期に立ち会った日本人僧侶で教誨師花山信勝氏の講演録。(CD付き2420円)さらに、昨年法蔵館文庫が創刊、次々と新しい文庫も生み出されています。こちらの方はすでに店に並べています。今年、文庫第2弾新刊「アマテラスの変貌」(佐藤弘夫著・1320円)「正法眼蔵を読む」(寺田透著・1980円)も先行発売中ですので、この機会に手にとってみてください。

そして当店でも人気のミニプレス「ドーナツのあな」「おきらく書店員のまいにち」でお馴染みのいまがわゆいさんと、法蔵館がなぜかコラボした(!)かわいいクリアファイルやマスキングテープも販売しています。

というわけで、法蔵館の歩みは、これからも続きます。版木の歴史を振り返り、本の未来を少しだけ考えてみる機会になれば幸いです。(女房)

「本づくりへの願い・版木とともに」は1月19日(日)まで。13日(月)は休み

12:00〜20:00  最終日は18:00まで 

 

 

Tagged with:
 

昭和11年。日本は軍国主義国家へと走り始めていました。同年、2月に軍人によるクーデター「2.26事件」、ロンドン軍縮会議からの脱退、そして国号を「大日本帝国」に統一して、アジア大陸への軍事的進出を狙っているという、極めてきな臭い状況でした。

そんな時、松竹下加茂撮影所の大部屋俳優だった斎藤雷太郎が、「土曜日」を発行します。タブロイド6ページの小さな新聞でしたが、一時は発行部数8千部まで伸ばしていました。戦後、反ファシズム運動の象徴的出版物とまで賞賛されたこの「土曜日」を、一人の大部屋俳優が出版して1年8ヶ月も刊行を続けたことを丹念に取材していったのが中村勝「キネマ/新聞/カフェー」(ヘウレーカ/新刊2750円)です。

僅か6ページながら、社会問題、政治の状況から、映画やそのほかの文化、趣味娯楽までと幅広い紙面構成でした。当時「世界文化」という硬派の反ファシズム誌が出ていましたが、こちらはかなり柔らかい内容でした。

そして、何よりも販売方法が画期的でした。この時期、京都市内の各地に喫茶店が誕生していましたが、そこに目をつけた斎藤のセンスがいい。喫茶店に、持ち込み販売をお願いしたのです。今のカフェに置いてあるミニプレスや、無料配布のZINの原型を彼は作り出していたのです。

カフェに集まる学生たちが「土曜日」を読み始め、周囲へと広がっていきました。昭和9年に開店した喫茶フランソワは今も健在で、京都に残る最も古い喫茶店の一つですが、ここにも「土曜日」は設置されていました。

「お客は、経営者の思惑どおり、三高や京大、同志社の学生が中心だった。『土曜日』をおくと、それを持ち帰るものも出て、たちまちなくなる人気、やがて、持ち帰り自由を前提に毎号、二百部を買い取るようにした。」

と当時の様子が描かれています。昭和12年京大に入学した河野健二(後に京大名誉教授になる)も、フランソワで「土曜日」を貪り読み、「何かしら新鮮な文化の香りを感じとったものである。」と当時を振り返っています。

しかし、おおらかで自由な雰囲気を持つ小さな新聞さえ、お上は許さなかったのです。「反社会の精神が流れている」という警察のデッチ上げで、廃刊へと追い込まれていきます。本書はもともと京都新聞にて連載されていたものだけに、読みやすく構成されていて、多くの映画人が活躍していた京都の映画状況や、当時開店した喫茶店の名前などもずらりと並んでいます。

本年最後にこの本を読んで思うのは、当店で販売しているミニプレスが、知性のない政治屋に「反社会的だ」などというレッテルを貼られる日が来ることが決してあってはならないということです。

本日で当店は今年の営業を終了いたします。当ブログをお読みいただいた方々、ご来店いただいたお客様、ギャラリーを飾ってくださったアーティストの皆様にも改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。

新年は7日(火)より「本づくりへの願い 版木とともに」(by法蔵館)企画展でスタートします。どうぞ良いお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします。(店長&女房)

 

下着デザイナーで数々の著作で知られる鴨居羊子の、ホォ〜これは珍しいと思う本を入荷しました。

一つは、安岡章太郎著「ガラスの靴」(牧羊社/古書10000円)。限定500部A 4判型で、表紙にはポルトガル産のコルクシートを使用して、表紙を開けると、著者の直筆署名が入っています。そして、鴨居羊子による色彩画3点と白黒作品が16枚収録されています。犬が登場する絵が、たまらなく素敵なのです。この本の最終ページには、「1975 1.27 ガラスの靴第一号 鴨居羊子」と直筆の走り書きと自画像がサラリと描かれていました。限定本1番の本に記された鴨居のサインと絵なんてレアですね。

芥川賞候補にもなった安岡の小説は、ちょっと変わったお話です。アルバイトしている猟銃店の使いで米軍軍医の屋敷に行った僕は、一人で留守を守っていたメイドの悦子に出会います。彼女は退屈しているせいか、「僕」にお菓子を出したりして引き留め、ときどき遊びに来てくれるように懇願します。僕は悦子に魅入られていき危うさと哀しさが漂う二人の付き合いが始まります。二人の青春の脆さと無力さを、鴨居は犬を主人公にして描いています。

「何もきこえはしない。しかし僕は、それでも受話器をはなさない。耳タブにこすりつけてジット待つ。するとやがて、風にゆられて電線のふれあうようなコーンというかん高い物音が、かすかに耳の底をくすぐる。それは無論、言葉ではない。」

ラストの僕のモノローグには、死んでしまった犬を抱く青年が描かれています。

もう一点は「M嬢物語」(小学館/古書2000円)です。こちらは。写真とエッセイで綴られた鴨居の人形たちへの思いを綴った一冊です。

「私は小っぽけな人形を見ている間、ふっと黒馬物語を思い出していた。人形も黒馬と同じように、その流転は誰も知らず、こうして旅から旅へ、人から人へ、いつのまにかメキシコからまた日本へ。」と、流転してゆく人形への想いを文章にしています。鴨居のアトリエから生み出された多くの人形とともに、もちろん、素敵な彼女の絵がたくさん収録されています。

 

★レティシア書房年始年末のお休み 

12月29日(日)〜1月6日(月)

新年は1月7日(火)から通常営業いたします。ギャラリーは「本づくりへの願い 版木とともに」(by法蔵館)です。よろしくお願いいたします。