川勝徳重は2011年「幻燈」でデビューし、漫画雑誌の編集、アナログレコードのジャケイラスト、評論等々多方面に渡って活躍しています。

「電話・睡眠・音楽」(リイド社/古書950円)は、一見すると革新的マンガ雑誌「ガロ」系統の世界なのですが、そこを踏まえつつ新しいマンガの世界を堪能できる一冊。2012年から17年までに各種雑誌に発表されたものをまとめた作品集です。

つげ義春に代表される「ガロ」が持っているタッチは、其処彼処にあります。最初に収録されている「龍神抄」は、龍になろうと修行した男がウナギになって食われる物語ですが、それが最も色濃く出ているように思います。この作家の面白いところは、藤枝静男原作「妻の遺骨」、梅崎春生「輪唱」などの文学者の原作ものを漫画化しているところです。赤塚不二夫「自叙伝」と赤塚藤七「早霜の記憶」を原案とした、赤塚の満州での幼年時代を描いた「赤塚藤雄の頃」といった異色作品も原作ものでしょう。

「ガロ」的な貧しさや、湿気感を踏襲しながら、現代的センスで作り上げている漫画家ですが、その一方で、ヨーロッパ、アメリカ発のグラフィックコミックスをベースにして、左綴じの表題作「電話・睡眠・音楽」を書いています。これは、出来上がった原稿をスキャンしてPCに取り込み、加工しています。だから、他の作品とタッチが全く異なります。また、作品発表の場所も雑誌媒体ではなく、トーチwebというネットで公開されました。(今でも見ることができます)

舞台は現代の渋谷。一人暮らしの若い女性が、メールをし、入浴し、うたた寝して、夜更けにバーに出かけ、明け方の渋谷を歩く、という日常を描いています。「一人の女性の切り詰められたモノローグと、東京の夜景を通して、現代の時間の流れが切り取られたような作品」と文化庁メディア芸術祭で高い評価を受け、審査委員会推薦作品に選ばれました。

空虚、孤独、そして希望がブレンドされた傑作だと思います。小西康陽が「ヌーヴェル・ヴァーグ」と本作の帯に書いていますが、たしかにルイ・マルあたりなら、映画にしそうです。

共に京都精華短期大学で油絵を専攻して、卒業。それから40年あまり、それぞれの人生を歩みながら「絵」を描くことを手離さずに来られた、三人の女性による展覧会「見ることの不思議展2」が本日から始まりました。

大家好子さんは岐阜県で、シルクスクリーンを制作されています。「ハイヒール」や「鳥」という好きなものを題材にして、繰り返しの形の面白さを追求した版画が並びました。テキスタイルの柄のような洒落た作品です。実際に作品のいくつかをプリントした布で、洋服も制作されていたのだそうで、その布(端切れ・200円〜)をはじめ、色鮮やかなポストカード、ブックマーク、Tシャツも販売しています。(ポストカードは150円)

長野利喜子さんは、身近なものを材料にして制作されています。メロンの皮を干してインクをのせ、プレス機で刷った楽しい版画作品。グリーンピースを描いたやさしい木版画。そして、卵の殻(小さく穴をあけて中身は取り出した後)に小さく切った和紙を貼り、ジェッソで固めて好きな色で自由に絵を描いた「タマゴ」たち。かまぼこ板から出来た小さなボックス。台所の中から生まれた愛らしい作品には、ほっこりニッコリしてしまいます。タマゴは一個ずつ販売中(100円〜300円)何も描かれていない白色のタマゴに、自分で着色してみるのも楽しいかも。

 

高井八重子さんは、油絵一筋です。グレーを基調にして、オレンジや黄色を配した洒落た色使いが本当に美しい。部屋の何処に飾ってもきっと素敵です。今回の展覧会のために描かれた、同じ構図で色違いの二つの横長の絵「パレード」(写真最上と左下)の作品は、ピエロの楽隊が奏でるお祭りの太鼓や喇叭が聞こえてきそうで、初日から本屋の壁にすっかり溶け込んでいます。 ずーっと絵を描き続けるというのは、なんてステキなことなんだろうと、改めて思いました。何かに心動かされる柔らかな感性と、それを表現できる確かな技術。そして、どこかしら懐かしい香りのする落ち着いた雰囲気。

三人は、卒業後は特に顔を合わせる事もなく過ごしてきて、2年程前初めて一緒に展覧会をされたのだそうです。2回目は、皆さん本好きということで、こうして本屋で実現しました。さて、まだ暑い日があると言ってもようやく秋らしくなりました。ぜひベテランの描く絵画をお楽しみください。(女房)

「見ることの不思議2」展は、10月9日(火)〜21日(日)月曜日定休12時〜20時(最終日18時まで)

 

2004年、スマトラ沖で発生した大津波は、インド、タイ等の沿岸諸国に大惨事を招きました。それから5年。インドを本拠地とするタラブックスは、”TUNAMI”という絵本を出版しました。

インドには家から家へと渡り歩き、絵物語を見せながら、語り聴かせる語り部ボトゥアと呼ばれる人がいるのだそうです。二人のボトゥア、ジョイデブ&モエナ・チットコルは、津波による惨状を絵物語にして、亡くなった多くのひとたちを鎮魂しようと、絵を描き語り歩きました。そして2009年、この絵物語をタラブックスが、本として世に送り出しました。職人たちの手作業で、手漉きの紙に、一枚ずつプリントされた手製本は、被災した多くの人に手渡されました。

2011年、日本の沿岸が津波に襲われました。インドで起こったことと同じことが日本で起きたことから、日本語版の制作が始まり、今年三輪舎より「つなみ」(3780円/限定1500部)が発売されました。

蛇腹式の本を開けると、「さぁさぁ、みなさん聞いてくれ わたしの話を聞いとくれ これからうたう悲しいうたを すべてをさらった波のこと つなみ 命をのみ込む波の話を」という言葉と共に物語りは始まります。ジョイデブの描くダイナミックなデザインと原色に満ちた絵に、先ず目が奪われます。この物語を語るモエナの声を、なんとか日本語で伝えたいと翻訳したスラニー京子さんはこう語っています。

「腹の底から声をふりしぼるように、津波という痛ましい出来事を描くモエナの歌を訳したかった。彼女が津波について語るとき、そこにはどういった思いがあるのか、津波がインド洋を襲った時、モエナは何を見て、何を感じたのか。彼女の声にしっかりと耳を澄まして、どうすれば読者の方々に伝わるのかと考えた。」

絵巻全長180cm、波が滝のように流れ落ち、人々、動物、植物が押し流されてゆく様が描かれています。しかし、皆の表情は苦痛に歪んだリアルなものではなく、このお話を見て聞いておくれ、といっている様です。

語りにの最後に「それまで埋もれていた寺が もうひとつ となりにみつかった 波が砂をさらった そのあとに もうひとつ 寺があったのだ すべてが打ち砕かれた そのあとに 尊いものが たち現れた。」とありますが、これは事実だそうです。マハーバリプラムという観光地に、8世紀にまで遡る遺跡群がありましたが、津波が直撃した後、引潮と同時に、それまで砂に埋もれていた1300年程前の寺院が忽然と姿を表したのです。打ち拉がれた人々にとっては、大きな救いであったことでしょう。

可能ならば、広げた形で部屋に飾っておきたいところです。魂のこもった手作り本が、あなたを励ましてくれるかもわかりません。

 

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。10/27日(土)19時スタートです。

参加費は2000円です(要予約)


 

生物学者の福岡伸一が、たしか、カリフォルニア州サンタモニカにあった古書店のことを「週刊文春」の連載で書いていたなぁ〜というおぼろげな記憶で、その文春の連載記事をまとめた「変わらないために変わり続ける』(文藝春秋/古書950円)をパラパラめくっていると、ありました、ありました。

十数年前、彼が海岸沿いの商店街のプロムナードと呼ばれる歩行者天国をぶらぶらしていた時のことです。

「このプロムナードの端っこの方に、木の扉の、間口は狭いが奥深い、なかなかシックな感じの古本屋さんを見つけた。当事は9/11の直後。至る所に星条旗が掲げられ、アメリカ中で愛国心が盛り上がっていた。ところが店頭の一番目立つショーウィンドには反体制で知られるノーム・チョムスキーの著作 ”9−11:Was There  an Alternative”(邦訳『9・11−アメリカに報復する資格はない!』)が飾ってあった。ああ、アメリカにもこんな本屋さんがあるんだ、かっこいいと思った。」

その本屋が今もあるのか、いやあって欲しいと念じつつ、福岡はこの街を再訪します。その場所にはありませんでした。しかし、違う場所にアート系に特化した古書店を発見!どこか、一本筋が通った雰囲気を感じて、店員に訊ねると、あの古本屋だったのです。「ポスト9/11の荒波を乗り越えて、立派に進化を遂げていたのだ。」と歓びを文章にしています。

著者は、研究修行時代在籍したNYロックフェラー大学に、客員教授として滞在することになります。そして、この巨大都市の生活、アート、文化の断面を、好奇心一杯に観察したのがこの本です。

スタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」は、主人公の小説家が狂気じみた表情でひたすらタイプライターを打つシーンが有名ですが、著者は同じタイプライターをノミの市で見つけ、ホクホク顏で買って帰ったというような話も沢山あり、肩のこらない読物になっています。

ほぼすべてNYの話ですが、京都が登場するものがあります。「今出川通から猪熊通という小さな路地を少し奥に入った古い木造の町家の二階」に下宿していた学生時代。「猪熊通今出川上ル」だけで郵便物が届くことに衝撃を受けたそうですが、NYもそうらしい。そこには、”いけず”って言葉もあるんだろうか….。詳しくは第7章「タイルの街と目地の街」をお読み下さい。

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。10/27日(土)19時スタートです。

参加費は2000円です(要予約)

 

 

 

カリブ海に浮かぶ数百の小島からなるサンプラス諸島。ここに生きる純血のインディオ、クーナ族の女性たちが幾重にも布を重ねて縫い上げるブラウスの布をモラと呼びます。ヤシの木陰でモラを作る女性たちは裁縫の達人です。この手製のブラウスは、当然のことながらすべて絵柄がちがいます。その人、その人の魂はそこに縫い込まれていると言われています。

モラに魅せられた絵本作家、久我通世が現地に飛んでモラをスケッチするつもりだったのですが、島で行われた祭りに参加したために、それどころでなくなります。酒を酌み交わし、島の人達の仲間にいれてもらいます。

「家具らしいものは物はなく、夜になるとハンモックのベッド。台所は砂の床でくべられるたき火。水は天からのもらい水。そんな簡素な生活の中で、命の源のようなモラが作り出され、受け継がれている。何がたいせつなのかを知っている人たち。」

彼女にとって宝物のように大切な体験を、絵本にしたのが「みんなまつりモラモラ」(講談社/古書1800円)です。踊るような構図、熱帯の熱い太陽みたいな明るい色彩で満ちあふれた絵本です。いろんな島から、「みんなまつりモラモラ」のために人々が集まってきます。いや、人だけでなく、動物たちも。そこかしこから強烈なリズムの音楽が聞こえてきます。お祭りはモラじいと、モラばあのお話で始まります。平和な人って、きっとこういう顔の人のことでしょう。モラじいが、なんとなく寅さん風なのが笑えます。もうあとは、飲めや、歌えやのどんちゃん騒ぎ。踊るワニの上に乗って音楽を奏でる人々は本当に楽しそう。

「みんな、おどって、わらって、モララ♪ みんなまつり モラモラ ラララ♪」と祭りは最高潮に。生命の爆発が伝わって来る様な画面。それはモラの布のようです。やがて、真赤な夕陽を見ながら人々は去っていきます。ところで「みんなまつりモラモラ」て何なの?という問いに、ものしりねこがこう答えます。

「きみが いて、ぼくが いて、みんなが いるって いう おまつりさ。 ちきゅうの おへその おまつり、さ。」

強烈な印象の絵本です。レアな本なんで、ネットでは6000円ぐらいの高値で出ています。 

 

 

 

イスラエル映画「運命は踊る」(サミュエル・マオズ監督作品)を観て来ました。予告編で、国境警備所のゲートを一匹のラクダが、ゆっくりと通過するシーンを見て、これは面白いかも、と思ったのです。

高名な建築家が住むマンションに、イスラエル軍の兵士がやってきてこう伝えます。「あなたのご子息は戦死されました」と。悲嘆にくれる父と母、親戚の面々。母は悲しみのあまり倒れてしまいます。葬儀の準備が始まったその時、戦死の報告を言った兵士が再度訪れ、「あれは間違いでした。同姓同名の人物と間違えました」。こんな間違いなんて言語道断。烈火の如く怒りだした父親は、すぐに息子を戻せと兵士に詰め寄ります。

ここで、序章は終わります。場面変わって、予告編にも登場した国境警備所。と言っても、戦争の陰など全くない場所です、時々、ラクダがやってくるか、車に乗った一般市民が通過するぐらいのノンビリした警備所です。ボロボロの警備車両に、だんだん傾くオンボロ兵舎、不味そうな缶詰だけの粗末な食事。何も起こらない場所で、24時間交代の警備勤務をこなしている、その中の一人が、戦死と間違えられた兵士です。誰と、何のための戦争かもわからないまま、敵の影すら見えない警備所の生活は、生きる意欲も失せ、まるで生きる屍の如き毎日です。それでも、彼らはそれなりに暮らしていました。監督は悲惨な状況をことさらクローズアップでせずに、静謐な雰囲気で書彼らの毎日を淡々と描いていきます。しかし、ある日、彼らはとんでもない事件を引き起こします。この事件前後の描き方は極めてスタイリッシュです。何が起こったかは映画館でご覧ください。

そして、映画は、再び父と母が住んでいたマンションに戻ります。でも、何だか状況が変化しています。灯の消えたマンション。酒びたりの母。所在なげな父。何が起こったのでしょうか?息子は帰ってきたのでしょうか?この夫婦はどうなってしまったのか、うっすらと予想はできますが、衝撃的な答えが最後に用意されています。運命とは、こんなに残酷なものなのか。この夫婦の悲しみと苦しみ、人生のやるせなさの向こうに、少し見えてくる希望。ラスト、切ないピアノの旋律に合わせて、映画のオリジナルタイトル「フォックストロット」というステップの踊りを繰り広げる二人に涙しました。

母国イスラエルの保守派政治家からは、国の資金を使ってこんな映画を作るとは、と攻撃されたみたいですが、イスラエルのアカデミー賞的存在のオルフィー賞8部門獲得し、本家のアカデミー外国映画賞にもノミネートされました。予告編の面白さはホンモノでした!

 

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。10/27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)

 


久々に庄野潤三の短編小説を読みました。まるで戦後の小津映画みたいに、穏やかな家庭の話を延々繰り返す世界は、まぁ、もういいかなと思っていたのですが、今回短編を集めた「葦切り」(新潮社/古書900円)を読んで、やっぱり上手いと感心しました。

「葦切り」は、わずか80数ページで、とある河川の工事技術者の一生を描いてしまうのです。しかも、登場人物は二人だけ。主人公は大正生まれ(らしい)篠崎さん。彼は河川の工事の仕事の合間に、短歌を作っていました。その彼の作品のことを聞きにきた人物との会話だけで構成されています。しかし、会話の内容は、短歌の背景のことだけではありません。戦争中の米軍機による機銃掃射、空襲、戦後の凄まじい食糧難を生き延びた体験談や、自分の技術の話などが盛り込まれ、一人の男の半世紀(それは昭和の歴史そのものと重なってきます)が語られていきます。二人芝居を見ているような、篠崎さんと聴き手の会話です。穏やかな会話の中に、深いものを見せてくれる中編小説だと思います。

庄野らしい小説が「メイフラワー日和」という短編でした。老年夫婦が、宝塚歌劇を見に行くために乗車した阪急電車車内に場面はほぼ限定されています。それなりに財をなした夫と、専業主婦の妻が、「メイフラワー」という舞台を見にゆくため来阪します。「何年ぶりかの宝塚なのだから(東京では家族行事の一つになっている)、ゆったりとした心持ちで出かけたい。」とホテルで妻と話しあい、余裕を持って朝七時に出かけましょうと妻と決めます。もう、こういう会話だけからも、上品で、教養のある家庭人であることが見えてきます。車内で夫が、宝塚までの阪急沿線のことを思い出したり、旧友のことを妻と語り合ううちに到着する。そして駅前の荷物一時預かり所に自分たちの荷物を預けるところで小説は終わります。起伏のある物語では全くありません。しかし、あずき色の阪急電車のシートに座りながら、ゆったりとした気分になるような不思議な魅力に満ちていいます。

この本の最初の持ち主のものか、北海道新聞の書評の切り抜きが入っていました。そこにこう書かれてありました。「平凡でつまらないはずの事実をほとんどありのままに描いて、しかも小説を読むよろこびを感じさせる不思議な作家」。多分、もうこんな作家は現れないでしょう。

「失せ物」という作品では、飛んでくる鳥のためにエサをいれた庭の木のカゴが野良猫に持っていかれる、もう瑣末な事件のみに終始したお話です。でも、目には全く見えないけれども、結婚し、子供を育て世の中に送り出した、夫婦の積み重ねてきた人生の長い時間が存在しています。読者はそれを読み取っているのです。

なお、夏葉社が最近出した「庄野潤三の本 山の上の家」(新刊書/2200円税別)は、庄野が住んでいた家の紹介と、エッセイ等を集めた素敵な本です。この本に収められた写真を見ながら、彼の小説を読むのもいいのではないでしょうか。

★大阪にある古書店「本は人生のおやつです」で開催中の「本のヌード展」に当店も参加しています。大阪に行かれることあればお寄り下さい(20日まで)

 

 

 

 

 

 

 ★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。

10/27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

本に関わっている様々な人たちが、自分の仕事への思いを綴った「本を贈る」(三輪社/新刊1944円)は、本への愛に溢れた素敵な書物です。編集者、装丁家、校正者、印刷、製本、取次、出版営業、そして書店員たちが登場します。

トップバッターで登場するのは、島田潤一郎さん。隅々まで神経の行き届いた本をリリースする夏葉社を主宰されています。島田さんは、出版する姿勢をこう語っています。

「ぼくが本をとおして伝えたいのは、メッセージでもなく、主張でもなく、婉曲的ななにかでもない。ぼくは、なにかの全体をだれかにまるごと伝えたい。大げさにいえば、人生の全体。物語の、感情の、思いの全部。そのひとの全部。そういう全部を伝えるのには、本がいちばんいいと思っている。」

この島田さんの思いの一端を担うつもりで、当店では夏葉社のすべてのラインナップを揃えています。

二番目に登場するのは、京都在住の装丁家矢萩多聞さん。型破りな生き方を通して、本当に大切な暮らしと仕事を見つめた「偶然の装丁家」(晶文社/古書850円)を、是非お読みください。装丁家として仕事をされる一方で、インドのタバブックスの本の仕入れ、業務もこなされています。手仕事で作られたタバブックスの本は、どれも魂がこもっています。彼は常々「人間はいったいなんのために本をつくりつづけるのか。」という問いを持っていました。

「ちいさくても、ゆっくりでいい。他人の本をデザインして終わりではなく、自分で本をつくり、届けるところまでやってみたい。それをやらないと、気持ちもバランスもとれなくなって、このまま慌ただしい流れのなかにうずもれてしまうんじゃないか」

その思いから、自分たちで本を作り、販売していきます。小さく、小さく売ってゆく…..。手間をかけて、その本が必要としている人の元に届ける。それは収入は少なくとも好きなことを細々と続け、慎ましく幸せに暮らす「小さな暮らし」へと結びつきます。経済成長なんて言葉に踊らされずに、小商いに生きる人達が増えているのは、正しいことですね。

ミニプレス「ヨレヨレ」(当店のロングセラーでした/絶版)を作っていた鹿子裕文さんが、「ヨレヨレ」に登場する「宅老所よりあい」という施設の顛末記「へろへろ」(ナナロク社/新刊1620円)を書いた時の、校正を担当した牟田都子さんが登場します。

本の校正って、赤鉛筆で間違いを直す仕事というイメージがありますが、彼女の話から、中々奥の深い仕事であることを納得しました。送られてきた原稿にペンを入れることで、著者とのコミュニケーションをはかっているのです。過剰なペン入れは著者の表現を逸脱するのではという不安が常に頭をよぎる作業です。言葉の一つ一つに対する徹底的な調査には脱帽です。

「贈るように本をつくり、本を届ける10人のエッセイ」というのは、帯の言葉ですが、そんな人達の努力と手間が、書店に置かれたとき、この本は何か違うとキラリと光るものを生み出しているのでしょう。

 

 

 

 

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。

 

10/27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)


 

 

 

 

私は日本史が大嫌いだった。漢字だらけの長ったらしい名前に、誰が誰の家来やら判別できなくなり、もういいやと、源氏も平家も家康も全部deleteしていました。最近は大河ドラマなど見るようになってから、少しずつアレルギーは無くなってきましたが……。

だからといって、歴史小説を読もうという気にはなりません。けれども、最近読んだ山本聡美「闇の日本美術」(ちくま真書/古書550円)は、日本美術が描く闇の部分を解説してあり、歴史音痴の私もスラスラ読めました。

「古い絵をなかだちとして、闇の中に沈殿していったかつての日本人の想いを掬い取ることを試みた。怖い、苦しい、恨めしい、といった負の感情が、絵画という光の中で思いがけない美しさへと結晶する。暗闇にうごめく想いは、人間の創造性にとってかけがえのない伴侶でもあった。」

と著者はあとがきに残しています。この国に存在する闇を、地獄、鬼と怪異、病、死、断罪、悲しき女という六つのカテゴリーに区分けして、それぞれを代表する絵画をピックアップし、それぞれで闇がどのように表現されているかが解説されています。

平安時代に、念仏による浄土往来を解いた「往生要集」が、鎌倉時代に「六道絵」として絵画化され、凄惨極まりない地獄絵が登場します。本書には図版も収録されていますので、じっくりとご覧下さい。或は平安末期に制作された「餓鬼草子」には、今まさに子どもを産み落とす女性のいる部屋に、一匹の巨大な餓鬼が上がり込み嬰児を狙っている様が描かれています。餓鬼は誰の眼にも見えません。だから絵画の中では妊婦も周りの女性たちに見えていません。

「本図には日常を切り裂く怖さが潜んでいる。目には見えないけれども、すぐそばにいる。このことが餓鬼の不気味さを増幅し、地獄とは異なる切迫した恐れへとつながったものであろう。」と著者は解説しています。

餓鬼の後も、土蜘蛛、天狗などの異形のものたち、病などで死んだ人々の死骸を漁る動物達など、顔をそむけたくなる場面が展開しますが、これらの絵画を見ていた人達は、何を恐れ、何に絶望し、その恐怖の向こう側にどんな光を見ようとしていたのか考えてしまいます。

驚いたのは、藤原氏嫡流である近衛家伝来の史料を伝えるにある「陽明文庫」の小野小町の姿です。やせ衰えた老女がずだ袋を懸けて、ボロボロの蓑をつけて彷徨うところが描かれています。

「花の色は移りにけりないたづらに、わが身世にふるながめせしまに」と、誰でもが知っている和歌を詠んだ小町ですが、謎多き女性で、さまざまな伝説があるようです。和歌を溺愛し、宮廷内の身分の高い男性に入れこんだ彼女が、晩年には落ちぶれて、山々を彷徨ったという、女性が虚飾に走ることを戒める意図のある作品らしいのですが、今なら、「ほっとけ、大きなお世話やん」と声がかかりそうです。

とにかく歴史嫌いの貴方にも十分楽しめます。この本を読んで、後白河上皇に興味を抱きました。いつか、この人物についてブログを書いてみたいものです。

 

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10/27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)

 

 

 

岩城保子の「世間知らず」(集英社/古書950円)を読みました。主人公は、画家志望の女性です。自立を目指しながらも、職業を点々としてほぼ無職状態。アルコール依存症に陥り、あげくに同性愛者の男性、夏樹の家に転がり込み、食べさせてもらっている毎日。再婚した父と、新しい母との間にできた双子の姉妹とは顔を合わせれば喧嘩ばかりで、さらに酒にのめり込む日々を、この女性の語りで描いた物語です。

どんどんページを捲っていきました。主人公は友人に誘われて、飢えた子どもたちを支援する慈善事業に参加します。しかし、この時の彼女の思いはこうです。

「飢えた彼らの痩せ衰えた臓器に切なさを感じたからではなく、酒やタバコや不満で擦り切れた自分自身の臓器が、彼らのそれと同じに不憫だと感じたための自己憐憫のせいだったのだろう。彼らへの救済は自分自身の救済。それだけのことだ。」

彼女は、この会への参加を通して、自分をリセットするなんて気持ちは全くありませんでした。そして、ここに参加する女性たちを「掃除や洗濯や育児に追い回される日常の中での、ささやかな気晴らしを求める欲がふんだんに含まれていたに違いなかった。」と決めつけます。

深酒の日々が延々続きます。あるクリスマスの日、彼女は父親に呼び出されます。父は真っ当で安定した生活を娘に望むのですが、彼女は「健康で長生き。それだけが人生の目的であるような男が、かつては妻を見捨て、別の女の腹に双子を身ごもらせるという一端の冒険をしてみせたなんて、咎めるより、むしろ褒めてやるべきなのかもしれない。」と軽蔑の念をあらわにします。

席を立ち、外へ飛び出した彼女を父親が追いかけます。逃げる彼女。父は突っ込んできた車にぶつかり死亡。しかし、彼女は現場を去ります。そして思うのは、「血の喪失。私はもしかしたら、この日が来るのを心のどこかで待ち望んでいたのかもしれない。父親がいる限りは、私は自分がこの世に存在する理由を父親の存在を通してあれやこれやと理屈づける煩わしさに捕われ続ける。」ということです。不道徳なのか、酔っぱらっているのか…….。

酒に痛めつけられた臓器は悲鳴を上げ、腹痛がおき、トイレにかけ込みます。「クリスマスに下痢に苛まれていることを、世間で不幸というのだろう。そう、不幸な人生なのです。」

こんな女性の物語がハッピーエンドで幕が下りるわけがありません。しかし、単純な結末を用意していないところが見事であり、また恐ろしくもあります。本作が第21回のすばる文学賞を受賞した時、選考委員の作家三木卓は「わたしは何よりも語り手であるヒロインの気持ちが身にしみた。それは作者が素直な気持ちでひたすら綴っているからで、素直ということは強いということである」と書いています。

白々しい作為や、過剰な物語性を求めずに書ききった作者の強さに脱帽です。へらへらしたハッピーエンディングのドラマに食傷気味の方には、超お薦めです。

 

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。

10月27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約