「国吉康雄/ベン・シャーン展」は、1981年東京で行われた展覧会です。国吉は1889年岡山生まれで、1906年アメリカに渡ります。ベン・シャーンは1898年リトアニア生まれで、1906年、移民としてアメリカに渡りました。そして画家として一時代を築いていきます。同時代を生きた二人の展覧会は、きっと魅力的だったことでしょう。

国吉は、酒場やカフェにいる女性を描いたものがよく知られています。大戦の影を帯びた暗く深い眼差しが印象的。一方、ベン・シャーンは、どこにでもいるような庶民の生活の一場面を描いた「サンデーピクチャー」と呼ばれるものがあります。私が最初に魅了されたのもそのシリーズでした。労働者の男たちの背中に垣間見える生活の悲哀が伝わってきます。もちろん、この図録(1400円)にも収録されています。社会の弱者への眼差しは、やがて失業者、ストライキに明け暮れる労働者へ寄り添う、社会派画家としての道につながります。第二次世界大戦勃発と同時に、戦時情報局に意向に沿ったポスターを制作しますが、やがて戦争の愚かしさと虚しさに気づき、画風はさらに変化していきます。

そんなベン・シャーンの画の変遷を楽しませてくれるのが「現代美術第一巻/ベン・シャーン」(講談社2800円)です。戦後、彼は多くのレコードジャケットのデザインも担当していますが、音楽をテーマにした作品もたくさん描いています。1955年制作の「ジャズ」、翌年の「ホエン・ザ・セインツ」なんか、そのままレコードジャケットになりそうです。

その後、ビキニ環礁でおきた水爆実験で被曝した第五福竜丸の乗組員に強い関心をいだき、取材を敢行し、悲惨な兵器の姿を伝えようと「ラッキードラゴン」というタイトルで11点の作品を発表しています。その最初の作品「我々は何が起こったのか知らなかった」で、突然の被曝を表現していますが、この画集で初めて知りました。

なお、この画集には、野見山暁治が「同時代人ベン・シャーン」というタイトルでエッセイを書いています。瓦礫の中で、縄梯子にぶら下がって遊んでいる子供たちを描いた「解放」という作品に「戦争のあとの空しさというものを、ぼくはこの絵をとおして眺めた」と書いています。

もう一点、2011年から12年に全国を巡回した「ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト」展の公式カタログ(2000円)として美術出版社が出したものがあります。私もこの展覧会を観て、彼の多彩な活動を知りました。このカタログは資料満載でファンの人なら必須の一冊です。彼が手掛けたレコードジャケットも収録されています。シャーン好きの安西水丸、和田誠へのインタビューも掲載されています。

カレン・ジョイ・ファウラーの「ジェイン・オースティンの読書会」(白水社/絶版900円)を読む前に、映画化された作品を観ました。大味な映画ばっかりのハリウッド映画にしては、小粋で、ラストのハッピーエンディングも、思わず、そりゃ、良かったと拍手したくなる「お後がよろしいようで」的幕切れでした。

ジェイン・オースティンは1700年代後半から、1800年代初頭にかけて活躍したイギリスの小説家です。イギリスの田舎の中流社会を舞台にして、そこに生きる女性たちを生き方を描き続けました。主要作品は「分別と多感」、「高慢と偏見」、「エマ」、「マンスフィールド・パーク」、「ノーサンガー僧院」、「説得」です。

映画は、この主要6作品を世代も、生き方も異なる女性たち5人と、そこに巻き込まれた1人の男性が、皆で読書会をする様子を描いていきます。彼女の小説がポンポンと飛び出してきますが、読んでいなくても大丈夫。オースティンの人生を追っかける映画ではなく、あくまでも今を生きる彼女たちと男性の人間模様を追っかけるのがテーマだからです。離婚、失恋、破局などに遭遇しながら、オースティンの小説を読み語り合うことで、ちょっと前向きに生きていこうとする姿を、オ−バーな演出を押さえていて好感がもてます。

「私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンを持っている」

という書き出しで小説は始まります。登場人物の過去が出てきたりして、より陰翳の深い人物像が浮かび上がってきます。もちろん、オースティンの小説もふんだんに登場します。映画版の、ロビン・スウィコード監督は、その部分をカットして、ビビッドに今日を生きる彼女たちを、共感を持って描いていきます。監督は64歳の女性。きっと、伝統的なハリウッド映画を吸収し、新しいアメリカ映画、例えば「結婚しない女」「グリニッッジ・ビレッジの青春」「アリスの恋」等を青春時代に見ながら、自分のスタイルを作ったんじゃないかな、と同世代の私としては感じました。

もうひとつ、エンディングタイトルが素晴らしい。そのままメイキングになっています。音楽のセンスもお見事。映画の中で、こんな古書店も登場します。お見逃しなく。

お知らせ  「Wa! 京都を発掘する地元メディア」で、レティシア書房を取 り上げてもらいました。

 

 

 

実相寺昭雄。男子ならご存知ですよね。(もちろん女子も)円谷英二のもと、あのウルトラマンシリーズの監督をした人物です。誰もやった事のないTV30分特撮番組を、手さぐり状態で始めた苦労も多かったが、熱かったという時代を語った文庫が、3冊揃いました。

『熱い。熱い、あち、ち、ち、………助けてくれ」 ぶ厚いラテックスの縫いぐるみを通して、かすかな悲鳴が耳に届いたときスタッフはわれに帰り、ぼくは「カット!カット!」という声をかけた。』

これ、怪獣の縫いぐるみの中に火薬が入りこんだ時の様子を描写した一節です。ゲテモノ扱いされて、周囲からバカにされたシリーズ創成期の現場の失敗と、試行錯誤の日々を振り返る「ウルトラマン誕生」(ちくま文庫750円)は、怪獣達に魂を吹き込んだ職人たちの世界が生き生きと描かれています。

『ガソリンが縫いぐるみに燃えうつって火傷を負ったり、曳光弾が空気穴を突き破ってはいってきて顔にけがをしたりってことは、たまにあったんですが、縫いぐるみを着たまま、ステージにつくった特設のプールにとびこむシーンではえらい目に会いました。』

と、語る役者は、ほんとに死にかけたそうです。でも、みんな面白いものが作りたいからやるんですね。ひたすらトライ&エラー。読む方は、わははっ、と笑えますが、現場は修羅場だったことでしょう。ものを作る、表現することの愛しさに溢れた一冊です。これはドキュメントですが、実相寺は、あの時代を「星の林に月の舟」(ちくま文庫400円)で小説にもしています。以前NHK が、ウルトラマン創成期に現場をドラマ化していましたが、この本が元になっているのではないでしょうか。涙が出てくる青春小説です。(朝ドラでやってほしい!きっと毎日元気に通勤、通学できると思います。)

この本のタイトルは「空の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に こぎかくる見ゆ」という柿本人麻呂の歌から取っているとか。

最後の一冊は、「ウルトラ怪獣幻画館」(ちくま文庫700円)。これは、作り出した怪獣達を実相寺自身が描き、一言つけ加えたもので、みうらじゅんは「素晴らしい!全作品、掛け軸にして床の間に飾りたい」と帯で絶賛していますが、そう思います。「女心と秋の空」と書かれたページの怪獣ガマクジラには笑えるし、「宇宙人には座布団をすすめるべきか」に登場するメトロン星人には、そうだよなと思ってしまうし、「怪獣よはるか宇宙の星となれ」に登場するテレスドンは、掛け軸にして床の間に飾りたい。

「怪獣たちは何を夢見る」と書かれたページには、役目を終えた怪獣達の着ぐるみが吊られています。過ぎ去った熱い時代に思いを馳せる実相寺の思いが一杯の作品です。

ところで、先程紹介した「ウルトラマン誕生」の表紙を飾るのは、フィギュア製造で世界的に注目されている海洋堂が作ったウルトラマンの横顔です。暗闇にすっと立っている姿は、まるで悟りを開いた僧みたいな趣きさえ感じられて、とても素敵な表紙です。

文学の世界の、限り無い奥深さを教えてくれたのは、辻邦生でした。そして、小説の可能性を池澤夏樹から学びました。特に、80年代後半から、90年代初頭にかけての池澤の小説群には目を見張りました。88年「スティルライフ」で芥川賞受賞後、89年「真夏のプリニウス」、90年「バビロンに行きて歌え」、91年「マリコ・マリキータ」、同年「タマリンドの木」、そして92年「南に島のティオ」と傑作を連発します。

どの作品がベストかと問われれば、どれも。すべて読んでくださいとしかお答えできません。ただ、その日の気分で、今日ならあれ、昨日ならこれと推薦する本はあります。

今なら、「バビロンに行きて歌え」(新潮社/絶版600円)ですね。アラブの小国のテロリストの青年が、グループ内の政治闘争のあげくに放り出されて、東京に密航してくるところから小説は始まります。誰にも見つからないように床下で眠っていた時に、近づいてきた老犬を道づれに一人、大都会東京に彷徨う生活がスタートします。この青年が関わり合う人達との交流を、短篇小説のような独立したスタイルで描いていきます。第一章「老犬」から、第三章「ブルーブレート」辺りまでは、ハードボイルドな乾いたタッチでスピーディーに展開してゆき、第四章「恋の日々」辺りから、彼と彼を取り巻く青年達のドラマへと向かっていきます。

音楽をやっている青年達の中に入ったことで、彼は変化していきます。言葉と歌の力で、自分がこの東京という都会に生きていることを実感します。

「彼はのびやかに歌った。自分に最もふさわしい武器がM−21スナイパーライフルではなく歌であることを知った。これならば、雪の中、砂漠、遠い国、営倉、ジャングル、どこへ行っても大丈夫だと思った。その翌日から、彼はもう戦闘の夢を見なくなった。」

マシンガンを撃つことしか知らなかった青年が、歌うことで暗澹たる過去から解き放たれるまでを、的確に描いた名作です。

池澤はその後も、小説、評論、エッセイと、数多くの作品を発表し続けています。近年の代表作と言えば、震災以降の東北を描いた「春を恨んだりしない」(中央公論新社850円)でしょう。この本、東北の震災の現場を粒さに見て、現場の声に耳を傾け、そして、「ぐずぐずと行きつ戻りつを繰り返しながら」、この国には「変化が起こるだろう」と予測し、

「自分が求めているものはモノではない。新製品でもないし無限の電力でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。この大地が必ずしも安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。」と言います。

確かに、そんな生き方を模索している人が増えているのは、来店されるお客様と話していても感じるところです。

私は、時代小説を読まない。まず、長い。司馬遼太郎なんて文庫で平気で5巻とか6巻とかあります。そんな長編を読む時間はない。それに、時代小説は、当然ながら登場人物の名前が漢字だらけで、誰が誰だかわからなくなってしまうし(私だけ?)。さらに、役職が山ほど登場するでしょう。与力、同心、旗本、大目付に老中と官職野郎が溢れ返ってさらに混乱。ゆえに、読まない、いや、読まなかったのだが…….。

藤沢周平の短篇集「日暮れ竹河岸」(文藝春秋700円)を知って、方向が変わりそうです。藤沢はご承知のように、文章が美しい。日本的美意識が隅々まで浸透しています。しかも、この短篇集にはお武家様は登場しないので、江戸の街中に慎ましく生きる人達の、人生の一瞬を切り取ったほろ苦い話ばかりです。

その中の一編「おぼろ月」。老舗の糸問屋の娘で、嫁入りもきまっているおさとは、何もかも順風な人生なのだが、これが私の人生?と不安が過るある日、友人宅に行った帰りに、転けてしまい下駄の緒が切れてしまいます。そこへ、直してあげましょうとちょいといい男が声をかけてきます。知らない男についてゆく不安と、どこか悪い気がしない自分の感情が交錯する。お酒でも誘われるかもと思っていた矢先、男はでは行きますかと立上がります。

「はいっ?どこへ?」おさとは兎のようにとび上がって言った。「どこへって、お家に帰るんでしょう?」

一人勝手な妄想にふけっていた娘を尻目に「男は気をつけてな、と言って、あっけなく背を向けた」

安堵感と胸の高ぶりに、ふふふと笑いながら、おぼろ月夜の道を帰っていきます。ただ、それだけのお話ですが、いいんですね。粋ですね、この男も。

たまたま、この短篇集を読んでいる時、ビートルズのバラード集「ビートルズ・バラード・ベスト20」をかけていました。ちょうど名曲”Here Comes Sun” が鳴っていました。これがバックグラウンドミュージックとしてドンピシャだったのです。ギターのイントロ部分が、おさとの、ちよっと切ない気分を表現しています。え?ビートルズが藤沢に合う?? そのままこのアルバムを聞きながら読み切りました。私の思い込みかもしれませんが、いやぁ〜、こんな事ってあるんですね。ためしに、他のミュージシャンのアルバムかけてみたのですが、イマイチでした。

そう言えば、当店の朗読会で、藤沢の短篇に、ギターを伴奏されていた方は、エリック・クラプトンを弾いていて、藤沢の描く冬の情景にピッタリだったことを思いだしました。

なお、このバラード集はCD化されていません。今手元にあるレコード(国内盤/帯付き2500円)でしか聞く事ができません。ルソーの絵みたいなジャケットも面白い、ちょっとレアなレコードかも………。

 

「この作品を描いたのはお前か」とナチス将校はピカソに詰め寄ります。しかし、ピカソは動じることなく、将校に向かって、こう言い放ちます。「いや、描いたのはお前らだ」と。

1937年4月、スペインバスク地方の都市ゲルニカにナチス空軍が無差別爆撃を敢行し、多くの死傷者を出しました。その無差別爆撃に怒り、絵筆をとってナチスを戦争を非難した作品が有名な「ゲルニカ」です。作品は、当時開催中だった万国博覧会のスペイン館に掲げられました。

冒頭のやり取りは、そのときスペイン館の前で行われかもしれないと作家が想像して小説にした部分です。原田マハの「暗幕のゲルニカ」。焼夷弾をバラまいて多くの非戦闘員を殺害した残虐行為がなかったら、こんな絵を書かなかった。だから、お前等ナチスがこの絵を描かせたのだ、という作家の思いです。

キュレーター出身の原田は、美術界を舞台に多くの本を書いています。「楽園のカンバス」でルソーを、「サロメ」でビアズリーを、「ユニコーン」では、中世美術の最高傑作「貴婦人と一角獣」を、そしてこの「暗幕のゲルニカ」でピカソ最大の問題作「ゲルニカ」を描いています。文学的深みであるとか、文章の奥深さはともかく、彼女の本はストーリーが骨太で、テンポ良く進み、ドンドン読ませます。何より良いのは、小説の舞台になった世界の事を、もっと深く知ろうと思い立たせることです。これは、大事なことだと思います。

「ゲルニカ」が戦時中、難を逃れてアメリカに渡った経緯が細かく描かれていて、そこに関わった財閥の話や、NYの美術館館長の話など、もっと知りたいと思わせます。そして、アメリカがイラク侵攻作戦を宣言した国連安保理事会での出来事。ここには通常「ゲルニカ」の複製タピストリーが飾ってあるのですが、この時にかぎり幕で覆われていたというのです。

小説も、この幕を降ろさせたのは誰だ?というところからサスペンスで一杯に始まります。実際、当時のパウエル国務大臣は、この前でイラクに大量破壊兵器があるから攻撃すると宣言したのでした。反戦の象徴的的存在の「ゲルニカ」の前で、侵攻作戦の宣言なんて、ナンセンスもいいとこです。トランプ翁なら、それをぶっ壊して、戦争始めるぞ!!などと叫びそうですが……..。

店にあるラッセル・マーティン著「ピカソの戦争<ゲルニカ)の真実」(白水社/絶版1750円)は、ピカソがこの大作を描き出した時代と、その後の作品の数奇な運命を丁寧に描いてあります。巻末にはスペイン内戦の年表も付いていますので、本文を読みながら、スペインが独裁政権に支配されていった道程を追いかけてください。

このノンフィクションを読んでいる時に、恐ろしい符号に気づきました。それは、「ゲルニカ」がスペインに戻ったのが1981年9月10日。その20年後の9月11日。もう、何が起こったのか言うまでもありません。ひょっとして、原田は、その事実を知って、この小説を書いたのかもしれませんね。

因みに、私は「暗闇のゲルニカ」は電子書籍版で読んでしまいました。今、店頭にあるのは、山本周五郎賞受賞作品「楽園カンヴァス」(新潮文庫350円)だけです。

話題の映画「ラ・ラ・ランド」観てきました。

アカデミー賞最優秀作品賞発表の場で、間違って受賞!と発表されるという前代未聞の珍事もありましたが、これは文句なく良く出来た、人を幸せにしてくれて、ルンルン気分で劇場を後にできる映画でした。

弱冠32歳のディミアン・チャゼル監督の、オリジナルストーリーのミュージカル映画。彼が愛したミュージカル映画へのオマージュを散りばめてあるのですが、特にフランスのジャック・ドミーの傑作「ロシュフォールの恋人たち」への愛着がバンバン伝わってきます。高速道路の上で、踊り出す群衆をスピーディーなカメラワークで見せるオープニングからして、もうロシュフォールの世界ですね。粋で、洒落ていて、音楽がチャーミングで、あっ、もうこの映画言うことなしみたいな気分で、ゆったりとシートに腰を落ち着けて、安心して観ていました。

50年代、アメリカのミュージカル黄金時代を支えたMGM映画の数多くの作品から、踊り、歌の名場面をピックアップした映画「ザッツ・エンタテイメント」は、私の大の気に入りで、非常時に持ち出すDVDの一本です。でも、当時のミュージカル映画って、本編を観ると、けっこう退屈なんですね。終始笑顔だらけの登場人物ばっかりの場面や、WASPのお金持ちのハッピー・アメリカン・ライフにはウンザリしてきます。(トランプ翁の理想的アメリカンってこんな感じ?)社会問題を持ち込んだ「ウエストサイドストーリー」さえも、私には大げさすぎでした。

しかし、チャゼル監督は、その辺り、バッチリ心得ています。展開がスピーディーです。ダンシングシーンもダラダラやらない。主演の二人の恋愛模様もベタベタやらない。だから、ミュージカルなんて退屈と思っている方も大丈夫です。そして、ラスト10分間が洒落てます。この二人は、やっぱハッピーエンドだよなと思っていたら、そこから始まる、ビター・スィートな人生のIfの物語。もし、あの時、ああだったら…….。でも悲しい涙のエンディングにしないところが監督の腕ですね。ヒロインを演じるエマ・ストーンの微笑みが、なんとも素敵です。

監督の前作「セッション」は、ジャズドラマーを目ざす青年の姿を直球一本勝負で描いたために、賛否両論でしたが、今回は変化球も巧みに投げながら、酔わせてくれます。ほれ、幸せな2時間やったやろ、と言いたげな監督の顔が浮かんできます。

★ところで、レティシア書房はおかげさまで丸5年を迎える事ができました。2012年3月6日、雨あがりの暖かな日、あの日の思いを忘れずに6年目に突入いたします。今後ともよろしくお願いいたします。(店長&女房)

天を仰ぎ、身をよじり、不幸を嘆いている…..。うつむく者、叫ぶ者、その声は誰の耳にも届かない。

まるで中世の異端派弾圧の宗教裁判の被告達の様な人物たち。

 

これ、すべて本日より開催の中西敦浩さんの石粉粘土で作られた人形たちです。彼らが見つめているのものは何なのか中西さんの個展は今回が2回目ですが、より物語性に富んだ作品が揃いました。

映画「スターウォーズ」の皇帝軍を支える司祭達の様な男たちもいます。何やら集まって善からぬ相談をしている雰囲気。後には磷付にされて痩せて肋骨が浮き出た人物が並んでいます。

或は、両手に鳥の羽を付けた人物たち。その中の一人は、腰をおとして、足を広げ、羽を大きく広げています。飛翔する意志があるのかどうか仮面の下に隠れてうかがいしれません。

人物の身体は空っぽ。マントが左右に割れるとそこは「無」。顔とマントと、そのマントの先から出ている手先が、彼らを構成しています。奇怪なスタイルなのですが、流れるような動きに、この2年間の蓄積を見せて頂く事ができました。いくら心で思っても、作品を手から一つずつ生み出す作業には、時間が必要です。前回よりさらにリアルに立上がった人物に、物語を自分の中で紡ぎながら、美しい形を作り続けられた時の重なりを感じました。

あらゆる感情を読み取れそうで、読み取れない不思議な世界を、ぜひ堪能して下さい。

今回、新しい形として、木枠の中に人物を配した作品があります。これを、本棚に置くと、本と作品がブレンドして、独特の世界を作り出します。(5000円)早速、レティシア書房の棚にも飾ってみました。こちらもご覧ください。

尚、作品はすべて販売しております。(5000円〜12000円)

中西敦浩作品展は3月19日(日)まで。最終日は18時迄。月曜定休。

 

 

 

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大和郡山の古書店「とほん」さんが「ブックレットホン」(648円)を創刊しました。店長の砂川さんとは、開店される前に何度かお目にかかっているのですが、まだお店には伺っていません。素敵なお店だという噂はあちこちから聞えてきています。

さて、創刊号の特集は「奈良と本」。

先ずは「本と一緒」。これは奈良で本に巡り会える場所の案内です。吉野郡の杉木立に囲まれた場所にある私設図書館「LuchaLibro」。大学講師と図書館司書のご夫婦が始められた図書館です。爽やかな風が吹き込みそうな山里の一軒家で、館長は猫の「かぼす」氏、主任は犬の「おくら」氏とか。猫語、犬語の勉強もお忘れなく。

ギャラリー「日+月+星」さんで、不定期に開催されている「夕暮図書室」は「夕暮の図書室のような落ち着いた本のある空間を」を目的としたイベントです。「とほん」さんが本を提供して、一緒に珈琲店や、CDショップ等が参加して、楽しい一時を演出されているみたいです。写真で見ると、寝転んで読書したりできそう。天文学者石田五郎の文庫が、吊り下げた箱にセットされている写真がありましたが、「とほん」さんのセンスの良さが見えてきます。

次の特集は、「文人と奈良」。奈良と言えば「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の正岡子規が有名ですが、「夫婦善哉」の織田作之助が、正倉院展について書き残しています。これ、真っ向からこの展覧会に噛み付いています。私小説こそ小説という当時の風潮に馴染まず、「未来に向かう人間の可能性を描く可能性の文学」を提唱していた織田が、当時、奈良住まいしていた私小説の神様、志賀直哉に反撥していたのが原因だったかもしれません。

最後の特集は、今活躍中の作家が描いた奈良を訪ね歩く企画です。もう、これは万城目学の「鹿男あをによし」が代表でしょう。TVドラマされましたが、面白かった記憶があります。奈良在住の森見登美彦のファンタジー小説「ペンギンハイウェイ」が奈良の新興住宅地をモデルにしてるとは知りませんでした。マジメな小学生が通学途中でペンギンの群れに出会うというお話。

私の好きな作家津島記久子著「ポースケ」が、奈良のカフェ「コハルカフェ」を舞台にしていて、「とほん」店主がそのカフェを訪問した時のことも書かれています。

特集以外では、個性的なお店の店主が薦める本の紹介が面白い。薦める本のテーマは「記念日」です。その中でH.A.Bookstoreの松井さんが高浜寛の「イエローバックス」を取り上げていますが、やるなぁ〜。私もこの本大好きで、店に置いてます(600円)。

そして、最後を飾るのは、「休日は本屋さんへ」というコーナーで、阪急水無瀬駅前の「長谷川書店」が紹介されています。この書店は、新刊書店の面白さ抜群です。本の森に迷い込んだ錯覚に陥る、本好きには、”あぶない”お店です。つい、買ってしまうんです。無茶苦茶に並んでいるのか、店長の美意識に基づいて並んでいるのか、いやはや、こんな店が有るとは。

次号は5月末発売とか。楽しみにしています。もちろん、当店でも続いてお取り扱いしていきます!

★「ブックレットホン」(648円)創刊号発売中

 

「ゆっくりと読まなければならない」本というものがあります。難しい理論や、抽象的概念を論じたものではなく、言葉はフツーなんだけれども、ゆっくり、噛みしめなければ何も残らない本。今、再読している石牟礼道子の「椿の海の記」なんかまさにそんな一冊です。(また、ブログでご紹介します)

中央公論社で「婦人公論」の編集長を勤め、2010年から新潮社の「考える人」の編集長を務める河野通和の「言葉はかくして生き残った」(ミシマ社2592円)も、やはりゆっくりと読むべき本です。基本的には書評集なのですが、取り上げた本への著者の思いや、或は作家が使った言葉への敬意が散りばめられたエッセイと言った方が的確です。

「こんな古本屋があった」で取り上げられているのは、関口良雄の「昔日の客」(夏葉社2376円)です。1977年、59歳で亡くなった「山王書房」店主、関口良雄が古書組合の組合報に書いた文章をまとめたものですが、書物への愛情と、古書店主としての矜持が迫ってくる名著です。河野は、この古書店のことを沢木耕太郎の「バーボン・ストリート」で知ったこと、そして店主と、42歳で急逝した作家、野呂邦暢の交流を紹介しています。これがいいんですね。店主としてかく有りたいと思わせるハートウォーミングなエピソードです。

そして、店主のご子息が、父親の仕事をこう語っていたことを紹介しています。

「古本屋という職業は、一冊の本に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから、私が敬愛する作家の本質は、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでも置いておきたいと思うんですよ。」

こういった文章が37章収められています。ささっと読むにはあまりにも惜しい。私は店を開ける前に一章ずつ読んでいます。

「安部公房と堤清二」で描かれる堤清二像も、文学に携わる者の姿勢が明確に出ていました。とある文学賞授賞式会場で、あまりにも露骨で安易な身内受けスピーチを発言した者と、そのスピーチをヨイショした主宰者の態度に堤は、同席していた河野に自分の怒りを伝えます。それを受けて、堤の、そしておそらくは自分自身の、文学への思いも含めてこう書きます。

「あらゆる人間的行為の基底をなすのは文学ではないか、それを軽んじる者、侮る者、汚す者を許すわけにはいかない」

日頃は控え目に、私は文学をする者として初心者ですからと、安易な文学論を口にしなかった堤の怒りに「文学に寄せる思いの強さとともに、堤さんの魂そのものの底なしの暗闇に畏れを感じたのでした」

真摯に文学に、言葉に、向き合った河野通和の一貫した生き方を知る絶好の本だと思います。

著者が編集長を務める「考える人」は4月4日発売号で廃刊になるらしいです…….。残念!