わたくし贔屓のお下品な関西弁の男たちが活躍する小説を連発する作家、黒川博行の「熔果」(新潮社/古書1400円)。史上最悪の元刑事コンビが爆走するクライム・サスペンスです。

白昼堂々5億円にものぼる金塊強奪事件が起こる。その金塊をかっぱろうと動き出したのが、刑事を懲戒免職された伊達と、事件の捜査中に負傷して退職した堀内の二人です。この伊達という人物が、もう武闘派路はかく人物という設定で、殴る、蹴る、脅かす、とやりたい放題です。

「チャラけたことぬかすなよ」「落とし前、つけんかい」「どういう落とし前や」「あほんだら。治療費と慰謝料と立ち退き料じゃ」

なんて台詞がバンバン飛び交います。(こういう会話を気持ちよく聞いているのは私ぐらいか……)

こういう小説を黒川は量産してきましたが、本作はグンとグレードアップ。特にこの二人が金塊を巡って大阪から淡路島、九州湯布院、小倉からさらに名古屋まで日本列島を縦断してゆく描写は、アメリカ映画によく登場する男二人が旅する物語になっています。アクションもさることながら、国内を移動してゆく描写がとても印象的でした。

もう一つ面白いのは、武闘派の伊達が恐妻家だという設定です。物語に直接登場はしませんが、「うちの嫁に知られたら…..」という台詞を口にします。「刑事コロンボ」で「うちのカミさんが」というのと似ていますよね。

笑ったのは、これってやすしきよしの漫才じゃんと思ったやりとりです。

殴り込んで腕を怪我した伊達が、治療のための飲み薬を切らした時の、堀内との会話です。

「よめさんは知ってんのか」

「あほいうな。よめはんに知られたら、腕をつかんでベランダからブン投げられる」

「いっぺん投げられたらどうや」

「死ぬな。うちは四階や」

金塊を追っかけるプロセスより、道中のこんな会話を楽しめるのが好きです。

いずれ黒田の長編小説は、江戸時代に出た弥次郎兵衛と喜多八が活躍する十返舎一九の「東海道中膝栗毛」のような滑稽本みたいになるんじゃないかな。

●須藤一成さんの写真展から始まり、今年も多くの作家の皆様にギャラリーを飾っていただきました。本当にありがとうございました。

残念ながらコロナ感染拡大の影響で、止むを得ず中止になった方々もおられました。また機会がありましたらどうぞよろしくお願いいたします。一方、2月のルチャ・リブロさんはじめ本の関係の展示も多く、本好きの方々に喜んでいただきました。来年も少しでも良い時間を持っていただけるような店でありたいと思います。どうか良いお年をお迎えください。(店長&女房)

 

 

⭐︎本年も当店をご利用いただきありがとうございました 。年内の営業は本日まで。新年は5日(水)より平常営業(13時〜19時)いたします。来年もよろしくお願いいたします。

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張渝歌(ちょう・ゆか)作「ブラックノイズ/荒聞」(文藝春秋/古書1000円)は、台湾発のオカルト小説です。いやぁ〜、怖いですぅ。寝る前に読むと、あなたの枕元に赤い服を着たミナコがじっと立っているしれません。

張渝歌は1989年生まれ、現在台湾で最も注目されている若手推理作家兼シナリオライターです。国立の医大を卒業後、作家に転向しました。本作は2018年に出版されたもので、著者の友人が実際に体験した怪奇現象を基に組み立てられています。

さらに、土俗的なシャーマニズムやキリスト教などが複雑に絡まった韓国映画「哭声/コクソン」から影響を受けたと語っています。「哭声/コクソン」も怖い映画で、その映像表現と語り口に魅了されて、何度か観てはその都度やっぱり観るんじゃなかったと後悔します。なんせラスト、宙ぶらりんの状態で放り出されるのですから。しかも主演が国村隼。これがまた奇々怪々な演技で恐ろしい……..。そんな映画から影響を受けた「ブラックノイズ/荒聞」は、どこからか聞こえてくる声、ミナコとは誰なのかを巡って修羅場が展開します。

わざわざこのような怖い小説を読んだのは、作品の中に、台湾の複雑な民族事情とそこで交錯する宗教が描かれているのに興味があったからです。何度も他国に蹂躙された台湾には、支配者の占領政策の一環で多くの宗教が持ち込まれてきました。道教、仏教、キリスト教、日本が持ち込んだ神道、さらには原住民の山岳信仰が渾然一体となってきました。そこから立ち上る迷信や伝説が巧みに描きこまれ物語に深みを加えています。歴史的事実と虚構を大胆の織り交ぜた作品だと思います。

「ネットには、ブヌン族の人々は三種類の霊がいると信じていると書かれていた。『Kanasilis』に『baban-tainga』、それから『人間の幽霊』である。『Kanasilis』と『baban-tainga』はどちらも『人間』の形をして現れるが、前者は全身青色で後者は大きな耳と角を持っているらしく、子供をさらってその脳みそを好んで食べるそうで………」

「まただ。耳元で再びおかしな音がした。音はまるで遠い荒野ではぜる爆竹のようで、エコーもせずにただ『バリバリ』という雑音だけを響かせていた。音は徐々にピントを合わせるように、やがて女性の声になっていった」

きっと、あなたの耳元にもざわついた音が聞こえてきますよ…….。こわー!!!

 

●レティシア書房からのお知らせ  明日12月27日(月)は、平常営業いたします。

                 12/28(火)〜1/4(火)休業いたします。

●1/5(水)から、ギャラリーは「くろねこひじきとわかめin京都」展が始まります。


 

尾道駅前にある古書店「弐拾db」(にじゅうでしべる)を営む藤井基二の「頁をめくる音で息をする」(本の雑誌社/新刊1540円)は、とてもチャーミングな本でした。

この書店の開店は23時、閉店は27時(午前3時)です。中原中也が好きで、京都の大学で中也を研究し、大学院に進んで研究者になるつもりでした。でも、本音を言えば、「ただ京都で暮らしたかった。本を読んで、本に触れて生きていたかった。できれば好きな女の子と一緒に。」

ところが、そう簡単にことは進まない。ドタバタの末、あたふたと就職先を決め、中也の卒論も書かないままに、大学を卒業。社会人になる違和感から逃げ出して実家に戻ったものの居心地は良くない。

「本に触れて、女の子と一緒に美味しい酒を飲みつつ暮らしたいだけなのに。」

こんな考え方を甘いと思いますか?私はそうは思いません。真っ当です。そして故郷福山からさらに西へ。尾道にたどり着き、元病院の受付だったところを見つけ、そこに腰を落ち着け古書店を開業します。

「古本屋を始めてこの四月で五年が経つ。古本を買い取り、古本を売り、なんとか生きている。学生時代に願ってやまなかった暮らしをそれなりに謳歌してしまっている。逃げ続けていたら、そこに本があった。」

本書には、古本屋の主人の蘊蓄はほとんどありません。正直に生きてきた青年の、本と共に今日あることが淡々と語られています。詩が好きな人だけに、様々な詩の一部が紹介されています。それが、あたかも深夜の誰もいない尾道の風景にダブって見えたりするから不思議です。

「両手で かばいたい 小島よ 霧の時間だ 今日を無事に 暮れて行け」(港野喜代子)

「詩集『凍り絵』からの一編。冬を歌った詩だったが、いい詩だと思ったので声にして読んでみる。今日はお客さんがそれなりに多かった。無事になんとか暮れていきたい。」

深夜にやってくる客の人生を垣間見ることもあります。そんな経験を通して、著者は自分の仕事をこんな風に考えています。

「そういう誰かの人生の瞬間に立ち会うたびに、古本屋という冠にして良かったと思う。売っているのは本のはずなのに、僕の手元にはなぜか沢山の誰かとの時間が残っている。」

尾道は何度か行ったことがありますが、この書店のことを知り、また行きたくなりました。

●レティシア書房からのお知らせ  12月27日(月)は、平常営業いたします。

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20世紀初頭、世界の中心だったオスマン帝国は、その栄光の時代を閉じようとしていました。その都スルタンテペで、トルコ伝統のマーブリング紙「エブル」をつくる職人の孫ハリルと日本人の貿易商の息子たつきの出会いの物語「海峡のまちのハリル」(三輪舎/新刊2970円)は、とても美しい絵本です。

絵を担当した小林豊は、70年代初めから80年代初めにかけて中東やアジア諸国を度々訪れ、その折の体験が作品制作の主題になりました。 代表作「せかいいちうつくしいぼくの村」「ぼくの村にサーカスがきた」で高い評価を得ました。その小林に師事し、トルコを中心にして取材活動を行なっている末澤寧史が「海峡のまちのハリル」の文を担当しています。

「エブル」をつくる工房に生まれた少年ハリルは、友だちが新設された学校へ行っているのに、工房の親方である祖父の命令で下働きの生活を送っています。一方、日本から来た貿易商の息子たつきは、異国の不慣れな土地で友達も見つけられず、暇を持て余しています。そんなふたりが海峡のまちで出会い、友情を深めていきます。その姿が独特のタッチで描かれています。

出版社のHPには「手作業で表紙を加工しているため、表紙に貼ったシールや切手のデザイン、消印の位置が少しずつ異なります」とあります。表紙には、絵本の一場面のシールと消印のある切手が貼ってあるのです。作り手、出版社の熱意が伝わる一冊です。

ちなみに三輪舎は、2014年に設立された新しい出版社ですが、当店ではインドタバブックスの「つなみ」、「ロンドンジャングルブック」などでお世話になっています。出版点数こそ少ないですが、本への愛情あふれた出版社を当店は応援していきます!

 

古典に馴染みがなくても、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。」という鴨長明「方丈記」の始まりを覚えている方は多いと思います。

海外文学の新訳を発行している「光文社古典新訳文庫」シリーズから、蜂飼耳の訳(古書/500円)が出ていたので、久しぶりに読んでみました。以前、ここで高橋源一郎による「ハイパー方丈記」の書評を書きましたが、今回は正統派の「方丈記」です。

小説家の堀田善衛が、東京大空襲に遭遇し、その悲惨な状況から「方丈記私記」(筑摩書房/古書1600円)を書きました。オリジナルの「方丈記」に何度も登場する災害と戦火で崩れ落ちる都市をクロスさせた名作でした。東日本大震災の後にも「方丈記」は何度か取り上げられました。

鴨長明は、大火、竜巻、飢饉、大地震などを経験しています。だからこそ、金にあかせて大きな屋敷を作ったり贅沢な生活をしても、一つの災害で水泡に帰すことを身を以て知り、この世の儚さを綴ったのです。

「方丈記」というタイトルは、この世のしがらみからトンズラして京都郊外に構えた小さな草庵(9.2平方メートル)からきています。長明は、好きな和歌と音楽三昧の暮らしを続け、ここで死んだら本望ね、というように生涯を閉じました。

「若念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、身づからおこたる。さまたぐる人もなく、また、はづべき人もなし」

もし念仏をするのが面倒になり、読経に気持ちが向かないなら、怠けてしまおう。どうせ、誰も見てないし、恥ずかしいなんて思うこともないしね、なんていう肩から完全に力の抜けた文章に出会うと、いいなぁこのおじさん、と思ってしまいます。

いやになったら、もう完全にいや。ポイと俗世間を放り出してしまうのです。61歳で人生を終えた長明の庵はどうなったのだろう?自然素材で拵えた簡素な建物なので、朽ち果てたのだと思われますが、この作品は現代にまで受け継がれています。

蜂飼耳は、本作品を「八百年の時を超えていまも生きている。吹き飛ばされたり、燃え落ちたり、朽ち果てたりせずに。」と書き、こう締めくくっています。

「限りある人間の命を見据えた鴨長明は、そんなつもりはないままに言葉による建物を建てたのだ、といえるかもしれない。『方丈記』は鴨長明のもう一つの庵だ。その言葉の中に、いまも鴨長明は住んでいるのだ。」

本書は蜂飼耳による翻訳文と原文が掲載されています。ぜひ音読してください。文章のリズムが心地よく聞こえてきますよ。

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柴崎友香の「百年と一日」(筑摩書房/古書1300円)は、180ページの中に33の物語が詰め込まれています。一つのお話が数ページなので、短編というよりショートショートに近い構成です。

それぞれの物語の冒頭に長めのタイトルが組まれています。例えば、「たまたま降りた駅で引越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話」というように。

どの物語もいい。生きてきた時間の長さとか、変転してゆく人生の哀感とかが見事に凝縮されています。読んでゆくうちに、あれ?これと同じこと経験したよな?と思う瞬間があるかもしれません。

どの物語にも詩情が込められていて、ドラマティックに展開していきそうなものでも静かで淡々とした語り口で進行していきます。

登場する人物や、時や場所は様々で、いつの時代の話か、どこの国のどんな場所なのか何も書かれていません。けれども具体的な名前が書き込まれていない街の、そこにある建物や住居の色合いや風景、登場する人物の仕草や表情まで想像できます。

変わってゆく時代のうねりに飲み込まれたり押し流されたりする人々が生きる、ほんの数コマを切り取るような描き方がとても面白い。ちょっと、O・ヘンリーの短編を読んでいるような感覚になったりしました。

「商店街のメニュー図解を並べた古びた喫茶店は、店主が学生時代に通ったジャズ喫茶を理想として開店し、三十年近く閉店して閉店した」というタイトルの話は、いつもと違う音楽をかけると店内の様子がガラリと変わると思っている店主が、ある暑い夏の夜、河内音頭をかけてみた。すると、なんだか客が楽しそうに音頭を取り始めて踊りだし、盛り上がって終わります。

「目には見えない音楽が空気中に広がって、その場の空気をすべて変えてしまう」こんな経験、私にもあります。河内音頭じゃなかったけれど。

音楽の不思議な力ですね。

木下龍也の「あなたのための短歌集」(ナナロク社/新刊1870円)は、こんな感じの構成です。

「バナナが好きな娘(現在、1歳7か月)が将来、落ち込んだときに読み返す短歌をお願いします。」

「実家にはいつもバナナがある きみがふいに帰ってくる日のために」

もう一つご紹介します。

「人生、みちくさばかりしています。」に対しての歌は、

「みちくさの途中で気付く どの道の先にもさようならしかない、と」

本書のもとになる「あなたのための短歌1首」は、著者が個人販売していたものです。依頼者からメールで届くお題をもとに短歌を作り、便箋に書いて封書で送る。依頼者は、届いた短歌をどう使おうがその人の自由で、著者も制作した短歌の記録は一切残さず、公開もしません。

そうして生まれた約700にもなる作品から、本書のために依頼者から提供してもらい、100首をまとめました。

ページをめくると、右側にお題、左側に短歌が並んでいます。なるほど歌人は、こんな風に歌を作り出すのかと、余り馴染みのない短歌の世界にすっと入っていけます。

お題が面白いです。「お題は『たこ焼』です。夫と付き合ってから食べる様になった思い入れのある食べ物です。」という以来に対する作品が、

「恋人はノアの手つきでうつくしいたこ焼きだけを舟皿に盛る」

いやぁ上手いなぁ〜。情景が浮かんできますね。

短歌作ってみたいなぁと思われた方に、著者の「天才による凡人のための短歌教室」(ナナロク社/新刊1320円)があります。

「これまでに培ったいくつかのコツを、まだ短歌を始めていない未知の天才に、短歌を始めたばかりの未来の天才に伝え、なるべくはやく天才になってほしいからだ。僕にとって最高の一首をつくるのは僕ではない。この本を開いたあなただ。」

楽しく読める、全くお勉強っぽくない入門書です。短歌がぐっと身近になる二冊です。

「1988年、山口県に生まれた」からで始まる著者プロフィールの最後に書かれていたのが、これ。「同じ池に二度落ちたことがある」  思わず笑ってしまいました。

 

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渋い文芸本シリーズ「本のともしび」を発行している地元の新興出版社灯光舎の最新刊は、中島敦です。1909年生まれ、42年に亡くなりました。本書の作品を選書した「古書善行堂」店主山本善行さんは、あとがきで、この作家をこんな風に評価しています。

「書き残された作品の世界は、それぞれ今も特別な輝きを放ち続けている。中島敦の作品は、梶井基次郎の作品と共に、日本文学の可能性を感じさせる数少ないものだと思う。この二人の作家は、その日本語の豊かさ、独特なユーモア、ものや人や自然を見る眼の鋭さは、どのような時代がきてもその価値を失わない域に達していると思う。」

「独特なユーモア、ものや人や自然を見る眼の鋭さ」は、確かに中島の特質だと思います。南洋パラオに派遣されていた時に書いた一連のものに、その特質は色濃く出ています。

本作には、南洋ものの「マリヤン」、「幸福」と教師時代の経験をもとにした「かめれおん日記」が収録されています。

「マリヤンの容貌が、島民の眼から見て美しいかどうか、之も私は知らない。醜いことだけはあるまい。少しも日本がかった所が無く、又西洋がかった所も無い。」マリヤンという女性と、パラオにいる研究者Hと著者の三人の交流を描いています。

「髪の毛が余り縮れてもおらず、鼻の頭がすっかり潰れてもおらぬので、此の男の醜貌は衆人のひん笑の的となっていた。おまけに唇が薄く、顔色にも見事な黒檀の様な艶が無いことは、この男の醜さを一層甚だしいものにしていた。」という島一番の貧しい男の夢物語を描いた「幸福」。どちらの作品もユーモアと詩的精神にあふれています。

その一方で「かめれおん日記」は、著者自身を投影した教師の、心の内奥に入ってゆく私小説的展開で、前述の2作とは全く色合いが異なります。生徒から預かったカメレオンが衰弱してゆく姿と、著者の心の葛藤と苦痛を描きこむ、こちらも見事な短編です。

 

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村上春樹の「ラオスにいったい何があるというんですか?」(文藝春秋/古書800円)は、旅で訪れた世界各地で感じたことを書き綴った紀行文集です。個人的には村上春樹は、1.音楽関係のエッセイ集、2.短編小説集  3.紀行文集の順に読んでいます。長編小説は、実はちょっと苦手で敬遠気味です。

「ラオスにいったい何があるというんですか?」というタイトルに対して、著者はこんな風に答えています。

「さて、いったい何があるというのか?良い質問だ。たぶん。でもそんなことを訊ねられても、僕には答えようがない。だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか」

あそこへ行って、次にこれを観て、ハイそれを食べて、さあ移動、が旅ではないのです。

本書で、かつて住んでいたボストン、ギリシャのミコノス島、世界作家会議みたいなものが開催されたアイスランド、ニューヨークの老舗ジャズクラブ探訪等々、世界各地を飛び回っています。

アイスランドの息をのむような美しい光景を前にして、「そこにある美しさは、写真のフレームにはとても収まりきらない種類のものだったからだ。我々の前にある風景はその広がりと、そのほとんど恒久的な静寂と、深い潮の香りと、遮るものもなく地表を吹き抜けていく風と、そこに流れる独自の時間性を『込み』にして成立しているものなのだ。そこにある色は、古代からずっと風と雨に晒されて、その結果できあがったものなのだ。それはまた天候の変化や、潮の干満や、太陽の移動によって、刻々と変化していくものなのだ。」

カメラで切り取ったものは全く別物であり、その深い世界は色あせてしまい、残らない。

「だから我々はそれをできるだけ長い時間をかけて自分の目で眺め、脳裏に刻み込むしかないのだ」

旅に出れば、できるだけゆっくり眺め、その光景に自分を溶け込ませることが大事なのだ、ということです。これは覚えておきたいことです。

いいなぁ〜と個人的に思ったのはオレゴン州ポートランドです。

「この街には個性的な書店と、中古レコード店が揃っている。ポートランドにはいくつかの優れた教育施設があり、学生の数も多いためだ。もしあなたが本好きなら、全米でいちばんの規模を誇る独立系書店『パウエル』で、半日ばかり至福の時を送ることができるだろう。」

レコードショップで真剣にレコードを漁っている著者の写真も載っています。音楽少年の面影が残っています。

さて、最初の質問「ラオスにいったい何があるというんですか?」に戻ります。そこで観た風景を心の中に残してはいるものの、それが何かの役に立つのかならないのかはわかりません。

「結局のところたいした役に立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。しかし、そもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。」

彼と一緒に世界を旅して、楽しみ、考えさせられた本でした。

 

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●私が担当の逸脱・暴走!の読書案内番組「フライデーブックナイト」(ZOOM有料)の3回目が、12月17日に決まりました。次回は「年の瀬の一冊」をテーマにワイワイガヤガヤやります。お問い合わせはCCオンラインアカデミーまでどうぞ。(どんな様子でやっているのか一部がyoutubeで見ることができます「フライデーブックナイト ー本屋の店長とブックトーク」で検索してください)


 

 

とある農場にいる母ブタのグンダに子豚が8匹程生まれました。日に日に成長してゆくその姿を、音楽もナレーションも一切無しで追い、しかも画面は白黒という映画「グンダ」(アップリンク京都上映中)を観ました。え?そんな映画面白い?という方も多いと思いますが、私は、サービス満点の「007」と同じくらい楽しむことが出来ました。

写真家の石川直樹がこんなコメントを寄せています。

「映像に没入し、あたかも自分がブタと会話しているかのような錯覚に陥った。観るというよりも体験する、という言葉がふさわしい傑作」

母ブタと子ブタの動きや鳴き声に没入すると、映画館にいることから離脱してゆくような錯覚に襲われます。そして、牧場の奥から聞こえてくる様々な音。それは風の音であったり、鳥のさえずりであったり、遠くで聞こえるトラクターの音であったりします。その音で私たちは牧場の中へと招かれます。(眠たくもなりますが)

登場するのはブタだけではありません。一本足のニワトリ、こちらをじっと見つめる牛たち。ヴイクトル・コサコウスキー監督は感情を入れず、ブタであろうが、牛であろうが、ひたすら見つめることに徹します。

そして、圧巻のラスト。少し大きくなった子ブタたちが遊んでいます。不吉な音を出してトラクターが横付けされ、泣き叫ぶような子ブタの声。トラクターに阻まれて私たちには見えませんが、動き出したトラクターの後には、子ブタは一匹もいません。おろおろするグンダが、あちこち行ったり来たりします。そうか、この子ブタを肉を私たちは食べているんだ….という事実に気づきます。

しかし、監督はそんなこちらの感情なんぞ無視して、容赦無くグンダを撮り続けます。長い緊張があり、やがてグンダは、あの子たちは、そうか人間の栄養になったのかと納得したかのような、まるで名優のような表情をちらっと見せて、自分の小屋へと戻っていきます。彼女のおっぱいは次に生まれてくる子供達のために膨らんでいます。このラストは頭にこびりつきました。

 

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