藤野千夜の「編集ども集まれ」(双葉社/古書700円)は、400ページを越す大長編小説ですが、面白い!こんな展開になるのか!おそれいりました。

1985年のこと。学生時代漫研にいた小笹一夫は漫画雑誌を発行している青雲社に入社します。「週刊大人漫画クラブ」編集部に配属され、電話番の仕事をやらされます。「巨人の星」の原作者梶原一騎から、クレームの電話を受け取ったりと、新入社員らしい失敗を重ねながら、編集の仕事へと携わっていきます。この小説、実名で多くの漫画家や作品が登場するので、80年代からの日本の漫画史を読んでいるようなものです。なつかしい漫画家や、作品名が登場します。

そして、もう1人の主人公。作家の笹子さんです。2015年、彼女はJ保町(神保町のことですね)を訪れます。この町には、彼女が22年間勤務していた青雲社がありました。が、個人的事情で解雇されてしまい、その後一度も立ち寄らなかった場所です。彼女にとって、苦々しい思いしか残っていない町を再び訪れたのは、自伝小説の取材のためでした。取材の途中で、かつて通ったカレー屋さんやら、古書店を巡るうちに、あの時代を思い出します。85年青雲社に入社の若者小笹一夫の物語と、かつては同社で漫画編集部員として過ごし、今は文学賞を幾つか受賞した女性作家の物語が交互に語られます。漫画王国日本を俯瞰的に描いた世界は圧倒的です。

この小説は、二人の成長を過去と現在から見つめるものなのだな、と思い込んで読み始めました。しかし、ちょうど小説の中程で物語は大転換していきます。実は小笹一夫は、「小さい頃には、大きくなったら女の人になると信じていたのです。今も寝言が思い切り女言葉らしいと。」と、幼い時から性別に違和感がありました。スカートをはき、「一夫」ではなく「笹子」として出勤し始めたのです。70年代のことだから、性を変えることに慣れている社会ではありません。でも、彼、いや彼女の周りの女性同僚たちは、「そうなんだ。そういう人もいるんだよね」と、それまで通りの付き合いをします。ところが、会社はそうはいきません。男性として入社したからには、男性の服装で出勤しなさいと強要してきます。それを突っぱねた笹子は、結局会社を解雇されこの街を去ります。これ、藤野千夜の実話です。

帯に木皿泉が「藤野さんの書くものは、つよくてやさしい。そうか、こんなことがあったからか。」と書いています。

この物語は、自分が自分でいる、あるいは生きてゆくことを守る闘いの記録だったのです。そして、主人公がそれを守れたのは、漫画を愛する仲間たちがいたからであり、何よりも、闘いのど真ん中にいた本人の漫画への深い愛が支えになっていたのです。女であることを告白したあたりから、漫画家の岡崎京子が頻繁に登場してきます。彼女も作家を支えた一人だったのでしょう。

藤野千夜怒濤の実録物語です。是非お読みください。

 

★ 勝手ながら10月22日(月)23日(火)連休いたします。

 

フォーク・クルセイダーズのこの歌詞で、あぁ〜あの時代かぁ、と思い起こされる方は、まぁ50代以降の方ですね。深夜ラジオの「受験生ブルース」聞いて、寝ぼけた顔で学校に行っていたことを思い出します。

そんな世代の方に、ドンピシャの本が出ました。フリーペーパー「半径500メートル」を出している出版社union.aの、インタビュー集「京都のフォークソング」(山岡憲之著2160円)です。登場するのは、きたやまおさむ、杉田二郎、ばんばひろふみ、中川五郎、豊田勇造、瞳みのる(タイガース)、松本隆らのミュージシャン。そして60〜70年代にKBS京都で多くの音楽番組を担当し、高石ともや、フォーク・クルセイダーズ等を見出した河村輝夫等々、多彩なメンバーで、京都が関西フォークの拠点だった頃を懐古します。

中心にいたのは加藤和彦、きたやまおさむ、はしだのりひこの「フォーク・クルセイダーズ」でした。「帰ってきたヨッパライ」、「悲しくてやりきれない」、そして自主規制で放送できなかった「イムジン河」など、このバンドを知っている世代なら、今でも歌えますよね。

きたやまおさむは、本書でフォークをこう語っています。

「まずはフォークソングという思想。自然を歌うことや、『民衆が作った歌』っていうフォークの特徴、意味通り、それが思想として実体験とともに入ってくるわけだよ。『お前たちは自分たちの歌を歌えばいいんだ』みたいな話ですよ。」

普遍的なラブソングだけじゃなく、その時どんな風に時代を見つめていたのかが、重要になってきます、それが見事に昇華されたのが、北山修作詞/杉田二郎作曲「戦争を知らない子供たち」だと、私は思っています。

当時は、学生の数が圧倒的に多く、岡林信康や高田渡など多彩な才能を持ったミュージシャンが京都に集まり、そのうえ円山野外音楽堂や京都会館第二ホールのような受け皿がありました。歌う側にも、聞く側にもあった連帯感。京都の町はそれを支えていたのです。

豊田勇造が面白いことを言っています。「京都は京都の音楽を作ってた。東京のほとんどは、マイク眞木に代表される、スマートやけどあんまり現実味のないカレッジフォークでしたよ」

マイク眞木と言えば「薔薇が咲いた」。無味乾燥な音楽でしたね。KBS京都の河村輝夫も「東京はだいたい恋したの、夢だの、星だの、きれいすぎる世界を歌っていたけど、そういう歌詞は無難やね。」と振り返ります。

しかし、フォークの世界にも変化が起こります。「僕の髪が肩まで伸びて・・・」で始まる吉田拓郎「結婚しようよ」の発売です。この本の中でも、何人かがこの歌が変わり目だったと答えています。そして、時代はフォークからニューミュージックの時代へ。ユーミン、山下達郎、ハッピーエンド達が時代を引っぱります。アメリカンポップスの影響を大きく受けた彼らの音楽に、私もすぐさま飛びつきました。彼らの音楽の方が若く輝いていたと、今でも思っています。

 

★ 勝手ながら10月22日(月)23日(火)連休いたします。

 

 

 

 

話題のホラー映画「クワイエット・プレイス」を観てきました。ホラーというジャンルを越えて美的センス溢れる素敵な映画でした。

監督、脚本、製作はジョン・クラシンスキー。クラシンスキー監督の妻で俳優のエミリー・ブランドが主演、監督自身がその夫を演じ、他の共演者と言えば子供たち三人、これでほぼすべてです。場所はアメリカの片田舎のみ。もう、これは低予算映画と言っていいでしょう。

映画は、異星人が地球を襲い、ほぼ全滅の状態らしいところから始まります。この異星人はどうやら視力がほぼ無く、音にのみ反応します。大きい音がすると人でも動物でも襲って殺します。だから、この一家は手話で会話します。監督は、彼らの音のない生活を丁寧に描いていきます。魚はフライパンで焼くのではなく、蒸し焼き。また、フォークとお皿も音が出るというので、葉っぱに包んで食べます。

クラシンスキー監督、考えましたね。エイリアンやらプレデターなど、先行する異星人のキャラには負けてしまう。なら、映像ではなく音で怖がらせ、映画を作ってしまおうと。従ってこの映画の主役は、音です。川や滝の音、風の音、そしてそっと歩く人間の足音。(皆さん素足です)釘を踏みつけて、イタァ〜!と大声出したいのに、ぐっと堪える妻の表情などお見事な演出が続きます。フィルムに寄り添うサウンドトラックさえ、静かに流れていて全然ドラマチックではありません。金がなくても、ハリウッドのプロデューサー連中を振り向かせたる!という気合い十分です。この家族、元々会話が不十分ではなく、普通に話せることが分かるのですが、その時の滝の音の巧みな使い方などの小ワザもバッチリ決まります。

さて、この一家に、新しい子どもが誕生します。え!子どもが泣いたらどうするの?ここは言えません。子どもが生まれてくるあたりから、お母さん、俄然強くなります。「エイリアン2」「ターミネイター」などのヒロインを思い出しました。ただ、異星人が登場すると、キャラの造形では勝ち目がないと思っているのかどうか、演出のテンションが下がります。実際、この異星人、よくあるタイプで、ああまたこれかという感じなのです。お母さんと新生児がこれと対峙するとき、流れ込んできた水の音の演出がここでも見事ですが、異星人の印象は薄い。

しかし、ラストシーンはかっこいい!やはり低予算ながら大ヒットした「ターミネイター」の第一作のラストを思い出してください。未来の戦士を身ごもったヒロインが、黒のレイバンサングラスにバンダナ、そして大型拳銃に強そうな犬を連れて、暗雲立ちこめる未来に挑戦する気合い十分の姿を見せてくれましたよね。「クワイエット・プレイス」には、あのラストへのリスペクトが込められてます。こういう時にドンピシャの関西弁は、「このガキ、いてもぉたるで!」やはりこれでしょう。

90分の上映の間、手にした珈琲をこぼしかけたシーンが三回ほどありました。監督の頭の良さと、ラストの母娘の気合いに拍手喝采で映画館を出ました。お薦めです。

★ 勝手ながら10月22日(月)23日(火)連休いたします。

 

 

植物学者牧野富太郎の業績を継承する、高知県立牧野植物園から「まきの手帖」という素敵な無料の小冊子の新しい号が届きました。牧野植物園標本庫に収蔵されている植物標本が、今年標本30万点に達し、記念特別企画の「標本展」から何点かが紹介されています。

お花見の定番、ソメイヨシノの標本もありました。11月から同園で行われる「標本展」のチラシも送っていただきました。(数に限りがありますのでお早めに)

また、牧野富太郎の本としては、あまり見かけない白岩卓巳著「牧野富太郎と神戸」(神戸新聞出版センター/古書700円)を入荷しました。伝記は数多く書かれていますが、若き日、経済的に困窮し研究が前に進まなかった時代、地元神戸の資産家池長孟の援助を受け、「池長植物研究所」を開き、東京神戸を行きつ戻りつ25年間生活していました。その時の牧野を追いかけたものです。

 

この植物学者のエッセイなどを読む時、横に置いておきたい音楽があります。それは、英国のシンガー、ヴァージニア・アストレイ/Virginia Astleyです。デビューアルバム「プロミス・ナッシング」(LP2200円)のジャケットは、ゆるやかな川の両サイドに広がる手入れされた庭園で、遠くにはレンガの橋が見えています。ご丁寧にインナースリーブには草花のスケッチまで描かれています。このアルバムの解説をしている赤岩和美は、彼女の音楽の本質を「イギリスの古き佳き時代への郷愁を感じさせる霊的な美しさが秘められている」と捉えています。

完璧なまでのアコースティックサウンドは、これ以上ない美しさ。そして、3作目「サム・スモール・ホープ」(CD国内版2200円/Sold Out)は、坂本龍一が、彼女の才能に惚れ込んで、自らプロデュースしました。クラシックでも、フォークでも、ポップスでもない彼女のサウンドは、坂本の多種多様な楽器群のアレンジと、奥深いサウンド作りで、聴くものの心の奥にふわりと入ってきます。3曲目「ソー・ライク・ドーリアン」のイントロで流れるシンセサイザーなどの楽器に合わせて、すべるように彼女が歌い出します。5月の青空の下、涼しい風に吹かれて植物園を散策する場面が浮かび上がってきます。

梨木香歩の「裏庭」に「バーンズ夫妻が丹精した草花がいつも何かの花を咲かせていた」と、庭が重要なモチーフで登場します。このような庭を吹き抜ける風を体一杯に受けるようなヴァージニアの音楽は、植物と共に存在しているようです。聴くのは、午前中がいいでしょう。夜のしじまには、あまり似合いませんので御注意下さい。2006年には”from Gardens Where We Feel Secure “というアルバムを出しましたが、ジャケットがこれ(写真右)。

 

1962年5月15日、文学者串田孫一は旅に出ます。

「北海道へ、雨の中の出発だった。 昨夜荷造りをすっかりすませてから、山靴に油を塗った。尾をピンと立てた鷦鷯の印のついているイギリス製の油をたっぷり塗ったその靴をはいて、荷を担ぎあげると、気分はここで笑いたくなるほど明るくなった。音のない細かい雨が降っている。」

上野から夜汽車に乗り、北海道へ。この旅の全貌を、その日その日の日記と、友人に宛てた手紙形式で描き綴ったのが「北海道の旅」(筑摩書房/古書1900円)です。二百数十ページに渡って詳細に旅で出会った風景、人々のことが書き込まれています。串田は写真撮影が苦手と断った上で、知人の三宅修が撮影した北海道の写真が、何カ所かに渡って挿入されていて、当時の北海道の姿を見ることができます。

「その冷たい、紫の山から吹いて来る風をいっぱいに吸い込んで、昨夜の朝からの汽車と船との旅で、体の中に重たくよごれて留まっている感じの空気と交換する。」青函連絡船が函館に近づいた夜明けに、旅への期待を美しい文章で表現しています。

串田孫一は哲学者であり、思索者であり、随筆家で、詩人で、登山家でもありました。代表作「山のパンセ」に見られるように、山を歩きながら思索をめぐらせ、味わいのある随筆を書いていました。旅の記録に徹しながらも、瑞々しい感性の文章は、読みやすく、この「北海道の旅」も彼が見た北海道の自然が目に浮かびます。当時、空の旅なんて論外で、鉄道網もまだまだの時代です。ゆっくりと進んでゆく汽車や船のテンポが心地良くなってきます。

「出帆の時刻が来ても船は少しもそんな用意をする気配はなく、切符売場に行ってみると、お客が少ないので、一番小さい船が湖の向こうから戻って来るのを待ち、それに乗ってくれと言われました。その一番小さい船が湖上の霧の中からぽつんと見えてきました。そしてそれが船だと分かるまでに十分、この桟橋に着くまでにまた二十分かかりました。」

このゆったりした感覚は、今の旅にはありませんね。また、とある宿屋で珈琲を出してもらったところ、珈琲色に煮出された紅茶でした。「この煎じ茶のような紅茶を飲みほすのには、勇気だけではだめだった」とユーモアで括っています。

万事この調子で、「こういう旅ではあまり強い、烈しい感動をいちいち期待してはいけないので、むしろ旅心淡々、ねむくなれば車窓に凭れ、風に吹かれてうとうとしたって構わないし、そんなに緊張を続けていたら疲れてしまうでしょう」と旅の極意をサラリと書いています。

こんな感じで旅は続くのですが、一カ所だけ怒りを爆発させています。それは十勝岳に登った時の事です。そこに「第十普通科連隊重迫中隊登山記念、三六、九。四」と自衛隊登山記念の碑が立ってあるのを見て、その無粋な感覚、みっともなさに怒りをあらわにしています。山を愛する者として、軍隊の暴挙は許せなかったのでしょうね。

慌ただしい今を生きる私たちは、このように長い時間をかけてゆっくりと旅なんてなかなか出来ないですから、この本で旅心を少し味わってみて下さい。

 

先日、安村正也さんという方が来店されました。「Cat’s Meow Books」という本屋を開店されたそうです。最初は猫がいる本屋さんかなと思いました。確かに、このお店には猫がいます。しかし、猫たちはすべて保護猫なのです。

なんと、猫関係の本ばかりの店内に保護猫が常駐し、店舗の収益の一部を保護猫団体へ寄付するという前代未聞のお店。奈良でのトークショーの前に立ち寄ってくださったので、その時はゆっくりとお話できませんでしたが、この本屋が出来るまでを描いた井上理津子さんの「夢の猫本屋ができるまで」(ホーム社/古書1400円)を買って、一気に読みました。

「ビジネスの中で儲けたお金で猫を助ける」をコンセプトにして、開業プランがスタート。出版業界の売上げが急激に落ち込んでいる時に、本屋をするなんて無謀、儲からないという声は必ずあがります。でも、店主の安村さんは、「『儲からないからやめておけ』と言うのは間違っている。本屋をやれる”道”をつくっていきたいと思うんです。業界としての売上げ減をカバーするとは思いませんが、本そのものの未来は、こういう状況でも本屋を始めたいという人にあると、私は考えます。」と進んでいきました。

そして、「猫がリアルにいて、お茶とビールが飲める猫本屋。新刊も古書も置いて」と店の輪郭を膨らませていきます。準備がスタートすると、何故かこの人の周りにはあれよあれよという間に様々な業種の人達が集まってきます。「猫のいる、猫本だらけの本屋をつくって、幸せになる猫を少しでも増やしたい!」という呼びかけ文で、クラウドファンディングで予算を集めます。著者の井上理津子さんは、ミシマ社から出した「関西かくし味」という本で、大阪の美味しいお店をテンポ良く紹介したライターですが、この本でも簡潔で的確な文章で、本屋作りに邁進する店主を追いかけていきます。

もちろん、お店が出来るまで、誰しも苦労も不安もあります。しかし、この本は、助けた猫に本屋を助けてもらう、その代わり、本屋も他の猫を助ける、という全く新しい書店の姿にエネルギーを傾けた店主の姿勢を中心に描かれています。そこがいいのですね。

「猫とビールと本に囲まれた老後を夢見た者としては、ひと足早く老後がやってきたと思いたい」とオープン前日には余裕の店主でしたが、その後一波乱も二波乱もあることを知りませんでした。その辺りのことは「第三章 いざ開店!理想と現実」をお読みください。

最後の方に、私も同感!と思う店主の言葉がありました。

「Cat’s Meow Books」は新刊も古書も販売しているのですが、「古本屋を始めたつもりはなく、開いたのは『本屋』です」と語っておられます。そうなんです、レティシア書房も古本屋ではなく、当初から「街の面白い本屋」を目指していました。同じ思いの店主がおられて、心強く感じました。安村さん、きっとお店に遊びにいきます!

mikihouseが出している宮沢賢治絵本シリーズは、とても素敵なセレクトです。スズキコージ「注文の多い料理店」、黒井健「水仙月の四日」、田島征三「どんぐりと山猫」、あべ弘士「なめとこ山の熊」など、数え上げたら限りがありません。今回ご紹介する「氷河鼠の毛皮」(古書/1100円)は、賢治の小説の中でも、それほど有名な物語ではないかもしれません。

「十二月の二十六日の夜八時ベーリング行の列車に乗ってイーハトヴを発った人たちが、どんな眼にあったのか、きっとどなたも知りたいでしょう。これはそのおはなしです。」

猛吹雪の中、出発した列車にはひとくせもふたくせもありそうな男たちが乗車していました。「毛皮を一杯に着込んで、二人前の席をとり、アラスカ金の大きな指輪をはめ、十連発のぴかぴかする素敵な鉄砲を持っていかにも元気そう」な紳士が登場します。おいおい、列車内に銃器持ち込んでいいの?と思うのですが、物語は進みます。賢治の登場人物の描写力が冴えています。

「痩せた赤ひげの人が北極狐のようにきょとんとすまして腰を掛け、こちらの斜かいの窓のそばにはかたい帆布の上着を着て愉快そうに自分にだけ聞こえるような微かな口笛を吹いている若い船乗りらしい男が乗っていました。」

この二人の人物が後半の物語の主人公です。かなりサスペンスに満ちた展開になっていくので、ここではこれ以上書きません。読んでのお楽しみ。

で、この物語の絵を担当しているのが堀川理万子さんです。寒い駅で、たき火にあたって列車の出発を待つ男たちの背中を描いたページに魅かれました。吹雪の寒さとたき火の暖かさが見事に表現されています。次に、毛皮を一杯に着込んだ紳士を、ローアングル気味でやや誇張し、どうもこの人物が良からぬ奴らしいと読者に思わせます。そして、今度は俯瞰気味に列車内を捉え、痩せた赤ひげの人の人を目立たないように描き、前方にはかたい帆布の上着を着た若者を描いています。

彼の着ているコートの色が黄色なんですが、この色がラスト近くで強烈な印象を残すことになります。「俄に窓のとこに居た俯瞰の上着の青年がまるで天井にぶつかる位のろしのように飛びあがりました」という場面で、カメラを下に置いて、その上を飛び越えてゆくような黄色いコートがダイナミックに翻ります。映画的な作風だと感心しました。賢治作品にしては、最後にスパイまで登場する荒唐無稽さもあるのですが、この不思議な物語を躍動感ある構図で描いています

 

先日、堀川理万子さんに偶然お会いする機会を得ました。メリーゴーランド京都店のギャラリーで個展をされていたのです。(左の写真はその時展示されていた作品です)その会場におられたので、いろいろとお話を伺い楽しい一時を過ごさせてもらいました。堀川さん、ありがとうございました。

 

★10月27日(土)の安藤誠トークショーは満席になりました。お申し込みありがとうございました。狭い店内のため、締め切らせていただきます。

 京都大学文学部卒業、京都在住の谷崎由依の新作「鏡のなかのアジア」(集英社/古書1200円)は手強い作品です。前作「囚われの島」(河出書房/古書1300円)が、書店員から圧倒的支持を受けた長編でした。まだ読んでいませんが。

さて、今作「鏡のなかのアジア」は、チベット、台湾、京都(多分京大)、インド、マレーシアを舞台にした独立短編です。翻訳家の柴田元幸が「物語は自在に時空を移動しつづけ、ホラ話めいたさまざまなイメージはいつしか、圧倒的な美しさを獲得する」と帯に推薦文を寄せています。

「馬のようにしたたかな蹄を持ち、どこまでも駆けてゆくことのできる、墨色をした文字たちは、風の強いときにいっせいに、五色の旗から抜け出していく。」なんて、文章が突然飛び出してきます。文字が抜け出して、空を覆う???

京都編では、主人公の女子大生が「どんなに餅を求めていても、餅の感触に焦がれていても、パンを捨てて餅とともに生きる日々には戻れない。ほんとうに食べたいのはパンではなく餅であるとしても。我々のなかにあるのはただ原風景としての餅、もののイデアのごときものであり、それは疾うに失われている。」うん?「原風景としての餅」って何だ、餅はモチやろ!!などと怒ってはいけません。

ここはいったいどこなのか。時代は現代なのか過去なのか?読み手は狐につままれたような気分になります。その言葉、掴まえた!と思った瞬間、それは、スルリと逃げてしまい、宙ぶらりんの状態に置き去りにされます。日本語の文章の中に、アトランダムにアルファベットに変換された地名や擬音語が耳に残り、文字は音となり、舞台となったアジアの地に溶け込んでいきます。

読者の戸惑いをよそに、物語の空間は捻れ、混沌としていきます。でたらめか、はたまた真実か?読者を幻想空間に陥れる企みが、方々に仕掛けられています。わけのわからん世界に、いつのまにかがんじがらめにされてゆく危ない小説でもあります。

「音が空間をかたちづくる。音が空間をひらいて、その場所は音によってどこまでもひらかれてゆく。私の身体の、私の腕と腋のあいだのほんのわずかな隙間のなかに、無数の音が混在していて耳をすませばすますほどに、それは幾らにも増えていくのだ。私の身体はひろがってゆく。私の身体のあらゆる場所が音に満たされ、ひらいてゆく」

この小説が持っている硬質な幻想力は、読む者をここではないどこかに連れ出す熱量を持っています。ふと気づいて、私は何を読んでいるのか?と自問自答するかもしれません。万人にお薦めは出来ませんが、作家のくり出す言葉に挑戦し、絡み合う文章の謎を解き明かしてみたいと思わる方は、ぜひ。最後まで、なげたらあきまへんで!

 

 

 

川勝徳重は2011年「幻燈」でデビューし、漫画雑誌の編集、アナログレコードのジャケイラスト、評論等々多方面に渡って活躍しています。

「電話・睡眠・音楽」(リイド社/古書950円)は、一見すると革新的マンガ雑誌「ガロ」系統の世界なのですが、そこを踏まえつつ新しいマンガの世界を堪能できる一冊。2012年から17年までに各種雑誌に発表されたものをまとめた作品集です。

つげ義春に代表される「ガロ」が持っているタッチは、其処彼処にあります。最初に収録されている「龍神抄」は、龍になろうと修行した男がウナギになって食われる物語ですが、それが最も色濃く出ているように思います。この作家の面白いところは、藤枝静男原作「妻の遺骨」、梅崎春生「輪唱」などの文学者の原作ものを漫画化しているところです。赤塚不二夫「自叙伝」と赤塚藤七「早霜の記憶」を原案とした、赤塚の満州での幼年時代を描いた「赤塚藤雄の頃」といった異色作品も原作ものでしょう。

「ガロ」的な貧しさや、湿気感を踏襲しながら、現代的センスで作り上げている漫画家ですが、その一方で、ヨーロッパ、アメリカ発のグラフィックコミックスをベースにして、左綴じの表題作「電話・睡眠・音楽」を書いています。これは、出来上がった原稿をスキャンしてPCに取り込み、加工しています。だから、他の作品とタッチが全く異なります。また、作品発表の場所も雑誌媒体ではなく、トーチwebというネットで公開されました。(今でも見ることができます)

舞台は現代の渋谷。一人暮らしの若い女性が、メールをし、入浴し、うたた寝して、夜更けにバーに出かけ、明け方の渋谷を歩く、という日常を描いています。「一人の女性の切り詰められたモノローグと、東京の夜景を通して、現代の時間の流れが切り取られたような作品」と文化庁メディア芸術祭で高い評価を受け、審査委員会推薦作品に選ばれました。

空虚、孤独、そして希望がブレンドされた傑作だと思います。小西康陽が「ヌーヴェル・ヴァーグ」と本作の帯に書いていますが、たしかにルイ・マルあたりなら、映画にしそうです。

共に京都精華短期大学で油絵を専攻して、卒業。それから40年あまり、それぞれの人生を歩みながら「絵」を描くことを手離さずに来られた、三人の女性による展覧会「見ることの不思議展2」が本日から始まりました。

大家好子さんは岐阜県で、シルクスクリーンを制作されています。「ハイヒール」や「鳥」という好きなものを題材にして、繰り返しの形の面白さを追求した版画が並びました。テキスタイルの柄のような洒落た作品です。実際に作品のいくつかをプリントした布で、洋服も制作されていたのだそうで、その布(端切れ・200円〜)をはじめ、色鮮やかなポストカード、ブックマーク、Tシャツも販売しています。(ポストカードは150円)

長野利喜子さんは、身近なものを材料にして制作されています。メロンの皮を干してインクをのせ、プレス機で刷った楽しい版画作品。グリーンピースを描いたやさしい木版画。そして、卵の殻(小さく穴をあけて中身は取り出した後)に小さく切った和紙を貼り、ジェッソで固めて好きな色で自由に絵を描いた「タマゴ」たち。かまぼこ板から出来た小さなボックス。台所の中から生まれた愛らしい作品には、ほっこりニッコリしてしまいます。タマゴは一個ずつ販売中(100円〜300円)何も描かれていない白色のタマゴに、自分で着色してみるのも楽しいかも。

 

高井八重子さんは、油絵一筋です。グレーを基調にして、オレンジや黄色を配した洒落た色使いが本当に美しい。部屋の何処に飾ってもきっと素敵です。今回の展覧会のために描かれた、同じ構図で色違いの二つの横長の絵「パレード」(写真最上と左下)の作品は、ピエロの楽隊が奏でるお祭りの太鼓や喇叭が聞こえてきそうで、初日から本屋の壁にすっかり溶け込んでいます。 ずーっと絵を描き続けるというのは、なんてステキなことなんだろうと、改めて思いました。何かに心動かされる柔らかな感性と、それを表現できる確かな技術。そして、どこかしら懐かしい香りのする落ち着いた雰囲気。

三人は、卒業後は特に顔を合わせる事もなく過ごしてきて、2年程前初めて一緒に展覧会をされたのだそうです。2回目は、皆さん本好きということで、こうして本屋で実現しました。さて、まだ暑い日があると言ってもようやく秋らしくなりました。ぜひベテランの描く絵画をお楽しみください。(女房)

「見ることの不思議2」展は、10月9日(火)〜21日(日)月曜日定休12時〜20時(最終日18時まで)