夏休みに一日、尾道市立美術館へ行ってみませんか。7月6日〜9月1日まで、「絵本原画 ニャー! 猫が歩く絵本の世界」展が開催されています。

「絵本の中の猫は、あっちこっち、動き出すんじゃないかな。なぜなら、とても生き生きとしているから。隙あらば、こっちへ飛び出してきそうなほどです」とは、主催者の言葉ですが、今注目の作家から、ベテランまで15組の絵本作家の約250点の原画と貴重な資料が美術館に並んでいるのだそうです。

 

この美術展の公式図録も兼ねた「絵本原画ニャー」が京都の青幻舎から発売(2268円)されました。単なる図録とは違い、かなり独創的な作りになっています。「本書では、『原画』に、絵本にあるのとは違う言葉を並べます。それは、作者自身のコメントだったり、『原画』の特徴を指摘する文章だったり、様々です」と編集者は言います。その意図は、絵本の原画を、普段見ている状態から切り離し、少々外側から観察してみることにあります。ストーリーから離れて、とびとびの原画を、絵本としてではなく、絵そのものとして見ることで、新しい発見があるかもしれません。

例えば、当店でも開催した原画展が大好評だった「ネコヅメの夜」の著者町田尚子。階段で惰眠をむさぼる猫の絵に下には、こんなコメントが付いています。「人間は出てこない。だが、人間もそこにいることができるような空間になっている。人の『気配』を省かない」。確かにこの物語には人は登場しません。けれども、猫が暮らす家には、人の生活の匂いが漂っていたのはそういうことだったのですね。

おばあさんが暮らす古い家に遊びにきた少年が目にする恐怖を描いた絵本「いるのいないの」では、著者は絵本のラフを作る前に、家の「間取り図」を制作しています。その図を元に、映画みたいに、どの角度でどの位置でカメラを構えるかを考えながら、ポジションを決めていった、という事です。この絵本の主人公は「古い家」なので、どう表現してゆくのがポイントだったのです。

今回の原画展に出品されているのは、ささめやゆき、石黒亜矢子、加藤休ミ、牧野千穂など、人気の作家だけでなく、1960年代から活躍している瀬川康男、40年代後半に貸本漫画で単行本デビューした馬場のぼる、海外からはペロー原作の「長くつをはいたねこ」のハンス・フィッシャーなど、時代も国も様々な作家たちです。

そんな全ての作家たちの原画を分解し、新しい観点からリミックスした本書は、実にユニーク。この本を片手に、ぜひ美術館に行きたいと思いました。

鬼海弘雄という写真家をご存知だろうか。TV番組「情熱大陸」に登場されたので、知ってる方も多いかもしれません。1973年から30年間、浅草で人物写真を撮り続けています。被写体となるのは、そこで初めて出会った無名の人々。声をかけて、浅草寺の朱塗りの塀の前で写真を撮っています。

そのポートレイトも面白いのですが、「東京夢譚」(草思社/古書3300円)がオススメです。

「気ままに東京の風景を撮っている。その日の行き先は、何となく駅まで歩きながら決めることが多い。ただ漫然とひとの住む場所としての町、暮らすひとびとの日々の営為の影や匂いをとおして『場所の肖像』のようなものを撮れないものかと、続けている。訪ねる町はとりあえず何処でもいいわけだ。」

と、この本に書かれてます。全く人影のいない街角、古くから住んでいる匂いのする古びたアパート、木造平屋のタバコ屋、静まり返った住宅街等々。まさしく「場所の肖像」という作品であふれています。寂しさ、孤独といった感傷と同時に、そこに生きる人たちの息遣いやありふれた生活のワンシーンを想像させてくれます。どんな喜びと悲しみを抱えて生きているんだろうと写真を凝視してしまいました。

エッセイも巧みで、店には、「誰をも少し好きになる日」(文藝春秋/古書1500円)、「眼と風の記憶」(岩波書店/古書1800円)、「靴底の減りかた」(筑摩書房/1300円)の3冊があります。どの著書もエッセイと写真を組み合わせてあります。

「誰をも少し好きになる日」最後に収録されている「一番多く写真を撮らせてもらったひと」は、浅草で毎日服を着替えて街角に立っている老女が主人公です。元々は、街角で男を引っ掛ける通称「たちんぼ」をしていたお姐さんです。何処に住んでいるのかもわからない彼女を、愛情を込めてシャッターを切ります。彼女を捉えた作品が10枚載っています。ある日、そのお姐さん死去の報が届きます。

「最後に会った十一月の三十日には、脱いだ靴を枕に地べたに横になって眠り込んでいた。肩を揺すってカイロがわりにと熱いコーヒーを二本渡した。

ホームレスだったのかもしれません。でも、彼女がいつもいた場所には、花束が数多く置かれていました。名前も住まいもわからない女性でしたが、この町は見捨てなかったのです。

「周りの人たちはお姐さんを排除もせずに見守っていた様だ。やはり浅草には他人の哀しみを自分の哀しみとして感受する自然なぬくもりが、まだ伝統としてのこっているのだろう」

そんな文章の横に、2013年3月12日に撮られた彼女のポートレイトが配置されています。いい写真です。

当店で開催中「僕らの界隈展」を主宰しているミニプレス「その界隈」から、初の小冊子「北海道と京都とワンダーランド」(1080円)が出ました。

2016年に発行を開始したタブロイド判の「その界隈」は10号まで発行されています。今回の小冊子では、「その界隈」周辺からの味わい深いコラムが並んでいます。

「京都駅は何と言っても駅全体に漂うアートの空気を満喫するのが、正攻法かと思われる。まぁ、構造そのものもアートなんだけれども、駅ビル随所に見られるアートの欠片を探して散策すべし。珍しいものでは「石の博物館」なんてものもあって」と京都駅クルージングを提案しています。

取材で来京されると、朝はホテルで朝食を取らず、散歩途中で見つけた喫茶店に入るのが習慣となっていると書かれています。素敵なお店で小一時間、過ごす幸せ。一方、北海道はどうかといえば、

「地方の駅前の喫茶店を探す。こちらはもう瀕死状態だ。クッションがへたってしまって沈み込む様に座るソファー。インベーダーゲームが故障したままで使われているテーブル。」

それでも、喫茶店好きの筆者はそこにまた惹かれるといいます。

京都の地名についてのコラムもあります。「東本願寺近隣にある『艮町』は、イラッとするぐらい読めそうで読めない」とこの町名を上げています。

「『艮』は中国の八卦という図象を示す言葉のひとつで、地名として使われている場合は、北東を示すとのこと。『丑寅』とも書くらしいからそれで読める人も多いだろう。京都の地名はこういった方角を示す言葉が使われるケースが多く、加えてその方角の基準地がどこなのか探るのも面白い。」

勉強になります。

「終着駅を味わう」と題したコラムには、なんと、阪急四条河原町が登場します。確かに、阪急電鉄の終着駅ではありますが、京都に住んでいてそう感じたことはなかったな….。この地下鉄の駅を撮影した写真が載っていますが、なんとなく終着駅の寂しげな風情が感じられるのも面白いところです。そして、叡山電鉄・出町柳駅、京福電鉄・四条大宮駅が「最も味わい深い終着駅として推奨したい」と書かれていました。住んでいるものには案外思いつかない様なところが面白いですね。その後に、北海道の終着駅が紹介されていますが、こういう最果て感が漂うのが終着駅だよねと、私たちは思ってしまいます。

⭐️「僕らの界隈展」は7月28日までです。28日朝10時15分より、「北海道と京都とワンダーランド〜ようこそ、リトルプレスの世界」と題したトークショーが、当店で開催されます。ご予約はNPO法人「京都カラスマ大学」まで

 

日本の新刊業界や出版業界と同じく、台湾も読書離れで出版不況に陥っています。しかし一方、個人経営の町の本屋さんが、活発に営業しています。そんな個性あふれる書店主四十三人に迫ったノンフィクション「書店本事 台湾店主四十三のストーリー」(THOUSASNDS OF BOOKS/新刊2808円)をご紹介します。

本の構成はこんな感じです。

第一章「時間長河、歴久不衰」ー老舗の書店。

第二章「在一日又一日的閲読時光中、理想堆積成形」ー経験を積んだ書店。

第三章「記録這段夢想初起飛的歳月」ー新しいタイプの書店

第四章「我們的閲読、不是書」ー蔵書豊富な書店以外の店

の四章に分かれています。著者のグイ・イーチンは、全ての本屋を巡り、店主から話を聞いて書店の個性を伝えてくれます。第三章の新しい書店には、日本と同じようにカフェを併設している店も紹介あります。変わり種は、「時光二手書店」という店で、本の収集に慣れようと古紙回収所に向かう途中、捨てられた犬を発見し保護して以来、店に一時的に野良犬を保護し、新しい飼い主を探す本屋さんです。店主のクー・シウニンは、店の宝物は何?と問われて、

「2匹の猫です。猫はカウンターの上にじっと座ってくれるので、店の宝っぽいです。犬はあちこちうろうろして、店の中でじっとしていてはくれません。」

所変われば、店も変わるのですね。この書店は、取り扱いジャンルが、文学・歴史・哲学・生活・芸術と多義に渡っています。全部読んだわけではないのですが(400ページの大著)、どの書店の店主も面白く、ユニークな方たちばかりです。自ら、身勝手な書店と言う「新手書店」店主ジョン・ユーテインは、経営上の問題を聞かれて、「収支バランスが取れないこと」と即答したり、店の宝物ときかれて「サルです。申年生まれなので、店にサルの小さなぬいぐるみをたくさん飾っています」と答えています。

台湾に行く、行かないに関わらず、隣国の書店事情を覗き見るにはうってつけの一冊だと思います。

 

 

 

 

青春時代ってどのあたりをいうか、人によって違うと思いますが、まぁ16〜7才から20代後半としてその頃に、私がこの人の映画はすべて観ておこうとのめり込んだ俳優が、スティーブ・マックィーン、ロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッド、そして菅原文太でした。マックィーンと文太は亡くなりましたが、レッドフォードとイーストウッドは健在です。二人の共通点は、ハリウッドとの距離を保ちながら自分の世界を作ってきたことです。そのレッドフォードが「俳優引退」宣言をした映画「さらば、愛しきアウトロー」を観ました。

時は1980年代初頭、アメリカ。スーツのポケットに忍ばせた拳銃をチラと見せるだけで、誰も傷つけず、銀行強盗を成功させる男、フォレスト・タッカー。なんと74歳現役。被害者のはずの銀行の人間たちは警察の取り調べに対して、彼のことを「紳士だった」「礼儀正しかった」「微笑んでいた」と褒める始末です。その男を、御歳83才のレッドフォードが演じます。かつての美貌は跡形もなく消え去り、皺だらけの顔に最初はちょっと引きました。

思えば、1960年「明日に向かって撃て」で登場した彼は、もうカッコいい!としか表現できませんでした。それから、「スティング」「追憶」「大統領の陰謀」「ナチュラル」とどれだけ彼の映画を観てきたことか……。彼の皺だらけの顔を見ているうちに、こちらも年齢を重ねて来たんだなぁ〜としみじみ思ってしまいました。

レッドフォードは、彼だけが持っている軽妙洒脱な雰囲気を上手く使っている作品が多くあります。この映画も彼のそんな特質が生かされています。1980年代のノスタルジックな雰囲気も、彼にとても似合っています。監督はデビット・ロウリー。昨年の「ゴーストストーリー」で、その手腕に感心し、ブログにも書きました。昨今の過剰なまでのスピードアップの演出とは全く違い、ゆっくりと、物語を紡いでいきます。それが、60年代後半から70年代後半のアメリカ映画のリズムだったことを思い出させてくれます。あの時代のアメリカ映画を浴びるほど観てきた青春時代を想い、ノスタルジックな感傷に浸ってしまいました。

撃ちあいも、スリリングな銀行強盗のシーンもありませんが、アメリカ映画のいい匂いが立ち込めている作品でした。ホッコリする強盗映画です。共演のシシー・スペイセクが、美しく歳を重ねてレッドフォードに静かに寄り添い、素敵でした。

ところで、この邦題のセンスはどうよ!オリジナルタイトルの「オールドマン・アンド・ザ・ガン」の方が、よっぽど映画を表現しています。が、こういう邦題のつけ方もなんだか懐かしいかな。

 

 

 

 

 

1940年、アメリカに生まれた絵本作家、M.B.ゴフスタインは、様々な手法で絵本を製作してきました。今回入荷した「おばあちゃんのはこぶね」(現代企画室/新刊1620円)は、ほとんど線だけで描いたモノクロームの世界ですが、心に染み込みます。

おばあちゃんが子供だった時に、お父さんが、ノアの方舟と動物たちを木で作ってくれました。大きくなるにつれて、お父さんは動物たちを増やしてくれました。彼女はそれらを心から愛します。

「いまでは ぬりもすっかりはげている」

おばあちゃんは今も方舟をそばに置いて見つめています。父母はとうに亡く、自身も結婚し子供を育て、そして「みんないなくなってしまったいま、はこぶねはおもいででいっぱい」とベッドに横たわりながら回想します。

「よろこびとかなしみはにじのよう、それがわたしをあたためてくれる おひさまのように。」

おばあちゃんが、自分の長い人生を肯定するところで絵本は幕を閉じます。巻末に、亡くなる直前の彼女の言葉が載っています。

「ねえ、私、良い人生を生きたと思うの。素晴らしい、人生を。12月20日には77になるのよ。死ぬことは構わない。まったく。別れたくない大切な人たちはいる、もちろん。でも….死は私の友達。死と、希望。希望。」

彼女は77歳の誕生日にこの世を去ります。生きて、死ぬことを簡潔に描いた傑作絵本です。

表紙の絵。窓の外、雨を見つめる後ろ姿のおばあちゃんは、何を思っているのでしょう?90才になった短いような長い時間に思いを寄せているのかもしれません。
 谷川俊太郎は、ゴフスタインの「ぶるっキーのひつじ」「ふたりの雪だるま」「生きとし生けるもの」等の作品も翻訳していますが、本作でも静けさと淋しさと喜びをシンプルな文章で日本語にしています。詩人ならではと思います。 

 

 

★地味だけど、渋い大人向けの絵本を10冊程入荷しました。(すべて新刊)

おいおい紹介していきますが、全冊表紙を見せて店内で展示していますので、ぜひ手に取ってご覧ください。

 

 

 

 

と言っても、人間ではありません。名古屋東山動物園に暮らすオスゴリラ、シャバーニのことです。彼のオフィシャル写真集「シャバーニ!」(扶桑社/古書750円)の表紙を見た途端、こういうガッチリした侠気あふれる顔を見たのは、ほんと久しぶりだと思いました。

1996年10月オランダのアペンヒュール動物園生まれ。人間の歳に換算すると40台後半というところだそうです。2007年、東山動物園に来園。5頭からなる群れのリーダーです。彼の様々な表情に、作家、哲学者の言葉が添えられています。ただ、このチョイスにセンスがなくて、ダサい!シャバーニの威厳と奥深さを全く理解していないように思えますので、無視してください。

彼の魅力は、何と言ってもその目にあると思います。洞察力があり、決断力十分の視線。高倉健が仁義をきっているような渡世人風の視線もあったり、そうかと思えば、いやぁ〜失敗してしもぉた、というようなシャイな表情が捉えられていて楽しいです。

前述したように、文のセレクトがなんかダサいのですが、古代ローマの詩人マルティアリスの「すべての日が それぞれの贈り物を持っている」という言葉とシャバーニの横顔は秀逸でした。この意味、わかるかね、君に。とでも問いかけている深い目つきに惚れます。

 

 

ゴリラと言えば山極先生の本を紹介してきましたが、ここでは三谷雅純の「ゴリラの森の歩き方」(地人書館/古書1600円)をオススメします。アフリカの中央に位置するコンゴ。その北東部に広がる熱帯雨林にある<ンドキの森>のゴリラの調査をベースにした、コンゴの人たちとその自然を紹介する本です。

岸政彦の「図書室」(新潮社/古書1200円)は、私の中では、今年(まだ上半期ですが)中篇小説ベスト1。ブログのタイトルに「小説も上手い」と書きましたが、岸の本職は社会学者です。2016年の紀伊国屋人文大賞を受賞した「断片的なものの社会学」を、面白く読みました。

名古屋生まれ大阪育ちで、今も大阪在住の彼が小説の舞台にしたのは、淀川の岸辺です。主人公は四十過ぎの女性で、定職もあり、そこそこ貯金もある一人暮らしに不満はありません。

「私はベッドに座って取り込んだ洗濯物を適当にたたむと。キッチンでお湯を沸かしてコーヒーを入れた。雨の日曜日。今日はシャワーを浴びたら、梅田に行って、阪急の紀伊国屋か茶屋町のジュンク堂で何か本を買おう。」それなりに幸せな暮らしを続けている主人公が、小学校の頃に通った古い公民館にある小さな図書室のことを思い出します。そこは、

「学校という、いろいろ楽しいこともあるけど、でもやっぱり行かずにすむなら行きたくない場所と、心から愛している母親と猫たちがいて暖かいこたつもある自分の家との間にあって、ちょっと大人になったみたいにひとりになれる場所。」

そこで、一人の少年と出会います。やがて、仲良くなった二人は、世界が終わり、二人だけが生き残るという妄想にのめり込みます。「世界の人類が滅びたあとで、幾多の苦難を乗り越え、スーパーにも忍び込み、畑を耕したり淀川で魚を釣ったりして生きていくことを想像する。」そして、図書室から宇宙の彼方へと飛翔する少年と少女の果てない空想力は、ある大晦日の日、二人にあることを決行させるのです。

たまらない気持ちにさせてくれる小説です。。思い出してください、小さな頃に何気なく見ていた光景や、どうでもいいような会話が、どれ程大切なものだったのかを。そして、その時そこにあった風景の愛おしさ。淀川の匂い、冬空の冷たさ、そしてもういなくなった人たち。ラスト、主人公が、少年といた淀川を再び訪れるシーンは、泣けてきます。いい物語を味わったという思いでページを閉じました。本書には、大阪愛に満ち溢れた自伝エッセイ「給水塔」も収録されています。

「何かのタイミングがたくさん重なって、ひとは知らない街にやってきたり、友人と静かな散歩をしたり、真冬に誰もいない万博公園でいつまでも森を眺めたりすることがある。ふだんどれだけ荒んだ、腐った、暗い穴の底のようなところで暮らしていても、偶然が重なって、何か自分というものが圧倒的に肯定される瞬間が来る。私はそれが誰にでもあると信じている。」

あります。こういう瞬間が人生には。

 

 

 

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インドネシアから届いた映画「マルリナの明日」。「全く新しい『闘うヒロイン』に喝采!」というキャッチコピーがドカーンと出ていますが、この言葉に引っ張られて見ると肩透かしを食らいます。

夫と子どもを亡くし、荒野の一軒家で暮らす天涯孤独のマルリナ。突然、彼女のすべてを奪おうとする強盗団に財産の家畜を奪われ、レイプされる寸前、首領マルクスの首を鉈で刎ね飛ばして窮地を脱出します。自分の正当防衛を証明するため、たった一人で、マルクスの首をぶら下げて警察署へと向かいます。だが、強盗団の残党達がマルクスの復讐のため彼女の跡を追い始めてます。こう物語を書けば、マカロニウエスタン風の血湧き肉躍るアクション、窮地に陥ったヒロインの孤軍奮闘ぶりを想像しますが、38歳の女性監督モーリー・スリヤは、そういう展開には持ち込みません。

殺した男の首を持って荒野を行く物語といえば、サム・ペキンパーの「ガルシアの首」が思い出されますが、ちょっと似たテイストです。マルリナの他に、もう一人臨月間近の女性が登場します。夫の無理解とDVを知りながら、夫のもとへと行こうとする彼女とマルリナが、インドシナの山々を超え、旅を続けてゆく様を丹念に描いていきます。

フォトジャーナリスト安田菜津紀さんが、映画のHPで、こんなコメントを書いていました。

「理不尽に殴られるのは、助けを求めた先で心ない言葉を投げつけられるのは、女性が弱いからなのだろうか。違う、彼らは女性の強さにつけこむのだと、マルリナの背中は語っていた。
この映画は単なる“復讐劇”ではない。闘うことを強いられた、女性たちの声の形なのだ。」

そうなんです。これ、復讐劇ではありません。男に強いられた不条理と暴力に、やむなく立ち向かった女性たちの物語なのです。鉈で男の首を跳ね飛ばすシーンには、この国の男と女の古い因習を断ち切る意味合いが含まれているのかもしれません。スリヤ監督は、映画愛を随所にちりばめながら、二人の女性の弱さと強さを見事に描き出していました。

荒野のど真ん中、男の首を片手に、鉈を背中に背負って立つマルリナの姿が印象的でした。

 

 

 

 

フォトジャーナリスト渋谷敦志がアフリカ・アジアの辺境を、そして東日本大震災後の福島を歩き、写真家としての自分の存在意義を問い続けたルポルタージュが「まなざしが出会う場所へ」(新泉社/新刊2160円)です。

傑作という名にふさわしい一冊ですが、決して楽しい本ではありません。むしろ、見たくない世界の姿に呆然とさせられる本です。でも、きっと読者の心に何かを残します。

渋谷敦志のことは、瀬戸内人からリリースされた写真集「回帰するブラジル」(3996円)で知っていました。少年、少女の躍動感を撮った作品が印象に残っています。

ところが、本書に登場する少年少女や、母親を撮った作品は、戦争、飢餓、貧困、災害等で行き場を失い、満足な医療を受けることもできず、明日の命さえわからない状況にいます。

「カメラを持ってそこにいる。ただそれだけで、いのちを冒涜しているように思えていたたまれなかったが、ひとつのいのちが飢餓によって失われた事実を、そしてただ傍観することしかできなかった自分の無力をせめて記憶に刻もうと、ごめんな、と心のなかで手を合わせてファインダーをぐっと覗き込んだ。」

その覚悟で、彼は苦しみ続ける人々の元へと向かいます。希望を失って生きる悲しみに満ちた眼、憎しみに満ちた眼に晒されて、その視線に射抜かれ、挫折し、立ち止まってしまう。しかし、「それでもなお、お前は何者なんだ、と厳しく問いつめる眼に自分を開いておくこと」を通します。まさに地獄と化したアフリカの奥地で、「人間はこんなふうに苦しめられてはいけない、人間をこんなふうに苦しめてはいけない、というやむにやまれぬ思い。」で、シャッターを切り続けます。

そういう写真が並んでいるのです。悲惨な環境で生きている彼らの日々。希望など皆無のはずなのに、眼には生きる力が輝き、食うや食わずの生活なのに、すっくと立った姿には人間の尊厳が宿ります。子供にお乳を飲ます母親。ガリガリの乳房に吸い付く、やはりやせ細った子供。思わず眼を背けたくなりながら、なぜか目が離せません。うまく表現できる言葉が見つかりません。ただ、写真の持つ強い力を受け取りました。

「生死を分かつ戦禍をくぐり抜け、今ここにいる。ここで生きている。その存在は弱いけれど。とても強い。彼女の透徹した眼差しに宿る生命の灯火が、罪なき人びとを長く愚弄してきた不条理の真実を、無言のうちに語る証言となってほしい。そう願わずにはいられなかった。」

 

 

 

ところで、トランプがよく口に出す「アメリカ・ファースト。」に対して、大阪出身の彼はこうぶちまけています。

「何がアメリカ・ファーストや。ヒューマニティー・ファーストやろう」と。ほんまに、その通り!

 

★恒例『レティシア書房夏古本市』は8月7日(水)〜18日(日)開催します。