東京新井薬師に、ホントにある「しょぼい喫茶店」の店主、池田達也が書いた「しょぼい喫茶店の本」(百万年書房/新刊1512円)は、起業して成功するための本ではありません。これからの働き方、生き方を考えてみるには最適の一冊です。

「僕は働きたくなかった。ただただ働きたくなかった。理由はよくわからない。」という出だしで本は始まります。なんと甘えたことを!とお怒りのサラリーマン諸氏、まぁまぁ、その気持ちはちょっと横に置いて、著者の思いを聞いてあげて下さい。

著者はアルバイトをしても長続きせず、就活では「会社で使える人間」をなんとか演じる努力したものの、全くダメ。社会人失格の烙印を押された気分で鬱々とした日々を過ごすことになり、挙句に自殺まで考えるようになります。それなりに人生の階段を上がってきて、初めて蹴つまずいた著者は、ここで一人の男性に出会います。”日本一有名なニートphaさんです。彼の著書「持たない幸福論」で出会った「自分の価値基準で幸せを決める」という言葉に心動かされます。

「嫌な人たちと嫌なことをしてお金をもらうよりも、好きな人と好きなことをしていたい。」大正解です。でも、普通のレールに乗って、会社に勤めていたら不可能です。そんな考えは甘えだと言う方が多いでしょう。しかし著者はここから、じゃあ自分の幸福は何か、どう生きていけばいいのかを必死で考えていきます。

ある日、twitterで”えらいてんちょう”という様々な事業を展開している人物に出会います。

「金がないことが貧困なのではなくて、金がないならないなりにやる、ということができないのが貧困。金を得る方法を知っているのが知性ではなく、金がなくても笑って過ごせるのが知性。」

名言ですね。会社員として遭遇する、不条理、我慢の対価として金を得て、それなりの生活を送るのではなく、自分の価値基準で幸せになる生き方を選び、それには自営業が最適と考え、店を持とうと思い、そこから、著者の人生は動き出します。物件を探し、お金を工面し、オープンへと向かいます。このあたりの描写も、よくある開店指南書とは大違いの面白さ。面白いキャラクターの人物が登場し、さながら青春小説です。

中々、上手くいかない状況に、諦め気分の著者に”えらいてんちょう”が言った言葉が、「いや、そんな真面目に考えなくてもどうにかなるっしょ!もっと適当で大丈夫」ってそんなことで、上手くいくか!

ところが人生どうにかなるんです。この本の後半はその記録です。もうダメだと思っていた著者は、店を軌道にのせ、なんと生涯の伴侶まで見つけてしまいます。拍手、拍手です。

嫌なことはしない。好きな事だけを仲間と一緒にやってゆく。金持ちになることを考えず、果てしない消費に突き進むことなく、微笑んで毎日生きてゆく。そんな若い人たちが沢山出てくれば、この社会も、ちっとはマシになるかもしれません。

★勝手ながら、4月22(月)23日(火)連休いたします。よろしくお願いします。なお、ゴールデンウィーク中は通常通り営業いたします。(店主)

 

 

イザベル・コイシェ監督「マイ・ブックショップ」は、本好き、本屋好き、書店業に従事している者ならば、観てほしい映画です。

舞台は1959年、イギリス東部の小さな海辺の町。戦争未亡人のフローレンスは、夫との夢だった書店をこの地に開くことを決意し、放置されていた古い家を買取り、店を開きます。しかし、地元の金持ちで、慈善団体活動をしているガマート夫人は、この場所に芸術センターを建てるとしていて、いい顔をしない。本屋作りに走り出すフローレンスと、それを阻止しようとするガマート夫人の画策。

古い家に、書架が入り、本が並んで、本屋に命が吹き込まれてゆく様子が描かれていきます。そして、小学校に通うクリスティーンのお手伝いでオープンします。この少女がまた、読書が嫌いで、算数と地理が好きな不思議な子なのですが、ラストでとても重要な役柄になりますので、注意して観てくださいね。

町には、古い邸宅に引きこもる読書好きの孤独な老人ブランディッシュがいます。彼の佇まい、ファッション、気骨は、初老に入ろうとする者にとってお手本なので、御同輩の皆様、ここもしっかりとご覧いただきたいのですが、彼は、早速面白そうな本を送ってくれと注文を出します。フローレンスが選んだのがユニーク。レイ・ブラッドベリのSFの古典「華氏451度」でした。ブランディッシュは、この作家が気に入り、次から次へと読破していきます。書店員として、これほどの幸せはありません。さらに彼女は、悩んだ末に、当時スキャンダルな内容で話題になっていたナバコフの「ロリータ」を、これは売るべき本だと250冊仕入れて、店頭にズラリと並べます。私は持っていたコーヒーカップを落としそうになりました。いや、こんな決断なかなか出来ませんよ。売りたい本を、覚悟して売るという本屋の原点です。

 

順調に見えた書店経営も、イケズなガマート夫人の、巧妙な政治的画策で廃業に追い込まれていきます。この作品、ラストのラストに至るまで、大げさな描写を一切廃して、書店と町の住人を見つめていきます。だから、追い出される場面も極めて静かです。荷物をまとめて船に乗った彼女を見送るのは、クリスティーンのみ。読書嫌いの彼女の腕には、フローレンスがこれだけは読んでね、と渡したリチャード・ヒューズの「ジャマイカの烈風」が抱かれています。あなたの本への想いは受け取ったというクリスティーンの瞳を見るだけで、泣けます。

映画の公式サイトのコメント欄を見ていると、川本三郎や上野千鶴子らの著名人に混じって、書店員、店主のコメントが載っていました。HMVBooksの店長を務める花田菜々子さんが「ラスト最高、私が彼女でもそうする。書店員の執念は凄まじいのだ。なめてかからない方がいい」と。「書店員の執念」という言葉は、どうかなとは思いますが、気持ちはよくわかります。旧態依然とした業界の疲弊、未来の見えない新刊書店の現状で仕事をする書店員に、クリスティーンの瞳が気合を入れたのかもしれません。

しかし、映画はここで終わりではないのです。ここから、後は劇場で。本を、本屋を愛している貴方なら、溢れ出る涙に遭遇することになります。名作です。

1983年7月24日、西武ライオンズ球場で大きなコンサートがありました。出演は、ラッツ&スター、大滝詠一、サザンオールスターズというビッグネームです。そこで二番目に出た大滝詠一のステージが、初めてCD化(1900円/中古)されました。彼の経歴や功績を、今更どうこう書くつもりはありませんが、彼と彼の仲間たちがいなければ、歌謡曲もポップスも、今日の音楽的進展はあり得なかったのは事実です。

コンサートは、意表をついた形でスタートします。山本直親指揮の新日本フィルハーモーニー・オーケストラが壇上に並び、フルオーケストラで、大滝のヒットナンバーを演奏し始め、全5曲、インストが続きます。おそらくサザンオールスターズのファンは退屈だったでしょうね。しかしインストでも、彼のラグジュアリーで叙情的なメロデイーを満喫できて、私は楽しく聴きました。「カナリア諸島にて」を飛行機の中で聞いたら、きっと旅の気分がぐっと上がる出来上がりです。

その後は、彼の代表曲の釣瓶打ちです。薬師丸ひろ子の「探偵物語」や、森進一の「夏のリビエラ」の英語バージョンなど、こんな曲も歌うんだなぁ〜という選曲で楽しませてくれます。そして、エンディングがまた大滝らしいというべきか、「夢で逢えたら」のフルオーケストラ演奏で終わるのです。普通なら、ラストナンバーで盛り上がるところ、いやはやのラインナップです。

さて、大滝と同じく日本の音楽界に多大な影響を与えている、細野晴臣もユニークなアルバムを出しました。彼が1973年に発表したソロアルバム「HOSONO HOUSE」をリメイクした「HOCHONO HOUSE」(中古CD2500円)です。73年発表のアルバムは、今でも若い世代から圧倒的な支持があって、じゃあもう一度リメイクしてみようか、となったみたいです。ただ、単なるリメイクではなく、全ての曲の歌唱、演奏、ミックス、プロデユースを細野一人でやっています。「HOSONO HOUSE」を愛聴していた人ならわかると思いますが、逆の順番で演奏していることに気づきます。全く逆の順序でスタートし、オリジナルで先頭に収録されていた曲が、ここでは最後に演奏されています。自分の音楽で盛り上がることを良しとしない、彼らしい盛り下がる音楽をお楽しみください。

なお、この二枚のアルバムのことを特集した「レコードコレクター」最新号も古書(400円)で入荷しています。お好きな方はまとめてどうぞ。

世界を変える美しい本」(売切)、「フェルメール」(2160円)、「はじめまして、ルート・ブリュック」(2160円)などアート系の良質の本を出しているブルーシープが、新刊を出しました。なんと、スヌーピーです。正式のタイトルは「スヌーピーミュージアム展図録」(3024円)。

これは、2016年から18年まで期間限定でオープンしたスヌーピーミュージアムで、5回にわたって開催された企画展を凝縮した一冊と、「THE BEST OF PEANUTS」と題されたスヌーピーコミックのベストを二冊組みにしたものです。世界一有名なビーグル犬スヌーピーは、50年も連載を続けていました。

スヌーピーにたいして興味のない私でも、この図録は、思わず読んでしまいました。コミックはもちろん、グッズ、本、ペナント、おもちゃなどあらゆるものが集められています。登場人物の詳細な紹介に、かなりのページを使っていて、著者はここまで描き分けていたのかと、驚きました。最後に作者チャールズ・ M・シュルツの未亡人ジーン・シュルツ(シュルツ美術館理事長)と、日本で翻訳を担当してきた谷川俊太郎の対談まで用意されています。その中で、谷川が、スヌーピーのコミックについて「まずは品がいい。露骨な笑いではないのです。」と語り、そのユーモアのセンスは井伏鱒二に通じるものがあると話しています。資料としても価値があります。

さて、独特の文章と、モノクローム線画でユニークな作品を発表してきたエドワード・ゴーリー。柴田元幸によって数多くの作品が翻訳されて日本でも人気の作家になり、2016年には大規模な巡回展がありました。そのゴーリーの「ぼくたちが越してきた日から そいつはそこにいた』(河出書房新社/古書1150円)は、従来のゴーリーのイメージと違い、モノクロームではなくカラーです。

とある一家が、新居に引っ越してきた時、庭に大きな犬がいたのです、そのセントバーナードみたいなムク犬は、家族が近づこうが、雨が降ろうが、ただ黙ってそこにいるだけなのです。柴田曰く「はじめから終わりまで名前さえない そもそもこの犬の正しい名前は何なのか?が物語のテーマなのだ」

「ゴーリー自身、ほろっと泣かせるような物語なんて間違っても書かない」という柴田の指摘通り、子供と犬の涙の感動物語ではありません。しかし、ゴーリーと組んだことのある作者ローダ・レヴィーンの、じっと止まる大きな犬と、それに名前をつけようとする少年の物語は、少しだけ感傷的な味わいがあり、ゴーリーの中では珍しいと思います。

「いつかはきっと、正しい名前が見つかるとぼくは思う。ぼくはいまもしっかり取り組んでいる。犬は待っている。ぼくは考えている。ぼくたちはどちらも、がんばっている。」という少年のセリフで物語は幕を閉じます。二人、いや一人と一匹に、頑張れと声をかけたくなるラスト。ゴーリーファン必読です!

 

古本屋巡りの好きな方なら、いつも楽しみにされている「本と本屋とわたしの話」最新15号(250円)が入りました。数十ページの薄い冊子ですが、本好きには応えられない内容です。

神戸六甲にあった「宇仁菅書店」に通いつめた戸田勝久さんが、この店の思い出を書いた「消えた古書店2ー神戸宇仁菅書店」。店内はグレングールドの「バッハのゴールドベルグ」が始終流れて、「店の中は宇宙で、書物が星座を描くように分類の枠を超え、『宇仁菅センス』に依って、『星』が丁寧に配置されていた。客は謎解きをするようにあちこちに散りばめられた星を巡って本を買い、また棚に並んだ本を見ながら宇仁菅さんが仕込んだ連想ゲームに引き込まれて行った。」

これは、本屋のあるべき姿でしょう。個性的な小さな書店は、日々、ああだこうだと考えながら棚を作っているものです。ここではおそらくお得意様だけだと思いますが、美味しい珈琲が楽しめたらしい。しかし2012年、店主が亡くなり閉店されたのだそうです。

「このように濃密に通う古書店と出会う事は無いだろう。私の人生の後半に良い店と出会えて幸せな『書店人生』だと思える六十五歳のこの春だ」と書かれています。

南房総市千倉発の「0470」(無料)の最新50号は、安西水丸の特集です!幼い頃、この地に住んでいた安西の足跡を辿っていきます。そういえば93年に出版された「荒れた海辺」は、安西の幼少の思い出が詰まった名著で、この本に登場する様々な場所が写真入りで紹介されています。

「昇(安西水丸の本名は渡辺昇)とは同級生で小学校、中学校と一緒でした。昇は小さな頃にお母さんと千倉へ引っ越してきたんです。」とは幼馴染みの山本初治さん。彼が安西の少年時代を語ります。これは、レアな企画ですね。また、「水丸さんを感じる」というページでは、南房総で彼の作品世界を感じる場所が写真と文章で取り上げらてれいます。南房千倉大橋には、安西のタイル画がはめ込まれていて、ファンなら一度は行ってみたい場所です。フリーペーパーなので、お早めにどうぞ(後10部程です)

 

 

 

最後に個展の情報です。詩とクロッキーとマンガをセットにした作品集「中庭」、「痙攣」(各324円)を出している古井フラさんが、奈良大和郡山(京都から近鉄で1時間)にある素敵な古書店「とほん」で、5月10日から29日まで「トリミング展クロッキーと詩」展をされます。古井さんのクロッキーは、上手いなぁ〜と思っていて、いつか当店でも個展をお願いしようかと思っていました。GWが終わった後の奈良なら散策にも最適です。

 

ミシマ社から出た森田真生「数学の贈り物」(新刊/1728円)を読みました……..。『「一般に、自然数のたし算とかけ算の間には、a(b +c)=ab+ac という『法則』が成り立ち、これが『分配則』と呼ばれる。」 

なんや、これ、さっぱりわからん! こらぁ、ミシマ社!お前ん所は、いつから専門書出版社になったんや!責任者、出てこんか!と本を投げつけようと思いましたが、なぜか、頭の方は読み続けようとするのです。イライラするなぁ〜と歯ぎしりしながらも読んでいくと、なんだかわからんままに、これが面白いのです。

この本、数学研究者として在野で研究を続ける著者の初の随筆集です。中学の時、古代ギリシアの数学者ユークリッドに出会い、彼の編纂した「原論」に触れます。「学校の数学で、第一巻の命題の証明を、一つずつ再現させられる授業があった。僕はこの授業が気に入って、毎週、幾何の時間が楽しみだった。」という数学少年でした。

だからと言って、この随筆集は数学に関するものではありません。一人の子供の親として、日々感じたこと、暮らしの中で気づいたことを、数学者らしい思考で書いてあります。芭蕉、道元、マルクハーン、岡潔など、多彩な人物が登場しますが、明晰な文章が読む者の心に響いてきます。いかなる権威のある機関、大学に頼ることなく、在野で研究し、発信し続けている学者の矜持があるので、(私にとっては)ややこしい数式を前にしても、この人の考えていることを知りたいと思うのかもしれません。

「自明視されていた様々な規範が、音を立てて壊れていく」のが現代だと指摘し、そんな不確定な時代を生き抜くために、「不確かな未来を恐れてパニックに陥ることは、不確かな未来は『悪い』未来であると、決めつける傲慢さの裏返しだからだ。『戸惑い(bewilderment)』は『パニック』よりも謙虚なのである。『恐ろしい未来がくる』と思考停止で叫ぶよりは、『何が起きているのかさっぱりだ』と困惑しながら、考え続けることの方が前向きだ。」という意見には、そうだ、そうだと拍手したくなりました。

最初に書いたように、すべてを理解できているとは思えませんが、う〜む、ここは手強いなと思いつつも、再度ページをめくっています。「数には、人の心の向きをそろえる働きがある。『六日後に会おう』と約束すれば、まだ来ぬ時間に向かって心が揃う。『右から二番目の椰子の木』と言えば、会話している二人の注意が、同じ木の方へ揃う。数は世界を切り分け、その切り分けに応じて、人の心の向きを揃えていくのだ。」という著者に、注目していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

2003年、アメリカはイラクが大量破壊兵器を保持、テロ組織を支援しているという理由で、軍事介入に踏み切りました。当時、大手マスメディアも、政府発表を鵜呑みにして軍事介入を後押ししました。

2001年の同時多発テロ事件以降、アメリカはイスラム憎しの感情に凝り固まっていました。時の大統領ブッシュや側近たちは、イラク悪人論の前提で情報を操作し、国民世論を誘導しようとしていました。 NYタイムスやWポストも、まんまとその罠にはまってしまったのです。

しかし、政府の主張する大量破壊兵器保持の情報は嘘だと見抜き、この軍事介入の不当さを訴えた新聞社が一社だけありました。ナイト・リッダーというアメリカ各地の地方誌を傘下に持つ小さな新聞社です。この新聞社の記者が、米政府の嘘と情報操作を迫ってゆく姿を描いたのが「記者たち衝撃と畏怖の真実」(京都シネマにて上映中)です。

監督はロブ・ライナー。「スタンド・バイ・ミー」「恋人たちの予感」等、多くの佳作を発表してきました。そのせいか、わかりやすい社会派エンタメ映画に仕上がっています。

手堅くまとめた娯楽映画とはいえ、説得力があるのは、エンディングに登場する数字です。この戦争での犠牲者の数、使った費用など、莫大な数字が出た最後に「発見された大量破壊兵器0」という数字に、国民を欺き、国費を無駄使いし、多くの若者を死に追いやった政府への監督の苛立ちがはっきりと表れていました。

ナイト・リッダー社は、大手メディアが政府広報の垂れ流し機関に成り下がっても、自分たちだけは「イラクに派遣される兵士の母親の味方でいたい」という立場を貫き通しました。

トランプ大統領が、自分を批判するニュースや新聞社をフェイクだと言い立てる現状では、こんな愚かな戦争を再び起こしかねないかもしれません。そういう意味では、優れた「反トランプ映画」なのです。そして、胡散臭い奴らが跋扈して、妙な世論を作ろうとしている我が国の危険をも示唆しています。

作家の江國香織は、こんなコメントを書いていました。

「疑う知性が必要なのは、記者たちに限ったことではない、という警鐘のような映画。ロブ・ライナーはほんとうに誠実な才人だと思う。」

 

春爛漫。

本日から片山陽子さんの染色展「感じる・話す」が始まりました。

蒲公英(たんぽぽ)を描いた一連の小さな作品は、いつの間にか花が近くで咲いていて、気がついて目を留めたと思ったら、またいつの間にか綿毛になって飛んで行った、というような時間の経過を感じます。

空を駆け上がる龍も、黒い雲の間から稲妻とともに勇壮に飛ぶイメージとは違い、どこからともなく目の前にフワリと現れたと思ったら、すーっと消えていく夢の世界にいるような不思議な生き物のよう。橘からイメージした「あの日の精霊」という三作品も、そこにいたはずの花の精が、風に舞って目の前からいなくなって、本当に見たのかどうかわからない儚い感じがします。いずれも、静かな時の流れの中で、頬に当たる風や、目の前を横切る暖かな光のような不思議な優しさ。

片山さんは、岡山県出身。倉敷芸術科学大学工芸学科染織コース卒業後、京都市内の工房で10年間友禅の仕事に従事しました。現在は地元で、別の仕事の傍ら作品制作を続けておられます。キャンバスに絵の具で絵を描く代わりに、染めならではの、滲み、ぼかしの特長を生かして、布地に描いていきます。布地は、糸の捻りによって滲み方や味わいが変わっていき、下絵通りにならないところも面白みになったりするそうです。

今回の個展では、手描き友禅の技法をベースにした片山さん独特の、ふわりとした浮遊感のある美しい作品が並びました。人が生きていく上で、周りの大切な人たちとの交流、側にいる動物や植物に対する愛情など、「活きている」ものたちと自分との間にあるやりとりを決して大声ではなく、小さな声で優しく語るように染め上げられた片山さんの初めての展覧会になりました。ギャラリーもすっかり春の空気で満たされています。お花見のついでにお立ち寄りいただければ幸いです。(女房)

 

●片山陽子染色展『感じる・話す』は4月9日(火)〜21日(日)12時〜20時(最終日は18時まで)月曜定休日

 

 

 

 

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高校の現代国語だったかで、近現代文学史の授業がありました。つまらんな〜と思ってました。名前と作品を並べて、やれ自然主義文学やら、浪漫主義やら、もう眠たくなるだけの授業。この体験が響いて、所謂文豪と言われる森鴎外、夏目漱石、島崎藤村などを避けてきました。古本を扱っているのに、鴎外も漱石も読んだのは二作品ほど。藤村に至っては皆無です。

そんな後ろ向きの気分をひっくり返す本に出会いました。嵐山光三郎の「追悼の達人」(新潮文庫/古書400円)です。これ、明治、大正、昭和の文士49人の死去の際、送られた追悼文、弔辞を拾い集めて、それぞれの小説家の生身の姿を捉えようとした一冊です。

「追悼文は、ナマの感情である。その場その瞬間の心情を、思い出すままに書きつづけてしまう。まさか後世に、文献として残るとは思わない。だから本心が出る。日記にも似た要素はあるが、日記は残されるから本心を隠そうとする配慮が出る。追悼文が一番油断する。」

と嵐山は、述べています。亡くなった作家に対する本心、死への思いなど、それぞれの作家の心情があぶり出されています。この文庫本、600数十ページもあり大著です。全てを読んでいません。高貴な作家を、周りはどう思っていたのかしらん、と週刊誌のスキャンダルを読むように興味ある作家を眺めています。

笑ったのは、島崎藤村です。昭和18年、71歳で死去した藤村は、自然主義文学がすでに過去のものになっていたこともあり、どの文芸誌も冷たい取り上げ方で、「中勘助は『藤村先生は耳が遠かった』ととぼけたことを書き、佐藤春夫は『谷崎と芥川はそろって藤村嫌いだった』と自分の気持ちを他人に託して書いた。」という様だったと著者は書いています。何故?という疑問に対して、嵐山の解説はこうです。

「芥川龍之介は、藤村の人も文学も嫌っていた。自費出版で儲ける藤村は、版元からも嫌われており、時代のおぞましい痣のような文学商人の一面があった。岩野泡鳴は、藤村を『思わせぶり』と酷評した。藤村にはマッチポンプのように自ら不幸の種をまいて、それを小説の仕掛けとして悩み、告白してみせる性格がある。」

藤村41歳の時、姪の島崎とま子に手をだし、妊娠させ、本人はフランスへとんずら。帰国して、また手を出すスケベ親父は、その懊悩と懺悔による罪の浄化を主題にした小説「新生」の連載を始めるのですから、ま、人間性を疑われても仕方ありません。そうか、こんな不埒な野郎だったのか、一度読んでみようという気になりました。

もし藤村の色恋沙汰を、その当事者たちが本当のことを書いて、追悼したら「明治性犯罪妖怪作家伝」的な内容になるという嵐山の指摘が、最高に面白い。退屈な文学史を、グッと身近に引き寄せる本です。

 

私は、基本的に小林信彦以外で映画の本は買いません。そのお金で映画館に行きます。しかし、例外が二つあります。日本が中国に作った傀儡国家満州にあった満州映画協会関連のものと、50年代アメリカの芸能界を襲った非米活動員会による「赤狩り」関連の本です。映画の暗い歴史を知るだけでなく、政治や社会が暗黒の世界へと向かってゆく様がわかるからです。

今回読んだのは、津野海太郎「ジェローム・ロビンスが死んだ ミュージカルと赤狩り」(平凡社/古書1950円)です。誰?ジェローム・ロビンス?そう「ウエストサイド物語」産みの親であり、映画版でも華麗なダンスシーンを振り付けた人物と言えば、お分かりになるでしょう。本書は、彼が非米活動員会に召喚されて、共産主義に同調する役者、演出家の名前を証言したプロセスを中心にして、あの当時のアメリカ社会を論じたもので、とにかく面白い一冊です。

非米活動員会で、こいつは共産主義者だと証言することを”naming names”と呼びます。証言を拒否した役者や監督は、アメリカで活動できなくなり、国外に逃亡するか、地下に潜るしかありませんでした。「エデンの東」の監督エリア・カザンなんて、仲間を売ったと最後まで裏切り者のレッテルを貼られてしまいました。

ロビンスは一時期、共産党に入党していました。そして、さらに彼は同性愛者で、ユダヤ人でした。50年代60年代に、同性愛者であることが明るみに出てしまうと、世間的にはもうアウトです。ロビンスがなぜ仲間を裏切ったのかを、サスペンス小説並みに描いていきます。証言を拒否すれば、寄ってたかって攻撃され、社会的に葬られ、全ての生活基盤を失ってしまいます。

なぜ、今「赤狩り」の本を出したのかに付いて(2008年発行)著者はこう書いています。

「2001年9月11日の同時多発テロ以降、アメリカ合衆国に生じた変化の深さである。社会の空気が一変し、じぶんとことなる人間のあり方にまたたくまに不寛容になっていった。これではとうてい赤狩りが過去のものであるなどとはいえない。ロビンスがおちいった悪夢じみた窮境も、まだまだ他人事ではありえない。もちろん日本でもおなじ、ということはいつも頭の片隅にあった。」

50年代のアメリカの話を、今更と思う方もいらっしゃるでしょうが、来年の東京オリンピックなんて見ないなどと言えば、非国民扱いになるのかもしれませんよ………。