海外の出版事情に詳しい方が、「日本だけよ、出版社が無料で小冊子を配布しているなんて」と言ってた記事を読んだことがあります。

岩波書店「図書」、新潮社「波」、筑摩書房「ちくま」などが代表格だと思います。講談社も「本」と言うのを出していましたが、今年の12月号で廃刊になりました。創刊は1976年ですから、なんと44年間発行してきたのです!単に自社の新刊紹介だけでなく、今後単行本にするような連載も含めて、文芸総合雑誌ばりの多彩な内容を持っています。

新潮社の「波」12月号で、面白い企画を見つけました。南陀楼綾繁さんが、没後50年を迎え新カバーになった同社の三島由紀夫文庫34冊を、読破するのです。南陀楼さんは「他の作家ならともかく、三島は困る。正直なところ、これまでほとんど読んでいないのだ」と告白しています。SF、ミステリーを偏愛してきた人にとって、それらを毛嫌いし、文学ではないと言い張る三島を好きになれなかったみたいです。

私も三島が苦手でした。怒涛のごとく押し寄せる重厚な言葉の波を見ると、逃げたくなるのです。しかし、「憂国」を読んで、この人の短編は面白い、スリリングだ、と見方が変わりました。南陀楼さんも、「短編を読み進めると、三島という作家の広さを感じ、親しみが湧いてきた。」と書いています。新潮文庫には現在八冊の短編集があります。それを読み、解説してゆく。これはいい読書案内になります。

岩波書店「図書」には、藤原辰史と赤坂憲雄の往復書簡「言葉をもみほぐす」が連載されており、この二人の書簡を読むために毎号入手していました。残念ながら、今回が最終回です、藤原辰史が、日本学術会議の新規会員6名の任命拒否問題を取り上げています。

「あなたたちの批判が邪魔なので任命しない、と言えない。言うことを聞かない学者は必要ない、と言えない。逃げ回るだけ。名簿を見ていないのに、名簿に記載された人物が『総合的・俯瞰的な活動を確保』できないと考えて任命拒否を判断できる首相は、超能力者でなけれな、虚言を吐いたことになります」

全く正しい。藤原は、それでも言葉の力を信用しようとしています。ある高校で勉強は何のために、というテーマで討論をした時に、生徒からこんな答えが返ってきたのです。

「次の世代、子孫のために」

う〜ん、すごい回答ですね。「このような若い人たちにとって、学問の場所が楽しい場所になるためにも、私はこの期に及んでもなお、言葉をひとつひとつ、紡ぎつつづけたいと思っています」という文章で藤原はこの連載を終えています。おそらく、この往復書簡集は単行本になるのではないかと期待しています。

大きな書店で出版社の冊子を見つけたら、一度持って帰って読んでみては如何ですか。確か、京都府立図書館にもバックナンバーが置いてあったはずです。

都甲幸治というアメリカ文学研究者をご存知ですか?早稲田大学で教鞭を執る傍ら、ブコウスキーの「勝手に生きろ」、アーヴィングの「未亡人の一年」、フィッツジェラルドの「ベンジャミン・バトン」などを翻訳し、しばらく前には、村上春樹の未翻訳だった欧米でのインタビューを雑誌「文学界」で紹介していました。

彼の『「街小説」読みくらべ』(栗東舎/古書1600円)は、企画のセンスが光るエッセイ集です。八つの章に分かれていて、それぞれ選ばれた街と、そこを舞台にした小説が3点ずつ選ばれています。登場する街は金沢、吉祥寺、福岡、国立、本郷、早稲田、ロス、ニューヨークです。書評と旅エッセイと都市論、文化論までクロスした意欲作です。

金沢の章では、室生犀星「幼年時代」、古井由吉「雪の下の蟹」、吉田健一「金沢」がセレクトされ、吉祥寺では、太宰治「ヴィニヨンの妻」、井伏鱒二「荻窪風土記」、松家仁之「優雅なのかどうか、わからない」が論じられています。本郷は、東大と東大生を漱石の「三四郎」、鴎外の「青年」、大江健三郎の「死者の奢り」。日本文学の傑作3作品の評論なんて重そうですが、これは違います。漱石、鴎外、健三郎との距離がグッと縮まります。

おっ、この本を取り上げてくれたのかと嬉かったのが、「国立」で紹介されていた黒井千次「たまらん坂」です。この小説は忌野清志郎の「多摩蘭坂」に触発されて、「たまらん坂」の由来を調べる物語です。

都甲は、ここで清志郎の名著「ロックで独立する方法」を取り上げ、自分も彼の考えに影響を受けたと書いています。

「清志郎は言う。ミュージシャンになりたい。なんてことが最初に来てはならない。あくまでもこういう音楽がしたい。と言うのが最初。でそこからが勝負になる。好きなことを貫く以上、どんな努力も努力じゃない。遊んでいるだけ。だから何も犠牲になんかしていない。」

それでも自分の音楽が売れないとき、清志郎は反省するな、自分を貫くことを止めるな。「そこでやめるとなるとさ、そのつまんない音楽を認めなきゃいけないっつうことになっちゃうからね。」

都甲は「音楽」を「文学」に変えて、「文学で独立する方法」で頑張ってきたと書いています。彼が清志郎に影響されていたことを知って、親近感を持ったのは言うまでもありません。

 

こんな小さな店にも関わらず、新刊出版社の営業の方々が自社の本の営業にお越しになります。その中に、地元京都の出版社の法蔵館があります。ある日の新刊案内を見てびっくり。えっ?競馬の本??オタクは、仏教書、歴史書の出版社ですよね??

で、出来上がってきた本が「競馬にみる日本文化」(新刊2200円)でした。著者は石川肇。「競馬ってギャンブル」という固定観念を打破すべく、「文学の力を最大限に活かして行なっている。」と著者は書いています。

目次を見ると、舟橋聖一に始まり、吉屋信子、北杜夫、岡本太郎、寺山修司、水木しげる、遠藤周作、織田作之助、赤塚不二夫、沢木光太郎といった面々が並んでいます。ここに登場する皆さん、何らかで競馬に関係しています。

舟橋は、競馬小説の先駆者であり、東京馬主協会理事を務めるほどの競馬好きでもありましたし、吉屋信子も馬主文士として知られていました。北杜夫は、晩年兄の娘でエッセイストの斎藤由香に「もう女の人にももてないし、強いお酒も飲めないなら、人生最後のギャンブル人生というのも悪くないんじゃない」とそそのかされて、競馬場に向かっています。これは彼の「マンボウ 最後の大バクチ」で読むことができます。

岡本太郎が描いたエッセイ「競馬の想い出」の挿し絵について、「馬や騎手が多分こんな気持ちで走っているのだろうと、素人ながら想像したのを戯画化したものです」と書かれてます。この絵がユーモラスで、馬同士が競り合っている感じも出ていて、思わぬ拾い物をしたという感じです。

私が、この本で思わず一所懸命読んだのは、沢木耕太郎の「馬のルポルタージュ」についてです。昭和47年の菊花賞と、有馬記念の優勝馬イシノヒカルについて沢木が「敗れざる者たち」で書いているのです。沢木が競馬のルポを?この本は前に読んでいるのに覚えていませんでした。さらに、昭和59年に出た「バーボン・ストリート」でも、イシノヒカルについて言及していたのです。もちろん、この本も読みましが、これまた記憶にありません。もう一度読んでみようと読書欲をそそられました。

余談ながら、この章で沢木耕太郎原作「深夜特急」に主演した大沢たかおについて、鋭い指摘がされていて、この役者に対するイメージがぐんと上がりました。

とにかく、面白い文壇の話がいっぱいの一冊です。

 

 

 

 

「グリコ・森永事件」は、1984年3月にグリコ社長を誘拐、身代金を要求した事件を発端に、同社に対して脅迫や放火を起こした事件です。その後、森永やハウス食品など、大手食品企業を脅迫。現金の引き渡しには次々と指定場所を変更して捜査陣を撹乱し、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れませんでした。さらに同年、小売店に青酸入りの菓子を置き、全国に不安が広がりました。結局、犯人は逮捕されずに、事件は時効を迎えました。

この事件を元にしたのが、塩田武士「罪の声」(講談社文庫/古書300円)で、当ブログで8月に紹介しています。2016年の「週刊文春」ミステリーベスト10第1位、山田風太郎賞受賞、本屋大賞第3位と高い評価を得て、私も面白い!の一言に尽きると書いていました。

多くの人物が登場し、時代をまたがって進む長編小説だったので、2時間そこそこの映画では筋を追いかけているだけで、面白くないだろうと、映画の方は公開されても見向きもしませんでした。

ところが、見に行かれた方の「良かった!」という声もあり、脚本を担当した野木亜希子が切れ者だという噂も聞いて、ちょっと見てみようと思い立ちました。

いや〜パーフェクトな出来、私の中では今年の日本映画のベスト1でした。噂通りに野木の脚本が申し分ない出来で、多くの登場人物を見事に捌き、ストーリーを追いかけるだけの事件ものにしていないのです。

新聞記者の阿久津(小栗旬)と、家族の犯罪に悩む仕立て屋の曽根(星野源)が、事件の核心に迫って行く様を地道に描きながら、登場人物全ての人生の悲しみを語っていきます。主演二人の人気俳優以外は、割合地味な実力派の役者を揃え、リアルに徹しているところも巧みでした。

最初は阿久津の接近に距離を置いていた曽根が、徐々に関係を深めて行く辺りの描き方は、よくアメリカ映画のモチーフになっている、男二人もののロードムービーのような演出がされていて大いに楽しめました。

ミステリーだけに詳しくストーリーを語れないのですが、ラストを締める宇崎竜童、梶芽衣子の芝居で、あぁ〜、ここは泣くだろうなと思っていると、やはり劇場全体もそんな感じになっていましたね。

若いあなたがこの映画を見たら、よく出来た話ね、で終わるかもしれません。しかし、真面目に生きて、それなりに苦しいこと、悲しいことを経験して歳を重ねてきた方が見たら、宇崎や梶の顔に刻まれた皺のアップにも泣けてくるかもしれません。犯罪映画とはいえ、彼らの皺一本一本に染み込んだ悲しみが心にしみます。

でも、私が最も泣けたのは、きっとそんなラストシーンだろうと予測していた通りの展開で、エンディングに見せた小栗旬の笑顔でした。この笑顔に会いに、もう一度劇場に出かけようかな〜。

舞台の一つが京都なので、地元人には、あ〜!あんなところでロケしていたのか!と見つけるのも楽しい。オススメです。

 

なんと屋久島に出版社を作って、雑誌を発行した人物がいます。国本真治さん。タイトルは「SAUNTER」。

「屋久島に出版社を作って、雑誌『サウンターマガジン』を創刊することになった。このご時世に田舎で紙の雑誌を……とも言われたけど、東京でもアフリカのサバンナも瞬時に同じ情報が手に入るこの時代だからこそ、日本の離島発であることにたいして意味はないし、完全なインディペンデントである僕らは広く浅くも望んでいない、好きな世界観を持つ人たちと繋がりコミュニティを形成したいのみだ。」

という力強い宣言文の通り、屋久島にとどまらず世界各地で自然と大地と共に生きる人たちを、美しい写真と共に紹介しています。現在3号まで出版されていて、養老孟司、石川直樹、宮沢和史、アン・サリー等が原稿を寄せています。そして特筆すべき点は写真の素晴らしさです。

1号の屋久島の素晴らしさ、古きよきチベット文化が色濃く残るインド北西部のラダックの人々、2号では写真家中村力也が、癌の闘病生活を経た妻と共に行った世界一周の旅の写真、3号の井上明による「音と祈りの南インド」と題した写真などを、じっくりと眺めているとそれぞれの土地の表情、そこに生きる人々の物語を読み取ることができます。

個人的には、「音と祈りの南インド」に登場するインドの写真に強く惹かれました。かの国の湿度、匂い、音楽が間近まで迫ってくるようでした。ニューヨークやパリ、ロンドンあるいは東京だけが世界ではないという確信をもたらせてくれる雑誌だと思います。

木ノ戸昌幸「まともがゆれる」(朝日出版社 / 古書1200円)を読もうと思ったのは、この本の最後に載っている稲垣えみ子(アフロヘアの元朝日新聞記者)の寄稿「救う人、救われる人」に書かれているこんな文章に出会ったからです。

「愛が地球を救うんじゃなくて ダメが地球を救う」

元々、胡散臭かったTV番組「愛が地球を救う」を茶化しているところが面白く、ところで、文章に登場する「ダメ」って何のことよと、読み始めました。著者は地元京都で活躍されている方だったんですね。

木ノ戸さんは立命館大学卒業後、紆余曲折を経て、2006年京都上賀茂に NPO法人「スィング」を設立されました。ここでは、障害を持つ人、持たない人三十人ほどが働いています。芸術創作活動をする「オレたちひょうげん族」、全身ブルーの戦隊ヒーローに扮して清掃活動を行う「ゴミコロリン」、特殊な記憶力を持つ人たちの京都人力交通案内「アナタの行き先、教えます」隊、等々柔軟な思考で様々な活動をしています。

本書は、障害者の現場を捉えた本でもありませんし、その啓蒙の本でもありません。この法人を立ち上げるなかで、今の世の生きづらさを斜めから見て、既存の価値観を揺さぶる本です。この法人のモットーに「ギリギリアウトを狙う」というのがあります。

始業時間はバラバラ、眠くなれば昼寝もOK、理由なく休みをとることも大丈夫。これは、「知らぬ間に僕たちの内面に巣食ってしまった窮屈な許容範囲の、ちょっと外側に勇気を持って足を踏み入れ自己規制を解除し続けることで、かつてアウトだったものが少しづつセーフに変わってゆき、『普通』や『まとも』や『当たり前』の領域が、言い換えれば『生きやすさ』の幅が広がってゆく」ことにつながってゆくことになるのです。

スィングには、様々な人たちが出入りします。親の年金でキャバクラへ通い、自己嫌悪で引きこもっていたMさん。「何だ、大人がそんな弱気で。もっとしゃんとしろ」と世間はそう見ます。しかし、そうなのか?、そりゃ、生きていくには強さは必要だが、裏側には必ず弱さもあります。

「ひたすら強さばかりを求める社会を僕は憎む。勉強が、仕事が、要領よくできなければ落伍者なのだろうか?恋愛が、人付き合いが、うまくできないと負け組なのだろうか?毎日は、人生は、楽しまなければ意味がないのだろうか?いい大人が『助けて』と、もう『ダメ』と両手を上げ、子供のように泣きわめいてはいけないのだろうか?

強い自分こそが他者に、そして社会に認められる価値があると教えられ、互いに強さばかりを見せ合い、そんな自分を失うことに怯え続けなければならないこの社会に、一体誰が安心して身を委ねることができるだろう。」

「スィング」に集まる人々の言動を通して、コチコチに固まった我々の固定観念を、あれ?これオカシイよね、と、立ち止まらせてくれる力をこの本は持っています。

ところで、当店でこの法人のフリーぺーパーを扱っていることを思い出しました。あの時来ていた人が著者だったのかも……..お見逸れしていました。「SWINGING」という冊子ですが、今も置いています。

以前このブログで同監督の「さよなら人類」をご紹介しました。その時、「この映画がなぁ〜、と多くの人が思うかもわかりません。ストーリーのある様な、ない様な、主人公がいる様な、いない様な映画ですから。(途中で席を立った方もおられました)」と書きました。初めて観たアンダーソン作品の第一印象ですが、結局、なんて素敵な映画だったんだ!と、いい気持ちで帰宅しました。

新作「ホモ・サピエンスの涙」も、やはりストーリーはなく、しかも登場人物も関連がない。時代も年代も異なる人々が織りなす、悲劇ような喜劇のようなお話の数々でした。構図、色彩、美術に至るまで徹底して監督がこだわった全33シーンが、それぞれワンカットで作り上げられています。観ているうちに、ちょっと眠たくなって、うつらうつらしてるとなんだかとても気分良くなってくるのです。あぁ〜、ずっとこのまま観ていたい、っていう感覚。

以前TVで、能楽師の方が「本当にいい舞台は、観客を眠たくさせる。でも完全に寝てしまうのではなく、起きているのか、寝ているのかわからない状態で、幻想のかなたの物語に入りこませる」と、いうようなことを話されていたことを思い出しました。

俳優で映画監督でもある斎藤工は、アンダーソン監督を「静止画に挑んだ映像作家だ」とコメントしています。極めて絵画的な画面を凝視していくうちに登場人物に同化していき、一瞬の人生の切なさ、苦さ、愛おしさみたいなものを受けとるのです。映画を観るというより、監督が作り上げた静謐な空間を一緒に漂う体験をする、といったらいいでしょうか。

ラスト、だだ広い草原を走る道でエンストした車から降りてきたおっちゃん。なすすべもなく、周りを見渡し、車の中を覗き込む。聞こえてくるのは風の音と鳥の声だけ。大変な状態なのに笑えてきて、人生ってこんなもんだなぁ〜ホヨヨン〜と、またちょっと幸せな気分で劇場を後にしました。ぜひ映画館で観てください。

 

 

上間陽子の「海をあげる」(ちくま書房/古書1500円)は今年、最も魂を揺さぶられて、ガツンときたエッセイでした。

著者の上間は、1972年沖縄に生まれ、今も家族と一緒に普天間に住んでいます。沖縄の未成年の少女たちの現状調査に携わり、2016年「素足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち」を刊行し、この本で注目を浴びました。

本書は、筑摩書房の「webちくま」に連載されていたものを中心に集められ、自らの離婚のこと、その時側にいた友人のこと、祖父が亡くなった時のお葬式のことなど、身辺のことから始まり、戦時下から今の沖縄の現状へと、深い話になっていきます。

悲惨な沖縄戦と戦後の困窮を極める生活を、どう娘に伝えていいのか著者は悩みます。

「地形が変わるほどの爆弾が撃ち込まれるのが戦争だということを、子どもたちが次々と亡くなるのが戦争だということを、子どもと自分はいつまでも一緒だと告げて亡くなった母親がいるのが戦争だということを、飢えと恐怖で生理が止まるのが戦争だということを、そしてあのおばあちゃんはそれらのぜんぶを体験したあと、もう一度、あそこで土をたがやして生きてきたにだということを、どのように娘に伝えたらいいのかまだわからない。」

未成年で風俗業界で働きはじめた女性たちへのインタビューを続けてきて、「10代でママになった女の子たちへのインタビューの帰り道では、ときどき吐く。彼女たちがまだ10代の若い母親であることに、彼女たちに苦悩が不均等に分配されていることに、私はずっと怒っている。」

そして当然、怒りは普天間の基地問題へと向かいます。美しい海が埋め立てられて、多くの生き物が死んでいった海。彼女が思い出すのは、魚やウミガメが行き交い、ひょっとしたら人魚も潜んでいたかもしれない青い海なのに。

本書はこんな文章で終わります。

「私は静かな部屋でこれを読んでいるあなたにあげる。私は電車でこれを読んでいるあなたにあげる。わたしは川のほとりでこれを読んでいるあなたにあげる。

この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに、海をあげる」

受け取った私たちには、考えなければならない多くのことが残っているはずです。

山中さおりさんの「ペーパクイリング作品展」を今年も開くことができました。なんと9回目。ってことはレティシア書房開店以来ずっと毎年作品を発表されているということになります。

さて、「ペーパークイリング」の説明を少しさせていただきます。もともと中世期にイギリスで生まれた紙工芸で、聖書を製本した際にできた細長い紙の切れ端を、クルクル巻いて宗教画や宗教道具に装飾したとの始まりとのことです。現代では、世界中でアート、ホビーとして楽しまれています。

山中さんはざっと10年以上もクルクル巻いてこられたわけで、根気のいる作業を積み重ね、技術を磨いてきました。今回は、白一色で雪の結晶からイメージした作品が9点並びました。ペーパークイリングの特徴といってもいい華やかな色彩を封じ込めたモノトーンで作り上げた、彼女の新たな挑戦というべき意欲作です。白だけで作られた小さなパーツが集まった紙工芸は圧巻です。2㎜〜6㎜の細長い紙をクルクル巻いて行くのですが、9作品でなんと3200枚使ったというのです。3200枚なんて、やったことのない者には実感はないのですが、でもスゴくない??来る日も来る日も白い紙をクルクル・・・・。気が遠くなります。この作品群は6㎜の紙(つまり幅が広め)を使っているので、陰影が深く美しいシルエットが出ています。

そして山中さんは、来年の作品展に向けてもう始動しています。期待を込めて、ペーパークイリングが立体作品に展開していったり、あるいは風に揺れるモビールのようにか額から抜け出て新しい形に進化していかないかな、とか思っています。

ペーパークイリングの教室もされているので、興味のある方はお問い合わせください。初心者〜中級者向けのクイリングキット(1000円〜)や、道具も販売しています。(女房)

「山中さおり ペーパークイリング作品展」は12月2日(水)〜13日(日)13:00〜19:00 月火曜日定休。

 

堀内誠一。1932年東京生まれ、伊勢丹宣伝部入社後、「平凡パンチ」等のファッションページの監修を務め、「アンアン」創刊時のアートデイレクターを担当した後、絵本作家へと表現の場を移します。87年に54歳の若さで亡くなりました。彼が残した28人のクラシック界の作曲家の肖像画とエッセイに、谷川が32編の詩(書き下ろしも含みます)を組み合わせた「音楽の肖像」(小学館/古書2300円)は、とても素敵な本です、

この二人は「マザーグースの歌」でもコンビを組んでいて、名コンビの再来となりました。

「法学にいや気がさして音楽家を志したシューマンが、終日、同志と新しい音楽を論じ合った「コーヒーの木』と呼ばれるカフェ」で、シューマンが音楽談義にふけっているイラストが書かれていて、谷川が「音楽」というタイトルの詩を付けています。

「穏やかに頷いて アンダンテが終わる 二つの和音はつかの間の訪問者 意味の届かない遠方から来て またそこへ帰って行く 幻のように細い糸の端で 蜘蛛が風に揺れている それを見つめているうちに フィナーレが始まる 最後の静けさを先取りして 考えていたことすべてが 時の洞穴に吸いこまれ 人はなすすべもなく生きている せせらぎのような清らかさに今 世界を愛して」

「せせらぎのような清らかさに今 世界を愛して」とは、詩人でしか表現できない言葉ですね。

あぁ、いい言葉だなぁ〜と感心したのが、「音楽 それは裏切ることのできぬもので あらゆる星の法則を含んでいる

それは火星人を 人間に変えることすら可能だというのに」

これ、ベートーベンの所に書いてあるのです。お〜「第九」は火星人を人間に変える力を持っているのか!疾風怒濤の壮大なシンフォニーなら、さもありなんと納得しました。