旧知のHさんとSさんが営むお店が大阪北浜にあります。

「テンダーハーツ」というその店は、きわめて個性的な額を作っていて、また、アンティーク硝子などを使ったオリジナルのアクセサリーもたくさん並べています。

 

この辺りは、古いビル群がある独特の洒落た雰囲気の街で、彼女たちは、持ち前のセンスの良さで色々なイベントを企画して、街全体を盛り上げているみたいです。先日のお店のハロウィーンパーティーも、小さな店内に沢山の人があふれていたとか。

 

もう20年以上前、心斎橋の画廊で、「大人の文化祭」的な催しがあり、そこでお二人とであいました。私は、デザイナーのキタオカさんと二人組で「ピンクゴリラ」という名前で小さな額絵をだしていました。その後、テンダーハーツさん主催の神戸の展覧会に何度か参加者させてもらっていましたが、阪神大震災以後、あまりお会いする機会がありませんでした。キタオカさんはその後もテンダーハーツさんのお店に作品を出していたので、お二人の様子をきいていたし、そのままお付き合いが続いているような気分ではありましたが。

 

今年9月、キタオカさんの版画展がレティシア書房であった折、お越しいただきました。それで、また、ご挨拶を兼ねてDMを持って伺った次第。

 

北浜のお店に行くと、「女の子」?してしまい、アクセサリーをつけたり、おしゃべりしたり、ついつい時間を忘れて、キケンです。

んで、案の定、大好きなイヤリングを二つも買ってしまいました。アクセサリー好きな者にはホントにキケンなお店です。一緒に行った友人も危険地帯に足を踏み入れてしまい、はまっていました。

でも、たまにはいいですよね。

こういう時間を持つのは、幾つになっても楽しい!!

 

次回は、古いビルが飾り付けられるクリスマスあたりに、またお伺いして女子会したいと思っているところです。フフフ(^^)(女房)

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妻は交通事故で意識不明。二人の娘は、仕事一辺倒の父親に距離を置いている。どうしていいか分からない彼に告げられた、妻は浮気をしていて離婚するつもりだったという驚愕の事実。もう、かなりギリギリ状態のお父さん。舞台はハワイ。そして、聞こえて来るはハワイアンギターが奏でるホワ〜ン、ホワ〜ンした音楽。シビアであるのに、何故か滑稽です。映画「ファミリーツリー」のお話です。

これが、ニューヨークみたいな大都会が舞台なら、救いがたい展開ですが、なんせ舞台はハワイ。穏やかな気候と、心地よい風、多くの親戚、そして音楽が、人生の滑稽さを浮き出させて、笑える状況じゃないのに可笑しい。人生の真実ってこんなもんね、と言うところでしょうか。

ここで話は飛びます。ハワイの音楽と言えば、ハワイアンですが、伝統的な奏法によるギターサウンドは、人の気持ちを和ませます。このギター奏法で、日本人が見事なハワイの音楽を作りました。山内雄喜の「プレイズ・ザ・スラック・キー・ギター」というアルバムです。この風土、この紀行ならではの穏やかさが醸し出すサウンドは、エキサイティングでもないし、感動するものではありません。しかし、人を大地の根っこに導いて、優しく、どこまでも優しくしてくれます。人の邪魔をしない、けれど、人を安心させる絶妙の音楽ですね。

ここで、話は、さらに飛びます。ハワイと言えば、私にはアメリカのテレビドラマ「ハワイ・ファイブ・オー」です。確か大阪ガス提供の「刑事コジャック」の後番組でした。ラロ・シフリン(だと思う)のオープニングテーマ曲と映像がかっこ良い連続ドラマでした。この時代のアメリカドラマはどれも、オープニングのサウンド、映像とも、「お〜カッコいいぜ!!」と唸らせるものばかりでした。先の「刑事コジャック」、「スパイ大作戦」等々、これらの番組のおかげで、映画のオープニングフェチになってしまいました。今だにタイトルバックの出方が一番ドキドキします。

映画のオープニングと言えば、デザイナー、ソールバスが手がけた作品は圧巻でした。躍動感が隅々にまで溢れていました。「ウェストサイド物語」のオープニングと言えば、あ〜あれか!と思い出されることと思います。店に一点だけ作品集がありますので、その素晴らしさを見て下さい。この人の映画ポスターは、どれも見事です。

 

そして、話はさらに飛びます。映画ポスターですが、今京都国立近代美術館で「日本の映画ポスター藝術」と題した展示会が行われています。これは、お薦めです。戦前のものから、和田誠や横尾忠則の手がけた作品まで並んでいます。映画を知らなくても、けっこう楽しめます。写真は、漫画家の上村一夫が手がけた「シェルブールの雨傘」です。なんか、日本的な情緒綿々たるポスターです。メイン展示の山口華楊の素晴らしさを堪能した後4階に上がるのをお忘れなきように。

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1954年生まれ海外文学の翻訳家で、ポール・オースター、エドワード・ゴーリー等の翻訳で有名。本人曰く、運動神経ゼロ、方向感覚ゼロ、虫歯ゼロ。趣味入浴という、柴田元幸の「翻訳本」でない本が面白い。

「愛の見切り発車」(新潮社/初版)の扉にこうあります。

最先端の海外文学を全部読んだ気になれるエッセイ集

「全部」と書いてあるところが、自信の現れです。第一部は「マリクレール」に連載されたエッセイ、第二部は「エスクワイア」で連載された、作家インタビュー集、そして第三部は「時事英語研究」に連載された文芸評論と盛りだくさんです。片っ端からペーパーバックを読み漁っていた、自称落ちこぼれアメリカ文学者の美辞麗句に流れない文章が、海外文学なんて読まない!という方にも、確かに、その面白さの一編をわからせてくれます。ちょっと、おとぼけな言い回しも楽しいです。例えば「頭暖まる童話」の書き出しはこうです。

「心温まる」童話はどうも乗れない。だけどこの「ライロニア国物語」は大丈夫。これはいってみれば「頭暖まる」童話である。

「頭暖まる」童話って何だ?と読んでしまいます。或は、「青春のバイブル」的な「ライ麦畑でつかまえて」では、「ライ麦畑」についての論文は、本質的にこの小説にそぐわないと言う。何故なら。論文は正論を要求する。そしてこう続ける。

正論を堂々と言い切ってしまうことは、「ライ麦畑」の主人公を苛む自己懐疑ーそしてそれこそがこの小説の魅力の中心なのだーに似つかわしくないのである。

確かにそうですね、あの主人公のどっちつかずの精神構造に、これが正しいと言っても意味ないことです。

最近、お客様からの推薦で柴田元幸と高橋源一郎の「小説の読み方、書き方、訳し方」を入手しました。この本で一番面白いのは第四章「小説の読み方」で、お二人が海外に紹介したい本をそれぞれ30冊づつ上げて。それを元に日本文学を考える部分です。う〜ン、頭脳明晰な二人が、ノウミソを高速回転させながら丁々発止するのは、読んでいて気持ちいいものです。蛇足ですが、「タカハシ」さんって小説はあまり面白くないのに、こういう文芸評論、エッセイになると拍手喝采の文章ばかりなのは、何故なんでしょうね?

柴田元幸の本は、それ以外の「つまみぐい文学食堂」(角川書店/初版)、「生半可な學者」(白水社Uブックス/初版)もあります。

ところで、私がこの翻訳家に興味を持ったのは、マイベストロック10として、大共感できる10曲を見た時ですが、その中にバーズの「マイ・バック・ページ」があったことです。川本三郎の同名タイトルの本にもなっている名曲です。苦さと甘さのブレンドが絶妙な一曲は、私にとっての若き日のアメリカへの憧れを思い出させます

白か黒かしかこの世にはないと思っていたよ

誰よりも早くいい席で いい景色がみたかったんだ

僕を好きだと言ってくれた 女たちもどこかへ消えた

あのころの僕より今の方がずっと若いさ

自尊心のため無駄な議論を繰り返してきたよ

英雄気取りで多数派の弱さを肯定もしてきたし

僕を素晴らしいと言ってくれた 男達も次の獲物へ飛びついた

あのころの僕より今の方がずっと若いさ

これは、真心ブラザーズが歌っている日本語解釈版ですが、オリジナルより良く理解できます。

 

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DVDに新入荷です。加藤泰監督、藤純子主演「緋牡丹博徒 お竜参上」、そして深作欣二監督、菅原文太主演「県警対組織暴力」という我が青春時代の清い?思い出を作った傑作二本です。

「まぁ、やくざ映画、お下品」「なにが下品じゃ、われぇ〜」となりそうですが、しばらくお付き合い下さい。

かつて三島由紀夫をして「まるでギリシャ悲劇」だと言わしめた、やくざ映画「総長賭博」。お能や歌舞伎なんかと一緒にすると顰蹙ものですが。古典芸能の持っている様式美を見事に継承しているのが東映任侠映画でした。とりわけ、低いカメラポジションから登場人物を見上げて、その情念を描くことに手腕を発揮した加藤泰が、藤純子の有り余る魅力を見せた作品が「緋牡丹博徒 お竜参上」でした。「折目正しい」とはどういう所作か学ぶには最適です。

ところで、その三島由紀夫ですが、椎根和著「平凡パンチの三島由紀夫」(新潮社)という面白いノンフィクションがあります。「平凡パンチ」編集者だった著者が三島の割割腹自殺までの三年間、担当者として見続けた三島の変貌を描いています。三島の、あの読みにくい(私には)文章読んでるよりも、何倍も面白く、キムタクなみのアイドルだった三島がスーパースターへと変身してゆく様は読み応え十分です。

もう一本「県警対組織暴力」は、実録やくざ映画の傑作ですが、今は亡き川谷拓三が、取り調べ室ですっ裸にされて蹴られるシーンでの彼の役者根性と、商業映画で天皇制を批判した希有な作品であったことが忘れられません。深作の本としては、キネマ旬報社の臨時増刊号「深作欣二の軌跡」という資料的価値十分の本を在庫しています。

で、このままでは「お下品な店」で終わってしまいそうなので、入荷した高品質な作品もご紹介。それは小津安二郎「浮草」です。先代の中村鴈治郎、京マチ子、そして若尾文子という映画黄金時代のスターがズラリの文芸ものです。旅芸人一座の哀愁をお見事、というぐらい美しく演出した映画です(このDVDはリマスターしたもので、おそろしく画像が奇麗です)。日本の色とはこんなに美しいと再認識する映画でもあります。小津といえば、「秋日和」「彼岸花」ですが、その原作者里見弴の文章も一級です。「秋日和」にこんな一文があります、

この一年の早かったこと、もう祥月命日が廻って来た。今日も穏やかな秋日和。

もう、小津の映画のテーマですね。人は死に、季節は巡り、何事もなかったように時間は進む。

この「秋日和 彼岸花」という本では、亡くなった父の晩年を回想する息子の独白「自惚鏡」が好きです。全10編の短編が収められています。晩秋〜冬にかけて最適なので、喧しいクリスマスベルを避けて、お一人で静かにお楽しみください。

 

 

 

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ビートルズのポールが、昔の曲、例えば「ペーパームーン」とかのカバー集を出したということを耳にした時、初老になってジャズでもという安易なアルバム出しやがって、と大バカにしていました。ごめんなさい、ポール様(最近、よく謝ってます)

「春の如く」という有名な曲がジャズにあります。そのタイトル通り、清々しい気分にさせてくれる曲です。ポールのアルバムはまさにそうでした。恐らく、彼自身が幼少の時に耳に馴染んだ曲ばかりを集めたのだと思いますが、下手にジャズスタンダードに手を出さず(楽器編成や、アレンジはジャズですが)、歌うことの楽しさを発散させたアルバムです。ジャズなんか知らなくても、ましてやこれらの曲のルーツ知らなくても、きっと200%楽しめます。ブルーな朝一番に、部屋の掃除に、料理のお供に最適!日本なら布施明が、こんなアルバム出したら、軽妙洒脱な音楽を聴かせてくれるにちがいありません。

オトナな音楽は、ブログでも紹介したコステロのアルバム同様に、心に溜まったイヤな気分を、そっと掃きだしてくれるものなのでしょう。そして、そんなサウンドは、そのミュージシャンが多くのことを経験していても、どっか飄々としいているところから生まれるものです。

さて、この素敵なアルバムに似合う本は、森まゆみの「寺暮し」でしょう。タイトル通り、お寺の中に住み、そこから見える四季の移ろいを文章にしたエッセイです。森まゆみさんは、かっちりした文章を書く人ですが、この本ではさらに磨きがかかっています。例えば「夏の朝」というエッセイで、お寺で行われたお葬式を見て、こう書いています。

私は一生かかってすこしずつ、そして山のように積もった怨念を、葬式という儀式が洗い流して行くのを窓から眺めていた。夏空は高く、場違いな蝉がじいじいと鳴き出した。

25編のエッセイが載っていますが、どのタイトルもいいです。例えば「秋の名残りの蚊」、「後家のがんばり屋根直し」、「日なたぼっこの楽しみ」、「焼き鳥は塩」、「引き戸の音、雨の音」。私は、その日の気分で、タイトルを選んで読みました。そして、どのエッセイでもポールのアルバムは、心地よい風を運んでくれます。何故か、他の音楽では風が起こらないのが不思議です。二点一緒にお買い上げはいかがでしょう?といささか営業トークになりましたが、お薦めの本とCDです。

 

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手に乗る程の小さな羊毛から、こんな大きな作品に仕上げるまでに、何を思いながら手を動かしていくのだろう。

最初の縮絨から始まる遠い旅。想像してもわからない。

一つ一つ手の先から生まれていくものたち。

増殖し、ちぎれ、またくっつきながら、まだまだ先の見えないどこかへ向かって作られて行く。

 

ギャラリーの壁に貼り付いたフェルト作品を見ていると、勝田さんにとって、生きることと、作ることが同じなのだ、思いました。

2011年、出産を経験し、しばらくは製作をするのも難しいと思っていたらしいのですが、今年3月「羊パレット」の出展が縁で、お母さんになって初めての個展会場に、小さな本屋を選んでくれました。

初日「羊パレット」の主催者スピンハウスのポンタさんが来て下さり、「スゴックいいよ!!迷いがなくなった感じがする。」と勝田さんに話しておられました。

新しい出発になるかもしれない場に立ち会えて、幸せです。小さなギャラリースペースではありますが、ここで毎日作品を眺めていると、力をもらえるのです。明日につながる力とでもいえばいいでしょうか。

 

どうぞ、素敵なフェルトに会いにきてください。力が湧きますよ、きっと。(女房)

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先日、東野圭吾原作の映画「麒麟の翼」を観ました。TV「新参者」の劇場版で、まぁTVの2時間版的の出来上がり(映画的興奮のない)でしたが、一つ驚きました。さすがベストセラー作家、東野圭吾先生です!

東京日本橋の麒麟の像。(写真参考)この像から、まぁこんな長いお話を作るなんて、作家の想像力とそれを文章に置き換える才能って凄いですね。しかも、次から次へと作品を発表してゆくなんて。

麒麟の像の下で死んだ男。しかも、殺害現場から遠く離れたこの像まで、なんで歩いて来たのかという謎を巡って、企業の労災隠しやら、中学校のいじめやら、話がどんどんと大きくなり、読者を巻き込んで行くというサスペンス小説を読む楽しみの醍醐味でしょう。

よく交通整理された脚本ではありますが、でも平板だったのは何故でしょう。サスペンス、あるいは活劇の脚本で、最も大事なのは「単純にして手を盛り込む」ことだ、と看破したのは小林信彦でした。筑摩文庫「映画を夢みて」(絶版/初版700円)の中の「活劇の発想」に詳しく書かれています。小林は、この実例としてハリウッドの”全うな”アクション映画「ナバロンの要塞」(61)を取り上げ、細かく分析しています。そして、こう言います。

「一難去ってまた一難、ヤマまたヤマという連続活劇のど根性を中心に据え、これにイギリス人好みのスパイ・スリラー趣味がかなり混じっている」

「イギリス人好みのスパイ・スリラー趣味」という点では、「ナバロンの要塞」の原作者、アリステア・マクリーンが脚本を書いた”全うな”アクション映画「荒鷲の要塞」(68)も然り。二転三転するストーリー。誰が裏切り者?のサスペンス。主演はリチャード・バートン。なんで、このシェイクスピア役者が戦争活劇に?と思っていたら、おぉ〜、舞台の台詞よろしくドイツ軍を前に大嘘を話し出す。成る程ね、この台詞を話すには、舞台で鍛えた台詞回しが必要だったんだと納得。

連続活劇のくせに、徹底的にキャラクターを掘り下げたシナリオで、しかも出演者がお見事!と言うぐらいに脚本が役者の中で肉体化している”全うな”「特攻大作戦」(67)。極悪非道の犯罪人達に、特殊任務に成功したら無罪にすると言われて、ノルマンディー上陸作戦直前に前線に送り込まれる,とんでもないならず者映画ですが、画面から目が離せない映画です。

蛇足ながら、この作品で、反権力的兵士を演じているのは、のちのアメリカインディーズ映画界の大御所監督ジョン・カサベテス。昨今監督作品もリバイバルされ、ファンも増えてますが、そちらには必見です。(レンタル屋にあります)

で、話を戻します。昨今この”全うな”活劇が観られなくなりました。映画もTVもダメですね。お店に来られたお客様が、あるハリウッド大作を観に行って、20分で退場したとおっしゃておられましたが。そんなものです。では「アバター」は「全うな活劇」って?

まさか。あれは、根性のすわっていないダメな活劇です。みんな、根性を鍛え直した方がいいと思います。

 

今月の「はちはち」パンの販売は16日(金)、30(金)。どちらも午後4時ごろからの限定販売です。この時間に来られなくて、閉店までにお越しいただける方は、店までご予約のお電話をお願いいたします

 

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レティシア書房の人気作家御三家の一人は須賀敦子です。須賀敦子と言えば、長い間住んでおられたイタリアは切り離せません。あちらで書店をされていたぐらいですから。そのイタリアと彼女との深い関係を追っかけたのが大竹昭子です。

1950年生まれの写真家であり、小説家の大竹昭子は「須賀敦子のミラノ」、「須賀敦子のヴェネツィア」、そして「須賀敦子のローマ」の三冊の本を出しました。写真家ですから、各都市の切り取り方はどれも見事です。そして、その写真には須賀の本の文章が抜粋されています。ミラノ、ドゥオモ周辺の夕暮れ時の写真には、須賀が翻訳したウンベルト・サバの「三つの都市ーミラノ」からこんな文章が引用されています。

石と霧のあいだで、ぼくは/休暇を楽しむ。大聖堂の/広場に来てほっとする。/かわりに/夜ごと、ことばに灯がともる。

生きることほど、/人生の疲れを癒してくれるものは、ない。

須賀の愛したミラノ、ヴェネツィア、ローマの街をくまなく歩き回り、人々の顔を、威厳ある古い建物を、血管の如く隅々までに行き渡っている運河をファインダーに捉えながら、彼女は「須賀敦子」という実像を追っかける。そして、こう言い切る

自分が「淋しい生き方」をすることをあるときから自覚し、人生のひとつひとつの過程をおろそかにせず、ていねいに生きてきた。絶望のときにも、その先にかならず光があることを生き方をとおして体験的に学んできた。須賀敦子の文学はこのような生き方と切り離して考えることはできないだろう。作品は「虚構」だが、彼女の生き方は「虚構」ではないのだ。

大竹と須賀が個人的に知り合いであったかどうかはさておき、「須賀敦子」的なるもの(これは、小説、エッセイを読んでいただくしかない)を自分の生き方の指針と定め、彼女を追いかけ、彼女を反芻し、自分に返すという長く、そして楽しい知的な旅の結果すべてがこの三冊には表れています。

大竹は99年に、それまで雑誌に発表した短編に、写真を加えた短編集「図鑑少年」を出版しました。その中の一編「穴池」の最後はこんな文書で終わります。

光がともると池の表面が持ち上がり、消えるとすっと沈む。光の点滅にあわせて水面が上がったり下がったりを繰り返した。まるで池が呼吸しているようだった。私は目を細めて光を追った。細めれば細めるほど、光の粒は鮮やかになっていった。

この光の粒は、須賀敦子だっだのかもしれませんね。

注1須賀敦子と大竹昭子の作品は一つにして棚にありますが、文藝の所にはありません。ゆっくりお探しください。

注2もう一点「須賀敦子のトリエステと記憶の町」という同じような本がありますが、こちらは文、写真とも岡本太郎です。

 

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小さなコーナーですが、「木と森の本」のコーナーのことは、以前紹介しました。このコーナーに1冊、新しい仲間が増えました。

それはリチャード・プローネンク著「独りだけのウィルダーネス」(東京創元社)。

1967年春、彼はこう言って、アラスカの森に入って行きます。

「あの山脈の向こうの森がずっと私を呼び続けていたんだが、そろそろその声に答えてやるべきかなと考えてね、まだ自分に力が残っているうちに」

全く人間の手が入っていない奥地で、小屋を建て、自給自足の生活を始めます。その生活を綴った膨大な日記から、抜粋して一冊の本にしたのが、これです。大自然の中を独り行く様が、淡々と描かれていきます。

12月31日 晴れ、静寂。零下34度。

1月2日 零下45度。あたりは死の世界と化した。

4月30日 摂氏1度。またしてもクマの一家を見かけた。雪と氷に閉ざされた季節は、もう余命幾ばくもない。

という風に、彼が日々、見て、聴いて、感じた事が綴られていきます。文章と共に、彼が撮影した多くの写真が添えられていて、文章により親近感が持てます。お辞儀しているようなホッキョクジリスや、えらそうに闊歩しているカナダライチョウの写真なんか微笑ましいものですよ。

彼は本の中で、耳にタコが出来る程、聴いたことのあるような車社会批判や、文明批評の言葉を書き連ねます。しかし、この本が出版されたのは1988年。もう20数年前です。その時に、すでに彼はこの文明の行く末に危惧を抱いていた、という事です。

ところで、一仕事終わった後、彼はどんな音楽を聴いていたんでしょう。ジャズやブルース、あるいはクラシックは似合いません。きっと、私の好きなエイモス・ギャレット(講演会をしていただいた安藤誠さんの「ヒッコリーウィンド」に泊まって、釣を楽しんいたギタリストです)の「アコースティックアルバム」みたいな木の香りが漂ってくるようなサウンドを聴きながら、一時、微睡んでいたかもしれませんね。

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可愛さだけでフェルト作品を想像すると、大火傷しますよ、この展示会は。

本日より、勝田真由「フェルト造形展」が始まりました。写真をご覧くだされば、わかりますが、もうストレート、直球勝負のフェルト展です。アメーバか、異星人か、まるで今にも動き出しそうです。目の前に立っていると、ガブリとやられそうな迫力です。フェルト作品=可愛いなんて思い込みは、一瞬にして吹っ飛びます。もちろん、小物のブローチには、可愛いものもありますが、「凄い」というのが、最初に来られた方の感想です。フリージャズや、ノイズ系のアバンギャルドロックをガンガンかけたい気分です。

初めて「エイリアン」のギーガーの原画を観た時のような驚きがここにはあります。18日まで展示、販売していますのでぜひお立ち寄りください。ブローチは1000円から、トレーは1800円から販売しています。もちろん大きな作品も販売します。お部屋に飾って、日々成長してゆくフェルトを眺めるというのは?最初ちょっと距離をおきそうですが、何故かこれに巻かれて眠りたいという欲望が出て来るところが不思議ですね。

フェルト展開始に伴い、絵本の棚が、ギャラリーサイドの平台に移動しました。チェコ絵本も同時に移動しました。人気の「ダーシェンカ」シリーズも2冊ございます。お早めににどうぞ。チェコ絵本の内容は近々詳細をアップいたしますが、内容をお知りになりたい方は、お気軽にお電話、メール下さい。

 

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