ヘンリー・ディヴィッド・ソローの著作を、これだけ置いている古本屋はないだろうと勝手に思っています

彼の著作だけでなく「ソローの森から雨の屋久島へ 自然の歩き方50」や「釧路湿原の長谷川光二 日本のソロー」といった周辺の本まで揃えています。

ウォールデン湖畔の森の中に丸太小屋を建て、2年間の自給自足生活を送った記録をまとめた「ウォールデン森の生活」(1854年)は、彼の代表作であり、その後多くの作家に影響を与え、エコロジカルな生活が見直されている今、多くの方に読まれています。「新装版森の生活」(宝島社/絶版1900円)ではイラストも多用されているので、こちらの版もお薦めです。

ソロー自身は44歳という若さでこの世を去りましたが、死後「メインの森」、「コッド岬」(工作舎/絶版2350円)など人間と自然との関係をテーマにしたものが多く出版されています。ただどの本も大著です。彼を知ってみたいという方にお薦めなのが、「ソロー語録」(文集社1500円)です。

この本はテーマ別に彼の言葉がズラリと並んでいます。

「人間がいまだ空を飛ぶことができず、大地のようには空を荒らしていないことに感謝しよう。」とは自然について語られた「日記」(1861年)です。

森を歩き回った彼は「歩く」ということについて、「人によってそれぞれ歩むペースが違うのは、みんな違った太鼓のリズムを聞いているからだ。自分の耳に響く行進のリズムに合わせて歩もう。それがどんな拍子であっても、どんなに遠くとも」

アメリカの奴隷制度に反対し、税の支払いを拒否し、投獄された経験があり、「人が集団からこうやれとか、ああやれとか強いられるなんて聞いたことがない。いったいどんな人生を生きろというのか」と憤ります。

また労働について「勤勉なだけでは十分とはいえない。そんなことはアリだってやっている。問題は、何について勤勉であるかだ」と蘊蓄のある言葉を残しています。

環境保護運動の先駆者として、貨幣経済に依存しない生き方を模索した人物として、あるいは国のあるべき姿を見つめ続けた一人の市民として、様々な魅力を持つソローの本は熟読に値するものばかりです。

私が魅了されたのは「森の生活」に登場するこの言葉からです。

「シンプルに、シンプルに、生きよう。すべきことは百や千ではなく、二つか三つでいいのだ。」

 

 

 

 

瀬戸内寂聴に歌唱力、そして文才を高く評価されたジャズシンガー安田南は、70年代を彗星の如く駆け抜け、亡くなった日時、死因が全く明かされませんでした。彼女の3枚目のアルバム「Some Feeling」が再発されました。

 

時計の針を少し戻します。私の大学時代、授業をさぼって、学校の側にあった当時は”おしゃれ”なジャズ喫茶で、煙草プカプカしながらジャズを聴いていた時のこと。突然流れたフォービートの「赤とんぼ」。なんだ!これ?!と仰天したのが安田南との出会いでした。

彼女は、歌手としてだけでなく、自由劇場、黒テントなどの舞台出演、エッセイの執筆など、多彩な活動をしていました。片岡義男とのコンビで放送されていたFM番組「気まぐれ飛行船」のパーソナリティを楽しみにしておられた方も多いはず。

今回再発売されたアルバムも異色です。全曲かきおろしの日本語歌詞のアルバムです。いわゆるスタンダードナンバーなど全くありません。だから、オーソドックスなジャズではなく、歌謡曲風であったり、ブルースぽかったり、あるいはオールドソング風だったりと意欲的でしたが、当時全く売れませんでした。今、聞き直すとジャンルなんぞ軽く吹っ飛ばして、自由奔放に男と女の世界を歌った作品であることがよくわかります。6曲目「舟歌」なんて、八代亜紀が歌ったら素敵な演歌になる傑作です。

昨今のスマートで上品なジャズジンガーに比べると、ごつごつした日本語が耳に当たって、読書のお邪魔になるかもしれませんが、暫く本を閉じて、クールな感性に満ちた彼女の声に耳を傾けて欲しいものです。(2000円)

蛇足ながら、70年代人気だったTVドラマ「鬼刑事アイアンサイド」の日本語版を歌っていたのは彼女です。

もう一つご紹介します。コシミハルの「Moonray」(2800円)です。武満徹に天才だと言わしめたシンガー&ソングライターです。このアルバムは、ずばり古き良き時代へのノスタルジーです。「ケ・セラ・セラ」、「ス・ワンダフル」、「ラ・メール」等13曲。情緒過多になることもなく、適度なノスタルジーとスイング感で楽しませてくれる辺りが、このシンガーの持ち味でしょう。ちょっと古めの映画に出てくるオシャレな男女が集う、カフェの片隅にあるジュークボックスから聴こえてくるサウンドを楽しむようなアルバムですね。ジャケも、昔のシングル盤仕様のダブルジャケットの、コケティッシュな彼女の写真で、アルバム全体の雰囲気を掴まえていて秀逸です。 [

 

Sorry…….安田南は売り切れました

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東京音楽大学作曲科出身の小説家、湯本 香樹実に注目しています。

92年発表の処女作「夏の庭」は、三人の少年が老人との出会いを通して「死」を知る小説で、後に相米慎二監督で映画化され、三国連太郎が老人を演じていました。

2008年には、絵本作家酒井駒子とコラボで「くまとやまねこ」(河出書房新社1050)という、これまた親友を失くした主人公の喪失から再生を見事に描いた傑作を発表(これは、読む度に泣けます)しました。その2年後の作品が「岸辺の旅』(文藝春秋500円)です。

これもまた死が、大きく関わってくる作品です。三年間失踪中だった夫が帰ってきますが、夫は海の中で蟹に食べられて死んだと告白します。そして、妻に自分が生前見た素敵な世界を見せたいと一緒に旅に出ます。その道中を描いた不思議な小説です。実は私は小説よりも先に映画を見ていました。夫を浅野忠信、妻を深津絵里、夫のかつての女性を蒼井優というキャスティングで、監督は黒澤清。こちらの世界とあちらの世界を行きつ戻りつしながら、二人の愛を確かめてゆく展開で、夫がふっと消えて、彼岸に帰ってゆくラストは忘れられません。

いつか原作を読もうと思っていたのですが、今回一気に読み上げました。

「死者は断絶している、生者が断絶しているように。死者は繋がっている、生者と。生者が死者と繋がっているように」

ふと帰って来た夫は、妻を、夫がかつて親しくしていた場所や人のもとへ彼女を連れてゆきます。なんのために……。「もっときれいなところがあるんだ」と妻を急かす夫に対して、「家に帰ろうよ。一緒に帰ろうよ」と妻はすがります。当然です。でも、この二人の旅にもやがて終りがやってきます。小説では、夫がふらりと戻ってきた事情は一切説明していません。いや、そんなことはどうでもいいのです。永久に失われたものへ手を差し伸べる女と、彼岸から戻って、女と共に生きた証しを辿りたかった男の思いを感じさえすれば。

この本を読み終えて、再び「くまとやまねこ」を読みました。親友だった小鳥に先立たれたくまは、出会った山猫に悲しみを癒されていきます。このやまねこ、ひょっとしたら死んだ鳥だったのでは…….?あまりの悲しみに打ち拉がれるくまの元に戻ってきて、二人で生き直すとも読み取れます。

「岸辺の旅」のラスト、夫は寂しい海辺で、あちら側へ旅立ちます。「海に挟まれた細い、今にも沈んでしまいそうな道を、私はふたりぶんの荷物を持って歩きはじめた。」という文章で終わります。このエンディングは「ふたりぶんの人生を生き始めた」ということかもしれません。そうあって欲しいものです。

フェルト作家鈴木オリエさんの「物語のかけら展」本日より始まりました。

2012年春、京都で開催された「ヒツジパレット」(羊毛を主軸とした作品の公募展)の会場で、鈴木さんの作品に出会いました。フェルトのカラフルなモザイク模様の小さなウサギ。緻密でありながら、ふっと肩の力の抜けたユーモラスな造形に心魅かれたのを覚えています。ちょうどレティシア書房開店のときでもありました。

2015年「第2回ヒツジパレット」に出品中の鈴木さんが、当店に立ち寄ってくださいました。このチャンスを逃してはならないと個展をお願いしたところ、店長の選書とコラボしましょう、という提案を頂きました。何度か本の選書に関するメールのやり取りをして、本を送って1年。さてさて、どんな作品が出来上がってきたのか楽しみでしたが、昨日荷解きをした瞬間から、多くの物語が飛び出しました。お送りした様々なジャンルの本の中から、鈴木さんがイメージをふくらませて作品にするという、本屋とフェルト作家の思いがひとつになった、嬉しい展示になりました。

池澤夏樹、星野道夫、宮沢賢治、長野まゆみ、小川未明、岸田今日子等々の作家の作品から、こんなに楽しい作品が出来上がってくるのかと驚かされました。池澤夏樹の「熊になった少年」に発想を得た大きな熊の顔は、熊になろうとした少年の真っ直ぐな目が、優しくじっと前をみつめています。独特の色使いが、幻想的で、民話から生まれたこの物語の世界にさそってくれます。

一方、宮沢賢治「雪渡り」に登場するスキップるんるんの白狐、そして「銀河鉄道の夜」の本を手にして、得意顔の猫たち。或は、星野道夫の世界から飛び出して来たカヌーに乗ったイヌイットと犬。「ネコナ・デール船長」の絵本から、物語を身に纏ったような、やさしい佇まいの男(写真左上)が、そして、船長の相棒の猫「くつした」も、海を連想させる色をした猫になり、すっくと立った姿が魅力的です。(写真下・右側)

鈴木さんのフェルトは、カラフルだけれど、温かくて落ち着いていて、本当に美しい。アクリル絵具と色鉛筆で描かれた幻想的な絵が2点あるのですが、これがまた、本屋にずっと掛けておきたいような素敵な絵なのです。ここから、さらに洗練されて、高い技の力で、独特の可愛さと力強さを持った立体になっていくのですね。

クリスマスも近いということで、ブローチ(各6500円)など小物もたくさん作って頂きました。(左写真)

フェルトを知っている方も、見た事のない方も、本屋の扉を開けてお入り下さい。ホントに楽しい鈴木ワールドです!(女房)

 

鈴木オリエ「物語のかけらたち」展は12月11日(日)まで

12時〜20時 (最終日は18時)月曜日定休

なお、12月3日(土)〜18日(日)静岡県賀茂郡松崎町「侘助」にて鈴木オリエさん・くぼやまさとるさん・中泉秀美さんの3人展「師走道楽」が開かれます。ワークショップもあるようです。お近くの方はこちらもどうぞ。

1933年生まれのドイツ文学者、評論家の種村季弘は、古今東西の異端文化や芸術に関する広汎な知識を駆使して、内外の幻想小説や美術、映画、演劇に関する多彩な評論を展開してきました。85年に発表された「一角獣物語」(大和書房/初版1400円)はこの幻獣の歴史を美術、文学を中心に解きほぐそうとする意欲作で、図版も多く収録されていて、熱心に読みました。

が、どうも文体の合わない作家が存在して、私の場合、田中小実昌、吉行淳之介、そして種村あたりになってしまいます。それ故おのずと、距離が出来ていました。

ところが、ある時手に取った種村のエッセイ「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房1000円/絶版)は、心の中にすっと入ってきて、今でもパラパラ捲っては読んでいます。この本を手放せなくなったのは、「西日のある夏」の最後の文章からでした。

「西日のさす時間は、いわば汚れながら浄らかな光をはらんでいる。その青いまでにすみれ色の光を浴びていると、世紀末の画家や詩人がなぜこの土地を愛したかも、そこからの連想でパリや京都のような何度となく没落を経験してきた都市がなぜ西日さす窓を好んできたかも、おのずと理解されてくる。盛りの夏は、西側の太陽の没落の相で見るなら、死と再生の季節なのである」

文中の「この場所」とは詩人リルケが滞在したブォルブスブェーデンという芸術村で、種村は75年に訪れています。静かな村に射す西日を見て、こういう風に思ったのでしょう。

これは、生前彼自身が選んだ最後のエッセイ集で、予断を許さない病状のもとで、編集されていきました。いわば彼の「白鳥の歌」的な一冊です。どこかに死の予感が漂っているのかもしれません。

亡き山田風太郎をこう書いています。

「人生をぜんぶ余録、余生と見て、死ぬまでの一切を、とりわけ死を滑稽事として演じること。山田風太郎はすでにみごとにやり遂げた。われわれは今からでも遅くない」

そんな最後を種村も、彼なりにおくったのではないでしょうか。このエッセイに溢れる軽妙で、巧みな言葉使いの端々にその事を感じるのは私だけですかね…..?

 

第一次世界大戦の最中、フランスとの激烈な戦闘を続いている西部戦線に若きドイツ兵が送られます。戦場が珍しく静かだったある朝、青年の前に一羽の蝶が飛んできます。塹壕からその蝶々を掴もうと手を出す青年。しかし、その瞬間、敵狙撃兵の弾丸がポールの若い命を吹き消してしまいます。

1929年ドイツの作家レ・マルクが発表した小説「西部戦線異状なし」のラストです。翌年アメリカで、映画化されました。ラストシーンは小説そのままの描き方で、覚えておられる方も多いと思います。

この優れた反戦小説と同じ様なラストを持っているのが、長谷川四郎の「鶴」です。

彼は昭和17年に召集され、満州国で兵役に就きます。そして翌20年、ソビエト国境付近の監視哨に配属され、ここでの体験をもとに、「鶴」を書きました。この地で経験した恐怖、孤独、絶望は、そのまま小説の主人公の心奥深くに入り込んでいきます。いつどこから銃弾が飛んでくるかもわからない状況下で、望遠鏡で国境線を監視する毎日。そんなある日、主人公は望遠鏡のスコープに一羽の鶴を捉えます。

「時々首を垂れて、餌をあさっており生きていることがわかった。それは非常に静かで、純潔で美しかった」

国境と関係なく生きている鶴は、自由の象徴だったかもしれません。しかし、上官の命令で望遠鏡を取りに監視哨に戻った時、ふと主人公は鶴のいた方に望遠鏡を向けます。

「日は明るく、哨舎の中は静かで、破れた天窓からは朝日が射し込んでいた。」

「西部戦線異状なし」と同じく、静謐な時間。鶴はいませんでした。しかし、黒い影が動いたと思った瞬間、「一発の弾丸が窓から入って来たのである。」そして、

「それは望遠鏡の軸にぶつかって、反転して私の胸にあたり、体内にもぐり込んだ。血が傷口から吹き出て望遠鏡を濡らした」

戦場で無意味に命が奪われてゆく、その瞬間の見事な描写です。「鶴」「脱走兵」「張徳義」などを網羅した「鶴」(講談社文芸文庫700円/絶版)は、戦争文学の古典的名著とも言えます。

蛇足ですが、個人的に長谷川四郎の作品で、「ぼくの伯父さん」(青土社1971年)が気になっています。中身も全く知りませんが、ジャック・タチの映画と同タイトルであるところがひっかかっているのです。

 

 

滋賀県長浜市。ここに一見、フツ〜の店構えの「つる屋パン」というお店があちます。創業1951年、人気商品は「サラダパン」。そんなパン、どこにでもあるじゃん、と思ってしまいますが、ここのパンに「サラダ」は入っていません。千切りにされたたくあんをマヨネーズで和えて、パンの中に挟んであります。

今、この店を営んでいるのは、三代目の西村豊弘さん。東京の大学時代、あちらには自分の家でやっているようなパン屋がなかったことに気づき、卒業後店を引き継ぎました。そして、時代に合わせるのではなく、自分たちのライフスタイルに合わせながら、流行に踊ることなく、毎日パンを焼いておられます。

「変化の激しい時代だから、変わらないことが価値になる。お客さんが変化を求めているというよりも、それは常に成長を求めていく企業や店側の都合だったりするのだろう。」とは、この本「GOOD WORKS一生以上の仕事」(メアリーアンドディーン1782円)の著者、影山大祐さん。

マーケティングとか差別化とかという言葉に惑わされることなく、日々やってきたことが受け入られているという商売の原点が、ここにはあります。この本には、「つる屋パン」以外にも、若き跡継ぎたちが大勢登場します。山形県甲府市の「五味醤油」六代目、大阪市の昆布屋「こんぶ土居」の四代目、山形県南陽市の農業「清六ファーム」の八代目と、職種は様々ですが、それぞれに良いと思ったものを伝えようと日々努力している姿を読むことができます。

「まっとうに、普通に、適正なものを適正な価格でつくって、それで暮らしていけないのであれば、あきらめればいいと思って。これだけ長く続いている味噌って食文化の要だと思うんです。だから、ぼくが変に儲けようとして製法を変えるとか、そういうことはせずに、普通にやって、原料が高くなったら値上げし。それで続けていけないのであれば、もうそういう世の中なんだとなと思って、なんか割と気楽にやっているんですよ」とは「五味醤油」六代目です。

安ければいいという世の中ではなく、多種多様な価値観が溢れているべきですね。「GOODWORK」とは良いタイトルです。”Good Job”という言葉はよく聞きますが、これは、雇用関係にある者の上司が部下に言う言葉です。”GOODWORK”って言葉には、何物にも左右されないその人の仕事への思いと信念があるように感じます。日本語でいえば「生業」て言葉がしっくりくるように思います。

 

「まだどこにも紹介されたことのない日本全国のおもしろい本屋22店を現役の書店員22名が文章で案内」

と、帯に書かれた「まだまだ知らない夢の本屋ガイド」(朝日出版社1200円)という本。全国の本屋って、もう津々浦々まで紹介され尽くされているのではないかと思っていたので、「ほんまかいな?」と、読み始めましたが、「ほんま」にありました。

従来の書店紹介本では、おしゃれなセレクトショップや、オーナーの個性溢れるお店、或はイベントで、新しい顧客開拓にがんばっている店舗の紹介が主でした。しかし、この本に登場する本屋さんは、全く違います。

先ず、登場するのは「死者の選書」をする月蝕書店。ここは、亡くなった方のために本を揃えるという、故人が好きだった食べ物を供えるかわりに本をというサービスですが、故人の持っていた本を祭壇に飾るのではなく、亡くなられた方が、きっと読まれるだろうと思われる本を持っていくという珍しい提案です。

神戸にある書店も紹介されています。お店の名前は「GOKUCHU BOOKS」。えっ、「獄中ブックス?」。その通りなんです。つまり服役中の人から来た本の注文を受け、刑務所に配達するサービスを行っています。なんでこんなことを始めたのかについて、オーナーの北嶋さんは、徳島刑務所に服役中だった暴力団員の父親のもとに本を送り続けたことが原体験だと語っておられます。そして、父親と同じ組にいた方から、本の注文が入りそこから本格的に獄中にいる人に届ける業務が始まったとの事です。

出所した人が店に訪れて、(俗に言うお礼参りではありません)受け取った本のことについて語られたりすることもあるそうですが、最近出所した青年が、出版社を立ち上げました。刑務所の検閲にひっかからない受刑者向けの最高のエロ雑誌を発行するとか。頑張ってください!

読み続けると、驚くような本屋さんばかりなのですが、中でもウソみたいな話が、名古屋にあった「本屋の奥の秘密の本屋」です。メガ書店の地下1階の奥。什器に囲まれた壁面の奥にその扉はあります。しかも、この本屋の事を知っているのは、メガ書店の店長と数名のスタッフのみ。知らないスタッフには、その扉は開かずの扉としてしか認識されていません。そんな秘密の本屋にある本は、貴重な本ばかりだろうと推測しがちですが、なんとその大きな書店の中にある本からセレクトしたものが並んでいます。秘密のサロンめいた場所でゆっくりと本が読める場所らしいです。いちげんさんお断りの書店の極みのような場所ですね。

この本屋を取材された方が本の発売決定を連絡したところ、なんとその秘密の本屋は消えていました。

「メガ書店が入っていたビルの跡地には、建て替えと移転を知らせる看板が立っていたのだ……。」

その後、この書店がどうなったのかは誰も知らないというおとぎ話のような不思議な顛末です。

と言うように、従来の本屋訪問本の常識を覆してくれることは間違いありません。

 

 

 

 

「何かおかしな本ができてしまった、というのが編集を終えた今の感慨」

これは、池澤夏樹編集による日本文学全集の一冊「日本語のために」(河出書房新社)のあとがきです。

確かに「おかしな本」です。小説でもなく、評論でもなく、エッセイでもない。般若心経もあるし、マタイによる福音書もある。かと思えば、大日本憲法もあれば、終戦の詔書も読むことが出来る本なのです。

「日本文学の定義は日本語で書かれていることである。言語と文学の関係を明らかにするための実例と日本語論を幅広く集め、豊饒の由来を明らかにする。」というのが編集方針です。「幅広く集め」という主旨のもと、「古代の文体」「漢詩と漢文」「仏教の文体」「キリスト教の文体」「琉球語」「アイヌ語」「音韻と表記」「現代語の語彙と文体」「政治の言葉」「日本語の性格」というテーマで、日本語を論じていきます。このタイトルだけだと、まるで大学の国文科のゼミみたいですが、面白いです。「現代語の語彙と文体」で、「ハムレット」の有名な「死ぬべきか生きるべきか」で始まる台詞を坪内逍遥、木下順二、福田 恆存、小田島雄志、松岡和子、岡田利規の翻訳者別に列記してあり、時代と共に、こんなに言葉って変化するのかということが理解できます。 

熟読したのは、先の大戦で天皇が敗戦を国民に知らせた玉音放送の原稿「終戦の詔書」と、それを高橋源一郎が訳した翻訳版と、池澤夏樹が法律の文体を日常語の世界に戻した「日本国憲法」でした。

「朕深く世界の体勢ト帝国ノ現状トニ……」で始まりますが、大体何を語っているのか、殆どの国民は理解できなかった文章です。でも、高橋訳では、この中で天皇が、これ以上戦えば、日本の滅亡だけでなく、人類の文明の破壊にまで行き着くことへの危機感から、戦争の終結を決心したことが語れています。あんたが起こした戦争の、責任はどうすんね!という事実はさておき、この文章が戦後日本の基礎であったことがわかります。その事を踏まえて、「日本国憲法」を読むと、これ程理路整然とした、向かうべき人間の理想を語った文章はないことは明白です。

堅苦しいものばかりではありません。大野晋「文法なんか嫌いー役に立つか『日本語練習帳』」は、文章を書く時に大いに役立ちそうですし、精神科医、中井久夫「私の日本語雑記」は、会話で「あの〜、あの〜」と連発するのは何故?みたいな話から日本語の本質へ向かっていきます。日頃、無神経に使っている日本語をきちんと知るための一冊だと思います。

ただし、私が全く歯が立たない論もありました。もちろん、すっ飛ばしました..。 

★古本市のお知らせ

「さんにん古本市」11月26日(土)〜27(日)11:00−21:00 河原町丸太町カフェ「アイタルガボン」(075-255-0871)  参加されるのは「古本固有の鼻歌」「ポコモケ文庫」「古書ダンデライオン」の3店です。

 

ペドロ・アルモドバル監督「ジュリエッタ」を観ました。

1951年、スペインのラ・マンチャ生まれの監督は「オール・アバウト・マイ・マザー」「トーク・トゥ・ハー」(02)で日本でも映画ファンにはお馴染みです。「ジュリエッタ」は、若い時に家を出たまま戻ってこない娘と、母親の葛藤を見据えた映画なのですが、テーマよりもこの監督の色彩感覚に先ず圧倒されます。

ペドロ作品では「赤」色が重要です。この映画でも、のっけから赤いドレスで始まります。全編、赤、赤ですね。ダイニングキッチンに掛かる赤い時計は、極めて印象的です。といっても、饒舌すぎず、さりげに赤い色を画面に滑り込ませます。作品全体の美術に関して、これほどしっかりと描き込む人は少ないのではないでしょうか。美術監督、スタッフは大変です。

母親は若い時、ふとした事で知り合った漁師と恋に落ち、娘を授かりますが、その娘は成長して、突然家を出ます。そして、母はひとり残されます。母の若い日々と現在が、巧みな話術で語られていきます。そこから浮かび上がる喪失と再生が、ゆっくりと表現されているのですが、ラストシーンは、極めてヨーロッパ的です。ハリウッドならきっと、娘と母親が抱き合うか、哀しみの涙で終わるか、というよくあるパターンで、映画館を出たらもう終りなのですが、こちらはどこまでも心に残ります。

本好きには、素敵な小物が沢山登場します。この母親はかつて古典文学の先生で、中年になってからは校正の仕事をしています。だから、彼女が使っているペン、あるいは机上スタンドなど、デザインの良さには注目です、もちろん、書架に入っている豪華写真集、画集もチラッとしか出ませんが、見逃せません、坂本龍一の本もバッグの底にありました。

娘の友だちのダイニングに、写真家集団マグナムの本があったのですが、もしかしたら、店に置いている「MAGNUM MAGUNUM−コンパクトバージョン』(青幻舎4104円)のオリジナル版ではないでしょうか??

★古本市のお知らせ

「さんにん古本市」11月26日(土)〜27(日)11:00−21:00 河原町丸太町カフェ「アイタルガボン」(075-255-0871)

 参加されるのは「古本固有の鼻歌」「ポコモケ文庫」「古書ダンデライオン」の3店です。