本好きの方なら「本の雑誌」という月刊誌を読まれたことがあると思います。1976年、この雑誌を立ち上げたのが椎名誠、目黒考二、沢野ひとし、木村晋助です。その内の一人目黒考二が、書評家として四十年を迎えたことをきっかけに、過去を振り返ったのが「書評稼業四十年」(本の雑誌社/古書1300円)です。

目黒は、書評する本のジャンルによって複数のペンネームを使っていました。私小説の時は目黒考二、ミステリーなら北上次郎、競馬評論の時は藤代三郎を使用していました。本書は、推理小説や娯楽小説が熱かった時代に、その洗礼を受け読書遍歴を重ねたので、「北上次郎」で発表しています。

TVの書評番組で何度かお見かけしましたが、そのおとぼけぶりとマイペース感が気に入っていました。こんなことを言っています。

「若いころに『日本読書株式会社』というのを考えたことがある。本を読むだけで生活していけないものか、という夢想である。社員五十人が毎日せっせと新刊を読んで、データを蓄積していく。顧客の入会金は一万。会費は毎月千円。それだけで毎日電話できる。何度電話してもいい。で、ただいまこういう気分なのだが、そういうときに読む本は何かあるかと質問すると、たちどころに答えてくれるのである。」

で、北上社長はというと社長室で好きな本を読み、飽きたらコーヒーショップに出かけ無駄話に興じる、という人を食った会社です。まぁこういう人なので、記憶力もイマイチ、過去の仕事のデータもないということを断って、話は方々に飛んでいきます。「なんであの時、あの作家と話していたのかわからないのですが……..」みたいなことがあるかと思えば、「あぁ、思い出した」と、違う場面へ飛んでゆく。しかし、そこが面白いのです。一緒に出版業界を駆け抜けた編集者や同業の書評家、そして時代の最先端を走り出そうとしている作家たちと、まるで居酒屋で飲みながら北上の話を聞きながら、ヘェ〜そうだったのかと相槌を打っている気分になります。

彼は、書評と評論の違いをこう語っています。

彼が他の書評家が書いた文章に触発されて、本を買いに走りました。「すぐれた書評は、こういうふうに読者に行動を起こさせる。面白そうだという感慨で終わらせず、直接的な行動を起こさせるものだ。その点で評論と異なる。書評にはそういう熱が必要なのである。」

新聞などの書評でも、面白いものと退屈なものがありますが、北上のサスペンスやミステリー小説の書評は、そういう熱を持っていると思います。

日本の大衆小説を飛躍的に変えたのは、五木寛之、野坂昭如、井上ひさしの登場からだと述べていますが、確かに五木の登場は画期的でした。私も若い頃、貪り読んだ記憶があります。成る程!と納得できるところの多い一冊でした。

 

どの写真集も高値のデヴィッド・ハミルトンの図録「デヴィッド・ハミルトンの世界〜アーティスト25年の軌跡」(古書3500円ーこれでも安い)が入りました。

ハミルトンは、1933年ロンドン生まれ。戦後パリの百貨店プランタンの美術ディレクターに就任し、商業写真を撮り始めます。幻想的で、ロマンチックなソフトフォーカススタイルで、16歳までの少女を中心にした作品が話題になりました。少女のヌード写真が一時、物議をかもし出したり、ハミルトンのモデルを未成年時に務めた女性数人が「性的暴行を受けた」と公表したこともありました。それにしても彼の作品は美しい。大人と少女との境目にいる女性を捉えた作品群はもちろん見事ですが、白黒で撮影された風景写真が驚くべき美しさを持っています。これを見るだけでも、この図録は価値ありです。

 

次にご紹介するのは、エドワード・スタイケンの個展の図録(古書/1500円)。1879年生まれのアメリカの写真家で、美術家でもありました。1911年、Art et Decoration に掲載された作品がファッション写真の草分けとして認められています。その後VOGUE等で、ファッション写真の黎明期を代表する写真家へとなっていきます。一方でドキュメンタリー映画も制作し、「The Fighting Lady」では1945年度アカデミー賞を受賞しています。ポートレイト写真の名手でもあり、この図録にも多くのハリウッドスターが掲載されています。中でも、マレーネ・デイトリッヒの醸し出す妖艶さが素晴らしい。

 

 

 

さて、もう一点、Kurt Caviezel”Red Light”(洋書/1500円)という作品集です。カート・カビーゼルはスイス生まれの写真家で、こちらは図録ではありませんが、これが初の作品集です。

1997年の夏、彼は自宅のアパートの窓から、チューリッヒの交差点で赤信号(Red Light)のために停車する車の車中を望遠レンズで撮影しました。クローズアップされた何枚もの写真は、車に乗っている人それぞれの事情や感情の起伏まで捉えています。覗き見のようなこの写真を眺めていると、車中もまた自宅と同じくプライベートな空間の一部であることが理解できます。裸で運転する人、あくびをする人、ハンドルを握って叫んでいる人等、撮られていることを意識していない人々の手の動きや様々な表情。これ、映画好きの人には魅力的な一冊かもしれません。どの写真もまるで映画のワンカットみたいに、物語の一部を語っているようです。

 

 

10/6のブログでご紹介した「Ank:a mirroring ape」(講談社文庫500円)の佐藤究が、第62回江戸川乱歩賞を受賞した「QJKJQ」(講談社文庫/古書350円)を読みました。いやぁ〜また驚かされました。悪寒、恐怖、不安といった感情がさざ波のように打ち寄せる小説ですが、読み終わって、誠に感動いたしました。物語の真髄に当たる部分や構成には、それはちょっとなぁ〜というところもあるのですが、読者を引っ張る力たるや、エンタメ小説や純文学といったジャンル関係なく、ダントツでした。

物語は、猟奇殺人一家に生まれた女子高生の亜李亜のお話です。父は血を抜いて殺し、母は撲殺、兄は噛みついて失血させ、亜李亜はナイフで刺し殺すという、皆それぞれの殺人手法を持った一家です。と書くと、スプラッタ映画みたいに血みどろ残虐シーンの連続!と思い、もうそれだけでパスの方もおられるかもしれません。しかし、そんな場面は案外少ないのです、これが。

「犯罪者で、猟奇趣味で、死刑宣告を受けるのにふさわしい。それが現実だ。けれどもこうして家があって、理解ある恐ろしい家族がいて、絶望せずに生きていける。」と亜李亜は平和な(?)毎日に馴染んでいます。

ある日、亜李亜は部屋で兄の惨殺死体を発見します。翌日には、今度は母がいなくなります。亜李亜は疑いの眼を父親に向けます。対立してゆく父娘。ナイフの刃を父親に向けるという方向に、物語が進んでゆくのかと思うと、ここから亜李亜自身が、自分って何?、とアイデンティティーを探して、自分の過去を知るために街に飛び出していきます。そして彼女の成長物語へと転じていきます。

「人殺しとは何ですか。そう訊かかれば、わたしはこう答える。それは現実です。」

私は人殺しだ、それがわたしの現実だ。しかし、彼女がそれが自分だと思っていたものが、残酷なまでに打ち砕かれて、人格崩壊の一歩前までいってしまいます。

「わたしは自分の考えに震えている。それを打ち消そうとする。心の底の凄まじい痛みは、声にならない悲鳴に変わる。頭の中で絶叫する。ふと、スタッグナイフで手首を切ろうかなと思う。自分を保つために、狂気を証明する理性を保つために。」

生半可な自分探しのお話など吹っ飛ぶ、凄まじい現実に読者は付き合わされます。後半になると、フロイトやラカンの書物、脳科学の理論などが登場して、人は何故他者を殺すのかという哲学的命題へと突入していきます。果てしない迷走の末に、亜李亜が知った過去とグロテスクな国家の倫理。

「殺人者の脳というブラックボックスをこじ開ける。その成果は、まさに人類学的な資産だ。つまり、殺人を犯した直後の人間を捕まえて、脳を調べるんだよ。弁護士もなく、人権もない。」

そんな事を国がやるわけないと思っている方、日本陸軍が中国で行なった人体実験のことを思い出していただきたい。国家は平気でやるんですよ。

そして、「それは地獄の足音だ。永遠に沈んだはずの、地獄そのものだ。」で始まる血の修羅場…….。物語は、私の予想を完璧に打ち壊して幕を降ろします。

救いはあるのか?

エピローグで亜李亜の取った行動を知って、私たちは胸をなでおろします。地獄から戻ってきた少女の生還に拍手を。

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ラグビーの試合で日本チームがアイルランドと対戦したせいで、遠かったこの国がちょっと身近に感じられた方も多いかもしれません。本日ご紹介する本はアリス・テイラー著「母なるひとびと ありのままのアイルランド」(未知谷/古書1900円)です。

「本書に取り上げる女性たちの人生は、これまで語られたことがありません。人並みはずれた素晴らしい女性たちですが、これまでずっと平凡な人物と思われていたため、その生き様が口にされることはありませんでした。私たちアイルランド人は、素晴らしい女性たちが拓いてきた道のりを歩んでいるのです。女性たちは、農場や村や田舎町や都会で、困難な状況を生き抜きました。」

と著者が言うように、激しい嵐が吹き荒れる島に暮した女性、屠殺した豚を解体し、詰め物を作り、家族に栄養溢れる食事を出すことを信念にしていた女性、冬になると悪魔と化する大地と格闘しながら家畜を守った女性など15人が登場します。

農場で飼っている牛や豚やガチョウに餌をやる姿は、文章だけ読んでいるとユーモラスですが、これ毎朝だとかなりの重労働です。しかも、さらに多くの仕事を抱えて飛び回りることを余儀なくされています。

「丘の斜面の牧場を通り抜けて長い散歩に出かけ、何時間も戻らないこともありました。いま思うと、そのあいだ母はゆっくりと静かに過ごし、しんと静まりかえった野原で心の平安を取り戻してから家に戻り、忙しい日常と折り合いをつけていたのでしょう。」バランスをとりながら生きていかなくてはとても続きません。

この本を読んでいて、子供の頃を思い出しました。私の実家は商売をやっていて、母親も祖母もよく働いていました。確か、お正月も二日から仕事していた母たちの姿を覚えています。

本書を翻訳した高橋歩が「アリスの人生に大きな影響を与えた女性たちの暮らしぶりが丁寧に描かれています。生きていた時代や土地、職業もそれぞれ異なる女性たちですが、全員に共通していることがあります。それは、強い意志を持ち、つらく困難な状況の中でいろいろと工夫を凝らしながら、自らの信念を貫いていると言う点です。」とあとがきに記しています。

そこに、もう一言付け加えるならば、幸せな人生だったということではないでしょうか。時代も文化も違うので、今の私たちと一緒にすることはできませんが、幸福という言葉の意味を考える一冊です。

 

本書には、国のために尽くしたとか、優れた功績を残したとかいった女性は一人も登場しません。アイルランドの大地で生き、死んでいった平凡な女性ばかりです。

 

今年、最も画面の隅々まで澄み切った映画に出会いました。トルコと国境を接するジョージアから届いた「聖なる泉の少女」(京都シネマにて上映中)です。

トルコとの国境アチャラ地方の山深い村で、ひっそりと暮らす父と娘ナーメが主人公です。村には人々の心身の傷を癒してきた聖なる泉があり、先祖代々、泉を守り水による治療を行ってきました。儀礼を行う父親は老い、三人の息子は皆ここを離れ、それぞれ違う生活を送っています。父親は一家の使命を娘のナーメに継がせようとしているのですが、他の娘のように自由に生きることに憧れているナーメは、思い悩みます。一方で川の上流に水力発電所が建設され、少しずつ、山の水に影響を及ぼしていています。そして二人は泉の変化に気づき始めますが…….。という物語らしい。

“らしい”というのは、極端にセリフが少なく、おそらくそうだろうと推察するしかないのです。

霧に包まれた森と湖、美しく奥深い自然、そして暗闇に浮かび上がる質素な家。それらをザザ・ハルヴァシ監督は、澄み切った画像で切り取っていきます。これは、撮影機材やフィルムの力ではなく、この国の美しさが染み込んでいる、監督の力量によるものではないでしょうか。

限りなく静謐な世界に描かれる、太古から語り継がれた不思議な物語。人と自然の神秘的な関係に、吸い込まれていきます。そしてもう一つ、この映画で大事なのが水の音です。ポタリ、ポタリ、或いはサラサラと、様々な音色で聞こえてきます。だから眠気を誘われるかもしれませんが、それもまた気分の良いものです。未知の国から届いた映像美を堪能してください。

見終わった時、どこか日本の、例えば墨絵とか俳句、或いは能楽の世界に似ていると思いました。ストイックに切り詰めて、表現したいことを全て表現せずに、その奥に深い世界を秘めるという芸術に通じるものがありました。日本的な幽玄の世界が、ここにもあるのかもしれません。

 

 

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2014年、板橋区立美術館で「迷宮の美術家たち展」が開かれました。誰の?というと種村季弘なのです。種村って、作家で、ドイツ文学者の?

今回ご紹介するのは、本個展の公式図録「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」(平凡社/古書950円)です。本書の編集に携わった柿沼裕朋によれば、「『タネムラスエヒロとは何ものか』と尋ねられ、生前本人が使っていた肩書であるドイツ文学者と答えたならば、彼を知る人は皆、違和感を覚えるのではないだろうか。なぜなら、生涯取り組んだテーマの広さと、著作の質と膨大な量ゆえに」。「怪人」とも言われていると紹介しています。

確かに古今東西の異端的な、或いは暗黒的な文化や芸術に関する膨大な知識に基づいた評論、ホフマンやマゾッホなどドイツ文学の翻訳、内外の幻想小説や美術、映画、演劇等アートの評論など多方面で活躍しました。また、錬金術や魔術研究でも世間に知られています。さらには、吸血鬼や怪物、奇人など、歴史上のホントかウソか判別できない事象や人物の紹介もしてきました。

そんな謎の人物の個展って興味湧きますね。大体、表紙(写真上)からして奇々怪々です。ご本人が、鰯の頭と鶏の足を組み合わせた帽子を被る写真です。東大在学時代は美術史学科で、美術に関する執筆も多く残しています。

柿沼は、彼の美術作品への嗜好を「抽象よりも形のはっきりとした硬質な画面とリアリズム。べとべとした情念よりも恐怖や不安を笑いに転化したような作品である。」と明言しています。本書は、彼が愛した美術家たちの作品を、彼の著書に繰り返し登場するキーワードによって章分けして、この怪人の世界へと導いていきます。

 

ハンス・ベルメール、四谷シモン、金子国義、宇野亜喜良、ホルスト・ヤンセン、マックス・エルンスト等々、種村の美的センスに貫かれた作品が登場します。多彩な顔を持つこの作家の精神を、様々な美術作品を通して垣間見ることができるユニークな書物です。

本書と共に、「箱の中の見知らぬ国」(青土社/古書1400円)、「黒い錬金術」(白水社/1900円)、「謎のカスパール・ハウザー」(河出書房新社/1100円)も入荷しました。まだお持ちでない方はお早めにどうぞ。

 

ミシマ社から「バンド クリープパイプ」(新刊2090円)が出ました。

これは、「インタビュー」(ミシマ社2420円)や「善き書店員」(ミシマ社1980円)等の著者木村俊介が、今年バンド結成して10周年を迎えるクリープハイプのメンバーに、インタビューしたものです。4人のメンバー一人一人から丁寧に話を聞き取り、インディーズアルバムの成功とメジャーデビュー、解散の危機、バンドへのバッシング、ミュージシャンとしての身体的トラブルなど、10年間の様々な困難の中で、彼らが何を感じたのかが語られています。

しかし音楽に限らず、表現の場で問題にどう対処し、乗り越え、時にはその渦中で自分自身をどう見失ってゆくのか、他者とのコミュニケーションの難しさ、表現者として、人間としてどう伸びてゆくのかを、インタビューから浮かび上がらせた本だと思います。

フロントマンの尾崎世界観(ボーカル・ギター)は、こんなことを話しています。

「他流試合のような場面では、とくに積極的に『自分のなにがダメなのか』を人に訊いたり、確認し たりしています。そのあたりの勉強は、必ず音楽に返ってくると思っています。 そうやって『知らない、わからないという自分の至らなさ』に向き合うプロセスのなかでは、気づくことがいくつかある。その新鮮さを、かつてそうだったように音楽で感じられるのが、ほんとうはいいのですが。でも、十代の頃からバンドばかりずっとやってきたなかでは、それなりに音楽というものの本質が見えてきています。」

これは、一人の若者がいかに謙虚に自分の表現に向き合っているのかを、木村が聞き出した場面です。尾崎は、この春から夕方の放送のラジオ番組でパーソナリティーを担当しています。リスナーの年齢層が高いところで、さらに研鑽しようとしています。初回のゲストは落語家の立川談春さん。立川の話し方を聞いて、彼はこう語っています。

「談春さんは『自分の言葉は、確実に伝わる』という確信を持ちながら喋っているように見えるんです。そこを見習いたいと思って、話をさせてもらいました。」

彼の学びへの姿勢はとても素敵です。「何事も勉強」こんな古臭い言葉が新鮮な輝きを伴って蘇ってくる一冊です。

クリープハイプの曲では「ただ」がオススメです。youtubeで聴けます。

 

 

 

イラストレーターとして、映画監督として、私達を楽しませてくれた和田誠さんが、今月7日に亡くなられました。83歳。

個人的に言えば、和田誠は映画の人でした。彼の映画エッセイ集「お楽しみはこれからだ」は、パート7まで刊行されましたが、映画の魅力を伝える簡潔な文章と、洒落たイラストが楽しみで、全巻持っていた時代もありました。2009年に発行された「ヒッチコックに進路を取れ」(草思社/古書1600円)は、サスペンスの神様ヒッチコックを巡る映画評論家の山田宏一との対談で、読み出したら止まらない面白さ。「思わず持っているDVDを見直したね」というお客様もおられました。全編映画のワンシーンを描いたイラストが掲載されていて、巧みなタッチに魅了されます。

1979年に監督した、阿佐田哲也原作「麻雀放浪記」は、映画好きが作ったのがよくわかる傑作でした。88年小泉今日子主演の「怪盗ルビィ」も、笑って楽しめる映画だったと記憶しています。ポスターも洒落ていたな〜。

彼の名が世に出たのは、タバコ「ハイライト」のパッケージデザインでした。その後、ポスター・マークロゴ・本の装丁・絵本・レコードジャケットと活躍は多岐に渡ります。

作家、池澤夏樹が毎日新聞に追悼文を寄せていました。

「多才な人であり、何をやっても都会的で、しゃれていて、ウイットがある。花一輪を描いても花がふふと笑っているように見える。」

その通りです。安西水丸と組んだ「テーブルの上の犬や猫」(文藝春秋/古書2200円)は、極上のユーモアセンスにあふれています。そのユーモアに優しさが溶け込んだのが、絵本の傑作「ねこのシジミ」(ほるぷ出版/古書1300円)です。読んだ後のほんわかした気分は、他にはありません。

映画の人、絵本作家、装丁、そして私には音楽の人でした。とりわけ村上春樹と組んだ「ポートレイト・イン・ジャズ」(新潮社/古書1300円)。村上が推薦するジャズミュージシャンの肖像を描いているのですが、その色合い、雰囲気、ミュージシャンの一瞬の表情を捉えた画力。村上の文章も良く、ジャズ本の中では、わたし的にはベストワンです。まさに音楽が聴こえてくる本です。

和田ファンには思わず手が出そうなレコードがあります。渡辺貞夫の「ENCORE JAZZ&BOSSA」(中古4000円)。この和田版ジャケは、ぜひお部屋に飾っておいてほしいものです。

文章を読んだり、作品を眺めたり、或いは映画を観たり、その都会的センスに浸っていると、本当に幸せな気分になったものです。感謝して、心よりご冥福をお祈りします。

 

服飾デザイナーの堀畑裕之は、若き日「哲学者になりたいという希望をもって大学院に入り、すでに研究者の道を歩き始めていました。」同志社大学大学院で、修士論文の準備も進めていました。しかし、人生は不思議なものです。

「『観念』の世界で生きるのではなく、『手』で何かを作り出す仕事をしたいと思うようになった。ものを自分の手でリアルに作り出し、それを通して多くの人と歓びをを分かち合う世界もあるのではないか?その時、偶然私の目の前に急に広がってきたのがファッションデザインの世界だった。」

その後、matohu(まとう)というブランドを立ち上げ、現在も第一線で活躍中です。そんな堀畑が、哲学を志した者として、ファッションを、日々の暮らしを、日本の四季を語ったのが「言葉の服」(トランスビュー/新刊2970円)です。このブランドは、新作を発表する前に、必ずコレクションのテーマについて書かれた長文の冊子を参加者に送るのが、他のブランドと決定的に違っています。ファッションに言葉って必要?と思われる向きもあるかと思いますが、ここで著者は、深く考えるのです。いや、決して難解な言葉が並んでいるわけではありません。

「衣料危機」という言葉ご存知ですか。著者は言います。

「日本の食料自給率は、なんとか65%(2017年生産額)を保っている。それに対して衣料の自給率をご存じだろうか?なんと、2.8%(2016年)である。つまり97.2は外国製なのだ。それはまだ製品の話で、綿やウールなどの原材料の自給率は、なんとほぼ0%である。」

にも関わらず、消費型のファッションが続くと、どうなるのか。もう、全く未来はない状態です。かつて、私たちはボロボロになるまで服を着て、最後には雑巾にしたりして、最後まで無駄にすることなく使い切ってきました。それを「始末がいい」と言いました。

「『始末』とは、文字通り『始まり』と『終わり』のことである。それは物の始まりと終わりに、自分が生活の中で席んを持つことだ。」

だから、「一生愛され、まとえる服を作ることがこれからのデザイナーの真価だとおもう。」と、自分のあるべき姿を提示しています。

トレンドに振り回されることなく、私たちを育てた風土が作り出した美意識、例えば「かさね」「見立て」「あわい」「かろみ」「いき」といった言葉が表す美しさへと、読者を誘って行きます。整った文章の美しさも、この本の読みどころです。

最終章では、哲学者鷲田清一とソクラテスの「対話篇」よろしく、京都の町を歩きながら対話を重ねていく様子が収録されています。こちらも面白い。平日だから哲学の道も空いていた云々の文章がありますが、今なら平日でもごった返していて、こんな対話は不可能かもしれませんね。

 

音楽を聴きながら毎日製作しているという9cueさん。骨太なアコースティックなものが大好き。同じ趣味のレティシア店長と話が盛り上がり、本屋の壁いっぱいに9cueワールドが広がりました。お気に入りのアルバムから、想像の翼をガーンと羽ばたかせて、ユニークなヤツらが、レティシア書房に3年ぶりにやってきました。

9cueさんがチョイスしたアルバム、ミュージシャンはアメリカンロックに親しんできた人にとっては、よくご存知のものばかりですが、華やかな音楽業界から見れば、地味で渋めです。アメリカ音楽のルーツへのリスペクトと、アーテイストとしての表現力、作風でそれぞれに頑張ってきたミュージシャンばかりです。呑んだくれの音楽詩人が、深夜一人で人生の哀歌を歌い続けるトム・ウェイツ。生まれ故郷を一歩も出ずに愛する音楽を奏で、そのまま天国へ行ってしまったJJ.ケイル。女性シンガーとして時代の最先端を走り続け、独自の世界を表現してきたジョニ・ミッチェル。アメリカだけでなく、日本の多くのシンガーにも影響を与えてきたジェイムズ・テイラー。姉御肌なんだけど、キュートな魅力一杯のマリア・マルダー。ノーベル文学賞を受賞しても、ひねくれぶりとマイペースは変わらないボブ・ディラン。アメリカ南部の荒くれ魂と強い女ってこれよね、と豪快に疾走するテデスキ&トラックバンド。(写真上)そして御大ローリングストーンズ。

そんな彼らのLPアルバムの横に、9cueさんが作り上げた独自の作品がディスプレイされています。音楽への限りない愛と、そんな音楽を通してこんな作品を作れる幸せが、本屋全体に漂っています。音楽のこと知らなくても、9cueさんが作り上げたキャラクターを見ているだけで、楽しくなってきます。閉店後、店の中でヤツらが音楽に合わせて、体を揺らしているかも。

9cueさんの作品はなんだか男前でとてもカッコイイんです。ザクっザクっと直線的に切り出した木に、渋い着色を施し、蒐集している古釘やネジなどの金属や革で作った小物を組み合わせ、独特の全く見たこともないようなヒトや鳥や動物を作り上げます。彫刻でもない、人形でもない。可愛いけれど甘くない。ヤツらはしぶとくリズムを刻んで生きています。

「人生のレールは生まれる前からもう既に敷かれているように感じる部分もあれば自分の力で敷いているのだよ感じる部分もある。ー中略ーそして、レールの上を走る汽車は自分自身で動かす。乗車してくれるのはやっぱり愛する者達なのだと思う。このアルバムはやっぱり信仰心について深く考えさせられます。自分は無神論者なのですが、運命の赤い糸は信じます。何か見えない力のようなものも。」これは、ボブ・ディランのアルバム「SLOW TRAIN COMING」(写真右)につけた 9cueさんのコメントです。丁寧に生きて、創作してきた 9cueさんの世界に触れてみてください。きっと元気になりますよ。

なお、素敵なペンダント(写真下・11000円〜)も沢山作ってこられました。ぜひ手にとってみてください。(女房)

 

 

 

「暮らしのリズム」展は10月16日(水)〜27日(日)12:00〜20:00 月曜定休日(最終日は18:00まで)