日本各地の素敵な村を紹介する新聞「日本で最も美しい村連合」(450円)の最新号は、北海道の鶴居村。毎年当店でのネイチャートークでお馴染み「ヒッコリーウィンド」オーナー安藤誠さんの牙城です。ページを捲ってみると、やはり大きく掲載されていました。

鶴居村は、北海道道東。阿寒湖と釧路湿原の間に広がる人口2500人程の小さな村です。村の名前通りにタンチョウと人々が共生しています。この地にロッジ「ヒッコリーウインド」をオープンして20年。安藤さんは「鶴居村は、鶴が居る村ではなく、正確には『鶴が選んだ村』。自分の住む村を大切に思い、誇りを持つことにリスペクトできているかが重要です。」と村への愛情を語っています。田舎に暮らす子どもたちの意識を変えることが重要であり、「いったん、外に出てもいいから、また戻ってきたくなる村にする。大事なのはタレントやオリンピック選手ではなく魅力ある村民を輩出すること」が、村を良くしてゆくのだとも。

ほかにも魅力的な人が住んでいます。小説「大草原の小さな家」に憧れて、ゲストハウス「ハートンツリー」を営む服部さんご夫婦。創業100年を迎えた老舗ホテルのオーナー和田さんは、宿泊客を連れてネイチャーガイドを行い、必ずタンチョウが見えるスポッットまで連れてゆくそうです。

鶴居村周辺の大きな地図には、この地に棲息している動物達が紹介されています。キタキツネ、エゾシカ、エゾユキウサギ、エゾヒグマ、オジロワシ等々。私は、ここで日本最大の猛禽類オオワシを見ました。もう堂々たる姿。夏のご旅行のプランにぜひ加えて下さい。

一方、高知発のフリーペーパー「とさぶし」最新号も入荷しています。「地域の名のつく種」として、各地で、種を採り、植え、収穫してきた作物が紹介されています。それらの作物が収穫されている地域の名前を冠にした野菜ばかりです。田村かぶ、大豊在来きゅうり、中追大根、潮江菜、日南のぼたなす、下知ねぎ、大道の昔高菜、本川じゃがいも等々が、生産者の方々の顔とともに掲載されています。どこで生産されているかの地図もあります。

 

長野県下諏訪町の「ものつくり開発室 ゴロンドリーナ」による『ルアトタウンのとあるモノたち』展が、当ギャラリーで始まりました。

ルアトタウンとは架空の町の名前。「ル・ア・ト」つまり「と・あ・る」町の住人で、木工を生業にしているゴロンさんが作る家具やドアの数々。ルアトタウンの人々は、我々よりずっと小さなサイズなので、ゴロンさんが作るモノたちは、ミニチュアと呼ばれます。小さな本屋の木の棚に並んだら、なんとも暖かで幸せな空気が漂いました。

洋服屋さんには、一つ一つ作られた小指の爪くらいのボビン(写真右)が置かれています。展示のために、その小さなボビンが箱から取り出されて、一個一個棚に並べられるのを見た時、可愛くてキュンとなりました。ゴロンさんのアトリエ(写真右下)の設計図や道具は、いまさっきまで作業をしていたゴロンさんの気配を感じます。

そして、ルアトタウンにある小さな路地のガス灯と自転車(写真左上)、パン屋さんやアパートの扉など、絵本から立ち上がってきた様な世界がリアルに広がり、次から次へとお話を綴っていけそう。高い技術力が、想像の翼をどんどん広げてくれます。

木のボトル型ブローチ(1080円)、ボトル型小物入れ(3024円)、ボックス(1836円)など、即売もしています。作品はご注文を受け付けています。1〜2ヶ月でお届け出来るということです。(手づくりのため少しお時間頂きます。)

ゴロンドリーナはスペイン語で「つばめ」を意味するそうです。ものつくり開発室長で製作者の古川千恵子さん、製作助手兼広報担当の古川賢悟さんは、二人共スペインに縁があり、さらに工房を設立する際、軒下につばめが巣を作ったという、二つの縁を大切にしたいという気持ちから工房の名前に選ばれたとか。

2016年京都恵文社のギャラリーで、初めてルアトタウンを見た時、可愛いけれど甘くない雰囲気と木の美しさに魅かれました。そこで「市内で小さな本屋をやっていますが、その小さなギャラリーで作品展をしていただけないか」と、声をかけてしましました。

桜の季節に、お二人が、8時間をかけて長野から京都へ幸せの町を運んできて下さいました。まだ、ルアトタウンにであっていない方々に、ぜひこの素敵な物語の世界を覗いていただきたいと思っています。京都の街中は、花盛り。お散歩のついでにぜひお立ち寄り下さい。(女房)

 

ものつくり開発室ゴロンドリーナ「ルアトタウンのとあるモノたち」展は3月27日(火)〜4月8日(日)

 12時〜20時 (最終日18時まで)月曜定休日  (作家在廊日は3/27と4/8)

 

 

 

 

 

 

毎回、斬新な切り口で海外文学を、その訳者が紹介するフリーペーパー「BOOKMARK」最新号が入荷しました。今回の特集は「音楽と本」です。音楽が深く関わる作品が17点セレクトされています。音楽は、クラシック、ジャズ、ロック、ポップス等様々ですが、その個性的なチョイスに読書心がそそられます。

巻頭を飾るのは村上春樹。自分が翻訳に携わったジェフ・ダイヤーの「バット・ビューティフル」について書いています。この本は、ジャズの巨人たちの歴史をドキュメントしながら、そこに著者が作り出した物語を絡めてゆくという斬新な短篇集です。この手法を春樹は大いに参考になったと書き、「行間から音楽が溢れてくるような本です」と締めくくっています。

カズオ・イシグロの唯一の短篇集「夜想曲集」も取り上げられています。紹介した土屋雅雄が「副題の『音楽と夕暮れをめぐる五つの物語』とあるように音楽と夕暮がテーマだが、味わいはなかなかシュールである」と述べています。個人的に唯一読んだイシグロ作品ですが、どこへ連れてゆかれるのかわからない雰囲気が面白い作品集です。

スティーブン・キングがロック好きとは知りませんでした。「いかしたバンドのいる街で」という作品が取り上げられています。豪華絢爛たるメンバーが総出演するロックフェスが永遠に続く街「ロックンロールヘブン」を、ホラー作家らしい手法で描いています。

私も読んで、これはお薦めしたいと思ったのが、T・E・カーハートの「パリ左岸のピアノ工房」です。人気のない裏通りにあるピアノ修理屋。なんか、入りにくそうな雰囲気なのですが、思いきってそこに飛び込んだ主人公の前に登場するのは、ピアノを生き物のように扱う職人と、この楽器に深い愛情を持つ人達です。メインストーリーと平行して、ピアノにまつわる歴史なども語られていき、理解が深まる一冊です。

大概のジャンルの音楽は聴くのですが、苦手なのがブルーグラスです。アメリカの伝的音楽なのですが、退屈、単調、一曲でもう結構、という感じです。S・M・ハリス「ブラックリバー」は、ブルーグラスで使われる、フィドルという楽器を小道具にした本です。刑務官として刑務所で働きながら、バンドを組んで収穫祭のステージに立つ、フィドル奏者の物語。「過酷な人生に真摯に向き合う男の物語には、凛として美しく、どこか物悲しいフィドルの音色が似合う」とは、この本を紹介した高山祥子さんの言葉。こう書かれてると読んでみたくなりますね。

という具合に、どの本も面白そうですが、フリーペーペーパーなので早いもの勝ち。今回はなんせ村上春樹が原稿書いてますから…….。

UR都市機構が手掛けるWebMagazine「OURS.KARIGURASHI MAGAZINE」が書籍になりました。題して「#カリグラシ 賃貸と団地 貸し借りのニュー哲学」(ぴあ/古書1100円)です。m

家を借りる、あるいは賃貸マンションに暮らすのって皆さんなさっていることです。しかし、今、そのスタイルが急激に変化しています。それを取材したのが本書です。

「貸し借りという行為をきっかけにして、暮らしがより面白いものになる可能性があるのではないか、そんな思いが、この本のスタート地点になっています。」

と書かれているように、ユニークな「貸し借り」をしている人が登場します。京都の出町柳駅前にあるレンタサイクル「えむじか」は、シェアサイクルという新しいやり方を実施しています。出町柳駅は京阪電車の発着駅なので、朝、出町柳まで自転車で来て大阪方面に行く人と、大阪から出町を経由して京都市内各地へ向かう人が、ここでその自転車に乗って出かけるという、一台の自転車をシェアするというものです。究極の無店舗サイクルショップです。

金沢のお寺に住んでいる陶芸家、四井さんは、一人で寺に住んでいます。「暮らしの根本は、あくまでも個々がどうして生きていけるのかっていう、切羽詰まった問題だなと思うんですよ。そういう意味でも、お寺って自分がどう生きるのかってことを考える原始的な場所かもしれません。」という考え方です。たしかにお寺って、修行の場ですからね。

福井県鯖江市で活動する、もの作り集団TUGMIのメンバーの一人は、血縁関係のないおばあちゃんと二人暮らしです。おばあちゃんのご自宅の二階が彼の住居です。お互い深く干渉し合わない関係性が、うまくハマった幸せな二人みたいです。こんな暮らし方はなかなか難しいと思うのですが、

「こういう暮らしかたが認められるようになれば、若者が地域に入っていく際の選択肢にもなると思います。年齢が違っても尊敬できる人と一緒に住むことが当たり前になる社会って面白いな」

といった具合に、そんな考え方もありか、そうだよなと、体に染み込んだ常識を溶かしてくれる一冊です。

因みに私がこの本を手にしたのは、引越し作業を写真に撮って作品にしている写真家、平野愛さんの個展を誠光社で見たことが切っ掛けでした。この本でも引越作品を見ることができます。

もう一つ、何人かの写真家の”団地愛”に満ちた団地写真が収録されていますのでお見逃しなく!

「木村伊兵衛昭和を写す」(ちくま文庫/古本各1050円ー絶版)シリーズが揃いました。それぞれ「戦前と戦後」「よみがえる都市」「人物と舞台」「秋田の民俗」というテーマで選ばれた4つの写真集です。

第1巻「戦前と戦後」のあとがきで、評論家の川本三郎は、「下町の生活とカメラはそもそも相性がいいのである」ということを木村の写真から感じ、下町っ子的視点で、愛すべき日々の暮らしにカメラを向けていることを指摘しています。

「沖縄や中国に出かけていっても、木村伊兵衛は東京の下町を見るようにごく普段着の姿勢で、異郷の町を見ていることである。」確かに、エキゾチックな風景に眼を奪われそうになるところを、彼の眼はどの町にもある庶民の暮らしへと向かっていきます。

占領地満州に生きる人々、戦前の暗い時代を慎ましく生きる人々、そして、戦後の明るい時代へ向かって歩き出した人々が撮影されています。そのどれもが、大げさにならず、こうやって皆生きているよという日常です。墨田川の吾妻橋を行き交う人達を捉えた一枚は、え?これ戦時中??と思うほど穏やかな作品です。

第2巻「昭和を写す」では、戦後の混乱から繁栄の時代へ、一気に加速するこの国の様々な貴重な瞬間を捉える一方、下町っ子の木村が、カメラ片手にあっちに行ったり、こっちに行ったりしながら、楽しそうにシャッターをきっています。月島でローラースケートに興じる子どもを、後ろから撮った作品に満ちているのは、平和を喜ぶ気分もさることながら、ボクも寄せてよでも言いたげな木村の気持ちが込められているようです。

第3巻「人物と舞台」は主に日本画家、映画俳優、歌舞伎役者等の芸術、芸能関係で活躍する人達のポートレートです。川原崎長十郎「勧進帳」、喜多六平太「船弁慶」など役者の凄まじい集中力を捉えた作品の一方、市井に根付く職人たちも多く登場します。舟大工、靴職人、仏師たち。下町育ちの木村にはお馴染みの人達です。その仕事に打ち込む真摯な姿が捉えられています。

第4巻の「秋田の民俗」は、昭和中期の秋田の農村。都会とそこに生きる人びとを、丹念に撮影してきた木村は、ここで農村の中に入り込み、彼らの日々を記録していきます。解説でむのたけじは「被写体が一人物または一群の人に限られても、その人々の存在する時間と空間を含む社会状況が語られておれば、それは報道写真といえるのではあるまいか」と述べ、木村の代表作となる18年間に渡るシリーズ作品「秋田」を、ジャーナリズムの本質を十分にそなえていると書いています。

人間の生きている時代背景が見えてくる作品集です。単品で販売していますので、お好きなものからお求めください。

 

 

コラムニスト小田嶋隆の「上を向いてアルコール」(ミシマ社/新刊1620円)は、重度のアルコール依存症だった過去を振り返ったノンフィクションです。坂本九の「上を向いて歩こう」のパロディみたいなタイトルからして、よくある「私はこうして治療した」みたいな真面目なだけの闘病記ではありません。

なんとなく風呂上がりに一杯、就寝前の一杯は一日を終えるための一区切り。しかし、歯止めがきかなくなり飲む量が増え、重症になってくると、連続飲酒発作と呼ばれる、朝から飲み始めて、吐いて、意識朦朧となり、点滴でなんとか立ち直る状態が定期的にやってきます。それもだんだん短い期間で……。

「40で酒乱、50で人格崩壊、60で死にますよ」

そう医者から宣告された小田嶋は、その酒浸りの日々を見つめながら、酒ってなんだ?、アル中って何なんだ??ということを考えます。彼によると「アルコール依存って、考え方の病気です」。実力以上の自己評価だったり、酒なんかでは潰れないという妄想。

「実際アルコールで頭おかしくなって引き返せなくなった人たちの中には、オレは必ず成功する、みんなオレの実力を知らない、そういう自己肥大妄想に浸っている人たちがけっこういます」と彼は書いています。

結構つらい描写があるのですが、何故だか笑えてくるところが、この本の面白いところです。アル中患者のリアルな姿を見て笑うなんて、不謹慎なのかもわかりませんが、悲惨だった自分を冷静に、大げさにならずに、ふんふんと描いているからなのでしょう。

担当医が、こう言っています。

「アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるという話ではない。酒をやめるためには、酒に関わってきた生活を意識的に組み替えること。それは決意とか忍耐の問題ではなく、生活のプランニングを一からすべて組み替えるということで、それは知性のない人間にはできない」

知性というものがいかに大事か、ということへと本書は向かいます。そして、最後に、アルコール依存症に代わる新たな脅威としてスマホの存在を上げています。「スマホを忘れたときの心細さは、アル中時代の焦燥感と同じ」だと。

この本は何かに依存することの怖さを訴えて終わります。酒を飲む人も、飲まない人も、スマホを離せない人も、そうでない人も読んでください。

 

こんな面白い本を出版している『ミシマ社』の特別企画展を、4月11日(水)〜22日(日)当店ギャラリーにて開催します。さて、何が飛び出すやらお楽しみに!

 

 

今年のアカデミー作品賞を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」は、とても素敵で、なおかつ今のアメリカの状況を象徴するような傑作です。

監督のギレルモ・デル・トロに心より拍手します。彼は、幼い時に観た「アマゾンの大半魚人」のことが忘れられなくて、なんとか自分なりの半魚人ものを監督しようと資金集めに奔走します。が、「半魚人と人間の女性の恋物語?はぁ〜?何それ?」という反応ばかり。なんとか資金調達の目処がつきるかなと思うと、もっと美女を出せとか、実は半魚人がイケメンだった、とかに変更せよという注文がつく。ならば自腹切って、と製作に着手しました。

その結果、監督が夢みた世界が、誰にも邪魔されずに描かれました。舞台は1960年代、捕獲された半魚人が、とある軍事研究所に連れてこられて、研究対象にされます。ここで働く中年の掃除婦が、半魚人に恋をするという物語。若く美しい女性もいないし、男はいつか王子様に変身するわけでもありませんが、泣きたいほど美しいラブストーリーが出来上がりました。

黒人公民権運動が盛り上がってきた、60年代の時代設定が巧みです。当時のアメリカは白人優位で、白人以外は人として認められていません。カフェに来た黒人カップルが、出て行けといわれるシーンがその象徴です。半魚人に恋する女性は、口がきけない障害者です。彼女の友だちは、同じアパートに住むゲイの初老男性と、職場の同僚の黒人女性だけ。黒人と同じように、当時はゲイに対する差別も今とは比べものにならないくらいひどいものでした。

そんな社会のマイノリティー達が、やはり無理矢理自分の国から連れてこられた奴隷同然の半魚人を逃がそうとするのが、後半のサスペンスです。メキシコ生まれの監督の、かつてのハリウッド映画へのオマージュ溢れた演出には、涙してしまいます。

軍事研究所の暴力的な警備責任者は、半魚人を殴るわ、蹴るわ、果てはヒロインに迫り、声が出ないの知っていながら「お前のあえぎ声が聞きたい」などとほざく、パワハラ・セクハラの大バカ者です。そして、彼がいつも読んでいるのが”The Power of Positive Thinking” 。マクドナルド創設者の数奇な生涯を描いた「ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ」で主人公が愛読していたベストセラーです。「強いことが正しいことだ。勝つ事が正しいのだ」と説くこの本は、ほとんど本を読まないトランプ大統領の唯一の愛読書とか。おわかりですね。そう、映画はトランプ大統領の、マイノリティーへの嫌悪という今のアメリカを、暗に浮き上がらせるのです。しかし、反トランプを前面に押し出すことなく、ファンタジーとして実に美しい結末を用意しました。

美しく切ない恋物語に酔いつつ、やっぱり今のアメリカは危ないことを再認識しながら映画館を後にしました。

町田智浩の「映画と本の意外な関係」(集英社/古書400円)は、最近読んだ映画、書物に関する本の中では、最も刺激的な一冊でした。

この本の最初に、映画に映し出されたいくつかの本棚の紹介があります。昨年「ダンケルク」で話題になったクリストファー・ノーランのSF映画「インターステラー」は、重力論、量子力学果ては五次元論まで飛び出す、わかったような、わからないような、しかし何度観ても飽きない作品でした(10回は観たなぁ〜)。映画の冒頭、主人公の家の本棚の移動ショットがあるのですが、町田は、ここにある本をピックアップしていきます。時間を逆にたどってゆくマーティン・スミスの小説「時の矢」や、マデレイン・レングルの「五次元のぼうけん」をみつけ、これらの本がノーラン監督の映画の原型になったことを見逃しません。

さらに、ボルヘスの短篇集をみつけ、こう書いています。

「クーパー(映画の主人公)が迷い込んだ五次元空間は、マーフ(主人公の娘)の本棚が上下左右に連結されて無限に続く図書館のように見えます。まさにボルヘスが想像した『バベルの図書館』です。」

面白かったのは「007」シリーズの言葉をめぐる章です。2012年に公開された「スカイフォール」のタイトル”Sky Falls” はローマ時代の法格言「天堕つるとも、正義を成就せしめよ」から取られています。物語は、まさに天が堕ちるような事態が勃発して、窮地にたった007の上司Mを助けるべくロンドン市内を疾走するボンドに、Mのこんな言葉が囁かれます。

「我らの英雄的な心はひとつなのだ 時の流れと運命によって疲弊すれど 意志は今も強固だ 努力を惜しまず 探し求め 見つけ出し 決して挫けぬ意志は」

これ、1800年代に活躍した詩人テニスンの「ユリシーズ」という詩からの引用でした。大活劇のスパイ映画なのですが、方々に、こんな知的遊びが隠されていたなんて。

ご存知アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」の原作はパトリシア・ハイスミス。彼女は50年代に「よろこびの代償」というタイトルで女性同士の恋愛小説を発表しています。後年、彼女は自分が同性愛者だとカミングアウトしました。そして、この原作は2015年に「キャロル」というタイトルで映画化されました。ところが、彼女がカミングアウトするまでに、「太陽がいっぱい」における隠された同性愛を指摘していた人物が日本にいました。映画評論家、淀川長治です。

主人公トムが親友フィリップを殺すシーンを、淀川はこう解説したといいます。

「実はトムはフィリップに恋しており、自分のものにならない彼を殺して、同一化する物語だ。フィリップの胸に突き立てられるトムのナイフはペニスの象徴だ」

当時、作家の吉行淳之介など多くの人がそれは深読みすぎると批判しましたが、彼女の死後書かれた伝記から、「太陽がいっぱい」に流れていた同性愛的メタファーが証明されたのです。ここまで読み込む淀川の力量は恐ろしいほどです。

この本を読んで、紹介されている作品をご覧になってはいかがでしょうか。きっとスリリングな映画体験になりますよ。

★連休のお知らせ 勝手ながら19日(月)20日(火)連休いたします。よろしくお願いします。

イラストレーター、庄野ナホコの名前を初めて知ったのは、雑誌「ブルータス」が古本の特集をした号の表紙でした。大きなクマさんが、均一台を物色している姿です。いるよなぁ〜こんな感じの人って、と古本屋に思わせる素敵な絵。シロクマさんがリュック背負って、やはり均一台をゴソゴソしている作品には思わず吹き出しました。

それより前だったか後だったかに、多和田葉子の「雪の練習生」(新潮社/古書800円)を読みました。これ、実に変わったお話です。旧ソビエト連邦のサーカスの花形から作家に転身した「わたし」と、娘の「トスカ」、その息子の「クヌート」へと繋がるホッキョクグマ三代の物語です。「わたし」は、会議に出席したり、アシカが編集長を務める?出版社から自伝小説を出版したり、はては母国ソビエトから西ドイツへと亡命するという、奇想天外で、そして美しく切ないお話でした。この小説が文庫化された際、単行本の表紙がシロクマの写真から、庄野ナホコのイラストに変わっていました。表紙絵が、見事に作品の世界を表現しています。

彼女の創作絵本「北極サーカス」(講談社/新刊1620円)を入荷しました。これは、鯨に引かれた流氷の上でショーを見せる北極サーカス団を描いたものです。見物客は、イヌイットにクマにオオカミと、人間も動物もごちゃまぜです。サーカスでは、白いオオカミが空中ブランコを舞い、シロクマが、華麗なスケートを披露します。けれど楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。

「ふしぎで ゆかいで なぜだか すこし かなしくて」

 

庄野ナホコの作品に「ルッキオとフリフリ」という野良猫を主人公にした連作があります。その一つ「おおきなスイカ」(講談社/古書1200円)の最初に、このネコたちの夢が書かれています。

「おおきな おやしきに 『しゅうしょく』して、だんろの まえに ベッドを もらい ぎんの おさらで まっかな マグロの おさしみを いただく ことでした」

我が家のネコもそんな願いをもっていたかもしれません……。

 

★連休のお知らせ 勝手ながら19日(月)20日(火)連休いたします

磯部涼「ルポ川崎」(CYZO/古書1100円)は、今年最速で読んだノンフィクションです。

2015年、川崎市内の河川で、よってたかって暴行されて全裸にされた中学1年生の死体が発見され、犯人として未成年数名が逮捕された事件を覚えておられますか。この本は、その事件を追いかけたルポではありません。が、”危ない街”として印象づけられた川崎に生きる若者たちの姿を追いかけた作品です。

登場する若者たちは悲惨な現状を生きています。貧困と暴力、酒、クスリ、売春…..。しかし、繁栄から取り残されたディストピア川崎の現状を見よ!だけの本でもありません。

「逃げ道なんてのねぇな 日々汚れてくぜ手が ガキの頃からそうさ血の付いたカネでメシを食う」と、歌う川崎に住む青年たちで結成されたヒップホップバンドBAD HOP が、本作の方々に顔を出します。どん底時代の自分たちを歌いながらも、ヒップホップという音楽に可能性を見つけて、自分たちの未来を模索していきます。

70年代のアメリカニューヨーク州ブロンクスの、人種の坩堝の中から発生したヒップホップは、強烈なビートにのせて、彼らを取り巻く社会状況への怒りが歌われていました。暴力に明け暮れる川崎の若者たちも、最初は、そのファッションや、ノリの良さだけに目を奪われていたのですが、やがて、この音楽を知ったことで、クソだめみたいな毎日から、自分たちを救ってくれることに気づきます。

不良、落ちこぼれ、犯罪人として差別され、クズ扱いされていた彼らは、マイノリティーの自分たちに誇りを持ち、不当に差別されることへの怒りは、やがて街を練り歩くヘイトスピーチへの怒りに向かっていきます。

読者は疑問に思うかもしれません。そんなに嫌な街なら川崎を出ればいいのにと。しかし、ある若者はこう言い切ります。

「川崎はアナーキーなんですよ。地方は、大抵、閉塞感しかなくて排他的なのに対して、川崎の場合はとりあえずどんな奴でも受け入れるし、生きていける」と。

そう、彼らは、この川崎を愛しているのです。「ここの焼肉屋のおっちゃんは、すげぇいい人だったんですけど、この間、店の前で腹を切って自殺しちゃった」と平然と語る若者。人情と非人情が渾然と混じる街なのに、彼らは街を離れない。

ヤクザ、ドラッグ、犯罪が少年たちを蝕む一方、ヒップホップの強烈なリズムだけを武器に、この街を生き抜き、スラム化した街を新しく作り替えようとしている姿が描かれています。

著者は最後をこう結んでいます

「BAD HOPは光源に向かって歩み始め、後ろを無数の子どもたちがついていく。痛みから遠く離れるように」

もちろん、すべての若者が救い上がられているわけではありません。それは川崎だけではなく日本各地で起こっているはず。多くの若者が堕ちてゆき、その先は地獄。やっぱ、オリンピックなんてやってる場合じゃないっすよ…..。