日本の新刊業界や出版業界と同じく、台湾も読書離れで出版不況に陥っています。しかし一方、個人経営の町の本屋さんが、活発に営業しています。そんな個性あふれる書店主四十三人に迫ったノンフィクション「書店本事 台湾店主四十三のストーリー」(THOUSASNDS OF BOOKS/新刊2808円)をご紹介します。

本の構成はこんな感じです。

第一章「時間長河、歴久不衰」ー老舗の書店。

第二章「在一日又一日的閲読時光中、理想堆積成形」ー経験を積んだ書店。

第三章「記録這段夢想初起飛的歳月」ー新しいタイプの書店

第四章「我們的閲読、不是書」ー蔵書豊富な書店以外の店

の四章に分かれています。著者のグイ・イーチンは、全ての本屋を巡り、店主から話を聞いて書店の個性を伝えてくれます。第三章の新しい書店には、日本と同じようにカフェを併設している店も紹介あります。変わり種は、「時光二手書店」という店で、本の収集に慣れようと古紙回収所に向かう途中、捨てられた犬を発見し保護して以来、店に一時的に野良犬を保護し、新しい飼い主を探す本屋さんです。店主のクー・シウニンは、店の宝物は何?と問われて、

「2匹の猫です。猫はカウンターの上にじっと座ってくれるので、店の宝っぽいです。犬はあちこちうろうろして、店の中でじっとしていてはくれません。」

所変われば、店も変わるのですね。この書店は、取り扱いジャンルが、文学・歴史・哲学・生活・芸術と多義に渡っています。全部読んだわけではないのですが(400ページの大著)、どの書店の店主も面白く、ユニークな方たちばかりです。自ら、身勝手な書店と言う「新手書店」店主ジョン・ユーテインは、経営上の問題を聞かれて、「収支バランスが取れないこと」と即答したり、店の宝物ときかれて「サルです。申年生まれなので、店にサルの小さなぬいぐるみをたくさん飾っています」と答えています。

台湾に行く、行かないに関わらず、隣国の書店事情を覗き見るにはうってつけの一冊だと思います。

 

 

 

 

青春時代ってどのあたりをいうか、人によって違うと思いますが、まぁ16〜7才から20代後半としてその頃に、私がこの人の映画はすべて観ておこうとのめり込んだ俳優が、スティーブ・マックィーン、ロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッド、そして菅原文太でした。マックィーンと文太は亡くなりましたが、レッドフォードとイーストウッドは健在です。二人の共通点は、ハリウッドとの距離を保ちながら自分の世界を作ってきたことです。そのレッドフォードが「俳優引退」宣言をした映画「さらば、愛しきアウトロー」を観ました。

時は1980年代初頭、アメリカ。スーツのポケットに忍ばせた拳銃をチラと見せるだけで、誰も傷つけず、銀行強盗を成功させる男、フォレスト・タッカー。なんと74歳現役。被害者のはずの銀行の人間たちは警察の取り調べに対して、彼のことを「紳士だった」「礼儀正しかった」「微笑んでいた」と褒める始末です。その男を、御歳83才のレッドフォードが演じます。かつての美貌は跡形もなく消え去り、皺だらけの顔に最初はちょっと引きました。

思えば、1960年「明日に向かって撃て」で登場した彼は、もうカッコいい!としか表現できませんでした。それから、「スティング」「追憶」「大統領の陰謀」「ナチュラル」とどれだけ彼の映画を観てきたことか……。彼の皺だらけの顔を見ているうちに、こちらも年齢を重ねて来たんだなぁ〜としみじみ思ってしまいました。

レッドフォードは、彼だけが持っている軽妙洒脱な雰囲気を上手く使っている作品が多くあります。この映画も彼のそんな特質が生かされています。1980年代のノスタルジックな雰囲気も、彼にとても似合っています。監督はデビット・ロウリー。昨年の「ゴーストストーリー」で、その手腕に感心し、ブログにも書きました。昨今の過剰なまでのスピードアップの演出とは全く違い、ゆっくりと、物語を紡いでいきます。それが、60年代後半から70年代後半のアメリカ映画のリズムだったことを思い出させてくれます。あの時代のアメリカ映画を浴びるほど観てきた青春時代を想い、ノスタルジックな感傷に浸ってしまいました。

撃ちあいも、スリリングな銀行強盗のシーンもありませんが、アメリカ映画のいい匂いが立ち込めている作品でした。ホッコリする強盗映画です。共演のシシー・スペイセクが、美しく歳を重ねてレッドフォードに静かに寄り添い、素敵でした。

ところで、この邦題のセンスはどうよ!オリジナルタイトルの「オールドマン・アンド・ザ・ガン」の方が、よっぽど映画を表現しています。が、こういう邦題のつけ方もなんだか懐かしいかな。

 

 

 

 

 

1940年、アメリカに生まれた絵本作家、M.B.ゴフスタインは、様々な手法で絵本を製作してきました。今回入荷した「おばあちゃんのはこぶね」(現代企画室/新刊1620円)は、ほとんど線だけで描いたモノクロームの世界ですが、心に染み込みます。

おばあちゃんが子供だった時に、お父さんが、ノアの方舟と動物たちを木で作ってくれました。大きくなるにつれて、お父さんは動物たちを増やしてくれました。彼女はそれらを心から愛します。

「いまでは ぬりもすっかりはげている」

おばあちゃんは今も方舟をそばに置いて見つめています。父母はとうに亡く、自身も結婚し子供を育て、そして「みんないなくなってしまったいま、はこぶねはおもいででいっぱい」とベッドに横たわりながら回想します。

「よろこびとかなしみはにじのよう、それがわたしをあたためてくれる おひさまのように。」

おばあちゃんが、自分の長い人生を肯定するところで絵本は幕を閉じます。巻末に、亡くなる直前の彼女の言葉が載っています。

「ねえ、私、良い人生を生きたと思うの。素晴らしい、人生を。12月20日には77になるのよ。死ぬことは構わない。まったく。別れたくない大切な人たちはいる、もちろん。でも….死は私の友達。死と、希望。希望。」

彼女は77歳の誕生日にこの世を去ります。生きて、死ぬことを簡潔に描いた傑作絵本です。

表紙の絵。窓の外、雨を見つめる後ろ姿のおばあちゃんは、何を思っているのでしょう?90才になった短いような長い時間に思いを寄せているのかもしれません。
 谷川俊太郎は、ゴフスタインの「ぶるっキーのひつじ」「ふたりの雪だるま」「生きとし生けるもの」等の作品も翻訳していますが、本作でも静けさと淋しさと喜びをシンプルな文章で日本語にしています。詩人ならではと思います。 

 

 

★地味だけど、渋い大人向けの絵本を10冊程入荷しました。(すべて新刊)

おいおい紹介していきますが、全冊表紙を見せて店内で展示していますので、ぜひ手に取ってご覧ください。

 

 

 

 

と言っても、人間ではありません。名古屋東山動物園に暮らすオスゴリラ、シャバーニのことです。彼のオフィシャル写真集「シャバーニ!」(扶桑社/古書750円)の表紙を見た途端、こういうガッチリした侠気あふれる顔を見たのは、ほんと久しぶりだと思いました。

1996年10月オランダのアペンヒュール動物園生まれ。人間の歳に換算すると40台後半というところだそうです。2007年、東山動物園に来園。5頭からなる群れのリーダーです。彼の様々な表情に、作家、哲学者の言葉が添えられています。ただ、このチョイスにセンスがなくて、ダサい!シャバーニの威厳と奥深さを全く理解していないように思えますので、無視してください。

彼の魅力は、何と言ってもその目にあると思います。洞察力があり、決断力十分の視線。高倉健が仁義をきっているような渡世人風の視線もあったり、そうかと思えば、いやぁ〜失敗してしもぉた、というようなシャイな表情が捉えられていて楽しいです。

前述したように、文のセレクトがなんかダサいのですが、古代ローマの詩人マルティアリスの「すべての日が それぞれの贈り物を持っている」という言葉とシャバーニの横顔は秀逸でした。この意味、わかるかね、君に。とでも問いかけている深い目つきに惚れます。

 

 

ゴリラと言えば山極先生の本を紹介してきましたが、ここでは三谷雅純の「ゴリラの森の歩き方」(地人書館/古書1600円)をオススメします。アフリカの中央に位置するコンゴ。その北東部に広がる熱帯雨林にある<ンドキの森>のゴリラの調査をベースにした、コンゴの人たちとその自然を紹介する本です。

岸政彦の「図書室」(新潮社/古書1200円)は、私の中では、今年(まだ上半期ですが)中篇小説ベスト1。ブログのタイトルに「小説も上手い」と書きましたが、岸の本職は社会学者です。2016年の紀伊国屋人文大賞を受賞した「断片的なものの社会学」を、面白く読みました。

名古屋生まれ大阪育ちで、今も大阪在住の彼が小説の舞台にしたのは、淀川の岸辺です。主人公は四十過ぎの女性で、定職もあり、そこそこ貯金もある一人暮らしに不満はありません。

「私はベッドに座って取り込んだ洗濯物を適当にたたむと。キッチンでお湯を沸かしてコーヒーを入れた。雨の日曜日。今日はシャワーを浴びたら、梅田に行って、阪急の紀伊国屋か茶屋町のジュンク堂で何か本を買おう。」それなりに幸せな暮らしを続けている主人公が、小学校の頃に通った古い公民館にある小さな図書室のことを思い出します。そこは、

「学校という、いろいろ楽しいこともあるけど、でもやっぱり行かずにすむなら行きたくない場所と、心から愛している母親と猫たちがいて暖かいこたつもある自分の家との間にあって、ちょっと大人になったみたいにひとりになれる場所。」

そこで、一人の少年と出会います。やがて、仲良くなった二人は、世界が終わり、二人だけが生き残るという妄想にのめり込みます。「世界の人類が滅びたあとで、幾多の苦難を乗り越え、スーパーにも忍び込み、畑を耕したり淀川で魚を釣ったりして生きていくことを想像する。」そして、図書室から宇宙の彼方へと飛翔する少年と少女の果てない空想力は、ある大晦日の日、二人にあることを決行させるのです。

たまらない気持ちにさせてくれる小説です。。思い出してください、小さな頃に何気なく見ていた光景や、どうでもいいような会話が、どれ程大切なものだったのかを。そして、その時そこにあった風景の愛おしさ。淀川の匂い、冬空の冷たさ、そしてもういなくなった人たち。ラスト、主人公が、少年といた淀川を再び訪れるシーンは、泣けてきます。いい物語を味わったという思いでページを閉じました。本書には、大阪愛に満ち溢れた自伝エッセイ「給水塔」も収録されています。

「何かのタイミングがたくさん重なって、ひとは知らない街にやってきたり、友人と静かな散歩をしたり、真冬に誰もいない万博公園でいつまでも森を眺めたりすることがある。ふだんどれだけ荒んだ、腐った、暗い穴の底のようなところで暮らしていても、偶然が重なって、何か自分というものが圧倒的に肯定される瞬間が来る。私はそれが誰にでもあると信じている。」

あります。こういう瞬間が人生には。

 

 

 

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インドネシアから届いた映画「マルリナの明日」。「全く新しい『闘うヒロイン』に喝采!」というキャッチコピーがドカーンと出ていますが、この言葉に引っ張られて見ると肩透かしを食らいます。

夫と子どもを亡くし、荒野の一軒家で暮らす天涯孤独のマルリナ。突然、彼女のすべてを奪おうとする強盗団に財産の家畜を奪われ、レイプされる寸前、首領マルクスの首を鉈で刎ね飛ばして窮地を脱出します。自分の正当防衛を証明するため、たった一人で、マルクスの首をぶら下げて警察署へと向かいます。だが、強盗団の残党達がマルクスの復讐のため彼女の跡を追い始めてます。こう物語を書けば、マカロニウエスタン風の血湧き肉躍るアクション、窮地に陥ったヒロインの孤軍奮闘ぶりを想像しますが、38歳の女性監督モーリー・スリヤは、そういう展開には持ち込みません。

殺した男の首を持って荒野を行く物語といえば、サム・ペキンパーの「ガルシアの首」が思い出されますが、ちょっと似たテイストです。マルリナの他に、もう一人臨月間近の女性が登場します。夫の無理解とDVを知りながら、夫のもとへと行こうとする彼女とマルリナが、インドシナの山々を超え、旅を続けてゆく様を丹念に描いていきます。

フォトジャーナリスト安田菜津紀さんが、映画のHPで、こんなコメントを書いていました。

「理不尽に殴られるのは、助けを求めた先で心ない言葉を投げつけられるのは、女性が弱いからなのだろうか。違う、彼らは女性の強さにつけこむのだと、マルリナの背中は語っていた。
この映画は単なる“復讐劇”ではない。闘うことを強いられた、女性たちの声の形なのだ。」

そうなんです。これ、復讐劇ではありません。男に強いられた不条理と暴力に、やむなく立ち向かった女性たちの物語なのです。鉈で男の首を跳ね飛ばすシーンには、この国の男と女の古い因習を断ち切る意味合いが含まれているのかもしれません。スリヤ監督は、映画愛を随所にちりばめながら、二人の女性の弱さと強さを見事に描き出していました。

荒野のど真ん中、男の首を片手に、鉈を背中に背負って立つマルリナの姿が印象的でした。

 

 

 

 

フォトジャーナリスト渋谷敦志がアフリカ・アジアの辺境を、そして東日本大震災後の福島を歩き、写真家としての自分の存在意義を問い続けたルポルタージュが「まなざしが出会う場所へ」(新泉社/新刊2160円)です。

傑作という名にふさわしい一冊ですが、決して楽しい本ではありません。むしろ、見たくない世界の姿に呆然とさせられる本です。でも、きっと読者の心に何かを残します。

渋谷敦志のことは、瀬戸内人からリリースされた写真集「回帰するブラジル」(3996円)で知っていました。少年、少女の躍動感を撮った作品が印象に残っています。

ところが、本書に登場する少年少女や、母親を撮った作品は、戦争、飢餓、貧困、災害等で行き場を失い、満足な医療を受けることもできず、明日の命さえわからない状況にいます。

「カメラを持ってそこにいる。ただそれだけで、いのちを冒涜しているように思えていたたまれなかったが、ひとつのいのちが飢餓によって失われた事実を、そしてただ傍観することしかできなかった自分の無力をせめて記憶に刻もうと、ごめんな、と心のなかで手を合わせてファインダーをぐっと覗き込んだ。」

その覚悟で、彼は苦しみ続ける人々の元へと向かいます。希望を失って生きる悲しみに満ちた眼、憎しみに満ちた眼に晒されて、その視線に射抜かれ、挫折し、立ち止まってしまう。しかし、「それでもなお、お前は何者なんだ、と厳しく問いつめる眼に自分を開いておくこと」を通します。まさに地獄と化したアフリカの奥地で、「人間はこんなふうに苦しめられてはいけない、人間をこんなふうに苦しめてはいけない、というやむにやまれぬ思い。」で、シャッターを切り続けます。

そういう写真が並んでいるのです。悲惨な環境で生きている彼らの日々。希望など皆無のはずなのに、眼には生きる力が輝き、食うや食わずの生活なのに、すっくと立った姿には人間の尊厳が宿ります。子供にお乳を飲ます母親。ガリガリの乳房に吸い付く、やはりやせ細った子供。思わず眼を背けたくなりながら、なぜか目が離せません。うまく表現できる言葉が見つかりません。ただ、写真の持つ強い力を受け取りました。

「生死を分かつ戦禍をくぐり抜け、今ここにいる。ここで生きている。その存在は弱いけれど。とても強い。彼女の透徹した眼差しに宿る生命の灯火が、罪なき人びとを長く愚弄してきた不条理の真実を、無言のうちに語る証言となってほしい。そう願わずにはいられなかった。」

 

 

 

ところで、トランプがよく口に出す「アメリカ・ファースト。」に対して、大阪出身の彼はこうぶちまけています。

「何がアメリカ・ファーストや。ヒューマニティー・ファーストやろう」と。ほんまに、その通り!

 

★恒例『レティシア書房夏古本市』は8月7日(水)〜18日(日)開催します。

 

 

北海道発の京都紹介新聞「その界隈(北海道と京都と)」の10号発売記念として、「僕らの界隈展」が本日から始まりました。新聞の中から印象的な言葉が、大きくプリントアウトされて壁一面に張り出されて、なんかむちゃくちゃテンション上がります!もちろん新聞のバックナンバーは1〜10号までずらりと並びました。京都好きの北海道のお二人が「北海道と京都」について書いた、実に中身が充実した新聞紙形態のミニプレスです。京都に住んでいると見逃してしまうような面白い切り口と素敵な写真が満載で、オススメです。

今回の展示では、北海道津別町在住のアーティスト大西重成さんの「トッタン画」(トタンのコラージュ作品/33000円〜)と靴の木型のオブジェ(大16000円/小8000円)、札幌在住の写真家酒井広司さんの風景写真、京都からは「今宵堂」さんの可愛い酒器が並びました。

大西重成さんは、坂本龍一のレコードジャケットを手がけたデザイナーとしてご存知の方もいらっしゃると思いますが、モスバーガーが出していた「モスモス」というフリーペーパーの表紙担当をしておられました。伝説となった「モスモス」も今回販売されていますので、お見逃しなく。(1600円)

酒井広司さんの写真は、「その界隈」に毎号掲載されていて、いつも美しいなぁと思っていました。ミニ写真集「北海道の旅」(1200円)、ポストカードセット(800円)など販売しております。

「今宵堂」さんの酒器は2016年1月に「樽」という酒の雑誌展を開催した時、出展していただきました。ゆらゆら揺れるなんともほろ酔い気分のおちょこ(1296円)は、舞妓さんの風情でかんざしを付けて可愛い。おなじみの「成駒箸置」(540円)は裏面は皆「素面」と書かれていて、表面は「底無」だの「笑上戸」だの様々な言葉が書かれています。それぞれの酔った加減でお楽しみください。他にも「座興賽」(540円)泥酔お守り「酔ワン」(540円)なども。

京都は折しも祇園祭の真っ最中。北海道から来られた方々も、みなさん昨夜は宵山見物でいいお酒だったとか。このタイミングで北海道と京都の展覧会を開催できることは嬉しいです。暑い毎日ですが、お祭り見物の合間にお立ち寄りいただければ幸いです。なかなか見ごたえありますよ。ところで、大西さんの二つ並んだ木型のオブジェのあんまり可愛いので、結婚のお祝いにピッタリと思ったのですが、誰か結婚する人いないかな?(女房)

「僕らの界隈展」は7月16日(火)〜28日(日)月曜定休日 

  12:00〜20:00(最終日は18:00まで )

 

 

★恒例『レティシア書房夏古本市』は8月7日(水)〜18日(日)開催します。

 

「ideal life」は、2017年秋から、「植物はたのしい。」をテーマにしたミニプレスです。縦13cm横18cmの小さな本ですが、中身はぎっしり。快適に植物と暮らす企画を、毎回毎回編集しています。今月から、この雑誌の創刊号〜最新7号まで揃えました。

毎回「植物にまつわる本」というコーナーで、様々な本が紹介されています。私は、まずこれを全号読みました。各号のテーマに沿って、ムナーリの「木をかこう」、柳宗民の「柳宗民の雑草ノオト」等の王道を行く本もあれば、S・カニンガム「願いを叶える魔法のハーブ辞典」、森乃おと「草の辞典 野の花・道の草」といった実用書もの、さらにはリベラ著「月と農業ー中南米農民の有機農法と暮らしの技術」、白幡洋三郎著「花見と桜ー”日本的なるもの”再考」みたいな人文、社会学系の本まで網羅されています。当店でも販売している「種子のデザイン」(LIXIL出版)、「ENCYLOPEDIA OF FLOWSERS 2植物図鑑」(青幻舎)といったデザイン系まで押さえてあります。

和菓子好きには、「植物の和菓子」というコーナーが常設せれていて、クリ、アサガオ、アジサイ、キク、サクラという植物をイメージしたお菓子が紹介されています。「さくら」を特集した3号では、桜餅の解説があり、上方風「道明寺桜餅」江戸風「長命寺桜餅」が押さえてあります。

各号の特集はこんな感じです。

1号「イチョウ」、 3号「さくら」、4号「植物はおいしい」、5号「みちくさ」、7号は「あじさい」です。え?2号、6号はどうなってるの?と、ここが面白いのです。

先ず2号ですが「脱線2号」と裏表紙に書いてあり、ペラペラの冊子で、書いてあるのはシュトレンというケーキの特集です。後書きに曰く「主役は活版印刷のポストカード。この紙はおまけです」ーもちろんシュトレンが描かれています。6号は、「コタツ園芸のススメ」の特集で、やはりペラペラ。これ、園芸や植物に関する本を、コタツに入って読みふけり、机上妄想園芸を楽しむやり方です。この号は「りんご特別号」というもう一つの特集があり、りんごの冊子が付いていて、りんごの植物学、民俗史の情報が大盛りで読めます。りんごのバッチも付いています。(写真右)

この雑誌を主催する、いとうやすこさんは、 WEB系のお仕事を長年されている一方で、髪の雑誌を作ったことについて、HPでこう述べておられます

「長らくWebの仕事をしているのに、いや、しているからなのか、雑誌世代のわたしは「紙媒体」に強いあこがれがずっとあったようです。それがリトルプレス発行へとだんだんつながっていきました。植物の本に触れることで、本に触れてページをめくることがますます好きになったこともあるのかもしれません。自分でも、いつのまにか作りはじめていた、という印象を持っています。」

本好きのための「植物のミニプレス」というスタンスです。価格は1号、3号、4号、5号。7号は540円、脱線2号は324円、6号は648円です。一度手に取って、その楽しさを感じてください。

 

 

 

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原田マハの小説は、時々読みます。彼女は、森ビル森美術館設立準備室に在籍していた時に、ニューヨーク近代美術館に派遣されて勤務した経歴の持ち主です。作品でも美術関係のものが多くあります。以前に、ブログで紹介した「暗闇のゲルニカ」は、ピカソの「ゲルニカ」を巡る物語でした。

今回ご紹介するのは、ゴッホが主人公の「たゆたえども沈まず」(幻冬舎/古書900円)です。ゴッホがメインになるのではなく、画商としてパリで活躍する弟テオドルスと、パリで画商を始めた二人の日本人の交流がベースになっています。この二人の日本人のうち一人は架空の人物ですが、史実に基づいた物語として構成されていて、印象派が注目を浴び、新しい美術運動が盛り上がってきたパリの動向、そしてゴッホを含めた新しい画家たちが、日本の浮世絵に大きく影響を受けていた様子が描かれています。

ほぼ400ページの大長編ですが、読みやすいので疲れません。原田マハの小説は、ある文芸評論家が「深みに欠ける」と言っていました。言葉も平易で、改行も多く、また各章が短いのでそう言うレッテルを貼られたのかもしれません。けれども、深みがあっても響いてこない小説を読むよりは、はるかに良いと思います。ちょっと安易だなぁ〜と感じた部分もありますが、新しい芸術運動が吹き抜けたパリのあの時代を、一緒に生きた気分になるのは、作家の力量です。

「印象派ーとは、新たに出現した革新的な画家たちの集まりを皮肉ってつけた意地の悪い呼び名であった。」

1874年、写真家ナダールのスタジオで企画された「画家・彫刻家・版画家の共同出資会社 第一回展」が印象派が世にでた最初でした。しかし、彼らの自由な画風は全く評価されず、ボロクソに批判されます。それから、時間をかけて美術界のメインストリームになってゆく、その一方で貧乏画家として苦しい日々を続けるゴッホと、彼への憎しみと愛情に揺れ動く弟。そんな時代の流れを柔らかく教えてくれる一冊です。この本を読みながら、店にある図録「広重と歩く東海道五十三次展」(古書1200円)や、「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」(古書1300円)を広げて作品を眺めました。今でこそ、大人気の印象派であり、ゴッホですが、こういう歴史があったことを知ることが出来ました。

 

「フィンセント・ファン・ゴッホ。享年三十七。

テオドルス・ファン・ゴッホ。享年三十三。

それぞれが細くはかない糸だった兄と弟は、結び合って強くなり、互いの存在に励まされ合って生き延びた。けれど、決してほどけないはずの結び目が、ふいにほどけた。フィンセントの自死によって。」

物語終章は二人の死です。けれどもこの後に、作家は微かな希望を残します。それは、残されたテオドルスの妻です。安心して、本を閉じることが出来たのは彼女のおかげです。何をしたのかは、この長編にたっぷりとハマってのお楽しみです。

★恒例『レティシア書房夏古本市』は8月7日(水)〜18日(日)開催します。

暑い時ですが、またお運びくださいませ。