京都市美術館は1933年に開館し、公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で二番目に開館した美術館だそうです。2017年春から全面改修工事に入り、今年京セラ美術館として新装オープンしました。その杮落とし企画された杉本博司「瑠璃の浄土」展にやっと行ってきました。(コロナ対策として、事前予約しないと入場できません。)美術館は、壮麗でクラシカルな正面の外観を残しながら、中に入ると、明るく現代的なデザインでした。杉本博司展は館内奥「東山キューブ」と名付けられた場所で行われていました。

京都での杉本の初の大規模個展は、写真作家としての彼の作品が「京都」、「浄土」、「瑠璃・硝子」というテーマでくくられています。三十三間堂の千手観音立像を撮影した「仏の海」は、早朝の朝日が仏像の顔を通過してゆく瞬間が、見事に捉えられていて荘厳でした。

以前、TV「日曜美術館」で取り上げられていた「日本海、隠岐」という三点の作品が、放映時から強く印象に残っていて、その作品を見ることができるのが最大の楽しみでした。

一見すると、沖合を捉えたに過ぎない作品なのですが、海と空の境界の彼方に広がる世界に思いをはせる作品です。生き物のように悶える白波、限りなく境界線が混じり、どこまでが海で、どこからが空なのか、見ていると魂が、するりと身体を抜け出して、彼方へと漂っていくような錯覚に陥ります。何時間でも、ここにいたいと思える作品でした。世界初公開となる大判カラー作品「OPTICKS」シリーズも展示されていて、色彩の揺らぎの中に、自分が溶けていきそうでした。猛暑の朝でしたけれど、素敵な展覧会を見ることができました。

 

私は京都生まれ京都育ちで、京都市内の下京区→左京区→中京区と、引っ越しを繰り返しただけで、ずっと京都から出たことがありません。だから、 神戸、京都、大阪、東京、福岡、鹿児島と全国各地で暮らしたユン・ウンデ著「異聞風土記1975-2017」(晶文社/古書1100円)を読んで、その面白さに引き込まれました。

著者は1970年神戸生まれ。

「父方の祖父母は別々に植民地下の朝鮮から渡来し、京都の洛外の被差別部落と隣り合う朝鮮人部落に流れ着いた。そこで夫婦は所帯を構えた。吹けば飛ぶようなあばら家の六畳一間に一家八人が住んでいた。腹を満たすために水を飲むといった、地べたを這うようなかつての日々を思えば、魚崎の暮らしは夢のようなものであったろう。」

阪神電鉄魚崎駅に一軒家を構え、著者は家族と住んでいました。「だが父はさらに上を目指した。9年後、私たちは山手の岡本に引っ越し、家からいつも眺めていた山上に梁の太い居を構えた。神戸を見る際のアングルをぐるりと変えたわけだ」

高度成長期からバブル経済下の日本で、それなりのハイソな生活を手に入れた一家だったが、バブル崩壊と共に、この家族の幸せも崩れ去ります。インドを放浪していた著者が、所持金がなくなってきたので助けを家に求めた時、父は開口一番こう言います、「株が大暴落したんや。家が抵当に入るかもしれん」

放浪から4年後、TV製作会社で働いていた著者は、阪神大震災で燃え上がる神戸の惨状をTV画面で見つめていました。

著者は、様々な事情から日本各地で生きていくことになります。繁栄の絶頂にいるような大都市もあれば、ほつれた暮らしぶりが見えてくる地方の街もあります。どの街でも、そこでしか生きていけない人々の息吹があります。それを感じ取りながら、各地で暮らした自分を見つめていきます。

「そこでしか語られない言葉があり、そこに吹き渡る風がある。風土を記すとは、表に現れないところを感じることではないか。」

土地と格闘し、人と格闘しながら、日本を、日本人を見つめていきます。ズシリと重いものが残る一冊でした。

 

イギリス郊外の閑静な住宅地。玄関で草花の世話をしている高齢の女性が、主人公ジョーンです。ある日、ドアを激しくノックする音がして、開けると、警察がスパイ容疑で逮捕するというのです。

どこにでもいそうなおばあちゃんが、突然のスパイ容疑?映画「ジョーンの秘密」の幕開けは、いきなり不穏な空気が漂います。

そして物語は、ジョーンがケンブリッジ大学で物理学を専攻していた1938年へと戻ります。そこで彼女は、友人に誘われた共産主義者たちの会でレオという男性に一目惚れをして恋におちます。

時代は、第二次世界大戦のまっただ中。大国は新しい兵器である原爆の開発に突っ走っています。1941年、ジョーンの勤務する核開発研究所もやはり、原爆研究に邁進しています。優秀な学生だった彼女は、ここで実力を発揮し、上司である教授の助手として研究の核心部分に触れていきます。やがて、アメリカによるヒロシマへの原爆投下。

その爆発の一瞬を映像で見たジョーンは、予想以上の破壊力に驚き、恐れます。自分たちの作ろうとしていたのは、とんでもない怪物だったのです。「ヒロシマ…..」と呟く彼女の顔にはこんなものを未来に残すのかという不安が満ちていました。

映画は、現在のジョーンと、若き日の彼女を交互に見せていきます。原爆の恐怖に慄いた彼女が選んだ行動は、平和のために核を抑止力として使うことでした。そのためにアメリカに敵対するソ連に情報を流すという、研究員としてはやってはならない行為でした。大国はいつの時代も、若い才能を政治に利用して使い捨てにすることを厭わないのです。違法行為とわかっていても、たった一人の女性が、考えた末取り得る数少ない正義の行動だったのかもしれません。仕事の上で、男性と同等に扱われることがなかった時代背景も取り入れながら、原爆に関わったために、大きく人生行路を変えていかざるを得なかった女性の一生。名優ジュディ・デンチと、彼女の若き日を演じたソフィー・クックソンの二人の演技が素晴らしく、映画全体もオーソドックスで端正な演出で貫かれています。傑作です。

 

 

ピーター・バラカンの名前を知っている人は、きっと音楽大好きの人だと思います。1951年ロンドン生まれ、74年に来日。その後、ラジオのパーソナリティとして、各種の番組に出演して、ロック、ポップスを中心にして世界の音楽を紹介してきました。

世界の音楽に対する知識とその素晴らしさを伝える文章力、そして、自分の立ち位置をしっかりと踏まえた上での政治的発言などで、最も信頼している音楽評論家です。「Taking Stock ぼくがどうしても手放せない21世紀の愛聴盤」(駒草出版/古書1300円)は、よくあるベストヒット音楽チャートからは見えてこない素晴らしい音楽を紹介した一冊です。

私にとってバラカンさんは、アフリカ音楽への興味の扉を開けてくれた人です。彼がいなければ、アフリカ、中近東、南米など、いわゆるワールドミュージックなど聞いてこなかったかもしれません。

本書でも、数多くのアフリカ圏の作品が取り上げられています。あっ!これ、彼の愛聴盤だったのかと、嬉しくなってきたのがマリ共和国のサリフ・ケイタの”Moffou”(1500円)です。サリフは、アルビーノ(先天性色素欠乏症)なので、肌はピンク色、髪は金髪です。その病気に対してマリの社会は理解がなくで、迫害を受けてきました。

13世紀に遡るマリ帝国創始者の末裔に当たるサリフは、家庭でも迫害され、音楽活動禁止を宣告されます。その反対を押し切って、世界に飛び出していきます。そんな彼の生い立ちや、そこから生まれてくる音楽を紹介してくれます。本アルバムのオープニングを飾る“Yamore”の素晴らしさをバラカンさんはこう説明しています。

「やさしいラテン風のパーカッションとアコーディオンの演奏に、これこそアフリカの音楽の大きな魅力と言える女性バック・ヴォーカルの反復フレーズに重なるように、サリフの伸びやかな歌がさりげなく滑りだします。」

私たちが持つアフリカの大地のイメージ、そのままの風景が広がってきます。心晴れわたる音楽ってこういうことだと思います。初めて聞いた時、あまりの素晴らしさに呆然としました。「この1曲だけのためにでも欲しくなる名盤」と書いていますが、その通りです。3曲目”Madan”は、体が思わず動きだし、どんな踊り方だっていい、足を踏み鳴らし、手を振り回す。そんな気になる一曲です。この曲を聴きながら、京都市動物園のゴリラと一緒に踊っている自分を夢想しましたね。

バラカンさんの本を読んだら、このCDも、あのCDも欲しい!と思います。音楽ファンには危険な本かも………。

今江祥智/作、片山健/絵による「でんでんだいこ いのち」(童心社/古書900円)は、夏に読むのにピッタリの絵本です。

「あとひとけずりで おれのたいこのばちができあがる。この八月で十七になる、おれの手ェいっぱいのふとさのものだ。あとは、まっ白いふんどししめて、ぶたいにあがり、大だいこをうつだけだ。

心をしずめるために、目をつむる。と、おれの耳のおくから、みっつの音がゆっくりときこえてる…..。」

今、まさに祭りの舞台に上がろうとする少年の心に、遠い日の三つの音が蘇ります。一つ目は、北の海で漁師をしていたじいちゃんにまつわる音。じいちゃんは、入江に迷い込んだマッコウクジラを村人総出で解体します。その祝いの踊りの場で、持っていたクジラの骨を打ち鳴らします。

片山健が、迫力あるクジラたちの姿を力強いタッチで描いていきます。海岸から飛び上がるクジラの音が聞こえてきそうです。そのクジラたちに負けじとじいちゃんは骨を叩いているのです。

二つ目はとうちゃんの音です。花火職人だったとうちゃんは、戦争中、花火は打ち上げることはできません。繰り返される爆撃で、街は炎上します。その様にキレたとうちゃんは、爆弾が落ちてくる夜空に向かって、ありったけの花火を打ち上げました。とうちゃんなりの戦争への抵抗だったのかもしれません。その大花火の音が二つ目の音です。

三つ目の音は、でんでん太鼓の音です。6人兄弟の末っ子に生まれた、主人公の少年は、なかなかおもちゃも買ってもらえませんでしたが、ある夏祭りの日、そんな少年の手に、誰かがでんでんだいこを握らせたのです。

「でんでんだいこ、いのちーとおもうて、だいじにだいじにしとったもんな。いまも、ちゃあんともっとるとも。」

それら三つの音に背中を押されて、少年は舞台に上がります。

「ばちが、しあがった。ふんどしもしめおわった。ぶたいのまん中の大だいこだけが、あかりに、てらされてかがやいとる。」青年になった彼の凛々しい横顔。

絵本の最後を飾るのは、ふんどしを締めた少年が、今まさに大太鼓を叩こうとする後ろ姿です。クジラの音、花火の音、でんでん太鼓の音が重なり合って胸おどる音楽が聞こえてきます。みんなかっこいいです。大太鼓の音の高揚感を味わってください。

ところで、主人公にでんでん太鼓を渡したのは誰か? 胸がキュンとなりますよ。

★お知らせ 8月17日(月)〜20日(木)休業いたします。

大手映画館で、今、スタジオジブリの代表作「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」等を再上映しています。おそらく、大作の新作の公開が遅れているためですが、お客さんは入っているようです。

当店でも、スタジオジブリの監督の宮崎駿とプロデューサーの鈴木敏夫の著作を何点か入荷しました。これだけはぜひ読んで欲しいと思うのが、宮崎のコミック「シュナの旅」(アニメージュ文庫/古書400円)です。チベットの民話を元にして、宮崎がオールカラーで描いた作品です。後の「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」の原点とも言える作品です。「もののけ姫」で主人公が乗っていたヤックルという動物が、すでにここで登場しています。

「本へのとびら」(岩波新書/古書800円)は、宮崎が、岩波少年文庫への溢れ出る愛情を語ったものです。前半は、スタジオジブリで非売品として作られた小冊子「岩波少年文庫の50冊」をベースにして、宮崎が推薦する児童文学が紹介されます。この中で「第九軍団のワシ」という歴史小説が推薦されていますが、私も大好きな一冊です。宮崎も、東北を舞台にしてアニメ映画にしようとしていたことを知りました。是非、観たい!!

一方、宮崎と共に映画を製作してきた鈴木敏夫の「仕事道楽新版」(岩波新書/古書400円)は、プロデューサーとして宮崎駿、高畑勲にどう付き合い、そして共に苦労しながら、映画を世に送り出してきた現場をリアルに伝える一冊です。

宮崎は映画作りを航海に例えました。乗組員は、監督以下のスタッフ。航海はいつも順風というわけではありません。雨や嵐の日もあります。無事に目的地に着けるのかわからない。そのスリルとサスペンスを全スタッフが味わうことが、映画を面白くするというのです。

「結末がはっきりとはわからない、というのは大変なスリルです。航海にたとえるのはうまい比喩ですが、その比喩でいけば、難破という危険性もあるわけで、つまり映画ができないということになってしまうんですけどね。」

鈴木は、そんな危険を回避しながら映画を製作しているのです。彼の「人生は単なる空騒ぎ」(角川書店/古書950円)には、映画の企画書、製作過程、キャッチコピー、宣伝、CMコンテに至るまでの資料が収録されています。本書には、宮崎映画のキャッチコピーなどが、鈴木の力強い毛筆で書かれています。

 

ちょっと面白いところでは、ロバート・ウェストール「ブラッカムの爆撃機」(岩波書店/古書1450円)があります。宮崎が愛するこの児童文学に、彼の書き下ろしの「タインマスへの旅」という漫画を寄せているのです。飛行機オタクの宮崎らしいです。

★8月17日(月)〜20日(木)まで休業いたします

大島新監督のドキュメンタリー「なぜ君は総理大臣になれないのか」(京都シネマにて上映中)は、日本の政治風土を丸裸にするような傑作映画でした。

若手国会議員の小川淳也氏。2019年の国会で不正会計疑惑を質す姿が注目を集めた政治家です。映画は17年にわたって彼を追いかけました。

2003年、小川は32歳で民主党から衆議院選挙に初出馬するも、落選。05年の衆議院選挙において比例復活で初当選。09年に民主党が政権を奪取。気高い政治思想を持っていた小川ですが、党利党益に貢献しないと出世の目のない政治の世界で、しかも敗者復活の比例当選を繰り返していたことから発言権も弱く、党内では力をつけることができませんでした。

17年の総選挙で、希望の党に合流した前原誠司の側近であった彼は翻弄されます。希望の党の小池百合子代表に対する不信感から無所属での出馬も考えるのですが、悩んだ末に希望の党から出馬し、地元ではまたも落選。再び比例で復活したものの、今度は希望の党が解体してしまい、国民民主党へ。前原や、地元の先輩である玉木雄一郎への仁義に絡め取られながらも、一生懸命に選挙運動を続ける彼をカメラは追いかけます。

 

希望の党に鞍替えして選挙運動に出たばかりに、街の中では、裏切り者!という罵声が飛んでくる。そんな中、妻や娘もタスキをかけ、地元商店街を走り回るという典型的な日本の政治風景も、そのままカメラは捉えていきます。理想を追求しながらも、もがき、溺れ、なんとか這い上がろうとする若き政治家の姿。

「こんな選挙やってていいのかな。」

これは、小川の選挙のスタッフである同級生の言葉です。選挙カーから大きな声で連呼し、狭い道路に車を止めて演説を行ったりする運動への疑問。一族郎党を担ぎ出しての電話攻勢や、手紙の配布。小池氏への不信がありながら、希望の党員に甘んじている自分を見つめ、なぜ、無所属で出馬しなかったのかという後悔。

これは、一人の政治家の選挙の顛末ではなく、国を憂い、このままではいけないという熱い思いに突き動かされて、彼の父の言葉を借りれば「猿芝居」の横行する政治の世界で、あがく青年の映画です。

小泉今日子が「この映画がフィクションならば『主演男優も脇も固める役者たちも脚本も編集も最高!続編に期待したい。』となるのだが、これは一人の人間を追ったドキュメンタリー。自分の人生、生きかたを改めて考える時間になった。」と推薦の言葉を贈っていますが、それは小川が真摯に政治へ向かい、思いが、つまり彼の哲学がそこにあったから人の心が動くのだと思います。

 

★8月17日(月)〜20日(木)まで休業いたします

読み応え十分のノンフィクション。ピュリッツアー賞を受賞しただけの価値のある一冊「その名を暴け」(新潮社/古書1500円)。ニューヨーク・タイムズの新聞記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーの二人が追いかけたのは、ハリウッドで絶大な権力を誇る映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタイン。辣腕プロデューサーとして傑作映画を製作する一方で、自らの権力を利用して、女優や、女性従業員に対して性的行為に及び、バレそうになると示談金を提示し、そのことを口外しないように迫りました。

ハリウッドに君臨するワインスタインについて、地道な調査をし、被害者に会い、被害を取材させてくれるまで粘り続け、事実を積み重ね、記事を作り上げるまでの数年間の苦闘をまとめたのが本書です。この記事が、その後アメリカから全世界へと広がった「#MeToo運動」に火をつけたのです。

アメリカの新聞記者による傑作ノンフィクションといえば、ワシントンポストの二人の若い新聞記者がニクソン大統領の民主党盗聴事件を追いかけた「大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日」がありますが、それに負けない力作です。性被害を受けた女性たちの精神的苦痛をいかに和らげられるか、公開を前提に取材してゆく記者たちの苦労と、今こそ自分たちが受けた苦痛を世に公開すべきか、せざるべきかで悩む被害者たちの人生が、かなり細かく描かれています。だから、性犯罪のリアルなシーンも当然出てきます。読むのが辛いと思われる方もおられるかもしれません。

記者のミーガンは、取材のために、それまで何度も「招かれてもしていない家を訪問し、玄関扉を叩いたが、毎回心が重かった。」と書いています。そして、今回も「大きな木の扉を叩きながら、自分が他人の静かな生活へ押し入っていくような気がしてならなかった。」と感じていました。それでも、彼女たちは取材を続けました。

調査が進んでいき、いよいよ記事公開へ。ワインスタインが持てる力を駆使して、記事の公開中止を画策しますが、二人の記者とニューヨーク・タイムズは一歩も引きません。公開寸前のギリギリの攻防の描写はもう映画を見ているようです。

ワインスタインが役をあてがう代償として、肉体関係を要求する「キャスティング・カウチ」の虐待を行ない、それが組織化されていたことが白日の下にさらされます。彼はハリウッドを去り、検察当局から訴追されました。

400ページ余の本書を読み終えた時、あぁ〜この本はきっと野心的な女優、もしくは女性プロデューサーが映画化するだろうなぁ、と思いました。いや、ぜひして欲しいです。二人を管理する上司の編集者コルベット役は、きっと多くの女優がやりたいと手を挙げるでしょう。

最後に、著者の二人は「謝辞」をこんな言葉で締めくくっています。

「わたしたちの娘たち、そしてみなさんのお嬢さんたちへ。あなた方が職場やそのほかの場で、常に敬意と尊厳を受けられますように」

全世界へ向けられたメッセージです。

 

以前、この著者の「居た場所」をご紹介しました。そのとき、「物語自体はあまり面白くありません。が、ここに登場する迷路のような街角に連れ出され、白昼夢のような世界を見せてくれる描写が面白い!」と書来ましたが、本年度芥川賞を受賞した「「首里の馬」(新潮社/古書950円)は、物語も登場人物も不思議なのですが、とても心に染み入る作品です。

主人公は沖縄首里に住む、未名子という女性です。世界各地の孤独な環境下にいる人とオンラインでつながり、スタジオと称する事務所からクイズを出題して、しばらく雑談するという奇妙な仕事をしています。
南極の深海や宇宙空間で仕事をしているポーラ、ヴァンダ、戦争の危険地帯のシェルターで監禁生活をしているギハノ、などが顧客です。隔離されている場所にいる人に向けて、日本語で問いかけています。その側ら、町にある私的な資料館の整理を自主的に手伝っているのですが、ここには、戦争前後からの雑多な資料が未整理のまま、山積みされています。未名子は、奇妙な質問ブースと資料館とを往復しています。この作家らしい静謐なタッチで彼女の日々を描いていきます。あ〜これ沖縄の話だった?という感じでこの地の温度感はまるでありません。
台風が過ぎ去ったある日のこと、彼女は悲鳴を上げます。「カーテンを引き開けた目の前、未名子の家の小さな庭いっぱいの、大きな一匹の生きものらしき毛の塊がうずくまっていたからだ。」
それは、幻と言われる宮古馬だったのです。さて、この馬をどうするか思案していたところ、資料館の閉鎖が決まります。彼女は、ある決断をします。「この島のできる限りの全部の情報が、いつか全世界の真実と接続するように、自分の手もとにあるものは全世界の知のほんの一部かもしれないけれど、消すことなく残すというのが自分の使命だ」と。この島の血生臭い過去の記録を丸ごと残すために、「ヒコーキ」と名付けた宮古馬と共に、未来へ向かって一歩進み出します。
馬も、島の記録もすべて消えてゆく存在かもしれません。でも、作者はその事実に浸ってじっとしてはいません。最後の文章を読み終えた時、広がってゆく満足感。
この街で、小翠を追いかけたい気持ちになる力を持った小説です。」というのは、以前「居た場所」のブログで書いた文なのですが、今回の物語でも、未名子とヒコーキを追いかけたい気持ちになりました。

 

★お知らせ  勝手ながら8月17日(月)〜20日(木)夏季休業いたします。


Tagged with:
 

先日ご紹介した映画「アルプススタンドのはしの方」が映画人のセンスあふれる傑作とするならば、現在、京都国立近代美術館で開催中の、「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」は、美術館のスタッフのセンスの良さが光る展覧会だと思います。(9月22日まで)

季節の移ろいを、日本では二十四節気という季節の区分が用いられてきました。二十四節気は中国の戦国時代の頃に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案された区分手法だそうです。1年を12の「節季」と12の「中気」に分類して、それらに季節を表す名前がつけられています。重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分は併せて二至二分(にしにぶん)と言い、重要な節気である立春、立夏。立秋、立冬を四立(しりゅう)、二至二分と四立を併せて八節(はっせつ)と名付けています。

「本展では、この二十四節気に沿って、京都のくらしに息づく自然現象や草花、生物、祭や行事などを、当館コレクションから精選した美術・工芸作品に加え、映像資料によって紹介します。本展を一巡することで、一年を通してのくらしと自然そして芸術の豊かな関わりを体感し、自然・社会環境が激変する現代生活を改めて考えるきっかけとなれば幸いです。」

との美術館の解説通り、京都の一年間をぐるっと巡ることができます。暮らしにアートが密着していることの楽しさが堪能できます。もちろん河井寬次郎、竹内栖鳳、堂本印象、上村松園といった京都の画人だけでありません。私の好きな写真家、野島康三の昭和初期の作品にも出会えました。太田喜二郎という画家の「洛北の農家」(大正13年作)には、え?これ洛北?京都?って、まるでゴーギャンが描く南海の島の農夫みたいに明るいやん、と驚きました。

イギリスを代表する現代アートの巨匠デイヴィッド・ホックニーの「Kyoto 24 April 1993」も飾ってありました。おそらく龍安寺の庭だと思いますが、石庭を鑑賞する修学旅行生たちの後姿をカメラに収め、それを庭園とコラージュした作品でした。

京都の暑さ、寒さ、にわか雨、新緑に吹き渡る風の心地よさ、雪の美しさなどなど、日頃知っているはずの季節の変化が、作品から感じ取ることができて新鮮でした。

堂本印象の「冬朝」を観て、今まで敬遠していた金閣寺近くにある「堂本印象美術館」に行ってみようと思いました。

★お知らせ  勝手ながら8月17日(月)〜20日(木)夏季休業いたします。