頭木弘樹編の「絶望図書館」(ちくま文庫/古書650円)は、実にユニークな短編小説の編集ものです。先ず、ページを開けると「絶望図書館ご利用案内」」があります。曰く、

「この図書館は『絶望的な物語』を集めてあるわけではありません。『絶望から立ち直るための物語』を集めているわけでもありません。絶望して、まだ当分、立ち直れそうもないとき、その長い「絶望の期間』をいかにして過ごすか?」

そういう状況の時に訪れて欲しい図書館という事なのだとか。三つの閲覧室が設置されていて、それぞれの絶望の状況にお薦めの作品が並んでいます。

第一閲覧室「人がこわい」の中で「人に受け入れてもらえない絶望に」という場合、三田村信行作、佐々木マキ絵の「おとうさんがいっぱい」が挙げられています。第二閲覧室「運命が受け入れられない」の「人生の選択肢が限られているという絶望」には、安部公房の「鞄」が、第三閲覧室「家族に耐えられない」の中の「居場所がどこにもないという絶望」には、手塚治虫「ブラックジャック」が、それぞれ用意されています。

これ、人生にいき詰まった時にどうするか、というよくあるノウハウ本でありませんし、従って解決にはなりません。様々な絶望的状況に陥った時、この物語はよく理解できるよね、というものを集めたものです。例えば、「起きてほしくないことが起きるのを止められない絶望に」という状況には、ウィリアム・アイリッシュの「瞳の奥の殺人」が用意されています。

身体の不自由な老婦人の目前で行われる、息子の嫁による殺人事件を扱ったサスペンスです。確かに、身体も動かせない、しゃべることもできないというハンディがあるのに、殺人を止めるのはほぼ不可能でしょう。でも、ここでこれだけは起こって欲しくない時に、それが起こるってことあります。

李清俊(イ・チョンジュン)の「虫の話」は、「恨みが晴らしようのない絶望に」陥った時にどうぞ、という一冊ですが、いやこれは、宗教と人間を扱った小説としてとても良くできています。息子を殺された母親を描いた本作品を、選んだ編者のセンスに拍手です。

さすがと唸ったのが、「離れても離れられない家族の絶望に」で推挙された、川端康成のわずか数ページの短編「心中」です。ぞっとする美しさに満ちあふれた作品で、ショートショートの才人、星新一が「これだけは書けない」と絶賛したという小品です。

と、まぁ様々な絶望が想定されていますが、おぉ〜こういう時にこれか、上手いなぁ〜、とムフフと頷きながらお読みいただくのがベストです。

因みに第一閲覧室の前に、こんな言葉が掲げてありました。

「本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である」

太宰治の言葉です。

 

文月悠光という詩人をご存知ですか。高校3年の時に出した第1詩集「適切な世界の適切ならざる私」で、中原中也賞を18受賞した若き詩人です。彼女が書いた初のエッセイが「洗礼ダイアリー」(ポプラ社/古書1200円)です。

「2014年の春、大学を卒業したものの、就職はせず、詩人という名の無職になった。」

しかし、生活はしていかねばならない。生まれて初めてのアルバイト。上手くいかないことだらけで、周囲との違和感に悩みます。

「筆一本で食べていくのは無謀だと誰もがいう。書くことなんて労働じゃない、と言う人もいる。でも、何が現実的な選択なのか、それは私自身にしかわからないのでは?」

アルバイトを辞め、自らの道を歩き出します。詩人としてライブイベントに参加した時、初対面の男性から、「あなたの朗読にはエロスが感じられないね。セックスしてる?」と、言われ、呆気にとられます。セクハラ発言を軽くあしらうことができず、あたふたしつつも、世のセクハラに真っ向から立ち向かい、臆病な女子を演じることなく、こう言いきります。

「堂々と言おう。恋人がいなくても、セックスしなくても、詩は書ける。どんなときでも、飛びきり良い詩を提供できる。今の私には、それが一番まっとうな現実なのだ」

生きづらいこの世界で、抗いながらも、自分のあるべき姿を見つけていきます。

本の最後に、祖母との別れが語られます。彼女が小さい時、急に同居することになった祖母が、老いて、痴呆が進行し、家の中が崩れてゆくのを間近で見ます。そして天国へと旅立ったあと、彼女はこう思います。

「肉親と間近に向き合えば、必ず『ゆるせない』という憎しみの念と、『大事にしなければ』という相反する思いのあいだで引き裂かれる。私は自分の詩の中で、祖母との再会を夢見た。『悪い孫』だった自分、祖母が背負った『老い』の問題、空気のような家族のこと……..。人が生きて死ぬということは、こんなにも大変で途方もないことか。」

詩作で、そんな思いが解放されるわけではないけれど、祖母との重く、深い記憶をたぐりよせながら、

「人は一人で生きられない。一人で生きさせてもらえない。周りの手を煩わせ、周りに絶えず煩わされる。そのことを苦痛にも歓びにも感じながら、人々は悠々と生きるのだ」と、書いて本は終ります。

等身大で現実を見つめ、生きることを詩に託した若い女性のドキュメントです。

淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院には、患者さんの「リクエスト食」があるという。その噂を聞いた、「人生最後のご馳走」(幻冬舎/古書800円)の著者青山ゆみこは、病院の取材を始めます。

患者さんたちは、それまで別の病院で抗がん治療や、食事制限、投薬の副作用で食欲が減退し、食べたくても食べられない状態の方が多くいます。しかし、ここでは再び食べられるようになった方が何人もいるのです。

「ホスピスの入院患者にはその日そのときが文字通り最後の食事になるかもしれない。どんな気持ちで何を選ぶのだろう。当初はまるで想像もつかなかった。」

取材を開始した著者は、そのメニューを選んだ理由をから聞いていきます。すると、そこには患者さんが生きてきた日常の風景の断片や、誰とどんな気持ちで食卓を囲んだかといった記憶が広がっていきます。

取材した十数名の末期がん患者のリクエスト料理の写真だけをみると、家庭雑誌や、グルメ雑誌の料理紹介みたいに、どの料理も美味しそうに輝いています。

女子専門学校を卒業して、商社勤務の男性と結婚し、子どもを育て独立させ、定年を迎えた夫との旅行が楽しみな、フツーの主婦の福井朝子さんは、84歳で膵臓がんです。彼女が食べたのはお好み焼き。これが、また格別美味しそうなんです。

彼女が小さい時、水で溶いたメリケン粉に、味付けしたコンニャクの具を載せて焼いた”ちょぼ焼き”を、思い出しながらお好み焼きを食べたと、話がはずみます。自分が生きてきた道の一コマを、一枚のお好み焼きから振り返り、「がん患者」というレッテルの存在から、一人の人間へと戻ってきた瞬間です。

「人は食べないと生きていけない」と著者は言います。けれど、

「食べることは栄養摂取の作業ではない。また、たとえどんなに質素なおかずであってもそこに思いの込められた食事は、その人にとって大切な時間で、それは『御馳走』なのだ。14人の末期がん患者の話に耳を傾けるうちに、私はそう感じるようになった。」

自分が死を間近にした者と想像してみて(決して遠いことではない)、食べたい物を作って頂けるとしたら、とても大切にしてもらったような気持ちになるにちがいないと思います。それは、自分の存在を肯定してもらっていることと同じだし、そう思えれば、死に際して少し安心できると思うのです。食べるということを通して、人生を考えさせてくれる貴重な一冊です。

みやこしあきこの絵本「よるのかえりみち」(偕成社/古書/1050円)を読んだとき、不覚にも泣けてきました。人間の幸福を、こんなに温かく描いてみせたことに対して深く心動かされたためです。

とある商店街。そこには多くの生活があります。夕闇迫る頃、遊び疲れた兎の子どもが、お母さんに抱かれて帰る道すがら、家々には灯りがついて、電話をかけている山羊さんや、オーブンで料理中の羊さん、一人でいるものもいれば、楽しそうなパーティの真っ最中のものもいます。迎えにきたお父さん兎に抱かれてベットに入る子兎。

夜も更けて、パーティに来ていた熊さんや、鹿さんが帰るところ、歯磨きをする洗面所の山羊さん、お風呂で今日の疲れを取る馬さんや、うたた寝しているカモシカさん、灯りを消してお休みタイムに入った熊さん等々の様子が、描かれていきます。

その頃には、子兎はぐっすり寝ています。どこかで足音が聞こえてくるのは、人気のない夜の街を抜け、最終列車に乗るネズミさんです。誰もいないホームに佇むネズミさん。遠い町へ向かう列車の窓からは家々の灯りが見えてきます。静かに深けてゆく街を走る列車を俯瞰でみて、絵本は終わります。

やわらかな灯りに包まれた家のぬくもりを、あますことなく描きだしています。表紙と裏表紙の見返しには、夜のしじまに浮き上がるアパートの窓が描かれています。部屋に灯った温かな光の中に、慎ましい生活が見えます。幸福って、こういうところにあるんじゃないの?と、この街の動物達は教えてくれます。これ以上、素敵な絵本はないと、今は思っています。

因みに本書は2016年ボローニャ・ラガッツ賞フィクション部門優秀賞、2017年 ニューヨークタイムズ・ニューヨーク公共図書館絵本賞を受賞しています。

 

障害のある人達の「はたらく」をテーマにした季刊誌「コトノネ」主催の「ことばを授かる」展が本日より始まりました。

様々なシーンで、障害者たちの生きる姿からみえてきた素敵な言葉が、店内に展示されています。

例えば、とある幼稚園での出来事。そこは健常者と障害者が共に過ごす幼稚園ですが、そこで子供たちがドミノを並べていた時のこと。自閉症の子どもが、並べたドミノを倒していったのです。やめてね、と言っても、並べば倒し、また並べては…..その時、健常者の子どもがドミノを二列作り始めたのです。そして、こう自閉症の子どもに言います

「こっちは倒していいよ」

この場面を見守っていた先生は「あの子たちは、配慮の仕方が本当に自然なんです。大人のわたしたちにはない発想が出てくる。困ったときにも、何かやってあげる、という感じではなく、すっと手が出る。」と驚かれていました。それを受けて、「コトノネ」編集部は、「それぞれの違いが、新しい出来事をつくり、それが新しい知恵を生み出していくのだろう。子どもの環境は、子どもにゆだねよ。」と結んでいます。

21号の熊谷晋一郎さんのインタビュー記事は、「津久井やまゆり園」の衝撃的な事件について考えさせられるものでした。その中で熊谷さんがおっしゃっていた「生きるとは、依存すること。自立とは、自分で何でも出来ることじゃなく、依存先をたくさん持つこと。」という言葉が印象的でした。障害者も健常者もいない。みんながとても生きづらい世の中なのだと、つくづく思いました。

この雑誌は障害者福祉のために専門誌ではありません。障害という”個性”を持った人達の、ユニークな生き方、働き方を通して、これからの私たちの生き方を見つめてゆく雑誌です。ファッション雑誌のようにデザインされた表紙もさることながら、小川洋子、大友良英、坂口恭平、石川直樹、山田太一らのインタビューゲスト陣にも注目です。最近では、賢くもなく、強くもない弱いロボットを作り出した岡田美智男さんのインタビューは、180度ものの見方が変わる秀逸なインタビューでした。(22号)

または、

「レコパスタ、おひとつですね」という展示にある『レコパスタ』って?

この意味を知ったら、そうか、言葉ってこんなに楽しいもんか、と思えます。店内には創刊号(非売品)から最新24号まで「コトノネ」バックナンバーと一緒に、成る程!と納得する言葉の数々がお待ちしています。この展示を機に、「コトノネ」という雑誌のことを知って頂ければ、と思います。

先般我が国の首相が、働き方を変えると薄っぺらい自説をぺらぺらと国会で話ていましたが、地に足が着いた働き方をこの雑誌を読んで学んでいただきたいものです。

季刊『コトノネ』「ことばを授かる」展は1月23日(火)〜2月4日(日)まで 月曜日定休

 

 

 

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昨年2月、漫画家谷口ジローさんが死去されました。

彼の本を読んだのは、夏目漱石と彼の生きた明治時代を、丸ごと描いた全5巻にも及ぶ「坊ちゃんの時代」が初めてでした。多分、この本を読んでいなければ漱石も鴎外も読んでいなかったし、明治時代を身近に感じなかったでしょう。その後「犬を飼う」とか「神の犬」、「ブランカ」などに涙しました。

今回、追悼出版の意味合いを含めた「いざなうもの」(小学館/古書/900円)を手に入れました。この本には、内田百間「冥途」の中の一編「花火」を原作とする、未発表絶筆「いざなうもの」が収録されています。明確にこれだと断言できないものの得体の分からない世界にひきつけられてゆく主人公が登場する本作品は、全30枚の予定で執筆が死の直前まで行われていましたが、完成にいたりませんでした。その完成しなかった部分の下書きも含めて収録されています。

映画「2001年宇宙への旅」ラストで、ボーマン船長が未知に生命体にいざなわれて無限の彼方に旅立った如く、この漫画の主人公も、見知らぬ女性に誘われて不思議な旅に出掛けます。下書きのダイナミックな人物の動きを見ていると、まだまだ新しい表現に挑戦する作家の魂が見えてきそうです。

 

谷口は、小泉八雲を主人公にした「何処にか」という作品を書いていて、本作にも二作品収録されています。そのうち「茶碗の中」は小林正樹の映画「怪談」にも登場する話で、ご存知の方も多いと思います。また、この本にも入っている「魔法に山」は、サンショウウオと交信する兄弟の不思議な体験を描いたノスタルジックなファンタジーです。また彼はヨーロッパ、特にフランスで高い評価を受けています。「歩く人」が仏訳されて出版された時、フランスで人気の小津安二郎の映画みたいだと賞賛されたそうです。

古典の世界から、SFまで幅広く人間の様々な姿を描いてきた作家でした。残念です。

と、このシャツの名前を出しただけで、あそこのシャツか、とぱっと浮かんだら、お洒落な方かも。「モリカゲシャツ」で販売されているシャツは決して安くはありません。でも、楽しくなるのです。

何年も前、女房がこのお店を見つけて一着買ってくれました。前はボタンダウンの白のワイシャツ。しかし、背中の上半分にストライプが走っていて遊び心に溢れたシャツです。前から見るとフツウ、背後から見ると遊びに行こう感満杯の一着を今も大切に着ています。

北海道発の京都案内新聞「その界隈」最新号(540円)をめくると、大きくモリカゲシャツが特集されています。店主の森陰さんは、京都生まれの生粋の京都人。東京の文化服装学院からファッション関係の仕事の中で、大量生産、大量消費のバブル感に違和感を感じ、「作ってる人とそれを買って着る人の関係性が、もうちょっと近いところでできないか」と考えたあげく、オーダーメイドのシャツを作るお店を始めました。

大型書店にいた頃、大量に入ってくる本を、中身も見ずに販売し、大量に返本するシステムに違和感を持ち、本を書く人、売る人、そして読者の関係がこんなに離れていていいの?と思い、レティシア書房を始めたのと似ていると感じました。まだ、モリカゲシャツでオーダーメイドシャツをお願いしたことはないのですが、そろそろ作ってもらいに行きたいな。

「その界隈」で連載中の「その界隈的[博物誌]」の特集は落語「はてなの茶碗」です。上方落語の十八番であり、桂米朝、枝雀の名演があります。落語の舞台となった清水寺の音羽の滝やら、登場する茶道具屋がある衣棚通などが紹介されています。衣棚通は時々途切れたりする南北の通りですが、めったに紹介されません。

面白かったのは、「京都の自転車」という写真特集です。景観写真評論家の田中三光さんが、無造作に撮った市内各所に止めてある自転車と建物。どれも風情があります。あ、これ、あそこだ!とわかる所が何カ所かありました。皆さんもチェックしてみてはいかがですか。

 

ギャラリー開催中 町田尚子原画展「ネコヅメのよる」

ご当地サイン入の絵本「ネコヅメのよる」と、カレンダー「Charity Calendar2018」は完売いたしました。ありがとうございました。

オリジナルシール・ポストカード・手ぬぐいは、残り僅かになりました。

原画展は、21日(日曜日)まで。なお21日は18時で終了いたします。


 

苦い珈琲をすすりながら、煙草片手に薄暗い空間に一人籠って、大音量で鳴るジャズをひたすら聴き続ける..もう殆ど修行に近い場所であったジャズ喫茶。私の大学時代、映画館の暗闇とジャズ喫茶の暗闇がお友達でした。この暗闇で何百時間と過ごしたことで、映画とジャズの国アメリカへの憧憬をがふくらみ、大学をほっぽり出してかの国へ向かわせることになりました。

大音量の音楽が鳴り続け、おしゃべり御法度のジャズ喫茶は、その後衰退していきます。私がよく行っていた店もなくなりました。おしゃれなジャズバーが主流になっています。そこは、より多くの人にジャスが響く場所で、良いことだと思っています。で、そんな伝統的なジャズ喫茶を研究対象としている学者の本に出会いました。

2005年、マイク・モラスキーというアメリカ人の日本文学研究者が書いた「戦後日本のジャズ文化」(青土社/古書/絶版1950円)。第1章「自由・平等・スウィング」で終戦前後のダンスホールに流れるジャズ、第2章「大衆文化としてのジャズ」で、戦後日本映画におけるジャズの台頭について、第3章「占領文学としてのジャズ小説」第4章「挑発するジャズ・観念としてのジャズ」で60〜70年代の日本でジャズが熱かった時代を論じ、そして第5章で「ジャズ喫茶解剖学」でジャズ喫茶を論じます。アベックで来るな、しゃべるな、リクエストは一人一枚、新聞は読むな等々の規律と厳粛に満ちた空間を解剖していきます。

続いて、モラスキーは2010年「ジャズ喫茶論」(筑摩書房/中古2100円)を出しました。著者は、2007年、京都の国際日本文化研究センターに研究員として招聘されます。期間は1年間。その間、日本全国のジャズ喫茶を歩き回り、関係者にインタビューしています。著者は「各店のレコードコレクションの趣向や設置されているオーディオシステムの詳細」といった「ジャズ喫茶オタク」的記述を全面的に排除しているので、何方が読まれても、面白い日本文化論に仕上がっています。

例えば、ジャズ喫茶の定義の一つとして、こう書いています。

「昼間も営業しており、客がコーヒー一杯だけを注文し、約二時間坐っていてもヒンシュクを買うことのないような店であること」

因みにジャズの本場アメリカには、日本的なジャズ喫茶がありません。私が滞米していた時、なんとか探して、サンフランシスコの下町にあったお店に入ってビックリ。金髪のおねえちゃんが、半裸で店の柱に絡み付いて歌っているお店でした。(ぼったくりではありませんでしたが)

日本独自の音楽空間として発展してきたジャズ喫茶。中上健次、村上春樹、五木寛之、筒井康隆、倉橋由美子、大江健三郎、寺山修司等の蒼々たる作家達は、一時ジャズ喫茶に入り浸り、北野たけしはバイトまでしていたという事実から、一時期、この音楽空間は新しい文化創出の起爆剤になっていたのですね。

因みに私がジャズ喫茶で聴いて、最も脳天に響いたアルバムは、ピアニストマッコイ・タイナーが、ボストン交響楽団と共演した「フライ・ウィズ・ザ・ウィンド」です。クラシックなのか、現代音楽なのか、ジャズなのか、民族音楽なのかわからない怒濤のサウンドには、あれから多くの音楽を聴きましたが巡り会っていません。

 

ギャラリー開催中 町田尚子原画展「ネコヅメのよる」

ご当地サイン入の絵本「ネコヅメのよる」と、カレンダー「Charity Calendar2018」は完売いたしました。ありがとうございました。

オリジナルシール・ポストカード・手ぬぐいは、残り僅かになりました。

原画展は、21日(日曜日)まで。なお21日は18時で終了いたします。

 

 

 

 

 

昨年末から、時代に関係なく、様々な作家の短編小説集の中から、適当にピックアップして読んでいます。一つ、二つ読んで、これは私に合わないと思ったら次にいく、という気楽な読書です。芥川龍之介の「地獄変」なんて何十年かぶりに再読して、あまりの面白さに他の龍之介作品を読んだりと、思わぬ効用もあります。

しかし、う〜ん、わからん???が脳内に点滅しながらも、最後まで読んだ短編がありました。古井由吉の自撰短編集「木犀の日」(講談社文芸文庫/古書800円)に収録されている「背中ばかりが暮れ残る」です。

「終日ほとんど動かず、物を読んでいる。くたびれた上着に、冬場なので綿入れをはおり、膝には毛布をまわしている」老いた男は、一日中同じ姿勢で本を読み、食事の準備にくる女に養ってもらい、「疲れのにおう身体を畳の上にゆっくり押し倒す」というスケベな老人。これが主人公だと思っていると、「男の背中に向かって私は呼びかけ」と私が登場します。ではこの老人は何?と思いつつ、先を読むと、こんな文章に出会う。

「夜の夢ではない。昼の妄想とも言いきれない。私の念頭のうちにくっきりと存在している」

えっ?老人は「私」の精神の中に存在する幻影?? と考えていると、今度は「私」が若い時の登山の帰りに、見知らぬ男に誘われて酒を飲んだ話が登場する。こんな具合に、物語はふわりふわりと漂泊していき、「多忙は頭脳の隅に、かえって徒らな夢想の閑をあたえる」という今の「私」の仕事部屋に戻り、そこで彼は、すでに死んだ知り合いの、生前のハガキを見つける。そこには病が回復したので、年内に家に戻りますと近境報告があり、最後は「よい年をお迎への程御祈り申し上げます」と結ばれていて、小説は幕を閉じます。

なんだ、なんだ、これは!と、私の読み方が不十分があったのだと思い、再読するも作品を掴みきれないのです。けれど、不思議なことにこの作品を読むのが苦痛ではなく、引き寄せられていくのです。

古井の作品では、神経を病んだ女性と登山で出会った男を幻想的なイメージを交えて描いた芥川賞受賞「杳子」しか読んだことがなかったので、再度トライしてみたのでした。しかし、う〜ん、わからんかった…….。

表題作「木犀の日」に

「曇天としの夜明けに寝床からむっくり起きあがり、親しい家の祝いによばれていたことを思い出し、閑散とした早朝の路をたどる、という夢は幾度か見たことはある。なにやら苦痛のなごりと、そして恍惚とに堪えるために、ひっそりと足を運んでいる。親しい家はどこの家なのか、何の祝いなのか、なぜ朝早くにか、知るまでには至らない。」

という独白が登場する。老いた精神に宿る幻想と迷走が潜んでいそうです。

こんなもやもやした気分も読書の楽しみとしたいものです。

 

長谷川濬(1906〜1973)という人物をご存知の方は、動物文学に、或はロシア文学に詳しい方か、先の大戦で日本が満州に作った映画会社、満州映画協会に詳しい方ではないでしょうか。

函館新聞の主筆だった長谷川の父には、四人の息子がいました。長男海太郎はアメリカ放浪後、帰国して小説家としてデビューして、多くの作品を発表しています。次男の長谷川 潾二郎は、パリ遊学後、風景画や静物画で独自の画風を作り上げた洋画家です(写真右・猫の絵が有名な画家)。三番目が長谷川濬で、その下の弟が長谷川四郎、「シベリヤ物語」等の作品で戦後の日本文学の一翼を担い、また黒澤明がロシアで監督した「デルスウザーラ」の原作の翻訳でも知られた作家です。

それぞれ文学、美術のジャンルで名をなした兄弟の中に長谷川濬はいました。彼の戦前から戦時中の満州での活動、そして結核に苦しんだ戦後を追いかけたノンフィクションが、大島幹雄の「満州浪漫」(藤原書店1200円)です。ズバリ、面白いの一言につきる一冊です。

若い日の初恋や人妻との恋愛事件を経て、右翼の大物大川周明のバックアップで、満州に渡り満州映画協会に入社しました。この頃に動物文学の最高峰、誇り高い一頭のシベリア虎の物語を描いたバイコフの「偉大なる王」を翻訳し、戦前のベストセラーになりましたが、敗戦後、満州国の崩壊で、帰国まで地獄の日々を味わいます。戦後は、ロシア語通訳などをしながら、大物のプロモーター神彰(有吉佐和子の元夫)と共に、ドン・コサック楽団を招聘し大成功を収めるも、結核の再発で入退院を繰り返し、73年67歳の生涯を閉じます。

文学者として詩人として、満州、そしてロシア国境で彼が見続けていた夢とは一体何だったのだろうか。バイコフに出会って「偉大なる王」の翻訳に情熱を傾ける日々は、文学者の一途な姿でした。しかし、敗戦直後、満州映画協会のドン天粕正彦の最後を看取り、敗走の最中、幼い娘が自分の腕の中で高熱のため死亡するという経験ののち、帰ったきた日本での戦後の暮らしに幸せはあったのか。娘、道代の死をこう書いています。

「道代は満州の街路でー遠方の広場に苦力が一杯群がって何か朝飯をたべていた。熱いかゆか………。白い湯気が昇っていた。道代は私の腕の中で安堵したものの如く、熱いままに自ら気が抜けて行くように息絶えて行った。そして私の腕にぐったりと横たわった。」

詩人としてロシア文学者として、大陸を彷徨い苦闘した長谷川濬の、130冊にのぼる自筆ノートが存在します。著者の大島はそのノートを丹念に読み込み、彼の生涯を見事に浮き上がらせていきます。並々ならぬ力量ですが、著者の本職はなんとサーカスのプロモーターだとか。これもまた面白い。