ドキュメンタリー映画「ウィーナー懲りない男の選挙ウォーズ」を観ました。アメリカの選挙選を描いたドキュメントなんですが、下手なドラマより面白く、笑えます。

主人公アンソニー・ウイーナーは、2011年当時、人気抜群の民主党議員でした。鋭いスピーチ、行動力、そしてヒラリー・クリントンの懐刀だった政治手腕に優れた美貌の妻と、すべてが揃っていました。オバマに続く次世代の民主党ホープとして注目されていましたが、ブリーフ姿の下半身写真をTwitterに投稿してしまい、それが公になってしまいます。彼には、女性と性的なメッセージや画像を送り合う〝セクスティング〟という性癖があったことが暴露、非難集中で議員辞職に追い込まれました。

しかし、この男めげません。数年後、今度はNY市長選挙に立候補!鋭いスピーチ連発するわ、路上パフォーマンスはやりまくるわ、「夫を信じます」という愛妻の言葉でおしどり夫婦を演出するわで、支持率急上昇。今度こそ、と思った瞬間、またやってしまうんですね、この男。偽名を使って、若い女性に性的な写真やら、テレフォンセックスやらを繰り返したことが暴露。もう万事休す。クールな街NY を無様な男が走り回る姿は、もう笑うしかありません。

この映画、自分のオバカな性癖で、自滅していった男の姿をメインに描いていますが、様々なアメリカの姿も画面に取り込んでいます。例えば、シモネタばかりを追いかけるメディアが、段々と市政の本筋からズレてゆく姿。視聴者に解りやすい事、喜びそうな事のみを追いかけて形成される世論って実に危険です。これはアメリカだけの問題ではなく、我が国も一緒ですね。

もう一つ、この映画は、オバカな男に付いている女性たちを見事に浮き彫りにします。妻のフーマは、ヒラリーの側近中の側近として世界中を飛び回っただけあって、冷静に事態を見つめていました。なんと、ヒラリーは、自分の大統領選挙出馬へのイメージ低下を避けるため、夫を取るか、自分を取るかを迫ったらしいです。そして、ウィーナーの選挙スタッフにいる多くの女性たち。危機回避に、こちらもやはり冷静に取り組んでゆく様が描かれています。

映画は、ウィーナーを描くとみせて、実はだらしないことなんて、とっくに知ってるわ、とでも言いたげな女性たちの仕事ぶりを描いた作品とも見えてきます。アホな男性上司に辟易している方々、必見です。

監督は二人。お一人はエリース・スタインバーグという女性。やっぱりね。

 

小林信彦が、みずからの集団疎開体験を描いた「冬の神話」(角川文庫800円)が入荷しました。昭和50年に発行された時のカバーの絵は金子國義。手元にあるのは51年の重版分ですが、金子のカバーで、この版を集めておられる方もおられるはず。やや表紙が汚れているのでこの価格です。

小林はあとがきで、かつての疎開児学童たちが、疎開地を再訪し、現地の人たちとあの時代の思い出を語りあう、という美談風のハートウォーミングな記事について、不快感を滲ませてこう書いています。

「いまや中年太りした『疎開学童』たちと『純朴な』農民たちとの交歓を称える新聞の文章は、疎開学童を『ヨイコ』と猫撫で声で呼んだ戦争中の新聞記事と奇妙に似通ったところがある。現代史の空白部分といわれる集団疎開の真実は、これら偽善的な記事の向こう側に塗り込められたままになっている。」

体験した疎開先での出来事を元に、小林は、慢性的食料不足による飢餓感、周囲から隔絶した閉鎖的空間が生む歪んだ人間関係、それが誘発する暴力、窃盗、リンチ等々、とても”ハートウォーミング”などという言葉では片付けられない世界を描いています。これは、兵隊こそ登場しませんが、戦争を描いた傑作です。

戦後を生きる元刑務官が、東京裁判で裁かれた囚人たちが収容される「巣鴨プリズン収容所」勤務時代を回想する、吉村昭「プリズンの満月」(新潮社700円)も、戦場を描くことなく、戦争に翻弄される男たちの姿をリアルに描いています。小説は現代からスタートします。収容所があった場所に建つ巨大ビル群。そのビルの管理会社に勤務する男が、退職の日、かつて、ここにあった収容所を忘れない為に建てられた戦犯の碑の前に立ったところから、時代は昭和25年の時代へと一気に戻っていきます。そこからドキュメンタリータッチで、収容所を管理する米軍との軋轢、囚人との亀裂等が描かれていきます。巣鴨プリズンを主役にした小説ってこれぐらいじゃないでしょうか。

もう一人、とんでもない戦争体験を、自らの作品に色濃く投影しているのが島尾敏雄です。終戦直前に特攻命令を受け、まさに死に行く直前、敗戦が決定したという体験を持つ彼が描いたのが「出発は遂に訪れず」です。この小説については「戦争はどのように語られてきたか」(朝日新聞社600円)という鼎談集のなかで、高橋源一郎が文芸評論家川村湊、近代日本史が専門の成田龍一と「戦後の戦争文学を読む」という章で取り上げていますので、こちらをお読み下さい。

「遂に最後の日が来たことを知らされて、こころにもからだにも死装束をまとったが、発進の合図がいっこうにかからぬままに足ぶみしていたから、近づいて来た死は、はたとその歩みを止めた」

と島尾は小説の中に書いています。それが、どんな心理状態であったのか、私たちには想像を絶します。

木版画家、川瀬巴水。

大正五年、木版処女作「塩原おかね路」を発表の後、日本各地を取材して”風景版画シリーズ”を刊行し、知名度を上げます。500点にも及ぶ風景版画を残し、昭和31年、74歳で亡くなりました。叙情性と日本的風情から「昭和の広重」とも称されました。

巴水の版画集「夕暮れ巴水」(講談社/絶版3800円)が入荷しました。林望が、各作品に、文章或は詩を付けて、巴水的世界を言葉で表現しています。かつて、どこかで見た風景、とでも言えばいいのでしょうか。限り無い郷愁を思い起こさせる作品がズラリと並んでいます。真青な空、美しい浜辺、そして夕暮れ…….。その一方で、夜の闇に建つ二棟の蔵の間から不思議な白い光が出ている作品「夜の新川」があり、林はこう評価しています。

「この光には、ただ無為の『詩』、一瞬に存在して次の刹那には消え去る『時』のなつかしさが描き取られている」と

寂寥感、という言葉だけでは当てはまらない、深い豊かさと哀しみを漂わせています。雨にけむる橋の上に佇む人力車を描いた「新大橋」、雨上がりの港で沖の船を見つめる犬を描いた「明石町の雨後」などの作品にそのテイストが滲んでいます。寂しげな風景なのですが、どこかに幸福感もある不思議な世界です。

細い雨が降る露天風呂を描いた「修繕時の雨」に林はこんな詩を付けています。

「ぼくが温泉を愛するのは 風景があたたかいからです そこでは なにもかも湯気のなかに霞んでいて 空気がはるばるとしているからです (中略) ただじっと湯に浸かって むかしのことを思っていよう それで 涙が出たら 温泉のお湯で洗い流して 空でも見ていようさ ほうほうと湯気 ほう ほう ほ ほ 」

なんて幸福感に満ちた詩でしょう!

作品集には絶筆となった「平泉金色堂」も収められています。雪が降り積もる金色堂に向かう、一人の僧の後姿を捉えています。人生の最後を予感される作品ですが、豊かな人生を生ききった作家の最終に相応しい作品です。

「かぎりあるみちは いつかきっとおわる そう、こころにねんじて きしきし ゆきふみしめてあるく」

林が巴水の画業を讃えた最後の詩です。

 

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クラシックファンのみならず、あらゆるジャンルの音楽ファンに支持されているピアニスト、グレン・グールドの膨大なアルバムから、ちょっと面白い企画物CDが入荷しました。

1枚は、グールドの音楽を使った映画を集めた「グールド・アット・ザ・シネマ」(SONY/国内盤1600円)です。

カート・ヴォネガッドjrの奇想天外な小説「スローターハウス5」は、「明日に向かって撃て」や「スティング」で有名なジョージ・R・ヒルが監督し、グールドの演奏が映画の中で使用されました。原作者ヴォネガッドjrは、この映画をくだらないと発言していましたが、時空を巡る原作を、SF的手法で巧みに映像化していて、ジョージ・R・ヒルの傑作だと思います。バッハ「ゴールドベルグ変奏曲」他のグールドのピアノが静かに画面に溶け込んでいきます。

もう一枚は、坂本龍一がセレクトした「グレン・グールド」(SONY/国内盤2CD2500円)です。お馴染みのグールドベストではなく、坂本的感性で選ばれた作品集で、あぁ〜この瞑想的な雰囲気は坂本らしいな、と感心します。グールドと言えばバッハですが、バッハはたった2曲のみという布陣です。

グールド関連の書籍も沢山出ていますが、あまりにも学究的なものは退屈してきます。やはり一番のお薦めは「グレン・グールドとの対話」(晶文社950円)でしょう。とはいえ、音楽の技法の話になると、私には「???」なので、吹っ飛ばしましたが。クラシック界きっての変人、奇人扱いされているグールドが、「北極圏で少なくとも一回越冬してみたい。太陽のある夏ならだれでも行けるが、ぼくの行きたいのは、太陽のないとき。本当に行ってみたい」と北極への憧れを告白したりと、素顔の彼を知ることのできる一冊です。

そして、フランスの精神分析学者、ミシェル・シュネデール「グレン・グールド孤独のアリア」(ちくま学芸文庫600円)も、やや難解ですが、面白い本です。

「グールドは性的なるものへと話題が及ぶのを好まなかった。彼がバーブラ・ストライザンドを高く買うのも、こまやかな愛情のセンスが彼女にそなわっており、それはあからさまに肉体的接触を求めたりするような種類のものではないということによる。」なんて、記述には驚かされました。

最近入荷した、青柳いずみこ「グレン・グールド」(筑摩書房1500円)も、グールドファンなら手に取ってみてください。

 

なお、この「坂本龍一セレクトグレン・グールド」CDが載っている重量感ケースはハンドメイドの作品です。興味のある方はKADEFのHPをご覧下さい。

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日曜日に、千葉からのお客様が寄って下さいました。お膝元のミニプレス「房総カフェ」の事を、少しお話しながら、そう言えば、ここ暫く音信がないなぁ〜、新しい号出てないのかなぁ〜?と思っていました。そうしたらその日の夜、ひょっこりと「房総カフェ」(暮ラシカルデザイン編集室)の人が、新作の案内でご来店!おもしろいこともあるもんです。

なんと、「房総カフェ」3号、4号そして「房総のパン」(すべて税込み880円)と、一挙に3作続けて発売です。

「房総カフェ」3号の特集は、「それぞれの食のシーン」で、自らの畑で収穫した野菜を経営するカフェで食材として使っておられる方々が登場します。元ソフトウェアエンジニアだった栗田さんが始めた「Kiredo」。キッチンカー「キレドカー」で、自分の思いを載せた野菜料理を提供し、ついに奥様が切り盛りする「Kiredo VEGETABLE  Atelier」をオープンしました。「野菜の一生を見ること」という言葉が強く印象に残ります。

4号にも「記憶の履歴書」という副題で、素敵な人たちが沢山登場します。創業100年を誇る町の金物屋さん。その記念すべき年に生まれた女の子に両親は「百子」と名付けました。彼女は両親の思いの一杯詰まった実家のお店をカフェとして再建しました。名前は「ミナモ」。

「カフェをやりたいなと思っている時に母が亡くなって、オープン準備をしている時に父が亡くなって、親孝行ができなかったけど、こうして一生懸命お店をやってゆくことが、親孝行になるのかな。紆余曲折ありましたけど、時間がかかってよかったかなと思います。」

と百子さんの言葉には泣かされます。

さて、「房総のパン」というタイトルでお目見えした新雑誌は、「南房総という生き方」という特集を組んでいます。新しい雑誌だけに気合い十分です。単なるパン屋さんの紹介みたいな、大手雑誌がやるお手盛り企画ではありません。パンを通して、これからの生き方を見つめる内容です。山のパン屋を営む木村優美子さんが、出来立てのパンを抱えて、相棒のヤギ君と一緒に写っている写真を眺めるだけで、その魅力が伝わってきます。「私のパンは発酵がゆっくりなんです」と、何でも簡単に、速くというこの時代に流されない「ゆっくりさ」を重視されています。

「特別なものを買ったり、特別な技術を使ったりしなくても暮せる。手間と時間をかけて、身の回りできることをやってゆく。自然のまま、普通の暮しで。それが私の生き方」

消費経済の片棒を担いできた多くの雑誌と、真逆の立場で雑誌を作り続けるミニプレス全般に相通ずる考え方です。

京都シネマで上映中の「人生タクシー」を観ました。

「人生タクシー」なんてタイトルから、車窓から窺い知る人生模様を描いた作品だなんて思うと、大間違い。もしかしたら退屈するかもしれませんが、この監督の映画人生を少しでもご存知なら、頭の中がひっくり返る映画です。

監督のジャファル・パナヒは、過去に監督した作品でイラン社会の実像を描き、国際的には評価されていますが、イラン国内では上映を禁止されています。逮捕された経験もあり、数十日間拘留されています。その時は、自身が拘置所内ハンストを実行し、そして世界中の映画作家達の尽力もあって、保釈されました。しかし、裁判所は映画製作・脚本執筆・海外旅行・インタビューを20年間禁じ、違反すれば6年間の懲役を科される可能性もある、という判決を言い渡します。

そこで、撮ったのがこの映画。タクシー運転手に扮した監督自身と乗り込んでくる奇妙な人たちのやり取りを描いたドッキリカメラみたいなドキュメンタリーなのですが、どうも乗って来る人たちは素人ではありません。役者ですね、これは。だから、ドキュメンタリーに見せかけた劇映画です。お上に、これ映画じゃないもんね、と言い張るつもりなのかも。

延々、この乗客達との会話を、助手席に設置されたカメラが追いかけるだけの映画です。私も何度か、ウトウトしかけましたが、退屈はしませんでした。

後半、姪っ子が乗ってきます。彼女は学校で短編映画を撮りなさいという課題を与えられ、車内でもカメラを回します。とある横町で、ゴミを漁る少年が、路上に落ちていた財布を盗んでいるところを撮影します。学校は、「現実を撮りなさい」しかし、「醜い現実はだめです」と表現に制限しています。で、彼女は少年がお財布を持ち主に返すところを撮って美談の現実を撮るべく、少年に指示します。しかし、少年は去っていきます。映画上映できない!と彼女は罵声を浴びせます。

偽の現実を撮ろうとする彼女のカメラのファインダーを、タクシーのカメラが撮り続けるという不思議なシーンです。お上好みのフェイクな現実を撮る、リアルな現実。一見、活気のある街並みなのですが、自由のない国。

翻って、キナ臭い法律ばっかり作って、国民の目に蓋をして、でも言う通りしていれば、幸せな一生間違い無しと迫る我が国のお上。反対を表明した途端締め付けてくる国も、また似たり寄ったりの国家なのかもしれません。さて、そんな情けないこの国に、ジャファル・パナヒみたいな気骨ある表現者が現れるのでしょうか?

蛇足ながら、、この映画はイランでは上映禁止。映像を収めたUSBを箱に入れて国外の持ち出し、支援者の努力で作品として公開されました。穏やかそうな表情で運転する、このおっさん只者ではありません。

 

大島尚子さんは、実家の屋根裏部屋の天窓に、月がちょうど入るのを楽しみに夜空を眺めていたと言います。

そのせいでしょうか、いつか見た空、月、木々、海、などの記憶の積み重ねが、ある日ふと顔を出して来る、そんな瞬間を小さな画面に焼き付けたような絵の数々です。

ここ数年、毎年精力的に個展やグループ展をされている大島さんの作品展が、初めてレティシア書房開催となりました。ペンで描いた硬質なフォルムに透明水彩絵具の、詩的で繊細な作品が、本屋の壁にフワリと浮かんだように並んでいます。

子どもの頃のボートに揺られていた感覚、大好きな猫のいる風景、生きてきた年月の分きっと知らず知らず重なったものを、物語にして今の自分が紡いでいく……..。小さな作品に動いている人が描かれているのも面白い。時間がピタッと止まっているのではなく、ずーっと続いてきた夢のできごとのような感じがします。

今回は、アクリルで描いたほっこり暖かなミニ額、ポストカードに加えて、団扇などもたくさん販売しています。中でも、ちいさな木のブロックの表面をカッターナイフで削った切り絵のようなオブジェ(写真左)は、何個か組み合わせたら、ストーリーが生まれるようでちょっと気にいっています。

新緑の美しい季節、それにしても随分暑くなってきましたが、ちょっとステキな絵本のような作品展にお越しいただければ、と思います。(女房)

大島尚子作品展  5月23日(火)〜6月4日(日) 月曜定休日 最終日は18時まで。

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90年代だったと記憶していますが、新潮社が「PHOTO MUSEE」というシリーズで、写真家の作品集を比較的安価でリリースしていました。

その中に、「萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや」(1600円もちろん絶版)という本があったみたいです。サブタイトルに「詩人が撮ったもうひとつの原風景」とあるとおり、詩人が見つめた心の原風景が、印画紙に焼き付けられています。

「ながく叫べどもかへらざる幸福のかげをもとめ沖に向かって眺望する」という「青猫」の一節のページには、沖をゆく貨物船を見つめる男の後ろ姿が収められています。スーツ姿の男の姿が孤独感を一層高めています。ページを繰っていくと、風景の奥にポツンと佇む人を配置した作品に目が止まりました(写真右)。セピア調の「大森駅前坂」を撮った写真では、カッと照りつける強い日差しの坂道の彼方に佇む男の姿を捉えています。

その一方、二人の小さい娘と友だちが、線路の向こうから歩いてくる姿を捉えていて、まるで映画「スタンド・バイ・ミー」のワンシーンみたいな郷愁に満ちた雰囲気をもっています。

萩原葉子さんによると、「ずいぶんのんびりした心象風景である。静かでもの音もないようで、単調な自然の風景に、小鳥1羽の生き物もいない。」と振り返っておられます。詩人の違う姿を見せてくれる一冊です。

確かに、静かな風景を好んで撮っているようにも思えますが、その何気ない風景にポツンと人がいるのが印象的です。大阪の南にある石橋駅の踏切を捉えた、全く人気のない作品にも魅かれます。

「いとほしや いま春のまひるどき あながちに悲しきものをみつめたる我にしもあらぬを。」

なんて萩原の詩の一節が思い浮かびます。

朔太郎自身、写真を撮ることをこう語っています。

「元来、僕が写真機を持っているのは、記録写真のメモリイを作る為でもなく、また所謂藝術写真を写す為でもない。一言にして尽くせば、僕はその機械の光学的な作用をかりて、自然の風物の中に反映されてる、自分の心の郷愁が写したいのだ。僕の心の中には、昔から一種の郷愁が巣を食ってる」

詩人の心象風景が見えてくる写真集です。

 

 

京都の現役大学生たちが、様々な世界で活躍する職人さん達へのインタビューをまとめた「想いのしおり」(1000円)を創刊しました。念珠職人、陶芸家、金箔職人、西陣織、竹屋さん、畳屋さんなど総勢16名が登場します。

不器用な私なんかと、最も縁遠い所にいる職人さんたちの話は、どれも興味津々でした。「引彫」、「染匠」、「綴織」など、どんな仕事をするのか知らない世界に生きる人たちの、日常を垣間みることができました。

また「職人」=「堅苦しい」というイメーですが、そんな常識に違和感を唱える念珠職人。片岡正光さんは、どちらかと言えば、オープンに楽しくやりたいというスタンスです。

「一生懸命仕事しながら楽しく仕事したいと思っています。話していて『えっ、職人さんですか?こんな仕事しているんですか、嘘でしょ?本当に職人さんですか?」と言われるほうがいいと。職人さんが無口だというのは、こちらの思い込みですよね。

また、初心者のために技術説明という項目も設置してあって、助かります。例えば、引彫職人の伊藤肇さんのコーナーでは、「私の工場では、昔は突彫(つきぼり)をやっていました。でも、今は、引彫(ひきぼり)をやっています。引彫は、ビニールを敷いた上に地紙を置き、手前に向かって掘ってゆく方法です」と伊藤さんは説明されています。

そして「技術説明」コーナーでは「和紙を柿渋で貼り合わせた『地紙』と呼ばれる紙に様々な図柄を彫刻し、布地の染色に使われるのが型紙。江戸小紋や型友禅につかわれてきた。」とフォローしてあります。

この本はインタビューの読みやすさもさることながら、職人さんたちの現場を捉えた写真がいいです。彼らの生命線でもある手先の表情が上手く捉えられています。華やかさはないですが、当たり障りのない京都紹介本よりは、はるかに優れた雑誌です。

因みの個人的にベストショットは「戸田畳店」店主戸田和雄さんが畳を縫うところを捉えた一枚です。あ、職人さんの躰だ!という写真です。

 

「コペルニクス的展開」略して「コペ転」。とんでもない考えや発想、或は物に出会った時に口から出る言葉ですが、本日発売の「コトノネvol.22」(780円)に掲載された岡田美智男さんへのインタビュー『弱いロボット』だから、できること」は、まさに私には「コペ転」でした。

私たちのロボットへのイメージの底辺にあるのは「鉄腕アトム」でしょう。人間のために働き、人びとの幸福のためにその能力を駆使する、というものです。生産ラインで働くアームロボットも、介護現場に投入されつつある介護ロボット、最近で銀行等でも見受ける人体型営業サポートロボット等々。みんなアトムの延長上にいます。

しかし、豊橋技術科学大学教授、岡田美智男の提唱するロボットは、ゴミが落ちていても、拾ってくれない、仕事を与えてもオロオロ、ドジなロボットです。ゴミが落ちているあたりでモジモジしていると、傍にいた人がつい手をだして、ゴミを拾ってゴミ箱に入れてしまう。結果、その部屋は片付くということです。

不完全なロボットという、世の常識をひっくり返す発想について、こう語ります。

「ぼくらのコミュニケーションは、そもそも不完全なんです。それでも、ぼくらが何も不自由さを感じないのはなぜかっていうと、その不完全な部分を補ってもらって完結させている。なら、ロボットも必ずしも自己完結する必要がないんじゃないかな、とつくりはじめました」

そうか、僕たちが不完全なら、ロボットも不完全でいいや、なんてフツー考えます?

「もともと、わたしは役に立つっていうのが好きじゃない。むしろ、気持ち悪い。完成したロボットに周りを囲まれる生活って嫌だなと、それではぼくらは完全に受け身になる。俺は何すればいいんだって、とまどいだけあった。」

役立たずのロボットは、人を能動的にしてゆくのか!不完全な存在である人と、同じく不完全なロボットが手助けをして、目的を達成する共存の関係へと話は続いていきます。

これは、SFアニメの世界ではありません。現実に、弱さの共有から、新しいコミュケーションを模索している科学者たちのプロジェクトです。ロボットに興味なんかなくっても、「コペ転」的驚きで、ご自分の脳内をシャッフルしてみては如何でしょうか。新しい見方、発想が生まれるかもしれません。