吉田篤弘の「ソラシド」(新潮社/古書1200円)を読みました。タイトルの「ソラシド」は、「ドレミファ」に続いていることから明らかなように、音楽がメインテーマになってくる小説です。でも、音楽の知識をめったやたらと撒き散らすようなオタッキーな物語ではありません。青春小説です。

1968年冬。雑誌のレイアウトを仕事にしていたヤマザキ君は、連れ込み宿の上に住んでいました。「仕事にいかず部屋にいるときは、四六時中、レコードを聴いていた」と書かれているように、給料のすべてをレコードに使っていた男です。それから二十数年。今も同じ様な暮らしを続ける彼が、ある日、昔の雑誌の片隅に、女性二人が組んだ「ソラシド」というバンドの小さなコラム記事を見つけます。この二人の好きなアルバムが、自分が愛してやまないジョージ・ハリスンの「サボイ・トラッフル」というレコードだと書かれていました。そして、「ソラシド」はギター・ボーカルの森山空と、ダブルベースの有元薫の二人組だということでした。

「気になったのは『ダブルベース』という表記だった。『コントラバス』ではない。『コントラバス』なら想像がつく。女性の奏者も少ないけれど何人か知っている。が、女性の『ダブルベース』奏者はかなりめずらしい。」

指を使って弾くダブルベースが、ばかでかく重たい楽器であることを知るヤマザキ君は、このバンドに興味を持ち、彼女たちを探そうと動き出します。小説は、ほぼ全部、彼の「ソラシド」捜しを描いています。腹違いの妹オーや、ちょっと奇妙だけれど、面白い人物たちが登場して、彼を助けます。しかし、「ソラシド」は、今や完全ライブシーンから消息を絶っていて、一切のレコード、CDもありません。消えていった二人を追いかけていながら、それは、1968年の空気を、その時の自分の記憶を再生する旅へと向かっていきます。果たして、ヤマザキ君は、「ソラシド」の二人に出会えるのか、それは読んでのお楽しみですが、とてもとても素敵な幕切れが用意されています。登場人物たちが生きてきた時間の重さを背負いながらも、ヒョイと明日へのステップを踏み出す瞬間を描いて、物語は終ります。

こんな文章が心に残りました。

「あらゆる音楽は、もうここにいない人の痕跡になる。レコードとはそういうものだ。いまここではない過去の空気を、その空気の震えを再現すること」

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熊本にある小さな書店、橙書店。店主の田尻久子さんは、文芸誌「アルテリ」(第5号1080円)を編集されています。この雑誌については、ブログで紹介しました。

つい最近、田尻さんのほぼ書き下ろしのエッセイ集「猫はしっぽでしゃべる」(ナナロク社/新刊1512円)が出ました。一度はお邪魔したい書店の店主の本なので、早速読みました。

田尻さんのお客様への、そして本への深い愛情に満ちあふれた文章を読んでしまうと、私のブログなんて、実にお粗末なものだということを痛感しました。

「涙腺は、ゆるくなるのではない。よく、年を取って涙もろくなったと老化現象のように言われるが、泣く筋力がついたのだと思いたい。本を読み映画を観る。誰かに会う。言葉を交わす。たとえひどい出来事を経験したとしても、人は必ず何かを得ている。経験は想像力を与えてくれ、泣くツボを日に日に増やしていくのだろう」

読み始めてすぐに、こんな文章にぶつかってしまいました。彼女が日々、真摯に生きてきた中から生まれてきたものです。

ポール・オースターの「冬の日誌」について、「本を読んでいても、行間で心が浮遊している。マンハッタンを彷徨いつつ、過去の自分の部屋に行く。これを旅と言ってもおかしくはないだろう。本と身ひとつ、他には何もいらない。私たちには、想像力という乗り物がある。身体移動しないで、旅をする。」と書かれています。単なる本の解説、紹介だけでなく読書の深い楽しみが伝わって来ます。

そして、書物への深い愛に溢れた作品を出版し続ける夏葉社の「さよならのあとで」(1404円)を、たった一つの詩が悲しみにくれる人の心を支えてくれる本だと書かれていました。彼女の店に、この本を二冊買いにきたお客様を見て、夏葉社の島田代表にこう伝えています。

「一冊は贈り物で。この人と、この人の大切な誰かに、かなしみが訪れたのだろうか。そんなことを考えながら、お包みした。そのとき、この本は突然に必要になるから、切らしてはいけない、と思った。」

「この本は突然に必要になるから、切らしてはいけない」これは、私も日々思っていることです。人生の様々な場面で、本が、映画が、あるいは音楽が、その人を支える時がある。だからこそ、その人のために本を揃えておく。本屋の心構えを再確認しました。

本の最後で、アンソニー・ドーアの傑作「すべて見えない光」(新潮社/古書2400円)が取り上げられています。ナチドイツの将校になった少年と、パリに住む盲目の少女の、一瞬の邂逅を描いた長編です。この中で、少女マリーがパリから避難する時に、大事な点字の本を置いていかざるを得ない状況になります。読んでいる最中の「海底二万里」を置き去りにするシーンを田尻さんはこう書いています。

「本はいつも、目の見えないマリーの世界を解放し、抱きしめ、勇気づけてきた。持っていけないことが、私も悲しかった。」

読書をすることが、血となり肉となった人にしか書けない文章ですね。

私ごときが、もうこれ以上グタグタ言うのはやめます。読書を愛する人なら、ぜひぜひ読んで下さい。

 

80歳の鋤田正義さんが、カメラぶら下げて、飄々と街を歩いているのを見たら、写真好きなおじいちゃんだ……ときっと思われるでしょう。

鋤田正義、カメラマン。只者ではありません。70年代、彼の写したロックバンドTーレックスのマーク・ボランの、白黒ポートレイトが大旋風を巻き起こし、多くのギター小僧に愛されました。その後、デビッド・ボウイと親交を深め、彼を被写体とした優れた作品を発表し、YMO、忌野清志郎などのジャケット写真を撮影してきました。今まさに旬の、是枝裕和映画のスチール写真なども手掛けてきた人物です。

鋤田のドキュメンタリー映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」には、多くの人物が登場します、YMO時代に親交を結んだ坂本龍一、高橋幸宏、細野晴臣。デザイナーの山本寛斎、ポール・スミス。スタイリストの高橋靖子、俳優の永瀬正敏、リリー・フランキー、映画監督のジム・ジャームッシュ、コピーライターの糸井重里たちなどが、それぞれに彼へのリスペクトをこめて語ります。

ニューヨークやロンドンを、ゆっくりした足取りで歩く鋤田が映し出されますが、多くの大物アーティストを撮影してきた気負いや、大御所ぶったところが全くありません。被写体になった人物、ボウイはもちろん、YMOの三人しかり、みんな彼との間に、強い信頼関係が築かれています。細野晴臣は、他のカメラマンに撮影されると、まるで武士が刀で切り込んでくるような恐怖があるが、鋤田にはないと表現していました。相手の懐にすっと入り込んで、安心させるような力があるみたいです。上から目線でしゃべらず、威張りもせす、真っ直ぐに相手を信頼し、好奇心一杯で新しいことに飛び込んでゆく、彼の人間力の魅力を映画は浮き彫りにしていきます。

糸井重里が、鋤田を「とても柔らかい人」だと語っていました。さすが、コピーライター!見事な表現です。「柔らかい人」って、とても魅力的ですね。でも、なかなかそうはできません。特に、年齢を重ねてきて自分の世界観を確立すると尚更です。

ロックスターを撮影してきたカメラマンのドキュメントと言うよりは、深い表現力を持った、一人の男性のしなやかな心の在り方を学ぶ映画として、オススメです。

店頭にある忌野清志郎の「メンフィス」 (CD900円)のカバーフォトも鋤田作品でした。

「里山という言葉を私が思いついたんは、昭和30年代の話です」

と、語るのは森林生態学の創始者、四手井綱英先生。明治44年、京都に生まれました。林野庁で働き、京大で教鞭をとり、全く新しいアプローチで森を研究し、森林のあるべき姿を提唱した先生です。この先生に、森まゆみがインタビューしたものが、「森の人 四手井綱英の九十年」(晶文社/古書1300円)です。京都の山科にあるご自宅で、その半生を聞き取っています。

「里山というのは落葉樹や常緑樹で、その葉が落ちるので、また堆肥がつくれるという効用があった。あの桃太郎のおじいさんは山へ柴刈りに行きますね。柴は火を燃やすのに便利です。紙なんてないから、ふつうはカマドも炉も最初は柴をたきつけにする」と、柔らかい口調で語ります。

若き日、山登りに夢中になり、先輩だった今西錦司が発案した「山城三十山」によく登ったそうです。一方で、従来の林学に疑問を抱き、森が自然の中でどういう生活をやっているか、どういう行動をしているかを観察する生態学を踏まえた学問へ、情熱を傾けていきます。大学卒業後、東北の営林局へ勤務、ここで、山に暮す、個性的な面々と出会います。この話も面白いのですが、割愛します。

やがて徴兵されて中国へ。戦争で彼が知ったことは、「戦争は森林を破壊する一番の元凶」。軍事用材との一言で、森の材木は無茶苦茶に切り倒され、木だけでなく石油、石炭を取りつくし、人を殺し、文化を破壊することです。戦後、再び東北の営林局に戻り、そして昭和29年、京大に帰ってきます。

大学は技術研究の場ではなく、「森林の基礎学、つまり、森林生態学をやるのが大学や」と、猛進します。新しい学問には冷たい学会。でも先生はメゲマせん。森を守るため東奔西走、やがて各地の自然保護運動へも参加していきますが、生半可な知識と感情論が先行して、森に対する間違った知識が横行しているとか。分かりやすい言葉で話されると、成る程と理解できます。森と共に生きた知識人の豊かな世界が詰め込まれた一冊です。四手井先生は2009年、98歳で天国へ旅立たれました。

京都には、いい公園が少ない。下鴨神社の糺の森、京都御所の外苑だけだ、とも言い残されていました。その糺の森について編集された「下鴨神社 糺の森」(ナカニシヤ出版/古書1950円)も置いています。こちらもどうぞ。

 

 

 

14匹の野ネズミの家族を主人公にした絵本「14ひき」シリーズで人気の、いわむらかずおのエッセイ「14ひきのアトリエから」(童心社/古書200円)の中で、栃木県芳賀郡益子町の雑木林の中にあるアトリエの写真が、目に止まりました。

彼は、こんな素敵な空間で絵本を執筆していたのか、と羨ましくなってきます。アトリエの大きな二つの窓からは、林が見渡せます。満月の頃には、東側の窓から月の出が見えるそうです。母屋までは50メートル。毎日、雑木林を歩きながら、「14ひき」シリーズの構想を練っていたのでしょうね。

林の中に落ちて死んでいたカケスを見つけて、じっくりと観察して描いたスケッチが載っています。この絵につられて、彼の自然暮らしのエッセイを読んでしまいました。畑を作り、鶏を飼い、森でキノコを採取する日々が、シンプルな文章で描かれています。家族は奥様と五人の子供たち。自家製の野菜でお鍋を囲む家族写真もありました。「1971年4月。5人の子どものうち3人は東京に出ていった。」と、地方に住むということはこんなに早く子供たちと離れなければならないことなんだ、と寂しさも書かれています。

 

 

いわむらさんも絵本で、私が大好きなのは「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」(偕成社/古書900円)です。山間を走るローカル線最終列車に乗った主人公は、にぎやかだった人達がいつの間にか消えて、ネズミの話し声に気づきます。やがて、イノシシ、チャボ、クジャク、クマ、キツネ、サルなどが次々と乗って来ます。列車の中は、ワイワイがやがや。これは幻か現実かと思っているうちに、動物達はとある駅で一斉に降りてゆきます。

「お客さん」と車掌に声をかけられて、我に帰る主人公。今、降りた動物達のことを車掌に聞いても、夢だろうと笑われて、廃線が決まったローカル線とはいえ、動物たちなんか乗せませんと言われてしまいます。そして、「とかいの人からみると、こんな山おくの、ローカルせんなんか、やくにたたねえ、はんぱもんと、おもわれるでしょうな。でも、わしらにとっちゃ、じいさまのころから、だいじにしてきた、心のささえなんですわ」

 

終点に着いた主人公が、列車を降りる時、車掌がドアを開けてくれます。にっこりわらって、会釈し合う二人の姿で絵本は終ります。素敵な映画のラストシーンみたいな余韻の残る絵本です。

池澤夏樹「終わりと始まり2.0」(朝日新聞社/古書1200円)を通読しました。この本は、2013年4月から17年12月まで、月一回、朝日新聞に連載されたエッセイをまとめたものです。

著者は「世の動きを一ヶ月ごとに区切る。その中からテーマを選んで、それに関わる情報を収集して、考えたことをコラムにまとめる。」と主旨を述べています。取り上げられているのは、震災、原発、憲法、難民問題、そしてイスラムなど広範囲に渡っています。

現憲法が占領軍の押しつけという意見に対して、「合衆国憲法を押し付けられたわけではない。欧米が時間をかけて培ってきた民主主義・人権思想・平和思想の最先端が敗戦を機に日本に応用された。そのおかげでこの七十年間の間、日本国は戦闘行為によって自国民も他国民も殺さずに済んだ。」という至極真っ当な考えを述べています。

「福島第一の崩壊は東京電力という会社にとって究極の恥であったはずだ。しかし、東電はもちろん一連托生でやってきた財界も自民党も恬然として恥じることはない。今から原発を海外に売るのは真珠湾の作戦計画を売るようなものだ。当初は勝っているように見えても最後には放射性廃棄物の山に埋もれて負ける」と、福島の原発事故について、これまた良識ある人間なら、こう考えるだろうと思います。

著者がセレクトとした社会の様々な状況への、当たり前の言説が続きます。あまりに真っ当すぎて、もういいやと読むのを止めそうになりました、しかし待てよ、この世の中は、これ程普通の意見を、池澤のような知識人がしつこく言わなければならないほど、歪んでいるのだと愕然とするのです。浮わついた情報ばかりが大量に流されてくる昨今、もう一度社会を見つめる力を補うために読んでいただきたい一冊です。

本の中で、与那国島発のミニプレス「馬語手帖」、「はしっこに、馬といる」について書かれていました。この島で野性の馬カディと暮らしている一人の女性の物語です。

「ぼくは一か月ほど前からこの二冊に夢中になっている。何度も読んでそのたびにふーっと溜め息をついて、それでも読み終わったと思えない。大事なことを読み落とした気がしてまた開く。」

当店でも、販売以来人気のある本です。私もまた読みたくなってきました。

 

山田悠人の新刊写真集「SILENT WORLD消えゆく世界の美しい廃墟」(PIEインターナショナル2700円)は、この上なく美しい写真集です。

ベルリンを中心にして活動する山田悠人は、ベルリンの各地に点在する廃墟に興味を持ち、撮影を始めます。

先ずは、病院から始まります。数多くの生と死の物語が染み込んだ病院の壁。ひたすら静寂が支配する空間。ベルリン自由大学解剖学研究所の解剖教室。中央に解剖台があって、その周囲を学生が取り囲んでいたのでしょう。落書きだらけの壁が哀れではあります。

次に登場するは軍事施設です。壮大で、威厳ある講堂や、大広間を持っていた施設。いずれもかつて国の最重要機関施設だったものが、放置されていました。ナチスドイツが使用した後、ソビエト連邦が引き継いだものなどあり、大戦を経て、冷戦時代の遺物となっています。外観が面白いので、内部も上手くリノベーションすれば、もしかしたら新しく生まれ変わりそうですが、電波傍受するレーダーサイト、トイフェルスベルグ傍受基地なんていう建物は、それ自体もうすでに現代アート化しています。

この写真集で私が最も面白かったのが、娯楽施設を撮影したものです。例えば、奈良のドリームランド。剥き出しの吸水管が複雑に絡み合う広場に立つビーナス像の不気味さ。回転するレールが幾重にも続くジェットコースター。まるで大蛇が見えない何かに巻き付いているみたいです。ドイツのシュプレーパークを撮った写真には、朽ち果てた森に倒れた作り物の怪獣の頭部が恨めしそうに空を見上げています。使い捨てられたアミューズメントパークは、どこか禍々しさがあります。

廃棄された工場がテーマの作品群は、無惨な姿がさらけ出されています。石炭火力発電所で使用されていた冷却塔の内部を捉えたものなどは、映画に使えそうなSFの世界です。男ばかりの重犯罪人が収容されている惑星を舞台にした映画「エイリアン3」に、そっくりの場面があったことを思い出しました。ブランデンブルグに残るナチスドイツ強制収容所パン工場には、陰惨な過去が染み付いているようです。

使われなくなった交通機関の中に、奇妙で、深い印象が残るものがありました。ベルリンのテンペルホーフ空港です。ピカピカに磨き上げられた到着ロビー、誰もいない飛行場にぽつんと駐機しているプロペラ機。冷えきった空間に置き去られた飛行機が、孤独感を増幅させます。

因みに、この空港の滑走路は、近年市民にために解放され、イベントも行われているとの事です。

なお同社からは「美しい土木・建設中」(写真/西山芳一2052円)も出されています。土木マニアなら、もうお持ちですね。

大山崎山荘美術館にて開催中のウィリアム・モリス展を見て来ました。

モリス(1834-96)と言えば、動植物をモチーフとした美しいデザインを思い浮かべます。

私にとってのモリスは、まず小説家でした。晶文社が刊行していた「ウィリアム・モリスコレクション」は、モリスのデザインをブックカバーに使い、「世界の果ての泉」、「世界のかなたの森」、「 アイスランドへの旅」、「ジョン・ポールの夢」等々、ファンタジー系作家として知りました。

産業革命後のイギリスは、大量生産製品があふれれていました。そんな時代にあって、モリスは中世ギルド社会の再興をめざして、アーツ・アンド・クラフツ運動を立ち上げます。

「本展では、デザイナーとしてのモリスに注目し、壁紙、テキスタイル、椅子、出版物等主要なモリス作品と、同時代のデザイナーたちによる作品を展覧し、美しい暮らしを求めたモリスの生涯とそのデザインの歩みをご紹介します。」と美術館のブログには書かれています。
この展覧会には、もちろんブックデザイナーとしての作品も出ています。そして、クラシカルで美しいデザインで統一された壁紙、テキスタイルもたくさん目にすることができます。モリスと、元は山荘だった建築を改装して美術館になった大山崎美術館がピッタリで、モリスがいた時代にタイムスリップした気分になりました。
モリス関係の本は沢山出ていますが、海野弘監修「ウィリアム・モリス」(PIE/新刊3024円)は、彼のデザイン、書物をカラーで紹介してあります。美しい本を作りたいと思っていた彼は、自分のファンタジー作品には挿絵一杯の書物に仕上げました。この本で紹介されているモリスの絵をご覧になって、小説をお読みになるのはいかがでしょう。
美術館には展望が素晴らしい喫茶室(写真・下)があります。モリス展開催中の企画品として「桜と苺のケーキ」、「バラとクランベリーのケーキ」を食べることができます。

天王山南麓に建つテラスで眼下に広がる桂川、宇治川、木津川を見ながら飲む珈琲は、休日の過ごし方としてベストな選択でした。

会期は、7月16日(月・祝)まで。

 

 

 

 

 

ほんまわか作品展が本日より始まりました。

ほんまさんが、沖縄の伝統工芸「琉球紅型」で絵本を作り始めたのは、京都から沖縄に移り住んだ2015年からのこと。琉球紅型は、型紙を彫って、糊を置き、糊を置いたところ以外に、直接色を注します。糊の部分が白く仕上がるというわけです。さらに、使用する色に制限があり、必ずボカシをいれなければならないのだそうです。紅型の作品をみるとそこはかとなく「沖縄」を感じるのは、そういった決まりがあるからですね。

琉球紅型は、戦争で道具などが消失したのですが、戦後作家達の努力で復興されたのだそうです。民芸運動の芹澤銈介にも多大な影響を与えたとされています。伝統を重んじる琉球紅型を教えるところでは、デザインも伝統的なものしか認められないところもあるとのですが、ほんまさんは、基本を忠実に習いながら、独自の世界を創りあげています。もともと絵本作家さんとして、絵本を何冊もだしておられたので、優れたデザイン力と絵を作る力がしっかり蓄えられた上に、紅型染めの技術がさらに積み上げられています。

今回は、動物の可愛いキャラクターが、伸びやかに生き生きと楽しそうに遊んでいる新作「みんなのおうち」(税込み1800円)の原画が並びました。爽やかな白地の布の上に、型染め独特のきっぱりとした輪郭と鮮やかな色合い。この季節にぴったりの素敵な展覧会になりました。

京都の大学院で研究者を目指しながら、絵本を作りはじめたころ、10年間フィールドワークで訪れた沖縄を舞台にした「あだんのぼうけん」(1080円)は、生き物の様子が正確にしかも楽しく描かれていて、この作家の仕事の根っこの深さを知る事ができます。コツコツ好きで作ってこられた「ポケット絵本」(各300円)も10冊になり、箱入り10冊セット(3000円)などというものも出来上がりました。ここにも作家の遊び心がにじんでいます。

ポストカード(162円)、バッグ(1852円)、コースター(3枚セット1620円)など、可愛いグッズも揃いました。一緒に住んでいる、10匹以上の猫たちをモデルに描いた「ねこだらけハンカチ」(1296円・写真左)も、猫愛にあふれています。(女房)

ほんまわか作品展「紅型染めと小さな絵本」は5月27日(日)まで。12時〜20時(月曜日定休)

 

 

 

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宇佐見英治をご存知ですか。そういう私も、この本を読むまでは知りませんでした。

大阪出身、1918年生まれの日本の詩人、フランス文学者、美術評論家です。今回、港の人から出された「言葉の木陰」(新刊3456円)は、1960年代から、宇佐美が雑誌等に発表した評論、紀行、エッセイをまとめたもので、編集したのは、堀江敏幸。「あらぬものへの呼びかけ」と題した後書きで、2002年に亡くなった宇佐美と一度も会えなかったが、「私が親しんできたのは、書き残された文章のなかから響いてくる声と、最晩年の一時期に頂いた何通かの手紙の、細く流れる美しい万年筆の文字が伝えてくる精神の微動のみだ。」と書いています。

300数ページに渡るこの本を、私はかなり時間をかけて読みました。芸術家の知性とは、何を目指すものなのかを探す読書でした。「大切なのは、創造に仕えること、仕事をとおして生成の鼓動をききとり、世界と一体になることである」と宇佐美は書いています。長い長い創作活動の中から生まれでた言葉は、簡単に理解できるものではありませんでした。実際に、スラスラと読めたわけではありません。しかし、それでも最後まで、好奇心にかられてなんとか読み切ったのは、宇佐美の芸術への深い愛情を込めた言葉に依るところが大きいのです。

以前ブログで紹介した谷崎潤一郎の「蘆刈」を論じた「闇・灰・金ー谷崎潤一郎の色調」で、この作品の前後に書かれた作品に共通していることは、「言葉は叙べられるまえに、まず聴かれるべきだという理念が存在するのだ。」だから、黙読しながら、「さまざまな声や曲調を聴きわける愉しさにある」というのは成る程、面白い指摘だと思いました。

後半、宇佐美は「風」について、「日本語ではかぜと風と二つの表記法がある。しかし、仮名でかぜと書くときと風と書くときではどうも感じがちがう」というところから、詳細に論じていきます。ここは、彼の精密で美しい文章を十分楽しめる章でした。

宇佐美は、戦争で南方に出征しました。その地獄のような戦争体験は、彼を変えました。それまで、短歌作品を発表していた彼は、戦争賛美の言葉を書き連ねてきた歌人たちへの不信から、戦後、短歌と決別します。そして「集団的狂気に抵抗しうる知的で高貴な、明澄な日本語を築きあげること」を目標に彼の戦後をスタートさせます。一人の表現者の強靭な思いです。

 

 

 

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