最後までやっと読めました、種村季弘を!「雨の日はソファで散歩」(筑摩書房/絶版800円)です。

種村 季弘(1933〜2004年)は、古今東西の異端、暗黒的な文化やアートに関する広汎な知識で知られた評論家です。独文学の翻訳の他、内外の幻想小説や美術、映画、演劇、舞踏に関する多彩な評論を展開してきた、「博覧強記」として知られています。「吸血鬼幻想」、「ドイツ怪談集」とか何度かトライしたのですが、挫折。彼の膨大な知識量に付いて行けなかったのだと思います。

しかし、生前最後の自撰エッセイ集として発行されたこの本は、非常に読みやすい一冊でした。2004年、病状が悪化した彼は、編集者と共に様々な媒体に発表したものを収集し、整理してまとめました。本書は「西日の徘徊老人編」、「幻の豆腐を思う篇」、「雨の日はソファで散歩篇」、「聞き書き編」に分けられています。

「西日の徘徊老人編」では、戦後アメリカ兵が独占していた占領下の銀座を「多様な民族、多様な人々を静かに受け入れている戦前の、あるいは今の銀座のような品位がなかった。」と書いています。傑作なのはその中に収められた「名刺」というエッセイ。

書き出しは、「テレビを家の中に置かず、名刺を持たないとどういうことになるか。テレビ番組が話題になる大抵の席で口をきかなくてすむし、人に会っても名刺を渡さないからすぐに忘れてもらえる。この情報過剰時代にその人の身のまわりだけがひっそりと閑散となり、都会の真ん中に住んでいて世捨て人になれる。」都会の真ん中で世捨て人になる偏屈なおやじ、いいですね〜。

「幻の豆腐を思う篇」は、そのタイトル通り、食に関するエッセイが集まっています。「豆腐は日常食である。だから近くにいい豆腐屋があるかどうかが、豆腐好きには死活の問題になる。」と、引越しの度に、豆腐屋を探して奔走していた様が面白く描かれています。酒好きには、酒場にちょいと行きたくなる文章がいっぱい書かれています。

自分の死をすぐ傍に捉えていたのでしょうか。「そこの共同浴場である日倒れて、そのまま救急車で運ばれてお陀仏になる。あの世行きの永くて短い待合室であること」が温泉の理想と語り、山田風太郎論では「人生をぜんぶ余録、余生と見て、死ぬまでの一切を、とりわけ死を滑稽事として演じること。山田風太郎はすでにみごとにやり遂げた。われわれは今からでも遅くない。」と締めくくっています。

絶妙に味のあるエッセイって、おそらくこういうものなのでしょうね。

濱田研吾「増補文庫版脇役本」(ちくま文庫/古書800円)の「脇役本」という言葉に注目して下さい。映画、TVの『脇役』を紹介した本ではありません。いわゆる脇役と称される俳優が書いた「本」を「脇役本」と名付けて、その膨大なコレクションを紹介しています。主役クラスの役者さんの本って、山ほど出版されていますが、それに負けないぐらい出てることに驚きました。

そして、もう一つ「増補文庫版」という但し書き。著者の濱田研吾は、大阪出身のライターで、2005年右京書院から刊行されたこの本が、それから、十数年後、さらに集めた本を増補して文庫版として販売されました。好きな俳優、気になる役者が書いた本を、何年も何年もかけて集めてゆく!好きでなければできません。

コレクションの中には、どーでもいい内容の本もあります。しかし、役者という本職以上に、知識と見識を備えた本も沢山でています。2017年に亡くなった文学座出身の神山繁は、晩年京都嵯峨で暮らしていて、装幀、紙、製本に至るまで拘る京都の湯川書房から、自費出版で3冊の骨董エッセイを出しています(すべて非売)。小林秀雄と白州正子の薫陶を受けた神山だけに、見事な出来あがりになっていると、著者はあとがきで書いています。

文庫本には、80名近くの脇役が書いた本が紹介されています。悪役も、人情味溢れる役も、映画、TVで数限りなくこなした中村是好は盆栽を極め、「小品盆栽」を出していて、著者いわく「いい本である。これほど説得力のある道楽脇役本はなかった」と絶賛しています。

私の大好きだった二人の俳優の本も紹介されています。冷徹な悪役が上手かった内田朝雄は、二冊の宮沢賢治本を出しています。役者人生以上に文学者としてのキャリア長く、詩や童話への造詣が深く、46歳の時、賢治作品と出会い、後半生を賢治研究に費やしました。

もう1人は、やはりニヒルな悪役が見事だった成田三樹夫。読書、詩と句作を趣味とした成田は、50代半ばでこの世を去ります。没後、彼の遺稿句集「鯨の目」が発表されます(店にもありましたが、すでに売切れました)。この本は人気があり、2015年には増刷され(版元無明舎出版)、脇役本の中では、異例のロングセラーになっています。

スクリーンに、あるいは舞台に、そしてTVにちょいと出ては、消えてゆく俳優達が書いた様々な本。そこには自らの波瀾の生涯やら、本業以上にのめり込んだ趣味の世界が語られています。黒澤や小津映画でお馴染みの宮口精二は、やはり常連出演していた中村伸郎とは、文学座創成期以来の同士で共に蕎麦通。中村はエッセイストとしても知られており、「宮口精二の蕎麦さばきは、一ときわいなせで、蕎麦をつまんだ箸を二、三度上下させてたれを切り、いい音を立てて飲み込む」と書いていますが、まるで映画の一場面をみているような気になります。

脇役本の内容紹介だけでなく、大正昭和を通じて、映画や舞台に生きた役者たちの意外な素顔や、驚きのエピソードが、それぞれの「本」の中に散りばめられていて興味がつきません。

ウェス・アンダーソン監督の新作「犬ヶ島を観ました。膨大な人力と時間のかかるストップ・モーションアニメです。

静止している物体を、1コマ毎に少しずつ動かしてカメラで撮影し、あたかも連続して動いているかのように見せる技術で、通称「コマ撮り」と呼ばれる技法で作られています。まだアニメ技術の進んでいなかった時代のやり方で、CG全盛期の昨今、長編で作ろうなどという輩はおりません。

しかし、アンダーソン監督は2011年、ロアルド・ダールの児童文学「父さんバンザイ」を原作とした「ファンタスティックMr.FOX」で、ストップ・モーションアニメに挑戦しています。総勢670人のスタッフを従えて、なんと4年がかりで完成させました。これだけでも拍手喝采ですが、なんといっても中身が面白い。

舞台は近未来の日本のメガ崎市。ここではドッグ病が蔓延し、人間への感染を恐れた市長が、すべての犬を“犬ヶ島”に追放すると宣言します。怒りと悲しみと空腹の中、さまよっていた島の犬たちの前にある時、一人の少年が小型飛行機で島に降り立ちます。少年を守っていた犬スポッツを捜しに来たのです。この少年アタリと、個性的な5匹の犬たちの友情と冒険を描く物語です。廃棄された原発、ゴミだらけの島、そして極端な情報統制の政治状況など、今の日本の姿も巧みに捉えています。

これをCG技術で映画化していたら、これほど面白くなかったのではないかと思います。一コマ、一コマ動かしながら撮影された犬たちの毛並み、表情が、リアルを通り越した不思議な空気を作り上げています。黒澤映画へのオマージュ、宮崎アニメへの憧憬、浮世絵や歌舞伎などの日本のクラシックな文化への、愛情とリスペクトなどがいっぱい盛り込まれています。しかし、それが単なる引用や、オタク的ネタだけに陥らず、細部にまで徹底的に拘りぬいた作りによって、全く新しい映像世界が出来上がりました。

もし、ディズニーがこの物語を映画化すると、家族皆で泣ける愛犬と少年の感動作品という映画になってしまいそうです。しかし、アンダーソンの映画にはそんな部分は全くありません。感動なんてどこふく風。この映画は、今どき膨大な時間と資金を使って、アニメ初期の技法で面白い物語を作るという、途方もない夢を実現させた作り手たちの、映画への愛を傍受する作品だと思います。ベルリン映画祭で監督賞を受賞したのも、きっと「良くやった!」という欧州の映画人たちの気持ちなのです。是非、不思議な「犬ヶ島」の世界をお楽しみください。

 

 

 

「どの話にも闇と光の濃密な匂いが感じられる。正確には闇の深さに触れることで生の光が生まれているのだ。大きな海の中の小島。闇のなかの一点の光。そのなかで生きていることはめちゃくちゃな偶然で奇蹟。」

これ、何の絵本の解説かお分かりでしょうか?実は酒井駒子の「金曜日の砂糖ちゃん」です。

穂村弘の「ぼくの宝物絵本」(白水社/古書1300円)は、国内外の名作絵本70冊をオールカラーで紹介してあります。最初のページを開けると、先ず武井武雄を特集した「別冊太陽」の鮮やかな絵が登場します。文庫でも出版されていますが、これは、大きな版のハードカバーで見ないと絶対に損です。

 

こんな本も選んでいるのかと驚いたのが、太田蛍一の「働く僕ら」です。太田蛍一を知っている方は少ないと思います。彼はミュージシャンで、戸川純、上野耕路と組んだ前衛的音楽ユニット「ゲルニカ」で活動。その後1990年に発表したのが、この絵本です。絵本と言っても子ども向けではありません。昔のロシアとドイツ、そしてアジアのどこかの国の雰囲気をミックスさせたような近未来の国が舞台で、テーマは労働です。アバンギャルドに、そして妖しく展開し、得体の知れない魔力が存在しているみたいです。私は、音楽雑誌で彼が一風変わった絵本を書いているインタビューを読んだ記憶がありますが、こんな世界だったとは……..。版元リブロポートがもう無いために、かなり高値が付いていました。

こちらも高値が付いていて驚いたのは、矢川澄子作・宇野亜喜良絵の「おみまい」です。穂村は、ジョン・テニエルが描いたワンダーランドのアリスを、「じっと顔をみると少女というよりも大人の女性みたいだし、角度によってはなんんだかおばあさんのように思えることもある。私はその無表情さにときめきを覚える。」と書いていて、日本では宇野亜喜良の少女たちが、そういう少女に近いと言います。その代表ともいえるのが「おみまい」に登場するマリちゃんです。太い眉、大きな目、への字の口の無表情な女の子です。物語の中で、睨んだり、肩をすくめたりして、一度も笑いません。確かに、このマリちゃんは愛想はないのですが、カッコイイのです。

穂村はこんな少女に出会うと、「未熟な子どもたちが泣いたり笑ったりしながら経験を積んで成長するなんて、とても信じられなくなる。大人たちが安心するためにそういうことをしたいだけなのでは。」と述べています。

穂村らしい解説の楽しい大人向けの絵本紹介本です。お薦めです。

 

 

NHK朝の連ドラ「半分青い」の舞台になっている岐阜から、素敵なミニプレスが届きました。タイトルは「Edit Gifu」(864円)。

内容は盛り沢山ですが、本好きなら、古書店「徒然舎」の記事を先ずお読みいただきたいです。当店の一箱古本市にも、毎年面白い本を選書して出してもらっている素敵なお店です。『「古書と古本 徒然舎」をめぐる4人の考察』と題して、数ページに渡る特集が組まれています。4人の方々が「徒然舎さんで購入した印象深い本」の解説をされています。探していた、向田邦子の愛読書「酒吞みのまよい箸」(浅野陽)を見つけた方、田村隆一の「スコッチと銭湯」をゲットした方など、それぞれ「徒然舎」との思いを語っています。

「徒然舎さんはどんな場所?」という質問に「ゆっくりと、本に向き合える場所」と答えた方がおられましたが、こんな風にいわれたいものです。店主夫婦の素敵な笑顔のツーショットや、店内の写真が並んでいるのを見て、ご無沙汰しているのでぜひ行ってみたくなりました。

デザイン事務所「リトルクリエイティブセンター」を中心にして、3人の若者が、様々な活動をしている街中のビルがあります。1Fは、内外の文房具を販売する「ALASUKA BUNGU」。2Fは、出版社「さかだちブックス」。ここから出版された「私的岐阜観光案内」(350円)、「地方に住み始めました 岐阜市編」(702円)は当店でもお取り扱いしています。そして、3〜4Fがデザイン事務所。ここを運営する3人のロングインタビューが載っています。等身大に、無理をせずに、地道にやったきた彼らのヒストリーを読むことができます。

一つ面白い場所を見つけました。昭和の名作を”フィルム”で上映する珍しい映画館「ロイヤル劇場」です。1作品1週間交代で上映とか。古いフィルムを取り寄せると、痛みが激しく、フィルムをつなぎ合わせる作業が待っています。でも、そんな作業すら、支配人は喜々としてされているみたいです。今や、デジタル上映全盛の時代、こういうフィルムに拘る映画館は貴重です。今、上映されいるのは、昭和38年日活映画「アカシアの雨がやむとき」。西田佐知子(知らない人も多いかも。関口宏さんの奥さんです)のヒット曲を元にした、典型的な歌謡曲映画。こんな作品まだ残っていたんですね!観たいなぁ〜。

美川憲一のヒット曲「柳ヶ瀬ブルース」で有名な夜の柳ヶ瀬やら、スウィーツやら、食の情報も満載の「Edit Gifu」です。これをお供に岐阜へ行きましょう!

★「Edit Gifu」の挿絵が大好きです。(女房)

ダニエル・デイ=ルイス主演の「ファントムスレッド」は、一言で言っちゃえば、女なんていつでもコントロールできて、自分の邪魔にならない存在だと思い、そうして生きてきた我がままな男が、女にじわりじわりと支配されてゆくという物語です。

こういうお話は、例えば「美女と野獣」で勇敢な女の子が、頑な野獣の心を変えて行ったように、あるいは、「マイ・フェア・レディ」で、実験材料のように扱われていた女性が教授の心をつかんでしまうなど、手を変え品を変えて、映画化されてきました。

ところが、一風変わった映画を撮り続けてきたポール・トーマス=アンダーソンの手にかかると、新鮮な驚きに満ちた作品に生まれ変わりました。

舞台は1950年代のロンドン。多くの大金持ちの顧客を持つ、天才的な仕立て屋レイノルズは、田舎のレストランでウェイトレスのアルマに出会います。一目惚れした彼は、デートの後、彼女を自宅へと連れて来ます。彼女の方も、もうこれは結ばれると思っていたはず。ところが、彼は、早速試作中のドレスを着せて採寸を取りはじめます。え?なに?これ??容姿が気に入っただけかい。

アルマは戸惑いながらも、彼のオフィスで住み込みで働き出します。レイノルズの、女性への対応は極めて冷淡。やれ彼女の珈琲の飲み方がどうとか、パンにバターをつける音がうるさいとか、朝から仕事の邪魔だと言ってしまう男です。

映画は、レイノルズの横に寄り添って、仕事や生活全てを仕切る姉を含めて、三人の関係を濃密に描いていきます。

レイノルズを愛するアルマは、徐々に彼の中における自分の地位をあげて、レイノルズを自分の支配下に置こうと画策していきます。どんなことがあっても自分流を通していた彼が、アルマが一人で踊りにゆくと、途端に右往左往するというように、ペースを乱されてしまいます。冷静に、自分の計画を進めるアルマが、やがて映画をリードしていきます。でも、エキセントリックな、或は暴力的なシーンなんか全くありません。終始美しい画面はそのままで、監督の手腕が冴え渡っています。

そしてラストは、レイノルズの幸せそうな表情で幕を降ろします。使い古されたはずのストーリーですが、ずば抜けた演技力を持つ魅力的な役者三人と、モダンなセンス溢れる監督の腕で、見応えのある作品に仕上がりました。お腹いっぱいになりました。

 

 

今日は各地で梅雨入りしたとか。京都も昨夜から雨が降っています。でも、レティシア書房の店内には、ぱぁ〜っと日傘の花が咲きました。梅田香織さんの作られた日傘は、実に楽しいです。

 テキスタイル作家として活躍して来られた梅田さんが、今回の個展のために集めた美しい布を、日傘に仕立てられました。そう、手づくりの日傘。もともと傘のために作られた布ではないので、晴雨両用ではありませんが、どれもみたことないような個性的なプリント柄で、センスの良さが光っています。うんざりするような暑い日でも、こんなに楽しい日傘をさしたら、よっしゃー、と出掛ける気になるというものです。袋付きの折りたたみ傘もあります。(日傘はすべて8000円)

オレンジ地に、フリーダ・カーロの顔をデザインしたプリント、涼しげな水色の蛸柄、可愛いピンクのレンコン柄、などなど、どれもみんな素敵です。飾るのを手伝いながら、広げては、たたみ、また次のを広げて、と展覧会が始まる前から大騒ぎです。鏡もご用意いたしましたので、ゆっくり選んで下さい。もちろん見に来てくださるだけでも大歓迎。ワクワクしますよ。

本屋で開く個展ということで、同じ布で、ブックカバー(新書サイズ・文庫サイズ共1200円)も作っていただきました。裏地も柄違いで丁寧に仕上げられています。そして、フワフワした水玉みたいなブックマークが、梅田テイストで、またなんとも可愛い。(500円〜800円)

梅田さんは、嵯峨美術短期大学を卒業後、国内はもとより、世界各地の様々な展覧会でテキスタイル作品を発表されてきた作家さんです。今回は、初めて、自分が染めたものではなく、買い集めた好きな布で、「商品」を作るということに挑戦していただきました。とても楽しんで作り出されたモノたちは、手に取ってもそのウキウキ感が伝わってくるみたいです。

鬱陶しい日が続きますが、ぜひ元気印の日傘に会いにお越し下さいませ。(女房)

梅田香織「日傘とブックカバーの展覧会」は6月17日(日)まで。月曜日定休。12時〜20時(最終日は18時まで)

 

なお、「染・清流館」(中京区室町錦小路上る)にて、梅田香織さんの参加されている展覧会『絞る締める染める』が開催 中。こちらも6月17日まで(10時〜17時 月曜休)

 

ますむらひろしが、宮沢賢治の童話を漫画にした作品群は、当店の人気シリーズです。

ますむらが、自分の漫画作品として賢治を描こうとした思いと、「銀河鉄道の夜」の謎に迫るチャレンジを綴った「イーハトーブ乱入記」(ちくま新書/古書1000円)が久々に入ってきました。

第一章「賢治がくれた水いろの切符」では、小学校の教科書で賢治と出会ってから、やがてその不思議な世界にはまり込み、そして、まんが家として東京で悪戦苦闘する日々が描かれます。

ビートルズに狂っていた中学時代に、彼は賢治の亡き妹への思いを綴った「永訣の朝」に出会います。詩や小説に全く興味のなかった少年が、不思議な世界に魅入られます。デザイナーに憧れて上京するも悶々とした日が続いた、そんなある日、水俣病の実験調査のため、汚染した魚を食べて、もがき苦しむ猫の画像に遭遇します。死んでゆく猫たちに破壊される自然の姿を見出した彼の、当時の気持ちがこう書かれています。

「鉛に包まれたようなイライラの日々が続き、もはや一枚のイラストでは描ききれない気持ちの中、色褪せてゆく商業デザインへの想いにかわって湧いてくるものがあった。『ああ。マンガが描きたい』」

そして雑誌「ガロ」に「ヨネザアド物語」を発表します。この物語の主人公が、不敵な笑いを終始絶やさない太っちょ猫、ヒデヨシです。大酒は飲む、借金は踏み倒す、平気で人を裏切る、とんでもない不良猫ヒデヨシに、なぜか多くの読者が惹きつけられて行きました。ヒデヨシのハチャメチャな日常を描いた「アタゴオル物語」は、今も人気があります。

数年後、賢治の童話をマンガで、という依頼が舞い込みます。しかし、「金剛石や草の露やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の河床」なんて賢治の文章を絵に表せるのか? 「楽しいも苦しい」という時間が始まります。しかも、編集者から「登場人物はすべて猫で」という注文が付く中、「水俣病実験の猫から始まる猫という自然と人との対立。そしてアタゴオルでの猫と人との共存。そうした道へ導き、そして何よりも僕に、『猫=人』と気づかせたのは宮沢賢治その人なのだ。」

数年後、猫が主人公の漫画が登場。やがて「銀河鉄道の夜」は、そのまま猫のジョバンニとカンパネルラで映像化されます。猫が主人公であることに、方々から反対の声も上がりましたが、見事賢治の思想を映像化して、高い評価を得ました。

第二章「謎だらけの銀河鉄道」は、「銀河鉄道の夜」を巡る謎に迫っています。この章を読む前には、「銀河鉄道の夜」並びにその初期形版の同作品をお読み下さい。でないと、さっぱり理解できません。その後、ますむらの解説を読むと、この作品の重層的に張り巡らされた謎の本質が分かってきます。

ところで、この新書はすで絶版です。どれぐらいで売買されているのかネットで調べてみたら、なんと当店価格の3倍以上の高値!!なんなんだ、この価格は!確かに中身は高濃度ですが、高価すぎるというのも……。

 

★お知らせ   勝手ながら、6月4日(月)5日(火)連休いたします。

ギャラリー案内  梅田香織「日傘とブックカバーの展覧会」が6日(水)から始まります。 

小山田浩子の短篇集「庭」(新潮社/古書1400円)は、日々の生活の隙間からふっと顔をだす、ちょっと悪寒の走るような不思議な世界が一杯。読み出したら、この濃厚な文体に絡みとられてしまうやばい小説ですが、小説に限って云えば、もう今年はお腹いっぱい、という気分です。

小山田は2014年「穴」(新潮社/古書600円)で芥川賞を受賞した広島出身の作家です。夫の実家へ引っ越すことになった妻の、田舎での奇妙な体験を描いています。得体の知れない出来事、不思議な人物に獣。実体があるのかないのか…..。明確な答えのないまま物語は終わります。

今回読んだ「庭」も、一歩間違えば、オカルト小説になりかねない瀬戸際で極めて高い文学性を保っています。

「ウシガエルはうちの近所にはいないが、少し離れたところに川にはいて、夜、自転車で通りかかると襲われるという噂を聞いたことがあった。ウシガエルが牛のような鳴き声で鳴いている川のそばを、ライトをつけた自転車で通りかかるとその声がやむ、と、川の方からどたっと濡れた塊が飛んで来て、顔に張りつく。自転車ごと転んで地面に倒れると、同じような塊が川からどたどたぞろぞろ集まってきて、その人の顔をぺろぺろ舐めて食べてしまうのだという。」

「緑菓子」という一編の中の文章は、怪奇小説みたいなグロテスク感一杯ですが、そういう手合いのお話ではありません。写真家で作家の大竹昭子は「目の前の出来事や対象を見つめるうちに、異次元に引き込まれていく。極度の集中力をもって見るゆえに、ごくふつうの日常のなかに異界が出現してしまうのだ。」と書評を書いています。

何の変化もない日常の暮らしの中で、ひそかに生きている草花、植物そして虫たち。その日常の風景が、不条理に変わる瞬間を捉えた世界……..残念ながら、私にはこの短編集をうまく表現する言葉が見つかりません。

しかし、細密画のような描写、言葉の洪水、改行がほとんどなく永々に続きそうな文体にはまり込むと、逃げ出せなくなります。その快感をぜひ味わってください。

★お知らせ 6月4日(月)5日(火)連休いたします

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「阿房と云うのは、人の思わくに調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなと考えてはいない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う。」

という、とぼけた出だしで始まるのが、内田百閒の「第一阿房列車」(新潮文庫/古書200円)です。用事もないのに、ひょいと列車に乗る行程を「阿房列車」と命名、弟子の”ヒマラヤ山系”と旅に出た記録です。二人の軽妙洒脱な会話が楽しめて、旅のお供にピッタリの一冊ではないでしょうか。文庫本の表紙の内田センセはいかめしい顔つきで立っています。

これが、一條裕子によって漫画化され、3巻まで出版されました。第1巻「阿房列車1号」(小学館/古書500円)を入荷しました。どこか浮世離れしていて、小難しいけれでも、ユーモアもある作家として描かれています。

用事もないのに、長距離列車に乗るのだから、一等席をリザーブしたい、しかし、お金がなければ三等席もやむなしか。しかし、二等席には坐りたくない。

「どっちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗っている人の顔附きは嫌いである」などと、へ理屈をこね回しながら、ああでもない、こうでもないと悩む内田センセの姿が、可愛らしい。内田の無理難題と、わがままぶりに笑いながら、私たちも、この意味のない、しかし極上の旅に参加することになります。

原作にある「鹿児島阿房列車」の巻頭の文章が、私は好きです。

「六月晦日、宵の九時、電気機関車が一声嘶いて、汽車が動き出した。第三七列車博多行各等急行筑紫号の一等コムパアトに、私は国有鉄道のヒマラヤ山系君と乗っている」

「快調で無駄のない出だし」と森まゆみが解説で指摘しています。きりっと引き締まった文体が魅力の、鉄道紀行文学の雰囲気を漫画版も踏襲しています。というより、原作に魅力があるから、コミックに姿を変えても面白いのでしょう。何より列車の絵が上手い。後半(112p)に「西日を受けて 金色にきらきら光るレールの上を走って、第三四列車が這入って来た。」という文章に登場する電気機関車は、その通り、日の光りを一杯受けてきらきら走ります。

原作から読んでも良し。コミックから読んでも良しという「阿房列車」です。