「脳内楽園」って何?どうやってそんな場所を巡礼するの??

本日入荷した「脳内楽園巡礼」(1500円)の著者、小嶋独観は「神様仏様は実在しないが、脳内には存在する」と、長い神社仏閣巡りで得た結論を元にこう語ります。

「ごくたま〜にその脳内の光景をまんま現実世界に再構築しようとする傑人が出現するのですよ。そうした現象を私は脳内楽園と称して日々ウォッチを続けておるのだよ。」

で、その実例ともいえる国内外の神社仏閣を集めて、「世界を内包する建築」「霊場を宇宙に見立てる」「脳内楽園」の三章に分けて、珍妙奇妙な場所を紹介してゆくのが、この本です。

いやぁ〜、何これ??ともう目が丸くなって、笑ってしまいそうな記事連続です。

大阪能勢の高籠の参拝方法は、1階から6階に続くスロープを参拝者に変わって、「オモチャの汽車」が代理参拝するというとんでもない代物。自動巡拝往復と呼ぶそうで、おおくの信者がされているとか…..。

京都の大メジャー伏見稲荷神社も登場します。なんでそんな有名なところが?と思われるかもしれませんが、観光客に人気の「千本鳥居」の奥に点在する「お塚」と呼ばれる奉拝所にうず高く積まれた小さな鳥居にスポットが当てられています。ほぉ〜そういうことだったんだと納得です。面白い!です。

海外に目を転じると、台湾の麻豆代天府が登場します。数百メートルにも及ぶ巨大な龍に、電動仕掛けの立体地獄絵巻と、遊園地か、ここは!という展開です。そのグロさ、残酷さにもうクラクラしてきそうですが、そこを抜けると、極楽のジオラマが迎えてくれます。そして、著者はこう言います。

「地獄があまりにも凄かっただけに極楽はやや拍子抜け。ぬるいユートピアよりも恐ろしい地獄の方が想像力や興味が掻き立てられるのは人間の性であり業なのだ」

個人的にはミャンマーの超装飾系寺院タンボディ寺院に足を運んでみたい。ファンキーな仏像、ポップな寺院にきっと頭の中ぐらぐらとゆすられて、気分良くなりそうですね。

是非、一度店頭でご覧下さい。きっと笑えます。「笑う門には福きたる」ってこの事かもね。

 

「白鯨」と言えば、ハーマン・メルビィルの退屈極まる、しかし、最後まで読んだら荒波の大西洋を乗り越えた気分になる長編小説です。

今手元に、マット・キッシュによる「白鯨」、正確な書名は「モービー・ディック・イン・ピクチャーズ」(スィッチライブラリー1800円)があります。全560ページというボリュームたっぷりの一冊です。

大体、マット・キッシュて誰だ?

彼は、図書館の職員で、イラストレーターでもあります。その青年が、とてつもなく大胆なトライアルをしたのが「白鯨」です。全552ページの原作から、各ページ毎に数行抜き出し、それに全部イラストを付けて全く新しい「白鯨」に仕上げてしまいました。原作を元に、リミックス、カットアウト、コラージュを繰り返したのが、この「白鯨」で、だから「モービー・ディック・イン・ピクチャーズ」というタイトルになっています。文学とアートのぶつかり合いが生み出した新しい形態の書物です。

そして、原作に登場する狂気じみたエイハブ船長のことや、語り手のスターバックのことなど知らなくても、十分楽しめるところが凄い!一冊です。シュールで幻想的な大航海へ連れていってくれます。

翻訳をした柴田元幸によると、キッシュは、コンラッドの「闇の奥」(あのコッポラの映画「地獄の黙示録」の原作)にイラストを付けたリミックスバージョンを出したとか。こちらも興味津々ですね。

「白い鯨との出会いは、グレゴリー・ペックがエイハブ船長を演じる1956年の映画『白鯨』だった。子どものころ、1970年代なかば、土曜の午後をよく祖母の家で過ごして、この映画を切れぎれに観た事を覚えている。僕はすっかり魅入られた。」と、キッシュは、あとがきで述べています。

私もそうでした。淀川長治さんの「こわいですよ〜!」という名調子で始まる「日曜洋画劇場」で観て、虜になりました。銅版画風の画調が神秘的で、今でも映像の断片が頭に残っています。

 

 

 

翻訳文学、特に英語圏の文学が、その翻訳者の名前で読まれ出したのは、村上春樹の一連の仕事からであることは間違いありません。そして、柴田元幸、岸本佐知子といった翻訳家が、優れた作品を次々と送り出していて、新しい時代に入ってきました。

次の世代のホープとして注目されているのが、藤井光です。1980年大阪生まれで、現在同志社大学英文学科准教授。彼の、刺激的なアメリカ文学案内書とでも言うべき「ターミナルから荒れ地へ」(中央公論新社1300円)を読みました。

サブタイトルに「『アメリカ』なき時代のアメリカ文学」と書かれているのですが、21世紀にデビューした作家たちが、無国籍な感性を身につけていることを指摘し、そこからスリリングなアメリカ文学、そしてアメリカ人の精神性の奥へと読者を導いていきます。紹介されている本は、どれも幻想的で、寓話性の高いものばかりです。例えば、マヌエル・ゴンザレスの「操縦士、副操縦士、作家」は、ハイジャックされた飛行機が舞台なのですが、何故か燃料はなくならず、食料も調達されていて、飛行機は20年間ひたすら飛び続け、機内で生まれた子どもさえいるという、頭クラクラの設定です。これが、何を意味する小説なのかを、同じ様な特異な設定の中で生きる人びとを描く作品を俎上に上げ、21世紀のアメリカ文学がいかに変化していくのか論じられています。

店には、藤井光の翻訳したものも、数点あります。

『不死身の男』と『トラの嫁』と呼ばれた少女の話が交錯するテア・オブレヒト「タイガーズ・ワイフ」(新潮社900円)、毎年繰り返される、死者続出のピクニックを描く短篇等を収録したセス・フリード「大いなる不満』(新潮社1450円)、不毛の大地でひたすらイラつく世界を描く、ウェルズ・タワー「奪い尽くされ、焼き尽くされ」(新潮社1200円)、そして内戦下ベイルートで暴力と犯罪に覆い尽くされた日々を生き抜く少年を描く「デニーロ・ゲーム」(白水社1900円)など。

どれも幻想的世界から奇想の世界をバックグラウンドとした小説ですが、新しいアメリカ文学を知る読書案内として「ターミナルから荒れ地へ」をまずお薦めします。

藤井は、新しいアメリカの作家達にとって重要な先駆者の一人が、村上春樹だということを指摘しています。

「村上文学に登場する土地が、四国であれ、東京であれ、どこか幻想の土地となっていることに学ぶようにして、アメリカの新しい作家たちは自分の世界を作り出そうとしている」

ハルキ的世界は、ここまで浸透しているのですね。

 

 

最近、大気の具合がおかしいですね。大雨に突風、竜巻等々、今までとは違う凶暴ささえ感じます。今朝未明の雨の降り方も暴力的でした。人に優しい自然なんて、ほんの一部で、人間のことなんぞ知らんね、というのが自然の有り様だと思えば、驚くことではありません。

大気というものについて詩人の谷川雁は「ものがたり交響」で、こんな風に言ってます。

「すべての物質は化石であり。その昔は一度きりの昔ではない。いきものとは息つくるもの、風をつくるものだ。太古からいきもののつくった風すべて集めている図書館が地球をとりまく大気だ。風がすっぽり体をつつむ時、それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい。風こそは信じがたいほどやわらかい、真の化石なのだ」

この星に生まれ、死んでいった無数の命が語る、それぞれの物語を語るのが風だという指摘は素敵です。

私がこの文章に初めて触れたのは、星野道夫の「イニュニック」(新潮文庫350円)の「雪たくさんの言葉」でした。彼はきっとアラスカの荒涼たる大地の中で、多くの物語に耳を傾けていたはずです。

眼に見える世界と、その彼方の見えない世界を、常に自分の心の中で見ようとしていた写真家であり、作家でした。彼の盟友、池澤夏樹は、星野の著書「旅をする木」の解説で「この世界は合理だけではない。目に見えるものだけではない。ある場所に立ったとして、その風景の背後にあるものまで見なければその場所と本当に親しくなれない」と書いています。

夜空を見上げた時、満月が見える。その満月をやはり遠くの北国の山で暮らす熊たちを見上げているかもしれない。その世界を、その時間を共有することの喜びを星野は生涯持ち続けていたと思います。

星野道夫の没後20年にあたる今年、全国巡回写真展「星野道夫の旅」が8月からスタートします。京都は9月28日~10月10日 京都高島屋にて開催予定です。久々の彼の作品に出会えるかと思うとワクワクしてきます。

女優ジュディー・フォスター監督作品「マネーモンスター」を観て来ました。「ちゃんとした」アメリカ映画でした。

「ちゃんとした」を説明します。

昔から、アメリカ映画は一定のエンターテイメントとしての水準を保ちながら、その時々のアメリカという国家の負の姿を、様々なアプローチで見せてくれました。例えば、軍部のクーデターを描いた「5月の7日間」(64)、ベトナム戦争に突入した政治の密談をえぐり出した「合衆国最後の日」(77)、ニクソン政権の盗聴事件を暴き出した「大統領の陰謀」(76)等々。それらの骨のある作品を良い俳優が演じて、しっかり楽しませてくれるのが「ちゃんとした」アメリカ映画でした。

ジュディー・フォスターはベトナム後遺症の男を描く「タクシードライバー」(76)で強烈な印象を与えた女優だけあって、その時代のアメリカ映画の呼吸を熟知しているのだと思います。観ていて、とてもなつかしい、そしてワクワク気分になりました。

舞台は、おちゃらけな投資TV番組です。軽いノリの司会者(ジョージ・クルーニーがなかなか良いです)が、視聴者を煽って、この株を買え、ここに投資しろと誘導するような番組です。そこへ、突然銃を持った男が乱入、彼を人質に取り、俺はこの番組で大損したんだ、と叫びながら司会者の身体に爆弾を巻き付けます。

映画は、ここから司会者と番組ディレクター、そして犯人の三人の芝居で進んでいきます。サスペンスの盛り上げ方、簡潔な映像の切り替え等、ジュディーの演出は冴えています。

一方、この国のリアルな姿を次々と見せていくことも忘れません。かつてのアメリカ映画で多くの事を学ばせてもらった私には、映画の作りが心地良かったです。

とても面白かったシーンがあります。犯人のガールフレンドが現場に来て、説得を頼まれます。大体、こういう時は、「バカな事やめて」と涙ながらに訴えるのですが、なんと彼女は、彼を徹底的に罵倒し始めます。その小気味好さに拍手ですね。

映画の宣伝のために来日したジュディーが、インディーズなら多くいるけど、ハリウッドでは女性監督は稀だという現状を話していました。日本では若手女性監督がどんどん出て来ていますが、ハリウッドは、まだ旧態依然としているのでしょうか?

「思想系ポケットカルチャー誌」と銘打った「月極本」(各1944円)の創刊号と、第二号が入荷しました。

創刊号は「「ニュー・ミニマル」な暮らしかたを特集しています。特に「住」に重点を置いて、新たな豊かさを求めて、それぞれの方法で暮らしている人々を世界中から紹介してあります。

「狭い」というのを逆手に取って、快適に暮らしている人や、荒野のど真ん中で、「食べて、眠れて、本が読める」家を作った人とか、面白い暮らしかた満載です。それをそのまま利用できるわけではありませんが、発想の切り替えには役に立つかもしれません。

古いトレーラーにセレクトされたアンティークを積んで旅する女性は、住まいだけでなく、店もコンパクトにしてしまいました。確かに、お店は街に根を張った方が、都合のいいことが多いのに間違いありません。街がお店を育ててくれるからです。でも、共感してくれる人を探して動き出すというのも一つの在り方ですね。

創刊2号は、ガラリと特集は変わって「幸せな死に方」です。巻頭に、谷川俊太郎の「誰にもせかされずに」という詩が載っています。

「野生の生きものたちの教えにならって ひとりで 誰にもせかされずに死にたいから 誰もせかさずに私は死にたい 丸ごとのただひとつのいのちのままで私は死にたい」

幸せな生き方を巡って、様々な考え方がしめされています。ロックミュージシャンの和久井光司はデビッドボウイの死を引合に出して、ミュージシャンなら、それらしい死をセルフプロデュースすべきと論じ、こう言いきっています。

「神よ、どうか『おしまい』の演出権は本人に与えてほしい。そうしてくれるなら、大衆がミュージシャンの死をしゃぶり尽くすことも許そう。」と。

そして、この号の注目は「今、注目の個性派書店が選ぶ『死』を知るための42冊」という企画です。ほほぉ〜、こんな本を推挙するのかと興味深く読ませてもらいました。京都からは、誠光社、ホホホ座、恵文社一乗寺が参加されています。その42冊の中で、同じ本が違う店舗からそれぞれ推薦されているのが2冊ありました。

一冊はジョナサン・サフラン・フォアの「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」。テロで父を亡くした少年が、亡くなった父の謎を解くためにNYを歩き回る小説ですが、私はトム・ハンクス主演の映画を観ました。

 

もう一点は、もし私が選者なら入れたい谷川俊太郎/松本大洋の「かないくん」。(糸井重里事務所1550円)死ぬってことを少年の体験を通じて浮かび上がらせます。松本の絵が、谷川の文章の奥深くまで寄り添った傑作です。

 

池澤夏樹編集の日本文学全集の一冊で「宮沢賢治 中島敦」(河出書房新社1800円)を一冊にした本の紹介です。何故この二人?という疑問に編者はこう答えています。

「中島敦は宮沢賢治の十三年後に生まれ、その死の九年後に亡くなった。賢治は享年三十七歳、敦は享年三十三歳。若くして他界したことだけだなく、二人には共に遠くを見ていたという共通点があるように思う。自分というものの扱いに苦労したところも似ている。」

「共に遠くを見ていた」、「自分というものの扱いに苦労」した作家……..。

宮沢はまさにそんな作家だと思います。自分という存在に苦しみ、銀河の果てまで飛んでいってしまった。

死ぬ直前には、「そしてわたしはまもなく死ぬのだろう わたくしというのはいったい何だ 何べん考えなほし読みあさり さうともきかうも教えられても 結局まだはっきりしていない わたくしといふのは」

という「そしてわたしはまもなく死ぬだろう」(未完)の詩を残しています。「これで二時間 咽喉からの血はとまらない おもてはもう人もあるかず 樹などしづかに息してめぐむ春の夜」という詩を書きながら、己がいるべき遥か彼方に地へと向かっていたのでしょう。

中島は1941年、ミクロネシアに渡り、数ヶ月滞在しています。その時、彼が見た南洋の自然、風物、そこに暮らす人々を描いたのが、この全集に収録されている「環礁ーミクロネシア巡島記妙ー」です。

「寂しい島だ」という文章で始まるこの旅行記は、「薄く空一面を覆うた雲の下で、空気は水分に飽和して重く淀んでいる。暑い。全く、どう逃れようもなく暑い。」とその気候に辟易しながらも、歩き回る。デング熱が治りきらない状態で、眩暈と、息苦しさでガタガタになってくる。しかし、それでも作家は幻覚に近い美の中で陶酔してゆく。今なら飛行機でヒョイと飛んでいけるのだが、中島が渡航した時代は、当然船の旅。時間をかけて地に果てに行き着いたという感覚ではなかったでしょうか。自分を持て余していた男の放浪記として、私は読みました。

因みに店には昭和11年発行の「南島譚」(今日の問題社/初版2500円)もあります。全集収録の「悟淨出世」「梧淨歎異」も入っていて、古色蒼然とした一冊ですが、手に取ってみてください。

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と言っても、もちろん当店ではありません。

京都駅伊勢丹デパートの「えき美術館」で、7月10日まで開催です。少しならまだ、店内に割引券ご用意しておりますので、ご利用下さい。

数ヶ月まえ、安西水丸の本を集めて、このブログでご紹介しましたが、今回新たに数冊入荷しました。

安西が初めて女性誌に連載した短篇をまとめた「空を見る」(PHP/絶版2200円)は、あとがきにあるように「若い女性たちの人生の隙間風のような愛を拾って書いています」。ちょいセンチメンタルで、アンニュイで、村上春樹的スパイスやらもブレンドした短篇集です。もちろん、安西のイラストも各短篇に付いています。「片方だけのペニー」に登場するこの女性(右写真)が、最も印象的で本短篇集の主人公的な存在です。

初の長編小説「70パーセントの青空」(角川書店/絶版・初版2300円)も入荷しました。話は、1964年開催の東京オリンピックからスタートします。著者が美術系大学を卒業したのが65年。学生から社会人になり、めまぐるしく動く社会の中で、速度を上げて去ってゆく20代の日々の、自伝的青春小説ですね。

「どこか知らない国に、自分の若い日の時間が持ちたいって」と、主人公はニューヨークへと旅立ちます。ラストが秀逸で、ここで本のタイトルの「70パーセント」の意味が説明されます。彼がアメリカへ旅立った10年後、私もアメリカへ行きましたが、私には「70パーセント」どころか、「50パーセント」以下でした。貴方にとって、20代後半の日々、頭上の青空は何パーセントだったんでしょうか?

70年初め、安西がニューヨークでの生活を終え帰途につく時、憧れの雑誌「太陽」で仕事をしてみたいと思っていました。それから、20年後、希望がかなって「太陽」に短編小説の連載を始めました。それが、「十五歳のボート」(平凡社/絶版・初版2200円)です。少年から、少し上にステップアップする男の子のナイーブさと、快活さと、ペシミスティックな感性を丸ごと詰め込んだ作品集です。サリンジャーの小説に登場しそうな男の子ですね。個人的には「とうもろこし畑を走る」がお薦めです。水平線の彼方にちらっと登場する鯨が象徴するものを考えてしまいました。イラストも満載です。

美術展で作品を堪能された後は、彼の文章もお楽しみください。

休みを利用して、兵庫県立美術館で開催されている「1945年±5年」という展示会に行ってきました。1940年から1950年頃の日本の画家達の、油彩を中心とした作品展です。戦争と敗戦、そして占領の時代、作家はどうキャンバスに向き合ったかを知る絶好の展覧会でした。

個人的には、松本竣介(左写真参)と香月泰男の作品が観たかったのですが、深窓のお嬢様を描いていると思いこんでいた小磯良平が、今まさに突撃する兵士の一瞬をダイナミックに描いた作品に出会ったりしました。

この展示会に駒井哲郎の、40年代の河岸を描いた版画がありました。平和な河岸の、戦争の影などまるで見えない、心和む作品です。駒井は、文章も巧みで作家論、芸術論を小難しくならずに静謐な随筆で読ませてくれます。

「白と黒の造形」(講談社文芸文庫/絶版1450円)は、敬愛する画家たちへのオマージュに溢れたエッセイ集です。この中で、彼が手掛けた詩集、訳詩集の挿画の事に触れていて、ロオトレアモン作、青柳瑞穂「マルドロオルの歌」(限定350部 1951年発行)に五枚の挿絵、カット一点、全部オリジナルの銅版画を用いたとあります。さぞかし豪華な本だったんでしょうね。因みにネットでは現在10万円ぐらいの値段が付いています。さらに、安東次男の詩集「からんどりえ」は豪華版7部、普及版30部という超少数出版だったとか。

また、恩地孝四郎への敬愛に満ちた「音痴先生の思い出」というエッセイで、1935年頃からに発行された月刊書物誌「書窓」に掲載されていた挿絵や詩から恩地に魅き込まれ、駒井17歳の時、当時40過ぎだった恩地に出会い、親交を深めていった大事な時間を、慈しむように描いています。恩地は、こんな詩を彼に贈っています。

「五月は黄色い風にのってくる 窓辺は白くなり 内は青く染まるのだ 空にむけた心は光を呼吸する 投げこまれたエンベロブには何もかいていない 風は文字を持たないからだ ”bon ami” 形のない返事をかきつける」

そして駒井は恩地のことを、こんな文章で締めくっています。

「少年のような感受性を生涯持ち続けたなんとも優しい先生だったように思う」と。

 

 

日本のハードボイルド小説の創始者とも言える結城昌治(1927〜66年)は、「ゴメスの名はゴメス」等、スパイ物を一時、読み漁った作家でした。しかし、一方、「軍旗はためく下で」で、日本軍部の裏側を描き出した作家でもあります。

彼の「終着駅」(中央公論社/初版700円)という本が入荷しました。昭和58年に文芸誌「海」に掲載されたものをまとめたもので、終戦直後の暗い世相と闇市に浮かび上がる猥雑さが奇妙に入り交じった都市空間で生きる男の連作小説です。どぶにはまって死んだ「ウニ三」という奇妙な名前の男をめぐって小説は始まります。復員したものの、未来に何の当てもなく、覚醒剤ヒロポン、米や芋から作った密造酒カストリに身体を蝕まれつつも生きてゆく男たちの悲愁が綴られています。クールな描写とストイックな文体は、やはりハードボイルド小説を生み出した作家の持ち味ですね。

なお、この本には栞が付いていますが、そこに「終戦直後の俗語から」という一覧が描かれているのが興味深いですね。

さて、もう一点、三木卓の「路地」(講談社 /初版900円)をご紹介します。こちらも、文芸誌「群像」に連載されていたものをまとめた「鎌倉」を改題し、加筆訂正したものです。「鎌倉」というタイトルからお分かりのように、舞台は鎌倉です。

「うつむいた姿勢のまま『草迷宮』の初版本に新しいグラシン紙を巻く、という作業をつづけていた。」という文書で始まる「古書肆文芳洞」は古書店が舞台の小説です。空襲を受けなかった鎌倉の町で、妻の残した遺産でひっそりと古書店を営む西内。古い古書店に忍び込んでいる孤独が顔を出すこともある日常に、飛び込んで来た女性。えっ〜、古書店で起こるかよ!こんなこと、と激怒するも、最後にちょっとやさしく、暖かい風が吹き込んでくる心地にさせられる作家の腕前に堪能しました。舞台が、古都鎌倉のせいかもしれません。

60年代から詩人として作品を発表、その後、小説も手掛けるようになった三木は94年に心筋梗塞で生死の境を彷徨ったあと、鎌倉に移住。97年に児童文学「イヌのヒロシ」(理論社700円)で路傍の石文学賞し、同年にこの小説で谷崎潤一郎賞受賞を受け、その後も鎌倉を拠点に活躍しました。

なお、この本の装幀は杉浦日向子によるものです。