京都シネマにて上映中の「ドリームホーム」を観ていると、ここに登場するアメリカ人たちが、あのトランプ氏を応援するんだろうな、と気がしてきました。

映画は、住宅ローンを払えなくなり、銀行の差押え物件にされてしまうブルーワーカーの人々と、差し押さえる不動産屋を軸に展開していきます。離婚して、子どもと母親と三人で生活をしていた主人公は、建築業界の不況で職をなくし、家を差し押えられます。しかし、ひょんなきっかけで、彼は差し押さえた側の独裁者的不動産屋社長の元で働くことになります。搾取されていた人間が、搾取する側に回った時、どうなるかは想像がつきます。

罵声を浴びながら、自分の友人でさえも、その家から追い出す日々。手元には大金が集まり、豪邸を手に入れるのですが………..。

映画の中で、社長がこんな台詞を口にします。

「アメリカは勝利者の、勝利者による、勝利者のための国だ」

1%の勝利者と99%の敗者。政府も、銀行も、裁判所もすべて勝利者の御用機関になっていることに敗者

たちは怒りを限り無い怒りを持っています。多分、それは映画だけでなく、現在のアメリカの状況がそうなのでしょう。そこに、巧みにトランプ氏は食いついたのでしょう。日本では考えられない彼の人気ですが、ヒステリックに怒りとばす口調に敗者たちは心酔している、というのが現状なのではないでしょうか。彼なら、金持ちの味方ばかりする政府をぶちのめしてくれる、その希望が高い支持率になっているのかもしれません。

映画は、果てしなき欲望の泥沼と、個人のモラリティーが交錯するサスペンス。脚本はイラン出身のアミール・ナデリ、監督はやはり両親がイランからの移民のラミン・バラーニ、という外様だからこそ描ける世界かもしれません。蛇足ながら、主人公を演じた(上の写真)アンドリュー・ガーフィールドは、現在製作されている遠藤周作の「沈黙」のアメリカ版の主演に抜擢されたそうです。

 

 

 

春は、何かと変化をする季節・・・。DARUMAさんの絵『My little turn』とは、そんな風に、少しずつ変わっていく感じを表しているのだそうです。色合いでいえば青からピンクへ、作家の気持ちの変化のままに描かれた女性は春を楽しんでいるようです。

青いドレスを着た女性が、こちらを見ながら佇んでいる絵は、澄み切った孤独感が漂います。何を見ているのだろう、何を求めているのだろう、ちょっと聞いてみたい気がします。そのほか青色がポイントに使われている絵が何気に寂しさを感じさせるのに対して、後の絵はピンクを巧みに使い分けた作品が並んでいます。こちらは桜をイメージするようなフンワリした感じが、希望を感じさせてくれます。思い思いに細長い板やキャンバスに描かれた女性は、作家の夢にでもでてくるのでしょうか。個展は4月10日までです。

さて、やっと冬が去り春めいてきたこの頃、ちょいと野外に出たくなります。でも、忙しくて時間がない方のためにお薦め本を2冊。

一冊目は渡邊耕一著「Moving Plants」(青幻舎新刊4104円)。これ、シーボルトが長崎滞在時代にヨーロッパに持ち帰ったタテ科の植物イタドリ。これが、恐ろしい繁殖力で世界中に蔓延、もう生態系を破壊し、建物にも侵入するという悪玉植物になりました。が、こんな植物に魅せられた著者が全世界を巡って撮影した写真集です。人間の情熱って面白いものですね。

もう一冊は「きのこ絵」(PIE新刊2376円)こちらは18世紀〜20世紀に描かれた「きのこ絵」二〇〇数十点を収録した図録です。ヨーロッパのボタニカルアート、日本の最近図鑑、ファーブルに南方熊楠に至るまでよく集めました。オマケに「日本の菌類図譜」付きです。しかし、キノコって奇妙なスタイルですね。

臨時休業のお知らせ 

勝手ながら、3月31日(木)休ませていただきます。

 

「円山町瀬戸際日記」(鳥羽書店1700円)。著者は内藤篤。職業は弁護士。この人、弁護士業の傍らで、自分で映画館を立ち上げ、館主として東西奔走し始めたのです。本の帯が面白い。

「とるものもとりあえず駆けつけねばならぬー2006年1月の開館ほどなくして、観客総数6名という不入りに驚愕した蓮實重彦氏より、緊急アッピールの檄文がとんだ。あの日からー山あり谷あり、祝10周年」

弁護士業界に馴染めない著者は、エンタメ業界に近いポジションで業務を続けていましたが、映画や音楽が大好きな性分が高じて、なんと映画館をオープンさせてしまったのです。その名は「シネマヴェーラ渋谷」。2006年から15年まで、その孤軍奮闘の日々を綴った日記です。上映特集を決めて、配給元との交渉、宣伝チラシの制作、上映中のイベント、トークショーの依頼等々、もう毎日戦闘モード100%です。そして開場するも、不入りの日々。しかし、この人はめげない。前向きで楽しんでいる。それが、日記から立上がってきます。「山口百恵特集」、「岸田森特集」と趣向を凝らした上映をドンドン実行していきます。いや、この映画館ぜひ行ってみたくなります。

もう一冊。野村誠「音楽の未来を作曲する」(晶文社1300円)、こちらも帯がすべてを物語っています

「音楽をめぐる冒険談だけど、照らされるのは僕らの生きざまですー西村佳哲推薦」

推薦の「西村佳哲」という名前だけで、興味持たれる方も多いと思います。著者の野村さんは京大理学部卒業の現代音楽の作曲家、演奏家です。生きた音楽を創り出すというテーマで、お年寄りとの共同作曲を老人ホームで、また、動物の鳴き声との共演を動物園で、あるいは火の音楽会というイベントをキャンプ場でと、従来の枠組みをぶっ壊すような音楽会のつるべ撃ちです。表紙の写真は銭湯の音楽会というところですね。

そして3.11。

震災の後も積極的関わって行く途上で、原発反対の立場の彼は気づきます。反対ばかりの人の向こうには、賛成ばかりの世界もある。そして、こう考えます。

「賛成、反対と二極化した対立をしている場合じゃない。放射能と共存を強いられている現状。この国で生きていくために、対立してる場合ではない。」様々な対立や衝突が醸し出す醜い不協和音。それを美しく響かせるための作曲ーそれが著者の究極の目的です。

映画好き、音楽好きには面白く読めるのは当たり前ですが、この二冊は、「私」というちっぽけな存在が、「世界」とどう交わり、進むべき道を探求するのかという、いわば人生指南(古い言葉ですな)書です。

地方自治体が発行しているミニプレスをご存知でしょうか。別におらが国自慢のものではありません。案外というか、かなり出来のいいものを出しています。そして、すべて「無料」なんです!

今、当店で扱っているは、数誌です。ご紹介すると、

秋田県の「のんびり」(16号まで発行されています)。発行元は「観光文化スポーツ部観光戦略課あきたびじょん室」という長ったらしい名前です。背表紙も付いて60ページのボリューム。今回の特集は「田舎の教養 決して消えないローカルメディアの灯」です。地方メディアが出来る事、すべきことを秋田の現場で活躍する多くの方が語ります。本好きには、渋い本を出し続ける「無明舎出版」社主も登場します。

さらに秋田県知事を登場して、「のんびりイズムを発信する」というテーマで語られています。だからといって、県庁べったりの編集ではありません。毎号テーマを決めて、地方であることに拘らず、中央におもねる事なく作っている姿勢が評価されているからこそ、続くんでしょうね。

次は、「とさぶし」(こちらも14号まで発行)。発行元は「高知県文化生活部推進課」と、やはり長ったらしい名前で、こちらの特集は、なんと「高知の地スーパー」です。町から一歩も出ずに、地域限定商品で観光客を集めるお店など、こちらでは絶対知り得ない情報が満載です。巻末には「『スーパーの女』からはじまる高知のサブカルチャー」なんて座談会もあります。

さて、もう一誌。こちらも四国です。「あおあお」(9号まで発行中)発行元は「とくしま文化振興課内文化立県とくしま推進会議事務局」という最も長い名前です。こちらの特集は「町の小さな工場」です。この雑誌には、県の特産品の紹介は全く載っていません。ひたすら、小さい工場の取材です。あられ屋さん、鍛冶屋さん等、私たちの暮らしを支えるおとうちゃん、おかあちゃんが頑張っている工場が登場します。丁寧なものづくり、真摯な仕事ぶりを垣間みることができます。

繰り返しますが、どれも無料です。冊数に限りありますのでお早めに。気に入られた方は、バックナンバーの注文も可能です。

★全国の自治体のご担当者様へ

うちで出しているのも置いて欲しいよ思われたら、ご一報下さい。いつか、そんなミニプレスをズラリ集めてフェアやってみたいものです。

「2008年11月3日 昼間の高速バスに乗り、京都駅に着いたときは20時を少し過ぎていた」という日記で始まります。消費者金融に多額の借金を残し、自己破産寸前の父を、なんとか社会復帰させようと努力する息子の記録した日記は、2009年8月まで続きます。

だが、ある日、父がフッと姿を消してしまいます。そして、またフッと戻ってきます。その繰り返しの日々。

そんな父親の姿を、写真家である息子が撮影し始めます。

写真家はこう思っています。

「ある日突然いなくなり、しばらくのあいだ姿が見えなくなる。そのような『蒸発』を繰り返すことで、私の父は何もない人間になること。それはおそらく父自身が望んだことだ。何もない人間になれば、自分のことについても、自分のことを考えてくれる他人についても、考える必要がなくなるのだから。」

「何もない人間」って何?を知る為に、写真家は膨大な写真を撮っていきます。一体、父の人生って何だったのか、父の心はどこにいったのか、その闇の奥へと向かった試行錯誤。それを一冊の本にしたのが、金川晋吾の処女写真集「father」(青幻舎2916円)です。

圧巻は最後に収録されている、父自身が撮影した自分の顔の数多くの写真です。自画像と言っていいのでしょうね。多くのことを語っていそうで、実はすべて消去してしまったかのような表情です。

この顔から、何を読み取れるのかは、人それぞれ、その人の人生観で変わると思います。しかし、そもそも外側から判るものがどれほどあるのか。

「やっぱり生きていくのが、面倒くさい」

これは、その父が書き残したメモ書きです。

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作家の高橋源一郎を、私は信頼しています。もう、十数年前ですが、朝日新聞社発行の「小説トリッパー」という文芸雑誌で、当時ベストセラーだった渡辺淳一の「失楽園」について明晰な論評を読んで、このヒト、頭のいい人だなぁ〜と思っていました。

小説もいくつか読みましたが、こちらはどうもしっくりしません。最近では「日本文学盛衰史」を読んだのですが、漱石は鴎外に「たまごっち」をねだり、啄木は伝言ダイヤルにはまり、花袋はアダルトビデオの監督になる!?という大作家が次々と登場する荒唐無稽なお話。面白いような、面白くないような長編でした。

ところが、評論となると、これ程刺激的な作品を出す人もいないのではないかという程に面白いのです。最近の「ニッポンの小説3『あの戦争』から『この戦争』へ」(文藝春秋1100円)は、今の日本を取り巻く危ない状況を見つめながら、社会を論じ、文学を論じています。「ニッポンの小説3」というタイトルから分かるように、「ニッポンの小説」という名前で、この本が3冊目です。「1」は、2001年の9月11日の「アメリカ同時多発テロ」勃発後に書かれ、「2」は3.11の直前に書かれ、そのあとが「3」です。

「日本人の記憶に刻みつけられた『3.11』という『あの日』は、その破壊の大きさから、もういくつかの「あの日』を思いださせることになった。『8.15』である。

いくつかの忘れることのできない『日付』を思い浮かべながら、ぼくは、書かれつつある『ニッポンの小説』を読んだ」

と著者は後書きで書いています。戦争や、震災がもたらした大破壊と闘っている「あの戦争」は終わった、しかし、新しい戦争が起こりつつある。その恐怖に、文学がどう拮抗してゆくのかをスリリングに展開していきます。鋭利な刃物でスパッと切り込まれた感のある評論集です。

最終章は、「戦争を戦争と思わなくなるために いよいよ明日戦争がはじまる」という文章で終わる宮尾節子の詩「明日戦争がはじまる」のタイトルをそのまま使って、故伊丹十三の父、伊丹万作の「戦争責任の問題」という論を取り上げています。これは、是非お読みいただきたい。成る程、そうなのだと思う事、間違いありません。

まだ未読ですが、『3.11』以後、いち早く書かれた原発と震災を見つめた「恋する原発」(講談社800円)。これ、巻頭のこんな一般の方からの投書でスタートします。

「不謹慎すぎます。関係者の処罰を望みます」

あらゆる欺瞞、常識に闘いを挑む作家ならではのタイトルですね。

  NHKBSで放送されているドラマ「刑事フォイル」(日曜夜9時次週最終回)にハマっています。

舞台は、第二次世界大戦さなかのイギリス南部、ドーバー海峡に面した小さな町ヘイスティングズ。警視正・フォイルが、この街で起きた犯罪に立ち向かう姿を描き、イギリスの正統派謎解き小説の如きクラシカルな演出で、見るものを引込むドラマです。

ただ、このTVドラマ、他の同じような刑事ドラマと大きく違うのは、バックグラウンドに、小さな町に漂う戦争の影があり、戦時下であるが故に炙り出される、悲しい犯罪を描いていることです。一見、平和で、静かな街に見えるのですが、海峡を挟んだ向こう側の大陸では、戦争が行われていて、様々な形で、この街の人達に影響を与えています。

先週のタイトルは「侵略」。ナチス帝国のイギリス侵攻の話かと思いきや、実は第二次世界大戦に参戦したアメリカ軍が、この街に来て、農耕地を強制的に没収して軍用飛行場を作ることを比喩的に表現しています。先祖から受け継いだ自然豊かな土地を取り上げられる男、来たくもないのに派遣されたアメリカの若者、アメリカに憧れこの街を脱出しようとする女性、彼女を取り巻く男たち、戦争に巻き込まれてゆく登場人物たちの悲しいドラマに重点を置いていて、奥行きがありました。

多くの刑事ドラマを観て来ましたが、こんな作品は初めてですね。ドンパチなし、カーチェイスなしで見応えのある作品を落ち着いて見られるなんて、イギリスのテレビドラマは質が高い。

フォイル役のマイケル・キッチンが苦みのある刑事を演じていて、見応えがあります。この刑事の趣味がフライフィッシングと上等のモルトウィスキーというのがイギリス的です。実際に釣りのシーンに、パブでウィスキーを飲むシーンも登場します。次のシリーズって出来ないのかな?

本作の企画・脚本はアンソニー・ホロヴィッツ。コナン・ドイル財団公認で「シャーロック・ホームズ」の続編「絹の家」「Moriarty(原題)」を執筆したことで知られる、脚本家であり、また小説家でもあり、注目の作家です。

 

 

 

 

私は猫背である。女房に指摘される度にシャキッとするのだが、またすぐに元に戻ってしまう。原因は、男子中学、高校という痛ましい6年間にあると信じている。多感な時期、周りが男だらけ(の割にはケイコチャンやらユミコチャンとかいうガールフレンドが・・・)という窒息寸前の、進学校。落ちこぼれの私なんぞ、国立大学を目指す同級生に卑屈になり、自然下を向き、猫背になってしまったというわけ。

大学時代、辻邦生の文学に入れこみ、清冽で凛とした彼の文章に接して、いかん、下を向いていばかりではと思わされました。そうか、作家の文章には、シャキッとさせる効能があることを知り、そういう身体にいい文章を書く作家さんを探しました。

例えば、こんな文章です。

「あれほど巨大な身体を持ちながら、どうして彼女たちはこんなにも静かなのだろうと、私はいつでも息を飲む。老木のように思慮深く四本の脚は、戸惑わず、油断をせず、正しい場所を踏みしめ、一瞬たりとも無駄な音を発しない。もし夏の静かさというものがあるなら、この者たちの足裏こそがそれを生み出しているに違いない、と思わせてくれる」

これ、以前にご紹介した小川洋子の「いつも彼らはどこかに」(新潮社900円)に登場する老いた象の描写です。

静謐で緊張感があり、削り取られた言葉が、シャキ!とさせてくれるのですね。

こういう文章は、私の読書体験から言えば、女性作家で出会うことが多いみたいです。必ず新刊は熟読する梨木香歩は「不思議な羅針盤」(新潮文庫300円)で、煮詰まった人間関係に喘ぐ時、こう言い切ります。

「もう、だめだ、と思ったら逃げること。そして『自分の好きな場所』を探す。ちょっとがんばれば、そこが自分の好きな場所になりそう、というときは、骨身を惜しまず努力する。逃げることは恥ではない。津波が襲って来るとき、全力を尽くして逃げたからと言って、誰がそれを卑怯とののしるだろうか。

逃げ足の速さは生きる力である。津波の大きさを直感するのも、生きる本能の強さである。いつか自分の全力を出して立ち向かえる津波の大きさが、正しくつかめるときが来るだろう。そのときは、逃げない」

強靭な言葉ですね。彼女たちに、背中の曲がった、このばか者が!と怒られながら、ぐぐ〜と背を延ばす毎日です……..。

 

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実家が京都駅近くにあったもので、小さい頃から鉄道が身近にありました。そのせいか今も駅や、列車に乗ることが好きです。海外の列車は未経験ですが、英国のそれには乗ってみたいと思う、ワクワクする本にかつて出会いました。1979年に刊行された小池滋「英国鉄道物語」(晶文社800円)です。

話は、1830年9月15日のリヴァプール&マンチェスター鉄道開通式から始まります。その10年後には、熱狂的な鉄道投資ブームが起こります。(因みに英国ではこのブームに参加した者たちを「鉄道マニア」と呼ぶみたいです)そして、全国に鉄道網が張り巡らされていきました。文学者たちも、この新しい時代を象徴するかのような鋼の塊に引きずりこまれていきます。詩人ワーズワースは、鉄道が美しい自然を破壊すると批判的な作品を発表、ディケンズは鉄道マニアの加熱に警告を発しています。

その後、英国では前後に三人ずつ座るシートが向かい合わせについた、コンパートメントタイプの個室車両が主流となり、その密室性の高まりとともに、推理小説の発達に大きく貢献していきます。著者はこう指摘します。

「イギリスの推理小説に鉄道を舞台にしたものが多いのは、この車両の密室性によるものではないだろうか。日本では最近のように団地や洋風建築が一般化するまでは、密室の中に入るということは、かなり特殊な状況を意味した。ましてや、列車内で密室を体験しようと思ったら、便所に入るか、個室寝台に乗るか、乗務員室に入るしかないだろう。ところがロンドンの市民は、いまでも毎朝毎夕通勤の途中に、密室に閉じ込められる経験を楽しむことができるのだ。」

著者は後半、鉄道と推理小説の関係に関して詳しく紹介しています。時刻表のトリック、鉄道探偵の登場、列車を愛用したホームズと楽しい話が続きます。ガタン、ゴトンと揺られる楽しさをご存知の方にはお薦めの一冊です。

ところで、そんな密室サスペンスを代表するのは「オリエント急行殺人事件」になるのでしょうね。店には、「古き良き時代」を象徴するかのような、オリエントエクスプレスを詳しく紹介したジャン・デ・カール著「オリエント・エクスプレス物語」(中公文庫200円)もございますので、よろしければどうぞ。

 

★明日21日(月)は、定休日です。

 

漫画家大島弓子が描いた絵本「森のなかの1羽と3匹」(白泉社1200円)。1羽とはカッコーのことで、3匹とは、トンボ、蝉、蛙です。もちろんキャラは大島らしい可愛らしい少女のかたちをとっています。そして、どの話もあっけない生と死を描いていて、切なくなってきます。

ふ化したトンボはこう呟きます。

「誰かが飛び立った わたしも行って 山裾の秋の中で 結婚して産卵して 一生を終えなければならない」

そして、最後の瞬間に、思います。

「わたしは羽をたたみ目をとじて思う。良い人生だったと そして永い眠りにつく」

地上に出るまで7年間、じっと地下に生きる蝉もまた、生の短さを語ります。「7年地中で暮らした後8年目にわたしは羽化して成虫になり、交尾相手を見つけて産卵し、数日間の命を終わる」と。

そして、地上に出てからふと、こんな考えが去来します。

「またあの地中の生活に戻りたいと 木の根のジュースとクッションと昼寝 イマジネーションと頭上の贈りもの 誰かが水を汲む動力の音 長く美しい休暇の時に」

ストイックな彼女たちの佇まいは、やがて果ててゆく命に抗うことなく、受け入れる姿があり凛として清々しい。この本、すでに絶版になっています。

もう一点、彼女の「キャットニップ」(小学館1100円)という大島らしいコミックも入りました。これ傑作「グーグーだって猫である」の続編としてスタートします。グーグー亡き後の大島家と十数匹の猫達のドタバタをコミック化してあるのですが、猫達も短い生を楽しんで、天国へ旅だっていきます。その一部始終をコミカルに、しかし、ここでも一直線に死を見つめます。作者自身が、病を得て死と向かい合ったせいかもしれません。

「おしっこも出すんだよ うんちもね それが生きるってことだから」と語りかけながら、小さな動物に様々なことを教えられてゆく、大島の可愛らしいキャラが楽しめる本です。一匹の猫とでさえ、動物と暮すと、ホント教えられることが多いと実感しています。