先日、安村正也さんという方が来店されました。「Cat’s Meow Books」という本屋を開店されたそうです。最初は猫がいる本屋さんかなと思いました。確かに、このお店には猫がいます。しかし、猫たちはすべて保護猫なのです。

なんと、猫関係の本ばかりの店内に保護猫が常駐し、店舗の収益の一部を保護猫団体へ寄付するという前代未聞のお店。奈良でのトークショーの前に立ち寄ってくださったので、その時はゆっくりとお話できませんでしたが、この本屋が出来るまでを描いた井上理津子さんの「夢の猫本屋ができるまで」(ホーム社/古書1400円)を買って、一気に読みました。

「ビジネスの中で儲けたお金で猫を助ける」をコンセプトにして、開業プランがスタート。出版業界の売上げが急激に落ち込んでいる時に、本屋をするなんて無謀、儲からないという声は必ずあがります。でも、店主の安村さんは、「『儲からないからやめておけ』と言うのは間違っている。本屋をやれる”道”をつくっていきたいと思うんです。業界としての売上げ減をカバーするとは思いませんが、本そのものの未来は、こういう状況でも本屋を始めたいという人にあると、私は考えます。」と進んでいきました。

そして、「猫がリアルにいて、お茶とビールが飲める猫本屋。新刊も古書も置いて」と店の輪郭を膨らませていきます。準備がスタートすると、何故かこの人の周りにはあれよあれよという間に様々な業種の人達が集まってきます。「猫のいる、猫本だらけの本屋をつくって、幸せになる猫を少しでも増やしたい!」という呼びかけ文で、クラウドファンディングで予算を集めます。著者の井上理津子さんは、ミシマ社から出した「関西かくし味」という本で、大阪の美味しいお店をテンポ良く紹介したライターですが、この本でも簡潔で的確な文章で、本屋作りに邁進する店主を追いかけていきます。

もちろん、お店が出来るまで、誰しも苦労も不安もあります。しかし、この本は、助けた猫に本屋を助けてもらう、その代わり、本屋も他の猫を助ける、という全く新しい書店の姿にエネルギーを傾けた店主の姿勢を中心に描かれています。そこがいいのですね。

「猫とビールと本に囲まれた老後を夢見た者としては、ひと足早く老後がやってきたと思いたい」とオープン前日には余裕の店主でしたが、その後一波乱も二波乱もあることを知りませんでした。その辺りのことは「第三章 いざ開店!理想と現実」をお読みください。

最後の方に、私も同感!と思う店主の言葉がありました。

「Cat’s Meow Books」は新刊も古書も販売しているのですが、「古本屋を始めたつもりはなく、開いたのは『本屋』です」と語っておられます。そうなんです、レティシア書房も古本屋ではなく、当初から「街の面白い本屋」を目指していました。同じ思いの店主がおられて、心強く感じました。安村さん、きっとお店に遊びにいきます!

mikihouseが出している宮沢賢治絵本シリーズは、とても素敵なセレクトです。スズキコージ「注文の多い料理店」、黒井健「水仙月の四日」、田島征三「どんぐりと山猫」、あべ弘士「なめとこ山の熊」など、数え上げたら限りがありません。今回ご紹介する「氷河鼠の毛皮」(古書/1100円)は、賢治の小説の中でも、それほど有名な物語ではないかもしれません。

「十二月の二十六日の夜八時ベーリング行の列車に乗ってイーハトヴを発った人たちが、どんな眼にあったのか、きっとどなたも知りたいでしょう。これはそのおはなしです。」

猛吹雪の中、出発した列車にはひとくせもふたくせもありそうな男たちが乗車していました。「毛皮を一杯に着込んで、二人前の席をとり、アラスカ金の大きな指輪をはめ、十連発のぴかぴかする素敵な鉄砲を持っていかにも元気そう」な紳士が登場します。おいおい、列車内に銃器持ち込んでいいの?と思うのですが、物語は進みます。賢治の登場人物の描写力が冴えています。

「痩せた赤ひげの人が北極狐のようにきょとんとすまして腰を掛け、こちらの斜かいの窓のそばにはかたい帆布の上着を着て愉快そうに自分にだけ聞こえるような微かな口笛を吹いている若い船乗りらしい男が乗っていました。」

この二人の人物が後半の物語の主人公です。かなりサスペンスに満ちた展開になっていくので、ここではこれ以上書きません。読んでのお楽しみ。

で、この物語の絵を担当しているのが堀川理万子さんです。寒い駅で、たき火にあたって列車の出発を待つ男たちの背中を描いたページに魅かれました。吹雪の寒さとたき火の暖かさが見事に表現されています。次に、毛皮を一杯に着込んだ紳士を、ローアングル気味でやや誇張し、どうもこの人物が良からぬ奴らしいと読者に思わせます。そして、今度は俯瞰気味に列車内を捉え、痩せた赤ひげの人の人を目立たないように描き、前方にはかたい帆布の上着を着た若者を描いています。

彼の着ているコートの色が黄色なんですが、この色がラスト近くで強烈な印象を残すことになります。「俄に窓のとこに居た俯瞰の上着の青年がまるで天井にぶつかる位のろしのように飛びあがりました」という場面で、カメラを下に置いて、その上を飛び越えてゆくような黄色いコートがダイナミックに翻ります。映画的な作風だと感心しました。賢治作品にしては、最後にスパイまで登場する荒唐無稽さもあるのですが、この不思議な物語を躍動感ある構図で描いています

 

先日、堀川理万子さんに偶然お会いする機会を得ました。メリーゴーランド京都店のギャラリーで個展をされていたのです。(左の写真はその時展示されていた作品です)その会場におられたので、いろいろとお話を伺い楽しい一時を過ごさせてもらいました。堀川さん、ありがとうございました。

 

★10月27日(土)の安藤誠トークショーは満席になりました。お申し込みありがとうございました。狭い店内のため、締め切らせていただきます。

 京都大学文学部卒業、京都在住の谷崎由依の新作「鏡のなかのアジア」(集英社/古書1200円)は手強い作品です。前作「囚われの島」(河出書房/古書1300円)が、書店員から圧倒的支持を受けた長編でした。まだ読んでいませんが。

さて、今作「鏡のなかのアジア」は、チベット、台湾、京都(多分京大)、インド、マレーシアを舞台にした独立短編です。翻訳家の柴田元幸が「物語は自在に時空を移動しつづけ、ホラ話めいたさまざまなイメージはいつしか、圧倒的な美しさを獲得する」と帯に推薦文を寄せています。

「馬のようにしたたかな蹄を持ち、どこまでも駆けてゆくことのできる、墨色をした文字たちは、風の強いときにいっせいに、五色の旗から抜け出していく。」なんて、文章が突然飛び出してきます。文字が抜け出して、空を覆う???

京都編では、主人公の女子大生が「どんなに餅を求めていても、餅の感触に焦がれていても、パンを捨てて餅とともに生きる日々には戻れない。ほんとうに食べたいのはパンではなく餅であるとしても。我々のなかにあるのはただ原風景としての餅、もののイデアのごときものであり、それは疾うに失われている。」うん?「原風景としての餅」って何だ、餅はモチやろ!!などと怒ってはいけません。

ここはいったいどこなのか。時代は現代なのか過去なのか?読み手は狐につままれたような気分になります。その言葉、掴まえた!と思った瞬間、それは、スルリと逃げてしまい、宙ぶらりんの状態に置き去りにされます。日本語の文章の中に、アトランダムにアルファベットに変換された地名や擬音語が耳に残り、文字は音となり、舞台となったアジアの地に溶け込んでいきます。

読者の戸惑いをよそに、物語の空間は捻れ、混沌としていきます。でたらめか、はたまた真実か?読者を幻想空間に陥れる企みが、方々に仕掛けられています。わけのわからん世界に、いつのまにかがんじがらめにされてゆく危ない小説でもあります。

「音が空間をかたちづくる。音が空間をひらいて、その場所は音によってどこまでもひらかれてゆく。私の身体の、私の腕と腋のあいだのほんのわずかな隙間のなかに、無数の音が混在していて耳をすませばすますほどに、それは幾らにも増えていくのだ。私の身体はひろがってゆく。私の身体のあらゆる場所が音に満たされ、ひらいてゆく」

この小説が持っている硬質な幻想力は、読む者をここではないどこかに連れ出す熱量を持っています。ふと気づいて、私は何を読んでいるのか?と自問自答するかもしれません。万人にお薦めは出来ませんが、作家のくり出す言葉に挑戦し、絡み合う文章の謎を解き明かしてみたいと思わる方は、ぜひ。最後まで、なげたらあきまへんで!

 

 

 

川勝徳重は2011年「幻燈」でデビューし、漫画雑誌の編集、アナログレコードのジャケイラスト、評論等々多方面に渡って活躍しています。

「電話・睡眠・音楽」(リイド社/古書950円)は、一見すると革新的マンガ雑誌「ガロ」系統の世界なのですが、そこを踏まえつつ新しいマンガの世界を堪能できる一冊。2012年から17年までに各種雑誌に発表されたものをまとめた作品集です。

つげ義春に代表される「ガロ」が持っているタッチは、其処彼処にあります。最初に収録されている「龍神抄」は、龍になろうと修行した男がウナギになって食われる物語ですが、それが最も色濃く出ているように思います。この作家の面白いところは、藤枝静男原作「妻の遺骨」、梅崎春生「輪唱」などの文学者の原作ものを漫画化しているところです。赤塚不二夫「自叙伝」と赤塚藤七「早霜の記憶」を原案とした、赤塚の満州での幼年時代を描いた「赤塚藤雄の頃」といった異色作品も原作ものでしょう。

「ガロ」的な貧しさや、湿気感を踏襲しながら、現代的センスで作り上げている漫画家ですが、その一方で、ヨーロッパ、アメリカ発のグラフィックコミックスをベースにして、左綴じの表題作「電話・睡眠・音楽」を書いています。これは、出来上がった原稿をスキャンしてPCに取り込み、加工しています。だから、他の作品とタッチが全く異なります。また、作品発表の場所も雑誌媒体ではなく、トーチwebというネットで公開されました。(今でも見ることができます)

舞台は現代の渋谷。一人暮らしの若い女性が、メールをし、入浴し、うたた寝して、夜更けにバーに出かけ、明け方の渋谷を歩く、という日常を描いています。「一人の女性の切り詰められたモノローグと、東京の夜景を通して、現代の時間の流れが切り取られたような作品」と文化庁メディア芸術祭で高い評価を受け、審査委員会推薦作品に選ばれました。

空虚、孤独、そして希望がブレンドされた傑作だと思います。小西康陽が「ヌーヴェル・ヴァーグ」と本作の帯に書いていますが、たしかにルイ・マルあたりなら、映画にしそうです。

共に京都精華短期大学で油絵を専攻して、卒業。それから40年あまり、それぞれの人生を歩みながら「絵」を描くことを手離さずに来られた、三人の女性による展覧会「見ることの不思議展2」が本日から始まりました。

大家好子さんは岐阜県で、シルクスクリーンを制作されています。「ハイヒール」や「鳥」という好きなものを題材にして、繰り返しの形の面白さを追求した版画が並びました。テキスタイルの柄のような洒落た作品です。実際に作品のいくつかをプリントした布で、洋服も制作されていたのだそうで、その布(端切れ・200円〜)をはじめ、色鮮やかなポストカード、ブックマーク、Tシャツも販売しています。(ポストカードは150円)

長野利喜子さんは、身近なものを材料にして制作されています。メロンの皮を干してインクをのせ、プレス機で刷った楽しい版画作品。グリーンピースを描いたやさしい木版画。そして、卵の殻(小さく穴をあけて中身は取り出した後)に小さく切った和紙を貼り、ジェッソで固めて好きな色で自由に絵を描いた「タマゴ」たち。かまぼこ板から出来た小さなボックス。台所の中から生まれた愛らしい作品には、ほっこりニッコリしてしまいます。タマゴは一個ずつ販売中(100円〜300円)何も描かれていない白色のタマゴに、自分で着色してみるのも楽しいかも。

 

高井八重子さんは、油絵一筋です。グレーを基調にして、オレンジや黄色を配した洒落た色使いが本当に美しい。部屋の何処に飾ってもきっと素敵です。今回の展覧会のために描かれた、同じ構図で色違いの二つの横長の絵「パレード」(写真最上と左下)の作品は、ピエロの楽隊が奏でるお祭りの太鼓や喇叭が聞こえてきそうで、初日から本屋の壁にすっかり溶け込んでいます。 ずーっと絵を描き続けるというのは、なんてステキなことなんだろうと、改めて思いました。何かに心動かされる柔らかな感性と、それを表現できる確かな技術。そして、どこかしら懐かしい香りのする落ち着いた雰囲気。

三人は、卒業後は特に顔を合わせる事もなく過ごしてきて、2年程前初めて一緒に展覧会をされたのだそうです。2回目は、皆さん本好きということで、こうして本屋で実現しました。さて、まだ暑い日があると言ってもようやく秋らしくなりました。ぜひベテランの描く絵画をお楽しみください。(女房)

「見ることの不思議2」展は、10月9日(火)〜21日(日)月曜日定休12時〜20時(最終日18時まで)

 

2004年、スマトラ沖で発生した大津波は、インド、タイ等の沿岸諸国に大惨事を招きました。それから5年。インドを本拠地とするタラブックスは、”TUNAMI”という絵本を出版しました。

インドには家から家へと渡り歩き、絵物語を見せながら、語り聴かせる語り部ボトゥアと呼ばれる人がいるのだそうです。二人のボトゥア、ジョイデブ&モエナ・チットコルは、津波による惨状を絵物語にして、亡くなった多くのひとたちを鎮魂しようと、絵を描き語り歩きました。そして2009年、この絵物語をタラブックスが、本として世に送り出しました。職人たちの手作業で、手漉きの紙に、一枚ずつプリントされた手製本は、被災した多くの人に手渡されました。

2011年、日本の沿岸が津波に襲われました。インドで起こったことと同じことが日本で起きたことから、日本語版の制作が始まり、今年三輪舎より「つなみ」(3780円/限定1500部)が発売されました。

蛇腹式の本を開けると、「さぁさぁ、みなさん聞いてくれ わたしの話を聞いとくれ これからうたう悲しいうたを すべてをさらった波のこと つなみ 命をのみ込む波の話を」という言葉と共に物語りは始まります。ジョイデブの描くダイナミックなデザインと原色に満ちた絵に、先ず目が奪われます。この物語を語るモエナの声を、なんとか日本語で伝えたいと翻訳したスラニー京子さんはこう語っています。

「腹の底から声をふりしぼるように、津波という痛ましい出来事を描くモエナの歌を訳したかった。彼女が津波について語るとき、そこにはどういった思いがあるのか、津波がインド洋を襲った時、モエナは何を見て、何を感じたのか。彼女の声にしっかりと耳を澄まして、どうすれば読者の方々に伝わるのかと考えた。」

絵巻全長180cm、波が滝のように流れ落ち、人々、動物、植物が押し流されてゆく様が描かれています。しかし、皆の表情は苦痛に歪んだリアルなものではなく、このお話を見て聞いておくれ、といっている様です。

語りにの最後に「それまで埋もれていた寺が もうひとつ となりにみつかった 波が砂をさらった そのあとに もうひとつ 寺があったのだ すべてが打ち砕かれた そのあとに 尊いものが たち現れた。」とありますが、これは事実だそうです。マハーバリプラムという観光地に、8世紀にまで遡る遺跡群がありましたが、津波が直撃した後、引潮と同時に、それまで砂に埋もれていた1300年程前の寺院が忽然と姿を表したのです。打ち拉がれた人々にとっては、大きな救いであったことでしょう。

可能ならば、広げた形で部屋に飾っておきたいところです。魂のこもった手作り本が、あなたを励ましてくれるかもわかりません。

 

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。10/27日(土)19時スタートです。

参加費は2000円です(要予約)


 

生物学者の福岡伸一が、たしか、カリフォルニア州サンタモニカにあった古書店のことを「週刊文春」の連載で書いていたなぁ〜というおぼろげな記憶で、その文春の連載記事をまとめた「変わらないために変わり続ける』(文藝春秋/古書950円)をパラパラめくっていると、ありました、ありました。

十数年前、彼が海岸沿いの商店街のプロムナードと呼ばれる歩行者天国をぶらぶらしていた時のことです。

「このプロムナードの端っこの方に、木の扉の、間口は狭いが奥深い、なかなかシックな感じの古本屋さんを見つけた。当事は9/11の直後。至る所に星条旗が掲げられ、アメリカ中で愛国心が盛り上がっていた。ところが店頭の一番目立つショーウィンドには反体制で知られるノーム・チョムスキーの著作 ”9−11:Was There  an Alternative”(邦訳『9・11−アメリカに報復する資格はない!』)が飾ってあった。ああ、アメリカにもこんな本屋さんがあるんだ、かっこいいと思った。」

その本屋が今もあるのか、いやあって欲しいと念じつつ、福岡はこの街を再訪します。その場所にはありませんでした。しかし、違う場所にアート系に特化した古書店を発見!どこか、一本筋が通った雰囲気を感じて、店員に訊ねると、あの古本屋だったのです。「ポスト9/11の荒波を乗り越えて、立派に進化を遂げていたのだ。」と歓びを文章にしています。

著者は、研究修行時代在籍したNYロックフェラー大学に、客員教授として滞在することになります。そして、この巨大都市の生活、アート、文化の断面を、好奇心一杯に観察したのがこの本です。

スタンリー・キューブリックの映画「シャイニング」は、主人公の小説家が狂気じみた表情でひたすらタイプライターを打つシーンが有名ですが、著者は同じタイプライターをノミの市で見つけ、ホクホク顏で買って帰ったというような話も沢山あり、肩のこらない読物になっています。

ほぼすべてNYの話ですが、京都が登場するものがあります。「今出川通から猪熊通という小さな路地を少し奥に入った古い木造の町家の二階」に下宿していた学生時代。「猪熊通今出川上ル」だけで郵便物が届くことに衝撃を受けたそうですが、NYもそうらしい。そこには、”いけず”って言葉もあるんだろうか….。詳しくは第7章「タイルの街と目地の街」をお読み下さい。

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。10/27日(土)19時スタートです。

参加費は2000円です(要予約)

 

 

 

カリブ海に浮かぶ数百の小島からなるサンプラス諸島。ここに生きる純血のインディオ、クーナ族の女性たちが幾重にも布を重ねて縫い上げるブラウスの布をモラと呼びます。ヤシの木陰でモラを作る女性たちは裁縫の達人です。この手製のブラウスは、当然のことながらすべて絵柄がちがいます。その人、その人の魂はそこに縫い込まれていると言われています。

モラに魅せられた絵本作家、久我通世が現地に飛んでモラをスケッチするつもりだったのですが、島で行われた祭りに参加したために、それどころでなくなります。酒を酌み交わし、島の人達の仲間にいれてもらいます。

「家具らしいものは物はなく、夜になるとハンモックのベッド。台所は砂の床でくべられるたき火。水は天からのもらい水。そんな簡素な生活の中で、命の源のようなモラが作り出され、受け継がれている。何がたいせつなのかを知っている人たち。」

彼女にとって宝物のように大切な体験を、絵本にしたのが「みんなまつりモラモラ」(講談社/古書1800円)です。踊るような構図、熱帯の熱い太陽みたいな明るい色彩で満ちあふれた絵本です。いろんな島から、「みんなまつりモラモラ」のために人々が集まってきます。いや、人だけでなく、動物たちも。そこかしこから強烈なリズムの音楽が聞こえてきます。お祭りはモラじいと、モラばあのお話で始まります。平和な人って、きっとこういう顔の人のことでしょう。モラじいが、なんとなく寅さん風なのが笑えます。もうあとは、飲めや、歌えやのどんちゃん騒ぎ。踊るワニの上に乗って音楽を奏でる人々は本当に楽しそう。

「みんな、おどって、わらって、モララ♪ みんなまつり モラモラ ラララ♪」と祭りは最高潮に。生命の爆発が伝わって来る様な画面。それはモラの布のようです。やがて、真赤な夕陽を見ながら人々は去っていきます。ところで「みんなまつりモラモラ」て何なの?という問いに、ものしりねこがこう答えます。

「きみが いて、ぼくが いて、みんなが いるって いう おまつりさ。 ちきゅうの おへその おまつり、さ。」

強烈な印象の絵本です。レアな本なんで、ネットでは6000円ぐらいの高値で出ています。 

 

 

 

イスラエル映画「運命は踊る」(サミュエル・マオズ監督作品)を観て来ました。予告編で、国境警備所のゲートを一匹のラクダが、ゆっくりと通過するシーンを見て、これは面白いかも、と思ったのです。

高名な建築家が住むマンションに、イスラエル軍の兵士がやってきてこう伝えます。「あなたのご子息は戦死されました」と。悲嘆にくれる父と母、親戚の面々。母は悲しみのあまり倒れてしまいます。葬儀の準備が始まったその時、戦死の報告を言った兵士が再度訪れ、「あれは間違いでした。同姓同名の人物と間違えました」。こんな間違いなんて言語道断。烈火の如く怒りだした父親は、すぐに息子を戻せと兵士に詰め寄ります。

ここで、序章は終わります。場面変わって、予告編にも登場した国境警備所。と言っても、戦争の陰など全くない場所です、時々、ラクダがやってくるか、車に乗った一般市民が通過するぐらいのノンビリした警備所です。ボロボロの警備車両に、だんだん傾くオンボロ兵舎、不味そうな缶詰だけの粗末な食事。何も起こらない場所で、24時間交代の警備勤務をこなしている、その中の一人が、戦死と間違えられた兵士です。誰と、何のための戦争かもわからないまま、敵の影すら見えない警備所の生活は、生きる意欲も失せ、まるで生きる屍の如き毎日です。それでも、彼らはそれなりに暮らしていました。監督は悲惨な状況をことさらクローズアップでせずに、静謐な雰囲気で書彼らの毎日を淡々と描いていきます。しかし、ある日、彼らはとんでもない事件を引き起こします。この事件前後の描き方は極めてスタイリッシュです。何が起こったかは映画館でご覧ください。

そして、映画は、再び父と母が住んでいたマンションに戻ります。でも、何だか状況が変化しています。灯の消えたマンション。酒びたりの母。所在なげな父。何が起こったのでしょうか?息子は帰ってきたのでしょうか?この夫婦はどうなってしまったのか、うっすらと予想はできますが、衝撃的な答えが最後に用意されています。運命とは、こんなに残酷なものなのか。この夫婦の悲しみと苦しみ、人生のやるせなさの向こうに、少し見えてくる希望。ラスト、切ないピアノの旋律に合わせて、映画のオリジナルタイトル「フォックストロット」というステップの踊りを繰り広げる二人に涙しました。

母国イスラエルの保守派政治家からは、国の資金を使ってこんな映画を作るとは、と攻撃されたみたいですが、イスラエルのアカデミー賞的存在のオルフィー賞8部門獲得し、本家のアカデミー外国映画賞にもノミネートされました。予告編の面白さはホンモノでした!

 

★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。10/27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)

 


久々に庄野潤三の短編小説を読みました。まるで戦後の小津映画みたいに、穏やかな家庭の話を延々繰り返す世界は、まぁ、もういいかなと思っていたのですが、今回短編を集めた「葦切り」(新潮社/古書900円)を読んで、やっぱり上手いと感心しました。

「葦切り」は、わずか80数ページで、とある河川の工事技術者の一生を描いてしまうのです。しかも、登場人物は二人だけ。主人公は大正生まれ(らしい)篠崎さん。彼は河川の工事の仕事の合間に、短歌を作っていました。その彼の作品のことを聞きにきた人物との会話だけで構成されています。しかし、会話の内容は、短歌の背景のことだけではありません。戦争中の米軍機による機銃掃射、空襲、戦後の凄まじい食糧難を生き延びた体験談や、自分の技術の話などが盛り込まれ、一人の男の半世紀(それは昭和の歴史そのものと重なってきます)が語られていきます。二人芝居を見ているような、篠崎さんと聴き手の会話です。穏やかな会話の中に、深いものを見せてくれる中編小説だと思います。

庄野らしい小説が「メイフラワー日和」という短編でした。老年夫婦が、宝塚歌劇を見に行くために乗車した阪急電車車内に場面はほぼ限定されています。それなりに財をなした夫と、専業主婦の妻が、「メイフラワー」という舞台を見にゆくため来阪します。「何年ぶりかの宝塚なのだから(東京では家族行事の一つになっている)、ゆったりとした心持ちで出かけたい。」とホテルで妻と話しあい、余裕を持って朝七時に出かけましょうと妻と決めます。もう、こういう会話だけからも、上品で、教養のある家庭人であることが見えてきます。車内で夫が、宝塚までの阪急沿線のことを思い出したり、旧友のことを妻と語り合ううちに到着する。そして駅前の荷物一時預かり所に自分たちの荷物を預けるところで小説は終わります。起伏のある物語では全くありません。しかし、あずき色の阪急電車のシートに座りながら、ゆったりとした気分になるような不思議な魅力に満ちていいます。

この本の最初の持ち主のものか、北海道新聞の書評の切り抜きが入っていました。そこにこう書かれてありました。「平凡でつまらないはずの事実をほとんどありのままに描いて、しかも小説を読むよろこびを感じさせる不思議な作家」。多分、もうこんな作家は現れないでしょう。

「失せ物」という作品では、飛んでくる鳥のためにエサをいれた庭の木のカゴが野良猫に持っていかれる、もう瑣末な事件のみに終始したお話です。でも、目には全く見えないけれども、結婚し、子供を育て世の中に送り出した、夫婦の積み重ねてきた人生の長い時間が存在しています。読者はそれを読み取っているのです。

なお、夏葉社が最近出した「庄野潤三の本 山の上の家」(新刊書/2200円税別)は、庄野が住んでいた家の紹介と、エッセイ等を集めた素敵な本です。この本に収められた写真を見ながら、彼の小説を読むのもいいのではないでしょうか。

★大阪にある古書店「本は人生のおやつです」で開催中の「本のヌード展」に当店も参加しています。大阪に行かれることあればお寄り下さい(20日まで)

 

 

 

 

 

 

 ★釧路ヒッコリーハウスオーナー安藤誠の「ネイチャートーク」が決定しました。

10/27日(土)19時スタートです。参加費は2000円です(要予約)