秋、よく焼けた秋刀魚に大根おろしを付け合わせ、一杯なんてささやかな幸せですね。

が、佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」(1923年)に出てくる秋刀魚の食卓は、寂しさ、わびしさの極みみたいです。

「あはれ 秋刀魚よ 情あれば伝へてよ ー男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思ひにふける と。」

なにやら、のっけから暗〜い始まりです。

「さんま さんま そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて さんまを食ふは男がふる里のならひなり。 そのならひをあやしみなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。あはれ、人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば 愛うすき父を持ちたし女の児は 小さき箸をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。」

いや、もう堪忍して下さいという展開ですが、その情景が見事に脳裏に浮かんできます。詩人は、秋の日常の食卓を素材にして、人生の暗澹たる部分を刳り出してきます。詩に宿る力を見せてくれる一編です。

もうひとつ、詩の力を見せてくれたのが、石垣りんの「くらし」です。

「食わずには生きてゆけない メシを 野菜を 肉を 空気を 光を 水を 親を きょうだいを 師を 金もこころも 食わずに生きてこれなかった。 ふくれた腹をかかえ 口をぬぐえば 台所に散らばっている にんじんのしっぽ 鳥の骨 父のはらわた 四十の日暮れ 私の目にはじめてあふれる獣の涙」

とてつもなく悲しい経験をした時、恐らく、この詩はその人を支えてくれるかもしれません。

これらの詩は池澤夏樹編集日本文学全集の「近現代詩歌」(1800円)で読む事ができます。あまたある近現代の詩歌から池澤が詩を、種村弘が短歌を、小澤實が俳句を選んだ一冊で、お気に入りが見つかればその詩人の本を買うのにぴったりのアンソロジーです。

 ★ご案内                                                 明日、28日(金)店内のイベントのため6時30分に閉店させていただきます。よろしくお願いします。 

“お散歩”フォトグラファー、呑海龍哉さんの写真集 「京都夢物語」(DOM・PHOTO1944円)が入荷しました。

「若旦那」という名前の、唐草模様の手ぬぐいを撒いた子いぬが扉から外を覗いている表紙からして、微笑ましい。花街に出没するサギを捉えた「予約のサギですけど」という作品のお隣には、祇園祭のサギ舞の写真が並べてあるセンスも面白く、次の写真をとページを捲りたくなってきます。こんな風に、ユーモア、ペーゾスを交え、京都のごく日常の姿を捉えていて、いかにも、ザ・京都的な写真はありません。

時代劇さながらの雰囲気で尺八を吹く男を捉えた「さすらいの尺八奏者」、静かな朝チェロの練習を、クラブのボックスで一心不乱にする女子学生の姿を捉えた「練習中」、あぁ〜今日も客が来ねえなぁ〜、とため息混じりの飲み屋の親爺の後ろ姿を撮った「今日も坊主」等。私が思わず笑ったのは、「気分は銅像」。これ、三条大橋にある銅像につながれたワンちゃんの微笑ましい姿をおさめたもの。もうひとつ、横転した車を起こそうと、必死になっている警官たちを捉えた「よっこいしょ」も、「頑張れ」と声を掛けたくなります。

さて、もう一冊京都関連本のご紹介。絵本「市電22番」(文理閣1800円・初版)です。タイトルにあるように、京都市内を走っていた市電22番系統を主人公にした絵本です。市電に乗って、通学、通勤された方には、あのパンタグラフ、つり革、正面から見た面構えなど、懐かしいなぁ〜と思われるのではないでしょうか。

表紙をめくると北大路橋を往く市電と、鴨川で遊んでいる子供たちを捉えた写真が載っています。かつてここにも市電が走っていたんだなぁ〜という感慨に耽ってしまいました。絵本は、交通渋滞の一因にもなりかねない市電の撤去を描いています。

「バスのほうが好きや 早いもん そやかておいこせるやん 電車はレールの上 走ってるしおいこせん なんで しでんなくなるや 車はしるのに じゃまになるしかな」

という子供のモノローグ通り廃止になりました。ラストカットは、どしゃぶりの雨の中を、遠くに消えてゆく市電を描いてあります。市電が泣いていたのかもしれません。

なお、この絵本ほ発行は1978年。一応ビニールで保護していますが、表紙カバーに破損があることをご了解下さい。

呑海龍哉さんの写真展は、2017年1月31日(火)〜2月5日(日)レティシア書房にて開催予定

 

 

とある小冊子の、映画特集号の原稿を依頼されて小栗康平処女作品「泥の河」を再見しました。(正確には映画館で一度。宮本輝の原作を読んでビデオで一度、今回で三度目)

昭和30年代の大阪の河口で、労働者相手の食堂の子供信雄と、河口に流れ着いた船上生活者一家の交流を描いた映画です。小栗は最近では、画家藤田嗣治の巴里時代を描いた「FOUJITA 」がロードショー公開されましたが、81年白黒スタンダードサイズで発表したのが、「泥の河」です。小さい時、ランニングシャツに半ズボンで遊んだ方、TVを持っている友だち家に行って、真剣に相撲や漫画を見ていた方には必見の映画です。

「スタンド・バイ・ミー」みたいな明るいノスタルジーに満ちた作品ではなく、人生の悲惨をリアルに描きながら、二人の少年の切ない別れを描きます。原作の宮本輝は「川三部作」として「泥の河」、「蛍川」、「道頓堀川」を発表しています。(ちくま文庫300円)

「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでゆく。」という文章で始まる原作にほぼ沿った形で映画は進行していきます。

この船上生活を余儀なくされている一家の母親は、船で売春をして生計を立てています。信雄は、その母親が客の男に抱かれているところを目撃してしまいます。

「闇の底に母親の顔があった。青い斑状の焔に覆われた人間の背中が、その母親の上で波打っていた。虚ろな対岸の灯りが、光と影の縞模様を部屋中に張りまぐらせている。信雄は目を凝らして、母親の顔を見つめた。糸のような細い目が、まばたきもせず信雄を見つめかえしていた。」

緻密な文章を映画はどう表現しているか。出来る事なら、「泥の河」は原作と映画を両方味わっていただきたい作品です。白黒映画黄金時代の、高度な映画表現技術を身に付けた小栗監督の、一コマ一コマの隅々まで行き渡った表現を鑑賞し、一方、言葉でしか言い表せない表現を味わうなんて、贅沢ではありませんか。

 

小栗は、90年に島尾敏雄の「死の棘」も映画化しています。松坂慶子がノーメイクで出演したことでも話題になった映画です。500数ページにもなる小説の”重さ”にたじろいでしまい、映画を先に見てしまいましたが、再挑戦してみてもいいかなと思います。

店頭には「小栗康平コレクション1 泥の河」(駒草出帆2500円)があります。本作DVDと一緒に監督の詳細なインタビューが付いています。

 

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読みやすい。これが第一印象です。

FMラジオ番組「Panasonic Melodious Library」で、小川洋子が話したことを、書籍用に再構成されたものだけに読みやすい、というのもありますが、彼女の言葉が的確で、しかも深い印象を与えるので、物語の世界へするするっと誘ってくれます。「シャーロック・ホームズの冒険」とか、「トム・ソーヤの冒険」とか、あまりにもスタンダード過ぎて読書案内に載らないものも読ませてくれます。(PHP文庫300円)

その一方で、なかなか書評集にも見受けない、さすが小川洋子のセンスだ!という本も紹介されています。例えば南アフリカの作家クッツェーの「鉄の時代」。この小説は、ガンを宣告されたケープタウン在住の白人女性カレンが、アメリカにいる娘にあてた遺書めいた手紙で進行していきます。カレンとお手伝いの黒人女性、そしてカレンの庭先に住みついた黒人ホームレスのファーカイルの、三人のやり取りを通して、「アパルトヘイトがごく普通の人生にどんな傷を残したのか、カレンとファーカイルの人生を通して、ほんのわずかですが感じることができます」と評価しています。なお、「鉄の時代」は河出書房世界文学全集の一冊として在庫しています。(1900円)

他にも、「アポリネール詩集」、「死者の奢り」(大江健三郎)、「骸骨ビルの庭」(宮本輝)、「トロッコ」(芥川龍之介)等の渋い作品や、「細雪」、「金閣寺」、「赤いろうそくと人魚」等の有名な小説も挟み込まれています。

その渋いラインナップから、もう一冊。大正時代に活躍した「自由律俳句」の俳人「尾崎放哉全句集」について、小川はこう書いています。

「尾崎放哉の最も有名な句のひとつは、『咳をしても一人』でしょう。五七五の十七文字よりさらに短い、九文字です。その圧倒的な短さの中に、彼の人生のすべてが凝縮されているようです。定型からはみ出しているからこそ余計に、そこに込められた孤独が際立っています。」

際立った孤独という意味では、彼女が紹介している「一日物云はず蝶の影さす」も高いクォリティーを持っています。

尾崎に関しては、西川勝著「『一人』のうらに」(サウダージブックス2160円)という傑作ノンフィクションがお薦めです。(店頭にある本は表紙がリバーシブル仕様です)

 

アート系出版を中心に、いくつか新刊を入れています。その中から、ちょいと面白いものをご紹介いたします。

装幀やブックデザインの本は沢山出ていますが、最近では、ブックデザイナー祖父江慎の30数年に渡る仕事を網羅した「祖父江慎+コズフィッシュ」(パイインターナショナル9504円)という労作に驚かされました。この出版社からは、今度は書店のブックカバーばかり集めた「日本のブックカバー」(監修/書皮友好境界2484円)が出ました。

何気なく書店で付けてもらっているブックカバーですが、奥が深ぁ〜いことが理解できる楽しい一冊です。ブックカバーは、ご承知のように日本独自の”書店カルチャー”です。各書店が知恵を絞って、少しでもお客様に「おっ、いいね」と思ってもらえるカバーを作ろうとしています。新刊書店店長時代、近隣の大学生に四コマ漫画を書かせて、それをカバーにするという企画を思いつきましたが、残念ながら却下されてしまいました。

さて、この本、絵やイラスト、写真、ロゴ、色使い別に分けて紹介されています。書店だけではなく、レティシア書房のご近所のカフェ「月と6ペンス」が、一時、作っていたブックカバーまで紹介されています。西陣近くの古書店「KARAIMO BOOKS」の、ど迫力のサツマイモカバーも見開きページで紹介されているのは嬉しいですね。

へぇ〜そうだったの、と思ったのは、京都市内のチェーン店、大垣書店のカバー。地味な印象しかなかったのですが、これって、大垣書店本店からみた、京都市北部の北山の山並みが描かれていたのです。今度、ゆっくり見てみます。

どのブックカバーも素敵なのですが、その解説の横に「今は閉店している」という文字を見つけると、ちょっと寂しい。気軽につきあってきた、ブックカバーに対する気持ちが、少し変わる革新的な一冊です。

同時に、少し前にでた本ですが「パンレターブック」(パイインターナショナル社1814円)も入荷しました。これは、1枚ずつ切り離して使える「パン」にまつわる、かわいい紙の本です。美味しそうなパンの写真、可愛いイラスト等々、趣向を凝らした紙が100枚。パン好きの方に、これで手紙を書いたら、喜ばれそう。

お恥ずかしい話を一つ。レティシア書房開店前、少しは古書業界を知っておこうと、古書に関する本を乱読しました。その中で、野呂邦暢とか上林暁とか木山 捷平とか小山清とか、今まで読んだ事のない作家が、しばしば登場してきました。これは、拙い!と思い読み始めました。

古くさいなぁ〜、退屈〜と感じた作品もありましたが、野呂の「鳥たちの河口」を読んだ時は、唸りました。37年長崎生まれで、諫早で育った彼が73年に「文学界」に発表した小説です。会社の労働争議で辞職を受け入れざるを得なかった男が、百日間河口に通い、鳥の観察をするだけの話です。

当時、野呂が住んでいた家の裏を流れる本明川を、河口まで歩くのが本人の日課でした。毎日の散歩で見た風景を見事に小説に組み込み、自然描写の素晴らしさで読者を誘い込みます。主人公の置かれた状況が状況なんで、晴々とした風景が登場することはありません。なんせ、「空は暗い」で始まりますから。

主人公は河口で死んだカモメも見つけます。

「のどから腹にかけてひきむしったように皮が裂け、肉がえぐられている。はみだした暗紫色の内臓に鼻を近づけた。」

こんな導入部で、小説はシンボリックに、生きる恐れ、よるべなき明日、忍び寄る不安を描いていきます。河口の風景と、主人公が助けた渡り鳥にだけ描写を絞った分だけ、ぐっと凝縮された世界が押し寄せてきます。文学の強靭な力とは、こういう作品の事でしょうね。

ラスト、この渡り鳥を大空に放つところで終わるのですが、決して開放的ではなく、重く、苦いものが残ります。白黒映画黄金時代のフランス映画みたいです。

この小説を含めた「野呂邦暢集大成」(文遊社)の1巻「棕櫚の葉を風にそよがせよ」、2巻「日が沈むのを」が入りました(どちらも2400円)。2013年に刊行が始まった本シリーズは、装幀、字体、デザイン等隅々まで入念に作られていてお薦めです。持った感触も良く、現在、7巻まで刊行されています。いずれは全巻揃えておきたいものです。

木版で漫画を描くか……..?と、ページを捲って先ず思ってしまいます。

「魂を削るようにして木版に向かった」先に出来上がった一コマ、一コマは、もうアートです。とにかく今年最も驚かされ、引込まれた一冊が、藤宮史「黒猫堂商店の一夜」(青林虹工藝舎1100円)。

主人公は猫です。彼が営む「黒猫堂商店」が舞台ですが、ストーリーはあるようなないような、長編の詩を読んでいるような感覚です。主人公の猫が、首尾一貫静謐で、哲学者のような、詩人のような表情が、モノクロ画面に染み込んでいきます。

第三話「星のはじまりの話」は、宮沢賢治の世界を彷彿とさせます。

「星をけずって 薄荷水を溶かし 星のインクをつくってみる 夜空の星を 眺める と星は<わたし>が思うように輝き そして 消え入りもする ー羽ペンの先に 星のインクをつけてみる」

というモノローグと共に、ペンを走らせる彼の穏やかな表情を見つめているだけで、落ち着いた気持ちになります。

第四話「夜をゆく」は、萩原朔太郎的な世界。「月のない深夜 誰とも 往きあわない 町へ出て 水晶の眼鏡で 町を眺めてみると あちらこちらにキラキラした言葉が浮かんでいる」

楽しさに微笑む彼が、全く異次元の空間へとトリップしてしまう幻想的世界が展開します。マンホールを下りたら駅があり、やってきた汽車は、喫茶店の椅子の上に彼を運びます。古風な街角を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを口にする様が心に残ります。

途方もない時間と労力による木版画で構成された漫画は、扉の言葉にあるように「穏やかな懐かしさと柔らかい孤独を心地よい手触りで甦らせてくれる」ようです。

第七話「漂う日々」では、最初のページには「一コマ2秒間ずつ見てください」と書かれています。ゆっくり、ゆっくりと読んでくださいという作者の思いです。永遠に続く孤独を、穏やかに、穏やかに、遥か彼方に流してしまうような豊かな世界が広がります。描いた線はおしゃべりですが、彫った線は、実に寡黙です。

 

 

 

 

 

 

マリー・カスティユ・マンシオン・シャール監督の「奇跡の教室 受け継ぐものたちへ」(京都シネマ)を観てきました。

フランスのベテラン女性教師が、落ちこぼれ生徒達を全国歴史コンクールに出場させて、栄冠を得るというお話ですが、熱血先生が落ちこぼれ生徒を救う手合いの学校もの感動ストーリーではありません。

先生が、コンクール出場のために選んだテーマは、先の大戦で起こったナチスドイツによる大虐殺、そしてアウシュビッツ収容所です。もちろん、勉強なんてまっぴらの生徒達が、最初から熱心に勉強するわけがありません。映画は、少し距離を置きながら、ドキュメンタリーのように、生徒の日常、授業の風景を散文的に描いていきます。

映画の中で、実在のアウシュビッツ収容所の生き残りの老人が、生徒達にその地獄の日々を、極めて理性的に語るシーンがあります。腕には、収容所で焼き付けられた番号が残っています。今まで持っていた、彼の名前も生い立ちもはぎ取られて生きる日々の始まりです。

この映画に登場する生徒達は髪型、服装、話し方など、極めて個性的です。そんな彼らが、その人の持つ個性をはぎ取り、番号だけの人生を生きさせられた老人の言葉を受けて、考えることを開始します。戦争って何?その時フランス人は何を考えていたのか?なんで人は虐殺が出来るのか?等々。そして、それぞれのアプローチでこの問題に取り組み、発表していきます。それぞれの思いで、深く考える、そこから個性が表れてくることが分かります。(写真右は撮影中の監督−手前の女性です)

映画は、高校生がアウシュビッツと向き合い、どう変化したかを描いていきますが、その一方で、自分たちで考え、まとめ、それを表現するという作業から、一人一人の持ち味が出来上がってくるまでを描いたように思えます。ラスト、彼らは、収容所で死んでいった人達への追悼を込めて、色とりどりの風船に、亡くなった人の名前をひとつずつつけて、青空に放ちます。彼らの新たな旅立ちを象徴するような素敵な幕切れでした。

本作は、アハメッド・ドゥラメという当時18歳だった少年が、シャール監督へ送った一通のメールから映画化の道が始まりました。生徒の一人マリック役を務めた21歳のドゥラメは、自身の高校一年生のときの体験を元に監督と共に脚本に参加しています。正に、落ちこぼれだった生徒が、アウシュビッツに向き合うことで、人生を見つめなおし、自分の道を見つけるまでを描いたドキュメントでもあったわけです。

ところで、彼が目ざしているのが映画監督。いつか、アハメッド・ドゥラメ監督作品が観られる日がくるかもしれません。(写真はマリック役のアハメッド・ドゥラメと先生役のアリアンヌ・アスカリッド)

 

福岡在住の作家9cue(キュー)さんの絵本「cherry」(メイドイン編集舎1296円)をはじめて見たのは、昨年夏のことでした。

木と金物と革で作られた人や動物たちが、物語を紡ぐ絵本を、すぐに店長がブログにアップ。その造形がキュートなので、ぜひ実物をみたい!とメールしたところ、今回個展開催の運びとなりました。願えば、叶うものなんですね。

作者の9cueさんも本が大好きだということで、個展のタイトルは「本とともだち」。九州福岡市からやって来た「女の子」や「オオカミ」や「うさぎさん」たちは、京都の本屋の本たちとすぐに仲良くなって、びっくりするくらい馴染んでいます。なにより色合いが素敵です。木材を好きな風合いが出るまで加工し、革も染めて、古い金物と創り上げていきます。その一つ一つが、ずーっとここで暮らして来たみたいに、おしゃべりをしているようです。

展示は絵本「cherry」の物語に沿って、壁に飾られました。店長のお気に入りは「オオカミ」(写真上)。首、歯を作っている金物やたてがみの釘に加えて、ちょっと傷のあるなかなかの面構えです。絵本「cherry」のお話の中では、チェリーちゃんという女の子についてる赤いホッペが、出会う者たちに小さな幸せをあげていくのですが、このオオカミも赤いホッペをもらうと、強面から笑顔になったり。

9cueさんは、釘やワッシャーやネジなど古い金物が大好きで、コレクションしています。知り合いのお宅から出た木材から釘を抜き出したり、どこでみつけてきたのか銹びた鋏などを使って、独特の世界を創られます。作品の多くは、そういった金物を手にしたときから始まるのだとか。もしかしたら9cueさんの磁場に、面白い金物が寄せられてくるのかもしれません。

街も少し秋めいてきました。ぜひ本屋でのおしゃべりを覗いてみてください。(女房)

 

クラフトアート絵本「本とともだち」展は10月30日まで。(24日定休日)

台に並んでいる小さなロボットや怪獣たちは、販売しております。(2500円〜15000円)

 

 

 

明治37年生まれの小説家随筆家の永井龍男は、東京を描いた良い随筆がありますが、まぁ、そんなに読みたい〜と思いませんでした。”オールドファッション”なイメージしかありませんでしたが、「青梅雨」(講談社/昭和41年発行500円)という短篇を読んで、そのイメージがコロリと変わりました。出だしはこんな感じです。

「十九日午後二時ごろ、神奈川県F市八三八無職太田千三さん(77)方で、太田と妻のひでさん(67)養女の春枝さん(51)ひでさんの実姉林ゆきさん(72)の四人が、自宅六畳間のふとんの中で死んでいるのを、親類の同所一八四九雑貨商梅本貞吉さん(47)がみつけ、F署に届けた」

え、推理小説?? 違うんですね。場面は一日前に戻ります。「九時少し前に東京駅を出た湘南電車が、F駅へ着いた。」。この電車には主の太田千三が乗っています。そして、我が家へと向かいます。出迎えてくれる家族、うん、まるで小津映画に出てくる幸せな中流家族の一コマみたいですが、ここから全員自殺へと向かっていくのです。しかも文章は淡々と進み、自殺を仄めかす雰囲気もありません。お風呂に入り、新しい浴衣に袖を通し、ちょっとお酒を呑みながら、歓談する場面が続きます。

しかし、「二人とも、けさから、死ぬなんてこと、一口も口に出さないんです、あたし、あたし、えらいと思って」

という台詞を最後に、場面は現場検証の場面になり、小説はそこで終ります。愛しい様な最後の晩餐がくっきりと現れ、静寂の中に、生と死を捉えた短篇でした。

この短篇集には、忍び寄る老いの孤独を描いた「冬の日」が収録されていて、こちらもお薦めです。夫に先立たれ、娘までも天国へ旅立った妻は、その娘の子供を世話していたのですが、娘の亭主が再婚することになり、子供を新しい母に返し、長年住んでいた家を手放します。立ち退きの迫った年末の数日を描いているのですが、深い孤独とやがて訪れる死を前にした、彼女の心情が簡潔な描写の中に浮き上がってきます。

「床の間に供えられた小さな鏡餅には、もう罅が入っているようであった。」

という文章で小説は幕を閉じます。年を重ねた我々世代には、ちょっと辛いけど、生きるってこういことなんよね、と納得します。

この静かな描写は、小津映画ファンの方にもお薦めです。

 

 

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